ラブラシス魔界編

20.無月の神髄と闇

 グライムスと豪輝の死闘に興奮冷めやらぬコロシアムで、最後の試合が始まろうとしている。
「コロシアム始まって以来の熱い戦いを称える歌を!」
 そう前置きし、歌い始めるイサーク。前置きはどうあれパターンは今までと大差はない。そして、アミアがそれを熱心に見守るのもまた変わりはない。
 ルスランは手持ち無沙汰になった。そんなルスランに忍び寄る影。
「ルスラン殿!本日はお手合わせできて光栄でした!」
 カンナだった。ルスランが柳雲のゴーレムを倒した時はそれまでに一度持ち直した気持ちが傍目でも判るくらいにまた落ち込んでいたが、また最初くらいに元気になったようだ。豪輝に仇を討ってもらったからかと思ったが、それだけではない。その豪輝に対するルスランの戦いぶり。父親でその豪輝の師である柳雲もカンナにとっては幼い頃に死別し、まして今はゴーレムとなった存在。どれほどの強さなのか判らない。比べて豪輝の強さは教えを受けるその身に沁みて知っている。カンナがルスランに負けたとき、豪輝には「相手が悪かった」と言われていた。ルスランと豪輝の試合を目にした今なら、その言葉を型通りの励ましなどと思わず素直に受け入れることができる。確かに、相手が悪かったのだ。その豪輝とあれだけやりあえたのだから。
「君もスピードはすごかったよ」
 言ってからスピード以外は大したことないと言っているに等しいことに気付くルスランだが、カンナはすっかり前向きな気持ちになっており、スピードを誉められたことを素直に喜ぶ。そしてやおらもじもじし始め、おずおずと申し出る。
「それで、そのう。ルスラン殿からみて、私がどこを直せばもっと強くなれるか指南してくださると……嬉しいのですが」
 負けてもその理由を突き詰めそれをバネにしようとする向上心はいいことだ。それをルスランにぶつける度胸も見上げたものである。
「俺も人に教えるほどのもんじゃないけど。そうだなぁ」
 人に教えるほどではないからこそ、こういうことをする機会は貴重だ。存分に先輩風を吹かせてみるのも悪くない。カンナの素直な動きにつけ込んで勝利したルスランとしては、やはりそこを指摘する。むしろ、そこ以外の悪いところを見る前に終わっているのだ。他に言うべきことはない。
「豪輝殿みたいに背後をとろうとしたり、フェイントかけてみたりするのもいいと思うな。君は次にどうくるのか分かりやすすぎるし」
 頭を抱えるカンナ。
「ううう。やはりそこか!解ってはおる、解ってはおるのです。しかし手合わせ稽古でも、背後に回ろうとしてみたところで一度もうまく行ったことなどは無く……っ」
 稽古ということは同門の徒が相手、ならば自分と同じ手は易々と食わないだろう。
「ええと。格下の門下生いるでしょ」
「おりませぬ。父上がいなくなってからは入門者はぱったりと……」
 要するに、カンナが一番若手でへっぽこなのであろう。そして、他の門下生は稽古でもこんな初歩の手に引っかかってくれない、あるいはそれより先手をとってあちらから背後を取るとする。だからうまくいかず、そんな状態が長年続いているせいもあって実戦で使う勇気が出ないのだ。ならば、気の利かない門下生の代わりに誰かが不意打ちを食らって自信をつけさせてやればいいのではないか。
 ひとまず、どうやら自分の悪いところは解っているらしい。ならばなおさらルスランから言うべきことはない。
 それが判ったところで、怒号のような歓声が会場に渦巻く。イサークのステージがフィナーレ……いや、戦いが勝利に終わったのだ。
「あーあー。まさかとは思ったけど優勝まで行っちゃったわ。初っ端でそんなのに当たるなんてついてなーい」
 こちらもまた初戦の相手が悪かったのだ。しかしこちらは、だから負けても仕方ないとは思わない。よい向上心だが、この向上心にもルスランは巻き込まれることがほぼ決まってる。
「で、明日はどうだ?一矢報いることは出来そうなのか?」
「ふっふっふ。策はあるわよー。さっさと宿に帰ってこれからしっかり準備しないと」
「そのことなんだがな」
 グライムスが口を挟んできた。
「これから豪輝殿と一杯やることになったもんでな。その間、道場に行って二人でその子に稽古を付けてやってもらいたいんだ。タダでとは言わん、金も出る」
 どうやら自分たちは売り飛ばされたらしい。
「金が出るなら仕方ないな」
 ルスランも快く売り飛ばされてやることにした。ただ一つ気になるのは一緒に飲むという豪輝が気が合った英雄と酒を酌み交わそうというにしてやけに深刻な顔をしていることだ。調子に乗っておごると言い出したはいいが酒豪ぶりでも聞かされたのだろうか。

 何はともあれ、その前にグライムスには一仕事待っている。優勝者によるエキシビションマッチだ。
 一般部門でエキシビションマッチが行われるようになったのにはいくつかの理由がある。
 このコロシアムは勇者エイモスの名の下に集った闘士たちが己の腕と力を競い合う場所である。そのエイモスが剣に操られ戦わされていた凡人であることとは関係なく、ここに集いし闘士たちも今ひとつぱっとしなかった。それも無理からぬ話だ。元々このラブラシス公国は小さな国である上、背後を森と砂漠、前を宗主国ブリュストランドと同盟国フォーデラスト王国に囲まれ、その庇護のもと軍隊らしい軍隊を持っていなかった。
 そんな公国も先の戦争ではグライムスを含めて多くの英傑した武人を排出してはいるが、そんなのは稀。エルフとの混血が多いラブラシス国民は、世代を重ねてもエルフの貧弱さを受け継いでいる。まして今は平和な時代、志す者もめっきり減り貴重である武人は有能ならばそれなりの所に引き抜かれ、こんなところで腕試しをしているような輩もまたそれなりである。
 やがてそんなただでさえ盛り上がりに欠ける一般部門に加えて、要望があったこともあって魔術部門並びに複合部門のトーナメントも行われるようになる。ラブラシスは魔術立国、こちらの人材は豊富だ。人手が余って行き場を失った魔術師が寄り集まったとはいえ、その水準の高さは流石である。こちらは結構盛り上がった。そうなると、一般部門がますます地味になってしまうのだ。
 そんな中、英雄が操るゴーレムが登場したことで一般部門も人気が盛り返した。当初は英雄のゴーレムが出ると7割くらいは優勝する程度だったが、性能はすぐに向上し誰も勝てなくなる。そこで試合用のデチューンされたゴーレムと、英雄の力が思う存分振るえるエキシビションという、出場者がほどよく勝てて英雄も最後には面目を取り戻せる今の形式が確立したのだ。
 舞台に登場したゴーレムは昼間のテストで対峙したあのゴーレムだ。先ほどの試合でルスランに負けてしまった柳雲だが、いよいよその真価を現す時である。
 開始の合図とともに柳雲の姿が消失した。グライムスの目の前から、だけではない。少し離れたところで見ているルスランの目にもその姿は見えない。
 更に離れたところから見ている観客であればその動きを追うことができた。柳雲は上に跳んでいた。ルスランの距離でさえ、視界から消えるほどの高さ、消えたかのように見える速さで。
 しかしルスランの目は辛うじて、柳雲が上に飛び上がった瞬間、僅かな残像を捉えていた。それを追い、目を上に向ける。舞台上のグライムスもまた、頭上に目を向けていた。彼の目には残像さえも映ってはいなかったが、柳雲が消失する前の体勢が大きく跳躍するためのものだったため、次の動きを予測したのだ。
 柳雲はグライムスの頭上を越えていたが、真後ろを狙っていたわけではない。狙いは少し横に逸れた場所だ。着地の瞬間、グライムスは剣でその場所を薙ぎ払う。木剣同士が打ち付け合う乾いた音と擦過音が響いた。だが、相変わらず柳雲の姿は現れない。グライムスの攻撃を受け流した勢いで地面に降りることなくまた跳んだのだ。だが勢いはなく舞台上に降り立ち、グライムスの目にもその姿が捉えられた。
 それも一瞬のこと、次の瞬間には柳雲は再び動き出していた。左右にジグザグのステップで一気に距離を詰め、そこから一気に急襲する。グライムスの体を朧な影がすり抜けていき、その瞬間木剣の打ち付け合う音が数回響いた。柳雲から仕掛けられた攻撃をグライムスが受け流し反撃。それを受け流した柳雲が通り抜ける間際に斜め後ろに向けて放った突きを受け止めたのだ。
 すぐさま柳雲は身を翻し次の応酬。今度は打ち合う音とともに柳雲の姿が消えた。少し離れた場所に現れる。
 ルスランならばこんな敵と遭遇したら迷わず逃走するが、そもそも逃がしてくれるかどうかは怪しい。話に聞いた通り、ルスランが戦ったときとは比べものにならない強さ。いや、話からの想像も超えている。すでに人間を捨てた怪物といってもいい。そして、それに防戦一方とは言えど食らいついているグライムスも人間離れしている気がしてならない。
 ただでさえ押され気味だったグライムスだが、そこに来て相手は疲れ知らず、練達した技で体力を補っている身としては激闘が長引けばたまったものではない。柳雲の突きがグライムスの肩口を捉え、肩当てが弾け飛んだ。
「勝負あり、そこまで!」
 この目にも留まらぬ戦いを、審判もよく見ていたものである。
 その声と被さりゴキッという音がし、柳雲が大きく吹っ飛んだ。決め手となった柳雲の一撃と入れ違いのグライムスによる一撃。実戦であれば手傷を与えたことに油断し胴を真っ二つにされたというところではあるが、試合では先に当てた方の勝ちである。柳雲は空中で体勢を整えてきれいに着地した。
 グライムスは負けてしまったが、エキシビションはまず勝てるものではない。これだけやり合える者さえも稀だ。その稀な闘士が現れたのだから会場は大盛り上がりである。
 すでに今宵は特別な夜となった。だが更に特別なことが起こる。エキシビション・スペシャルマッチ。その組み合わせが読み上げられる。無月柳雲対神無月弥生、誰かのせいで幻となりかけた親子対決が実現するのだ。
 嬉々として舞台に上がるカンナ。その様子に、親子対決を幻にしかけた誰かもまた喜ばしい気持ちになるのだった。
 柳雲は大きく育った……あまり大きくはないが育った娘との久々の再会を噛みしめる。……ような素振りは特になく。開始の合図とともにカンナの体が宙に舞う。カンナの意志に反してだ。次の瞬間にはカンナの体はそのまま地面に叩き付けられる。優しく受け止めるようなことも無しである。死して屍拾う者なし。いや、死んではいないが。完膚なきまでの瞬殺であった。
「うわあ。あんたくらい容赦ないわね」
 アミアがルスランの顔を見ながら言った。
「えっ。俺、あんなだったか?」
「うん。あんなよ」
 信じたくはないが、冷静に考えてみればあんなだったかも知れない。
「何が起こったか見えた?吹っ飛んだのしか見えなかったけど」
「そうだなぁ……」
 開始の合図とともに二人は動き出した。正面からぶつかり合う。先に仕掛けたのはカンナ。その攻撃を受け止め、弾き返し、そのままの勢いで柳雲は通り過ぎる。そして踵を返し、仰け反ったカンナの背中に掬い投げる一撃を浴びせたのだ。素人のちょっと見にはカンナと柳雲が入れ替わりカンナが上に飛ばされたように見えただろう。そして、とどめを掬い投げる一撃にしたのはルスランと同じだ。この辺りを細かく解説してしまうと、アミアに何か言われそうである。
 極めて呆気なく無慈悲に片付けられたカンナだったが、その表情は晴れやかである。それだけが救いだ。柳雲も、きっと久々の再会だからこそ手加減無しの全力で臨んだのであろう。そう思っておくことに越したことはないのだ。

 グライムスと豪輝は酒場へと向かった。ルスランはアミアともにカンナに案内されて道場へ向かう。ルスランは一度行ったことがあるので案内無しでも大丈夫だが、案内してくれる物を拒む理由もない。それに、近道も知っているだろう。
「あたし、明日の準備しなきゃならないのに」
 アミアが鼻歌をやめてぼやいた。
「さっきもそんなことを言ってたけど、準備ってなにをするんだ?」
「決まってるでしょ、あいつの歌の研究よ」
「……まあ、そうか」
 ルスランは今のやりとりをきっかけに気付いた。
「そういえばさっきから、その鼻歌は……」
「そ、あいつの歌」
「歌詞も覚えたのか?」
「当然よ」
「よく覚えられたな。流石だ」
「覚えたというか、知ってたって感じかしら。呪文の内容としてはあたしの得意な疾風の魔法と同じだからね。言語が違うだけ」
「言語?呪文に使われる言語はいくつかあるわけか」
「お察しの通り。普通よく使われるのは古代ラブラシス語、あいつは呪歌ではオーソドックスなブリュストランド古語」
 先程は少し不機嫌そうだったアミアだが、話しているうちに段々ご機嫌になっていく。基礎的な能力の劣りを知識でカバーする方針のアミアは、その知識をひけらかすことに喜びを感じる。そして、ルスランもそんな話を適宜振りつつ、割とちゃんと聞くので話し甲斐があるのだ。
「呪文って、統一されてる特殊な言葉なのかと思ってた」
「そうでもないの。極端な話、魔法の効果を発動させる精霊に伝わればいいのよ。だから公用語だって魔法を発動させられるのよ。例えば……我が精霊よ、眼前に炎を巻き起こしたまえ!……ほらね」
 言葉通り、アミアの眼前に炎が巻き起こる。
「おおっ」
「ま、今のは正直ちょっとカッコつけたんだけどさ。もっと普通でも十分。ありがとねー、消しちゃっていいわよー」
 言葉通り、炎は消えた。
「それでいいのかよ」
「通じればいいの。あたしの精霊は通じる精霊だし。通じるように育てたのよ」
「へえ、そんなことできるのか」
「精霊ってのはいろんなのがいてね。魔法の効果を発動させる精霊は古い時代の精霊が多いの。だから昔の言葉が通じやすくて今の言葉は通じない。で、若い……って言っていいのかな。最近なったばかりの精霊は今の言葉は分かるけど力は弱い。生前魔法使いだったような精霊は自分が使ってた呪文として昔の言葉も分かるから、通訳してくれるわけ」
「ちょっと待って。……それ、精霊じゃなくて幽霊なんじゃ」
「そうね、大差はないわね。人間……に限らず生き物は死ねば魂が肉体から離れて霊魂になるけど、その霊魂が精霊になったり幽霊になったりするわけ」
「その二つの違いは何なんだ」
「やってることの違いかしらね。どちらもその力を揮って世界に影響を及ぼそうとするけど、生前の意思に従って行動してるのが幽霊ってところかしら。憎い奴に復讐したり、復讐する相手もいなくなっちゃってたらもう手当たり次第悪さしたり。そうやって存在をアピールすることでマナを獲得してるのよ。で、精霊と呼ばれてるのは人間の呼びかけで力を揮い何か起こす。そうねー、言ってみれば精霊は魔法使いの下で働く勤め人で、幽霊はそこいらの人を襲ってる盗賊みたいなもんね」
 その時、前を歩いていたカンナが足を止めて振り返った。
「夜道を歩いている時に幽霊の話をしないでくれぬか。それもそんな悪し様に……祟られてしまいます!って言うか出そうです!」
 とは言え、辺りはまだコロシアム帰りで気分の盛り上がった客が群れなして歩いている賑やかな状況。幽霊が出るような雰囲気ではない。
「ま、とにかくさ。そうやって通訳の出来る精霊が強い精霊に近寄って付き従うようになるわけ。通訳することでマナのおこぼれがもらえるからね」
 幽霊の話のせいで少し近寄ったカンナに配慮する気はないようだ。
「それじゃあ、その通訳の分魔法が弱くなりそうだな」
「ご明察。現代語による呪文がマイナーな理由の一つがそれよ」
「他の理由もあるのか」
「ええ。特に公用語だと、詠唱で何をしようとしてるのか丸バレでしょ」
「まあそりゃ、確かにな。でも、詠唱でバレるってんなら古語を使っても同じじゃないのか」
「今日日は魔法使いでも自分がよく使う呪文を丸暗記してるだけのが多いから。特に戦場に連れて行かれる即席魔術師なんかはね。それに、魔術師団は後方支援に回りがちだから、敵に呪文を聞かれることもあんまり無いでしょ。コロシアムみたいなサシでの魔法勝負くらいしか、敵に呪文を聞かれるリスクは発生しないわね」
「じゃあ。現代語詠唱に何かメリットはないのか?」
「もちろんあるわよ。複雑な術式を組み立てる時は術者の使い慣れた言葉の方が自由が利くからね。それに、通訳の精霊はボス精霊と頻繁に繋がるとそのうち繋がりっぱなしになって、最後には取り込まれるの。その分ボスが強くなるわけ」
「それはちょっと通訳の人が可哀想じゃないか」
「そうでもないわよ。人でもないし。ほら、よくある“あいつは私の中で生きてる”みたいな感じ?取り込まれることで完全消滅は避けられるから」
「誰かに従うだけで生きていく楽な道を選んでるってことか……」
「生きてはいないけどね。で、ついでに。精霊とか幽霊とかが完全消滅した残り滓がマナなの。魂、精霊、マナ……ついでに幽霊とかもか。この辺のは全部実質同じものよ」
「動物も、生きてても死んでても、骨になっても挽き肉を腸詰めにしてスープの具になっても結局は同じ物ってのと同じだよな」
「お腹の空く喩えはやめてよ」
 喩え以前に、実際に腹が空いてきた。
「そう言えば、もうそんな時間だな……。まあ、結局幽霊の挽き肉がそこら中に漂ってて、魔法使いってのはそれを料理して精霊に食わせるシェフってことか」
「だから!怖い喩えは!やめていただきたいっ!」
 二人にそれぞれ喩えをやめろとを言われた。ついでに、話題も変わるようである。アミアはカンナに尋ねる。
「ねえ、道場の近くにおいしいお店ない?おごらせるからさ」
 今アミアがおごらせられるような相手は。
「俺にかよ」
「当然でしょ、この中で今日稼げてるのはあんただけよ。ましてやこの子のパパとの再会を潰して、思いっきり跳ね飛ばして巻き上げたお金じゃない」
 その通りでありぐうの音も出ない。だからこそ言ってしまう。
「ぐうっ!」
 そして、いよいよもって腹の方もぐうっとなりそうな感じである。
「この時間に開いているお店だと魚介のエスカベチュアがおいしい森の雫亭でしょうか。しかしあのお店でおごらせるのは些か心苦しいような」
 この言い方から察するに、高いのであろう。
「ならば俺がとっておきの野戦料理をごちそうしようじゃないか」
「材料はどうすんの」
「申し訳ないが……道場に台所はござらん」
 どうやら、高いお店でおごらなくてはいけないようだ。覚悟を決めた、その時。
「お嬢さん方。そのお代、俺に払わせちゃあくれないかい」
 横から何者かが声を掛けてきた。見ると、見覚えのある男。新聞記者、ゴードンであった。
「おお、あなたは神か」
 ゴードンの手を握るルスラン。
「通りすがりの新聞記者さ。そして、通りすがりの女好きでもある。男に手を握られても嬉しくはないな。……それでだ。あんたらにはインタビューさせてもらいたい。話の店でインタビューするって事になりゃあ、代金は経費で落ちんのさ」
 とりあえず、ここにいる誰の懐も痛めることなく腹を満たすことが出来るようである。なんと素晴らしい話だろうか。
「でも、経費で落としちゃえるような額で済むの?」
「あー、なんの問題もねえ。確かに毎日の飯には高ぇがたまの外食か気合いの入ってねぇデートには妥当って値段さ」
 そのくらいなら、今のルスランでもビビるほどのことではなかった。……日頃のルスランならばともかく。何はともあれ、おごってくれるという物は拒む必要は無い。インタビューとやらも受けてやろうではないか。

 その頃。グライムスと豪輝の酒盛りは始まっていた。しかし、二人は深刻な顔である。もちろん、話の内容のせいだ。
「実は、貴殿のお連れの若者にも少し前に彼奴について聞かれましてな」
 グライムスはコロシアムで、豪輝に自分たちを襲った漆黒の剣士について切り出していたのだ。豪輝、カンナ、そして柳雲。彼らの動きがあの剣士に似ていると感じたためだ。
「アドウェン殿が襲われたという事件については勿論聞き及んでおりましたが、それに彼奴が絡んでいるやもしれぬとか。先刻貴殿の話を聞いて確信しました。これは間違いなく彼奴の仕業だ。無月闇霧……我が師が与えた名前です。もうこの名を名乗ってはいないでしょう。彼奴は我らにとっても仇なのです」
「ほう。差し支えないようであればその話、聞かせてもらえないかね」
「ええ、いいでしょう……」

 一方、ルスランたちも件の店に到着していた。おいしいと噂の魚介のエスカベチュアをはじめとして旨そうな料理が卓に並べられた。それを見たアミアは憂鬱げに溜息をついた。
「この国の残念なところはお酒が飲めないところよねー」
「ん?なんでだ?」
「年齢制限よ。この国は18歳からなの」
 ちなみに、フォーデラストは国民が戦好きに加えて酒も好きである。近年になって他国に倣いようやく飲酒に年齢制限がかけられたが、基本15歳以上、一部の果実酒は10歳になれば飲めるという緩いものだ。さらに言えば、果実酒を水やミルク、ジュースで倍以上に薄めればそれはもう法的に酒ではなくなるおまけ付きである。もっとも果実酒は安くもないので子供がそうそう飲ませてもらえるわけでもないが。
「おお、あぶねえ。俺はセーフだ。でもよ、飲んでても別にバレないだろ。フォーデラストじゃさんざん酒盛りしてたから今更だしさ」
「ゴードンが記事にしたら年齢載るじゃないの。ねえゴードン。気を利かせて年齢不詳とかにできないの」
「コロシアムの資料にしっかり年齢が載ってるからなぁ。なあに、気を利かせるならさりげなく横から酒を注ぎ足してやるからさ、大人しくそのジュースでも飲んどけ」
「わかった、そうする。そんじゃあ、ええと。コロシアムにおけるルスランのそこそこの活躍を祝して、そして無様に散った女子勢のリベンジを祈って……かんぱーい」
 アミアが音頭をとり、宴が始まった。女子勢の名目を聞くと自棄酒じみているが、ルスランにとってはひょんなことから中々な金を手にし、その上旨い飯と酒を奢りで頂けるというとても良い日になった。
「ちょっと待って。……なにしれっとお酒飲んでんの」
 これまでとても大人しくしていたカンナにアミアが不意打ちをかました。
「えっ。そんなこと言われても。別にその……大丈夫な歳だし」
 恥じらうような素振りと共にぼそっと漏らした言葉に少し考えるアミア。
「としうええええええぇぇ!?」
 そういう反応をされるから言いたくなかったんだと言いたげに膨れるカンナ。容姿に加えてこのような挙動故に自分より三つか四つは年下だと思っていたアミアにとっては衝撃的であった。落ち着いているルスランも、最低でも自分と同い年である。
「ま、俺は知ってたぜ」
 大した自慢になるわけではないが勝ち誇るゴードン。以前、悲劇にめげずに頑張る跡取り娘というようなことを記事に書いていたのだ。その時この娘は大きくなれば美人になりそうだと密かに目を付けたりもした。そして、時は流れて御覧の通り。……あまり大きくはならなそうである。
「ううう。なぜ私はいつもこうなのだ!兄弟子達にはいつまでも勝てず!念願のコロシアムのデビュー戦で無惨に負け!年下の娘にも背で負け、胸で負けっ……!」
 グビグビと酒を呷るカンナ。どうやらカンナにとっては心の闇をこじ開けられる一日となった模様。
「その……なんかすまん」
 ルスランとしても謝らざるを得なかった。カンナは我に返る。
「うぉ。私としたことが殿方の前でなんということを」
 恥じらいからか酒のせいか、カンナは頬を染めている。
「あたしからもごめん。……でもほら、若く見えるっていうことはあと10年も経てば勝ったと思える日が来るから!背がちっちゃいのも女の子ならまだまだ……。男のちっちゃいのよりマシよ!ほらほら、ゴードン見て元気出して!」
「うるせえや。……よし決めた、最初のインタビューはあんただ、カンナ。とっとと済ませて嫌なことは酒で流し込んじまえ」
 ゴードンはカンナに向き直った。
「いや、このあと稽古をつけろって言われてるから……あんまり飲まれると困る。金がもらえなくなる」
 ルスランの発言は果たして二人に届いただろうか。
「確かに初戦で負けたことは口惜しいが、嫌なことだとは思っておらぬ。父上とも相見えることできたのだしな。他の試合を見た感じ、私に実力無いということでも無さそうだ。ルスラン殿は負けたのも納得の強さだった。ひたすらくじ運がなかったと思うしかあるまい」
 目を伏せ、物静かに語るカンナ。先程の荒れようが嘘のようである。
「そりゃあそうさ。飛び入りの三人がいなけりゃあ優勝候補筆頭だったくらいだからな」
「へえ、そうなのか。……ふむ」
 確かに、他の試合も相手がグライムスや豪輝でやむなしというものを除いてもあまりぱっとしなかった。そんな連中の中でなら善戦できるだろう。
「グライムスの旦那の飛び入りを聞きつけて滑り込んできた連中はそこそこの奴らだが、その中でも十分やれただろうぜ。お宅の師範代は敢えてぱっとしない平日にエントリーさせたみたいだが、自信をつけさせるつもりだったんだろうな」
 そういう事か、と言いたげに頷きつつ、カンナはぼやく。
「むぅ。しかしその師範代が自分で飛び入りしては台無しではないか」
「まあ、そりゃあそうだ。だが、旦那が出る時点で優勝は絶望的だし、先に師範代に当たって負けたところで別段悔しかないだろ。負けて当然なんだし」
「ちょっとあんた。そんな傷口に蒸留酒塗り込むようなこと……」
 アミアがゴードンの首根っこを引っぱった。
「そりゃあいい消毒じゃねえか。それに、事実だろ?」
「うむ、言い方は気に入らぬが相違ない」
 歯がみはするがぐうの音も出ないようである。
「それならそれで、今日は俺が出るから明日にしろ、位のことは言えたわよね」
 アミアはまだ納得していない。
「言われずとも、辞退の道はあった。私は敢えてあの修羅の道を行くことにしたのだ。初戦で師範代やグライムス殿に当たったらくじ運を恨むだけ。……なんにせよ、出てよかったと思う。覚悟を決めた後とは言え、父上とも会えるとわかったしな」
「それを修羅に潰されたわけね。これについてはどう思うわけ、ル修羅ン」
 アミアは今度はルスランに絡んできた。いつの間にか、アミアのグラスのジュースは酒の色に変わっている。ゴードンのさりげない酌である。
「誰が修羅だよ」
「ごめーん。噛んだわ」
「わざとだろ」
「ま、やっぱわかるわよね」
「おい……」
 そこにゴードンが割って入った。
「まあまあ。インタビュアーは俺だぜ。俺のプランじゃ兄さんは最後のお楽しみさ。次はアミアの話を聞いてやるよ。いきなりコロシアムのトップスターに当たっちまったわけだが……ついてないねえ」
「何なの、あいつ。変な奴だから楽勝だと思ったら負けちゃうし。挙げ句一気に優勝しちゃうし」
 口を尖らせるアミア。
「イサークはコロシアムでも屈指の勝率さ。理由は様々だが複合部門はみんなイサークに勝つために戦ってるって言ってもいいくらいだ」
「様々な理由って?」
「純粋に勝ちたいとか、純粋にあいつがいけ好かねえとか、いっそ純粋に嫌いとか憎らしいとか」
「不純な純粋ね。で、無敗なの?」
「いいや、優勝確率4割ってところかね。他が割と拮抗してる中じゃ飛び抜けちゃいる。程良く負けてくれるからちゃんと賭にもなって運営側にもありがたいってね」
 ところで、先ほどからゴードンはしきりにペンを振り回してはいるが、書き留める様子はない。書かずとも聞いた話をちゃんと覚えているのか、それともインタビューという体の雑談なんだろうか。
「それなら勝ち目はありそうね。明日はやってやるわよ」
 闘志を燃やすアミア。その横でさりげなく、グラスに燃料が注がれている。
「残念だが、明日は奴さん出ねえぜ。複合部門はタッグマッチだからな」
「そのタッグマッチに出るつもりだからあたしも出ないかって声かけられたんだけど」
 ゴードンが身を乗り出した。
「何だって?……ほう、そりゃあ……面白いことを聞いたぞ。……で、アミアは誰とタッグを組むんだ?親子か?」
「それだとパパの力で勝ったようにしか見えないからね。明日のパートナーはルスランよ。でもさー。誘ってみたはいいけど、ルスランも思ってたより強いわよね。あたしの見せ場、取らないでよ」
 アミアが絡みついてきた。段々酒が回ってきているようだ。
「それは考えとくけど。そんな余裕あるかね。あっちの方がレベルは高いんだろ。そこにきて俺の魔法なんておまけにもならないぜ」
 それを聞いてゴードンは言う。
「タッグマッチなら戦士と魔法使いのコンビなんてのもいくらでもいるさ。その辺は気にしなくていい。そんで懸案のレベルだがね。この町は魔法国家の首都だ、魔法が絡んだ方が当然レベルは高いさ。しかし今日の一般部門のレベルは振り切れてたからな。どこが一般だよって感じだった。それ基準で考えちゃあダメさ。まあそうだな、複合部門のレベルってのは一般部門に比べると底辺がだいぶ上がって、上はトップグループにイサークがいる感じかね」
「雑魚はどうでもいいわ。イサーク程度のがどのくらいいるの?」
「程度ってのの範囲がどのくらいかにもよるがね。広めにとりゃあそこそこいるさ。明日出るかでないかは別としてな」
「狭めにとれば敵はイサークだけってことね。よぉーし。あいつにリベンジして優勝するわよ!」
 どこかで負けると全責任を負わされそうだ。ルスランにとってますます負けられない戦いとなるであろう。