ラブラシス魔界編

18.駆け抜ける急報

 試合まではまだ暫し時間がある。先ほどの約束通りグライムスとロエルが話し込み始めた。
 20年前の戦争では、グライムスはラブラシス軍で百人隊長を務めていた。戦後はその時の戦功でさらに昇格。その後訪れた退屈な平穏に辟易したことに加えて妻を失ったことで軍を離れて傭兵に転身することになったが、それまでの間に将軍であるロエルとは多少だが交流があった。積もる話もあるだろう。
「グライムス。流石に歳には勝てず力は衰えたようだが、老獪さを身につけたな。軍に残っていれば今頃将軍か副将くらいにはなれたろうに」
「ガラでもありませんな。こうして風来坊をやってみて分かりましたがね、私はこっちの方が向いてます」
「風来坊なんてものはな、一人で生きられる力があれば誰だって肌に合うと思うものさ」
「かも知れませんな。それにしても、こんな形でお目にかかることになるとは」
「ゴーレムはなかなかにいいぞ。楽しみこそ減るが体は衰えないしかなり無茶もできる」
 今は見る影は微塵も無いが、生前のロエルは薔薇将軍の異名を持つほどの美丈夫で、女性の活躍できる魔術師団や女性兵士も多かったフォーデラスト軍の志気を押し上げることにも一役買っていた。引退後もモテモテでさぞ楽しい日々を送っていただろう。
「戦いだけなら若い頃よりいい調子だ。特にこの試験・エキシビション用のゴーレムは容赦ない調整をしてあるからな」
「エキシビション?」
「毎回決勝戦の後にそういうのがあるんだ」
 今日はロエルではないが、決勝戦の後に優勝者とその日出場した英霊ゴーレムによる試合を行っているという。
「出場だって?あんなのが試合にも出るのか?どうやって勝てって言うんだ」
 話を聞いていたルスランは係員に言う。
「安心しろ、試合用のゴーレムは試験用のゴーレムに比べてだいぶ性能が落ちている。じゃないと勝てないし、壊されてもいいように安物だ」
 言ってみれば数合わせか賑やかしの噛ませ犬だ。出場者が揃ってへっぽこであれば優勝して運営はファイトマネーを浮かすこともできてしまうが、大概は途中で敗退する。英霊としてもそんな冴えない姿だけを晒すわけにもいかないので、試合後のエキシビションと言う見せ場を作ってもらっているわけだ。
「生身の……それも若い頃と比べても動きは段違いだぞ。この体があったら戦争ももっと簡単に勝てたかもしれん」
「生身の兵士が要らなくなりますな」
「数を揃えるのが難しいからそこまでは行かないとは思うが……。それができれば戦争で死人がでなくて済む。いずれにせよ、禁呪の類だろうし、おいそれとは使えんよ。帝国軍の屍兵団になっちまう」
 20年前の戦争では、帝国軍に荷担した魔族のネクロマンシーにより倒された仲間が生ける屍として甦り、連合軍を恐怖に陥れた。もっとも、見た目のインパクトだけで動きは遅く、ほぼ棒立ちのまま兵士たちに目の前を素通りされたのだが。
「しかし、禁呪と言う割にはこんな所で使ってますな」
「あのガルシャウスと言う男は元々ある種悪党でな。ラブラシスの軍に討伐されたのが始まりよ」
 戦争が終わり数年経った頃、辺境の忘れられた見張り塔に住み着いたのがガルシャウスだった。
 ガルシャウスは農民たちが集めておいた藁束を盗み出してゴーレムを作り出し、ゴーレムは村を闊歩した。鄙びた農村に突然現れたゴーレムに村人は恐れ戦き、政府に救援を要請。
 相手の力量が分からないので駐屯兵だけに任すわけにもいかず、それなりの軍勢を揃えて乗り込んだのだが、なにぶん辺境だけに行くまでに日数がかかり、そうこうしているうちに状況は大きく変わっていた。
 村人はゴーレムにすっかり慣れて子供たちがゴーレムと遊んでいるような有様。何せ、元が藁だ。ぶつかっても大して痛くもない。畑の土やどこぞの湖からの水で作ったゴーレムなども現れて村人を驚かせはしたが、驚かせる以上のことはなく、ゴーレムとして動き回った土は均してみればいい感じに耕され、水のゴーレムが潰れてできた水たまりは晴れ続きで乾いていた畑に撒く水を汲むのに丁度よかったりと、多分ガルシャウス本人も意図してない恩恵を受けた者もいた。
 村は至って平和でガルシャウスの討伐を望む声もない。しかし軍勢が押し掛けておいて何もせず帰るわけにもいかないので、一応本人に事情を確認し処遇を決めることになった。
 ガルシャウスの目的はゴーレムの存在の己の力を人々に見せしめること。すなわち、自己顕示欲を満たすべく目立ちたいだけだった。目的は果たせているのでそれ以上何かをする訳でもなかったということだ。
 しかし、それが方便でないとは言い切れない。軍が引き上げたところで暴れ出すかも知れない。何かあったときにまた遠征ではその間に被害が大きくなる。念のため目のつきやすい場所に置いて監視すべく、目立ちたいならこんな田舎ではなく人の多いところの方がいいと説得して近場に連れて行くことにした。
 そして目立ちたいだけというガルシャウスの言葉は偽りのない本心であることが程なく証明されることとなる。未知の秘術であったゴーレムの呪法も研究により解明された。
 複雑な術式であったがそれを扱うガルシャウスが優秀だと言うことではなく、言ってしまえば馬鹿の一つ覚え。魔力こそ強いものの、それを活かせるほどのオツムは持ち合わせていない。文字の読み書きすら怪しいほどだ。ガルシャウスは神の啓示によりその法を得たと話しているが、まあ誰かは知らない誰かに教わったのだろう。ロエルが知っているのはそんなところだ。
 こうして次の話へのつかみとして軽くゴーレムの魔法的原理に触れると、魔法使いのアミアが食いついた。軽く流して終わりにできる雰囲気ではないが、軽く流す程度の知識しかロエルも持ち合わせていない。仕方なく係員を呼びつける。多くを語ろうとせず、多くを語るほどの知識があるわけでもないガルシャウスよりはちゃんと説明できるそうだ。
 ゴーレムの法は大きく分けると二つの部分に分かれる。一つは静物傀儡。無生物を魔法で意のままに動かすもので、魔法道具などではよく使われる魔法だ。人形を操るくらいになると高度な制御が必要で難度も高く、見世物だとなかなかに人気が出るが実用性は苦労に見合うほどではない。
 もう一つは憑依。死者の魂をゴーレムに宿らせるのだが、この手の魔法は珍しい。何せ魂など目に見えぬ物、それをどうこうしようと言う術者はほとんどいない。そもそも簡単に捕まる霊は強い意志を持った悪霊か漂ううちに浄化されて自我も意志も失った空虚な霊魂ばかり。使おうという気にもならない。
 ゴーレムは傀儡の制御を死者の魂に委ねた新しいタイプの魔法だ。魔法的なことはロエルにはよく分からないが、死者の魂を使うと言うことくらいは己の身をもって、いや己の魂をもって知っている。難しいのはその魂の確保だ。前述の通りそこら辺で適当な魂を捕まえてもろくなのがいない。ちなみに、ガルシャウスが最初に呼び出したゴーレムには水晶の人形に封じられた自分の娘の魂を使っていた。それをガルシャウスができるはずもなく、神の奇跡だと話していた。ガルシャウスにゴーレムの法を授けた誰かの仕業だろう。
「確かお前の娘は引退したアドウェン師の門下生だったな。死者の魂を捕まえておく画期的な方法を見つけたのがアドウェン師だったんだ」
 高度な未知の魔法でもアドウェンくらいになれば解析できる。特に魂を操る部分については徹底的な研究を行い、死者の魂を物に移す部分を見つけた。
 それができるのは肉体から魂が離れたその時、タイミングを逃すと魂はどこかに行ってしまう。憑依した悪霊を誘い出す時によく用いられる方法を応用し、死の直前に魂を転送する対象物に誘う道を造ることでその問題を克服したそうだ。
 思えば、ルスランはアドウェンが死者の魂を他の物に移動させる場面を目撃していた。死にゆく己の魂を孫娘・エイダの体に移動させたその時だ。
「そんなことやってたの?ただで死なないのは流石は先生ね。それにしたってやることが凄すぎるけど」
 ルスランの話を聞いてアミアは半ば呆れ気味に畏敬の意を表した。
「そういえば。そんな訳で居なくはなってしまったその先生もまだエイダさんの中で生きてるからエイダさんから授業を受ければいいじゃないかって言う話がでてたっけ」
 だいぶ前の話を蒸し返すルスラン。
「ええっ。うー、あー。そうねえ、確かにできそうだけど……。エイダに説教とかされたら立ち直れなさそう」
 以前話した時の予想通り、プライドが許さず話はなかったことになりそうだ。説教をされるような生徒だったことが露見したがそっとしておいてやろう。
 とにかく、その方法のおかげで死者の魂を持ち運びも容易な依り代に移すことができるようになった。次はこのゴーレムの法を何に活かすかだ。
 やはり真っ先に思い浮かぶのは軍事利用、戦いに使うことだ。しかし、戦争はすでに終わり平和な時代が続いている。その力を揮うべき場所はない。それに頭の悪いガルシャウスが自分の力で軍隊と戦えることを知ると無謀にも世界征服を企て出すかも知れない。
 軍事転用も視野に入れつつ、ガルシャウスに力を付けさせない。たまたま持ちかけられたコロシアムでの利用はまさにぴったりだった。
 コロシアムでの試合は安全に配慮しているとは言え、事故も起これば事件も起こる。当初は常連参加者に任意で契約を結ばせてそういったトラブルでの死者の魂を使っていた。
 それと並行して英雄の魂を確保するプロジェクトも始まった。時同じくして、各地で先の戦争での英雄が不審死する事件が相次いだ。英雄のうち何人かは何かあったときの保険代わりにと死後の契約を結び、ロエルもその流れに乗った。契約したものの中には実際に暗殺されたと思しき英雄もいたが、先述の通りロエルは病死だ。
 やがてルール改定などで試合中の事故は減り、出場者の魂が確保できなくなってくる。もちろん、それはとても良いことだ。そのことに加え、出場者の魂には問題点があった。英霊が増えるに従い、一般出場者の魂は見る見る力を失い、さらには意識さえも薄れて浄化されてきたのだ。英霊に力を吸われたなどと言われたりもしたが、未だに原因は不明だ。
 英霊も増えてきたこともあり、出場者からの確保は打ち切られて今のスタイルが確立した。英霊との試合は見る方からも参加者からも好評で、コロシアムの目玉の一つになっている。
「グライムス、お前も死んだらやってみないか」
「それも悪くはないと思いますが、死ぬことは考えたくありませんな。それにエミーナが待ってます」
「あっちはあっちで誰かと楽しくやってるかもしれんぞ」
「そりゃあますます放ってはおけませんな」
 話の流れから何となく思ったことをアミアに確認してみた。
「エミーナってのはアミアの母親か?」
「そ。だいぶ前に兄ちゃんと一緒に死んだの。何で死んだのかは教えてくれないけど、よっぽどの死に方ってことよね」
 一人娘かと思っていたが、かつては兄がいたらしい。
 エミーナの名がでたことでグライムスとロエルの世間話は戦争の思い出話になった。その話題に引きずられるようにアミアは母親のことを話し始める。
「パパとママは戦争で一緒に戦ったのがきっかけで結婚したんだって。あんたのとこもそうでしょ」
 戦争というと男が戦いに行くイメージが強いかも知れないが、先の戦争においては戦場に相当数の女性がいた。ラブラシスは魔法大国、非力であることが多い女性でも魔導師としてなら戦場で活躍できる。そして生粋のフォーデラスト女は戦の最中震えて平和の訪れを待つようなタマではない。敵が町を襲えば農具や包丁を手に襲いかかるくらいは平気でやる。志願兵の中にも相当な数の女性兵士がいた。
 そうして男女入り交じる軍隊が戦場の興奮状態の中にあれば、その興奮が別な興奮にすり替わることも当然の結果。戦争が元で結ばれた男女は多い。
「あんたも親なしよね。あたしと違って両方みたいだけど」
「母さんが死んだのは俺が小さいときだった。弟か妹が生まれるって言うから楽しみにしてたんだが、その前に病気で死んじまった。父さんは5年前に盗賊にやられてな」
「そう。死んだ理由が分かってるだけいいわね。パパはきっとママと兄ちゃんがなぜ死んだのか知ってるはず。きっとさ、傭兵なんてやってるのはママと兄ちゃんを殺した奴を捜してるのよ」
 アミアの勝手な想像だが、ありそうな話だ。アミアが武器の扱いと魔法を学び戦う術を身につけた理由の一つは、その時が来たときに父とともに仇を討つためだという。グライムスがアミアにエミーナの死の真相を明かしていないのと同じようにアミアもその決意をグライムスには言わず胸にしまっている。
 グライムスとロエルの立ち話も終わったようだ。
「パパー。死んだらゴーレムやるとか話してなかった?」
「まだ死んでやる気はないから保留にしておいたよ。それとは違う約束をしたがな」
「えー。何」
「明後日は将軍殿が試合に出るそうでな。是非とも優勝してエキシビションで全力の勝負がしたいとさ」
「優勝の約束?無茶言うわねー」
「俺くらいなら余裕で優勝を狙えると将軍殿にお墨付きをもらったぞ。本当なら……ふむ。いい小遣い稼ぎになるかもしれん」
 そうであるなら。自分の出場費は是非借金ではなく奢りということにして欲しいとルスランは密かに願うのだった。

 今日は平日なので試合開始は夕刻だ。それまで近場をうろうろすることにした
「よ、旦那」
 外に出たところで声をかけてくる者がいた。軽薄そうな小男。見覚えがある男だ。彼は確か。
「ゴードンか。こんなところで出会すとは。……出るのか」
 そういいグライムスは背にしたコロシアムを親指で指す。
「ご冗談。せめて取材と言ってくださいや」
 このやりとりでルスランも完全に思い出した。いつぞちょろちょろしていた新聞記者だ。
「しかし、お前が試合の取材などしないだろう」
「そりゃあもちろん。特ダネの情報を掴んで駆けつけたんでさあ」
「ほう。どんな」
「伝説の英雄、10年ぶりに帰還」
「……もしかして俺のことか」
「もちろん」
「何か伝説残したか、俺」
「ええそりゃあ。たとえばほら、ミルハブ事変とかルグニッチ掃討戦とか」
「ミルハブ……って、あのごろつきの隠れ家に殴り込んだ仕事か。あれが伝説か」
「そのごろつきの裏にどれだけの闇の勢力が蠢いていたか知らないんですかい」
「知らんな。俺は悪党のアジトに乗り込むから力を借りたいと言われただけだ。そいつらの裏に何が居ようが興味などない。悪事の片棒さえ握らされなきゃ後は金次第だ」
「ま、雇う側としては旦那ほどの人を引っ張り出すならよっぽどってことです」
「道理で仕事が回ってこないわけだ」
「ここに来るまでにも一暴れしたでしょ。アルトール奪還作戦って言う奴」
「流石、耳が早いな。……奪還作戦ねぇ、こそ泥を追い払っただけでずいぶん大仰な名前が付いたものだ」
「追っ払ったのはただのこそ泥でしょうが、そもそもアルトールがああなったのは帝国軍の残党、つまりはムハイミン・アルマリカの仕業だ。これがどんな大事に繋がっているかは分かったもんじゃあありませんぜ」
 ムハイミン・アルマリカ。ルスランもこれまでにも何度か耳にした名前だ。ゴードンの言葉の通りメラドカイン帝国軍、特に司祭団を中心にした集団で、発足当初はサタン崇拝の新興宗教的な色合いが強かった。だが彼らの真の目的は既に亡き皇帝・マイードムによる支配の復活。サタン崇拝もその手段であった。これまでは水面下で活動してきたが、機が熟したのだろう。近頃は活発に動きを見せている。先日リム・ファルデの城に潜入され水の宝珠も破壊された。そして、アルトールでのアドウェン暗殺にもそれらしい人物が関わっていた。
「ムハイミン・アルマリカか……。ここだけの話だが、ちょうどこれから乗り込むところなんだよな」
 ぼやくグライムス。
「ええ、そのようで」
「なんだ、知ってたのか?どこで聞いたんだ」
「いや、聞いちゃいませんがね。このタイミングでマズルキ行きの船を調べたとなりゃあ、ムハイミン・アルマリカ絡みじゃないかって誰でも思いますぜ。まして、今は連中に忍び込まれたリム・ファルデの客人でしょう。連れも王国軍の兵士と来てる。条件が揃い過ぎてらぁ」
 状況から簡単に推測できることだったようである。船を調べたことが知られていたのは……問い合わせた職員やそれを見ていた人々からの噂話か。
「ま、それはともかくだ。そんな今なお伝説を築き続ける旦那が久方ぶりに都に戻ったとなればそりゃあニュースだ。ましてやコロシアムの今夜の試合に出るとなりゃのんびり朝刊まで待っちゃあ居られませんや。号外モンですぜ」
「そんな大げさな」
「ま。コロシアムとしても集客のチャンスでさあ。この記事で客が集まりゃあうちへの広告料も弾んでくれるでしょ」
 ゴードンにはゴードンなりの思惑というか損得勘定があるようだ。
「ってな訳で旦那にゃ朗報だ。今日は長話する暇はないもんで、試合に出るってえ言質だけ取って退散させてもらいます。出るんでしょ?」
「うむ」
「お連れさんも?」
「ああ、3人でな」
「あたしは複合部門ね」
「ふむ。……それじゃ、煽り文句やら何やらはこっちで適当にでっち上げさせてもらいますよ。何か変なこと書いてたら明日の朝刊で訂正記事出しますんでそれまでに。じゃっ!」
 言質だけを取りに来た割には散々喋り倒して嵐のように去っていくゴードン。
「あんたもアイツと知り合いなの?」
 アミアはルスランに向き直った。アイツとはゴードンのことだ。
「勇者エイモス殿の所に出入りしてて会ったんだ。その後もアドウェン殿のことでエイダさんの周りを嗅ぎ回ったりしてたな」
「エイダに?変な事してたら切り捨てちゃいなさい」
「流石にそれほどのことはないな、多分。そっちこそ知り合いか」
「腐れ縁みたいなもんよ。一応、パパのお得意さまだし。パパを雇うなんてよっぽどだって言ってたけど、ちょっとした取材に気軽に雇ってたわよ」
 グライムスが口を挟む。
「他がよっぽどの時でないと引っ張り出そうとしない分、手は空いていたからな……。儲からないと思ったらそういうことだったか」
 そこに目を付けていいようにこき使っていたようだ。さすが、小賢しい。
「案外、あたし目当てかもよ?そこはほら、年頃の男の子だし?」
「お前、あいつに一度でも口説かれたことがあるか」
「…………あ」
 無いようだ。
「うん。まあ、分かる」
「何がよ!」
 つい心の声を口から漏らしてしまったルスランにアミアは吼えた。

 試合の時間までうろつくにしても、ここは郊外で最近まで農村だったところ。かといって牧歌的な風景が広がるでもなく、勇者の街を象徴する新しく無骨な建物が無造作に建ち並び、街角には筋骨隆々とした輩が跋扈する。観光には向かぬ場所だ。
 近くの商店を冷やかしてみるが笑えるほどに武器屋だらけだ。この区画には武器工房も集まっているらしい。
 中にはミスリル武器専門店なんて言う物もある。その看板に誘い込まれるようにアミアは店に飛び込んでいった。
 店は一般的な武器屋に比べて狭く小さいが、看板通り置かれている物が全てミスリル銀でできている。ミスリル銀の武器だけで見ればこの町でもトップクラスなのだろう。
「何よ、メラドカインまで行くまえにここで買えるじゃない」
「ねえさん、メラドカインに行くのかい」
「そ。ちょっとお使いで、何とかって言うすっごい速い船に乗ってさ」
「それなら、そっちで生ミスリルの武器を仕入れてこっちで魔法を込めるのがおすすめだぜ。本場の方がモノがいいし安く買えるからな」
「あら、そう。……でも、そんなこと言っちゃっていいの?黙っていればコロシアムの稼ぎをひっ掴んで割高なここの武器を買ってたかも知れないわよ」
「もちろん、それよりうちも姉ちゃんも得する話ってのがあんのさ。金と荷物に余裕があったら生モノを仕入れてうちに売ってくれよ。領収書を見せてくれたら買値の2割増で買い取るぜ」
「あら。何その気前のいい話。どう言うこと?」
 武器屋の説明をまとめるとこうだ。この町で手に入るミスリルの武器は多くが中古品の鍛え直し。前に掛かっていた魔法が少し残ってしまい、魔法ののりが悪くなる。
 使い古しを溶かして鋳造からやり直している物もあるが、その際に使われるのは魔法都市らしく魔導炉だ。素人目には出来上がりは同じように見えるが、魔導炉で使われる炎魔法を帯びた状態で出来上がるのでこれまた属性の違う魔法の乗りが悪くなるのだ。メラドカインでは昔ながらの鋳造鍛造を行う工房が多く、その心配がない。
 それならばそのミスリル武器を自分たちでメラドカインから仕入れればいいじゃないかとなるのだが、そうも行かない。魔竜船ならほんの数日とは言え、運賃は陸路で半月掛けた方が安上がりなほど。そして、陸路の方が安くてもそれはあくまで魔竜船に比べてと言うだけで、もちろんかなりの輸送コストになる。旅行者が本来の目的のついでに仕入れてきてくれるのが一番安上がりだ。実は、新聞にもだいぶ前からそのことで広告を打っており、それなりに成果も上げているとか。
「なるほど、悪い話じゃないわね。考えておくわ」
 更なる小遣い稼ぎのネタを仕込んだところでコロシアムの開場時間だ。

 コロシアムの前は開場を待つ観衆でごった返していた。
「この人たちがあたしの戦いぶりを見に来たのね……」
「それはない」
 ルスランはこうつっこんで欲しいんだろうと推測し、その判断のままに発言する。アミアも特に不機嫌になることもなくその判断が間違っていなかったことは証明されたが、実はアミアの発言も強ち間違ってはいなかった。
 彼ら一行が近くを散策している間にも、先ほどのゴードンによるインタビューを元に書かれた号外がばらまかれた。まさか記事の本人とも知らずに手渡され、グライムスらもすでに記事には目を通している。あの短く適当なインタビューからこの短時間でこれだけの記事を書けたものだと感心しきりだった。よく読んでみれば先ほどの立ち話で名前の挙がった出来事を織り交ぜて、言い換えれば昔話や時事ネタで水増しして無理矢理この長さにまでしたようだ。
 この号外の影響力は思ったよりも大きかった。伝説の英雄がコロシアムに参戦すると聞いて、商店主さえ早めに店を閉めて号外片手に駆けつけたのだ。撒かれた範囲ももっとも効果の高いこの周辺に絞られていた。今、コロシアム周辺を除く勇者の街は俄かにゴーストタウンと化している。この町でのグライムスの人気はそれほどなのだ。
 もちろんグライムス目当てに集まった観客だが、記事には娘のアミアのことも書かれており、そちらにも注目が集まっていた。ついでにルスランも母親はラブラシスの英雄フェリシアと言うことでアミアとセットでジュニア世代のニューカマーとして紹介されており、決して他人事ではなかった。
 コロシアムに駆けつけたのは観客ばかりではない。グライムスの参戦を聞きつけた闘士たちがいくつか残っていた出場枠を巡って殺到していた。おかげで一般部門トーナメントの平日16枠は全て埋まった。シード権を獲得したグライムスだが、シード枠を確保する空きはなくなった。普通に一回戦からの始まりとなる。ただし、シード選手としてファイトマネーは高めのままだ。
 コロシアムのバックヤードに現れたグライムスを見た出場者たちは様々な反応だ。現れた英雄に闘志を燃やす駆け込み組、平日だと思って気楽にエントリーしたらなんて言う日に当たったのかと面食らう早期エントリー組。ゴウキとカンナの姿もある。早期エントリー組にとってはこのゴウキの存在もまた溜息の種である。
 トーナメントの位置決めはくじ引きだ。くじ引きの順番は係員の裁量のようだが、その基準は注目度順のようだ。まずグライムスが呼ばれ、次にゴウキが呼ばれる。二人はトーナメントの右側と左側に分かれた。気楽にエントリーした早期組にとってはどちらのグループに入っても決勝までに強敵に出会う事になる絶望的な布陣だ。
「それではグライムス殿。決勝でお会いしましょう」
「ああ」
 他の出場者にとって不吉な会話がされた。
 次に呼ばれたのはカンナだ。新人と言うことでの注目度に加えてカンナの父・柳雲もまたこの町に根ざしていた英雄。そしてもう一つ、今日カンナがより注目の選手としてピックアップされる理由があることが少し後に発表されることになる。
 次に呼ばれたのはルスランだった。やはり新人という点でも、英雄の子という点でも注目されているのだ。くじを引き、そこに書かれた番号を見たとき、思わず胸をなで下ろした。ゴウキと同じ組で、ゴウキとも準決勝まで当たらない。そして、一回戦で当たる相手は決まっていた。先にくじを引いたカンナだ。先程のエントリー試験を見た感じ、勝てるかも知れない相手である。
 他の出場者たちもくじを引いていく。常連出場者の中でも実力のある者から呼ばれているようで、グライムスと同じブロックを引いた者は喜び、ルスランやゴウキと同じブロックになった者は頭を抱えた。だが、一回戦二回戦で当たるのはそのような出場者ではなさそうである。グライムスと早々に当たると頭を抱えるような面々ばかりそのような場所を引き当ててしまうのだ。
 多くの者に不本意な結果に終わったくじ引きだが、全員が引き終わっても一ヶ所空いたままだ。出場者が居ないわけではない。英雄ゴーレム枠だ。本日の冥府よりの英雄、いわゆるゴーレムの中の人が発表される。しかし、ローテーションなので常連出場者は誰が出るのか分かっており、誰も聞いていない。
「本日の英雄は神無月柳雲でーす」
 発表する係員もやっつけ感丸出しのやる気ない声で読み上げるが、さすがにその名前にカンナは反応した。
「なんと。父上がここに出ていたのか」
「ああ、そうだ」
「なぜ教えてくれなかった?」
「カンナが一人前になったら対戦させて驚かせてやろうと思ってな」
 どうやら、彼女は父がここにいることも知らなかったようだ。
「むう。……よぉし、やるぞぉー!」
 やる気を漲らせるカンナ。感動の父娘の再会と言ったところだが、奇しくもその前に立ち塞がる形になってしまったルスランとしては複雑な気分だ。そんな気分で視線を送っていたルスランと目が合うと、テンションの上がったカンナは駆け寄ってきた。内心、うわあと思うルスラン。
「ルスラン殿!このようなことにはなったが手加減は無用です!死力を尽くしましょうぞ!」
 そういい、にこにこしながら拳を突き上げるカンナ。もう全身から喜びが迸っている。
「うん、そうだね……」
 とりあえず、困るしかないルスラン。カンナはその一言を告げただけで走り去っていったのが救いだ。
 アミアの出場する複合部門のくじ引きはこの後だ。彼女を残し、ルスランとグライムスは悲喜こもごも様々な思いを抱いた出場者たちと共にメイン会場へと赴く。

 平日ではまずあり得ないほどの熱気に包まれた会場は、グライムスの登場で一気に加熱する。グライムスばかりではない。今日の出場選手にはルスランを含めて注目選手が多いのだ。
 そして、その熱気が収まる隙も与えずグライムスの第一試合が始まる。構えも万端な対戦相手に対し、グライムスは武器さえも下ろしたまま試合開始の合図を受ける。相手が飛びかかってくると、グライムスは肩慣らしのように二度ほど剣を振り回し、また下ろす。それで勝負は着いていた。
 斬りかかってきた相手の剣を床から振り上げた剣で弾き飛ばし、無防備になった所で胴を薙ぎ払ったのだ。対戦相手はくの字になって吹っ飛び、二三度転がって倒れた。会場は沸き上がる。そして、ルスランをはじめとした出場者のうち何人かはこんなのと当たりたくないと言う思いを新たにするのだった。
 こう見えて、この勝利におけるグライムスの力量の占めるウェイトは7割くらいだった。この一回戦の対戦相手はまさかグライムスが参戦するとは思わずに気楽にエントリーした手合い。そうでなくても楽に勝てる相手だったがグライムス相手に完全に気後れしてる。まず自分に負けているのだ。
 そんな相手だからこそ、構えもせずに待ち受ける余裕もある。そして勝負を決めた一撃もただ当てるだけではなく、わざわざ掬い投げるような一撃を繰り出した。ただ単に派手に決めようとするような浅はかな理由ではない。これはグライムスの心理作戦だ。先に弱い敵を完膚無く叩きのめすことで以降の相手を怯ませる。これは何も今日に限ったことではなく、日頃からこのくらいのことはほぼ無意識でやっていた。それがいつも通り出ただけだ。
 グライムスのいるブロックにはこの一回戦の相手と同じような手合いが多い。心理作戦の効果は覿面である。ルスランなどは決勝まで当たることはないので余裕を持ちながらビビっていられるが、早々に当たる連中はそうではない。グライムス参戦を聞きつけて駆けつけてきた参加者にも後悔する者が出始めたほどだ。

 会場では試合の舞台が二ヶ所あり、グライムスの試合と同時にルスランのブロックの第一試合が始まっていた。ルスランが次に当たる相手だ。グライムスの試合も気になるが、そちらも見ておかなければ。幸い、グライムスの試合はあまりと言えばあまりにもあっけなく勝負が着いたので、心おきなくそちらを見ていられる。
 ゴーレムと人間の試合になっているが、ゴーレム優勢か。カンナの父親とのことで、もちろんその試合にはカンナも熱い視線を送っている。
 確かに、ゴーレムの動きは試験の時に相対した物より鈍く感じる。あの動きならどうにか見切れるかもしれない。しかし、相手が相手だ。ルスランでも勝てそうである。果たしてゴーレムも本気を出しているかどうか。
 案の定、ゴーレムが勝負を決めた。二回戦の相手はゴーレム、神無月柳雲である。
 そしてルスランたちの一回戦が始まる。