ラブラシス魔界編

15.再びのアルトール


 サラマンドラの封印された宝珠はメラドカインの首都・マズルキにほど近い聖地ムンシャ・アフマルに祀られている。
 メラドカインはマナに乏しい土地だ。魔法技術はフォーデラストほどにも発展していない。その一方で魔法道具に欠かせないミスリル銀の大鉱床を多数有している。
 今でこそミスリル銀の輸出国としてラブラシスともかなりの貿易額があるが、ほんの20年前は敵国同士だった。魔法大国であるラブラシスと軍事大国フォーデラストを二大勢力とした連合軍を相手に優勢だったこともある。それを支えたのは強大な国力とミスリル銀による魔法武器だった。
 魔法が発達していないメラドカインで強力な魔法武器が大量に出回ったのは、メラドカイン帝国と同盟関係にあった魔族による。ラブラシスをも凌駕する魔法技術を持つ魔族の生み出す魔法武器は圧倒的だった。
 戦争末期、サタンが封印されたことで魔族側に同盟を継続する理由が無くなり同盟が破棄されると、メラドカイン軍は徐々に勢いを失い形勢は逆転した。
 帝国崩壊の速度を速めたのは邪教への改宗だった。帝国の支配により強制的に邪教に改宗させられた民の不満が人々を駆り立て、各地でレジスタンスが立ち上がった。同時多発的に勃発する反乱に、ただでさえ戦時下で加えて魔族の力も得られなくなった帝国は対処しきれず、勢力を強めたレジスタンスが王国公国の連合軍と同盟を結んだことで帝国の敗北は揺るぎないものとなった。
 その後、戦争が終わっても邪教徒排斥運動が続いた。しかし、今も邪教徒は国内各地に潜伏し密かに活動を行っている。そんな邪教徒が暗躍するまっただ中に宝珠を置いているのは理由がある。
 サラマンドラは精霊の中でも武闘派であり、やはり炎の精霊であるジンによる百人部隊を率いていた。精霊であるジンは不死身だったが、帝国の邪教徒と同盟していた魔族との戦いの中で数を大きく減らしていた。魔族に捕らえられ、洗脳によりシャイターンと呼ばれる悪魔に作り替えられたり、その洗脳儀式のために封印されたままどこかで忘れられているのだ。
 ジンたちは暴れているシャイターンを倒して浄化したり、封印されたままの仲間を捜して百人部隊を元通りにするために活動している。シャイターンの巣窟も、封印されたジンが多く隠されているのもメラドカインだ。ジンは力を与えてくれる宝珠をメラドカインに置き、そこを活動の拠点にしている。
 宝珠を守っているのももちろんジンだ。警備として頼もしいことこの上ないが、油断はできない。相手はかつてそのジンを封印した邪教徒、しかもサタンの復活を目論んでいるとなれば魔族が裏にいることも当然考えられる。かつてのようなことが起こるかもしれない。
 封印が解かれるのは防げないかもしれないが、ジンが籠絡されることは防げるかもしれないし、防がねばならない。

 マイデル老師は速やかに行動を起こした。
 速やかな呼び出しに応えてやってきたのはもちろんルスランだった。
「儂があと半年で任期満了を迎えるのは知っておるな」
「はっ。もちろんであります」
 少なくともマイデル老師にこき使われるのはあと半年で済むのだ。そんな大事なこと、知らいでか。
「それに向けて後任を育ててきたが、早く役に立ちそうだ。儂は近々大臣の任を辞することにした」
「はい?……それは……急ですね」
 そうとしか言いようがない。
「そうでもないぞ。ムスタハと言う賊が水の宝珠の封印を解いたときから、水面下で準備を進めていたのだ。ただ、時が満ちた……それだけのことよ」
 とにかく、こうしてルスランを呼びつけると言うことは、何かしら用があるということだ。しかも、前置きからして大臣辞任をちらつかせるなど、いかにも些事ではすまなそうな話だ。
 マイデル老師の用事はもちろん、火の宝珠のことだった。一足先に現地に急行し、情勢を探るようにとのことだった。
 一足先にと言うのはもちろんあとからマイデル老師自ら出向くつもりと言うことだ。大臣を辞任するのは身軽になって自由に動き回れるようになるためだった。
 かなりとんでもないことが起こりつつあること、そして自分がそれに確実に巻き込まれようとしていること、そうでなくても面倒で過酷な用事を押しつけられたことを理解するルスラン。
 メラドカイン連邦は広大だ。フォーデラスト王国の国土も広大で、それぞれ版図を広げられるだけ広げた結果である。二国が衝突した位置が現在の国境となっている。そして、だからこそ、国境こそ接しているものの互いの首都はまさに国土の両端と言っていい配置だ。ましてメラドカイン連邦の国土は砂漠が多く、馬など使えない。年単位の旅になりかねない。
 だが、もちろんそんな悠長なことをしている暇はない。どうするのか。
「ラブラシスから出ている魔竜船を使うがいい」
 全く聞いたことのない名前の乗り物だ。
「ラブラシスの誇る最新の船だ。むろん魔力で進む乗り物で、その動力は元より、乗り心地や船賃に至るまで魔の船と呼ばれるに相応しいものだと覚え聞く」
 これはもしかして乗る前に聞かない方がいい話なのではないかとも思う。だが中途半端に聞いてしまった以上、よく聞いて覚悟を決めておいた方がいいのか。
「荒海を渡る船には船酔いが付き物だが、その船は海を手加減容赦のない速さで駆けるという。船酔いも容赦なく、進路を変えればその勢いで乗客は壁に叩きつけられるそうだ。大波がくれば船は跳ね、乗客は天井に叩きつけられるとか」
「人間の乗る乗り物なんですか、それ」
「全くもって金を払って乗るようなものだとは思えんが、船賃はべらぼうだ。普通の旅船に同じ金額を払えば、さぞや優雅な船旅ができるであろう。儂の月の給料でも5回は乗れん」
 ルスランの給料なら何年分だろうか。昇進でいくらか給料も増えるので3年くらいで済むか。もちろん、その金をルスランが出すわけではない。とはいえ、国から出るわけでもないようだ。すなわち、マイデル老師のポケットマネーからでると言うことだった。これはマイデル老師の期待に応えなければますます後が怖い。
 遠い地での重大な任務、そして過酷な船旅と諸々の重圧。さすが昇進すると押しつけられる仕事もひと味違う。何から何まで一介の雑兵とは比べものにならない。上がった給料に見合ってるのか、割に合ってないのか。
「それで……情勢を見ろとのことですが、具体的に何を見ればよいのでしょう」
「炎の祠に行くのだ。宝珠はそこにある。変わりはないか尋ね、邪教徒の動きに気を付けるように伝えるのだ。そして、お主も邪教徒の動きを探ってくれ」
「わかりました。邪教徒ですね」
 邪教徒という言葉が出てくると、確かに非常事態なのだという気がする。20年前の戦争も帝国の陰で邪教徒が動いていた。その前後にも大きな動乱をたびたび仕掛けている。彼らの目的はサタンを復活させて世界を滅ぼすことだと言うが、世界を滅ぼすことに彼らにどんな利点があるのかは量りかねる。
 サタンの封印が解かれようとしているのなら、そんな邪教徒が動いていると考えられるのも当然だった。問題は、どうやって活動するだけの力を蓄えたのかだ。
 母神と精霊への信仰が篤い大部分の国では邪教徒は町の中を歩くことさえ困難だ。いくらか彼らに寛容だったメラドカインも強制改宗と相次ぐ侵攻で邪教徒以外が全て邪教徒の敵に回った。もはや邪教徒に居場所などない。人目を避けるにしても、邪教徒狩りは苛烈だ。可能性があるとすればよほどの辺境か魔境くらいだ。可能性が高いのは、やはり魔境だろうか。
 いくら何でも魔境に出向く羽目になるような事態に巻き込まれることには巻き込まれたくはないのだが……。正直、いやな予感しかしない。
 とにかく。ややこしくなる前に手を打てればなによりだ。……がんばるしかないのだろう。

 翌朝、旅立ちの朝。
 これほど気の重い任務の前夜だというのに、いつも通りの時間には眠くなり、いつも通りの時間に目を覚ませる自分の図太さに感心していると、窓の外から賑やかな話し声が聞こえてきた。
 窓を開けると、やはりそこにいたのはジョアンヌだった。その話し相手もルスランの知っている人物だ。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「いや、いつも起きる時間だ」
 なぜ彼女がここにいるんだろう。そう思いながら返事をするルスラン。目を少し動かすと、少し離れたところに立つエイダの姿が目に入った。彼女が連れてきたのなら納得だ。エイダは会釈してきた。ルスランも手を振って返す。
 いや待て。なぜ彼女がここにいるのかという疑問のうち、どのようにしてここに来たのかということが推察できただけだ。何の目的でここに来たのかはわからない。その理由を聞いてみようと思うルスランだが、彼女に対するジョアンヌの言葉に遮られた。
「ねぇー。あんたさ、祭りの晩いたよね?」
 オーガの生首祭りのことだろう。今顔をつきあわせている二人にとって唯一の共通の話題だ。間違いない。
「あんたがいたこと、うっすらと覚えてんのよ。ねえ、あの時のあたし、どうだった?変なこととかしてないよね」
 エイダが連れてきたと思われるのは、あの晩へべれけになっていたアミアだ。
「うーん。そんなに変なことはしてないな。上機嫌に酔っぱらって絡んだりしてただけだ」
「その絡んでた内容が問題じゃないの。ま、変なことはしてないって言うんだし、言ってもいないんでしょ。……そんなに飲んだ気はしないんだけどなぁ。あの果実酒(シェニッツ)、蒸留酒(ヴィード)でも混ざってたんじゃないの」
「なに言ってんだ、ありゃあピティールにシェニッツで香りをつけた酒だぞ」
 ピティールは甘い香りが特徴の蒸留酒だ。
「なにそれ……。初めて飲んだけど、ピティールってあんなに飲みやすいの?女の子を酔わせてどうにかしようって時にぴったりじゃない。全く、危ないわ」
 ピティールはむしろ女性でも飲みやすいことで広まった酒だ。この国では果実酒はジュースと同等の扱い。年齢制限が設けられたのも最近のことだ。それまでは子供の飲み物だった。
 年齢制限と言っても7歳までの飲酒禁止と15歳までの摂取量制限という、他国に比べれば緩い制限になっている。この国の人間は一際酒飲みなのだ。
 ルスランとジョアンヌも例に漏れず、家の中にさも当たり前のように酒樽がおいてある。アミアのように酔い潰れてしまう女性のほうが珍しい。なので、酔い潰れさせてどうこうなどと言う発想は生まれにくい。
 そんな若い女性向けの飲み物がオークの間で流行っているのは、単純に甘いからだった。
「それで、なぜまたわざわざうちまで来たんだ?エイダさんに連れてきてもらったんだろ。こんな朝っぱらから遊びに来たわけじゃないよな」
「そうそう、それよ。あんた、今日からどっか行くんでしょ」
「よく知ってるな」
 話を聞いていたジョアンヌが口を挟んできた。
「そうなの?何も言ってなかったじゃない」
「昨日急に決まったからな……。朝が来たら言うつもりだったんだ。今回も長旅になるし……ただの使い走りと言うには過酷な任務だ。実のところ、生きて帰ってこられるかどうかも怪しいかもしれない」
「そんな……。ねえ、また戦争が始まるのかな」
「ないとは言えないな」
「そう……。あたしも戦い方覚えた方がいいのかな」
 戦う気かよ、と心の中で呟くルスラン。自ら武器を取ろうとするあたり、さすがは血の気の多いフォーデラスト人だ。
「とにかくさ。あたしも行くかんね」
 アミアの本題はそれのようだ。
「……なぜ。どこに行くのか知ってるのか?そもそも、何で知ってるんだ。俺はマイデル老師に言われてから誰にも……ジョアンヌにすら言ってないんだぞ」
「そのマイデルじいちゃんに頼まれたのよ」
「じいちゃんって……」
 じいちゃんなのは確かだが、この国の大臣をじいちゃん呼ばわりするとは。
「どこに行くかは知らないわ。詳しいことはあんたに聞けってってさ。それで来たって訳よ。要するにあんただけじゃ心配なんでしょ」
「いやいや、ついて来られるのもいろいろと心配なんだけど」
 オーガ討伐の話を聞く限り見た目以上に腕は立つようだし、足を引っ張るということはないかもしれないが、実際にその力を確かめていない以上何とも言えない。
 それに、それ以上に心配なことがある。アミアは女だ。しかも男相手にも物怖じせずに気さくに絡んでくるような積極的な女だ。酔った勢いで迫ってこられでもしたら断りきれず取り返しのつかないことになったりはしないか。
「もちろんパパもおまけで付いてくるから」
「おお、それなら何の心配もないな」
 ほっとするルスラン。その反応を見たアミアはため息をついた。
「はぁ、あんたもか……。そりゃあさ、パパほどじゃないのは認めるわよ。でも、足を引っ張ることはないつもり。これまでもちゃんと傭兵としてやってきてるんだから。実力をみる前に不安だとか思わないで。それとも何?あたしの見た目が気に入らないの?どうせ、どっちつかずの中途半端だけどさ。仕方ないじゃない、あたしはこうなんだから」
 ルスランが心配していたのは実力以外の部分が大きいが、敢えて触れることはしない。
「えっ。見た目……?えーと、そうだなぁ。見た目は個人の主観とか好みの範疇だしそんなに気にしなくていいと思うよ。俺は別に嫌いじゃないし」
 アミアは弱そうに見えるのかという意味で聞いたのだが、いきなり詰め寄られたルスランとは話が噛み合っていない。それに、嫌いではないということは好きでもないと言っているようなもの、決してフォローにはなっていなかった。
「……ま、いいわ。あたしの実力を見せてあげればわかるでしょ。吠え面かかせてあげるわ」
 こちらはこちらでルックスの話になっていたことに気付いていなかった。
 こんな話はどうでもいい。ルスランとしては、いくらマイデル老師の差し金とは言えどこに何をしに行くのかさえも知らない人物についてこられても困るし、アミアとしてもどこに何をしに行くのかくらいは聞いておきたい。二人は任務の話に移った。
 取り残されたジョアンヌはもっと前から取り残されっぱなしでぽつんと佇んでいるエイダに近寄り声をかけようとした。ジョアンヌはいつも通りフェルの散歩中。ジョアンヌが向かっていけばフェルもエイダに向かっていくことになる。その迫力にエイダはたじろぎ後ずさった。
「大丈夫よ、この子おとなしい子だから」
 ジョアンヌに屈服しているだけだ。
「エイダさんって言うの?この町の人?」
「いえ、アルトールに住んでいました」
「アルトール……?」
 考え込むジョアンヌ。エイダは小さい町だし知らないかな、と思うが、そういうわけではなかった。
「ねえ、あなたのうちってお花屋さん?」
「え。あ、はい。そうですけど」
「わ、やっぱり!ねえ、あたしのこと覚えてる?」
「ええっ?いえ……お店のお客さん?」
 そんな二人のやりとりにルスランが口を挟んだ。
「何だ、ジョアンヌ。知り合いだったのか?」
「なに言ってんの、ルスランが連れてきたんじゃない」
「えっ?いつ?」
「すごく昔。小さい頃ね」
 それはルスランにもまるで心当たりがなかった。
「エイダちゃんは小さかったからしょうがないけど、あんたまで覚えてないの?」
「うん、全っ然」
 アルトールで出会ってから今までに何度か顔を合わせているし、行動を共にしていたときもある。これで思い出せないのだから全く記憶にないと言える。
 ジョアンヌとしても、自分一人だけしか覚えていないのでは思い出したことが正しいのかわからないままだ。ほかの二人に何か思い出してほしくて躍起になる。
「ほら、そこの広場で一緒に駆け回ってさ。えーと、確か……ルスランのパパの友達が来てるから、その間遊び相手になってくれってことだったと思う」
 エイダが何かを思い出したようにあっと声をあげた。
「そういえば、そこの広場を通ったときになんとなく見たことのある景色だなぁって……。もしかしたら、そのせいなのかも」
「そうだよ、きっとそうだよ!ほら、その時におにーちゃんとおねーちゃんがいたの、思い出せない?」
「うーん……」
 やはりそちらはさっぱり思い出せないようだ。そして、ルスランの状況も変わらない。
「親父の戦友が訪ねてくるのは珍しくなかったからなぁ」
 この感じだとエイダのほうがもっと何か思い出してくれそうだ。ジョアンヌはエイダにターゲットを絞る。
「そのルスランのパパのお友達がね、自分の所が花屋だからってよくお花を持ってきてくれたの」
 それが嬉しかったおかげで、一人だけこのことをよく覚えていたのだ。
「ほら、うちの前にいっぱい植えてあるお花もその時もらったんだ。育てやすいからって言われてさ」
 その頃から絶やさずに育てられているのだから、確かにそれだけ育てやすいのだろう。
「これは……パルマーチェですね。鑑賞目的で育てるのは珍しいかな」
 小さな花壇をのぞき込んでエイダは言う。この植物は根が魔法薬の材料としてよく使われるので、薬師によく育てられる植物だ。
 エイダの家が花屋だったのは、魔法使いだったジェシカが薬の調合に使うための材料をかき集めるために、メイソンが山野を駆け回るときに一緒に採集してくる花を売るため。パルマーチェも売り物にはしていなかったがたくさん育てられていた。花自体は地味だし、一般人にはあまり知られていない花だが、メイソンからもらったというのなら持っているのもわかる。
「その頃から大事に育ててきたんですね」
「そうね。確かに地味な花だけど、辛いことがあった時もあたしを慰めてくれた大切な花なの」
 その言葉にかぶせてエイダが言う。
「いい値段で売れるだろうな……」
 大切な思い出の詰まった花壇の前でお金の話なんて、とばつ悪げな顔をするエイダに向かい、ジョアンヌは真顔でいう。
「どのくらいで!?」
 思い出はお金なんかで買えない。エイダの認識はそんな感じだが、ジョアンヌやルスランは金になるなら思い出くらいいくらでも売れるのだ。
 ジョアンヌとエイダがパルマーチェの価値について語らっている間に、ルスランはアミアへの任務の説明を片付けた。想像以上の遠出、想像以上の任務の過酷さ、責任の重さにアミアは頭を抱えた。よくわからないまま二つ返事で引き受けてしまったのだろうか。そして、その軽さを逆手に取りよくわからないまま引き受けさせる、マイデル老師の姑息な手口だったのだろう。
 とは言え、この任務が本当に過酷な物になるかどうかは実際に終わってみないと何とも言えない。ルスランは最悪に近い状況を想定しての話をしたが、こうして民間人を巻き込める程度には気楽な任務なのだろうか。むしろ民間人をも巻き込むほど切羽詰まった事態ともとれるし、やはりよくわからない。
 思えば、彼女たちも破格の船賃という魔竜船に乗って行くことになるのだろう。グライムスは英雄と呼ばれる者の中でももっとも過酷な現状を生きていると言うような話をしていた。戦い続けることももちろん、懐具合も過酷なようだ。そんな破格の船賃を自腹で出すとも思えない。この二人の分もマイデル老師のおごりだろう。
 それほどの事態か。そうとしか思えなくなった。
 あと片付いていない話はジョアンヌしか覚えていない昔の話だ。パルマーチェと言うジョアンヌとエイダを繋いでいる可能性のある糸は見つけたが、相変わらずはっきりとは思い出せない。
「もしかして、エイダさんって昔三つ編みだった?」
 何の気なしにルスランが言った。広場でジョアンヌと一緒に遊んだ小さい女の子で一人だけ思い当たる人物が一人思い浮かんだのだ。
「えーっ……。うーん、どうでしょ……」
 考え込むエイダ。一方ジョアンヌは身を乗り出す。
「そうだよ、それがエイダちゃんだよ!」
 正直、広場で三つ編みの女の子と遊んだ記憶があるだけで、その子の顔も名前も覚えていなかったが、それがエイダだったようだ。そういわれてまじまじとエイダの顔を見ると……やはり、記憶にない。三つ編み以外の印象はなかったようだ。そして、三つ編みをやめてしまえば ルスランの記憶の中の少女と今のエイダを結びつける糸は何一つなかった。
 エイダはエイダで、その頃の自分が三つ編みにしていた記憶がない。それもそのはずで、三つ編みはお出かけの時だけ母親に結ってもらっていた。覚えていないのも無理はない。
 朝の時間のない中で記憶を辿れるのはここまでだった。何とも中途半端ですっきりしない。

 城に行くと、馬車が用意されておりマイデル老師とグライムスが待っていた。馬車はエイダたちを乗せていった物よりも頑丈で無骨だ。これなら多少すっ飛ばしても壊れはしないだろう。
「おはようございます、老師。それにグライムス殿。……船賃は自腹で?」
 やはりこれがどうしても気になる。
「いや、マイデル殿のおごりだよ」
 やはりか。そう思ったところにマイデル老師が言う。
「実はな。昨日あれから魔竜船について改めて調べてみたのだ。するとな、20年前よりだいぶ船賃が安くなっておってな。用意していた金で5人くらいは乗れそうなので手の空いていた二人を一緒に行かせることにしたのだ」
 そういうことか。これはきっと、ほっとしていいのだろう。そして、グライムスは言う。
「俺たちは傭兵だ。雇われりゃどこでも行くさ。指南役の名目はあるが、ただ飯を食ってるようなものだったし、ちょうどいい」
 その程度の気持ちで同行できる任務なのだろう。そう思ってさらに安心していいのだろうか。
「ねえ、おじいちゃん。この仕事ヤバいって聞いたんだけど、どうなの?」
 不安を感じていたルスランに焚き付けられて不安が伝染したアミアが単刀直入に聞いた。むしろ、本人におじいちゃん呼ばわりしている事の方がルスランにはヤバそうに感じる。若い女の子だから許されることだろう。
「正直なところ、どうなるか分からんよ。明らかに戦いに行く日頃の傭兵仕事の方が確実に危険だが、今回は背後にいるのが厄介な連中だからの。深入りするとどうなるか分からん。探りを入れるにも程々にすることだ。……自腹で偵察を送り込んでおいて何の報告も受けられないのでは仕方ないからな」
「あたしの命の心配もしてよね」
「命の心配もしてくれないような薄情な雇い主のために危険を冒すような無茶はするなと遠回しに言ってるんだ」
 グライムスはそう言うが、どうだろうか。
「頃合いを見計らって儂等も駆けつける。それまでにできるだけムハイミン・アルマリカについて探ってくれ」
「老師も魔竜船でマズルキに?」
 ルスランは尋ねた。
「安くても儂はごめんだわい。金と時間と手間をかけずとも、転送魔法でマズルキまで一瞬だしな」
「えっ。それなら自分も一瞬で飛ばしてくださいよ」
「だめよー。魔法ってのは自分に掛けるのと他人に掛けるのじゃ必要な魔力が段違いなんだから。まして転送魔法なんて……。あたしでも魔力不足で使用許可下りなかったんだから」
 長距離の魔法転送には転送ゲートという特殊な設備を用いる。これは転送先と転送元を固定することで必要な魔力を極限まで抑え、確実性も高めるための設備だ。そこまでしても、利用できるのは高い魔力を持つ上級魔導師のみ。魔導師を自称することも憚られぬアミアでも、かなり魔力が足りていない。況や、ルスランに於いてをや。
「アミアでもだめなのに俺じゃもっとだめだよな……」
「エイダが転送ゲートを問題なく使えるのはせめてもの救いと言ったところだな。うら若き乙女を荒くれ男どもと一緒に荒くれる船に乗せるのは酷じゃ」
「おじいちゃん。あたしは……?あたしもうら若き乙女だよ……?」
 アミアの発言は無視された。これだけ男勝りなら男扱いして何の問題があろうか。
「エイダさんも来るんだ……」
 エイダもルスラン同様マイデル老師にいいようにこき使われる身として、この件に駆り出されることを避けられなかったようだ。これほどの魔力を持っていながら手の空いている人材も貴重だ。使わない手はないのだろう。
 何が起こるかは分からないとは言え、武装していても一応民間人のグライムス親子に加え、一般市民と言っても差し支えのないエイダまで巻き込むというのはやはりそれほど危険ではないのだ。ますます安心だ。
「お主等にはまず炎の神殿に行ってもらう。そこを守るジンたちが邪教徒の動向に詳しいはずだ。その後はジンの指示に従うのじゃ。もうすでに奴らが動き出しているかもしれん。その時はジンたちをサポートしてやってくれ」
 やはり、安心はできないようだ。まだ何も起こっていないことを祈ろう。
 マイデル老師のポケットマネーから三人分の路銀が渡された。持つのも不安になるほどの大金だった。殆どが魔竜船の船賃だ。安くなったと言っても昔と比べればの話、しかも三人分となれば当然の額だ。任務の不安が増えた。

 馬車はラルカウィの山道を駆け降りていく。かなり復旧は進み、崩れて木の足場が組まれていたところも土が盛られてしっかり固められている。一部足場が残っているが、足場の下は土砂や石組で固められ、後は足場を外すだけと言ったところだろう。
 下の方ではまだオークの労働者たちが工事に勤しんでいる。馬鹿でかい木槌で足場の下に積み上げられた土を叩いて固めている。オーク向けの力仕事だ。
 馬車の中で退屈なアミアがオークに向かって手を振った。オークたちもにっくきオーガを懲らしめた”女神”の顔は覚えていたようで、仕事の手を止めて拝み始めた。アミアもこの反応は予想外だったようだが、悪い気はしない。
 ラルカウィを抜け、アルトールに立ち寄る。グライムスはこの町で起きた惨劇と時を同じくして起こった住人消失事件について気になっていた。残っている住人に少し話を聞くことにした。
 元々静かな町だったが、今はさらに静まり返っている。すっかりゴーストタウンだ。もちろんこれほど多くの住人がいなくなった訳ではない。アドウェン一家が惨殺された上に無関係の住人も何人か姿を消した事件で恐怖を覚え、町を離れる人が続出した。魔術学校の生徒も家族とともに去り、事件の影響で観光客も激減。とどめにグライムスたちも去ったため町を守れる人がいなくなり、盗賊が荒らし回るようになった。この町に留まる理由の方がない。
「盗賊だと?」
 グライムスが興味を持ったようだ。
 この町を去った住人の家は運べない家具などを残してもぬけの殻だが、住人の消えた家は家財道具一切合切を残したまま。しかも殆どの家が鍵もかかっていない。そんな家が何軒もあるのだ。盗賊にとってはまさに宝の山。放っておくわけがない。
 それが目当てで集まったこそ泥も、群れればさらに始末が悪い。数が揃えば気も強くなり人のいる家にも押し入るようになる。この町に残る人たちはいつ盗賊に押し入られるか脅えながら過ごしているのだ。
 グライムスは提案する。一宿一飯の代金と引き替えに盗賊退治を引き受けさせてくれないかと。傭兵の雇い賃としては破格の安さだ。グライムスとしてもこの町がここまでひどい有様になってしまったのも自分たちが町を離れてしまったためだという負い目がある。残った住人としても盗賊を倒してくれるのなら多少高い金を取られてもいいくらいだ。すぐに話は纏まった。
「こんな事につきあわせてすまないな」
 そう言うグライムスに、ルスランはこう返した。
「俺としても兵士として盗賊を捨ておくわけにもいかないさ」