ラブラシス魔界編

13話・凱旋

 数日後、ルスランの馬車がリム・ファルデに到着した。
「よう、お疲れ。なんかオーガがでたとか言う話があったようだが襲われなかったか?」
 真っ先に話しかけてきたのは班長のネルサイアだった。
「襲われずには済みましたよ。先にオークの山賊が襲われてて、お食事の真っ最中って感じっすね。あいつらが食われてなかったら俺が食われてたかもって言う。ありがたい話ですけど、山賊に感謝するのはこれっきりにしたいですね」
 冗談めかして話しかけてきたので、ルスランも冗談混じりに返した。
「ありゃ。もしかして本当にオーガがいたのか」
 ネルサイアはドワーフが騒いでいたオーガの事をを話のネタにはしつつ、信じてはいなかったようだ。
 ルスランは気分の悪くなるものをこってりと見せられた腹いせに、ネルサイアにそのときの話をこってりと聞かせた。話を聞いても漠然としかイメージできない相手に対し、思い出したくもない記憶を辿り鮮烈なヴィジョンをいかに言葉で表現するかじっくり考えねばならないルスランは圧倒的に不利だったが。
 それでも聞くのも厭だと感じてくれたようで、ネルサイアはルスランの話を遮った。
「わかったわかった。しばらく肉料理は腹一杯だ。それより、オーガがオークを捕まえたとなると、そいつはしばらく居座るよな……」
 ネルサイアは無精髭の伸びかけた顎をさすりながら何かしら考え込んでいる。
 オーガは獲物を求めて単独で流離うが、オークは洞窟などを好み集団で住み着く。オークは一体いればその近くにかなりの数いると考えていい。オーガもそれを知っているので、オークを見つけたらさらなるご馳走を求めてそこに居座り、付近を徹底的に探し回るのだ。
 そんなオーガの特性を鑑み、ネルサイアは提案する。
「よし、討伐隊を結成してそのオーガを狩るぞ」
「えっ。なんでですか」
 オーガは手強く面倒な相手だ。町などを襲ったわけでもないならなるべく関わりたくなどない。ましてネルサイアはこのような面倒事など嫌いなはずだが。
「ほら、オーガバラしてよ、白目むいた生首でも仕事ボイコットしてるオークどもに見せつけてやりゃあ、連中も安心して巣穴に戻って働き出すんじゃないかってな」
 そういえば、オーガ絡みではもう一つ、そんな面倒事も起こっていた。面倒事を使ってもう一つの面倒事を解消しようと言う魂胆のようだ。それよりも、オークが未だにオーガのデマに振り回されていたことに驚く。どれだけオーガが怖いのだろうか。……ルスランが見たように無惨に食い殺されるとなると、恐れるのも無理からぬ話か。
「もちろん、来てくれるよな」
 ネルサイアの誘いを、ルスランは丁重に断った。
「嫌です。ようやく帰ってこられたんですから。休暇ですよ、休暇」
「それもそっか。よーし、お前はゆっくり休め」
 真っ当な理由に、ネルサイアも納得してくれたようだ。
「でも、オーガなんて面倒な相手の討伐隊、参加したがる物好きが集まりますかね」
「そこだよな……」
 その時。
「あたしが力を貸してあげるわ」
 背後から女の声がした。二人が振り返ると、赤い髪を靡かせた若い女が立っていた。誰だこれはと思うルスランだが、すぐに思い出す。グライムスの娘のアミアだ。
「あたしがいれば百人力よ。それに、おまけでパパも付いてくる!」
「グライムスの旦那が来てくれるなら頼もしいな。よし、参加を認めてやるぜ」
 どう考えてもアミアの方がおまけの扱いだった。アミアもそこは不満そうだ。しかも。
「我らが妖精・アミア様と行くアルトール・オーガ討伐の旅……こんな感じで募集かけてみるか」 
 完全に釣り餌にされた。
「何よそれ。オーガを怖がって人が集まらなかったらあたしの魅力が足りないみたいになるじゃないの」
 アミアは怒りのベクトルがおかしい。
「アミアちゃーん。大丈夫だって!そもそもうちの連中はオーガごときに後込みする腰抜けじゃねぇさ」
「そう……?あ、でもちょっと待ってよ。それで人が集まらなかったら……いよいよもってあたしの魅力が足りないみたいじゃない」
 あたしの力を貸してあげる、などと訓練も積んでいる戦闘の本職相手に言ってのける辺り自信家なのかと思わせておいて、魅力の点では自信家になりきれないようだ。
「大丈夫だって!アミアちゃんは十分魅力的さ。なあそうだろう?ルスラン」
 どうせ自分には関係のない話だと右から左へ聞き流していたルスランに突然話が振られた。
「へ?……えーと」
 聞き流してはいたが、聞いていなかったわけではない。消えかけていた記憶の糸をたどり、話を頭の中で流れに沿って再構築し、質問の主旨を理解し、このとき最適と思われる答えを返す。
「そっすね」
 この程度の答えのためにしては長すぎる思考時間。魅力的かどうか、これほどまでに熟考しなければならないのかと不安にさせるに十分過ぎるものだった。無言で一人へこむアミア。これならば話を聞いてなかった方がマシだった。
「……なんかすまん」
「いいわ、別に。あんたなんかに好かれても嬉しくないもん、別に。……そうだ、そもそもこんな話をしにここに来たわけじゃないのよ、あたし。あなたに用があるの」
 そういい、アミアはルスランに向き直った。
「へ?俺に?」
「マイデルのおじいちゃんがさ、来てくれって」
「おじ……」
 国家の宰相をおじいちゃん呼ばわりも気になるが、マイデル老師からの呼び出しとなるとそれどころではない。折角帰ってきたところだというのに、今度は何を言いつけられるやらだ。ネルサイアが声をかけてきた。
「何だ……その。……ゆっくり休めよ」
「休みが取れたらそうしますね。……万が一にでも」
 ルスランは重い足取りでマイデル老師の執務室に向かった。

 万が一と言っていい事態が起こった。マイデル老師の用事は、すぐに終わるものだったのだ。これが済めば、ゆっくりと休めるであろう。
 用事はルスランが捕らえた山賊が城内の牢獄に収監されているので顔を確かめてほしいとのことだった。
「お言葉ですが……自分は連中を叩き伏せただけで、それほどまじまじと顔を見た訳でもありませんので、ちゃんと確認できるかどうか。顔ならばエイダさんの方がよく覚えていると思いますけど」
「確かにその通りだがの。あの子は被害者、思い出したくもないほど怖い思いをしたかも知れぬ。お主が見ても分からなかった時には仕方ないが、なるべくならあの子に無用の負担は掛けたくないのでな」
 そういう事情ならば納得だ。エイダの心の傷を撫で回すようなことにならないためにも役に立ちたいところだが、やはり期待はできないと自分でも思う。
 地下牢に続く階段を下りる間も山賊の顔を思い出そうと試みるルスランだが、全く思い出せない。
「こいつらかの」
 マイデル老師にそう言われ、牢獄の中にいる山賊たちの顔を見るが、小汚いいかにも山賊と言う悪党面だなとは思うものの今一つピンとは来ない。思えば、こんなどこにでもいるありふれた悪人風の顔をしているから、記憶に全く残らないのだ。これが一般人であればその顔は恐怖とともに脳裏に焼き付いただろう。だが、ルスランはこの手合いを見慣れすぎていた。自分でも思っていた以上に、何の役にも立てそうもなさそうだ。
 と、その時。
「あっ、てめえはあン時のクソガキ……!てめえはよぉ、俺たちをこんな目に遭わせて、さぞやいい気持ちだろうなぁ?だがな、これで終わりだと思うなよ!?俺たちが死んだらてめえのことすぐさま呪い殺してやる。そんで末代まで呪ってやる。覚悟しやがれ!」
 一方的に捲し立てられた。ルスランはまるで覚えていなかったが、向こうはばっちり覚えていたようだ。
「末代まで呪いたければ暫し呪い殺すのは待たねばならんぞ。言うておくがこやつは独り身。貴様等の首が繋がっているうちに子孫なぞ残せはせん」
「余計なお世話です。そもそも呪い殺されたくもありませんし」
 真面目に言っているのか冗談なのか量りにくいマイデル老師の発言に、ルスランは一応言葉を返しておいた。
「こういう自業自得の死では呪うどころか亡霊にもなれた例しはありゃせん。首を刎ねられた賊如きが捕らえた兵士をいちいち呪い殺していたら、警備兵は命がいくつあっても足りぬわ。こ奴らはただ無様に死んでいくだけよ。何にせよ、お主の捕らえた賊に間違いないようだの」
 ルスランは最後まで思い出せなかったが、向こうが呪い殺したいほど鮮烈に覚えているのなら間違いないだろう。どうやら役には立てたようだ。これで心置きなく休暇を取れる。
 牢獄から地上に戻り、野暮用も済んだことでほっとしたルスランは、心の余裕も生まれたことで一つささやかな疑問に引っかかる。
 王城地下の牢獄は、場所が場所だけに余程の罪人しか投獄されない。重大な政治犯、凶悪犯、希代の大盗賊……。しかし、連中はどう考えてもただの山賊、小物だ。それがなぜ、わざわざこんな所に。
 ルスランに這い寄った疑念が鎌首を擡げ始め、蜷局を巻き鎌首を埋めてまた眠り始めた。別にどうでもいいや、あんな賊。それがルスランの辿り着いた答えだった。
 この時はまだ、その結論で間違っていなかった。

 休暇といっても、特にやりたいことがあるわけでも、何かをやる気になるほども余裕があるわけでもない。体が鈍らない程度の最低限の鍛錬をした後はのんびりと過ごす。
 だが、ルスランの運命はそれを許さなかった。そんな休暇も瞬く間に終わろうという黄昏時、ルスランの元に助けを求める者が現れたのだ。
「ルスラン、お願い。……あたしを助けて!」
 涙目で駆け込んできたのは隣のジョアンヌだった。
「なんだなんだ、どうした何事だ」
「あたし、オークに殺される……」
 ただならぬ事が起こっているようだ。とにかく詳しい話を聞いてみることにした。詳しく聞いてみると、実に馬鹿らしい話だった。
「オークのお客さんたちがね、今夜は盛大にお祭りを開くんだって」
「それで、お前が生け贄にされるのか」
「そんなワケないじゃない。そのお祭りにうちの食堂からも料理を出すことになったんだけど。夜通し飲んで食って騒ぐって話でさぁ……。そんなのにつきあわされたら絶対死んじゃう」
 確かに、飯時だけの日頃の仕事でもへとへとになっているのだ。それが休みなく続いたら倒れそうだ。
「それに、その祭りがひどく悪趣味なの。会場になる広場に行ったんだけどさ、ど真ん中にどんと化け物の生首が置いてあるのよ!本物よ本物!血塗れの!思い出すだけで……いや、思い出したくもないわ」
 最近、思い出したくもない物を見たルスランはその気持ちをとてもよく分かってやれるのだった。そして、一つ思い当たる。
「その生首って、オーガじゃないか」
 ルスランの見た思い出したくもない物とは、オーガに貪り食い散らかされたオークの無惨な骸だ。そして、ネルサイア率いる討伐隊が、そろそろそのオーガを倒して戻ってくる頃合い。オーガがいなくなったとなればオークが喜ぶのも道理だ。オーガを退治したという証拠に生首を下げて帰ってきたのだろう。そしてオークたちがその生首を奉っていると言ったところか。何とも野蛮な祭りだが、それだけ嬉しいのだ。
 そんな野蛮な祭りだ。料理を作るのは吝かではないのだが、それを運んで生首に近寄るのは御免だというのがジョアンヌの言いたいことだった。
 幼なじみが涙ながらに頼んできたことだ。生首くらいなら平気だし、小遣いも稼げる上に力仕事は休暇で鈍りかけた体を動かせる。それに、そもそもオーガがいることを知らせて討伐のきっかけを作ったのルスランだ。自分がジョアンヌの涙の理由の一端であるとなれば断りにくい。ルスランは祭りの手伝いに駆り出された。

 手伝いは思っていたよりも過酷だった。料理を運ぶだけという話で実際その通りなのだが、台車を使うとは言え運ぶ距離が結構なものだ。
 そして何よりも量が凄まじい。大きな寸胴にたっぷりの料理を、寸胴のまま会場まで運ぶ。料理を運ぶとオークが群がり、取り分けられて見る見る料理が減っていく。
 その食いっぷりに見とれている暇はない。新しい料理を運んで来るまでの間に料理が一つ空になる。大急ぎで次を運ばなければならない。ジョアンヌの日頃の仕事もこんな感じのようだ。厨房から店のテーブルに運ぶだけでも、女性物ではゆったりした服しか着れなくなるほどの体つきになってしまうのも頷ける重労働だった。
 祭のために腹を空かせて待っていたオークたちもようやく食うペースも落ち、少し足を止める余裕が生まれてきたところで、ルスランは祭りの様子を見てみる。
 ひたすらがっつくのをやめたオークたちは、歌って踊って飲んで食ってという宴らしい盛り上がり方をしている。
 その輪の中心には噂のオーガの生首があった。今は槍で串刺しにされたそれを高々と掲げながら踊るオーク。辺りはいつの間にか宵闇に包まれ、松明の炎に染められている。おかげで血にまみれた様は判りにくく、それほど生々しくは見えない。あくまでも生首くらいなら平気だというルスランの所感であり、普通の感覚の女性なら闇の中に浮かび上がる生首に、より不気味さを感じるかも知れない。
 恐らくあの時オークを貪っていたオーガなのだろうが、それが今はこうしてオークにいいようにされている。何とも皮肉な運命だ。そして、そのきっかけを作ったのはルスランだ。ルスランに姿を見られてしまったばかりに、こうして首を切られて串刺しにされ、オークに振り回される羽目になったとも言える。そして、ルスランは今そのオーガの首で振り回され、こうしてこき使われている。これも因果なのか。
 そんなことをしみじみと考えていると、声を掛けられた。
「やっぱりルスランだ。お前も呼ばれたのか」
 聞きなれた声に目を向けると、そこにはやはり見知った顔があった。同僚の兵士たちだった。ネルサイアの姿もある。
「えーと、ある意味そうですかね。そっちこそ呼ばれたんですか」
「おうよ。こちとら主賓だぜ。なんせあの首取ってきたのは俺たちだからな」
 オーガの首を取ってきただけに、鬼の首を取ったように勝ち誇っている。
「それにしても、来てやったのはいいが……色気のねえ祭りだぜ。一応半分は女なのは分かってるが、そーれがどれだか……」
 ぼやくネルサイア。一緒にいた仲間の一人が言う。
「上半身素っ裸で踊ってるのは男で、絶対脱がないのは女みたいだぜ。……一概には言えないけど」
 この辺りにいるオークは人間の価値観の影響を大きく受けている。本来オークは男も女も腰巻き一つで過ごしているような民族なのだが、ここのオークの女は裸でいることを恥じらうようになった。若い世代でそれは顕著で、おばさんは平気で乳を放り出すのだが。裸であれば胸の大きさで男女の見分けもつくが、たとえ若い娘を見分けられたところで相手がオークでは口説く気も起こりはしない。だからこそ色気がないと言うことになるのだ。
「色気ぇー?色気ならここにあるでしょぉー!」
 女の声がした。目を向けると女のようなものがにじり寄ってくるところだった。血のように紅い衣を纏い、炎のように紅く長い髪を振り乱し、その隙間からは不気味に端の吊り上がった口元が覗く。魔女という言葉がぴったりの姿だ。
 兵士の一人にしなだれかかりながら左手で顔に掛かった髪をかき分けると、その顔が露わになる。よく見れば、それはアミアだった。恍惚とした表情で笑みを浮かべている。赤い炎に照らされているのではっきりとはしないが、顔も相当赤くなっていることだろう。へべれけだ。色気とはほど遠い有様だった。
「ちょっとー。こんな美人ほったらかしてさー。ここじゃ貴重な女よあたし」
「自分で言うか……」
 ぼやく兵士。
「あら。あんた……誰だっけ」
 アミアはルスランの存在に気付いた。ルスランは一緒にオーガ退治に出かけたわけではないのでアミアもよくは覚えていないが、顔は見たことがあるので記憶には残っている。
「あー。あんたエイダの友達だっけ。飲んでる?」
「友達って……。俺についてどう聞いてるんだ」
「んー。ごめん、顔しか知らない」
 まあ、そんなところだろう。エイダにとっても特に話して聞かせるほどの間柄ではない。
「こいつは討伐には参加してないけどさ、オーガを見つけて話を持ってきたんだ。それで祭りに呼ばれたってこった」
 勝手にそう言うことにされた。ルスランは一応訂正しておく。
「あの。俺は違うっすよ。ゲストじゃなくてスタッフ側ですんで」
 ルスランは幼なじみに頼まれて祭りの料理運びを引き受けたことを話した。
「賓客として呼ばれる立場の俺がこうやって手伝ってるんですから、班長たちも手伝ってくださいよ」
「しゃあねえなぁ。オークの踊りも見飽きたし、かわいい部下のために一肌脱いでやるか。ルスランの幼なじみってのも見てみたいしな」
 平たく言えば女が目的というとても分かりやすい理由だ。

 兵士たちを引き連れたルスランが店に戻ると、料理の入った寸胴が置かれていた。早速運ぶ準備だ。
「あとどのくらい運ぶんだ?」
 ルスランは奥の厨房に向かって声をかける。
「知らないわよ。そっちはどうなの?まだ食べそう?」
「ペースは落ちてるけど……食ってるなぁ」
「えー。どんだけ食べる気なのよ……」
 そう言いながら、ジョアンヌが奥の厨房から出てきた。そして、ルスランが連れてきた兵士たちの姿に気付き、慌てて引っ込む。少し身なりを整えてまた出てきた。
「うちの同僚だ。手伝うってさ。人手は多い方がいいだろ。……報酬は気にするな、あとで俺が何かおごればいい」
 ルスランがそう言うと、ジョアンヌは軽く会釈をした。
「新入りにおごらせてメンツが立つかよ。俺はよ、お嬢さんと楽しいひとときが過ごせりゃ一番の報酬だぜ」
 ネルサイアはジョアンヌが気に入ったらしい。ルスランはジョアンヌの不安を取り除いてやることにした。
「この人、女癖は悪いけどその気のない相手に手を出すことはないから安心していいよ」
 反応に困るジョアンヌ。
「こいつを広場に運べばいいんだな。任せておけ」
 ジョアンヌを見た兵士たちはやる気を出したようだ。一方ネルサイアは。
「運ぶのは大丈夫そうだね。こっちで何か手伝えることはないかな、お嬢さん」
 こちらもやる気は出たようだ。
「いいんですか?それなら是非お願いしたいことが」
「これも市民の為さ。何なりとどうぞ」
 何人か、厨房の奥に連れて行かれた。もう少し早く彼らと出会えれば料理運びも手分けできただろう。

 ルスランは料理を運ぶ兵士たちについて行き、仕事を教える。とはいえ、運ぶだけだ。教えるほどのこともない。
 店に戻ると、ネルサイアたちが店先で寸胴を洗っていた。
 空になった寸胴は、ご丁寧にオークがきれいにしてくれている。とはいえ、その舌できれいに嘗めとっているので、かえって汚く感じる。ジョアンヌにはそれを洗うのはちょっとためらいがあったのだ。
 他に、買い出しに行っている連中もいるようだ。広場の雰囲気だと、オークたちはまだまだ食べそうだった。
「本当、よく食うよなぁ。ところで、こんなに料理つくって、ちゃんと金もらえるのか?」
 厨房から店先に寸胴を運ぶのを手伝いながら、ルスランはジョアンヌに話しかけた。
「もうね、前金でもらってるそうなのよ。その金額の範囲内で作ってくれって言う話だけど、とんでもない大金積まれたらしいわ。とりあえず、一晩作り続ければこのくらいって額だけ受け取ったみたいだけど……。それ全部料理にしたら……死ぬわよね」
 オークは安月給でこき使われているが、その安月給の使い道が飲み食いしかない。かろうじて衣服にも金は使うが、おしゃれに気を使うほどではない。食べ物も質より量だ。食費も量の割に掛からない。
 オークは料理のセンスが乏しい。彼らがまじめに料理するよりは、残飯をかき集めた方が効率がいい有様だ。そのため家事などと言う概念も捨てられており、男も女も働きにでる。働き手の頭数相応に稼ぎは増えるが、支出は大したことない。金は貯まる一方で、時折こうして祭りで派手に使うらしい。
「さすがにここまでの規模の祭りは初めてだって。こんな祭り、度々やられたら死ぬわ」
 ジョアンヌはこの祭りに関しては死にそうやら死ぬやらばかり言っている。よほど過酷なようだ。
 できたての料理の寸胴を店の入り口に置いておく。あとはそのうち戻ってくる兵士たちが勝手にやってくれるだろう。
「運ぶのはさ。他の人がやってくれるんでしょ。厨房のほう手伝ってよ」
「俺に料理しろってのか」
「なによ、できないみたいな口振りしちゃってさ。大丈夫よ、仕事の中身は基本力仕事だから。ほらほらこっち来て」
 厨房に引きずり込まれるルスラン。
 厨房には蠢く影があった。オークをこぢんまりとさせたような丸っこいシルエット。その手には蛮刀のような大きい包丁が握られている。なにやら恐ろしげな後ろ姿だが、この店の女将のようだ。思えば、今まで店を手伝ってきたが、その姿を見るのは初めてだ。
 オークか人か迷わせる女将がこちらを振り返る。その顔立ちは男か女か迷わせる厳ついものだった。
「手伝ってくれてるジョアンヌの友達だね。今日は助かったよ」
 声は以外と甲高く可愛らしい声だった。
「ディアナさんが材料を切るから、それを鍋に入れて。あと、野菜を洗うのもお願い」
 言っているそばから女将が包丁を振り降ろした。骨付きの大きな肉塊が嫌な音を立てて分断された。皮をはずしただけでほぼ獣の形そのものの肉塊だ。こんな地獄絵図のような光景が連日繰り広げられる厨房にいながら、オーガの生首ごときで泣くほど大騒ぎする理由がわからない。
 ジョアンヌが仕事の説明をする。俎の上で山盛りになっている肉や野菜などの材料を鍋に放り込むだけの簡単だが量が半端ではないので大変そうな仕事と、大きな盥の中に沈められた芋や野菜をごりごりとかき混ぜて泥を落とす簡単だが疲れそうな仕事。確かに体は使うが頭は使わない。
 やってみれば、料理を運ぶよりも大変な仕事だった。それでも、口を動かす余裕はある。ジョアンヌが話しかけてきた。
「連れてきた人って、やっぱり兵士さんなの?」
「ああ。一応上司だ」
 一応ではなく立派に上司だ。
「本当に手伝ってもらっちゃっていいのかな」
 ルスランが材料を放り込んだ鍋の火加減を見ながらジョアンヌが言う。
「いいんだよ。そもそも、例の生首持ってきたのあの人たちだから」
「え」
 ルスランは彼らがオーガを討伐したことを教えた。そのオーガを見つけて報告したのが自分であることは伏せた。ついでに、オークの客にぺらぺら喋ってしまうことも考えられるので、討伐の切っ掛けになったトラブルについても伏せておいた。
「あの女の人は?兵士じゃないでしょ」
「え?女?」
 一瞬考えるが、今ここにいそうな女が一人いる。店を見ると、やはりそこにアミアの姿があった。へべれけなので手伝うでもなく、店のテーブルに突っ伏して眠り始めている。静かで何よりだ。兵士たちと一緒に黙ってついてきて、特に言葉を発しないまま寝始めたらしい。ここについてきたことさえ気付かなかった。
「うちの客人って事になってる。えーと、……なんでいるんだっけ」
 アミアが師事していたアドウェンが亡くなり、その魂と知識がエイダの中にあるので、エイダがそれを引き継ぐというような話を聞いたような気がする。だが、そのエイダもしばらく留守だったし、結局のところ何のためにいたのか分からない。
 丁度よく洗い終わった寸胴を運び込む兵士がいたので、アミアについて聞いてみた。
「おお、まだお前は知らないのか。グライムス殿が俺たちに稽古を付けてくれていてな。アミアさんも一緒に鍛錬しているんだ」
 暇を持てあましているので稽古に付き合ってくれたと言うことか。兵士たちにとってはアミアとエイダは関係ないことになっているようだ。そんなことよりも、ルスランはアミアがさん付けで呼ばれていることに違和感を感じた。一応英雄の娘だから敬意を表しているのかと思ったが、それだけではないらしい。
「さすがというか……強いし、度胸はあるし……。オーガ討伐の時も親子揃って先陣切って突っ込んでいったからな」
 オーガは知能が低いので、飛び道具などには対応できない。オーガ狩りには投石や弓矢のような飛び道具を用いるのが普通だが、図体が大きく体も頑強なオーガを倒すには、相当な数の矢とそれを打ち込むだけの時間が必要だ。弓矢だけでは突進してくるオーガを倒せない。そこで、何人かが直接攻撃を仕掛けて足止めするのだが、二人もその役割を担ったようだ。
 話によれば、アミアは重そうなモーニングスターを軽々と振り回し、弓矢の鏃に塗られた痺れ薬が効き出す前にオーガをすっかり弱らせてしまったという。
「グライムス殿も流石と言ったところだったけど、アミアさんのあの戦いぶりを見てからはネルサイアも一目置いた感じだな」
 それはつまり、女の子として見るのをやめたということか。そしてそれが先ほどの“色気のない祭だ”という発言にも繋がっていくわけだ。兵士は言う。
「かわいい顔だと思って油断してると、首の骨を折られそうだ」
「ちょっと。人を恐怖の怪力女みたいに言わないでよ」
 自分の話をいているのが聞こえたのか、アミアは目を覚ました。酔いはまだ醒めていない。ふらっと立ち上がる。
「あたしの腕、結構細いのよ。ほら」
 アミアはそう言うといきなり服を脱ぎだした。結構細いという腕を見せたいようだが、酔っているだけに大胆だ。とは言え上着の下は気軽に脱げる程度には大胆でもなく、一枚脱いで薄着になった程度だ。それでも、目のやり場には困る。
 ひとまず腕を見ると、確かに筋肉はついているが隆々と言ったほどではない。腹筋も目を引くほどでもなく、まだまだ女性的な色気の方が勝っている。
 気が付けば、目のやり場に困ると思いつつじっくりと見ていた。ちなみに女性としての体つきについては服の上から見たときの“普通”という印象を払拭するものではなかった。
「こら。じろじろ見るんじゃないの」
 ジョアンヌが怒りだした。アミアは話を進める。
「で、どうよ。結構細いでしょ」
 言われてみれば、そんな話をしているところだった。
 散々見ておいてなんだが、比較すべきサンプルとして妥当なものがルスランには思いつかない。見慣れた兵士仲間の腕と比べれば確かに細いが、逞しさを自慢したいならいざ知らず、そもそも男の腕と比べて太さで負けるのは当たり前だ。やはり女性と比べるべきだろうが、アンやエイダも腕が見えるような服は着ていなかったので比較しようがないし、つき合いも長く比べるにも妥当だろうジョアンヌは、気にしていることもあって最近は二の腕を見せないような服しか着ていない。服の下がどうなっているのかはルスランにとっても未知数だった。
 そんなことを考えていると。
「ジョアンヌよりは細いね」
 横で話を聞いていた女将がしれっと話に混ざり、さらっと暴露した。
「うわ。ちょっと、何言ってるんですか!」
 ジョアンヌは真っ赤になった。そうか、これよりは太いのか……。などと心の中で呟きながら、口ではジョアンヌをフォローするルスラン。
「でもさ、アミアちゃんの場合は鍛えてある上に絞り込んでるし。よけいな脂肪がないからますます細いってのはあるぞ」
 ジョアンヌが気にしているのが男勝りの筋肉量ではなく純粋に腕の太さだった場合、今の発言が何のフォローにもなっていないことに気付いた。とりあえず、今の発言でアミアの方は上機嫌になった。
「分かる?筋肉の分どうしても体重増えちゃうからさ。結構気使ってるのよ、これでも」
 これだけ飲んで食ってしておいて、確かにこれでもだ。
「でも、おかげでほらカッチカチよ。触ってみなさい」
 そう言いながらアミアは腕を差し出した。女性の腕を堂々と触れる貴重な機会だ。お言葉に甘えてルスランはおずおずとその腕に触れてみる。筋肉を自慢したいのだとは分かっていても胸がときめいてしまうのは男のさがか。
 触れてみると確かに女性的な柔らかさは微塵もない。
「へえ、これは……ふむ……」
 その芸術的なまでに無駄のない腕に感嘆し、ルスランはいつしか女性の腕だと言うことを忘れて触りまくり揉みまくっていた。自分で触れと言っておきながら、アミアは戸惑い身悶える。最初に我慢できなくなったのはアミアではなかった。
「いつまで触ってんの!」
 ジョアンヌの拳骨がルスランのボディを直撃した。
「痛え!……ああすまん。余りに見事だったんでつい。……でも今の一撃でジョアンヌの腕力がどんなもんか分かった」
「えっ」
「アミアちゃんくらいの腕じゃ、この重さは出せないな。……それにしても本気で殴りやがって……。本気だろ、今の」
 思わず本気を出してしまったことで怖い女だと思われたり、心中についていろいろ詮索されたりはされたくない。だがその一方で、本気じゃなかったとなるとさらなる力を秘めていると言うことになってしまう。どう答えても女の子としてはマイナスになってしまいそうだ。
「も、もちろん本気よ」
 難しい決断だったが、ジョアンヌはこれ以上の怪力だと思われない選択肢を選んだ。
 ジョアンヌにとって幸いなことに、腕力の話はそれで終わりになったようだ。話題の主軸はその決して剛力でもない腕であれほどの強さを見せつけられたのかという点に移る。
「あたしね、こう見えても魔術師なわけよ。武器も魔法で浮かせて軽くして振り回すし、魔法を乗せて威力を増強したりするわけ。このやり方はパパから教わったんだけどさ、、あたしの方が魔力強いし、あたしはこのスタイルでやってるわけ」
 自慢げに語るアミア。かなり地味に魔法が使えることが分かったルスランも、そう言う使い方なら無駄にしかならなそうな自分のしょぼい魔力を活かせるかもと思う。
 話はオーガとの戦いの内容になり、やがてルスランが話を持ってきたこともネルサイアたちにあっさりバラされた。それでも、オークとの関わりが深いこの店でゴブリンがデマを流した理由について話題にすることは避けられたようだ。ルスランとしては自分の話も避けて欲しかったが手遅れだ。案の定、ジョアンヌにはこってりと愚痴られた。
 そんな話をしているうちにオークの食欲も満たされ、店の中では店の従業員と手伝いの兵士による宴会が始まった。ジョアンヌと兵士たちも打ち解け、兵士たちはこの店にたまに来ると言い出す。兵士が数人来たところで、オーク二人よりは楽な相手だ。金払いは人間の方が良いことだし、歓迎すると女将も言う。
 ネルサイアは今回の討伐で昇進してやるぜ、などと息巻いていた。
 だが、そんな宴が終わり翌日。兵舎の前には昇進の辞令が張り出されたものの、そこに記されていた名前はルスランの名だった。