ラブラシス魔界編

12話・失われた伝説

 馬車の前方にゴブリン商店の小さな小屋が見えてきた。そこでリム・ファルデに続く道は分岐する。洞窟方面、そして山道方面。ここはどちらに向かうにしても通らねばならない場所だ。洞窟は長らく封鎖されていたが、こちら側にはドワーフが住み着いていた。それを考えるといい場所に店を構えたものだ。
 そのゴブリン商店の前に目に留まるものが存在していた。一つは先程目にしたゴードンの魔導バイク。そしてもう一つは王国軍の兵士だった。
 兵士はルスランの馬車を見つけると急いで駆け寄って来た。近付くと顔まで判別できる。よく知った顔。班長のネルサイアだ。
「遅え!遅えよルスラン!丸一日待ったぞ!」
「すまねぇっす。途中いろいろあったもんで」
 そもそも、なぜこんなところでルスランの到着を待っていたのか気になるところではある。彼は秘密主義などということは全くない。放っておけば向こうから事情をべらべらと話すに決まっているのだ。とりあえず、喋らせておくことにした。
「俺もよ、仕事サボるいい口実にはなったが、こう長いこと何もないところで待ち惚けはキツかったぜ?いや、ゴブリンの野郎はいたが、あいつらと話してると仕事より疲れるしよ。それに、聞いた話じゃおまえら、アルトールに寄ってきたそうじゃねぇか。そうと分かってりゃ俺もアルトールでバカンス気分でサボれたのによ」
 深刻な事件がいくつも起きたアルトールで、果たしてバカンス気分になれたかどうかはともかく。
「とにかくだ。この先の山道は復旧作業が遅れているうえ、ややこしいことになっていて通れない。馬車はラルカウィを迂回して第二山道まで回らないと通れないだろう」
 ようやくネルサイアがこんなところでルスランを待っていた理由が語られた。これを伝えるのに丸一日待ちぼうけを食らったと言うが、切り出すまでに大分時間をかけたものだ。これでもいつもよりは本題に入るのが早いほうではある。
 第二山道はかなり遠いところにある。そこを通るなら今日中にはリム・ファルデには着きそうにない。そこを見越してネルサイアは提案する。
「ただでさえぐずぐずしてたんだ。報告をこれ以上遅らせる訳にもいかないだろ。お前と一緒にマイデル老師の助手の女の子が乗ってるそうだが、その子を連れて馬で一足先にリム・ファルデに戻ろうと思うんだ」
「なるほど。女の子目当てとは班長らしいですね」
 清々しいほどに露骨だ。そして、報告を遅らせるわけにはいかないと言いながら、立ち話の分報告が遅れることになることに気付いているのだろうか。
「まあ、班長は女好きではあるけどマイデル老師の客人なのを知ってては手を出せないし、悪い人じゃないから安心してついて行くといいよ」
 ルスランは馬車の中で不安そうな顔をして話を聞いていたエイダに言う。言い方のせいもあるが、エイダは更に不安そうな顔になった。
「悪い人じゃないって、いい人でもないみたいな言い方だな」
 ネルサイアにも聞こえていたようだ。聞こえるように言ったから当然か。
「女性関係を見たらいい人とは言い難いっすよ」
「言ってくれるじゃないか」
 ますます不安になるエイダ。もっとも、部下にこんな軽口を叩かれても笑って許してくれるような気さくな人物なのだが、このやりとりだけでそこまで汲み取れるものでもない。
 とにかく、ネルサイアの提案が一番良いのは確かだ。洞窟への道は長年洞窟のドワーフのもとに通う商売人のゴブリンしか使っていなかったため、荒れ放題だ。馬車などとても通れない。エイダは馬車を降りた。
「よろしくお願いします」
 そう言いながら頭を下げたエイダの姿を見てネルサイアが露骨にがっかりした。ネルサイアはマイデル老師の助手と聞いて、少なくとも18歳は超えていると考えていた。正規の公務員として勤めているならそれが当たり前だが、エイダは事情が違う。そもそも、助手のような手伝いはしているが助手という訳でもない。
 とにかく、二十歳以上を期待していたネルサイアにとって、15歳のエイダは完全にお子様だった。
「ちょっと若すぎるけど、たまにはこのくらいの子とも交流して気持ちだけでも若返ってみるのも悪くはないのかな、たぶん……」
 ネルサイアはそう自分に言い聞かせる。そんなネルサイアの反応を見て、エイダはちょっと安心する一方でちょっと腹が立った。
 自分は見ただけでがっかりされるような容姿では断じてないつもりだ。顔立ちの華やかさはアミアに負けるが、それでもそれなりに男の子にちやほやされてきたのだ。
 思えば、ずっと一緒に旅をしてきたルスランからして、エイダに大してまるで気のないそぶりだった。気さくに話しかけてはくるし、遠慮や気後れをしている感じではない。むしろ女性として意識されていない感じだ。
 最初に会ったときは両親を殺されたばかりで気くらいは使っていたのかもしれないし、この道中もずっとアンと一緒だった。アンと一緒だと自分は霞むだろうとは思うが、二人きりになったときくらいもう少し意識されてもいいのではないかと今更ながら思った。都会だと自分はあんな平凡で地味な男にも鼻にかけられないのかと。
 そして、平凡で地味だと思いながらもルスランのことを意識している自分に気付く。やはり、危機から救出してもらったことは印象に大きく影響しているようだ。
 エイダがそんな自分に気付いたところではあるが、そのルスランの興味はすでに余所に向かっていた。
「それよりもさ、店の中に胡散臭い小男いません?」
「ああ、いるぜ。知り合いか?」
 ネルサイアはそう言い、店の方を顎で指す。
「一応」
「ゴブリン並によくしゃべる男で、一緒にいるだけで疲れるからゴブリンに預けて逃げてきたんだ」
 ネルサイアにそう言わせるというのは相当だ。捕まらない方がいいのだろう、そう思ったとき噂のゴードンが店の扉を開けて出てきた。
「おや、あんたらも洞窟を通るのかい」
「俺は違うぞ。山道は通行止めといっても完全に通れない訳じゃない。危険だから民間人は通してないが、軍が使うくらいならどうにかなるくらいには復旧している……はずなんだが、それさえダメになっちまったそうだ」
「ほう。なにがあったって言うんだい」
「……なにがあったって言うんすか」 
 ゴードンに聞かれたルスランはネルサイアに振った。
「聞きてえか。話すから覚悟して聞け。……下らねえぞ」
 ネルサイアがこう言うときは本当に下らない。ルスランは覚悟を決めた。
 ネルサイアはオークたちがストライキを起こしたことを話した。その原因がゴブリンの流したデマであること、ゴブリンがそんなデマを流した理由が理由だけにそれがデマだとオークたちに種明かしできないという事情。
「そんなことが起こってたんですね……。本当に下らないっす」
 覚悟を決めて聞くほどのくだらなさではなかったが、どうでもいい話だった。
「ゴブリンは相変わらずろくなことをしないな」
 そう言いながらも聞いたことはしっかりメモを取るゴードン。記事にでもするつもりだろうか。記事になってそれがオークたちの目に留まったところで、連中は文字が読めないので心配はないが。
「工事が止まっているだけなら、馬車は通れません?」
「それがな、あいつら……洞窟を飛び出して山道に座り込んでてな」
「座り込みって……デモですか」
「いや、酒盛りやったりオーガ退散の祈祷をしたりしてるみたいだ」
「祈祷って……」
 オーガがお祈りで追い払えるような生やさしい相手の訳がない。とにかく、いもしないオーガから逃れるために洞窟から避難したオークたちは山道に陣取っている。それで通れないということだ。
 やけ酒で酔いつぶれて道に転がるオークを退けたり、意味のない祈祷の邪魔をしてオークの逆鱗に触れないように儀式の終わりを待ったりするくらいなら遠回りした方がましだ。
 事情も把握したところで、それぞれのコースでリム・ファルデを目指し出発する。ルスランは馬車でラルカウィを回り込む道を、ほかは洞窟を。
 ルスランの辿る道は五日ほどを費やすが、どうせ長旅の果てだ。もう5日くらい大したことはない。
 早めに城に届けた方が良さそうなアンからの手紙とエイモスの剣をエイダに託し、ルスランの馬車が走り去っていく。
「嬢ちゃん、俺と同じ洞窟の道だろ?一緒に行かないか?」
 ゴードンがエイダに話しかけてきた。
「遠慮しておきますぅ」
 エイダは即答した。こんな軽そうな男の誘いに乗って暗い洞窟にほいほいついていくほど軽い女ではない。
「そう言うなって。見ろよ、俺面白い物持ってんだぜ」
 そう言ってゴードンが取り出したのは細い棒だった。先端に何かついている。
「こいつはゴブリン商店の新商品でさ。魔法の力でこの先っぽの水晶が光るんだ」
 自慢げに語るゴードン。それを遠目に見ていたネルサイアが口を挟む。
「それなら俺も持ってるぜ」
 ネルサイアも同じ物を取り出した。
「ルスランもここで同じ物を買って来ててよ。そのせいで城にゴブリンの行商人が来るようになって……。こいつは洞窟を歩くときに便利だってんで売り込みに来たんだが、洞窟なんか滅多に歩かねえっての。でもよ、薄暗いところで文字を読むのにいいってんで、文官の間で流行ってるぜ」
 今まで接点がなかったので交流がなかったが、文官たちは物好きで金回りがいいのでゴブリンにとっても上客だった。
「そういう使い方もあるのか。宣伝記事に書き添えておくか。……あんたは洞窟の中を歩くために買ったんだよな」
 メモをとりながらゴードンはネルサイアに確認する。
「いんや。洞窟なんざ歩きはしないし夜道を歩くにもカンテラで十分だが……布団の中で女の躯を堪能するのに使えると思ってな。火と違って熱も出ないし、アソコに突っ込んでも問題なしさ」
 問題なしと言うよりは問題外だった。一応エイダに配慮してか声のトーンは落としているが、思いっきり聞こえている。
「そういう使い方もあるのか。……これはさすがに書けないけど。いやー、兵隊なんてお堅い連中ばっかりかと思ったけど、あんたみたいのもいるんだな」
「俺はお堅いぜぇ?主に股間のイチモツがな。……冗談はおいといて、俺は衛兵の中でも問題児だ。俺みたいのは滅多にいやしないから勘違いされちゃ困るぜ」
 一応問題児の自覚はあるようでなによりだ。しかし、エイダとしてはゴードンが変な下心を出したら国民を守るのが役目の兵士であるネルサイアに守ってもらおうと思っていたが、こうなるとネルサイアの方が信用できない。お子さますぎてネルサイアの好みではないのはまさに救いだった。
「それじゃあ、とっとと行こうか。とっととな」
 立ち話を切り上げてネルサイアがゴードンと不安いっぱいのエイダを促す。
 洞窟に入るとゴードンが早速エイダに話しかけてきた。身構えるエイダだが、話の内容は完全に取材だった。先導するネルサイアも黙々と歩いている。ほっとする反面、女としての魅力が足りないのかなぁ、などという思いがまたぶり返してくるエイダだった。

 洞窟に入ってすぐ、ドワーフたちの集落。
 辺りは静まり返っていた。しかし、人の気配がないわけではない。以前通りかかった時とは空気が全然違う。エイダは気味の悪い緊張感を感じ取っていた。
 ドワーフたちがエイダたちを警戒しているわけではないのはすぐに分かった。ドワーフが物陰から話しかけてきたからだ。
「あんたら、オーガに出会わなかったか」
「オーガ?こんなところまで話が伝わってんのか。ありゃあなぁ、ゴブリンが流したインチキだぜ」
 事情が事情なので、ドワーフたちにも本当のことは言えない。そんなネルサイアの言葉にドワーフは言う。
「インチキだって?そんなわけがあるもんかい。俺たちの仲間がその目で見て逃げてきたんだ」
「んあ?」
 話を聞いてみると、この近辺で飢えたオーガが目撃されたとのことだ。飢えていることが分かるのは、肉が固くて毛だらけでおいしくないドワーフまで襲われそうになったという事実が指し示している。
 そのオーガがアルトールを襲うことをエイダは心配する。アドウェンとその娘夫婦を失い、グライムスが町を離れている今、アルトールで戦える人間は多くはない。ここにオーガまで現れたら。
 そして、エイダからもネルサイアからも、ましてゴードンなどからも、ルスランは全く心配などされないのだった。

 その頃。ルスランの馬車は街道を外れた寂れた道に差し掛かった。
 その道に入ったところから、ルスランは不穏な空気を感じ取っていた。何せ、真新しい立て札に『山賊注意』の文字が目立つように書かれている。その看板の文字からして物々しい。山賊はまだこの辺りにいるかもしれない。遭遇したら面倒だ。
 そう思った矢先、岩陰から二つの人影が飛び出してきた。小汚い襤褸に身をくるんだ不細工な巨漢。いかにもオークの山賊と言った風体だった。
 面倒なことになった。オークは頭も悪いし腕も悪いが腕力だけはある。相手にすれば手こずる相手だ。まして複数となるとさらに厄介だ。
 真っ向から相手をしてやる必要はない。一旦退くか、あるいはいっそ馬車で轢くか。こんなのでも、轢けば馬車が汚れ、傷む。引き返して撒くに限るだろう。
 そんなことを考えていると、オークの方から向きを変えて去っていった。馬車を襲うつもりで出てきたわけではなかったようだ。やけに慌てていたが、討伐隊にでも追われているのだろうか。
 何事もなかったようにルスランは再び馬車を走らせ始めた。
 山賊らしい連中はやり過ごしたが、なにか嫌な胸騒ぎが治まらない。それどころか先ほどより酷くなっている。
 その原因が吹き渡る風に僅かに混ざる臭いのせいであること、その臭いが血の臭いであることに気付いた一呼吸後に、その光景が目に飛び込んできた。
 血で染まった、オークよりも大きな人型の生き物。浅黒く毛の少ない肌。オーガだ。ルスランの馬車に気付き、鋭いその目を向け、通り過ぎようとする馬車を目で追っている。
 目が合ったら食われそうな気がしてルスランは目を逸らした。逸らしたところで既に目はばっちりと合っているので今更手遅れだが。
 一応、視界には入れておかないと動きに対処できない。自ずと、オーガの周囲の目につく物に目がいく。見てしまったことを後悔したくなるような代物に満ち溢れていた。
 オーガの足下にはオークが散らばっていた。散らばっているととしか言いようがない。既に食い散らかされている。
 真っ先にはらわたが食われたらしく、胴体は揃ってど真ん中に大穴が開けられている。首ももぎ取られていた。脳味噌も美味いのだろう。もぎ取られた頭はきれいに二つに割られ、顔だけが空を仰いで並んでいる。胴体と頭からして、餌食になったオークは3体。
 今はちょうど腕と脚をもぎ取って食らっているところだ。手足の揃った胴体が一つ、坊主になった胴体が一つ。腕なのか脚なのか、棒状の物が二本ほど飛び出した胴体が一つ。
 凄惨な場面だが、比較的それほどでもないように思えるのは血にまみれていないせいか。まき散らしてしまわず、啜ったりきれいになめとっているのだろう。オーガの浅黒い顔は血塗れだ。
 通り過ぎようとするルスランの馬車を目で追っていたオーガは、手に持っていた腕なのか脚なのか、どちらにせよ人間の脚よりは大きくオーガの腕よりは小さな食べかけのそれに再度かぶりつきはじめた。十分な獲物を手に入れ、そこに面倒な手間をかけてまでデザートを追加するつもりはないらしい。嫌な物は見せられたが、それだけで済みそうだ。
 斯くてルスランの王都への帰還は道のりの始めからろくでもなかったが、それ以外は何事もない旅路となった。

 一方洞窟を通る三人の道のりも、女のようによく喋るゴードンと女らしくよく喋るエイダがのべつ喋り通しただけで、何事もなく王都にたどり着いた。軽薄なゴードンと軽薄なネルサイアも気が合い、気の置けない友のような風情で笑いあっている。この人懐っこさもネルサイアの持ち味であり、市民に愛される所以でもある。あとは女癖の悪ささえどうにかなれば。
 彼らの行き先はいずれも王城。洞窟を出てからも彼らの道中は続く。
 飛び込み取材のゴードンだが、取材できるあてはあるという。こう見えて、王城内に知人がいるそうだ。
 エイダの意識の中にいるアドウェンにとっても、全く知らない人物ではなかった。ゴードン本人のことは知らないが、20年前の戦争に名を残す英雄を祖父に持っていた。
 ゴードンの祖父の名はゴルガ。とはいえ、この名はいくつもある通り名の一つであり、本当の名を知る者はいない。
 ゴルガはかつて近隣の貴族を標的に盗みを働いてきた盗賊団の頭領だった。悪名高い貴族を狙い、盗んだ財宝の一部を貧しい庶民にばらまく義賊であったため、大捕り物の末に捕らえはしたものの、市民の反発を恐れて処刑にもできずにいた。国としても、彼らが悪徳貴族の家捜しの口実を作り何人も失脚させるに至った恩義もあり、処分には困っていた。
 そこに勃発した戦争で、スパイとして登用することを思い立つ。そのまま逃げても構わないし、戦死してもそれはそれ。そのような考えだったのだが、命を救われた恩義に報いようと思ったのか、逃げることもなく功績を挙げ、英雄の一人に数えられるまでになった。戦争後は勝利と自由の美酒に酔い潰れ、そのまま豪快に死んでいったという。
 ゴルガの孫が会いに来たと言えば、そのついでに取材の一つも出来よう。そして、その当ては外れることはなかった。
 しかし、ゴードンはマリーナにすぐに引き合わせてもらうことは出来なかった。マイデルに報告するエイダに付き合わされ、そのままマイデルに捕まってしまったのだ。様々な人にさんざん聞かされた祖父の英雄譚をまたぞろ聞かされ、マイデルの気迫と言ってもいい威圧感に気圧されてそれを止めて切り上げることも出来ず、あげくエイダは渡さなくてはならない物があるからと一人でマリーナの元に行ってしまった。

 ゴードンという蜥蜴の尻尾のおかげで老人の長話から逃れることが出来たエイダは、一人修道院へ向かう。マリーナに渡すべき物は二つ。アンから預かった手紙と、エイモスから預かった伝説の剣。
「待ってましたよ」
 そういうマリーナに、待っていただろうアンの手紙を渡す。マリーナはにこにこしながら手紙の文字を目で辿っている。そんな機嫌良さげなマリーナにエイダはダメ元で聞いてみる。
「何が書いてあるんです?」
「うふふ、内緒」
 やっぱり駄目だった。何が書いてあるのかは気になるが、アンも国家の未来を左右する密命を帯びていたのだろう。そしてこの感じ……よい方向に転びそうだ。何がかは分からないが。
 手紙を読んでいる間にゴードンがやってきた。マイデル老師もついてきたようだ。長話はもう済んだらしい。
 マリーナは読み終えた手紙をいそいそと仕舞った。そして、マイデルに向けて目で合図を送り、マイデルはそれに頷く。ある程度予測できた結果といったところなのか。エイダには関わりのないことなのだろうが、やはり気にはなる。とにかく、手紙の剣も落着したようだ。それを見計らい、エイダは伝説の剣を差し出す。
「これは何かしら」
「それについてはワタクシの方から説明をば」
 おとなしく黙っているのに疲れたのか、ゴードンがしゃしゃり出てきた。相手がそれなりには偉大な人物なので緊張気味だが、黙っているよりは気が紛れるのだろう。
「申し遅れました、ワタクシラブラシスタイムスのゴードンと申しマス。作家エイモス氏の専属編集者でありまして……」
 慣れない丁寧言葉の方向性が迷走し、段々ただの気障男の喋り方になってきたところでマリーナが割り込む。
「あら、あなたがゴードンちゃん?イオタから話は聞いてるわぁ。大きくなったわねえ」
 今のゴードンにとっては嫌味でしないようなことを言うが、ゴードンとしては初めて会う相手という認識である時点で、マリーナの知るゴードンは彼の記憶にも残らないほど昔の姿なのだろう。いくら何でもその頃よりは大きくなっているのは間違いない。
 出鼻は挫かれたが、ゴードンは経緯を話した。ただでさえゴードンの話は冗長で、それに加えてルスランとエイダが頼まれたことなのでエイダも大まかな経緯は把握している。長話は割愛してエイダの知らないことを中心に話を纏めるとこうだ。
 戦争が終わってまもなく、ウルス・リルケ公爵の魂の宿ったこの剣はその菩提の眠る陵墓に納められた。
 そこら辺の農民の子風情を救世主に仕立てあげるほどの力を持った剣だけに、悪用されてはかなわない。他国の者も多く出入りする公爵公邸よりも、訪れる人の限られる墓の方が安全だ。警備もおり、奥には墓暴きを撃退する罠や何人をも寄せ付けない結界も張られている。
 現にこうして剣自体は賊などに持ち出される事なく無事だったが、剣の持つ力は失われ、刀身は朽ちてしまっている。
 その原因は何なのか、そしてかつての力を蘇らせることは出来るのか。それを同じ神話の力の持ち主であるウンディーネに問おうと言うことだ。
「わかりました。それでは早速ウンディーネ召還の儀式を行います」
 マリーナは聖水を辺りに振りまくと呪文を唱える。
「ちょっといい、ウンディーネ。出てきてくれるかしら?」
 呪文というわけではなかったようだ。呼びかけに応えるように聖水から光り輝く靄が立ちこめ、それが凝り固まって人の形を取った。ぼやけたその姿が次第に鮮明な女性の姿になる。
 ウンディーネは悲しげな顔で言う。
『ここはシルフの為の教会だから仕方ないけど、この風通しの良さはどうにかならないのかしら。乾燥しちゃってなかなか出てこられないわ。礼拝堂に噴水とか滝とか作って欲しいのだけれど』
「それは駄目です、この辺りはただでさえ湿気が多いんですもの。木で出来てるところも多いし……茸が生えちゃう」
 ウンディーネは伏し目がちに言う。
『……私は好きよ……きのこ。かわいいじゃない』
 さっきから一体何の話をしているのだろうか。一連の流れで、ウンディーネという精霊の持つ神秘性が欠片も残さず吹っ飛んだ気がする。一応、その姿は辛うじて神秘的か。だが、中身は普通の女性のように思える。そんな頼りになるのか分からないウンディーネだが。彼女はエイダの手にする剣に目を向けて言う。
『話は聞かせてもらっているので事情は分かってます。その剣ですが……。結論から言わせてもらうと、もう二度と元には戻らないでしょう。……諦めてください』
 頼りにはならなかった。せめてとエイダは問う。
「なんでこうなったのか、分かりますか?」
 ウンディーネは頷いた。
『ええ。その剣は元々リルケ公爵が携行していた剣。名剣ではありますが、普通の剣なのです。それが神秘的な力を持った理由は、その刀身にリルケ公爵の魂を宿したからに他なりません。リルケ公爵の魂は私たちの父、マルスその人。彼は父の生まれ変わりでした』
 戦いの神・マルス。その魂を封じ込めた剣には、まさに神の力があったのだ。
『その剣にマルスの魂を宿すために、私たち精霊の力が働いていました。私たちの力で、剣と魂をつなぎ止めていたのです。サタンとの戦いが終わり、打ち倒したサタンを封じるため、四つに分けたサタンの断片を一つずつ抱え、精霊たちは宝珠の中に封印されました。……その時、剣に魂を繋ぎ止めていた魔法は解かれ、マルスの魂は解き放たれたのです。剣はその時、何の力も宿さないただの剣に戻ったのです』
 ただの剣を、湿った陵墓の中に置いておけば、それは錆びて朽ちても当然だった。
「それで……マルスの魂は今どこにいるのですか?」
 ウンディーネは悲しげな顔をする。
『私たちが宝珠の中で眠っている間に、行方が分からなくなってしまっています。おそらく、摂理に従い転生しているのでしょう』
 生き物は魂を宿している。肉体は魂を宿すための器。そして、魂の自由を奪うための枷だとされている。偉大な神の魂も転生し、無力で何も知らない肉体に縛られて生きていくのだ。
『20年前、私たちはリルケ公爵の魂こそマルスであることを突き止め、彼の力を引き出しました。転生しているのならば、同じように探し出さねばなりません。しかし、20年前も偶然に助けられて見つけだすことが出来たのです。再び見つけだすのは難しいでしょう』
 そこにマリーナが口を挟む。
「ウンディーネはね、悲観的で湿っぽいの。彼女の言葉を真に受けて落ち込むことはないわよ」
『そんなぁ。ひどいです』
 ウンディーネは目を潤ませた。やはり、何とも頼りない。
 とにかく、この剣はもうどうしようもないと言うことは間違いなさそうだ。この事はゴードンがエイモスに伝えてくれるという。あとは、エイダにも一つウンディーネに聞いておきたいことがある。
 ラブラシスのことだ。得体の知れない存在に告げられた古のラブラシスを探せとの言葉。神話の時代に存在したという古代都市・ラブラシス。その話は神話にも登場する存在であるウンディーネに聞けば確実だ。
『古代……ですか。……はぁ』
 憂鬱そうなウンディーネ。マリーナが声をかける。
「どうしたです?」
『いつの間にか、私たちの生きていた時代も古代と呼ばれるようになったのですね……。何千年も前ですもの、その通りなのだけど……はぁ』
「ごごごごめんなさいっ」
 エイダは慌てて謝った。
『いいです、気にしてはいません』
 全然そうは見えないウンディーネは言葉を続ける。
『かつてのラブラシスは、現在迷いの森と呼ばれている領域の奥にあるはずです。しかし……。あまりにも昔のことで私たちの記憶も曖昧になってしまっているのです。あそこには精霊さえも近付くことができません。だから、どうなっているのか知らないのです』
「迷いの森……ですか」
 エルフの住まう森の更に奥。迷いの森と呼ばれ、森を知り尽くしたエルフでさえ、いやエルフだからこそ近付かない。そこに迷い込めば誰一人生きては帰らないという、魔の森だ。実際、エルフの魔力の源であるマナの水がそこかしこで湧きだしている。エルフたちを育てているものよりも濃いマナの水を吸い続けた木々は妖樹となり果て人を惑わし、更に厄介な物も住み着いている。。
「精霊の力をもってしても、行くことは出来ないの?」
 ウンディーネはマリーナの問いかけに頷く。
『はい。かつて何度もラブラシスを探そうと試みたのですが、一度も。……でも、それも何千年も前の話ですから、状況は変わっているかもしれません。ただし』
「ただし……何かしら」
『なにぶん何千年も前のことですし、森の中ですし……。もう町の痕跡らしいものはほとんど残ってないでしょうね。朽ち果てた建物が、岩と見分けが付かない有様で苔に覆われ、木の根や落ち葉の朽ちた土に埋もれ……。その場所にたどり着いても果たしてそこがそうだと気付くかどうか……そもそもその間、私たちにもいろいろありましたし、森も生き物ですので……。今となっては私たちでも正確な位置はわかりませんし』
 精霊さえ近付けない広大な迷いの森で原形さえも留めていない町を探すのは、崖の上から下の磯に落とした針を探すくらい絶望的に思える。言っているのがウンディーネなので最大限に悲観的に見てのことだとは言え、もう少しくらい楽観視したところで望みは薄そうだ。
 諦めるしかなさそうだが、このまま諦めてしまうのも気持ちが悪い。エイダの肉体を乗っ取った謎の存在に直接聞き出すことは出来ないのだろうか。
 結局、成果らしい成果は得られないまま、エイダは修道院をあとにすることになった。この状況が動き出すまでに、そこから更に数ヶ月を要することになる。
 そしてその頃までには、様々な出来事に翻弄され続け、こんな出来事があったことさえも忘れかけてしまうのだった。