ラブラシス魔界編

11話・伝説の勇者

 公爵の最初の役目は二人と面談し、勇者エイモスへの使者に同行するように仕向けること。公爵の半ば命令のような勧めをさすがに断ることはできない。思惑どおり、エイモスの館へ向かうこととなった。
 エイモスの館は町外れの集落にある。エイモスの生家ではあるが、今は大幅に改築されており、場所だけは同じだが今はなかなかの豪邸になっている。もともとはただの農家だったが、やはり勇者ともなるといろいろと儲かる訳だ。
 さらに、元々郊外の農村地帯だったその邸宅の周囲は、伝説の勇者を慕い自分も斯くあらんと憧れる猛者たちが集い、集落を造っていた。人々はその場所を“勇者の街”と呼んでいる。
 この辺りに来ると、行き交う人の雰囲気もかなり変わってくる。男も女も逞しい体つきだ。立ち並ぶ店も武具やトレーニング用品を扱う店が多く、中には武芸の道場らしい物も見られる。
 とても目立つ大きな建物の傍らにエイモスの館はあった。隣の大きな建物は、コロシアムだろうか。
 伝説の勇者の邸宅の門が叩かれた。中から慌ただしい足音がし、扉が開かれた。一人の男性の姿がそこにあった。しがない農民の子でありながら、先の戦争でまさに鬼神のごとき活躍を見せ、無数の武勲を上げたうえ、その剣でサタンの精神を四つの断片に斬り分けた伝説の勇者、エイモスその人である。
 そんな伝説的な人物とは微塵も感じさせない、小太りの中年男の姿がそこにあった。
「おや。……何か用かね」
 三人の来客の出で立ちを見、エイモスはそう言った。別な客人を待っていたようだ。
 衛兵は用件を簡単に伝える。エイモスは少し考えたあと、三人を家の中に通した。
 小綺麗な応接間に案内された。そこには気の強そうなおばさんがいた。エイモスの妻、イオタである。エイダとともにいるアドウェンの記憶には、ともに戦った若かりし日の二人の姿が思い起こされる。田舎臭さはあるが純粋そうな好青年と、異国風の趣のある、そこそこに可愛らしい少女。時の流れとは、斯くも残酷なものであろうか。
 衛兵は二人に事情を話し始めた。話を半ばまで聞いたところでエイモスは言う。
「この話はどちらかというと、俺より君が聞いた方がいいよな。話を聞いておいてくれないか。俺は原稿を仕上げることにするよ。悪いね、今日が締め切りでね」
「そうね。とっとと仕上げちゃいなさい。聞いといてあげるから」
 エイモスはいそいそと部屋を出て行った。ルスランは事情が掴めないが、エイダは分かる。エイモスは今、売れっ子のノンフィクション作家なのだ。20年前の戦争の手記を勇者エイモス名義で刊行した本がベストセラーになったことから始まり、今は社会問題や事件などのドキュメンタリーを新聞に連載しているのだ。この御殿もそうして稼いだ金で建てた物だった。
「ごめんなさいね。ぎりぎりなのよ。前回原稿落としてるから、さすがに連続ではねぇ。で、続きを伺おうかしらね」
 口元を押さえつつ手をひらひらさせながらイオタが言う。ただのおばさんだ。マリーナ様と同等の巫女という凄い人とは思えない。尤も、それは旦那の方こそ顕著だが。
 衛兵は続きを話した。宝珠が狙われ、さらに英雄狩りと称して英雄たちの命を狙う者が現れたこと。
 また話は途中で止まる。話の途中で来客があったのだ。先程エイモスが待っていた人物だろう。小柄で若い男だった。
「ごめんなさいね。でも、もうちょっとで終わるみたいだから、書斎の方に行ってみて」
 どうやら原稿を取りに来た編集者らしい。軽薄そうな男だ。男は書斎に向かっていった。
 話が終わる頃、エイモスとその編集者が書斎から出てきた。イオタは衛兵に聞く。
「今の話、記者さんに話しても大丈夫かしらね」
「ええ。公爵は公表するつもりであらせられます」
 イオタは今聞いた話を掻い摘んでエイモスと編集者、どうやら記者も兼ねているらしいその男に話した。二人は驚きと英雄の死に対する悲しみ、そして何かに対する期待に目を輝かす複雑な表情をする。
「旦那、スクープの臭いがしますね。ヒットの予感がしますぜ」
「こら。犠牲者のご家族がいらっしゃるのだぞ。そう言う話は後だ」
 エイダの中でアドウェンが、犠牲者本人もおるわいと呟いた。
「宝珠のことは国の方に任せるよ。我々に出来ることはそう多くはないしね。ただ、英雄狩りというのが怖いね。詳しく話を聞かせてもらえないかな」
 エイモスは言った。衛兵の聞き及んでいることは、この件に関しては多くはない。その男と直接戦っているルスランの出番だ。ルスランはその黒一色の人物の話を伝えた。
「やはりそうか……。あいつが帰ってきたんだな」
 エイモスは目を伏せ呟く。
「知っているんですか!?」
 エイダが身を乗り出した。
「ああ。ちょうど近くにその被害者が住んでいてね。無月流の道場を訪ね『無月闇霧』について聞いてみるといい」
「ムゲツ、アンム……」
 エイダはその名を心に刻みつける。
「しかし、面倒なことになりそうだね。……そうだ。あの剣が必要になるかも知れないな。もちろん知っているだろう、私が勇者たる証であるあの恐るべき剣を」
 衛兵は頷く。エイダも頷いた。ルスランは首を横に振った。
「君。もしかして私の戦記を読んでないのかね。せめて戦記を読んでから来て欲しいものだね」
 そう言い、エイモスは書斎から本を一冊持ってきた。
「特別割引で8スラにしてやろう。支払いは即金で」
 ルスランは本を売りつけられた。断り切れない。しかし、思えばこの本には亡き両親の戦いについて綴られているはずだ。読んでおいて損はないだろう。そもそも、ルスランがこの本を持っていないのは刊行前に両親が死んでしまったため。ちょうど両親を亡くしたルスランに対し、売りつけるのが憚られたので売りつけられなかったのだ。生きている英雄には例外なく売りつけられており、もちろんエイダの家にもあった。
「それにも書かれているが、勇者などともてはやされている私そのものには大した力はない。私はただ、精霊たちに託された剣の赴くままに戦っていたんだ。まあ、カッコ悪い言い方になるが、剣の操り人形に過ぎなかったんだよ。凄かったのはあの剣だ。あの剣を持っていれば、自分の体がまるで自分じゃないように動き、自分じゃ思いつきもしない采配が思い浮かぶ。あの剣には名将であり、闘神マルスの生まれ変わりであった初代ラブラシス公国元首ウルス・リルケ大公の魂が封じ込められていたのだ」
 ウルス・リルケ。今の公爵の父でありリヒアルトの祖父に当たるその人物は、目の前にいるエイモスと同じく稀代の英雄として称えられてはいるが、エイモスなど比べ物にならないほどの人物であった。
 若かりし日より戦いの技術に秀で、采配を取らせても的確な指示を出す名将中の名将であった。その頃はまだラブラシス公国は存在せず、ブリュストランド王国の領土の一角でしかなかった。ウルスは若かりし時に打ち立てた数々の武勲、それで築き上げた地位と資産でその土地を手に入れ、ラブラシス公国を立ち上げた。彼には、そうしなければならなかった理由があったのだ。
 精霊たちにより、ウルスの肉体には精霊たちの父であり、精霊母神マリアの夫であった闘神マルスの魂が宿っていることが見出されていたのだ。その無数の武勲も、魂の持つ闘神としての力の成せる業だった。
 マルスにとって、在りし日をマリアとともに暮らしたラブラシスは特別な場所だ。
 だが、ウルスはある日、広大な迷いの森を歩いていた時に何者かに暗殺されてしまう。なぜそんなところを歩いていたのか。何者がウルスを襲ったのか。それは誰も知らない。人間たちに限っては。
 精霊たちのみ、その答えを知っている。だが、彼らは多くを語ることはなかった。
 とにかく、ウルスは森で息絶えた。その際、最後の力で手に持っていた剣に自らの魂を封じた。そして、伝説の主役はウルスからエイモスに引き継がれる。
 エイモスはその近くに住んでいた農家の息子だった。友人たちとともに森の中に狩りに来ていたエイモスは森の中で迷い、歩き続けて行き着いた先には朽ちかけた骸があった。森の中で落命していたウルスだった。
 その傍らには不思議な輝きを放つ剣が突き刺さっていた。湿った森の中で風雨に晒されたはずなのに錆びた様子さえないその剣を吸い寄せられるように手に取った時、エイモスの中にウルスの遺志が流れ込んできた。
 そのウルスに呼びかけられるまま、ラブラシス軍を助け、やがては率いるようになり、帝国を打ち倒して戦争を終結させたのだ。
「戦いの後、私は剣をウルス公の陵墓に収めた。盗掘されていないのならまだあるはずだ。……しかし、使う人がいないかもしれないな。……俺は歳だし、最近は運動不足だし、勘弁させてもらうよ」
 伝説の勇者は、再び訪れようという世界の危機を捨て置くつもりのようだ。言い換えれば、若い世代に託すつもりらしい。
「ゴードン。やってみるかね」
「冗談は言っちゃいけませんて。無茶な」
 編集者に振るエイモス。もはや無茶苦茶だ。そんな無茶苦茶な勇者をよそに、その妻イオタは言う。
「とにかく、宝珠は守ってくれるんでしょ。あたしゃもう宝珠の守り手でも何でもないし、英雄狩りとか言う物騒な連中だけどうにかしてくれればそれでいいよ」
 イオタもやる気はないようだ。
 結局わざわざ足を運んでおきながら、ここで得られた収穫らしい物は、アドウェンたちを襲った魔族の手掛かりになるかもしれない名前だけだった。

 ルスランとエイダは、エイモスに言われた通りに、無月流の道場とやらで無月闇霧に尋ねてみることにした。
 それはコロシアムを囲む通り沿いにある。二人が道場で話を聞いている間に、公爵の使者は今の話を公爵に伝えると言い残し、馬車を公邸に向けて走らせていった。
 道場は、ラブラシスの雰囲気とは異なる無骨な建物が立ち並ぶこの区画においても、一際異質な建物だった。瓦屋根に土壁。この辺りでは見かけない建築様式だ。
 大きな木の門をくぐる。中では武芸者の掛け声がいくつも響いている。
 若い武芸者相手に指導する、大きな人影があった。二人はその姿に息を呑む。それは、黒い人影だった。
 漆黒の衣に黒い肌。それは、アドウェンを襲ったあの魔族を思わせた。だが、よく見ればその肌の色は闇のような漆黒ではなく、赤みを帯びた深い褐色。遙かヴィストの麓の森に住まうとされる、炎と魂の民と呼ばれる民族だ。
 黒い戦士は尋ねて来た二人に気付き近寄って来た。グライムスも大きかったが、この男も見上げるような大男だ。
「今は新しい入門者は採っていないんだ。悪いな」
 男は分厚い唇に笑みを浮かべながら言う。白い歯と目だけがやけに目立っている。
「無月闇霧と言う人物について尋ねたいのだが」
 ルスランがその名前を出すと男の顔から笑みが消えた。
「話すことはない、立ち去れ」
「待て、勇者エイモス殿からここで聞けと言われたんだ。放置すれば犠牲者が増えるかもしれない、情報が必要なんだ」
 扉を閉めようとしていた男の動きが止まった。
「奴がまた何かをしでかしたのか……?……話を聞こう」
 ルスランたちは道場奥の座敷に通された。
「私は師範代の無月豪輝、またの名をブリリアント・サベージ(輝ける凶暴)。どちらも通り名だがな。故あって師範は居られない」
「ゴウキ……ブリリアント・サベージ……」
 ブリリアントは黒光りするその肉体からつけられたのか、それとも白く輝く眼や歯からつけられたのか。言われてみればブリリアントな感じの男である。どちらにせよ異国風で言いにくい名前だ。ゴウキの方が短いだけましか。
「闇霧は無月の名が示す通り無月流剣法の使い手だ。修行によりある程度の実力を身につけた者のみ、その名に無月を掲げることを許される。奴はかなりの使い手であった。それこそ、師に迫るほどの……な」
 ゴウキはそこで言葉を切る。
「今、この道場に師範がいないのは、奴に師範であった無月柳雲が殺されてしまったためだ」
 闇霧はこの道場での修行でめきめきと力をつけていった。魔族ゆえの人を超えた力もあってのことだろう。
 そしてその実力も師範柳雲を凌ごうとしていたその日、闇霧は唐突に柳雲に斬りかかった。
「奴は言っていた。これは復讐なのだと。柳雲には覚えはなかったが、かつての戦で多くの命を奪った身。その時に命を奪った者の仇討ちだったのかも知れない、奴の心に蟠る、夜の闇よりも深い闇に気付けなかったことは不覚だと申しておられた。柳雲はそのような自分が人に剣の心を教えようなどとは烏滸がましい、そのような器ではなったのかもしれないとも申された。私はその柳雲にさえ遠く及ばぬ存在。故に師範を名乗らぬのだ」
 いろいろと複雑な事情があるということは伺い知れた。ルスランは一つ気になったことを尋ねてみる。
「なぜ、柳雲殿は魔族を弟子に採ったのだろうか」
「柳雲の郷里、東国のアズマでは“あやかし”と呼ばれる物の怪を隣人としている。彼らと共に過ごす日常があるため、魔族を弟子とすることに躊躇いがないのだ」
 と言うことは、そのあやかしと呼ばれる連中は魔族に近い存在ということだろう。
「闇霧について、何か知っていることがあればお教え願いたい」
「生憎、闇霧は自分のことを語らぬ男だったゆえ、奴については何も知らぬ。察しがついているかも知れぬが、我々の名は本当の名ではない。よって闇霧も本当の名を持つはずだ。だが、その名を知っていたのは柳雲のみ。もはや手掛かりはない。ただ、奴を捜すのであれば、闇霧という名に捕らわれない方がいいだろう。……それと。闇霧は柳雲を殺めた際に言っていた。これは英雄狩りなのだと。奴の目的が英雄狩りなのであれば、英雄の居る場所で待てば現れるだろう」
 ここで聞ける話はこのくらいかもしれない。
「済まないが、闇霧の話を門下生にはしないで戴きたい。心を乱すことに繋がるゆえ……」
 ゴウキは頭を下げた。
 部屋を出たルスランは、外の廊下を小走りに遠ざかる小さな足音を聞いたような気がした。

 エイモスの屋敷に戻るころ、、遠くに見覚えのある馬車が走るのが見えた。馬車はこちらに向かってくる。やはりここに来るときに乗ってきた、公邸の使者の馬車だ。
 馬車から降りた衛兵は一振りの剣を携えていた。美しい装飾がなされた剣だ。もしかすると、この剣がエイモスを勇者に仕立てたと言う、伝説の剣なのだろうか。
 衛兵は館に入っていく。
「エイモス殿。例の剣をお持ちしたのですが……」
 聞こえてきた衛兵の話をまとめるとこんな感じだ。
 フォーデラストからの話が伝わった時、公爵もその剣が必要になるかもしれないと予見し、陵墓に取りに行かせていた。だが、その剣の様子がおかしいと言う。
 かつてのような輝きも失われ、剣から放たれていた心を震わせるような闘気も感じられない。
 そこで、二人に見てもらうようにと言われたそうだ。
 エイモスとイオタは剣を見ながら言う。
「確かにこれはただの剣だなぁ。柄や鞘の見事な飾りはまさにあの剣のようではあるけど……」
「偽物にすり替えられたのかしらね」
「剣を取りに行った司祭の話では、陵墓に張られた結界に破られた様子はないとのことです。もちろん、何者かが踏み込んだ形跡も見あたりませんでした」
 使者の言葉に二人は首を捻る。
「うーん。どうしたんだろうね」
 エイモスは困ってしまった。
「ねえ。そこのフォーデラストの使者さん」
 イオタに呼ばれ、ルスランは返事をする。
「確か、マリーナの持っていた宝珠の封印が破られてウンディーネが現れたのよね」
「その通りですが」
「それならこの剣を持って行って、ウンディーネにどういうことなのか聞いてもらえないかしら。あたしらじゃお手上げよ。現役退いて長いんだから」
 何の現役なのかはよく分からないが、そのくらいの頼まれごとならどうにかなる。ルスランはイオタから伝説の剣……かも知れないし、偽物かもしれない剣を受け取った。

 ルスランとエイダは馬車に乗り、公邸に戻った。
 公邸の門前にはルスランの乗ってきた馬車が待っていた。そして、馬車のそばにいた衛兵から手紙を渡される。
「使者殿。公爵からフォーデラスト王への親書です。また、貴殿の連れて参られた客人の……その……アン様から手紙を預かっております」
 アンからの手紙はマリーナ宛の物と、ルスラン、エイダそれぞれに宛てたものがあった。マリーナ宛の物はやけにしっかりと封がされている。よほど見られては困るのか。
 とにかく、二人は追い払われるように公邸前を、そしてラブラシスを去ることになった。
 エイダは一つ心残りがあったが、それはアンからの手紙で晴れることとなった。
 エイダの心残り。それは、自らの体に降りた何者かによるメッセージのことだった。
 ここではないラブラシスとはいったい何のことなのか。その答えはアンが伝を頼って識者から聞き出し、手紙に綴っていた。
 ラブラシス公国はウルス・リルケ大公により30年ほど前に建国された新しい国家だが、このラブラシスと言う町は古より存在する。
 この町の始まりは幾千年も遡るとされ、既に伝承・伝説と言ってもいい不確かな話になっている。その伝承によると、この町は再建されたものであるようだ。
 神話では精霊母神マリアと子供である精霊たちが破壊神と壮絶な戦いを繰り広げ、破壊神を封印して世界を救ったということになっている。その時、その戦いの舞台となったラブラシスは滅亡してしまった。今あるラブラシスの町は後世になって今の場所に新たに造られた町。
 エイダが目指すべきラブラシスが再建されたラブラシスであるこの町ではないというのなら、この場所ではない別な場所にあった滅亡したラブラシスと考えれば辻褄は合う。
 そして、その可能性のある場所もまた、神話の中に記されていた。それはラブラシス公国の国土の大半を覆う迷いの森。
 だが、ここから先は手掛かりがない。公国の学者たちも調べてくれるとは言うが、期待はすべきでないと語っていたとのことだ。
 しかし、それならば一人、聞けるあてがある。神話の時代から生き続けるもの、いや、生きていると言っていいのかは定かではないが確実に神話のころから存在し続けたもの。精霊、ウンディーネ。彼女に聞けば、答えが得られるはずだ。
 とにかく、今すべきことはウンディーネに会うこと。そのために、フォーデラストに戻らなければならない。

 翌日。スポンサーであるアンがいなくなったため、エイダはかなり泊まる部屋のグレードを下げなければならなかった。とは言え、今までが良すぎただけ。特に支障はない。
 むしろ、問題となったのはあの出来事以来初めての一人で過ごす夜となったことだ。修道院では周りに修道女がいた。この旅でもアンが一緒だった。
 だが、さすがに年頃の男と女がその気もないのに同じ部屋に泊まる気にはなれない。至って自然な流れで別々の部屋、それどころかルスランは安宿に泊まっている。宿さえ違うのだ。
 いざ一人になり、夜が更けてくるにつれ、エイダの不安は膨らんでいく。昨夜あんなことがあったばかりだ。またあの得体の知れない存在に体を乗っ取られはしないか。
 だが、不安をよそに、結局何も起こらないまま朝を迎えた。ただ、エイダが気付いていないだけかもしれない。何にせよ、深く考えないに限る。
 ルスランの馬車が何事もなく迎えに来た。

 馬車は順調にフォーデラストへの道を進んでいく。間もなくアルトール。
 約束どおり馬車はアルトールに立ち寄り、エイダの荷物を積むことになった。荷物と言ってもそれほど多くはない。家具や調度品は今はまだ持って行く必要はない。着るものと、役立ちそうな書物や魔法の品。それだけだ。だが、賢者アドウェンの蔵書の量は馬鹿にできたものではない。選びに選び抜いて持って行くものを決めたが、それでもかなりの量になった。
 馬車が再びリム・ファルデを目指して走り始めたとき、行く手に奇妙なものが見えた。
 それは商店の前に置かれていた。木馬のようにも見えるが、曲線的な奇妙なデザイン。
 ルスランはなんだろうこれ、と思いながら、そのそばを通過して行く。
 その時、商店の扉が開き一人の男が現れた。見覚えのある顔。最近、どこかで見たような顔。
 男も通り掛かった馬車をふと見上げ、ルスランと目が合う。そして、ルスランを指さしながら大声を出した。
 指を指され大声まで出され、ルスランは馬車を止めた。その時、この男が誰だったかを思い出した。勇者エイモスの屋敷で見かけた編集者だ。確か、ゴードンと呼ばれていたか。
「どうしてこんなところに」
 ルスランの言葉に、ゴードンは指を立てチチチと舌を鳴らす。
「ブン屋がどこかに湧いたら、そりゃ取材に決まってるだろ?ビッグニュースを聞き付けたんだ、取材しない訳がねぇ」
 まあ、ごもっともな話だった。
「あんたらはもう知ってるだろうが、随分と大変なことになってるみたいだな。道は塞がる、住人は消える、揚げ句町の名士は殺される……おっとそういやあんたらはその名士の身内だったっけ」
「いや、俺は違うぞ」
 ルスランは訂正する。そんなことより、エイダはまだ知らない事実を耳にしていた。
「住人が消えたって、どういうことですか?詳しく話してください!」
「えっ。知らないのか。でもこれは俺の飯の種だかあなぁ」
 身を乗り出しながら問いかけるエイダ。ゴードンは渋っている。
「ちなみに、この娘さんは君が今し方、軽はずみにその死を論った被害者たちの娘で孫娘だ。知る権利はあると思うぞ」
「うううっ、なんて撥ね除けにくい姑息な紹介の仕方……。よし、俺だって堅気だ。人情くらいあるぜ、話してやらぁ」
 ルスランの揺さぶりにゴードンは渋々と掴みたてのネタを話し始めた。
 話によれば、ガーゴイル襲来の混乱の中、この町の住人が家単位で忽然と消えていたと言う。その人数は百に達する勢いだった。消えた住人の住居には、それほど目だった痕跡はなかったという。中には内側から鍵をかけて閉じ籠もったまま、住人だけが忽然と消えていた家もあった。
 アドウェンたちを襲った一派に強い魔力を持つ魔族の魔導師がいたことを考え、その魔導師の仕業だろうということになっているらしい。確かに、あの魔導師たちは突然現れ、魔法によってルスランたちの目の前から消え去っている。その瞬間移動の魔法を住人たちに対して使ったと考えることが確かに出来る。
 今、消えた住人たちが生きているかどうかは定かではない。ただ、生きているにせよ殺されたにせよ、その肉体の行方が杳として知れないのは事実だ。生きたままどこかへ転送するにせよ、人間であれば大勢の術者が必要になるような大掛かりな魔法だ。魔族やエルフなら単身でも可能かもしれないが、いずれにせよ労力が必要であることに変わりはない。
 命を奪いたいだけならもっと効率の良い方法はいくらでもあるだろう。一体どのような目的で、何をしたのか。必ず理由があるはずなのだ。
「こいつはとんでもねぇミステリーだ。おまけにでかい事件でもある。この事件のことはラブラシスやフォーデラストだけじゃねぇ、世界中の人間が注目するはずだ。この事件には運命を感じる。この事件の真相を掴むのは俺だ。俺がビッグになるためのビッグな事件だ!……おっと、被害者の遺族の前で盛りあがっちまった、すまん」
 盛り上がるだけ盛り上がったところで一気に悄気るゴードン。
 よほどビッグになりたいようだが、言われてみれば背丈は随分とビッグに程遠い。コンプレックスでもあるのだろうか。
 とにかく、ゴードンは封印が解かれた一件についても取材すべくリム・ファルデに向かうつもりらしい。
「リム・ファルデにはどう行くのか分かるか?山道はまだ工事中で通行止めのはずだ」
 ゴードンは再びチチチと舌を鳴らした。
「ブン屋を舐めちゃいけねぇ。洞窟が通れるようになっているらしいじゃないか」
「分かってるならいい」
 ルスランは頷く。
「王国も再利用を目指して洞窟の整備に取り掛かっているらしい。今はただ一つの通り道ということもあって解放されてるって話だ。乗り物は通れそうにないが、遠回りさせられるよりはずっとましさ。こいつはゴブリンに預けておけばいいしな」
 ゴードンは店先の木馬のような物を叩きながら言う。いい機会なので、ルスランは気になっていたことを聞くことにした。
「それはなんだ?乗り物のようだが」
「これか?そうだぜ。こいつは魔導バイクってんだ。ゴブリンに売り付けられたんだが、便利は便利だな。魔法で走り回る馬みたいなもんさ」
「ほう。ゴブリンはいろいろ面白いものを持ってるんだなぁ。魔法で走るなら餌代もかからないし、糞の処理もしなくて済むだろうし、便利だろう」
「いや、それがそうでもないんだな。なにせゴブリンの商売だからさ、動力の源になる魔力がカートリッジから供給されるようになっててさ。それをゴブリンから買わないとならないんだ。そのカートリッジが餌で、使用済みのカートリッジが糞みたいなもんだ」
 ゴブリンの主力商品はこのような魔導機だ。この手の魔導機はほぼ全てにおいて魔力が切れると動かない。以前ルスランが売りつけられた小型松明のような照明器具もそうだった。穂先の水晶に魔力が込められ光るが、魔力が切れれば使えない。ゴブリンはそれを回収して、魔力を入れ直して再び売るのだ。そして、そのような魔力の供給はゴブリン商店にある特殊な装置でしか行えないようになっている。つまり、使い続けるためにはゴブリンに金を払い続けなければならない。何ともこすい商売である。そんなこすい商売を大々的に展開していられるのも、そのやり口に目を瞑り使い続けるだけの価値が彼らの商品にあるためだ。
 そんなテクノロジーの最先端を行くゴブリンの製品が高くて手を出せないなら、しばらく待てばよい。どういう訳か似たようなものが出回り始めるからだ。それを待ち切れない人やゴブリンの口車に乗ったり押し負けた人がゴブリン商品に手を出す。
 ゴードンは新しい物に目がない。ゴブリンにとって最高のカモだ。しかし、ゴードンも好きで金を出しているのだから文句はない。ゴードンはゴードンで、そんな商品の紹介記事を新聞に載せてはゴブリンから金を受け取っている。こすいのはお互い様だった。
 そんなゴードンだからこそ、少し割安でゴブリンの商品が手に入る。取材活動にはそんな魔導機が活用されている。この乗り物を始め、録音機やカメラまである。
 ゴードンはルスランたちの前を去っていった。当然、向かう方角は同じだが、魔導バイクはとても軽快な走りだ。確かに騎馬に匹敵するくらいの速度が出ている。便利そうだが、ルスランたちの手に触れるようになるにはまだ時間が掛かるだろう。軍はコストが下がるまで導入しないだろうし、ルスラン個人にこんな物を買う金はない。
 ここ最近の技術の進歩はめざましいが、当分ルスランには関係のない話となるだろう。ルスランは相変わらずの馬車を走らせた。