ラブラシス魔界編

8話・流血の惨劇

 魔法の監視者を使ったエイダの監視では、盗賊を連れて行ったルスランたちが戻ってくるまで、丸太小屋に動きはなかった。
「危険がないか調べる。二人はここで待っていてくれ」
 ルスランはそう言って丸太小屋の捜索に向かう。本当に中に人がいるのかどうかもまだ分からない。それでも、慎重に扉を開けて踏み込む。
 気配はない。押し殺して身を潜めているのか、それともすでに逃げたのか。大きくはない小屋だが、さらにいくつかの小部屋に分かれているようだ。
 ルスランが扉の一つを開けようとした、その時。
「お待ちください!」
 入り口で待っていたアンがルスランを呼び止めた。
「なに?」
「あのっ。わたくしたちをこのままここにおいて部屋に入るのはどうかと思いますの。一人で部屋に入っている隙に、どこかから盗賊が現れたら……!」
「大丈夫、あたしが何とかするよ」
 エイダはさっきの戦いで自信をつけたようだ。胸を張って言う。アンは困ったような顔をし、少し考えてから言う。
「でも。盗賊がわたくしたちの荷物を漁って中身をそこらへんに置いたりされていると、見られては困るものもありますの。エイダさんも荷物の中にはルスランさんに見られたくないものもございますわよね。下着とか」
 エイダは少し考える。
「そうよ!困るわ!」
 意見が合ったようだ。
 確かにわざわざバラバラになる必要は無い。バラバラになったところを急襲すると言うこともありうる。それに、ルスランとしても見ていないところで荷物を手にすることで、あらぬ疑いをかけられるのはごめんだ。
 三人集まったところで、改めて並んでいるドアの一つを開けた。開けた途端、いやな臭いがむわっと漂ってきた。女性二人は一歩後退した。
 そこは寝室だった。三面の壁に二段ベッドが3つ、六人分の寝床が用意されていた。風呂に入っているのかどうかも分からないむさ苦しい男の体臭六人分と、森の湿度でしっとりとした布団の臭い。安い寝床の方が合うルスランでも、この環境で眠れる自信はない。
 つい今し方、ルスラン一人で部屋に入るのはどうかと述べたアンとそれに同調したエイダは、揃って部屋に入ることを拒否した。ルスラン一人で部屋に入って中を調べるが、これといって目ぼしいものは無かった。
 隣の部屋に入る。こちらの部屋も男臭いが、さっきの部屋よりいくらかましだ。
 この部屋にはやや立派なベッドがあった。薄汚れてはいるが、しっかりとしたマットが乗っている。だが、それよりも目立つのは部屋の至るところに置かれたさまざまな品物だ。衣服が男物女物を問わずにハンガーに掛けられ、近くには鞄なども置かれている。恐らくは旅人から奪ったものだろう。後でまとめて金に換える訳だ。
 部屋の真ん中にはテーブルが置かれ、グラスと酒瓶、そして何やら白い布のようなものが見える。
 それを確認したエイダとアンは、ルスランを扉の前から引き離した。
「さあ、ルスランさん。盗賊が来ないように見張っていてくださいな。エイダさんももう少しお待ちくださいね」
 アンは一人でいそいそと部屋に入り、扉を閉めた。
「えーっ。なんでー」
「中に誰かいたらどうするんだ?」
 エイダの不満はルスランの質問にかき消された。
「何かあったら呼びますわ」
 二人は暫しの間、部屋の外で待たされた。
 ただ待っているのもなんなので、まだ覗いていない部屋を見てみることにした。見られてほしくない下着らしいものは今の部屋にあった。それでも、念のためにエイダがルスランを見張る。妙な構図だ。
 先程ベッドが並んでいた部屋の正面にある扉は、同じような寝室だった。やはりベッドが並び、薄汚れた男の臭いに満たされている。エイダは扉から全速力で離れた。
 ルスランは一応部屋に乗り込み、見回してみる。ここもベッドしか無い。先程の部屋と同じく、3面の壁に2つずつ。先程の立派なベッドと合わせると、13のベッドがある。その全てが埋まっているのかどうかは分からないが、使われていないのが分かるほど綺麗になっていたり、布団も乗っていないようなベッドはない。盗賊は少なくとも10人はいると思って良さそうだ。断言はしない方がいい。全て使っているならベッドの数だけいるのでは、と考えるのが普通だが、この整理整頓と言う考えのなさそうな盗賊たちに常識的な考えを当てはめるべきではないと感じた。
 とにかくこの部屋にも、ベッドと布団と、汚れた皿やグラスなどが片付けられもせずに置かれたテーブル、そして悪臭しかない。
 とっとと退散し、隣の扉を開けようとする。だが、扉は動かない。鍵や閂で閉じられている感じではない。そのような物がありそうな扉ではない。扉の前で頭をひねるルスランに、エイダが近寄ってきた。
「ここ……確か裏口がある部屋ですよね」
「え?そうなの?」
「魔法の監視者が裏手の扉を見つけたんです。重点的に見張らせています。さっきから開けられる様子はありませんけど……」
「ふーん。……怪しすぎるな。よし、裏手に回って裏口から押し入ってやる」
 ルスランはきびすを返した。が。
「あ。待って」
 エイダはそう言うと呪文を唱え始めた。
 唱え終わると、扉に凄まじい衝撃が走った。ドォンという音、それに引き続いて板が折れ曲がり割れるメキメキと言う音。その音と威力にエイダ自身も相当驚いたようだ。圧縮空気を炸裂させる魔法、先程失敗した魔法に似た魔法だ。その魔法を使って、鍵なり閂なりをねじ切って扉をぶち破るつもりで使ったのだ。だが、扉を開かなくしていたのは鍵でも閂でも無かったようだ。
 折れて傾いた扉の上半分を押すと、音を立てながら倒れた。
 扉の向こうには数人の盗賊が立て籠もっていた。盗賊は次々とその壊れた扉から飛び出して襲いかかって来た。
 数は4人。扉の向こうから出て来ようとしない一人を合わせて全部で11人いたということになるだろうか。ベッドの数とも概ね合う。こいつらを片付ければ終わりだろう。
 盗賊たちは剣を掲げてルスランたちに襲いかかってきた。
 二人はルスランに突進してきた。先程相手にした連中同様、勢いだけで剣の腕前はからっきし、闇雲に振り回しているだけで、構えを見ただけで剣の動きが予想できる有り様だ。一人、もう一人とあっさりと片付けていく。
 もう二人はルスランを回り込んでエイダに向かっていた。エイダは逃げながら呪文を唱える。一人、硬直の呪文で動きを止めた。だが、もう一人は目の前にまで迫っている。
 その時、近くの扉が開き、中からアンが現れた。これでも先程の轟音と盗賊たちの怒号に急いで出てきたのだ。アンの手には、部屋から出るのにもたついた理由が握られている。細身の剣だ。盗賊たちが旅人から盗んだものだろう。裕福な人が護身と装飾を兼ねて持っていた物らしく、鞘やつばには美しい装飾がなされている。
 アンは剣を抜き払い、迷いの無い動きで目の前の盗賊の脇腹を突き刺した。刺突に向いた細身の剣は盗賊の体に深々と突き刺さった。
 アンは剣を抜き、再び繰り出す。腰や肩口に次々と剣が突き立ち、盗賊は倒れた。
 アンは辺りを見渡し、一人の盗賊に目を留めた。
「見つけましたわ」
 そう言いながら、剣を振り上げた姿のまま硬直の魔法で固まっている盗賊に近寄る。
「先刻わたくしの体を撫で回したこと、忘れたとは言わせませんわ。わたくし、あなたのその汚らわしい両の腕を切り落とすためにここまで参りましたの。さあ、覚悟なさい!」
 アンは剣を構えた盗賊の腕に、躊躇いなく剣を振り下ろした。間近で見ていたエイダは慌てて目を逸らした。
 アンの振り下ろした剣は正確に盗賊の腕を捉えた。だが、重みの無い細身の剣を女の細腕で振り回しただけでは、傷は骨に達することも無かった。いくらか肉が切り裂かれ、血が噴き出した程度だ。
 アンはさらに一撃を浴びせようとした。ルスランが間に割って入る。
「まあまあ、落ち着いて」
「わたくし落ち着いてますわ」
 どこが、と言いたくなるルスラン。
「邪魔立てするなら、たとえあなたとて容赦致しませんわよ」
 そう言いながら剣をルスランの方に向けるアン。さっき飲み込んだどこが落ち着いているんだという言葉を改めて吐き出したい衝動に駆られる。
「エイダ、アンの動きを止めてくれ」
 エイダは戸惑うが、確かにこのまま放って置く訳にも行くまい。エイダはアンに向き直った。
「……分かりましたわ」
 呪文を唱え始めたエイダを見て、アンは渋々剣を収めた。だが、エイダの詠唱は止まらなかった。
 エイダの呪文詠唱はアンに向けたものでは無かった。かといってルスランに向いている訳でも無い。
 このドタバタに紛れてどこかに逃げようと足音を忍ばせながら壁伝いに歩いていた盗賊最後の一人に向けられていた。硬直の魔法は盗賊の自由を奪った。
 ルスランは盗賊を素早く押さえ込み、後ろ手に縛り上げた。倒れ込んだ盗賊の懐から何枚かのコインが転げ出た。金貨や銀貨だ。
「まあ、そこにありましたのね」
 アンによると、先程の部屋でアンが奪われた革袋を見つけたが、中身は空になっていたそうだ。
 盗賊の、膨らんだ懐を叩くと、ずっしりと貨幣の詰まった手応えだった。こんなみすぼらしい盗賊が日頃からこんな大金を持ち歩いているとは思いにくい。アンから奪った分を含めた有り金を持って逃げようとしていたと見て間違いないだろう。
 探していたアンの所持金も在処が分かったところで、ひとまず盗賊たちを縛り上げる。エイダは縛り終えた負傷した盗賊を癒してやる。特に、アンの容赦ない攻撃に晒された盗賊は、早く癒さないと死んでしまいかねない。
 ルスランがここの頭らしい先程の盗賊の懐の中を改めると、やはり貨幣のぎっしり詰まった布袋があった。汚れきった汚らしい袋だ。
「……増えてますわ。わたくしの持っていたお金はこんなに多くなかったと思います」
 布袋の中を見たアンが言う。
「多いって、どのくらい?」
 ルスランも布袋を覗き込む。金貨が目映く光っている。確かに昨日見たアンの革袋とは感じが全然違う。昨日の革袋の中身が月光の輝きなら、この布袋はさながら星空のようだ。暗い中に疎らに光る黄金の輝き。
「銅貨ばかり、やけに増えてますわ」
 銅貨は価値が低い。多少増えても、金額の増減は大したことは無い。盗賊たちの所持金だろう。
「貰っちゃえよ。賞金稼ぎや自警団は捕まえた盗賊の財産は山分けだぞ」
 詐欺師ならともかく、盗賊には金を貯め込むような輩は滅多にいない。貯め込めるほどの稼ぎはないし、貯め込むだけの稼ぎがあるならそれを元手に詐欺でも始めた方がいい。金持ちを狙った大泥棒ならともかく、いつ通るか分からない上に金を持っているかどうかも判断しかねる旅人相手の追剥など、危険ばかりで割に合う稼業ではないのだ。
 この手の泥棒に盗まれた金品はすぐに使われてしまう。盗られた方も戻ってくる事を期待などしないし、捕まえたときの所持金も大概大した事は無い。だからこそ、殊に金銭に関しては捕まえた人の物になるというのが慣習化している。
 ルスランのような軍人の場合、軍の収入として取り上げられてしまうことも多いが、それは盗賊の討伐任務の時だ。今回のように任務外のときはその限りでも無い。何分、額が小さく雑兵の月の給与にもならない。だからどうでもいいのだ。
 しかし、額は小さいもののアンが全部貰っちゃうには問題があった。
 重さだ。大した価値のない銅貨がこんなに増えても重いだけだ。
 アンは、恐らく自分の物だったろう金貨と銀貨だけ取り、銅貨は二人で山分けしてくださいと言いながら差し出した。ルスランは思わず口元を緩ませる。さらに、エイダも僅かな銅貨を取っただけで残りをルスランに差し出した。
「いいの?」
「ええ。これだけあればいいです。いっぱい持ってると重いですし、この旅の経費に充ててくれればそれでいいです」
 何のことは無い、エイダも重い銅貨を持ち歩きたくなかっただけだった。アンが金貨を財布に入れて持ち歩く層なら、エイダは銀貨を持ち歩く層。ここにいる中で、銅貨で目の色を変えるのはルスラン位だった。
 ずっしりとした銅貨の袋を手に取るルスラン。これで価値としては銀貨2枚分位だろうか。二人が受け取らない訳である。

 アンとエイダの二人は荷物のある部屋に向かう。今度はエイダも入っていいらしい。
「わたくしに見られてまずいものがあるなら外で待ちますわ」
「特に無いし、いいよ。それに、今更でしょ」
「でもわたくし、自分に関係ない物はできるだけ見ないように心掛けておりましたわ」
 そんなことを言い合いながら二人は部屋に入って行った。
 盗賊を縛り終わり、ルスランは手持ち無沙汰になった。
 先程盗賊が隠れていた部屋を見てみる。
 そこは炊事場だった。がさつな男ばかりの共同生活であるためか、悲惨としか言えない有り様だ。おいしそうな臭いなどしない。その代わり、何かの腐ったような臭いがする。よくこんなところで作った飯を食べる気になどなるものだ。
 入り口の扉の前には野菜などが詰まった木箱が置かれていた。鍵も何も無い扉を、この箱を重しにすることで封鎖していたらしい。
 裏口らしい扉もあるが、その前には生ゴミが溢れるほど詰まった大きな缶があり、それをどけないことには出られそうになかった。
 どういう経緯でそんなことになっているのかルスランには及びもつかないが、この裏口から缶を運び出して裏に捨てるつもりでここに置いておき、だれも面倒がって捨てに行かないまま、とうとうこの有り様となったのだ。
 これがあるため、裏口から逃げるに逃げられない。もっとも、監視者の幻影が見張っているので、どちらにしてもここが開いたとしても出るに出られなかっただろう。
 一方、エイダは見事にひっくりかえされた荷物をみてうんざりしていた。アンの革袋のこともあったので、盗賊は現金や金目の物をつぶさに探したのだ。もちろん、服や下着もまだ着古されていない良い品なので、古着屋に売ればそれなりの値段はつくだろう。
 小物や下着はテーブルの上に適当ながらそれなりにより分けられて置かれ、服は部屋の隅にハンガーで掛けられていた。メイソンの形見の弓も壁に立てかけられている。
 下着はアンの物とまぜこぜになっているらしい。アンと二人で自分の下着を取り合う。互いの下着はよく見るまでも無く判別できた。躊躇いも無くスイートに泊まるようなアンの下着は揃いも揃って、いつかエイダが何かの勝負に出るときが来たら着けることもあるのではと言うような、華麗で高そうな物ばかり。
 そんな、下着からも察することができる暮らしの違いに気を取られていたが、エイダはふと気づく。下着がこうしてまだまぜこぜになっていて一緒になってより分けているということは、先程エイダまで締め出してアンが一人で片付けていた物は下着ではない。一体何をしていたのだろう。
 そういえば、部屋の隅のハンガーに掛かっている物はすべてエイダの服だ。一足先に服を仕舞ったのだろうか。
 ま、細かいことはいいや。
 エイダはそのことに対し、それ以上深く気にすることは無かった。
 下着も仕舞い終わり、ルスランも部屋の中に呼ばれた。
 ルスランの荷物も、エイダやアンの鞄と一緒にテーブルの下にあった。やはり中身は入っていない。
 しかし、ルスランの荷物は、馬車での旅になると聞いて数こそ増やしたものの数日分の着替えのみだが、ハンガーに掛かっているのは全てエイダの服だし、テーブルの上の下着はエイダとアンが二人で片付け、何も残っていない。
 では、ルスランの荷物の中身はどこに消えたのか。
 部屋の中をよく調べると、全部まとめてゴミ箱に突っ込まれていた。着古した、買った時点で安物の襤褸など、金に換えることもできぬとまとめて捨てたのだ。
 とにかく、三人とも怪我もなく、荷物も汚らしい男どもの手で荒らされルスランの物に至ってはゴミ箱から見つかったとは言えども一応無事に戻ってきた。もうここには用など無い。後から捕まえた盗賊もセントールたちに渡せば後は先に進むだけだ。
「行きましょうか」
 アンはそう言い歩き始めた。ルスランはそのアンの纏う純白の法衣に、赤い返り血のしみが付いていることに気付く。
「汚れてるよ」
「え。ええ、そうですわね」
「着替えれば?また外で待つよ」
「その……。着替えられるような服がありませんの。汚れてもいい服はこれくらいで……」
「そう?……でも目立つなぁ」
 なにぶん、白地に真紅だ。
「ですわね」
 さすがに、返り血の付いた服でうろつくのはどうかと思う。ラブラシスについたら、まずは着替えを買える店を探した方が良さそうだ。

 数珠繋ぎに縛られた盗賊たちは、おとなしくルスランに引っ張られて行く。本当は抵抗し、逃げ出せるものなら逃げ出したいだろう。しかし、何かすればエイダが魔法でその動きを封じるだろうし、盗賊たちの背に突き付けられたアンの宝剣が、先程腕を切り落とそうとした時のように容赦なく突き立てられるだろう。
 この宝剣は盗賊の頭の物。正確に言えば、どこかの金持ちが持っていた物を奪ったものだ。気に入ったので金に換えず持っていたのだ。まさか、その剣が自分に突きつけられる日が来るとは思わずに。
「あなたがたがお亡くなりになっても心なんて痛みませんのよ。まして、この剣がその醜い肉体を貫いても、この子が魔法で癒してくださるのです。わたくし、この子に無駄な手間をかけるのが心苦しいので手出ししないだけですのよ」
 そんなことを微笑みながら言っている相手に剣を突きつけられていては、生きた心地などしない。
「あのね。相手が即死したりすると治してあげられないんだけど……」
 魔法で癒してくださるこの子、エイダが恐る恐る言った言葉に、それならば一撃で葬ればあなたの手も煩わさずすみますのね、などと返すのだからますますだ。
「そんな華奢な剣じゃ、たとえ心臓を突いても即死とまでは行かないと思うよ……」
 ルスランはアンが剣を刺さないように釘を刺しておいた。今頃は一撃で即死させる方法でも考えているのだろうか。
 育ちのいい、上品なお嬢様だと思っていたが、なかなかに怖いところのあるお嬢様だ。ルスランもアンだけは怒らせてはならないと胸に刻み込む。賢者アドウェンの魂を持つマイデルの使いという逆らえない立場のエイダと言い、肩身の狭くなる相手ばかりだ。ルスランは早くこの任務を終わらせて気楽になりたかった。
 セントールたちに盗賊を引き渡す。心なしか、盗賊たちはほっとしたように思える。アンは剣を収めた。ルスランやエイダもほっとする。
「今日の所は勘弁して差し上げますわ。その代わり、今日一思いに死んだ方がましだったと思うような目に遭わせて差し上げましょう。楽しみにお待ちになる事ね」
 そう言い、馬車に乗り込むアン。この盗賊たちはこのまま近くの町を経てリム・ファルデに連れて行かれ、監獄に叩き込まれるだろう。監獄の警備に、若く美しい女性の面会者は断るように伝えておいた方がいいかも知れない。
 まだ逃げたセントールたちがいる。念のためバルチムンがしばらく同行することになった。馬車は走り出す。その後ろで、盗賊たちを縛ったままその背に乗せたセントールたちも街道を走り始めた。

 森の中の道とはいえ、森の奥深くに入っていくわけではない。森の外に広がる湿原を避けるために、森の端に道が造られているのだ。この新しく造られた街道はより森の縁に近い場所に、なるべく真っ直ぐに作られている。
 森の奥に入るとそこはすでにラブラシス領土だ。ラブラシスの国土の8割以上は、この迷いの森とも呼ばれる深い森に覆われている。迷いの森と呼ばれる理由は、曲がりくねった旧道が深い森の中で方向感覚を狂わせること、そしてそれ以上に、人間の立ち入らぬこの森のさらに奥に踏み込めば、もう森から出ることは出来ないためだ。森の深さのためだけではない。この森は奥に行けば行くほど、マナを濃く含んだ水を長く吸い上げて育ってきた妖樹が増えてくる。その魔力が人を迷わせるという。
 だが、こんな森にも住み着いている者たちがいる。この森は、神話の時代からエルフたちの住処となっているのだ。
 この森の一番奥には、マナの海から溢れた水が湖を作っている。その水は川となり、森一帯に広がって妖樹を育てているが、同時にエルフたちの命の源にもなっているのだ。
 エルフたちも、神話の時代よりもさらに昔は人間だった。彼らが森に住み着き、マナの力で魔力を得、その姿を変化させエルフとなったとされている。
 エルフたちは自分たちが異形であるという劣等感と、進化し魔力を手にした人間であるという優越感の入り混じった複雑な感情で人間を忌み嫌ってきた。そのため、長年にわたり人間とエルフの戦いが無数に繰り返されてきた。
 数千年ほど前に、その戦いの歴史は幕を閉じた。人間たちはいくつもの世代を経、その遺恨さえ忘れ去っている。だが、エルフたちの寿命は長い。エルフの支配層ハイエルフの中には、神話の時代から生き続ける者もいる。
 そんなエルフたちの領域が、人間たちの国家であるラブラシスの国土となっている。それもひとえに、長年にわたる争いが終結し、友好関係を結んだ証でもある。とは言え、森の奥深くにいるハイエルフたちにはまだ人間への遺恨と敵対心が根深く残っている。干渉するのをやめただけだ。
 一方、森の辺境に住む若く身分の低いエルフたちは人間たちと関わることにハイエルフたちほどの嫌悪を抱いてはいない。とは言え人間と関わろうとするのは一部の変人だけではあるのだが、その変人扱いされた異端者が森から出て人間の都市であるラブラシスに住み、人間と共に魔法の知識を追い求めているのだ。
 ラブラシス公国の首都、その名もまたラブラシス。その都市は人とエルフを繋ぐ都市。それだけに、エルフたちの領域である森にほど近い場所に存在している。
 国境線が森を飛び出し、ルスランたちの馬車もその国境線を越えてラブラシス公国に入る。ここまで来ればセントールたちも追っては来るまい。セントールたちはとある事情から、エルフを心から忌み嫌っている。エルフは多くの種族が溢れるこの世界でも屈指の嫌われ者。エルフと平気な顔で付き合える種族は人間とゴブリンくらいだ。
 しばし旅を共にしたバルチムンともここで別れることとなった。

 森の中の関所を抜け、さらに森の中の道を小一時間進む。程なく、森に寄り添うような巨大都市がその姿を現した。
 日はすでに暮れかかり、町に入る頃には空は群青、夜の帳をおろしかけていた。
 魔法都市・ラブラシス。魔法による産業の中心、魔法の研究の中心。人間たちの中でももっとも高度な魔法文明。そして、エルフたちにはない探求心を持つ人間たちの手により、エルフ以上の魔法の知識が蓄えられた都市。
 この町に、魔法的に足りない物があるとすれば、隣の森に比べればかなり薄まっている、大地や水の秘めた魔力の根元・マナくらいだった。
 行き交う人々の中には耳のやや尖った、エルフの血を受けた者たちの姿も見受けられる。エルフと人間の友好のために築かれたこの都市では、エルフとの混血は珍しくない。さらに言えば、純粋な人間の血を持つ者は魔力を持たない。この世界中に多数存在する、僅かでも魔法の力を操る人間は、ごく一部の特殊な例外を除き、どのような経緯かはともかく少なからずエルフの血を受けているのだ。ルスランやエイダも容姿からはエルフの名残はすっかり消えてしまっているが、数千年ほど家系を溯ればエルフの祖先がいるのだろう。
 その中でも、やはりここはエルフの血の濃い、外見的特徴にもそのことが現れているような者たちが多数いる。
 そのような者たちが行き交う通りを、馬車は走っていく。
 繁華街に入った。とりあえず、最初にアンの着替えを買わなくては。さぞや高級なブティックがいいのだろうと思ったが、アンのたっての頼みで、庶民も入るような店を選ぶことになった。そんなことを頼む時点で庶民ではないことが知れる。
 とは言え、アンの言うところの庶民はエイダくらいの庶民だろう。ルスランくらいの庶民では断じてないはずだ。とにかく、ブティックの見立てはエイダに任せることにした。
 ルスランには到底縁がないだろう高級そうなブティックの前に馬車を停めた。二人の買い物が終わるのを待つ間、ルスランは宿を探すことにした。金持ちが泊まるような立派なホテルと、自分の肌に合いそうな安宿を。そのことを二人にも伝える。
「今日は別々の宿に泊まろう」
「あら。どうして?」
「高い宿はやっぱり落ち着かなくてね。身の丈にあった安宿を探すよ」
「人それぞれですわね……。そうそう、一つお願いがありますの」
 そう言いだしたので、ルスランは身構えた。どんな無茶な頼みをされるのか。
「わたくしたちの今宵の宿ですけど、なるべく公邸に近い場所が望ましいのですが。わたくし、公邸に用がございますから」
 そのくらいならお安いご用だ。ほっとするルスラン。
 二人をブティック前におろし、馬車で公邸の近くの宿を探した。国賓などが泊まるための宿がすぐに見つかった。ちょっと金持ちが泊まれる一般客室も当然ある。この宿で問題ないだろう。
 続いてルスランの泊まる安宿だ。公邸の側にはそんな物はない。どこのごろつきが泊まるか分からない安宿を、用心や金持ちの多い地域に建てても、犯罪の温床にしかならない。
 繁華街から少し入ったところに、良い宿を見つけた。ルスランが泊まるには立派すぎる気もするが、昨日は宿代もアンの奢りだったし、今日は臨時収入まであって懐が暖かい。ちょっと奮発してもいいだろう。
 宿を決めたところでブティックの前に戻る。二人は買い物を済ませ、店の前で待っていた。アンは修道女の姿から、いかにもどこかのお嬢様と言ったお洒落な服装に替わっていた。隣のエイダまで新しい服に着替えている。
「二人とも新しい服、買ったんだ」
「はい。アンに奢ってもらっちゃいました」
 とても嬉しそうなエイダ。
「エイダのおかげで無事、あの汚らわしい者どもから逃げ出せたんですもの。このくらい安いものですわ。ルスランさんにも何か買って差し上げてもよろしかったのですけど……」
「いやいやいやいや。こんな高そうな店で買った服、着るに着られなくてタンスの肥やしになりそうだ」
「そう言うと思いましたわ。このお礼は、必ずやいつか別な形でいたします」
 それは楽しみなような、ちょっと怖いような。
 煌びやかな服ですっかりお嬢様にしか見えなくなった二人が乗る洒落た馬車は、露骨に場違いな御者に繰られて、御者以外にはお似合いの宿の前に停まった。
 二人を降ろし華やかさを一気に失った馬車は、御者に似合いの安宿に向かって走り出した。