ラブラシス魔界編

7話・国境の森

 山道崩落で旅人が減り、宿場や観光地も大きな影響を受けている。それと同じくらい追いはぎも打撃を受けているのだ。そこにふらっと現れた数少ない旅人。ルスランたちは貴重なカモと認識されるだろう。こんなときにこんな場所を通りがかったのが運の尽きという訳だ。
 森に逃げ込んだセントールに、森に潜む人間の盗賊。どちらに襲われるか分かったものではない。慎重に進むしかない。エイダも何かあったときのために、いつでも矢を番えられるよう弓矢を準備した。
 障害物が多く、地面も柔らかい森の中では体が大きく足先の小さなセントールは動きにくくなる。彼らが待ち伏せるとしたら踏み固められた道の上だろう。
「連中は森の小道を良く知っている。人間の盗賊が入れ知恵をしているのだろう」
 バルチムンが言う。
 武闘派のセントールたちは文化水準が低く、あまり知性がない。更にセントールは本来平原を駆ける生き物。ごみごみした町や視界の利かない森は苦手であり、普段から踏み込むことは滅多にない。それゆえに道を覚えるという能力は本来必要ではなく、高くもない。平たく言えば、皆方向音痴なのだ。
 だから、このような森の中を歩き回るには、人間の手引きがいるだろうということになる。追い回す方のセントールたちも森に慣れていない。そのせいでかなり手こずっているそうだ。地元の自警団などと協力して討伐しようという動きも出ているとか。

 森の道をだいぶ進んだ時、前方に何者かの影が見えた。騎乗した人物のように見えたが、馬の体と人の体が繋がっている。やはりセントールの賊が待ち伏せていたようだ。
 バルチムンは笛を取り出して吹き鳴らした。仲間への合図だ。ルスランも馬車を降り、新調したばかりのサーベルを抜いた。とは言え、騎兵相手に歩兵が戦いを挑んでいるようなもの。このままでは不利だ。だが、考えがない訳ではない。
 エイダも馬車の中で弓を構え、矢を番える。
 セントールたちが襲いかかってきた。ルスランに一人、バルチムンに二人。
 セントールは曲刀を振り上げて斬りかかってくる。後ろ足で立ち上がり、高い位置から巨体の体重を乗せての攻撃。受け止めるのは無理だろう。躱すか受け流すしかない。
 初撃を受け流し、続いての攻撃を繰り出そうとセントールが曲刀を振り上げたところに低い一撃を繰り出す。セントールはその脚力で飛び上がり、攻撃を躱した。そのまま攻撃を繰り出す。見え見えの動き。ルスランは曲刀が振り下ろされる前に後退し距離を取った。曲刀は地面を斬る。
 ルスランは細かく立ち回りながら木立の陰に入り込んだ。巨体で大きな曲刀を振り回すセントールは木立の中では思うように立ち回れないだろう。徒歩の自分なら小回りが利く事を活かすのだ。
 バルチムンも二人相手になかなかの善戦を見せている。かなりの使い手らしい。さすがは一人で護衛を買って出るだけのことはある。
 ルスランと対峙するセントールは木の陰に隠れたルスランに翻弄されていた。木を盾にして細かく攻撃を繰り出すルスラン。セントールは木立の中に踏み込もうとした。その時、セントールは動きを止めてのけ反り、短い叫び声を上げた。
 何が起こったのかは、セントールが振り向いてその尻がこちらに向けば一目瞭然だった。尻に矢が突き立っていたのだ。
 馬車の中でエイダが弓を構えている。その姿を見たセントールはいきり立って馬車に突進して行く。だが、途中で足を止めて引き返し、ルスランの方に戻って来た。
 ルスランはその動きに違和感を覚えた。だが、思案を巡らしている暇は無い。
 セントールの一撃がルスランに襲いかかる。ルスランは木の陰に回り込み攻撃を避けた。攻撃しにくい場所に入り込まれ、セントールはルスランと距離を取った。そして、背後の馬車を気にする。エイダは弓に矢を番え、セントールに向けている。そのまま、射るでもない。セントールは苛立たしげに向を変え、再びルスランの方に向き直った。そして曲刀を振り上げる。その瞬間、風切り音と共にセントールがのけ反った。エイダが矢を射たのだ。
 怒りに満ちた表情でルスランに向けて曲刀を振り下ろすセントール。感情に支配された一撃は、ただ一歩退くだけで躱すことができた。
 その時、ルスランの視界の端で何かが動いた。一瞬気を取られるルスラン。
 それは人間だった。茂みに身を潜めていた人間が数人、一斉に飛び出したのだ。
 先程セントールが見せた不可解な動き。それは、セントールたちの役目が馬車から敵を遠ざける事だったためだ。馬車からの援護攻撃に反応して馬車に近づけば、その役目は果たせない。また矢で射られるリスクを承知のうえで、捨て置くしかなかったのだ。
 そして、人間たちは馬車の中のエイダが弓矢での攻撃を行っていたため、出るタイミングを計っていた。エイダが矢を射たその時、一斉に飛び出した。射手が矢を番える隙を突いたのだ。
 作戦は当たり、あっと言う間に馬車は盗賊たちに奪取された。
 ルスランは飛び出そうとするが、木立の中に踏み入ってのの戦いを選んだことが仇となる。セントールの巨躯が邪魔になり、木立の中から出られない。セントール二人にかかられているバルチムンも馬車に構う余裕などなかった。馬車は盗賊を御者にして走りだした。
 セントールたちは立ち去らなかった。援護がなくなった隙に蹴りをつけてしまうつもりだった。彼らにとって厄介なバルチムンも、今なら何とかなるかもしれないからだ。
 だが、先程バルチムンが笛で呼び出した仲間のセントールたちが駆けつけてきた。その姿を見るとセントールの賊は森の中に逃げて行った。

 奪われた馬車の中で、エイダとアンは猿轡を噛まされ、後ろ手に縛られていた。弓矢を使うエイダを警戒してのことだ。
 口を塞がれては魔法は使いにくい。念じれば使えこそするものの、効果は大きく落ちる。生半可な魔法で攻撃しても、相手を怒らせ警戒されるだけだろう。
 盗賊は二人の顔を見比べてにやにや笑いながら言う。
「なかなかの上玉だ。育ちも良さそうだし、この様子なら生娘だろう。高く売れるぜ」
 盗賊の言葉にアンは怯えている。エイダも怖いが、ただ怖がってもいられない。何とかしなければ。相手は恐らくエイダが魔法を使えることには気付いていない。エイダならこの状況をどうにかできるかもしれないのだ。
 その機会はほどなくやってきた。
 馬車は街道を外れ、小道を走りだす。そして、さらに細い小道の前に停まった。小道と呼ぶにもこころもとない、薮の切れ目の獣道だ。この小道の奥に盗賊の隠れ家がある。
 盗賊たちは僅かな見張りを残し、その隠れ家に戻って行く。まさに、今こそ好機だ。
 エイダは辺りを見渡す。視界に入る範囲にはアンが倒れているだけだ。その、後ろ手に縛られた縄が目に入る。
 エイダは呪文と共にその縄を焼く炎の姿を強く念じた。その念は具現化し、小さな炎を呼び起こした。
 突然後ろの手に感じた熱にアンは驚く。だが、振り返ったアンの目に、真剣な顔でその熱を感じる手元を見つめるエイダの姿が飛び込み、アンも理解する。エイダが魔法を使っているのだと。
 縄がある程度焦げてきたところで力を入れると、鈍い音を立てて縄は切れた。
 アンは外の見張りに見つからぬよう低い姿勢のままエイダに近寄り、縄を解こうとする。
「ん、んん」
 エイダは何か言いたそうだ。アンはエイダの猿轡を解く。開口一番、エイダは何かの呪文を唱えた。程なくエイダの縄も切れた。切れた縄はどす黒く変色し、まるで長年風雨に晒されたかのようになっている。腐蝕の魔法だ。
「ごめんね。念魔法はあまり得意じゃないの。だからあんな手荒い魔法しか使えなくて。熱かったでしょ?」
 エイダは申し訳なさそうに言う。
「ええ、ちょっと。でも、このまま売り飛ばされるのに比べれば、こんなこと何でもありませんわ」
 それに今はそんなことを気にしている場合ではない。
 二人は少し頭を上げ、周囲を窺う。見張りが何人か立っている。見張りは他所から人が来ることを警戒しており、馬車の方はあまり警戒していないようだ。と言うか、ただボケッと立っているだけなのかもしれない。
 とにかく、見張りは油断している。今が好機だ。
 エイダは呪文を唱える。それに気付いた盗賊はこちらを振り向いた。その体がビクンと痙攣し、そのまま動きを止める。硬直の魔法だ。
 残りの見張りにも一人ずつ硬直の魔法をかけて行く。硬直の魔法は短い間だけ相手の動きを封じ込める魔法。襲われそうなときに護身のために使ったり、逃走している相手にかけて捕らえたりと用途も広い。威力を弱めれば、痙攣やしゃっくりを止めたいときにも使える。
 これが最後の一人だと思いエイダが呪文を唱え始めたとき、馬車背後の死角に潜んでいた盗賊が馬車の中に乗り込んできた。
 身を迫りだしてきた盗賊の鼻面に、アンの渾身のローキックが炸裂した。呪文の詠唱を終えたエイダはその盗賊に向かい硬直の魔法の呪文を唱え始めた。詠唱はすぐに終わり、再び馬車の中に入り込もうとした盗賊の動きがそのまま止まり、態勢を崩し地面に転げ落ちた。
 一通り片付いたようだがぐずぐずしてはいられない。この魔法はあくまでも咄嗟の間に合わせ。すぐに動けるようになるだろう。より強力な魔法で長時間自由を奪わなければ。
 一人ずつ催眠の魔法をかけて行く。途中、硬直の魔法が解けて盗賊が動き始めたが、硬直の魔法をかけ直せば良い。この魔法は自分の意思で動く筋肉の自由を奪うもの。瞬きや呼吸さえできなくなる。あまり使い過ぎると窒息させてしまう。もっとも、相手が深呼吸した後ならば心配は要らないだろう。
 見張りが全員眠った。エイダはほうっと深呼吸をする。エイダが催眠の魔法をかけている間、アンは馬と馬車の連結を解いていた。アンはエイダに声をかけた。
「エイダさんは馬は乗れますの?」
「えっ。乗った事ないですけど」
「それでは、わたくしの後ろに」
「え。えっ。ええっ」
 狼狽えながらも、一足先にひらりと鞍もない裸馬に飛び乗ったアンに言われるまま、その手を借りて馬の背に跨がるエイダ。
「掴まって」
「は、はい」
 エイダはアンの腰にしっかりとしがみついた。アンは掛け声と共に馬の腹に蹴りをいれた。
「ヨォ!」
「きゃあああああぁぁぁぁ!」
 エイダの予想を越える速さで馬は走りだす。その背にアンと、振り落とされないように全力でアンにしがみつくエイダを乗せた馬は、森の街道を疾駆した。

 その頃、ルスランはセントールたちと共に奪われた馬車の行方を追っていた。
 セントールの背に乗り、森を駆ける。乗り心地は良くない。鞍も手綱もないというのはもちろん、目の前にあるのは馬のたてがみでもしなやかな首筋でもなく、鍛えられた男の背中。なんとなく、いやな感じだ。
 一本道の街道をたどれば、いずれ馬車は見つかるはずだ。ただ、馬車が入れるような脇道があると厄介なことになる。
 切れ切れの轍を追いながら馬車が辿ったと思われる道を進んで行くと、前方から何か物音が近づいてきた。蹄の音。
 程なく、ルスランたちの眼前に馬と、その背に乗るアン、エイダの姿が現れた。ルスランたちの前で馬は足を止める。
「無事だったか!」
 ルスランはひとまずほっとする。このまま二人が見つからないようならマイデル老師にもマリーナにも合わせる顔がない。いっそ亡命も考えねばならないかと考えたりもした。そして、馬に乗っていたエイダも馬が停まったことでほっとした。
「すまん、注意が足りなかった」
「あの状況では仕方ありませんわ。ルスランさんこそご無事で何よりです」
 そんな落ち着き払ったアンの後ろで、極めて顔色の悪いエイダが馬から降りようとした。そのままバランスを崩して地面に叩き付けられる。
「きゃ。だ、大丈夫ですか?」
「どうした、どこか怪我でもしたのか」
 慌てて馬を飛び降りたアンと、駆け寄ったルスランはエイダを覗き込む。
「いえ、あの。……腰が抜けました」
 エイダは引きつった苦笑いを浮かべた。
 ひとまず全員の無事を喜び合うが、喜んでばかりもいられない。このままでは旅を続けられない。馬1頭に3人は乗れない。ラブラシスまで歩いて行こうとすれば何日かかるか分からないし、そのための資金もない。
 資金と言えばアンが大金を持っていたが、縛られるときに懐に入れられていた革袋に気付かれ奪われたと言う。盗賊の話を聞き、荷物から懐に移していたそうだ。
 アンはがっかりですわと言う。が、庶民のルスランにとって、がっかりで済む額ではない。どうせ馬車は取り返さなければならない。セントールたちと共に盗賊の隠れ家に押し入ることにした。
 そのとき、再び馬の蹄の音が近づいてきた。
 木陰から姿を現したのは馬車を引いていたもう一頭の馬と、その背に跨がる盗賊らしい男。
 男は待ち構えていたセントールやルスランの姿を見るや、馬の向きを変えて引き返そうとした。
 腰を抜かし地面にへたり混んだままのエイダが素早く何らかの呪文を唱えると、唐突に馬は動きを止めた。尻を叩いても歩こうともしない馬に盗賊は狼狽えた。そして、何もできないままセントールたちに馬から引きずり下ろされ、袋だたきにされた。たとえ盗賊であっても人間を殺せば罪を問われる。だからこそ死なない程度に蹄で打ち付けるだけで許してやるのだ。
「馬をわざわざ連れてきてくれたようだな」
 もう、セントールのむさ苦しい背中に揺られなくとも済みそうだ。
 ルスランとアンはそれぞれ、馬に跨る。エイダもアンと同じ馬に跨った。
「あ、あの。今度はゆっくりお願いします」
 エイダはおずおずと、それでいて必死に訴えかけてきた。

 盗賊の隠れ家は近道ができたので使われなくなった古い道にあった。“旧道、通行禁止”と言う看板の取り付けられた柵が、道の脇に置かれている。衝立のように簡単に動かせるもので、恐らく盗賊が使われなくなった旧道を占有する為に拵えたのだろう。
 その道を進んで行くと、狭い道を塞ぐように馬車が放置されていた。ルスランたちが乗っていた馬車に間違いない。
 荷物などは粗方どこかに運ばれてしまったようだ。メイソンの遺品の弓も持ち去られている。
 馬車の近くには、何も目印がなければ見落としてしまいそうな小道があった。道と言うには些か心もとない木立の切れ目で、まるっきり獣道だ。隠れ家はこの奥にあるらしい。
 そうなると、一つ問題が出て来る。セントールたちの巨躯ではこの狭い道を通れないのだ。無理すれば通れなくはないのだが、敵に襲われたときに何もできないのでは行かないほうがましだ。
 そこで、偵察を兼ねてルスランが潜入し、ここまで盗賊たちをおびき寄せて、森に潜んで待ち伏せるセントールたちと共に迎え撃つことにした。
 エイダはそんなルスランの補助を申し出た。
「無茶だ、危険だぞ」
「私は魔術師です。その気になれば姿を消して逃げることもできます。むしろルスランさんが一人で突っ込む方が危なっかしくて見ていられません」
「う。ま、まあ。俺もうまく行くか心配だとは思うけど……」
「それに、マイデルさんの言い付けを忘れた訳ではありませんよね」
 そう。エイダは賢者アドウェンの魂を受け継ぎ、その言葉はアドウェンが発したものに等しい。だからこそ、エイダの命令には従えと言い付けられている。マイデル老師も半分は冗談で言ったのだろうが、言っていたのは確かだ。従わない訳にはいかない。
 それに、後方支援が有ると無いとでは大違いなのも確かだ。ルスランは先程のアンとエイダの脱出劇に居合わせていないので、その魔法を見ていない。だが、アンが掻い摘んで話した顛末を聞いただけでも腕は確かだろうと思えた。
 無謀であればエイダの中のアドウェンの意志が止めるはずだ。それなりに勝算が有ると踏む自信の顕れでもあるのだろう。ここは任せてみることにした。

 二人は慎重に森の小道を進んで行く。森に潜む盗賊の気配はない。やがて、前方に何やら見えてきた。丸木で作られたそこそこ大きいが粗末な造りの建物だ。その前にいくつかの人影が見える。いかにも人相の悪い、盗賊らしい盗賊だ。厳重に守を固めているような風情である。
「私が魔法で挑発します!ルスランさん、敵の進路を塞いで時間を稼いでください」
「分かった。出て行くタイミングは?」
「詠唱が始まったら」
 ルスランはサーベルを抜き払い、身構えた。
 エイダの詠唱が始まる。ルスランは盗賊たちに向かい突進を始めた。盗賊もルスランに向かってきた。盗賊の一人がピイイィィと高い音の笛を吹き鳴らした。仲間に対する合図だろう。
 そのとき、盗賊の足元の地面が盛り上がり爆発した。爆裂の魔法、圧縮空気を転送して破裂させる魔法だ。人体に直接使えば、恐ろしい殺戮魔法にもなりうるものだった。
 ルスランはよろめいた盗賊に飛びかかり、当て身を食らわせた。ルスランは盗賊が倒れ込んだのを見計らい、そのまま近くにいた盗賊に向かいサーベルを突き出した。切っ先はその肩に突き立った。
 背後に控えていた盗賊二人がルスランに斬りかかってきた。一人の攻撃は躱し、もう一人の攻撃をサーベルで受け止める。訓練を受けているルスランからみれば、あまりにも下手くそな剣の扱いだった。だが、相手は数が多い。油断は禁物だ。
 受け止めた剣を弾き返したとき、ルスランの横を二人の盗賊が駆け抜けようとしていた。背後にいるエイダに気付いたのだ。
 ルスランは駆け抜けて行った盗賊の背中に斬りかかる。背を切り裂かれた盗賊は倒れ込んだ。エイダに近付きつつあったもう一人も唐突に動きを止める。硬直の魔法だ。
 残る盗賊は二人。先程ルスランに斬りかかった盗賊二人だ。ルスランが横を駆け抜けた二人に気を取られている間にその二人は体勢を立て直しルスランに斬りかかろうとしていた。
 一人の攻撃を剣で受け止めたが、もう一人の攻撃には対処仕切れない。ルスランの右腕にその刃が食い込んだ。激しい痛み。
 正面の盗賊に当て身を食らわせ、よろめいた所に一撃浴びせた。これで残るは一人。
 だが、左手一本ではどこまで戦えるか。
 盗賊が剣を振り上げ斬りかかってきた。ルスランはその一撃をサーベルで弾き返すが、片腕で振り回すサーベルは盗賊の剣を軽く弾き返すにとどまった。盗賊はすぐさま剣を構え直し、斬りかかろうとした。
 そのとき、盗賊の動きが止まった。すんでのところでエイダが呪文を唱え終わり、硬直の魔法が発動したのだ。
 動きを止めた盗賊の持つ剣を、ルスランのサーベルが弾き飛ばす。エイダは硬直の魔法で動きを止めている盗賊に催眠の魔法をかけながらルスランに歩み寄ってきた。右腕の傷に手を翳し、呪文を唱える。微かな光が傷口を包み込み、出血が止まり、痛みが引く。癒しの魔法、その中でも最も基本的なものである自然治癒を劇的に速める魔法だ。
「ごめんなさい、後退するタイミングを言うの忘れてました……」
 申し訳なさそうにエイダは言った。今回の作戦は飽くまでも陽動。盗賊を挑発して撤退し、セントールたちのところに引きずり出すことだ。
「最初の爆裂の魔法で盗賊の足元を掬ったらに後退してもらうつもりだったんです。でも、言いそびれてしまいました。それに、慌てたせいもあって爆裂の魔法も思ったほどの威力が出せませんでしたし……」
 平和な日々を送ってきたエイダ自身は実戦経験など無い。熟練のアドウェンの意識があるからこそそこそこに落ち着けてはいたものの、それでも緊張で思考力は落ちていた。そのため、うっかりが出てしまったのだ。
 それにエイダは日常生活に役に立たない爆裂の魔法を使うのは初めてだった。魂に語りかけるアドウェンの入れ知恵で使ったのはいいが、そのアドウェンの意識が期待していたほどの威力を引き出すことができなかった。
「本当にごめんなさい。でも、怪我くらいですんで良かったです。見た目によらず腕が立つんですね。……あっ。な、なんでもないです」
 無事に終わったという気の緩みで思わずエイダは本音を漏らしてしまった。
 ルスランは敢えて突っ込むような無粋な真似は避けたが、この言葉を胸に刻み付けた。見た目はともかく腕は立つという褒め言葉として。

 おびき寄せるはずの敵は粗方片付いてしまった。二人は隠れ家の丸太小屋に踏み込もうとする。そのとき、背後の森から足音が近づいてきた。二人は振り返る。
 森の中から現れたのはアンだった。息を切らせながら駆けて来る。
「大変です!セントールの襲撃です!」
 待ち伏せていたバルチムンらが賊一派のセントールたちに襲われているようだ。ルスランにエイダ、アンの三人は急ぎ森の小道を引き返した。
 木立の向こうから怒号と剣戟の音が聞こえてくる。木々の向こうで揉み合う馬体が見えてきた。
 数量的にはどちらも拮抗している。だが、バルチムンらは賊を力量で凌駕していた。やや優勢だ。
 そこにルスランらが加わったことで優位は揺るぎなくなった。瞬く間に三人の敵が倒れ、残りは潰走し森の向こうに消えた。
 ルスランとエイダに遅れてアンが駆けつけてきた時、すでにセントールの賊は地面に倒れている三人だけになっていた。
 アンは何やら汚らしい曲刀を手にしている。盗賊の使っていたものだ。
「それは?」
「ただ見ているだけと言う訳には行きませんもの。こう見えてもわたくし、剣術の心得も有りましてよ。ただこの剣、重いうえになまくらですわ」
 それは斬ることよりも叩き割ることに主点をおいた剣で、長さもある上に先端の方が太く、重さが集中するように作られている。確かにこの剣を取り扱うにはそれなりに力がいるだろう。
 それに、アンの言うとおり刃もかなり傷んでいる。所々錆び付き、刃毀れで鋸のような有り様になっていた。尤も、叩き切るという目的は十分果たせるだろう。
 アンの言う剣術の心得がどれほどのものかは分からないが、少しでも力になれればとの思いで剣を手に取ったようだ。役に立つどころか、剣のを拾う手間と重さのせいもあって駆けつけるのさえ遅れてしまったが。
「盗賊共を連れて来られなくて良かったよ。この状況では挟み撃ちだからな」
 バルチムンらの話では、森の中から笛の音のような音が聞こえると同時に敵が襲ってきたと言う。あの笛はセントールたちへの合図だったようだ。
 盗賊は森の中に潜んでいた見張りにより陽動作戦のことを知り、セントールたちとの挟撃作戦をとったのだ。ルスランたちが盗賊を誘引したとき、迎撃するはずのセントールたちが他の敵と交戦中であれば混乱しただろう。
 なかなかに良い作戦だったが、それはルスランたちが盗賊たちの誘引に失敗し、勢いで全滅させてしまったことで潰えた。もっとも、この力量差では作戦通りに包囲を完成させても盗賊に勝機があったかどうかは怪しい。
 とにかく、セントールは逃走し、敵は粗方片付いた。馬車も無事だし、後は奪われたアンのお小遣いを取り戻すだけだ。
 丸太小屋に向かおうとするルスランたちに、アンも同行すると言い出した。
「まだ残党がいるかもしれない。危険だ」
 ルスランは止めるが。
「でも、ここに残っていてもまだセントールの残党が来ないとも限りませんもの。現に何人か逃げて行きましたわ。あの者たちが仲間を連れて戻ってくることを考えると、セントールの来ない森の中の方が安全です」
「うーん、確かに。でもそれなら、セントールが襲って来たら森の中に身を隠せばいいんじゃないか?」
「森の中へ一人で身を隠して、そこに盗賊の残りが潜んでいたら誰が助けてくれますの?」
「確かに」
 アンの言うこともごもっともだ。それに、そんな議論で時間を潰している場合ではない。アンを連れてとっとと丸太小屋に向かうことにした。

 再び丸太小屋の前に来た。先程倒した盗賊たちが地面に転がり、眠っているものは鼾をたて、意識の有るものはうめき声を上げている。
 まずは彼らを取り押さえ、セントールたちにでも預けた方がいいだろう。
 一人ずつ縛り上げる。その後、縛り上げられた盗賊をたたき起こし、傷ついた者は癒してやる。このまま衰弱死されては困るからだ。
「ここにいるので全部ではありませんわね」
 アンの言葉にルスランは振り返る。
 ここに倒れているのは五人。アンの記憶では馬車を奪うときに乗り込んで来た分だけで、そのくらいいたはずだ。さらに、馬車の見張りとして、馬車で見かけなかった盗賊が二人いた。それに、ルスランたちが取り押さえた盗賊の内三人は見覚えの無い顔だと言う。
 アンが良く覚えていたことにエイダも感心した。尤もエイダはその時、この状況をどうにかすることを考えるのに必死で、盗賊の顔など見ている暇は無かった。憶えてなどいるはずもない。
「はっきり覚えている訳では有りませんけど、まだいるはずですわ。一番良く覚えている顔が有りませんもの」
「誰?」
「それは、その……」
 アンは少し躊躇ったが、その一番良く覚えている盗賊のことを話し始めた。
 馬車を占拠した盗賊は、エイダの弓矢も警戒して二人をすぐに縛り上げた。その時、盗賊の手にずっしりとした重みの固いものが触れた。アンが荷物から懐に移していた、金貨の詰まった革袋だった。盗賊たちは革袋を引きずり出し、中を見て目の色を変えた。もっと持っていないかと二人の体を調べ始めたのだ。そのことはエイダも覚えている。
 結局もうこれ以上金目の物は持っていなかったのだが、二人は執拗に体をまさぐられた。それはとても気持ち悪く、屈辱的で恐ろしい一時だった。
 結局、二人は売り物にされる予定だったため、価値を下げないためにそれ以上は何もされずに済んだのだが、そんな事情を察する余裕など無い。しかし、アンはなんとなく自分の体には価値が無いと言われているような気がし、女として些か屈辱的な思いを抱いたのだった。
「あの男は断じて許しません!あのような不埒な汚らわしい両腕、この剣で切り落として差し上げますわ!」
 アンはまだ持っていた先程の剣を振り上げていきり立った。
「まあまあ押さえて……」
 とりあえずなだめるルスラン。アンはおっとりとした上品そうな見た目や雰囲気によらず、発言は結構過激だ。エイダもどん引きである。
 とにかく、ここにはそのアンの体を撫で回したという、汚らわしい腕を持つ盗賊は居合わせていない。すでに逃げたあとでなければ、あの丸太小屋に潜んでいるのかも知れない。
 縛り終えた盗賊たちを、とりあえずセントールたちに預けに行くことにした。だが、中にまだ盗賊がいるとすれば、逃げるチャンスを与えることにもなりかねない。誰か見張りを立てたいところだが、エイダとアンを残していくのも、その二人に盗賊たちを連れて行かせるのもやや心許ない。かといって、ここに転がしておいても縄を解かれ逃げられてしまう恐れがある。
「それなら考えがあります」
 ルスランが困っていると、エイダが何か呪文を唱えだした。呪文が終わるとルスランたちの目の前に兵士のような人影が現れた。監視者の魔法だ。何のことはない、幻影の魔法と幻視の魔法を組み合わせただけのもので、この兵士の姿の幻を立たせ、その近辺に幻視の魔法をかけておくことで遠くからでも見張ることが出来る。見張っていればその周囲で動きがあれば分かるし、この幻影を警戒して盗賊もも動きにくくなるはずだ。この幻を数人たたせておけば、出るに出られなくなるだろう。
「魔法って便利だなぁ……」
 つくづく感心するルスラン。自分も魔法を使える素地はあるのだから、もう少し魔法を特訓して何かできるようになりたいものだと思う。
 監視者の幻影が丸太小屋を取り囲んでいる隙に、取り押さえた盗賊たちをセントールに引き渡すことにした。