ラブラシス魔界編

3話・闇の中の民

出発の準備だ。今度はそんな長旅にはならないので用意する物はそれほど多くないが、またジョアンヌに一言残しておかなくてはならない。今日はもう昼も近く、ジョアンヌも既に仕事に出ているだろう。直接ジョアンヌが勤めて食堂に行くことにした。
 大体の場所と店の名前は丁度聞いたばかりである。人に聞きながら行けばすぐに辿り着くことができた。
 店に入ると、昼前だというのにいくつもの大きな人影が勢いよく飯をかき込んでいた。
 人間にしては図体のでかいのが揃い過ぎている。顔をみれば明らかだろうが、顔をみるまでもなくオークだった。背中だけを見ていると、体格のいい人間と変わりはない。鉱夫達の集う食堂とは聞いていたが、まさかオークの食堂とは。
 その迫力に気圧されながらカウンターでジョアンヌがいるかを尋ねた。店の奥からジョアンヌが呼び出されて来た。
「あら。なあに、どうしたの」
 いきなりやって来たルスランにジョアンヌは驚いた様子だ。暑い厨房でしゃかりきに働いているせいか、服も髪も汗で貼りついている。昨日、あまり店の場所を知られたくなさそうな雰囲気だったことを思い出す。この姿を見られたくなかったのだろう。
「またお使い頼まれてさ。すぐそこだから数日で帰ってくると思う」
「そう。大変ねぇ」
 それはこっちの科白だ、とルスランは思う。そうしている間にも開けっ放しの入り口からまたオークが入ってくる。店の女将が日替わり定食でいいかいと聞くと、何でもいいから早く食わせろと答えが返って来た。ジョアンヌが奥に引っ込み、すぐに山盛りの皿を両手に持って出てきた。。
「忙しそうだな。邪魔したな」
 皿を置いたところでもう一度声を掛けるルスラン。
「ルスラン、鍵」
「え」
「家の鍵ちょうだい」
「あ、ああ」
 言われるままに鍵を手渡す。受け取るとジョアンヌは厨房に駆け込んで行く。まあ、伝えることは伝えたしもういいのだが。
 今し方席に着いたばかりのオークの皿は、既に半分以上平らげられていた。
 オークは鉱山での労働で稼いだ金のほぼ全てを食べることに費やす。働くだけ働き、食うだけ食ったらとっとと寝てしまう。娯楽などに興じる知性はない。簡単なカードゲームのルールさえ覚えられはしない。せいぜい、休みの日に仲間内で拳闘で盛り上がるくらいだ。
 図体もでかいのでよく食べる。オークは何も言わなければ人間の3倍の料理が出される。大盛りと言ったときは5倍の料理が出る。
 そしてそれを人間が一人前を平らげるペースで平らげていく。当然、厨房はおおわらわとなるのだ。
 ルスランが思っているよりこの仕事はハードなのだ。この仕事を終えた後、元気よくフェルの散歩に出るジョアンヌの底知れぬスタミナは、恐怖さえ感じるほどだった。

 まだ塞がれていない王城側の入り口から地下通路に入る。案内は大戦の頃にこの通路の警備をしていたプリカンという頭の禿げた小男だ。今も管理人紛いのことをしているらしい。王城側の入り口に近いところに鉄の扉があった。錆び付いた扉にかかったそれだけ不釣り合いに真新しい錠を外す。そして二人掛かりで固くなった扉を引き開けた。
「向こうの入り口の方はだいぶ見てないからなぁ。何が住み着いておるかわからん。気ぃつけてな」
 向こうの入り口どころか、この扉の向こうもだいぶ見ていないだろう。彼一人でこの扉を開けられるわけがないからだ。今更ながら、本当に大丈夫なのか不安になって来た。
「お前さんが帰ってくるか、もう帰ってくることはないと判断されるまで鍵を開けておくように言われておる。一応扉だけは閉めておくぞ」
 もう帰ってくる事はないと判断される事態もあり得る事を仄めかされ、さらに不安を掻き立てられたところで、ルスランの後ろの扉が閉められた。

 ゆるやかな斜面をりていく。通路は思っていたより広く、背筋を伸ばしていても天井に頭をぶつけることはない。
 しかし、入ってすぐに別れ道に突き当たった。一本道じゃないのか、と更にうんざりするルスラン。
 右に進むと更に別れ道があり、そこも右に進む。しばらく道なりに進むと、行き止まりに突き当たった。げんなりした。
 最後の分岐点に戻り、左の道へ進む。また分岐点だ。勘弁してくれ、と思いながら右へ。
 結局、右に行こうが左に行こうが待っているのは行き止まりだと言うことが分かった。がっかりだ。
 こんな調子でちゃんとアルトールに着けるのか、崖を迂回した方がよかったんじゃないか。そんな事を思いながら入り口すぐの分岐を右に進む。案の定分岐点に差しかかった。
 今まで右に進んでことごとく外れだった。ならば今度は左から攻めるか。それともやはり右から潰して行くのか。
 立ち止まって悩んでいると、ルスランの耳が微かな音を捉えた。右の奥から近づいてくる足音だ。灯りも見えてくる。
 警戒しながら様子を窺っている、奥の方から人が近づいて来た。先程ここの入り口の扉を閉じた人物。
「プリカンさん?」
「おや、こんなところに。こんなところにいるって事は、右に行ってただろう。行き止まりなのに」
「ええまあ。でも、なぜここに?」
「いやな。お前さんにここの見取り図を渡すのを忘れていてなぁ。ここは結構複雑だからな。何もなしで当てずっぽうで進んでいては、いつまで経っても向こうになんぞ出られんわ」
 そう言いながら見取り図を手渡して来た。忘れずに手渡して欲しかったと心から思うルスランだった。

 見取り図を見ながら幾重にも分岐していく入り組んだ坑道跡を奥に進む。見取り図無しでこんな所を歩かされては、本当にいつ向こうに着くやらだ。それどころか、迷ったところで引き返すことさえできやしない。
 坑道の一番奥に到達した。この先は坑道から繋がった洞窟になる。滑らかな岩肌、天井から垂れる鍾乳石。
 坑道の先端が洞窟のなかの大きな空間に突き当たっていた。そこから下に向かって鉄の階段が洞窟の岩肌を這うように伸びていた。底の方は掲げたランプの光も届かないほどの深さだ。
 ルスランは慎重に階段を下り始めた。
 階段そのものは思ったより長くなかった。岩肌の傾斜が緩やかになり、階段なしでも降りられる程度になっていた。
 地下水の流れる音が聞こえてくる。石で作られた橋の下を雨の日に坂道を流れて行く程度の水が這って行き、その方へ繋がる闇に飲み込まれて行く。
 更に降りて行くと、水音が幾重にも聞こえるようになってきた。また傾斜がきつくなり、鉄の階段が見えて来た。
 何げなく階段に足を乗せ、体重をかける。すると階段はあっさりと壊れ、薄氷のように脆く板が割れた。
「うわああああああ!」
 落ちる勢いで下の段も、その下の段も次々と踏み抜かれていく。
 ルスランは横の真っ暗な空間に投げ出された。ルスランの体が落下したのは瞬きほどの時間だった。すぐ下には水が溜まっていた。
 ルスランは溺れかかりながら必死に体勢を立て直そうとする。水深は思っていたより浅く、足を伸ばすと水底が足に触れた。立ち上がると腰ほどの深さだ。
 ほっとはするが灯りは消えてしまった。ランプの中が水浸しだ。芯が濡れてしまい、乾かさないと火は灯せそうにない。
 この闇の中を灯りなしで歩き回ることはできない。ルスランは困り果てた。が、すぐに名案を思いついた。アロフェトへの旅路の暇潰しで覚えた魔法。この魔法で光を呼び起こし、道を照らせないか。
 呪文を唱えると掌の上に小さな光の球が現れ、微かな光が辺りの様子を浮かび上がらせた。そのままではその光の球が眩しくて辺りを窺えないが、掌を前に向ければ、手がその光を遮り、光に邪魔されずに辺りが見られる。
 ルスランが降りていた階段は、この水のせいか下に行くほど腐食が進んでおり、一番下の方に至っては既に段など錆び落ちて跡形無い有様だった。岩の表面は滑らかで傾斜も急、上に登るのは難しそうだ。もうここから戻ることはできないだろう。前に進むしかない。
 水が溜まっているが、一応ルスランが立っている場所がかつての道だったようだ。
 先に進むほどに水が深くなっていく。やがて行く手に鉄の扉が見えて来た。扉には目の高さに格子の覗き窓がついており、溜まった水がそこから流れ出ている。
 覗き窓から覗き込むと遠くに朧げな光が見えた。太陽の光だろうか。
 ルスランは扉を開けようとした。だが、扉は押しても引いてもびくともしない。
 リングの把手がついているので引いて開けるようだが、こちら側には水がかなり溜まっている。その圧力もあり、人間一人の力ではどうにもならないのだ。
 力任せに引っ張ると、錆び切った把手が根元からもぎ切れた。仕方なく覗き窓の鉄格子を引っ張るとそれもあっさりと折れた。覗き窓の縁に手をかけて引いてもやはり割れてしまう。覗き窓から水が流れ出ていたため、覗き窓の下は両側から水に晒され、すっかり錆びきっていたのだ。
 このまま覗き窓を広げればここから扉の向こうに出られるかもしれない。だが、下の方は思いの外固く、手ではなかなか壊せなかった。
 ルスランは水の浮力を活かして扉の高い位置に両足で蹴りを入れた。体が冷えていた為に思うようには動けず、覗き窓よりだいぶ低い位置に蹴りが入ったが、蹴り破った感触はあった。
 覗き窓の横の縁に手をかけ水中で飛びあがり、覗き窓のすぐ下に蹴りを入れた。確かな手応え……いや、足応え。繰り返すと少しずつ覗き窓が広がって来た。さっき蹴破った下の方の穴のせいか、水も少しずつ引いている。
 あと少しでどうにか通れるくらいの穴になる。もうひと踏ん張りだ。そう思いながら勢いをつける。その時、不意に掴んでいた扉の感触がおかしくなった。
 水が抜けて圧力が軽くなった所に逆方向にルスランの体重がかかり、扉の蝶番がねじ切れ、扉が外れたのだ。
 そこに水が一気に押し寄せ、扉もルスランも全て流し去った。
 激流に揉まれた時間はさほど長くなかった。ルスランは宙に投げ出される。その瞬間目を開けると、目の前には水面が迫って来ていた。
 今度は深かった。水の中で目を開け、光の見える方、揺らめく水面の方へと泳ぐ。
 水面に顔を出すと、そこは薄明かりに包まれた空間だった。
 すぐ側にルスランが流されて来た流れが滝となって落ちて来ている。その滝のところから続いている緩やかな道が水面にまで続いている。その道を目で辿り振り返ると大きな地底湖が広がっていた。
 その縁を石でできた橋がなぞるように走っている。ルスランはゆるい斜面を上り、橋を渡り始めた。石の橋はしっかりしている。崩れることは無さそうだ。
 ルスランは、腰に帯びていたサーベルが流されていることに気付いた。帰ったらまた説教されてしまう。
 進んでいくにつれ、光が強くなってきた。行く手の岩の向こうに一際強い光が見えた。そちらに向けて進んで行く。
 岩の隙間から青い空が見えた。橋は二手に分かれ、一方は洞窟の更に奥へ、もう一方は空の見える方へ続いていた。
 強い日差しと青い空の下に出た。
 そこは展望台として整備されていた場所らしく、石畳が敷かれ、朽ち果てたベンチが置かれていた。
 青空には傾きかけた陽が輝く。冷えきった体にこの日差しは嬉しかった。どうせ誰も来はしない。ルスランは濡れた服を脱ぎ去り、体を日に当てた。
 服を絞りながら、展望台から崖下を見下ろす。まだ随分高いところにいる。半分も降りて来ていない。
 遠くに滝が見える。あの滝の側にアルトールがある。
 ルスランは傾いた日の光を浴びながら石畳の上に大の字になって寝転んだ。
 どうせこの調子では到着は明日以降だ。洞窟の中に寝泊まりするより今一眠りして夜通し歩いた方がいい。せっかくこんなに寝心地がいいのだ。これを逃す手はない。

 日が落ち切った肌寒さと空腹でルスランは目を覚ました。水浸しになった荷物から、ふやけ切った干し肉とパンを取り出してかじる。無いよりマシだ。それに、こうなった以上早く食べないと腐る。
 腹も膨れたところで旅を続けることにした。ランプに火をつける。油は新しいものを入れなければならなかったが、日干しした芯はどうにか使い物にはなった。
 洞窟に入り、橋の分岐を奥に向けてしばらく進むと、地底湖は滝となり漆黒の虚空へ吸い込まれていた。流れ落ちる水の轟音だけが辺りに木霊している。
 橋も終わり、道は滝と逆方向に続いて行く。
 緩やかな下りの坂道の先には頑丈そうな鉄の扉があった。先程ルスランがぶち破った扉と同じもののようだ。あの展望台のところから獣などが入りこんで来ないようになっているらしい。
 扉を押しても開く様子はない。把手を引いてみるが、びくともしない。全身の体重をかけて押してもやはりだめだ。体重をかけて思いきり引くと把手がぼきりと折れてしまった。
 向こう側で閂が下りているのだろうか。この扉は表面こそ錆び切ってはいるが、先程の扉のように水に晒され続けて脆くなっている訳ではない。ぶち破ることは難しそうだ。
 せめて閂だけでもねじ切れないか。ルスランは思いっきり扉に体当たりをした。扉はびくともしない。
 別なルートがあるとも思えないし、この扉をなんとかしないことにはどうにもならないだろう。
 ルスランはリム・ファルデに戻った晩に見た、熔けて大穴の開いた扉を思い出す。あのように魔法の炎でこの扉を熔かしてしまうというのはどうか。
 ルスランは呪文を唱えた。ルスランの手から火の玉が迸り、鉄の扉の表面をなめ回す。その様はさながら鉄の扉の表面を大きな蛍が這い回っているかのようだった。いくら何でも弱すぎだった。
 こんなへなちょこ魔法でも何度も使っているとかなり疲れる。諦めたところで扉に手を近づけてみるとじんわりと熱が伝わってくる。卵くらいなら焼けるか。いずれにせよ、熔かそうなどという考えは百年以上早いと思い知った。
 仕方ないのでまた体当たりを繰り返す。やっているうちに扉ががたついてきていた。何とかなるかもしれない。
 一休みしてから、思いきり助走をつけてもう一度扉に体当たりをかます。扉からミシミシと言う音がした。やったか。そう思い扉を押してみるが開く様子はない。だが、もう一息だろう。
 ルスランが扉から手を放すと扉がゆっくりとルスランに迫ってきた。閂より先に扉の蝶番の方が先にねじ切れたのだ。
 扉がルスランにのしかかって来た。鉄だけにとんでもない重さだ。渾身の力で押し返す。もう少し勢いがついていたり、止めるのが遅れて扉が傾いていたら押し返せずに潰されていたかもしれない。危ないところだ。
 扉の前から勢いよく横っ跳びで離れると、支えを失った扉はけたたましい音と共に倒れた。
 危なかったが、道は開けた。さらに奥に進む。
 先程の滝が頭上から降り注ぐ場所を通り過ぎる。その水の流れ落ちる先にかすかな光が見えた。岩の隙間から水が外に流れ出ているようだ。古びた階段を踏み抜いて落ちてからしばらく、道がその流れをたどるように続いていたが、その水が一足お先に洞窟の外に行ってしまう。ルスランもその水と一緒に洞窟を飛び出したい衝動に駆られるが、どこに流れ落ちているか分かったものではない。まだ高い場所だったら岩に叩きつけられて死ぬ。大人しく道なりに進むしかない。

 道なりにしばらく行くと、道の横に扉があった。
 屈まないとくぐれないような小さな木の扉だ。そんなに古くはない。そして、その木の隙間から微かな明かりが漏れているのが見えた。
 扉に耳を当て、用心深く中の様子を探る。中では何者かが動く物音が聞こえる。
 さらに扉の中に集中していると、後ろから声をかけられた。
「んなとこで何やってんだ、おめぇ」
 ルスランは飛び上がりそうになった。
 振り返ると背がルスランの腰ほどしかない小さな髭面の男が足元に立っている。この世界に人間と同じくらい古くから住んでいるドワーフだ。
「何でこんなところに人間がいるんだ?どっから来た?」
「上のリム・ファルデからだ」
 動揺しながらも虚勢を張って威厳ある兵を気取るルスラン。
「ほう。……聞いた事あるようなないような。どうでもいいが、この先は行き止まりだぞ」
「ええっ」
「すぐそばに鉄の扉があってな。その先に地底湖があって、水門があるだけだ」
 そう言いながらルスランの来た方を指さす。
「俺、そっちから来たんだけど」
「なんだってぇ?」
 その時。
「何やってんだ……って、お前誰だ」
 扉が開いて中からもドワーフが顔を覗かせた。

 ここはドワーフの町で、ラガズドーと言うらしい。ドワーフはこのような洞窟などに好んで住み着く。マイデル老師に何かが住み着いているかもしれないとは言われたが、まさか町までできているとは思わなかった。
 ルスランは今夜の宿と明日の道案内との引き換えに、上に繋がる道を案内することになった。苦労して進んできた道を引き返すのだ。ただ、明日迷わずに済むことを考えれば安いものだ。
 ドワーフたちは細い棒を手にしている。その先端には水晶の玉が取り付けられており、魔法による光を放っている。彼らが使う照明用具らしい。ドワーフは魔法を使うことが出来ない。魔法を使える人間などから手に入れたのだろう。
 階段を上り、地底湖にまで引き返す。石の橋に差し掛かった。
「おい、この先は悪魔の口だろ。あそこの前を通るのか」
 ドワーフの一人が恐る恐る言う。
「悪魔の口?」
 何やら恐ろしそうなものがあるようだ。
「ああ。先祖の代から伝わっている場所でな。命知らずな俺の友人が見てきたという話では、まるで悪魔の下顎のようになっているらしい。その友人はもう二度と思い出したくもないと言っている。今でも時々夢に見てうなされてるみたいだな」
 そんな恐ろしい場所がルスランの通った道の近くにあったとは。ドワーフたちによると水門への道の途中に悪魔の口への分岐があるらしい。だが、水門など用はない。
 ルスランの辿った道を引き返して行く。
「悪魔の口だ……悪魔の声が聞こえる」
 辺りには低く、あるいは高くうめき声のような声が響き渡る。
「??風の音だろ?」
 ルスランは気にせずさらに進む。ドワーフも仕方なくそれに従ってくる。何せ、他に道はない。展望台への分岐が近づいてきた。
「おお、聞いた通りだ。ここを右に進むと悪魔の口が待っている。こっちに進んじゃならねぇ」
 ドワーフたちが口々に言う。
「え?こっちには展望台しかなかったと思うけど」
「展望台?なんだそりゃ」
 説明するのも馬鹿馬鹿しいので実際に連れて行くことにした。どうせ近い。
 展望台に出ると日はすっかり暮れており、空には星が瞬いている。空には月もなく、辺りは暗い。見下ろしても闇しか見えなかった。
「なんて恐ろしい所だ!」
 ドワーフたちはそう言い逃げ出した。
 話を聞くと、この辺に住み着いているドワーフたちは洞窟などに住み着く民族であるため、高い所にまるで慣れていない。そのため、皆極度の高所恐怖症なのだ。
 そんなドワーフたちにとって展望台のような見晴らしのいい場所は、ただただ圧倒的な恐怖を受けるだけの場所、この世の地獄なのだ。
 なるほど、言われてみればこの展望台は半円形にせり出し、そのへりには城壁のツィンネのようなが仕切りが設けてある。確かにその様は歯を持つ下顎のようにも見える。悪魔の口とは言い得て妙だ。
 高所恐怖症のドワーフたちには正気を失うほど恐ろしい場所というのも分からないでもない。今が明るい時間で下が見えたら、本当に正気を失っていたかもしれない。
 正体を知ってしまえばなんて事はなかった。こんな物に怯えることはない。先を急ぐことにした。
 緩やかな斜面を上る。さっきは通らなかった場所だ。なぜか。水に流されて一気に下に落ちた場所だからだ。
「おや、水門が壊れている」
 ドワーフが言った。足元には先程ルスランが蹴破った扉が倒れている。どうやら鉄格子から止めどなく水が流れ続ける扉を水門だと思っていたようだ。
 すっかり浅くなった水たまりを踏み越え、ルスランが踏み抜き壊れた階段についた。これより先へは進めない。
「つまり、ここから上に行けたんだな」
「俺はこの上から来た。この階段が腐っていて戻れなくなったけどな」
「じゃあ、ここに階段を作れば上に行けるんだな。そういう仕事は俺たちにとっちゃ楽な仕事さ」
 別に頼んではいないのだが、ここに階段を造ってくれるらしい。願ってもないことだ。またこの近道を通って帰れる。
 この先には廃坑が広がっており、その先にはリム・ファルデがあるということを教えた。そして廃坑の見取り図を見せる。書き写すので一晩貸してほしいと頼まれた。どうせ泊めて貰うのだからかまわない。
 ドワーフたちの町に戻ると、ドワーフたちが集まっている。その中にはドワーフでない者も混ざっていた。
 背丈はドワーフ程度だが、ずんぐりむっくりで髭面の丸っこいドワーフたちとは対照的に細身の体、長く尖った鼻と耳を持っている。ゴブリンだ。
 ゴブリンはよく田舎町や町外れで店を開いている。さまざまな変わった品物を扱う雑貨店だ。都市は苦手らしくリム・ファルデでは店を出していないが、行商にくる姿をちょくちょく見かける。
 古い時代には人間などを相手に略奪も行う野蛮な種族だったが、その略奪品を買い取る人間が現れ、手にした金で人間から物を買い、他の種族の品物と交換するゴブリンが現れ、やがて人間たちの貨幣がドワーフやエルフにまで通用するようなっていった。
 彼らは略奪のために伸ばして行った狡猾さをいかんなく商売で発揮した。今では世界中に一大ネットワークを築く商業グループになっている。
 そんなゴブリンがドワーフたちを相手にすることと言えばもちろん商売の話だった。
 ドワーフたちはこのゴブリンたちから木材などを購入し、それを加工してゴブリンに買い取らせることで金を稼ぎ、食べ物や酒、生活用品に至るまでゴブリンから買えるのだ。
「おお、帰ってきたか。で、上には行けそうか?」
「ああ、悪魔の口の近くを通るけどな」
 ドワーフたちが話し始める中、ルスランにゴブリンが駆け寄ってきた。
「あんさんでっか、上の町とここを繋いでくれはったんは」
 独特の言葉で馴れ馴れしく話しかけてくる。
「いやー、山道が塞がってもうてわしらも難儀しとったんですわ。ドワーフさんにも頼んでみたんですがね、あの高い山道を登るなんて冗談じゃないと断られて困っとったんです。これでまた上の仲間と品物がやり取りできます。ほんまおおきになぁ。……ところで」
 ゴブリンの目付きが変わった。本題に入るのだ。
「あんさんの持ってはるランプ。あーもーこれは時代遅れでっせ。今時油のランプなんて流行りまへん。ドワーフたちもとっくにこの光のロッドに持ち替えてまっせ。軽くて明るくて使いやすい!水の中でも使えて風が吹いても消えない!熱くなることもないし付けるのも消すのもワンタッチ!」
 杖の先端部分を捻るとついたり消えたりするようだ。捻り具合で明るさも調節できるらしい。
「普段5本で30スラーで販売しとりますがね、お試しキャンペーン言うことで、お求めやすい3本セットを15スラーでご提供!さらに光を前だけに向けるアタッチメントとムーディーなカラーアタッチメントをつけても30スラー!お買い得!買うしかない!」
 実に流暢な言葉で滑らかに捲し立てる。相当慣れているようだ。実際ランプは水に濡れて使えなくなったりして不便だと思ったところでもある。口車に乗せられ、思わず買ってしまった。でも、アタッチメントは要らない。
「1本で連続丸3日ほど使えまっせ。あと、使い終わったらリサイクルするんで回収に行きま。折れてもうても水晶は熔かして再成型するんでほかさんといてもらえまっか。確か、リム・ファルデの兵士さんでしたな。兵舎にでも回収に伺えばええでっしゃろか」
「え。ああ、まあそうかな」
 そう言いながら代金を支払う。ゴブリンの商人はその財布をそれとなくしっかりと見ていた。そして、まだ結構金を持っていると見るやこんなことを言い出すのだ。
「実は他にもいろいろ商品がありますねん。後々また宿の方にうかがいまっさかいに」
 後で持ってくる商品を見繕いに、ゴブリンはいそいそとその場を去って行くのだった。

 ルスランが提供された寝床はドワーフ用のベッドを二つ縦に並べた間に合わせの物だった。そんなベッドでもルスランの足の先は少しベッドからはみ出した。ルスランの背が高いのではない。ドワーフの背が低いのだ。
 もてなしの夕食は何かの肉のローストと茸のスープと、焼けるようなきつい酒だった。
 そのままカップに入って出てきたが、これは本当に水で薄めずに飲むものなのかと思いながら酒をちびちびとすすりつつ肉とスープを食う。
 食べ終わるころ、さっきのゴブリンの商人が部屋にやってきた。食事が終わっていたのを見て、残念そうな顔する。持ってきたものの中に食べ物もあったからだ。空腹の相手には食べ物がよく売れる。
 満腹だったルスランだが、結局口車に乗って缶詰と缶詰も開けられる十徳ナイフと傷薬を買わされた。
 ゴブリンが帰ると一気に辺りは静かになった。
 昼間少し寝たが、旅の疲れと静けさ、そして酔いと退屈さのお陰であっさり眠ることができた。

 目が覚めた。が、洞窟の中では今どのくらいの時間なのかがさっぱりだ。
 部屋を出ると、ルスランの顔を見たドワーフが朝食を持ってきた。パンと卵焼き、そして朝っぱらから酒だった。酒好きばかりのフォーデラスト国民も、こんな朝っぱらから酒盛りはしないというのに。
 ドワーフの堅焼きパンの噂は聞いていたが、実際に口にして見ると、その堅さに驚く。どんな粉を使えばこんな丈夫な作業着みたいなパンが作れるのか。
 朝食を食べ終わっただけなのにだいぶ疲れた。特に顎とこめかみが。
 食べ終わるとすぐにドワーフの一人が迎えに来た。
「やあ、遅くなってすまんな」
「いやいや、今食べ終わったところだ」
「おや。随分と食べるのゆっくりなんだな」
 あんな堅いパンをそんなに早く食べられるほどルスランは顎を鍛えていないのだが。
「ほれ、昨日あずかった上の見取り図だ。これは返しておくぞ。ボロボロになってたからお前さんにも新しいのを用意しておいた」
 二枚の見取り図を渡された。一枚は昨日ルスランがドワーフに貸した物。もう一枚はドワーフが書き写したものだ。複雑に入り組んだ坑道の見取り図が驚くほど正確に書き写されていた。文字などは書き写したドワーフの癖でかやたらと角張った字になっているが、図はまさにわずかな狂いさえ無さそうだ。
 部屋を出ると、つるはしやら何やらを持ったドワーフたちがぞろぞろと地底湖方面へと向かうところだった。
「見てくれを整えるには時間がかかるが、通れるようにはあっという間になるだろうよ」
「助かるよ。すまないな」
「いんや、どちらかって言うとゴブリンの為よ。ゴブリンが上と行き来できれば俺たちの暮らしも悪くならずに済むしな」
 ドワーフたちにとってゴブリンはまさにライフラインだ。
 案内役のドワーフはさきほどのドワーフたちとは逆方向に歩きだす。
 ドワーフの町は結構な広さだった。その町を突っ切って下を目指す。
 町のあちこちからいろいろな音が聞こえる。木を削る音、金属を叩く鍛冶のハンマーの音。タフでスタミナがありながら、一方で手先の器用さも持つドワーフたちの暮らしは工業で成り立っている。
「何を作ってるんだ?」
「色々さ。そこのパジャックは矢を作ってるし、そっちのポロックルは鋳物職人だ。それを磨く職人もいるし、装飾する職人もいる。こういう内職が女の仕事さ」
 ドワーフはそう言うが、そうやって働いているのは女には見えない。少し考えてから、ドワーフは男も女も髭が伸びるということを聞いたことがあったことを思い出す。
 人間からはどちらも男に見えるが、慣れれば見分けることはできる。男ドワーフは髪よりも髭の方が伸びるので髭を伸ばし、時に飾り付けたり編んだりする。女は逆に髪の方が伸びるので髪形に気を使う。それに、男は野太いおっさん声だが、女はかん高いおっさん声だ。
 その辺を考えると、確かにこの辺りのドワーフは皆髪が長い。案内している三つ編みのドワーフも声がかん高いので女だろう。女と二人きりか。そう思うルスランだが、当然ながら全くそんな気はしないのだった。

 洞窟はまだまだ地底深くに続いているが、出口は近付いている。地下には用はない。
 出口付近はゴブリンの店舗と倉庫が占拠している。通路の左右は扉だらけだ。扉だらけの通路を扉に目もくれず進む。日の光が差し込んでいるのが見え、扉などよりよほどそちらの方に惹かれる。光に吸い寄せられる蛾のように。出口だ。
「案内できるのはここまでだ。俺達ゃ洞窟の外にはあまり興味がなくてな。お前さんが言ってる町のこともゴブリンから聞いてあるってのを知ってるくらいなんだ」
「旧道を辿って山道に合流すれば後は道なりだったはずだし、ここまでくれば何の問題もない。世話になった、恩に着るよ」
 そう言い、ルスランはドワーフと別れた。

 道なりに進むと山道との合流地点に出た。
 何やら奇妙なデザインの建物がある。ゴブリン旅の店と看板が出ている。王都のすぐ側に、これほどドワーフやゴブリンが犇めいていたとは驚きである。店の前では二人のゴブリンが話し込んでいた。
「おや。あんさん、確かアルトールに行かはる言うてましたな」
 ゴブリンの片方が話しかけてきた。もう一人の方と見分けはつかないが、どうやら昨日のゴブリンのようだ。
「今はやめておいた方がええかもしれまへんで。なんやけったいなことになっとるらしいですわ」
「この辺にゃおらんはずのガーゴイルが飛びまわっとるんです。しかも暴れまわってましたで」
 ガーゴイル。それは古き神の使いとされる怪物だ。魔法の力、マナさえあれば生きて活動できるが、マナに飢えると再びマナを与えられるまで石になってしまう。この辺りでは生きて行くにはマナが足りずに数日で石になってしまうため、姿を見ることさえないはずだった。
「そんなことになっているとなれば、ますます放っておく訳にはいかない。急がないと」
「勇ましいなぁ。あんさん男やな。ほならうちのとっておきの兵器売ったげまっせ」
 ゴブリンは店に駆け込み、しばらく物置を漁った後、箱を抱えて出てきた。箱の中には何やら黒い玉が4つほど入っている。
「試作品みたいなもんですけど、相手がガーゴイルなら効きまっせ。多分。4つで20スラにしときま」
「サービスじゃないのか。またいい値段だなぁ」
「でも払えますやろ。あんさんの懐具合見ての大勉強でんがな。完成品なら一つ100はとれる逸品の予定でっせ。こんなチャンス逃しなはんな。それにこんなはした金けちって死ぬなんてアホとしか言えまへん」
「未完成かよ。本当に効くんだろうな……」
 疑いながらも押し負けて金を支払うルスラン。いいカモである。
「ここにぽっちがありますやろ?使うときはこれを押し込んでから投げ付けますのや。3秒ほどで爆発しまっせ。ガーゴイル以外の相手には効き目を期待したらあきまへん、けちらずガーゴイル相手に使い切るつもりでいきなはれ。ほな、おきばりなはれ」
 不安なままルスランは送り出された。
「あんさん、今のマジックボムの失敗作ちゃいまっか?」
 残されたゴブリンの一人はそう言う。
「せや。せやけど相手がガーゴイルなら覿面のはずやで。あれやし」
「そういや、あれでしたな。何でも使いようですなぁ」
「ほんまやわ。もったいのうて捨てるに捨てられんかったあれも片付いたし、ええ事ずくめや」
 そんな二人のやり取りなど露ほども知らず、ルスランはアルトールへの道を急いでいた。