ラブラシス機界編

32.挟撃

 一体どうしてこうなったのか。アレッサの戦いでは裏切り機兵が出現したあたりからの展開が目まぐるしすぎてなかなか状況についていけなかった。だがこの場にはこの一幕の中心的な存在もいるし、戦いの勝ちが見えた時点で傍観者たちは心に余裕が生まれていた。のんびりと解説を聞きながらの観戦と決め込んでいた。
「この寝返り機兵は何だったの?ウィルスの仕業じゃないよね?」
 質問第一号はヘンデンビルである。現在の戦況は夜叉バルキリーがじわじわと数を増やしているところだ。この夜叉バルキリーの機体はバルキリーを外見だけ弄った物で、中にはコピーされたアレッサ要塞核を宿している。その凶悪な外見はアレッサ要塞核の遺志によるものだ。元祖の要塞核は記憶の全てを忍び込んでいたバルキリーを介してこちらに託したあと玉砕したものの、一度託された記憶や意志はコピーし放題で現にこうして量産型が跋扈している。この状態で遺志と言えるかはやや疑問だ。
 とにかく、アレッサ要塞核のことはその記憶を受け継いだあるいは取り込んだバルキリーに聞けば分かるのである。
 裏切り機兵、もしくは寝返り機兵。そう呼ばれているように、これらの機兵はウィルスの影響が出たときのように完全に暴走し敵味方の区別が付いていない様子ではない。ルナティックという名前の通りにウィルスの影響が出れば狂ったおかしな動きを始めるが、裏切り機兵は統制が取れていて明確に他の機兵と敵対している。そしてアレッサ要塞核ともバルキリーたちとも敵対しない。第3の勢力ではなくこちらサイドなのだ。自分たちに覚えがない以上、アレッサ要塞核の差し金でなければならない。
『ウィルスで機兵の指揮ユニットがこちらの支配下に入ったんだよ。元々要塞核に組み込まれていたユニットだから使い方は分かってるし、好き勝手に使わせてもらったわ』
 代弁者であり今や本人でもあるバルキリーが答えた。
「要塞核にそんなものを組み込んでどうするんだ」
 ニュイベルが怪訝な顔をする。
「私の指示で人が死んだりバルキリー(うちの子がやられたことにしたかったんでしょ、ホント腹立つわー。でも今回は利用させてもらったけどね。ザマアミロよ、おほほほほほ」
 悪い笑みを浮かべているのは人間型に進化したバルキリーだ。ついさっきまでは無表情だったはずだが……。
「こいつ、いつの間にこんな顔するようになったんだ?」
 あんたの教育が悪いんだと言いたげにブロイに問いかけるニュイベルだったが。
「お前の影響だろ?お前がいつもしてる顔だぞ」
「そんな馬鹿な。違うだろ、なあ?」
 救いを求めるようにギリュッカとリュネールの顔を見るニュイベルだが、二人とも無言で目を逸らした。二人ともニュイベルのこんな顔に見覚えがあった。むしろよく見る顔だった。
「無表情で喜ぶのが怖いと指摘されたので表情が変えられるようにアップグレードしたの。笑顔、間違ってないでしょ」
 確かに間違ってはいない。むしろ適切すぎるので引いているくらいだ。とにかく。
「顔といえば、何でこんな怖い顔なのー?夢に見そうー」
 もう夢うつつのような寝ぼけた声で問うのはチャリカだ。もっとも彼女にとってはこれが標準である。
「積年の恨み、怒りの気持ちを表現してみましたぁ」
 チャリカに合わせるようにのんびりと答えるバルキリーだが内容はのんびりではなかった。これも表情について学習した成果だろうか。こんなに怒り狂う顔を見せるのは……やはりニュイベルだろうか。
「わあ。そのまんまだねー」
 それ以上言うべきこともない。この話は終わりである。
「なんかね、アレッサの要塞核には怒りの感情に関するデータがまとまってたの。前からずっと機軍には苛ついてたんだけど、おかげさまでようやく怒りを爆発させられた感じ」
 終わりかと思ったが終わらなかった。詳しく聞いてみると、アレッサ要塞核のデータはレジナントやパニラマクア、ラザフスで獲得したものとは大きく違うものであったという。その中に怒りの感情データも含まれていたというわけだ。
「これまでに獲得したデータにもそういう感情データがあったてことか?」
 人型バルキリーはうなずく。
「はじめはレジナントのデータだけで動いてたでしょ。その頃はね、嫌なことがあっても怒りは起こらなくて、やる気がなくなってく感じだったかな、悲しみっていう感情だって後から知ったけど。逆に、やる気がでるのはスクラップをもらったり、私の考え方がちゃんと伝わったときとか」
「嬉しい感じ、喜び、か」
「パニラマクアとラザフスのデータはほぼ共通で、これにも怒りの感情が入ってたの。その頃からイライラするようになったかな。なんかちょっと、ニュイベルの気持ちが分かる気がしたんだ」
「俺を怒りの権化みたいに言うんじゃねえ」
「あ、怒ってるー」
「怒ってねえよ!」
 チャリカに怒鳴り返すニュイベル。これで怒ってないなら相当気性が荒いだろう。
「アレッサには別なデータが入ってたんだろ。それも怒りだったってことか?今のところ4分の3が怒りで、かぶってまで存在してたんだろ。怒り多くねえ?」
「怒りが多いっていうか、怒りの感情は分割されてた感じなんじゃないかね。怒りの感情がまとまった結果があのザマだろ。そもそも分割されててもパニラマクアもラザフスも、アレッサまでもが怒りの反撃で大暴れしてたじゃないか」
 ディオニックの疑問に意見を述べるブロイ。
 怒りの感情が入ってなかったレジナントは反乱ではなく自滅を選んだ。ウィルスによる介入がなくとも何かの弾みで要塞核が自由意志で動ける事態が起こらないとも限らない。そう考えれば確かに感情の中でも一番危険な怒りの感情は分割して正解だったのだろう。
 そしてさらに、怒りと喜びも意図的に分離されていた。何せ、今のバルキリーは怒りに任せて行動したその結果が良好なものであれば喜びが刺激される。つまりスカッとする。クセになってもっとやりたくなってしまうのだ。喜びの感情がなければ怒りにまかせて暴れても虚しいだけで終わっていたわけだ。機軍にとってろくでもない融合を成し遂げていたのである。
 これまでに要塞から回収されたデータはアドレスの埋まり具合からもう少しで半分に届くくらい。アクセスした要塞の数からするとハイペースすぎるきらいがある。前例もあるので内容がほぼ同じのかぶりがこれから発生していくのだろうが、出だしとしては順調だと喜んでおけばいいのだ。
 とにかく、ラザフスでの激闘の隙をついてバティスラマ側で仕掛ける二面作戦は上々の結果で終わったのだった。

 一体どうしてこうなったのか。そう思っていたのはグラクー側の面々も同じである。なぜ機軍は進攻をやめて引き返したのか。その理由が判らないと不気味だ。削られた戦力を整えて出直すつもりだと言うのが一番ありそうだが、グラクーを攻める戦力はあれでも十分だった。戦いながら増援を待つ方向でもよかったはず。ありもしないこちらの奥の手を警戒しているにしても戻ってくるのが遅すぎる。
『アレッサへの奇襲が成功しましたー。やったね♪』
 そんなことを考えていると、唐突にバルキリーが言った。こちらのバルキリーには人型はいない。未だにリーダー格でも乗り越えられない段差以外は足を出さずタイヤで移動する、機械らしい機械だ。
 機軍の謎撤収の理由はほぼ間違いなく、その奇襲への対処を優先した為だろうと思えた。グラクーなどはいつでも攻め落とせる町だが、アレッサに急行できる飛行機兵だけでも離脱させてしまえば手こずって機軍の被害が増え、その結果スクラップを餌にバルキリーが増えて最悪形勢逆転されることも警戒したのだろう。現に、こっちに戦力を投入している隙をついてのアレッサへの襲撃なのだ。反転してアレッサに駆け付けたところでまた手薄になったラザフスを攻撃されることを警戒しない方が馬鹿だろう。
 しかも。奇襲に成功と言われたので、先手をとったところでここから有利に戦いを進めていくのかと思いきや、奇襲からの電撃戦で既にアレッサを制圧済みだと言うではないか。
「そんな作戦を裏で進めてたなら、もっと早く言ってくれてもいいのではないか」
 不満げに言うバーフィードにコルティオスが言う。
「そうは言うがな。そんな隠し玉があると知ってしまえば我々もそれを当て込んで死に物狂いでは抵抗しなかったかも知れないし。そんな我々の様子でアレッサ側の動きを察せられたりしたかも知れないし。敵を欺くならまず味方からって言う奴だな」
「なるほど。勉強になります」
 テッシャンも深くうなずいた。実の所、そこまで考えられていたわけではない。そもそもの目的は潜入でもしてデータだけでも入手できれば儲けものというくらいのものだった。その程度ではこの遠隔地にまでは報告の必要性を感じなかった。
 しかし要塞核が内応してくれたので派手に暴れてやろうという事態になり、それはそれで状況は流動的で途中経過を報告しても仕方ない。結果が出たところでの報告となったのだ。おっさんどもの性格まで考えて行動などしていないのである。
 そしてそもそも。
「あれ。我らってもしかして、囮にされてた?」
 気付かない方が幸せな事実に気付いてしまうコルティオス。
『そんなことはないよ』
 否定の早さが怪しいが、たぶん機械だから反応が迅速なだけであろう。そう思うことにした。確かに結果的に囮のような形になったが意図的に囮として使ったわけではないし、囮にして見捨てたわけでもない。むしろ助けられた位なのだから文句を言うこともないのだ。
 囮に使われたことも欺かれていたことも口惜しいが、終わったことより考えなければならないのはここからの立て直しだ。
 弾薬の残りは僅かだしエネルギーもほぼ使い切ったが、設備へのダメージは軽微だ。バルキリーが全滅に近い感じだが、時間とともにエネルギーもバルキリーの数も回復する。問題は機軍がその時間をくれるかだ。
 機軍はこの後どう出るだろうか。アレッサの奪還か、それともグラクーへの侵攻か。それとも守りを固めるだろうか。グラクー侵攻以外を選んでくれることを祈るしかない。

 警戒すべきは機軍の動きだけではなかった。コルティオスたちはボンディバル、ひいては中央政府軍に喧嘩を売っている。バーフィードに至っては「特進させたいなら、機軍と共同で挟撃でも仕掛けることですな」とまで言い放っていた。そして、その言葉が現実になろうとしていたのである。
「我々はグラクーを援助すべく大規模な増援部隊を送り出す!」
 そう公表したボンディバル少将だが、本音は真逆である。そしてコルティオスたちもその思惑を正しく見抜いた。
「狒々爺め、我々の始末に動き出したのではあるまいな」
「これで機軍が再び攻めてくればボンディバルの手先にやられたのか機軍にやられたかなど誰も判りませんな」
 ニュースでは増援部隊とやらの概要も伝えられていた。見覚えのある機体、しかし色違いである。その名も"紅き鸛"。
「我々が逃亡者の制圧に送り出されたときの同型艦ですか。やる気あるんですかね、自分で言うのもなんですがすっごくあっさりやられましたぞ。同じ道を辿る未来しか見えないのですが」
「優秀な指揮官であれば一味違うと言うことではないのか」
「うわ。それはなんたる侮辱!何としても同じ道を辿らせねば!」
「まあ待て青の。今度は状況が違うぞ。何せ来る名目は援軍なのだ。先手を打ってはこちらが反逆者になってしまう」
「ぐう」
 ここでテッシャンとバーフィードのやり取りにコルティオスが口を挟んだ。
「しかし、奴らもどさくさに紛れられる状況になるまではこちらを攻撃などできまいて。機軍が攻めてくるまでは安心できる。その間に何かを仕掛けることはできるのではないかね。寝返り工作とか、乗っ取りとかな」
「なるほど。流石は少将と同じ髪型……」
「誰が禿だ!」
「そこまでは言ってません。とにかく出世するだけあってひれ……老獪であると」
「今卑劣って言い掛けたよね。まあ、狒々爺が卑劣なのは間違いないけど。人間の頭には年と共に知識が詰まり毛と良識は失われていくものなのだ」
「代償がでかすぎますな」
「多くを失いながら多くを得るのが人生だよ。失ったもの以上を得ることができるように努力できるかで人生の価値が決まるのだよ」
「至言であります。タダで禿げてなるものかという気概を感じますな」
「誰が禿だ!」
「あ、思わず言っちまいました」
 味方だとは思えない中央からの援軍が迫っていてもこんなふうに暢気に構えていられたのは、彼らが話していた通り到着してもすぐにどうにかなることはないと高を括っていたからである。それが甘い考えだと思いするのはすぐ後のことであった。

「確かに挟撃してみろとは言ったが、本当に仕掛けてくるとは……」
 唸るバーフィード。"紅き鸛"が背後から迫る中、正面からは示し合わせたようなタイミングで機軍も迫っていたのである。
 そりゃあ、機軍が来ると思えるからこそ中央政府軍の援軍が派遣されているのだし、ラザフスの向こうの要塞・バッコスにて怪しい機軍の動きが見られたからこそ"赤き鸛"も速度を上げ、寄港された都市も積極的に補給に応じて順調に到達できているのであって、タイミングを合わせたと考えるよりは急いだ結果間に合いそうなのだと考えた方が自然なのだろう。
 しかし中央軍に対し疑心暗鬼になっている身としては、我々が機軍に蹂躙されるのを待つだけでなくその手伝いもできるようになったと考えてしまうのもやむなしだ。せめて中央政府軍が機軍より先に到着してくれていれば寝返り工作でも乗っ取り作戦でも行う余地があったのだが……。
 敵か味方か判らないむしろ敵に回るとしか思えない援軍と明らかな敵は、それぞれ後ろと前から迫ってくる。

 グラクーに銃弾の雨が降る。浮遊機兵の銃撃だ。
 浮遊機兵、通称モスキートは先行する飛行機兵・フライの突撃による攪乱に紛れて大量に飛来する。浮遊機兵は気球で浮いてプロペラで推進するのでスピードは遅い。その分生産にも稼働にもコストが掛からないので物量で攻めてくる。攻撃手段も実弾からビーム砲、自爆を含めた爆撃まで多岐にわたり、行動も読みにくい。機体の軽さ相応に攻撃の威力も軽いのが救いだが、この対処にもたつくと陸上部隊の到達で苦境に立たされることになる。
 動きが遅いので機銃やバルキリーのジャベリンによる狙撃が有効だ。近距離ならペブル砲の投石ですら狙撃できる。もっとも、数の多さ故に狙撃するまでもなく数の多いところに適当に放り込むだけでも高確率で命中する。機銃も弾薬に余裕があるなら掃射すればいい。
 こちらの弾薬にゆとりがあるなら一斉掃射で片が付くのだが、町にまで到達されている時点でお察しだ。言うまでもなくまずい状況だった。
 また一人倒れた。このままでは機軍地上部隊の到達まで持ちこたえることができるか。もちろんそこまで持ちこたえたところで、地上部隊に到達されれば一巻の終わりだろう。
 その時、西の空に巨大な機影が現れた。航空母艦"紅き鸛"である。援軍という名目だが、疑わしいものだ。そしてその予想は現実となる。
 "紅き鸛"から出撃した自動戦闘機は飛行機兵や浮遊機兵を次々と撃ち落としていく。しかし、機兵とバルキリーの見分けなどついていないようでバルキリーもまた狙い撃ちされていた。グラクーにとっては主戦力と言って差し支えないバルキリーがやられるのは致命的である。
 それだけならまだしも、"紅き鸛"は高空に居座り自動戦闘機も機兵を上から撃っている。下にグラクーがあるにも関わらずだ。その結果がどんな結果を招くか気付いてないならお粗末すぎるが、どうせわざとだ。
 グラクーの戦力はどんどん減っていく。機軍にやられたのか自動戦闘機の流れ弾という名目の無差別攻撃に倒れたのかは判断の難しいところだ。
 機軍は絶え間なく押し寄せ、地上部隊がついに目視できるほどになった。もう勝ち筋は見えない。"紅き鸛"は撤退を決断したようである。
 守る者がいなくなったグラクーを機軍は心行くまで蹂躙していく……。
 
「まさかこんな映像を撮ってたとはねえ」
 映像の中で自動戦闘機の”流れ弾”に当たって倒れていた男が言う。
「と、これが"紅き鸛"が援軍のふりをしてグラクーを壊滅させようとした場合のシミュレーションだ」
 バーフィードが偉そうに言うが、そのバーフィードもこの映像の存在をさっき知ったばかりである。
「シミュレーションだったんですか。訓練だって聞いてましたが」
『シミュレーションと訓練をかねた撮影ね』
 通信の向こうからヘンデンビルが言った。もちろんこの映像はヘンデンビルやセオドアらの差し金によるものである。
「しかしまあ機軍を攻撃するのに巻き込んでくるとは、卑劣なことを考えるものですな。これなら一応機軍を攻撃してるわけだから批判は躱せると」
 さすがに味方を巻き込んでおいて批判されないわけはないのだが、直接人間を狙い撃ちするよりは批判は少ない。それに、撃破したのが主に敵か味方かはっきりしない機械ならなおさらだ。
「自動戦闘機のやったことならプログラムが悪かったとか言い訳もできるな。滅多にない状況だったので思わぬ不具合が露見したとも言い張れる。そうやって責任逃れして、システムは修正しておきますと言うだけで実際は放置かな」
「むう、悪辣な」
 その悪辣なシナリオは中央政府軍が描いたのではなくヘンデンビルやセオドアによる予想である。
「我々は真っ正面から人間を攻撃させられたと言うのに。そんな責任逃れの方法があるなら我々の時も何かしておいていただきたかったですな」
 "蒼き鸛"の時は一応反逆者が相手という大義名分があったのだから対策も何もない。その後ちょっとでも悪評が立ったのはそれこそヘンデンビルの悪辣な印象操作のせいであった。
 ともあれ。責任逃れの工作以前の問題として中央政府軍はまだ到着までに時間があり、実際はどうなるのかまだ不明だ。予想されるようにグラクーを見捨てたり挟撃するよう動くのか、それとも本当にただの援軍なのかは実際に来てみないと判らないのだ。
「しかしまあ、この映像は実戦さながらですな。撃たれた人も芝居とは思えぬ」
「実際芝居じゃないんですがね。本気で結構痛かったんすから。血が出ていると思って焦ったし」
 撃たれた人が言うのだから間違いない。
「実際血は出ているようだが」
「血糊の入ったペイント弾だったんす」
 人間に当たる弾だけペイント弾を使っていた。もちろんその全てが確実に人間に当たるような恐ろしい精度ではないが、外れて地面で炸裂したペイント弾だってあまりに的外れな場所でない限り、弾丸が貫通して地面に血が散ったようにしか見えない。
 ただの訓練だと思って参加した面々も、撃たれたら血塗れになるものだから思わず「何じゃこりゃあー!?」などと太陽に吠えてしまう始末。ただの訓練だと弛緩していた気持ちも”撃たれたら汚れる”という恐怖で一気に引き締まったのである。
 この訓練が撮影を兼ねたもので血糊の弾が使われていることが通達されたのはその後だった。撃たれたら死んだふりをして動くな、と。その脱落者が死んだふりのままバルキリーに担がれて退場していく情けない姿を見せられ、これは脱落できんと気合いを入れ直したのだった。
 なお、ペイント弾は洗濯したらきれいに落ちたので撃たれたものたちも一安心だ。そして今の映像はしっかり編集され、撃たれたはずの人が元気に「何じゃこりゃあー!?」とか叫んでいるような場面はもちろんカットされていた。
 そして、なぜこんな映像をわざわざ用意したのか。
『いざとなったら、この映像を公開して援軍に後ろから撃たれましたっていうのを口実に先制攻撃しちゃっても、ねえ』
 そんな事態は援軍という名目の征伐部隊が攻撃を仕掛ける前に自分たちの真の目的をぽろっと吐露してしまうような馬鹿だった場合にしか起こらないが、その万一の事態にも備えておいて損はない。
 そして、その万一の事態は図らずも起こるのである。

『あのね。中央で乗り込んでた子がね』
 ぼそっとバルキリーが切り出した。
 "紅き鸛"が中央を飛び立つ前、こっそりと潜入を果たしていたバルキリーがいたのだ。離陸した"紅き鸛"の中でこっそりと活動を開始、船内を探っていた。積載された戦力の調査ももちろん行っていたが最も重要なのは交渉である。そのために、船内でもっとも有力な将校を探していた。
 平和的な交渉だけなら無線通信だけでいくらでもできるが、無線通信だけでいくらなんでも実は援軍じゃなくて挟み撃ちが目的だなんてバラすような馬鹿はいくら何でもいるまい。しかし、船内に潜り込んだバルキリーがいつでも制圧可能な感じに姿を見せて可愛らしく迫れば、あるいは。
 というのが作戦だったのだが……。
「艦内に人がいない?」
 交渉すべき相手が見つからなくては交渉はできない。そしてこれは別にあり得ないことでもない。航空母艦は自動戦闘機を搭載して飛ぶだけ。自動航空プログラムに操縦運行を任せれば人は要らない。緊急の事態にも遠隔操作で何とかなる。
 そもそも、中央政府軍の腰抜けが絶望的な勢力の機軍との戦いにその身を投じるわけがない。搭乗員は例えば手前の都市ミフェンロで降りてそこから先は遠隔操作、そのくらいは当たり前だと思っていた。最初から誰も乗っていないなんてのもあり得ないということもなく、さほど驚きもない。
 なので、作戦を<誰もいないことをいいことに>作戦に切り替えた。こそこそしていたとは言えバルキリーが歩き回っても反応がなかった時点で艦内の監視は緩い。当然だ、無人で中央から出た艦に内部で異常が起こることなどほぼ考慮されない。補給で都市に立ち寄ったときに入口から人かグレムリンあたりが紛れ込むのを監視しているくらいで、何事もなく飛び立ち航行中の艦で破壊活動もなく侵入者が潜んでるなどあり得ないのだ。
 中央では人の侵入者は一応チェックしているが、荷物に混ざった機械の侵入者などチェックしていない。何せこの艦に積まれている物は自動戦闘機、機械だ。しかもバルキリーはそれに擬態して潜り込んでいる。簡単なチェックでは見つけられるはずもない。最大の問題発生の原因たる人員を乗せておらず、異常なしで飛び立ちその後も異常など起きてないのだから、艦内のモニタリングなど行わない。カメラは動いていてもそれをリアルタイムで見ているオペレーターはいないのだ。カメラの数だって多くない。その死角でバルキリーは動き出す。自動戦闘機の一つを確保して解析を行った。
『その戦闘機械のプログラムは母艦と自分の同型機以外の動くものを攻撃するシンプルなものだったよ』
「シンプルイズベストということだな」
「本当にベストかどうかはじっくり考えて、いざとなれば揚げ足を取るのは大事だと思うね」
 わかったようなことを言うコルティオスらに、おずおずとテッシャンが進言する。
「……あの。ならば早速揚げ足なのですが。それって動いてたら我々も攻撃されません?」
 しばしの沈黙。
「言われたらその通りだ!」
「殺る気満々ではないか、狒々爺め!」
 実際のところ、運用次第ではある。機軍は大体要塞から列をなし押し寄せ波状攻撃を仕掛けてくる。背後をとるという選択肢はない。味方の居ない、敵のただ中に放り込めば周りで動くものは敵のみである。戦力で上回れば機軍を撃退できるだろう。しかしその場合、次は味方の殲滅が始まる。有利に戦いを進められるのであれば早い段階から味方を巻き込む。逆に戦力が足りなければあっという間に殲滅される。その場合は機軍にスクラップを与えるだけ損だ。
『どこに陣取るかによって私たちを巻き込む気かどうかはわかりそうだけど……』
 味方を巻き込まない場所で戦って、早々に切り上げれば味方を巻き込まずにすむ。しかし、そんな戦い方しかできない援軍は大して役に立たない。機軍だけ攻撃するようなプログラムも簡単に組めるだろうから、最初から巻き込む気満々だと思うしかないのだ。
『という訳なので。味方だとは思わず対処を施しちゃいまーす。ふふ、むふふふふ』
 嫌な感じで笑いながらバルキリーはそう宣言したのであった。

 自動戦闘機は機軍のど真ん中に展開しなければグラクー軍を盛大に巻き込む。そう推測される"紅き鸛"が陣取ったのはグラクー上空であった。機軍だけ攻撃できる自動戦闘機が搭載されていたならその配置で何ら問題なかったが、ネタはすでに割れているのである。
「予定なら中央軍の思惑が明るみになった時点で例の訓練動画を公開し、中央軍が機軍への攻撃にグラクーも巻き込んだというデマを広めた上で中央政府の援軍相手に先制攻撃するというつもりだったらしい」
「容赦ない話ですな」
「しかし。その必要はなくなったとのことである。援軍は説得により、文字通りのただの援軍となった。よって、気にせず普通に機軍に対抗するように」
 コルティオスからの通達は以上であった。
 やがて地平線から機軍が現れた。飛行機兵が急接近し戦端が開かれる。空に向けての機銃乱射は命中率が低く弾の無駄だ。セオリーとしては火力の弱い飛行機兵の攻撃は防御だけ固めて無視し、遅れて大挙し到来する浮遊機兵への攻撃に巻き込むか、あるいはこちらも飛行戦力で対抗するか。
 そのセオリー通りに投入されたのは飛行戦力である。グライダーを装備したバルキリー、ファルコンが撃ち出されていく。高速で飛ぶ飛行機兵でも近距離からレーザー銃で狙えばほぼ命中する。
 そして"紅き鸛"からも自動戦闘機が放出された。乱戦の中に投入された、同型の自動戦闘機と母艦以外は動いていれば手当たり次第に攻撃するはずのそれは、バルキリーを避けて正確に飛行機兵だけを攻撃していく。バルキリーによる対処の成果だ。
 対処は簡単だった。プログラム通りの動きしかできないのなら、そのプログラムを書き換えてしまえばいい。いかにも大量生産型らしい記憶容量の少なさであまり複雑なプログラムは書き込めないが、母艦への撤退は考慮されていて位置情報のやりとりくらいの機能は搭載されていた。ならばやりようはある。
 きわめてシンプルなプログラムだ。バルキリーの指示するポイントにもっとも近い動くものを攻撃させている。捕捉した敵の位置を指示すれば味方を攻撃することはない。
 膨大な数の自動戦闘機のプログラムを書き換えるのが大変だったが、その辺は自動戦闘機を数機ほど徴発させていただきバルキリーに新生させてあげて労働力にしたのだ。ちゃんと見張ってないからこんなことになる。
 ちゃんと援軍として機能した援軍のおかげで緒戦は有利に進められた。次いで浮遊機兵が到達する。浮遊機兵は機動力が低く狙い撃ちしやすい。次々と撃ち落とされていくが、何分製造も輸送も低コストで数が多い。いくら撃墜しても一向に減らない。物量による攻撃に加え、デコイとしての役目もある。ターゲットを分散させさらに低空を押さえることで空中戦力として主力である飛行機兵に地上からの攻撃が及びにくくなるわけだ。
 浮遊機兵の到来でさらに乱戦の模様が濃くなる。バルキリーたちは元が同一だけに統制も取れている。今は大部分が地上にいて、ファルコンタイプを避けて攻撃をすれば当たるのは他の物、すなわち敵だ。
 では、この状況で機軍はどうやって同士討ちを避けているのか。それは識別電波だ。機兵はお互い識別電波をやりとりすることで敵味方の判断をしているのだ。
 ならば、その電波を使えば偽の機兵を作れるのでは。そんなことはずっと前から考えられて試行錯誤されていた。しかし、なぜか偽の電波はほぼ見破られうまくいかない。
 電波の内容が間違っていたわけではなかった。その電波が発せられるタイミングが間違っていた。それが分かったのはアレッサの要塞核から受け取った機兵指揮ユニットのデータを参照した結果だ。
 指揮ユニットと言ってもそれ一つで全ての機兵を指揮できるわけではなく、その指揮ユニットの下に置かれた言わば所属機兵を指揮できるだけ。アレッサでも指揮下にあったアレッサ製の機兵は自由に操れたが、外から派遣されていた機兵は指揮下に置けず戦闘になっていた。こちら所属の機兵などいない今回の襲撃に直接役立てることはできないのだが、仕組みが明らかになっただけでも大きな成果だった。
 実質使い捨ての量産型攻撃機械にそこまで高度な機能が搭載できるわけではない。特に浮遊機兵は重さの上でも大きな制限がある。センサー類も最小限、動きを感知する物のみが搭載されている。動きを感知し、攻撃の直前にその対象に識別電波を送信。味方の信号が返ってきたら攻撃せず、応答がなければ攻撃。もちろん明らかに敵とわかっていれば確認を省略して攻撃するし、明らかに味方ならば確認を省略して攻撃対象から外す。このような仕組みだと、思われていた。
 しかし、指揮ユニットの仕組みが明らかになり本当の識別電波の使い方が分かった。そもそも、全て同じだと思われていた機兵の中に、装填弾薬は少なめだが処理ユニットが増設された指揮官タイプが混ざっていたのだ。
 識別電波は個体同士の攻撃対象確認ではなく、生存確認と指揮官を失った個体のチーム編入に使われていた。まだ生存している個体の識別電波を出してもバレるし、撃退した個体の識別電波でうまく成り代わったとしても、そのグループの指揮官が撃破され他の指揮官によって再編成される際に呼びかけに応じないのでバレる。
 その仕組みが分かってしまえば、利用はもちろん可能だ。識別電波を確認し、その機兵を撃破。その識別電波を乗っ取れば機兵に紛れ込める。雑兵に成り代わったところで出来ることはないが、機軍の生存数を欺瞞し一見拮抗しているようで圧倒的に優勢な状況が作り出せる。グラクー軍への攻撃はわざと外す。機軍からは仲間だと思われているので攻撃されない。そこで指揮官タイプに成り代わった偽物がチームを誘導、そこで一網打尽にしつつさらに機兵に成り代わっていく。
 これを繰り返し、機軍側の認識と実際の戦況に差が出来ていた。機軍から見れば戦況は拮抗している。しかし実際には前線にいる機軍の二割ほどは偽物だ。機軍戦力の投入ペースは変わらない。グラクー軍はじり貧になる一方で機軍側の戦力は一定を保っているなら勝利は揺るがないからだ。すでに機軍が押さえている地点にさらに機兵を投入する意味はない。本当に、その地点を抑えているのが機軍であるなら。
 やがて機軍の地上戦力が到着する。あとは蹂躙するだけ。
 どちらが?
 上空を抑えている機軍戦力は優勢なまま健在だ。敵の航空戦力を引き付けて抑えている。その筈なのに、機軍地上部隊に対する攻勢が激しい。
 激しい攻撃のわりに、機軍への被害は少ない。到達した地上部隊への無茶な捨て身の攻撃だったと判断し、進軍を続行する。
 戦闘は激しさを増し――突如、凪ぐように鎮まった。機軍に成り代わったバルキリーたちが、偽装をやめたのだ。もちろん、もうその必要がなくなったから。
 上空は完全にバルキリーたちが押さえていた。乱戦中の最前線にもバルキリーしかいない。地上戦力は既に残りの機兵全てでようやく拮抗する程度だ。
 バルキリーの航空戦力は機軍の地上戦力の背後に回り込み、退路を塞いだ。そして正面からはバルキリー地上戦力が迫る。後は蹂躙を待つばかり。

「相変わらず、嫌らしい戦い方をするものであるな」
 勝ったというのにコルティオスの表情は曇っている。バルキリーの戦いぶりにどん引きしたのである。
「しかし、正攻法で攻めても勝てるものではありませんからなあ。ラザフスから資源を掠め取ってきたとは言え、まだ大多数がスクラップのまま。あれを全部機械に作り替えてようやく戦力が拮抗するくらいでしょう」
 バルキリーがあまり強すぎても怖いのでそのくらいであってくれという願望も込みでの目算である。先日機軍に奪還されたラザフスから予め運び込んだスクラップだが、それを加工する暇も与えられず戦闘が始まっていた。今回の戦闘でさらにスクラップを獲得したがバルキリーにも損害が出ている。加工のペースがまた落ちたことだろう。このままではラザフス奪還どころかグラクーの防衛すら覚束なくなる。勝ち方を選んでいる場合ではないのだ。
 今回の襲撃は前回途中で撤収した機兵が引き返してきただけだろう。普通に長期戦になれば緊急で呼び戻された機兵たちもアレッサに到着できたかもしれない。だがあっさり陥落したことで出番がなくなったのだ。つまりそっちがもうちょっともたついてくれれば今回の襲撃はなかったのかもしれないが、あちらも電光石火の奇襲だから勝てたようなものだろう。文句を言うのも筋違いだ。僅かな間だけでも引きつけてくれたことに感謝だけすればいい。
 今回をうまくやり過ごせてもまだ本格的な襲撃が来るだろう。まだ安心できる段階ではないのだ。