ラブラシス機界編

28話・ターニングポイント、ターニング掌

「あの狒々爺め!機軍のご機嫌取りのようなことを言いおってからに!」
 通信を切るなりコルティオスは喚いた。バーフィードの口癖である狒々爺がすっかりうつっている。最近のボンディバルには温厚で日和見主義で事なかれ主義のコルティオスにも流石に腹に据えかねるものがあるようだ。
 通信は人払いをして行ったわけでも人気のないところに移動して行ったわけでもない。宴会場の隅に移動しただけである。ボンディバルは素直に祝いの言葉など言わないだろうと思っていたので、はなから通信の音声を周りに聞かせたりはしていないが、少なくともここに居合わせたものにコルティオス自身の声くらいは筒抜けである。今のやりとりを聞いただけでもろくでもない通信だったことはわかったことだろう。何せコルティオスはボンディバルにグラクーを見捨てるのかと問うてまでいるのだ。何事か気になって当然であり、皆聞き耳を立てていた。
 コルティオスは居合わせた者たちから問われるままに事情を説明する。ボンディバルの口振りからして事態は急を要するのだろう。隠し立てしている場合でもあるまい。
「つまりバルキリーを殲滅するために機軍が総攻撃を仕掛けてくると言うことですか」
「そういうことらしいな。機軍にとってはバルキリーとは人間よりも忌むべき存在なのだとか」
 と言ったところでコルティオスは小首を傾げる。数千年に渡り戦い続けても考えの読めない存在だと言われる機軍の考えについて、ボンディバルはやけに詳しいではないか、と。
 まあ、その辺はどうせ分かるわけがないと考えもしなかった自分の不勉強か、と気にせず話を進める。
「バルキリーさえ殲滅できれば機軍は切り上げるだろうとのことだ。だからバルキリーを残して一度待避せよ、と」
「全員ですか?田舎のミフェンロにそんなに人を養う力があるでしょうか」
 テッシャンが小首を傾げた。今は破壊され跡形もないが、ここグラクーもまたミフェンロを超越する圧倒的な田舎であった。前線は都市と言えど破壊されることも多く、簡易的なバラックが多い。それに回される資材も兵器に回した余りだ。田舎になるのもやむなしである。そんな田舎で田舎を馬鹿にしたような発言をしたテッシャンに、バーフィードは言う。
「田舎なら場所は余っているんだし、掘立小屋を建てればよい。それで間に合わなくともそんなのは状況を見て分散させていけばよかろう。……それよりもコルティオス殿。別の問題もありますぞ。バルキリーのあるところを攻め落とすのだとすると……中央にもいますぞ、バルキリー」
 田舎がどうとか、気にしている場合でもないのであった。
「だよねぇ。……まあ、まだバレてないし大丈夫なんじゃないだろうか。機軍の連中だって遠くて近寄れやしないだろうし、当面バレなかろう」
 何の根拠もないがそう言った。テッシャンも言う。
「それと、バティスラマの方も攻め込まれるのではないですか。あっちはバレてるでしょう」
「そうだよねぇ」
 今の彼らにそれは直接関係はない。とは言え。
「置き去りにしてきた部下が心配であります」
 彼らにはそういう関わりもあるのだ。
「しかし、バティスラマの方は何とも言っておらんかったな。むしろあちらのほうがバルキリーの本拠地のようだが」
「陥落したばかりのパニラマクアが通れないのでは?それにあそこはここほど野放図にバルキリーが増えてませんし」
「ほんと、増えすぎだよねえ、ここ。とんでもないところに飛ばされて来ちゃったなぁ」
 全力で同調するバーフィード。
「まあ、あれ連れて来たの我々なんですがね」
 他人事のようにテッシャンが言った。
「そうだったかも知れぬ。あっちでももうちょっと増えてれば機軍を押しつけられたかも知れないのだが」
 グラクーが機軍を引き付けてくれることを期待しているバティスラマ軍とどっこいどっこいであった。
「何にせよ、すでにパンデミックですがね。一ヶ所封殺したところでいまさら何の意味もない。機軍の連中も無駄だと気付いてやめてくれれば良いのだがなぁ」
「とにかく、そうとなれば撤退の準備だ。機軍は人間相手の時とは比べものにならない攻撃を仕掛けてくるらしいからな。巻き込まれてはかなわん」
 周りで話を聞いていた人々は最初の一言を避難の指示と受け取って行動を始めた。周囲から人がいなくなっても三人の話し合い、あるいはずっと雑談だったのかも知れないがそれは続く。
「パニラマクアへの総攻撃の再現ですな。しかし、そんな戦力があるならその戦力で我々を叩けば数千年に渡った機軍と我々の戦いもすぐに決着するのでは」
「それは明らかに我々にとってろくでもない決着だから考えたくもないな。きっとあれだ、そうできない事情があるのだろうよ。我々が総力を挙げればそんなものあっさり撃退した上にその勢いで一気にラブラシスまでせめあがり機軍を滅ぼしてしまうのだ、きっとそうだ」
「ならばその戦力でとっとと機軍を攻めればよいのでは」
「うーむ、ああもう、ああいえばこう!つまりはこういうことだよ、先に動いた方が出鼻をくじかれ負けるのだ」
 テッシャンの口振りに激高するコルティオスをバーフィードが横合いから追撃する。
「なるほど、それなら膠着するのも頷けますな。しかし、それならばバルキリーに釣られて出てきた今こそ叩き時だと思いますが」
 またしてもああ言ったらこう言われたわけだが、この意見にはコルティオスも同感であった。
「今から総力戦を仕掛けようとしても準備が間に合わない……?いや、それなら先に仕掛けた方が負けるという前提にそぐわない……。この場面で動かないことに我々にどんな得があるのか、あるいは動いてどんな損があるのか……」
 戦力が拮抗しているのであれば、そして動けるのであれば、ここで動かない理由はない。動けないと言うなら、なぜ動けないのか。考えるうちに、コルティオスは恐ろしい結論にたどり着いてしまう。
「まさかあの狒々爺、我らの手柄を潰すためにグラクーを見捨てようとしているのか……?」
 ふと思いつきはしたものの。これはつまりひいては人類の勝機を、未来すら捨てようと言うことである。さすがにそれはない。
「奴なら!やりかねませんな!」
「我々を亡き者にすることを諦め、今度は我々を戦犯に貶めることを画策し始めたか!」
 テッシャンとバーフィードの中でのボンディバルの評価はこんなものであった。そして自分で言っておきながら“さすがにそれはないわー”と思っていたコルティオスも二人の後押しで“あれ?もしかしてアリなの?”などととっさの思い付きを正解だと思い込み始めてしまう。そして。
「中央は……我々を見捨てるというのか!」
「ボンディバルこそ人類の敵だ!」
 近くに残って三人のやりとりを聞いていた住民も怒りを顕わにする。思いつきで思いこみだが、今のコルティオスにはグラクーの人々にそれを信じ込ませるだけの信頼があるのだった。
 とにかく、根拠のないことを論じている場合ではない。事実だけを速やかに皆に伝えねばならない。機軍が退去して攻め寄せてくるので避難せよ。この勧告は速やかに全住民に伝えられることと相成った。ボンディバル中将は己の地位のために我々を見捨てたようだ。この根拠のない推測とともに。

 住人の避難は速やかに始められる。……かに思えた。だが、駐機場に集まってきたのは子供とけが人ばかりであった。これは一体どういうことか。
 自らも伝達に加わり奔走していたテッシャンはその理由を思い知り、コルティオス等に伝えることとなる。テッシャンが伝達に行った先で見知った顔を見つけ声を掛けた時のことである。
「おお、ラミエナさん。こんなところで会うとは奇遇ですな」
 などと白々しいことを言ってはみたが、居そうな場所を順に回っていたのだからそれで逢えない方がよっぽどの偶然である。
「あらぁ。なんすか、こんな時間に。口説きにでも?」
 ついでに口説いちゃおうとか思っていたテッシャンにとっては割と図星であった。
「わはははは。まさか」
 ぎくりとした勢いで言い切ってしまったことでいよいよもって口説くことができなくなってしまった。テッシャンはこの辺律儀な男なのである。『これはもしかして誘っているのでは』などと邪推したりもしないし、『そう言うのならば折角だ、口説いてみようか?』などと切り返す事も出来やしない。ひとまず本来の目的通り、避難せねばならない旨を端的に伝えた。
「その話なら聞いてるっす」
「ならばなぜ逃げない。口説きにきたわけではないが、俺と一緒に行かないか。口説きにきたわけではないのだがな」
 テッシャンは大変未練がましい。
「うーん。気持ちは……」
「気持ち悪い!?」
「いやいやいや。気持ちは嬉しいって言おうとしたんすけど。気持ちは嬉しいんすけど。でも、行けないっす」
「むぅ。先約があるなら身を引くが。誰と行く気なのかも聞かずにおくが」
「いや、誰かとも、一人でも行く気はねっす」
「なに。それでは死んでしまうではないか。死ぬ気なのか」
「易々と死んでやる気はねっすけど。最後まで足掻いてはやるっすけど。ま、そういうことになるんすかね。ここにはアイツの墓も、オヤジの墓もあるし。オフクロもいるし。ここを奪われたら後で取り返せばいいなんて言っても、本当に取り返せるのかなんてわかんないっしょ。それにもしすぐ取り返せたとして、その時には墓がどこにあったかなんて分からない瓦礫っ原っしょ。そこに新しい町を再建したってこの町を守るために死んでいった人たちに顔向けできねっすよ」
 決意は思ったよりも堅そうであった。説得を続けるテッシャンにラミエナはこうも言った。
「あたしは彼氏が死んだばかりだからますます離れ難いってのはあるんすけど。みんなだってなんだかんだ言って逃げずにここで戦い抜こうとするんじゃないっすかね」
 そして、まさにその言葉通りだったわけである。
 宴会の席での急報はそこに居合わせた各お偉いさんからそれぞれ伝達されていったのだが。
「と、言うことらしい。だから今すぐに何の準備をせよとのことだ。まあ、ワシのような老骨にとってはこの上ない死に場所だがね」
「あんたみたいな老いぼれを一人残していくような薄情者だと思うのかい」
「あんたぁ。死ぬときゃ一緒だと言ったろ」
「ここで逃げ出して何が戦士だ!」
「最後まで機械の面倒をみるのが整備士ってもんだ」
「人がいる限り飯を作るのが調理師だ!」
「おまえら、無茶しやがって……。おまえ等の葬儀は葬儀士の俺に任せろ!俺が死ぬか最後の一人になるまで葬って葬って葬りまくってやるぜ!」
 と、こんな感じのやりとりが方々であったのである。
 余所からやってきたコルティオスらと違い、この町で生まれ育った彼らにはこの町を共に守ってきた仲間がおり、この町で散っていった仲間がいた。それらを捨てて逃げ出すことなんてできないし、そもそも最初からここで死ぬ覚悟ができており、ここ以外の死に場所など考えられないのだ。
「むう。なんということだ」
 打算的なことをいえば彼らが撤退しないことで被害はより大きなものとなりこの事態を招いたということになるコルティオスたちの立場はますます厳しいものになるだろう。それに、町を捨てて逃げ出すことにためらいがないコルティオスだってここの人々まで見捨てられはしないのだ。
「ぬううう。どうすべきか……。我々も覚悟をを決めるべきなのか」
 唸るバーフィード。
「ここで散るとも我が生涯にいっぺんの悔いもなし!」
 吠えるテッシャン。
「え?なに?我々そんなに追いつめられてるの?いつの間に?」
 呻くコルティオス。
 と、その時。
『おじちゃんたち、狒々爺さんに中央に呼び出されてるんでしょ?だったら、頼みたいことがあるんだけど』
 その声に三人は一斉に振り向いた。

 翌々日。中央のセンターポートに『勝利の翼』号ほかグラクーの援軍に出向いていた中央政府軍の戦艦と、グラクーの輸送艦数隻が着陸した。先頭を切って中央の地を踏んだのはコルティオス、バーフィード、そしてテッシャンの将校3名。
 彼らは迷いのない足取りでボンディバル中将の執務室に乗り込んだ。
「コルティオス、バーフィード、テッシャン、以上3名。任務より帰還いたしました。また、グラクーよりの避難民137名を同行させております」
 ボンディバルの興味のなさそうな表情がわずかに動いた。
「137名?勝利の翼でなくとも詰め込めば一隻にそのくらい乗るだろう」
 コルティオスはその言葉に反応を示さず、堂々とした態度も崩さず、薄っぺらい紙束を差し出す。
「避難民の名簿であります」
 それに目を通したボンディバルは一同を睥睨する。
「子供と傷病者か」
「戦えるものは最後の一兵まで戦いたい。それらが彼らの意志であります」
「予想していなかったわけではないが……愚かなことだ。言ったはずだぞ、機軍はバルキリーの戦力さえ駆逐できればグラクーより撤退する。そこを奪還すれば犠牲は最低限ですむのだぞ」
「たとえその様なお膳立てがあろうと、守るべき拠点をむざむざ敵に踏みにじられておめおめと生きてはいられぬとのことです」
「土着の民どもめ……。まあいい、それが彼らの意思なら尊重してやるまでよ」
「彼らを支援することはないのでしたな」
「当然だ。無駄に兵力をどぶに投じる必要性などあるものか」
「ならば物資だけでも彼らに送ることを許可願いたいのですが」
「……ふん、空の輸送機を引き連れてきたのはそういうことか。よかろう、せめてもの手向けだ、そのくらいは許可してやる。ただし、軍からは何も出さぬぞ」
「構いません。それと、その物資の運搬も我々が指揮を執りたいのですが」
「……今からグラクーに行けば生きて帰れぬかも知れぬぞ」
「承知の上であります。我らは一度、民に銃口を向け、民と戦いました」
 コルティオスは心の中で[惨敗もいいところだったがな]と付け足しつつ、続ける。
「そして誓ったのです。次こそ民のために、民を守るべく戦うのだと」
 最後に[たった今な]と心で付け足した。
「ふん、好きにするがいい。此度の失態の分は特進で相殺できるだろうからな」
「ああ、その点ですがね、中将殿」
 余計なことを言わぬようにと口を噤まされていたテッシャンが終わりの気配を感じ取り口を開いた。
「我々、生きて帰ってくるつもりですので。ああ、ここに帰ってくるかどうかは分かりませんがね」
 その言葉をバーフィードが継ぐ。
「どうしても特進させたいというのなら、また誰かを差し向けて機軍と共同で挟撃でも仕掛けることですな」
 コルティオスはさっと踵を返した。それに続いた二人の先の言いぐさに肝を冷やして尻尾を巻いたわけではない。……9割は。

 退室し、少し歩いたところでコルティオスはぼやく。
「うーん。狒々爺のつるつる頭を見ていたくないから、啖呵切ってとっとと出てきちゃったけど。時間稼ぎにはなってないよね、全然」
 時間稼ぎ、とは。
 グラクーを発つ前、コルティオス達はバルキリーからとある“お願い”をされた。それは、一応帰ってこいと言われているので一度中央に帰らないとならないが、帰りたくないという彼らにとっても悪くない話だった。
 すぐにこちらに戻ってこられるのなら、一度中央に行き荷物を積んで来て欲しいと。
 正直、すぐに帰ってこられるかどうかは分からなかったのだが、こうして非正規にでも理由があるのであればとっとと中央をおさらばしても不自然ではない。これが最後だと思えばボンディバルに啖呵の一つも切ってやれる。まあ、コルティオスはあの程度の見栄で精一杯だったが。
「物資運搬の許可が出たのなら、わざわざ時間稼ぎをしてその隙に積み込むことはありませんぞ。堂々と積み込んでやればいいのです」
 テッシャンが元気よく言う。
「ああそうか。そうであるな」
「それに、時間稼ぎなら会談前に十分したではありませんか」
「む?何かしたっけ」
「ほら、髭の形が気に入らんとか、襟が曲がってるような気がするとか」
 会談が嫌すぎてどうでもいい理由でぎりぎりまで入室を引き延ばしたのである。
「まるでデート前に身だしなみを気にしまくる乙女のようでありましたぞ」
 バーフィードは含み笑いと共にそう喩えた。
「嫌な喩えはやめろ。『こんな決まらない髪型でボンディバルくんの前になんて出られなーい☆』とか、想像もしたくない」
「想像もしたくないならなぜ実演なされたのですか。こんなものを見せられるなら余計なことを言うべきではなかったと後悔しましたぞ」
 渋面を作るバーフィード。
「ならばよい気味だ」
「まあ、あの狒々爺が相手なら髪型などお揃いのつるつるにせねば不機嫌でしょうよ」
「それ、ただ単に私が頭を丸めて詫びを入れてるだけであろう。わしゃ詫びも反省もせんぞ」
「今の小芝居くらいは反省していただきたいですな」
「ごっめーん、てへぺろ」
「おやめくだされ!」
「大尉殿がご乱心だ!」
「まあとにかく、積み込みの具合を見に行こうではないか」
 三人はようやく歩みを先に進めるのだった。

 センターポートに戻ったが、『勝利の翼』をはじめとした戦艦や輸送艦への荷物の積み込みが行われている様子は特にない。大体、こう言うときはもう終わっているのである。
「荷物ならさっきまで自動化されたカートがものすごい勢いで積み込んでましたよ。あれ、軍のですか?便利そうですね、あんないいのがあるなら早く民間にも回してくださいよ」
 近くにいた作業員に確認してみると案の定であった。会談の前後にのんびりしすぎたのもあるが、バルキリーが頑張ったと言うことでもある。将校達も多少は見習うべきだ。
「軍というか、機軍対策情報局の持ち物ということになってるんじゃなかろうか」
「どうあれ、使わせてもらうのは難しいんじゃありませんかね。我々がアレを持ち出したせいでこんなことになってるわけで」
「しかし、中央の中ならどこに連れて行ってももうどうでもいいのでは」
「ふむ。ここにバル……こいつらがいることをボンディバルはまだ気付いてないのかも知れん。ならば、目立たぬようにこっそり活動させた方がよかろう。というわけで、当面お預けだ」
「ボンディバル中将のせいでですか……。残念であります」
 ボンディバルの人気がここでも落とせたので将校達にしてみれば満足である。
「それより、搬入が終わってるならとっととずらかりましょうや」
 とても晴れやかな顔で言うテッシャン。
「盗人みたいな言い方をするでない。しかし、急いだ方がよいのは確かであるな。よし、出発の準備だ!」
 勝利の翼に乗り込んだコルティオス。見た目としてはここに来たときと何ら変わり無い機内だが、格納庫にはバルキリーがみっちりと、みっしりかつきっちりと詰まっているのだろう。見たくもなければ考えたくもない。
 しかし。見るなといわれれば見たくなるのが人の性である。誰に見るななどとを言われたのかというと、自分の本能であろう。命の危険があるような場合であればその本能の警告に素直に従うだろう。だが、バルキリーは味方である。命を奪いはするまい。生命への危険性で言えばせいぜい婦女子の着替えか入浴を覗く程度。まあ、その場合社会的には即死級のダメージになるのだが。
 コルティオスは覚悟を決めて格納庫を開けてみた。すぐ閉めた。
「な。何も見ていない。何もなかった。何でもない」
 今回は精神的ダメージだったようである。
「おや、積み込まれてませんでしたか」
「いやその。積み込みは何事もなく、無事つつがなく完了しているという意味である」
 扉を開けた瞬間、視界いっぱいにみっちりと、みっしりかつきっちりと詰まっていたバルキリーが一斉にコルティオスに目を、というかカメラのついた頭部を向けたのを見なかったことにしようとしただけである。
 なお、バルキリーたちは各個体で最低限の判断ができる程度の知能を与えられているが、それらをまとめるリーダー的個体、近隣のリーダーをまとめる個体などを経て最終的にはレジナントにいる本体までネットワークで繋がっている。つまり、一体が見ればその情報はすべてのバルキリーに伝わるのだ。一斉にスリープ状態を解除しエネルギーを消費してまでコルティオスに大注目したのは、バルキリーのお茶目な、コルティオスにとっては実にろくでもないサービスであった。

 勝利の翼号率いる艦隊は安泰都市・セプレナントに到着した。中央に乗り込む直前にもお世話になった給油施設で給油を行う。前回ここで満タンにした燃料は、多くの艦でまだ半分以上残っている。さらにいえばその時もセプレナントの隣であるサンストラプトで補給を受けたばかりであった。
 何故、ここでの補給にこだわるのか。それは啖呵を切ってボンディバルの執務室を飛び出したらとんぼ返りでグラクーに引き返すためである。最悪追っ手を差し向けられた場合、のんびり補給を受けている場合ではない。補給のために突き刺してあるホースや周りの作業車を撤去している間にも追っ手が迫ってくるだろう。そう言う事態を避けるため補給を省いてすぐに中央から脱出するためであった。まあ、結局杞憂だったのだが。
 そして、今ここで補給を受けているのは、単純にボンディバルのいる中央から無事脱出したところでほっと一息つきたいからであった。
 斯くて心ゆくまでほっと一息ついていた、その時。
「コルティオス大佐でありますか!?」
 敬礼とともに兵士らしき人物が現れた。正直、嫌な予感しかしない。
「いかにもその通りである。何か用であるか」
 いっそ人違いですと誤魔化してしまおうかとも思ったが、どうせ誤魔化せないだろうし素直に認めておく。
「我々、義勇軍であります!グラクー防衛戦に加勢させていただきたく参じました次第!」
「ほう。しかし、この戦いは生きて帰れる保証はないぞ。覚悟はよいか」
 そう言いながらコルティオスはこの話が本当かまだ少し疑っている。
「はいっ!我々、パニラマクアの救出戦では遠すぎて行けず!結果残念な結果に終わり忸怩たる思いを抱えておりました故、此度こそ雪辱の機会であると!」
 あーこれは割と本気なのかも、それよりなにもしなかったことに対する雪辱って言うのかな、などと考えているとそこにテッシャンが口を挟んだ。
「ちょっと待て。我々がグラクーにとんぼ返りすることは誰も知らないはずだが」
 おおっと、そうだよ危ない危ない。これはボンディバルの仕掛けた埋伏の毒という奴ではないか。コルティオスの判断はころころとひっくり返り続ける。
「我々、実況動画で見まして」
「実況動画……?」
「これであります」
 兵士の差し出した携帯端末の小さい画面を三人で窮屈に覗き込む。そこにはボンディバルの執務室が映し出されていた。そして、コルティオスの後ろ姿。
「これは報告の時の……?いつの間に。誰がこんなものを」
「私ではありませんぞ」
「私でもありませんな」
「では私か。いやいや、そんなわけがあるか」
 誰もこんな動画を撮ってはいないのである。ならば一体誰が。……こういうことをしそうなお茶目なロボットに心当たりはうんざりするほどあるが。
「黒の。アングル的に見てどうやら貴殿の背中に張り付いていたようですぞ」
 コルティオスの背中を違うアングルで見ていたテッシャンがそう指摘した。
「やめて。何となくそんな気はしていたけどその事実から逃げてるんだから。なぜ選りに選って私にとりつくかな」
 もう既にいなくなっているはずだが、まだ背中に貼り付かれているかのように悶え始めるバーフィード。
「そう言う反応するからでは。今もポケットにでも潜んでほくそ笑みながら様子をうかがっていることでしょうな」
「ほわああああ!」
 上着を脱いで逆さにして振り始めるバーフィード。ポケットがズボンのポケットだったらどうするのだろうか。それはとにかく。考えてみればボンディバルへの報告のふりをして中央に乗り込みバルキリーを積み込みグラクーに戻るのはバルキリーに頼まれたのだ。バルキリーはもちろんこのことを知っている。どこかで小型の観察者を仕込むくらいお手の物だ。
 さらに言えばバルキリーには悪知恵の働く大人たちがいろいろと吹き込んでいる。たとえば、ラザフス攻略時のコルティオスたちのように。今回の頼みごとだってバルキリーが単独で考えたわけではない。裏に黒幕がいるのだ。そしてバルキリーの裏で糸を引くのはバティスラマの面々。くせ者ぞろいである。その中でも特にくせ者であるヘンデンビルが、バルキリーをこっそり張り付かせて報告を隠し撮りさせたのである。とは言え、別にこうして使うことを最初から考えていたわけではない。ヘンデンビルくらいの地位でも所詮は非戦闘員、どころか扱いは軍人ですらない。狒々爺と噂高いボンディバル少将と顔を合わせる機会などないのだ。それでいて、ヘンデンビルたちを追撃させバティスラマを襲撃させた張本人でもある。どんな奴なのか、単純に見ておきたかったのだ。その結果、思いの外いい映像が撮れた。これは悪用……もとい、利用しない手などないのである。
 ただでさえ中央軍は援軍を出す気はないと言っている。これだけでも義勇軍が立ち上がるきっかけには十分だ。加えて、義勇軍的目線ではパニラマクア救出戦の妨害をした将校たちが中央政府軍の意向に反旗を翻しグラクーの救援に向かうと言っているのだ。これは大きな後押しになるし、パニラマクアの時の汚名を濯いでやることにもなるのだ。たとえ彼らの語った言葉の大部分が売り言葉に対する買い言葉で勢いだけの出任せでも。
 現にすぐさまネットで拡散された動画には『おっさんかっけえ』『これは生還させねば』『彼らだけに頼ってはいられん、我々も立ち上がるべきだ』などのコメントがつけられた。
 なお、その時は颯爽とボンディバルの執務室を後にしたコルティオスたちだが、動画はそこで終わらず続きがある。捨て台詞を吐いた後の扉の外でのやりとり、すなわちデート前の乙女がどうとかてへぺろあたりのくだりまでカメラは回しっぱなしであり、何のつもりかヘンデンビルもこの辺を割愛もせずネットに流したのである。これには『おっさん何やってんの』『これは生還させねば(笑)』『彼らには任せてはいられん、我々も立ち上がるべきだ』などのコメントがつけられたのである。
 そして、義勇軍として名乗りを上げたこの男も、目の前で繰り広げられたやりとりを『うわー、本当に動画のまんまだー、軍の偉い人には思えねー、脳天気なおっさん達だー』などと半分呆れ顔で眺めていたのであった。
 そんなわけでいつの間にか密かに人気者になっていた彼らだが、一つ大きな問題がある。ボンディバルを狒々爺呼ばわりするところも世界中に配信されてしまっているのだ。それも、言い出しっぺのバーフィードではなく最近影響を受け始めたばかりのコルティオスが。……まあよい。たとえ生還できたところでボンディバルの元になど戻るものか。
 とにかく、事情はわかった。どうやら本気の義勇軍であるようだ。

 三人は早速その義勇軍の様子を見に行くことにした。船はあまり戦闘向けではなさそうである。無理もない、この辺りにあった戦艦と呼べるものはかつてのラザフス総攻撃に粗方投入され、反撃によって壊滅しているのだ。
「何でも、人手以上に武器の材料になるスクラップが必要だとか。我らの船にはスクラップ満載であります!」
 さすがはヘンデンビル、この辺の手回しもいい。
「……しかし、鋳融かすところから始めて武器の製造が間に合うのですか」
 素直に疑問をぶつける義勇軍志願者。
「それは問題ない。寒気がするほどの勢いで増産できるから」
 スクラップが積み込まれている貨物スペースが開かれた。中ではすでにバルキリーがスクラップを貪っていた。一斉にバーフィードを注目し、バーフィードは飛び上がった。そんなお約束になりつつあるやりとりをスルーしつつコルティオスが顎でしゃくる。
「ほーらもう始まってる」
「は、はあ」
 始まっていると言われなければ何が起こっているのか理解しがたい状況である。とにかくこれで移動中もただの移動ではなくバルキリー増産ができるようになり、更に軍備が整うだろう。
 そしてこれを皮切りに義勇軍は補給の度に増え、グラクーに到着する頃にはかなりの大船団になっていたのだった。