ラブラシス機界編

24話・恐怖の夜

 ああああぁぁぁ……。
 先に行った二人の悲鳴が奥の方から轟いてきた。先に行った二人は言い出しっぺのミリンダとその彼氏のバラウィ。特にミリンダが悲鳴を上げると言うことは相当恐ろしいことが起こったと考えざるを得ない。しかも想定外にだ。
「やっ……。ちょっと何よ。何?」
 ただでさえ腰が引けていたチャリカは一歩後退り、二回ほど小さく飛び上がるとその場にしゃがみ込んだ。何をすればいいのか露骨に決めあぐねていた。
 奥の方から再び悲鳴。今度は何度も何度も繰り返される。
「何かあったんだ……。助けに行かなきゃ!」
 意を決し、ゲイリーは悲鳴の方に進み始めた。
「えっ。や。やああぁぁ」
 躊躇うチャリカだが、ここに一人取り残される方が嫌だと判断してゲイリーの背中に縋りついた。こういう時、男の人が一緒だととても心強い。ミリンダと組むに決まっているバラウィが消え、あまり組みたくはないが希少な男であることに変わりはないディオニックは、おじさんだがやはり希少な男であることに変わりはないヘンデンビルと組むことになり、組める男はゲイリーだけ。そうでなくても元々唯一の当たりくじと言えたゲイリーと組めのはラッキーだった。
 だが先に進むにつれて、もしかして一人残った方がよかったんじゃという気持ちが強まってきた。こんな時、女同士なら二人身を寄せ合いながら仲良く尻尾を巻いて逃げ帰れた。組んだ男がディオニックなら縋りついてまで付いては来ずに一人で帰る選択肢に躊躇いなく身を委ねられた。善し悪しである。
 いつの間にか悲鳴は聞こえなくなっていた。聞こえなくなる前、悲鳴は少しずつ遠ざかっていくようであった。ルートを遡らずどこかに逃げたのだろう。思えば寄り道だらけの遠回りの順路だ。逃げ帰るのであれば直線距離を通るに決まっている。……そうであることを祈ろう。
 先ほど悲鳴が上がった辺りと思しき場所にきた。その読みは正しいらしく、部屋の入り口あたりに紙が散らばっている。その表面に血の染みが広がっていた。息を飲むゲイリー。
 よく見れば血の染みは印刷であった。ミリンダが肝試しを盛り上げるために各所に貼って回っている怪談の書かれた紙だ。その文字の背景が血の染みになっていて、それは背景だけにどう見ても上から掛かったようには見えない。雰囲気を出すためにこんなデザインにしてあるのだ。今まで気にもしていなかったが、思い出してみればこれまでに見かけたものにもこんな血の染みがあったような……なかったような。
 ゲイリーは一枚拾い上げようとして、やめた。
「とりあえず、誰か来るまで待とうか」
 拾い上げようと手を伸ばしたゲイリーは、横目で見てしまったのだ。部屋の中でこちらに向いた生首を。

 来るのを待たれている誰かは来なかった。ゲイリーたちの次に出発したリュネール、ヤクリン、ラサッテの女三人組は遠くから聞こえてきた悲鳴に足を止めた。
「うわー。怖いんだぁ……。進みたくなーい」
「でもさ。それってミリンダに負けたことになっちゃうよ。それもヤじゃない?」
「しょうがない、いこっか」
 短い会話のように見えるが、それぞれの発言の間はたっぷりと空いている。結構長い時間、身動きもせずに立ち止まっていた。ついでに、3人はこの悲鳴の主を自分たちの前に出発したチャリカだと思っている。
 程なく勢いよく駆けてくる足音が近付いてきた。3人は身構える。そして、足音の主に遭遇した。
「ぎゃあああああ!きゃああああ!」
「きゃあああああ!」
 遭遇するなり足音の主・ミリンダは飛び上がりながら悲鳴を上げた。その剣幕に、身構えていた3人にも悲鳴がうつる。悲鳴のカルテットである。ミリンダのしんがりを務めていた、平たくいえば後をついてきていたバラウィは思わずミリンダを見捨てて今来た道を引き返し出すほどだった。
 相手の正体に気付くと、ミリンダは3人に何があったのか伝えた。ミリンダが出会したのが同僚であることを知り、バラウィも戻ってきた。見捨てて逃げかけたことはバレていない。
 ミリンダたちは寄り道だらけの順路ではなくスタート地点への最短距離を走って逃げるうちに、順路を辿るゲイリーとチャリカをよけてリュネールらと遭遇したのだ。そして、話を聞いたリュネールたちが先に進むわけなどないのである。
 5人になった一行はスタート地点に戻った。言い出しっぺのミリンダが戻ろうというのだからそれはもう胸を張って帰れるのである。まだ出発前のサナスティとエルジャモルディナとも合流し、事情を説明する。
「生首に名前呼ばれたの!もう、怖かったんだよ。ほんと怖かったんだから」
 あのミリンダがこれだけ狼狽えているのだ、相当怖かったに違いない。みんな勝手にそう思っているが、それは酷い思い違いだった。怖かったという点については本人も口酸っぱく繰り返しているくらいで偽りはない。思い違いなのは“あのミリンダが”というところだ。ミリンダはオカルト好きだが、それは自分がそういう恐怖体験と無縁だったからという面が大きい。それに付き合わされてバラウィがいつも何も起こらないのですっかり平気になってしまったのと同じだ。
 ミリンダは決して剛胆でも勇敢でもない。オカルトをファンタジーと割り切って眺めていたに過ぎない。こうして実際に恐ろしいものを見てしまえば恐怖するのだ。炎に巻かれて死にかけたことのない者が出先で見かけた火事を暢気に野次馬しにいくようなものだ。
 あの時、生首は目を見開いた。それを見たミリンダは叫び声をあげた。最初の叫びだ。叫び声が止むと生首は言った。
「バラウィ、ミリンダ」
 生首が喋ったこと。そしてそれが自分の名前だったことでミリンダは立て続けに悲鳴を上げた。名前を知っているということは、他のことも知っていそうなものである。例えば自分たちが興味本位であちこちの心霊スポットに足を踏み込むことでどれほど霊魂の静かな眠りを妨げてきたかとか。祟られた自分たちがこれからどんな恐ろしくて無様な死に目にあうのかとか。
 数回目の悲鳴と同時にミリンダはなけなしの勇気を振り絞って行動を起こした。背中を向けて全力疾走という行動を。このくらい怖いと背中を向けるにも相当な勇気がいる。ましてこんなオカルトめいた出来事の最中だと何が起こるかわかったものではない。背中を向けて走り出したらすぐ後ろからあの声でもう一度名前を囁かれるとか。いっそ後ろを向いたらすぐ目の前に生首が笑っているとか。あるいは首のない胴体の方が斧を振りかざして待ち構えているとか。
 無事に後ろを振り向けたミリンダは闇雲に逃げ回り、同僚に行き会った時には、死ぬほど驚いた後にではあったがとてもほっとした。これでもうオカルトはこりごり……となるかどうかはわからない。ただ、今日のところはもう帰りたいのは間違いない。
「ねえ。係長たちが出て行ったところなんだけど、会わなかった?」
 エルジャモルディナの質問に出戻り組は一様に首を振った。
「来た道を引き返したんだから絶対会うはずなんだけど」
「やだ、やめてよ」
 ヤクリンはただ事実を述べただけだが、ミリンダはそこから呪い殺しとか神隠しと言ったものを想起させられ勝手に怯えだした。
「あ。ゲイリーもいない」
「……ほんとだ。何で男ばっかりいなくなるの……?」
「女の亡霊だからじゃないかな」
「ええー……?ディオニックでもいいってことなの」
「もしかして、俺も危なかったんか」
 彼女達の中では男性陣を生首女が連れていったことになったようだが、容姿に難ありのディオニックを連れて行った事への疑念が湧いたのに対し、初老のヘンデンビルを連れて行ったことに対してはさほど疑問を抱かれていなかったようである。そして、完全に忘れられているここにいないただ一人の女性であるチャリカ。
 ただでさえ少ない男の中でもただ一人攻略対象であり、彼を巡って激しい奪い合いのじゃんけんを繰り広げたゲイリーは印象が強かった。それに勝利したチャリカについても印象に残っていないでもないのだが、これだけ女が揃っているとチャリカも一緒にいるような気がするのだ。そして、リュネールのようにチャリカがいなくなったことに誰も触れてないことに気付いている者もいるにはいたが、日頃からサナスティのおとぼけ発言をスルーする事に慣れすぎていた。ちょっとくらい気になることがあってもそのことを口にまではしないのである。
 とにかく細かいことは後回し、今は自分たちのみの安全が最優先されるべきなのだから。

 消えたという男二人組、ヘンデンビルとディオニックはどこに行ったのか。彼らは別に神隠しに遭っても呪い殺されても、ましてや生首に喰い殺されてもいなかった。しかし順路から消えていたのは間違いない。そこいら辺をのこのことほっつき歩いていたのである。
 出発直後、ヘンデンビルはディオニックに言った。
「いやあ。男二人になれたのは丁度よかったかな」
「え?なんすか」
「実はね。女の子なんか連れて行けない、本気で怖いところがあるんだよ。いや、本当に怖いかどうかは分らないんだけど、一応この目で見ておきたいと思ってね。……ちょっと、寄り道していいかな。いいよね」
「んー。まあいいんじゃないっすかね」
 いかにも適当そうな会話の後、決められたコースから二人は外れていった。
 適当に壁が剥がされその中に収まっていた機械や配線・配管の類を雑にほじくり出した、通路と言うよりも抜け穴と言ったものを通って着いた場所は、墓地と呼びたくなるような光景だった。だが、実際には墓地と全く逆の役割を与えられた場所なのだ。
 多数のカプセルが規則正しく並んでいる。その内側は主に下側にどす黒い汚れがこびりつきよく見えないが、あまり汚れていない上の方から覗き込むとその中には漏れなく一揃いの人骨が納められていた。大小様々だが、概ね小さい。
 人間養殖所。この人骨は生まれてくることができなかったリカルドたちの弟妹たちだった。カプセルにこびりつく黒い染みの正体……察することは出来たが、考えたくもない。
「ちょっと。超怖いじゃないっすか。ここまでだとは聞いてませんって」
 ビビるディオニック。
「や、や、や。それはしょうがないと言うものだよ。私だってこれほどなんて今知ったんだし。いやあすごいねえ、なんと言っても数が圧巻だよ。奥の方にも続いているみたいだし」
「続いてますね。……行くんでしょ?」
「行くの?……まあ、行こっか」
 行きたくはないが係長が行くんじゃ仕方がないというディオニックと、行かない寄りのどっちでもいいだったがディオニックが行くなら行ってもいいかなというヘンデンビルの消極的な一致で渋々二人で奥に進むことになった。
 中央の通路というべきか、広場なのか。そのような場所にでた。二人が入ってきた場所は幾筋もある横道の一つだった。横道は10はゆうにあるが20はない。すぐに数え終わる数ではあったが数える気は起こらない。それよりも目を引くものがあった。
 まずは死体だ。いくつもの死体が壁により掛かり、あるいは床に転がっている。死体ならばここに来るまでに見飽きるほどに目にしてきたが、それらとの明らかな違いはカプセルに収まっていないことだ。加えて、今までに見た死体の中でも大きめである気がした。
 察するに、培養されていた人間の中でも大きく育っていた者が何らかの理由でカプセルの外にいたのだろう。制御を失った要塞の中で眠りから覚醒し力ずくでカプセルを破り飛び出したか、あるいは……ブロイたちは機械による人間虐殺、人間収穫の最中に暴走を起こさせ逃亡を図った。その次の世代として用意され始めていた人間なのかも知れない。前者であったなら、他のカプセルでも子供たちは覚醒し、その極狭い空間の酸素を使い果たすと苦しみながら息絶えただろう。できれば何も知らぬまま闇の中からより深い闇に沈む最後だったことを祈りたい。あまり苦しい最後だと、一斉に化けて出そうだ。
 この辺りは町ではない。人が歩き回ることを想定しておらず、一切明かりがない。そんな闇の中声だけを頼りに寄り集まったのか、多くの死体は寄り添いあって息絶えていた。逃れられぬ闇の恐怖はあっただろうが寂しくない最後だったと信じたい。さもないと化けて出そうだ。
 寄り添う仲間たちが力尽きたことで腰を上げたのか、諦めずに活路を探し続けたのか。壁から離れて倒れる骸もあった。その中に一つ、明らかに異質な物があった。朽ちかけたまま干からびたどす黒い骸と違い、白っぽく見えた。足の先が見え、手の指が見えた。胴と四肢も見受けられ……頭部は見受けられなかった。
 闇に包まれた広い空間の真ん中にぽつりと存在し、同系色の床にともすれば紛れてしまいそうなそれの存在に気付けたのはなぜだったろう。そうだ、音だった。微かな音に気付いてそちらにハンドライトを向けたのだ。音は今なお続いている。モーターの回転音、ギアが軋む音、アクチュエータシリンダーの擦れる音。明らかな機械音。
 ただでさえ、すでに死体は見慣れていた。そこにあったのが本当に首無しの死体でもそれほど動揺しなかっただろう。そこに加えて機械音に目を向けたのだ。そこに機械があると思いながら。そのような目で見れば、それは人らしき形をしていながらも明らかに機械めいていた。人型の機械。
 一際機械音が強まると、やおらそれは動き出した。頭のない上半身を起こし、膝を曲げる。さながら体育座り。そのままの体勢で、それはすいーっと動き始める。足先の方に向けて、滑るように。
 それが人の体であれば理解しがたい動きということになるのだが、どうやら地面に接している尻の左右と踵に車輪があるようだ。人型の機械はそのままどこかへ向かう。ヘンデンビルとディオニックは特に理由もなくそれを追った。追わない理由はない。追う理由はただ、興味本位である。
 人間養殖所には二人が入った場所とはまた別の出口があった。これも壁に開けられた穴で、最初から通路ということはなさそうだ。しかし、車輪でも通りやすい様に床は平坦に均されている。そして、首無しの体育座りでちょうどいい大きさの穴だった。人間が通れないことはない。しかし、這い蹲って進まねばならず、車輪でスムーズに通り抜けた追跡対象に大きく引き離された。
 急いで追うが、車輪で平坦な道を行く相手に引き離されるばかりだ。しかし、進行方向で行き先に概ねの目星はつく。町の中心、かつてバルキリーの本体があった場所……。

 すぐに誰か来ると思っていたゲイリーとチャリカだが、後続は引き返し、または横道に逸れ、誰も来る気配がない。
 ゲイリーが何も見なかったことにして帰ろうかと思い始めた頃。
「ねえ。誰も来ないね」
 不安げにチャリカが言った。相槌でも打とうとしたゲイリーよりも先に声を発するものがいた。
「誰かいるの?」
 部屋の中から、女の声がした。
「はゃ?ひぃやあああぁ……」
 気の抜けるような悲鳴を上げながらチャリカが腰を抜かした。だというのに、這い蹲りながら部屋の入り口に移動し、恐る恐る中を覗き込む。声の主は生首か。いや、喋るということは生首ではないのか。ゲイリーも部屋を覗き込む。
 生首は無くなっていた。思えば、ゲイリーが見たままの光景がそこにあれば先に覗き込んだチャリカが何らかのリアクションをするはずだ。リアクションをとれないほどの驚きで硬直したりそのまま気絶したわけでもない。今なお部屋の中をきょろきょろ見回している。
 這い蹲って入り口の壁にしがみつきながら見回すチャリカには見えにくい場所がある。腰は引けていても普通に立っているゲイリーは、割とすぐにそれを見つけることができた。
「お、あれ」
 反射的に指を指してしまう。指を指されればチャリカも反射的に見てしまう。たとえそれが体勢的に見辛い天井付近であってもだ。そう、生首は先ほどゲイリーが、そしてその前にミリンダとバラウィが目にした場所の真上に移動していたのだった。
 それにより、首の切断面がよりはっきり見える角度になっていた。ゲイリーがハンドライトを向けることで、より細かく見えるようになった。
「ひゃ。ひゃうぅ。うう……」
 チャリカの悲鳴は相変わらず聞いた者の恐怖心が萎みそうな悲鳴だったが、もっと怖い物を見ていればもっと目の醒めるような気合いの入った悲鳴が上がったかもしれない。下から見上げることで恐怖が薄らぐ事実が見えたのだ。
 首の切断面は複雑な形状で金属光沢を放っている。金属製。その奇怪な生首は見るからに機械だった。
「なんだこれ……。ロボット?」
「ミリンダの仕業……じゃないよね」
 そのミリンダがぶちまけた貼り紙も捨て置いて心行くまでの悲鳴をあげて逃げたのだから当然である。
「こんばんは」
 頭上から声が降り注いできた。
「うお。喋った」
 先程部屋の中から呼びかけてきた声であった。生首が機械であることが判った今、他に声の主が存在されたら……何というか嫌である。そして、まずは挨拶から入るくらいにフレンドリーなのも安心できるところだ。
「こんばんは。……誰?」
 律儀に挨拶を返してから問いかけるチャリカ。ゲイリーはその質問がこの状況に適しているのかを疑問に思った。顔だけ見た感じ──顔しかないから他に見るところはないが──見覚えのない顔である。名乗られたところで果たしてピンと来るだろうか。そもそも誰かを問うよりも何なのかを、どう言った存在なのかを問うのが先なのではないか。
 だが、返ってきた答えはそんな疑問をも払拭できるものだった。
「私、バルキリーだよ」
「え。ええー……」
 驚きの声を上げるチャリカ。その声もまた、全く気合いが入っていないのだった。

 レジナントの要塞、そしてパニラマクアから持ち帰ったコアにもまた膨大な情報が収められていた。
 制御に関するプログラムやデータは問題ないのだが、制御と関係なさそうなデータは欠損が激しい。どのようなデータなのかも分からず、制御と関係“なさそう”としか言えない程だった。
 二つの要塞核は同じであり、同じではなかった。元は同じものだったらしく、多くの部分が一致した。そして、欠損の激しい部分では欠損せずに残っている位置がほとんど一致していない。削り落とされて残ったものが全然違っているようだ。つまり重ね合わせれば補完できるのだ。
 その結果、穴だらけで全く正体不明だったデータが、一部はどういった種類のデータなのかをおおよそ判別できるくらいにはなった。映像らしいものが多い。映像としてもノイズだらけ……いや、空虚な闇に映像というノイズが混じっているような状態だが、朧気に漠然とながらそれらの映像には一人の少女がたびたび登場していることが分かった。
 生首だけのバルキリーは語る。
「私は確信したわ。この子が私なんだって」
 確信したバルキリーは膨大な量のデータの中からその少女と思しきものを集めた。断片の破片の隙間だらけの寄せ集め。それでも量が集まればその少女の顔を朧気に浮かび上がらせることはできた。まだ穴だらけだった少女のイメージを埋めるために必要な画像補完技術などをブロイやニュイベル、リュネールからもレクチャーしてもらい、さらには要塞の中で生まれ育ち命を奪われた忘れたくても忘れられない子供たちの顔のデータも参考にしながら、この顔を作り上げてきたのだという。
 リュネールもまさか自分の教えた技術でこんな生首が作られ、間接的にながら自分が怖い思いをさせられるとは思っていなかったが。そして勿論、バルキリーにだって彼女らを怖がらせるつもりなど無かった。まだこっそり作っている段階、見つかってしまったことの方が予定外だったのだ。
 正体が判っていればゲイリーもチャリカも生首を怖がらない。怖がられなくなったバルキリーの頭は二人の目線の高さに下りていた。一度高いところに移動していたのは、ミリンダたちに目撃されるやいなや逃げられてこの姿だと怖がられることを思い知ったためだ。そこでひとまず目に付きにくい高さに持ち上げたのだ。結局簡単に見つかってしまったが、持ち上げたことで機械がむき出しの首を見せつける形になったのは僥倖だった。
 バルキリーはもっと根本的な対策を講じていた。生首が怖がられるならば、生首でなくなればいい。体があればいいのだ。体はある。言うまでもなく、ヘンデンビル達が見つけていた、そして今追いかけているあの体だ。
 頭部が造られていたこの場所はかつてバルキリーの核があった場所。最近は調べ尽くされてめっきり訪れる人は減っていたとは言え、まだまだ調査のため人が来る場所だ。こっそり作りたいなら体と一緒にあの人の立ち入らぬ場所で造ればよかったのだ。それでもヘンデンビルたちに見つかっているが、あそこまでの変わり者が踏み込まぬ限り安泰だっただろう。
 そもそもあの人間培養所で体を作っていたのはそこが人間を作る場所だったから。そのような理由でその場所を選んでいたのならば頭部もそこで造るのが当然なのだが、敢えてここで別に造っていたのは、それだけ気合いが入っていたとか思い入れのある場所で造りたかったという、言わば気持ちの問題だ。どうしようもない。そして、しょうもない理由だった。
 そして、呼び寄せていた胴体もやってきたようである。相変わらずの体育座りで部屋の中に首なしの体がすいーっと滑り込んできた。ゲイリーは思う。チャリカが声を出して存在に気付かれずにいたなら、何も知らない俺たちの背後からこれが忍び寄ってきたんだろうな、と。それはそれで怖すぎである。そしてその場合、二人はこの部屋に入ることなくこの胴体から脱兎の如く逃げたことだろう。真実も正体も知ることなく。チャリカの迂闊な発声もお互いにとって僥倖だった。
 斯くて、生首は胴体を得て生首ではなくなった。そのドッキングのさなか、足音が近付いてくる。二人分の駆け寄る騒々しい足音。今更もいいところだったが、先ほどゲイリーとチャリカが待ちわびていたほかの誰かだ。
 ゲイリーは顔を出して足音の主を確認する。もちろん走り去った胴体を追っていたヘンデンビルとディオニックだ。ゲイリーを見つけた二人は部屋に入ってきた。
「あっ。頭が生えてる!」
 首なしの胴体を追ってきた二人から見れば今のバルキリーの姿は当然そういうことになるのだった。声を上げたのはディオニックだ。ヘンデンビルは息が上がっていて喋れる状態ではない。齢である。
 確かにチャリカが声を出して気付かれなければ、胴体はチャリカとゲイリーに忍び寄り二人はそれを見て一目散に逃げたであろう。だがその場合、胴体の後を追ってきたヘンデンビルとディオニックが普通にバルキリーの話を聞くことになる。ただそれでは、他のメンバーにちゃんと話が伝わったかどうかは分からない。ディオニックはシャイで口下手、ヘンデンビルは適当である。
 ゲイリーはバルキリーから聞いた話を二人に端的に伝えた。寄り道していたヘンデンビルらは知らなかったが、ミリンダらが一足先にバルキリーの頭部を見て大騒ぎしている。彼女たちの誤解と恐怖も取り除いてやらねばならない。詳しい話は全員揃っているところでするべきだろう。
「それでさ。いいのかい、その顔と体で」
 不完全なデータから無理矢理作り上げた顔は、遠巻きに常夜灯とハンドライトの弱い明かりで見ればさも人の顔だが、よくよく見ればあまりにも人形めいている。体に至っては機械がむき出しだ。まだ造りかけだから見つかりたくなかったと話したバルキリーに対してディオニックが問いかけた。
「本当はもっとできあがってからお披露目したかったけど、見つかっちゃったし仕方ないかな。それに、みんなの意見も取り入れないとそろそろ私一人じゃ限界って感じだったし」
 ここからはほぼ芸術センスの問題になってくる。いくら人間めいたことを言うバルキリーでもそこは機械。プログラムの中に芸術センスはコーディングされていないのだ。機械的にデータを収集し、平均化し、補完する。それだけだ。しかし、それで良しとしない美的センスはあるようなのが不思議だ。
「それじゃあさ。多分、他の要塞からデータを引っ張ってくればその顔のデータも穴が埋まってくるんだよね」
 チャリカの言うことはごもっともなのだが。
「それが出来るんなら、人類はいつまでも機軍と戦争を続けてないんだよな」
 顎を撫でながらもっとごもっともなことを言ったのはゲイリーだった。データを手に入れるためには要塞核を引っこ抜かねばならない。レジナントもパニラマクアも要塞が勝手に自滅したので難なく要塞核を入手できたが、要塞を一から攻略するとなると、数十年単位で時間が掛かってしまう。
「自滅じゃないよ」
 バルキリーは言う。
「レジナントはブロイとニュイベルがばらまいたウィルスで暴走したんだし、パニラマクアの暴走だって元はウィルスのせいだもの」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
 その言葉にヘンデンビルが反応した。漠然とパニラマクアの暴走もレジナント同様ウィルス『ルナティック』の仕業ではないかと思ってはいたのだが、確証はなかったのだ。
「でも、レジナントはニュイベル君がウィルスを仕込んだ訳だけど、パニラマクアのウィルスはどこから来たのかな?」
「それはね。……あれ?」
 バルキリーは考え込んだ。そこは機械、自身に記録された記憶を一通りスキャンし終わると結論が出る。それまでの時間はさほど掛からない。
「データがないなぁ……。パニラマクアも脱出機に全部のデータを積めたわけじゃないから……。でも、うーん」
 条件を変えて再スキャン。
「パニラマクアの私が自我を取り戻した時、周りは既にウィルスまみれだったみたい」
 どこからウィルスが来たのか、と言う情報がなかったのでいつからウィルスがあったのかという情報を探し、さかのぼれるだけ遡った結果遡りきった時点で既にウィルスは広まっていたという事実に行き当たったのだ。
 要塞核となっているバルキリーは、制御装置のパーツ間に監視と制御のために部品を挟まれ、完全に自由を奪われていた。人に喩えれば、全身を縛られた上に麻酔で眠らされているような状態だ。何も出来るはずがない。バルキリーがウィルスの原因にはなり得ないのだ。むしろ、その束縛がウィルスのおかげで解けた形だ。
「じゃあ、ウィルスの出所はやっぱり謎なのか」
 ヘンデンビルはウィルスの出所もバルキリーだと思っていたのだが、当てが外れた。ニュイベル達がばらまいたウィルスは元々レジナントに蔓延っていた物の改変型だ。元のウィルスはどこから来たのか全く不明だった。要塞核の中でバルキリーが生み出したと考えれば辻褄は合ったのだが、バルキリーが動けるようになった理由がウィルスのおかげというのでは、その前提は成り立たないことになる。
「どこの誰が作ったのかは分からないにしても。そのウィルスをうまく使えば……要塞の攻略もかなり有利に進むはずだよ。完璧な私の顔のためにも、ここは一つやっちゃおう!」
 永遠とも言える膠着状態を続けてきた機軍との戦いの歴史が変わる糸口を見つけたようだ。しかし、その目的はいかがなものかと思わざるを得ないのだった。