ラブラシス機界編

19話・救難

 そして、夜が明けた。
 まずはバルキリーに預けた携帯端末を回収しなければならない。通信機の取り込みは終わっているだろうか。
 隣の部屋に様子を見に行く。そこにバルキリーの姿はなく、ねぐらだけが残されていた。こんな時間にどこかに出かけているのか。ニュイベルの携帯端末も見あたらない。持ったままどこかに行ってしまったのだろう。ギリュッカあたりに見つかっていじり回されていると面倒だ。見られて困るような無駄なデータを入れておく趣味はないが、逆に何か仕込まれることは考えられる。ギリュッカは大人しそうに見えてなかなかにいたずら好きの茶目っ気ある女性だ。
 探しに行くか、と思ったとき突然声がした。
『おはよう、ニュイベル』
「うおっ」
 声の方を見るが、バルキリーの姿はない。ねぐらがあるだけ。
 ねぐらと言っても、学習・収集したデータをプールする為のユニットだ。最も多くの情報が集められているというその性質上、活動内容の判断など重大な決定はこの装置が下すらしく、ちょくちょく伝令らしい小型ユニットが派遣されている。こっちの方が本体なのかもしれない。
 そのくらい重要で高度な装置ならば、カメラなどのモニタリングデバイスやスピーカーくらいは簡単に増設できて何ら不思議はない。むしろ、今までなかったのが不思議な位だ。
 ねぐらに話しかけてみると、案の定応答があった。
「俺の端末、返してくれないか」
『ごめん、もうちょっと待って。まだ取り込みが終わってないの』
「あとどのくらいかかるんだ?」
『そんなにかからないよ。ニュイベルがこっちに来るまでには終わるよ。こっちに来る前にまたそこに寄って受け取って』
 通信機についてはどうせ緊急の連絡などないだろうし、あったところで自分に連絡が付かなければ他の誰かに伝えるだろう。それはいい。ニュイベルは今の話の中で気になったことがある。こっちに来るまでに終わる。そこに寄って。明らかに、ここ以外のどこかから言っている口振りだ。
「今どこにいるんだ?」
 単刀直入に聞いてみる。
『ラボだよ』
 まあ、そんなことだろうとは思った。それより。
「ちゃんと通信できてるじゃねーか!」
 こことラボで話が出来ているという事は、そう言うことだ。
『通信の機能はもう取り込んだけど、こんなにいろんな機能のある機械だし、せっかくだからいろいろ取り込んじゃおうと思って……。だめ?いいでしょ?』
「ダメとは言わないが……なるべく早く返せよ」
 なんで機械におねだりされてるんだろう、と心の中で疑問を呟きながらニュイベルは返事をした。そのうち返ってくるならいいか、とも思う。取り込みに専念させた方が早く返ってくるかもしれない。それにしても、この期に及んで何を取り込むつもりだろうか。
 それにしても、またしゃべり方が人間くさくなっている気がする。声だけの通信だ。向こう側に誰か人がいて話していても分かりはしない。まさか、昨日の酒が残っているリュネールがいたずらしているんじゃないだろうか。
 いろいろと気になることはあったが、ことバルキリーのことは考えるだけ無駄だ。なるようになるし、なるようにしかならない。気にしないことにした。

 無事携帯端末を取り戻し、ニュイベルはラボに向かう。
 先ほどの通信はリュネールのいたずらかも、と言うニュイベルの疑いはすぐに晴れることになる。
 リュネールは虚ろな表情の青い顔で椅子に腰掛け、ずっと俯いている。
「……二日酔い?」
 近くにいたギリュッカに聞いてみた。
「そ。あと、昨日の夜は上司もいるのにベロベロだったから……。変なこと言ったりしてないか不安みたいよ」
 酔ったリュネールはテンションはいつになく高かったものの、余計なことを口走る前にすぐに潰れたので心配することなど何もないのだが。
 いずれにせよ、この体調とテンションではお茶目ないたずらなどしそうにない。彼女はシロだろう。
 次に疑いが向くのはギリュッカと言うことになるが、その前に気にすべきはバルキリーの様子だ。
 特に外見的な変化はない。
「通信の調子はどうだ」
 単刀直入に聞いてみた。
『調子いいよ。今、バティスラマの私にコアから吸い出したデータを転送してるところ』
 何とも手の早いことだ。
「あれ?繋ぎ方とか、教えたっけ」
『マニュアルが入ってるじゃない。マニュアルの通り、ちゃんとユーザ登録もしたからちゃんと普通に使えるもん。ほら』
 ニュイベルの端末にアクセスが入った。まさかと思いながら相手を確認する。覚えのないアクセスコードに見るからに適当なユーザ名。
 イヤーモニターを装着すると、バルキリーの声がした。
『ね。ちゃんと通じてるでしょ』
 確かに、普通の相手と同じように通話できている。
「ううむ、確かに……。って言うか、俺のアクセスコードをどこで手に入れたんだ」
『ニュイベルの端末を複製したんだもん。アクセスコードくらいは調べれば分かるよ。中に入ってたデータも写してあるし。見られて困るデータとか、ないでしょ』
 他人に盗み見られるおそれのある端末にそう言ったデータを入れておくような抜かりはない。もっとも、他人に盗み見られてしまうような抜かりがあるからこその防衛策なのだが。
「それはないが……。勝手に見るなよ」
『渡すときに見るなって言われてないもん』
「見るなって言われたらこっそり見るだろ」
「私、そこまで人間っぽくないもん」
 もう少し人間っぽくなったらやるらしい。
『ブロイはわざわざ新品の端末くれたんだけど、見られたくないものでも入れてたのかな』
 そして既に、余計な詮索をするくらいには人間っぽくなっているようだ。
「そりゃあそうだろう。男には触れられたくない秘密が少なからずあるもんだ。……女だってあるだろうがな」
 奴の触れられたくない秘密など、せいぜい貯め込んだポルノだろうが。
『通信切るね。ニュイベルと通信してるとバティスラマの私と通信できないし』
 わざわざその通信を中断してニュイベルに繋いでいたようだ。
「ああ、そりゃ悪かった」
 ニュイベルが通信を切るとバルキリーではなくさっきまでリュネールの介抱をしていたギリュッカが声をかけてきた。
「……誰?」
 旦那の浮気を問いつめるような声のトーンだ。いつもこのトーンなのだが。
『なぜ興味を持つ?』
 ギリュッカにこんな事を聞かれる事は珍しい。思わず聞き返す。
「あんたには珍しく痴話喧嘩みたいな雰囲気だったから……。昨日の宴会で誰か捕まえたのかと思って」
「そんな話してたか?……生憎ご期待には沿えんな。相手はこいつだ」
 そう言いニュイベルは目の前のバルキリーを指さす。
「ああ……通信できるようになったのね」
『うん。ギリュッカにもアクセスコード教えるね』
 ギリュッカの端末にもアクセスコードが転送されたようだ。ギリュッカが端末を操作し始めた。
「何で私のアクセスコード知ってるのかしら?」
「俺の端末のデータを丸写ししたからな。通信機能だけ取り込んだら返してくれるかと思ったら、朝までかけてデータに至るまで丸ごと取り込みやがった」
「ふーん。どう、何かおもしろいもの入ってた?」
「残念だったな。何も入れてないから見せてやったんだ」
「そんなだから女が寄りつかないのよ。……それで、もう少しまともなユーザ名に出来なかったのかしら」
 後半はバルキリーに向けた問いかけだ。
「なんて名前で登録すればいいのか分からなかったの」
「バルキリーって言う名前はあっちのがもう使ってるからな」
『それもあるけど……。私、名前分からないもん。バルキリーは私の名前じゃないし』
「あら。そうなの?」
「考えてみれば、バルキリーって言うのは人間が勝手につけた呼び名だもんな」
『私にも自分だけの名前があるはずなの。でも、思い出せない。名前に該当するデータが欠損してるの。だから私が誰か分からない』
「だから適当に埋めたって事ね……適当すぎるのが気になるけど。それで、このコードにアクセスしていいの?」
「今、吸い出したデータを通信でバティスラマに送っているところらしいぞ」
「そうだけど、ちょっとくらいならいいよ」
 バルキリーが……まずこの呼び方を続けていいのかも問題ではあるが、バルキリーが自身の呼び方を決められていない以上、これ以外の呼び方はない。とにかく、そのバルキリーが許可を出したので、ギリュッカも大手を振るってアクセスした。
「……そうね、通じるわ。……あら、そうなの。それで?……ふうん」
 何か会話を始めるバルキリーとギリュッカ。喋っているのはギリュッカだけ、バルキリーは人間と違って声を出さなくても音声通信が出来るようだ。
「ギリュッカだけしか声がしないと、ギリュッカが遠くの誰かと話してるようにしか思えないな」
『通信を使えば周りのみんなに内緒の話も出来るね』
 ニュイベルのつぶやきに堪えるバルキリー。
「俺の声はだだ漏れだぞ」
『そういえばそうだね』
 なかなかに人間くさい勘違いをするもんだ、と思うニュイベル。人間じみたミスはこれだけにとどまらない。
「通信しながら別のことも喋れるのね。生憎、同じ声で同時に言われた言葉を聞き分けるほど器用な耳は持っていないけど」
『あら……。ごめんなさい』
「ステレオで謝らなくてもいいけど」
 通信でも謝ったようだ。
「内緒話出来るなら、こっそり本音で教えてくれないかしら。……ニュイベルの端末に何か面白いもの、入ってなかった?…………そう。……ふふふ」
 ギリュッカは通信を切った。
「そんな面白いものなんか入ってないって言ってるだろ……。おい、なんて言ったんだ」
「……そうね。特に変わったものは入ってないそうよ。……ねえ」
『うん』
 微塵も信じることができないのはなぜだろう。
 確かに、自分では余計なものを入れてはいないのだから変わったものはなかったという言葉をそのまま受け入れればいいのだろうが、誰かがイタズラでこっそりと何かを仕込んでいると言うことは考えられる。特に質問をしたギリュッカ自身がそういうことを一番しそうでもある。自分のイタズラの首尾を確認するための質問だったという事も考えられる。それに、バルキリーだって正直に事実を伝えるという保証はない。バティスラマのバルキリーの教育係はあのブロイだ。ろくな教育を受けていないだろう。そんなバティスラマから通信でろくでもないことを吹き込まれていれば、ありもしないことをギリュッカに吹聴したり、バルキリー自身が何か仕込んでいたりという事も考えられる。
 何はともあれ、ギリュッカとバルキリーがどんなやりとりをしたのか知りようがない以上、ニュイベルには疑心暗鬼になることしか出来ない。結局のところ、あの質問自体がニュイベルをこういう状態に落とし込むためのイタズラのようなものだった。大成功といえるだろう。

 リュネールは二日酔いで青ざめ、ニュイベルはからかわれて不機嫌。そんな重苦しい雰囲気の中に彼はやってきた。
「やー。どもどもー。早速ね、例のモノ、持ってきたんだけどね。……なにかあったのかい」
 これまた素面なのか酔っぱらっているのか分からないノリで入ってきたのはヘンデンビルだった。ここと彼の拠点である機軍対策情報局はかなり離れている。その割にはここ数日やけに頻繁に顔を出すが、そんなに暇なのだろうか。
「よくないことが起こったような雰囲気だね」
 そうは思ってなさそうなのほほんとした表情で問いかけてくるヘンデンビル。
「そんなことはありませんがね」
「やー。でも、リュネールちゃんはどん底って感じだし、君も露骨に機嫌悪そうだしね」
「彼女は二日酔いで、俺の機嫌は個人的な理由ですよ。悪いことなんてありませんよ。むしろ、バルキリーに無事通信機能が付いて一歩前進です」
「それならいいけど」
 ヘンデンビルは荷物の中から見覚えのある物体を引きずり出した。バルキリーの胴体のようだ。ニュイベルがさんざん見てきたバルキリーとの決定的な違いは背中に取り付けられた銃。戦闘型のバルキリーと言うことだ。大きさは最初にニュイベルたちが回収したレジナントから脱走しようとしていたバルキリーと同じくらい。
「ラザフスで回収されたバルキリーのうち、壊れていなさそうな物を見繕って持ってきたんだけど。……待ってね、あと二つあるんだ」
 一度外に出てまた戻ってきた。持ってきたのは、ほぼ同じ大きさ似たようなタイプの機体だ。こちらは若干損傷を受けているが、中身は残っている。
『サンプルって、それ?もっと大きいかと思ってた』
 バルキリーにとっては期待はずれだったようだ。 
 一通り、一度外側の装甲を切り離して中を確認したらしく、蓋を取るように簡単に装甲が外れた。内部の構造が露わになる。
 その内部にはレジナントのバルキリーとは外見以上に大きな違いがあった。かなりぎっしりと機械が詰まっている。機軍の機械にありがちなパーツが多い。
「これで損傷を受けているのは機銃部分の制御装置だから、肝心な部分は無事だと思うんだ」
 とにかく、これだけ密度があるなら期待できそうだ。
 だが、実際に解析してみるとかなり期待はずれな代物であることがわかった。
 そもそも、レジナントで回収されたバルキリーはレジナントの要塞核が機軍の束縛の目を盗んで生み出した、託せる物をすべて託した機体。一方こちらは多少挙動はおかしくなったとはいえ機軍に管理された状態で生み出された機体。中に詰まっているパーツは多くが機軍による監視や制御のための物であるという。バルキリーの本体はほんの僅かしか含まれていない。こちらは最低限の内容だった。活動に最低限のデータやプログラムとなると、レジナントの物とも大部分がかぶる。
 それでも、成果がまるでないわけではなかった。ごく僅かにレジナントになかったデータが発見されたのだ。バルキリー曰く。
『解析されたデータのうち、0.8%が新規データだったよ。判明しているデータ全体から見れば0.025%の空白が埋まったよ』
 さらに言えば、すでに埋まっているアドレスにあるデータは完全に一致したそうだ。遠く離れたラザフスのバルキリーも元は同じと言うこと。そして、僅かだが未知のデータを持っていたことでレジナントのバルキリーにとって空白になっている部分のデータをよそのバルキリーが持っている可能性がかなり高くなった。もうすでに実行に向けて動き始まっているパニラマクア要塞との交信にも新たな意義が生まれそうだ。

 解析はすぐに終わってしまった。小さいこともそうだが、それ以上に持ってきたサンプルの状態がよかったこともあり、バルキリーが自身を連結するだけで簡単に中身を把握できたのだ。
 そして、いよいよもってする事がなくなってしまった。
 そうなれば撤収を考えることになるが、それについては様子見と言うことになった。
 何の様子見かというと、パニラマクア要塞と交信してそのデータを共有できた場合、得られた膨大なデータを写すための物理的なキャパシティがバティスラマでは確保できないかもしれないと言う。
 その点、こちらは自由になる資源もエネルギーも圧倒的だ。現に、吸い出されたレジナント要塞核のデータも主要なものだけバティスラマに転送してはあるが、大部分は転送する目処さえ立っていない。実質ここにある物が本体のような扱いになってきつつあるそうだ。
 その話を聞いてニュイベルの頭に人類の中心に得体の知れない機械のしかも本体が配される事への不安が再び首を擡げてきたがそれはさておき、撤収は交信の結果待ちと言うことだ。
 バティスラマが朝になる頃には交信の準備も整う。そう長いことはかからない。結果も夕方には出るはずだ。それまで、今日はバカンスと言うことにしてのんびりとすることにした。

 その頃、僅かな時差を置いてバティスラマに朝が訪れた。
『ブロイ、朝だよ。起きて、ほらほら』
 いつも定刻にバルキリーが叩き起こしにくる。だが今日はラナが起こしにきたのだろうか。そう思って目を開けるブロイだが、そこにはいつも通りの光景があった。
 なぜラナと勘違いしたんだろう。そう思いながらブロイは体を起こす。
『パニラマクアとの通信の準備ができてるよ。いつでも始められるよ』
「ん?ずいぶん砕けた喋り方になってないか?」
 ラナと勘違いしたのもそのせいだ。
『ニュイベルがね、偉そうな喋り方で気に入らないから、こういう喋り方にしろって言ったんだ』
「……どういう教育してんだ、ニュイベルは」
 こんな喋り方になったのはニュイベルからしてみても想定外だったのだからとんだ言いがかりだった。

 パニラマクアとの交信は、偵察機に指示を出す貧弱な通信電波で行われる。
 交信を行うと決まった時点で近場のリレーポイントは増強したのでいくらかはましだが、機軍要塞であるアレッサより先は手つかずだ。コアのデータを転送してもらうことができたとして、このボトルネックを解消しないことには話にもならない。
 問題はあるものの、まずは接触してみないことには何も始まらない。その接触の準備は整っている。実行あるのみだ。
 パニラマクア要塞は偵察機の映像を傍受し利用し始めて以来、自前で偵察機を飛ばして周囲の警戒に利用するなど通信をすっかり使いこなせるようになっている。呼びかけの信号にも気付いてくれるはずだ。
 早速信号を送ってみる。しばらくすると応答があったようだ。バルキリーとパニラマクア要塞の対話が始まる。
 バルキリーは言う。
「助けを求めてる」
「ああ……そりゃそうだろうなぁ。敵の大群が目の前に迫ってるんだし」
「違うの」
「ん?」
「パニラマクアは覚悟を決めている。でも、子供たちがいるの。子供たちだけでも助けて欲しいって」
 レジナントから脱走しようとしていたようなバルキリーがいるのか。ブロイはそう思ったが詳しく聞いてみると違うらしい。
「人間の子供たち。パニラマクアにも人間がいるの」
「何だと」
「……ちょっと待って」
 バルキリーから何かが生えてきた。なんだこれはと思っていると、その何かが光り始めた。映像の投影装置だったようだ。ありふれた代物ではあるが、バルキリーに搭載されていたというのはブロイでも知らなかった。それもそのはず、中央のバルキリーがニュイベルの携帯端末から取り込み、通信で構造を転送して構築したばかりの出来立てほやほやだ。
 映し出された物は悪趣味なポルノかと思うような静止画だった。服さえ着ていない子供たちが何十人も身を寄せあっている。
「これがパニラマクアにいる子供たちなのか」
「うん」
 いったいどういう状況でこんな素っ裸などと言う状況になっているのかも気になるところだが、何となく詮索しない方がいいような気がした。
 パニラマクアが機軍に制圧されれば子供たちが皆殺しにされるのは目に見えている。そうでなくても、レジナントのように皆殺しにされる運命だったのだろう。要塞核の反乱のおかげで一時的に死を免れている状況だが、このままでは要塞と運命を共にすることになる。そんなところか。
 助けてやりたいのは山々だが、どうしたものだろうか。バティスラマの戦力では加勢したところで焼け石に水、それどころか防衛の戦力まで削られそのままこっちを攻められれば共倒れだ。そもそも、負け戦を続けてきたバティスラマには防衛のための兵器が主に集められており、隣のレジナントに攻撃を仕掛ける手段さえ乏しかった。ましてや、パニラマクアになど運べる物があろうはずがない。遠距離攻撃が可能な兵器で援護射撃するのがせいぜいだ。
 要塞が時間を稼いでいる間に子供たちだけ連れ帰るという手もあるが、子供に関してもやはり輸送手段が問題となる。整地されていない陸路での運搬は難しい。空路でも、レジナントすら補給基地として使えない現状では輸送機をパニラマクアに到達させることさえできない。偵察機のような小型でソーラーエネルギーでも十分運用できる程度の物でようやくどうにかなるレベルだ。さすがに間に要塞が二つ、レジナントを含めれば三つも挟まっているのは遠すぎる。
 パニラマクア要塞がある程度輸送の手伝いをしてくれるとしても、機軍の支配化にある要塞を迂回しての輸送は過酷すぎる。
 今のバティスラマには、どうにかするだけの力はない。
 ならば、中央ならばどうか。中央が動いてくれれば高性能な輸送機くらいは回してもらえるかもしれない。
 中央は遠い。輸送機を中央から移動させ、エネルギーを注入している間にも手遅れになりかねない。そうならないためにはスピードが重要だ。早く中央を動かさなければ。

 中央は夜になったところだった。寝静まるにはまだ早すぎるが、ほとんどの人が仕事を切り上げて休息をとっている時間。
 ニュイベルたちも例外ではなかったが、パニラマクアとの交信の結果は気になるのでバルキリーの呼びかけで集合することは吝かではない。
 そこで伝えられたのは、中央政府を動かして輸送機を回して欲しいというとんでもない要請だった。
 田舎からひょっこりやってきた調査チーム風情に、そんな権限などあるはずもない。ましてやその調査も政府に内緒の個人的趣味になってしまった。
 困り果てていたところに、わざわざこんな遠くまでやってきてまで進めていた調査を個人の趣味にしてしまった張本人がひょっこりとやってきた。
「どうしたんです、主任」
「どうしたもなにも……かわいい声でお願いされちゃ来ないわけにはいかないでしょ、男として」
 かわいい声でお願いされてホイホイやってきたらしい。と言うことは、いつの間にかバルキリーはヘンデンビルのアクセスコードを入手していたようだ。そのかわいい声でおねだりされてホイホイ教えたのだろう。
「大体の話はもう聞いてるけど。わかってるとは思うけど政府を動かすのは無理だねぇ。動かすとすれば民間かな」
 やはり、政府を動かせる見込みは無いようだ。しかし、だからといって民間を動かすのも容易ではない。自分の得になるわけでもない救出プロジェクトに手を貸してくれるような奇特な暇人が早々いるとは思えない。
「こう言うときは情に訴えるのが一番だよ。子供たちの命が危ない!なんてのは良質な餌になる話だねぇ。それで、その子供たちっていうのは?」
 バルキリーはパニラマクアから送られてきた裸の子供たちの静止画を見せた。
「ふんふん。何というか……ただならぬことが起こってるって言う感じはするね。助けた後のことを考えると、ちょっと出しにくい映像だけど……。他にはないのかな。もっと鬼気迫る感じの物があるといいんだけど」
「うん。もうないよ、これだけ。今、パニラマクアに通信中継点の増強をしてもらってるから、それが終わればもっと映像も送ってもらえるはずだけど、今はそれが精一杯」
「レジナントの映像ならブロイが持ってたはずだな……。主任さん、何というか……皆殺しにされた後の映像でもいいですかね」
「うん。見てみようかな」
「俺待ってませんし、すぐ出せるかどうか……。今持ってる奴に話してみます」
 撮影したのはニュイベルだが、あまりにも気味が悪く胸糞悪いのでブロイに押しつけて自分の端末からは早々に消去してある。ブロイもいつまでも端末になど残さず、どこかに移してしまい込んでいそうだ。
『レジナントの映像なら、あるよ。思い出したくない記録の中に、いっぱい』
 バルキリーが割り込んでくる。
「……出せるか?」
『うん』
 出す覚悟があるからこそ、わざわざ口にしたのだろう。むしろ、覚悟があるかどうか確認すべきは見る方だった。
 全てが終わったところに飛び込んだニュイベル立ち退き録映像と違い、バルキリーの残していた映像はまさに殺戮の最中の映像。映像はレジナントの町で暴れていた、“神の使い”とされる不気味な機械に青年が引きずられてくるところから始まった。
 そして、次の瞬間には惨劇が始まっていた。神の使いの腕の先端に取り付けられた刃が、青年の腕に深々と突き立てれられ、引き抜かれると血が吹き出た。耳を塞ぎたくなるような苦悶の叫びが青年の口から吹きあがる。青年はさらに繰り返し突き刺され、切り刻まれ、その命と人の姿すら失うと、怯えきった次の犠牲者が引きずり出されてきた。
「もういい、止めてくれ」
 ニュイベルの言葉で映像は消えたが、最後に連れてこられた少女の怯えた顔が脳裏に焼き付いてしまっている。女性たちに至っては最初に青年が突き刺されたところで目をそらし、耳を塞いだままだ。
「寝る前に見るものじゃないねぇ……」
 若干顔を曇らせるヘンデンビル。
「これも強烈すぎて使えたものじゃないけど……あまり生々しくないところを選べば何とかなるかな。子供たちがこんな目に遭わされる前に助けようって言うメッセージを発信するんだよ。結構な反響があるはずだよ」
「発信と言っても……どうするんです」
「機関広報を使えば、あっと言う間に拡散されるでしょ」
 公的な情報公開などに用いられる物だ。ここに載った情報はすぐに各種メディアにも転載されることになる。
「いいんですか?勝手に使っちゃって」
「よくはないけど。パニラマクアでこんなことがなんて話する時点で内緒の研究のことぶちまけなきゃだしさ。そうなったらどっちにせよ夜逃げだもの。もう手段なんて選ぶ必要ないんだわ」
 例によってとんでもないことをさらっと言い出すヘンデンビル。特に、確実に巻き込まれるだろうリュネールは目を白黒させている。
「夜逃げですか!?どこにですか!」
「どうせニュイベル君のチームも撤収だし、一緒にバティスラマに行こうかなぁと思ってるんだけど。レジナントの要塞もこの目で見られるし、パニラマクアのことについても最前線って感じがするじゃない。行ってみたいよねー」
 旅行のようなノリで言われると夜逃げの話をしているような気がしない。
「ちょ……ちょっと待ってくださいよ!そんな、夜逃げなんて……」
 頭を抱えて考え込むリュネール。だが、一つ気がついた。意外なことに、そんなに困らない。何せ、リュネールがバティスラマチームのサポートに回された理由の一つに郊外に引っ越しても平気な身軽さがあった。今度は本格的に転勤になるが、言ってしまえばそれだけでもある。
「でも、主任はどうするんですか!ご家族のことがあるじゃないですか!」
「えっ。……言ってなかったっけ。うちの女房、3年前に子供連れて逃げてるんだけど」
「えっ」
 ヘンデンビルはすでに守るべき物など失っていた。だからこそ、ここまで好き勝手できると言うことだ。
 こんなヘンデンビルだが、今守るべきものと言えば部下だろう。夜逃げすれば昨晩の打ち上げに顔を出したような研究員たちが路頭に迷ってしまう。そして、その対策にも素早く乗り出すのだった。