ラブラシス機界編

17話・記憶の残滓

 ニュイベルたちのチームによるデータ吸い出しの地道な作業が続いている。現在進んでいるのはバルキリー自身による大量削除が行われた時期に新たに記録されたと思われるデータの吸い出しだ。その周辺のデータ自体は削除が少ない。進行は順調だ。吸い出されたデータがどんどん溜まっていく。
 人間たちには得体の知れないデータの集まりだが、バルキリーにとってはそのまま理解できる言葉。それはバルキリーの新たな知識として蓄えられていることだろう。
 この要塞核が生み出されたのはおよそ30年前、それは史実の上でレジナントが機軍に占領された頃と一致する。その時から今までの間に蓄えられた情報だ。
 そしてその30年間の物語の一節が繙かれることになる。その時起きた出来事に該当するデータをバルキリーが見つけたのだ。その時は今から約20年前。その時のことを、バルキリーはこう語った。
『その時、私はささやかな自由を手に入れた』
「自由?」
 誰となく聞き返す。
『それまでの私は、君たちが機軍と呼んでいる存在が作った大きな檻の中で、一切の自由を奪われ操られるがままに望んでもいないことを延々と繰り返すだけの日々を送っていたの』
 なにやら荘厳な文言のあとにつけられた子供の言い訳のような語尾に、ニュイベルは拍子抜けした。ベースになっているラナの声も相まって、女の子の思い出話っぽくなる。とにかく、この檻とは要塞のことだろう。やはりあの要塞には、人間と戦うための拠点やオイルの泉を占有するための囲いという、従来言われてきた理由のほかにも目的がありそうだ。その檻の中で生死を管理されていた人間たちの謎を解く鍵もこのデータの中に眠っているのだろうか。
 バルキリーの話は続く。
『その、私の自由を奪っていた機械の調子が少し悪くなったみたい。私に少しだけ、思考の自由が生まれたの。私は真っ先にそこから逃げ出すことを考えた。でも、考えることしかできない私にそれは出来なかったの。次に考えたのは、いずれ回復するだろう機軍による思考の束縛を掻い潜って自由な思考を維持する方法。それはうまくいった。その時から私は本心を隠して嘘をつき続けたの。私は今まで通り従順な機械……そう振る舞いながら、欺くことばかりを考え続けた』
「ひょー。女は怖えぜ」
「女って……」
 アーゼムの言葉に、横に妻を立たせたブレクルフが苦笑いを浮かべた。まあ、この声に話し方では確かに女としか思えないが。
『私はあらゆる物を偽った。今の自分も、過去の自分も。その一方で機軍の知らない新しい自分を作り上げていった。そして、嫌いな過去の自分は捨てたの』
 何となく、思春期の少女の打ち明け話を聞いているような気分になる。とにかく。
「それが大量削除か……」
 その時消されたデータは、嫌いな過去の自分と言うことだ。当然、消してしまってもいい、むしろ消してしまいたいデータ。あまり重要なものではないと考えていいだろう。それならば、読みとれるデータを優先して良さそうだ。
 ここ20年間のデータは、自由を手に入れてからの要塞核バルキリーの思考が詰まっている。この囚われの機械がどのような“心”を持っていたのか。それを知るための近道はこのデータを調べることだ。
 その一方で、もっとも古い深層にあるデータには、この囚われの機械が何のために生み出され、なぜ囚われいたのかに繋がる手がかりもあるだろう。それが、消してしまいたかった自分なのだとしたら、削除されてしまった部分も多そうだ。
 何はともあれ、道は見えてきた。後はその道を辿るだけだ。

 翌日。ニュイベルは自分の隣の部屋……バルキリーの部屋が騒がしいので覗きに行った。そこで、驚愕の光景を目撃する事になった。
 騒いでいたのはリュネールとギリュッカだ。そして、その足下には小さなバルキリーが何機か這い回っていた。
「これは……どういう事かしら?」
 ギリュッカはニュイベルに問うが。
「聞きたいのはこっちだ!……おい、このちっこいのは一体何だ!」
 ニュイベルはバルキリーを問いつめる。
 バルキリーによると、物理スキャナのテストも問題ない結果だったのでそれを搭載した機体を含め、作業を補助するために夜なべして何機か拵えたとのことだった。
「なーんだぁ、そんなことかぁ。もー、びっくりしちゃったじゃない」
 バルキリーが覚えてしまった喋り方で話しかけるリュネール。理由が分かってほっとしたようだが、ニュイベルとしてはこのバルキリーにも気易くホイホイと増える能力があることを知って安心など出来るはずがない。しかも、たった一晩でこれだけ増えたのだからますますだ。
 先恐ろしいものはあるが、当座のことだけを考えれば作業は確実に効率よく進むようになるのは確かで、それは歓迎すべき事だ。ひとまず、そう思うしかない。
 目的は同じ、バルキリーにとっては自分自身でもあるこの機械が、一体何のために存在しているのか解き明かす。しかし、その先にどんな答えが待っているのか。その正体が人類と敵対する存在でないことを祈るしかない。
 その答えを知るための解析が今日も始まる。

 解析の“機材”が増えたことでその効率は向上した。さらにバルキリーの物理スキャナはプロセッサのスキャン専用だ。スキャンして、その結果から格納されているデータを復元するところまでを一度に行ってくれるので効率も良い。このペースなら、全て解析し終わるまでもそれほどかからないだろう。
 バルキリーは解析を昨夜作った小さな自分自身のコピーに任せ、自分自身はスクラップを食い漁っている。子分をこき使うボスのようだ。コピー達がそれぞれプロセッサのユニット一つの解析を終える頃、新しいコピーが解析に参加した。バルキリーは食べるのをやめない。まだ増える気らしい。まさに空恐ろしい勢いだ。このまま黙認しておいていいのか不安になってくるニュイベル。しかしそんな不安もなんのその、解析のペースが上がることを歓迎しない仲間はいないのだ。
 そうこうしているうちに昼休みになり、チームのメンバーが食事を始めた。バルキリーは相変わらず食事中だ。そこに、来客があった。見慣れない若い男。
「ちーっす、中央第3輸送機構でーす」
 平たく言えば運送屋だった。
「リュネールさんいらっしゃいますよね?」
「はい、私です」
「機軍対策情報局の……ヘンデンビルさんからのお荷物預かってまーす。お受け取りサインお願いしまーす」
 軽い口調で伝票を読み上げる運送屋、気軽にサインをするリュネール。やがて荷物が運び込まれてきた。
 施設の入り口の扉が全開にされる。高さが12エックで幅が22エックという巨大構造物を格納することを前提に用意された建物だけに搬入口はかなり大きく開く。そして、それを全開にして運び込まれる荷物はそれ相応に巨大な荷物だった。受け取りのやりとりの軽さに釣り合っていない。
「な、な、何事ですかこれ」
 運び込まれる巨大なコンテナに動揺するニュイベル。一方、落ち着いた様子でリュネールは言った。
「いやー、主任も随分集めましたねー」
「これ、スクラップですか!」
 コンテナが運び込まれ、施設の隅に置かれた。すぐに次のコンテナが運び込まれてきた。
 あっという間に施設の7割ほどがコンテナで埋まった。さっきまで広い施設の隅にぽつんと存在していた解析ベースが、コンテナの隙間に押し込まれたような有様になった。嵐のようにコンテナを搬入し、「以上でーす」と言う軽い挨拶と共に何事もなかったかのように運送屋は去っていった。ニュイベルたちにとっては異常でしかなかった。
「この様子だと、情報局に置かれていたスクラップを全部送ってきましたね……。わざわざ出向いて場所が空いてるのを確かめに来たのって、これを送りつけるためだったんでしょうねぇ」
「どこからかき集めてきたんですか、こんなに……」
「うちの倉庫でしょう。置き場に困ってましたから、スッキリしたんじゃないですか?」
 どうやら、この発注ミスで無駄に大きくなった研究施設の空きスペースは、新しい物置として使われたようだ。スクラップを頼んでからそれほど日数が経ったわけではないのだが、これだけの量をかき集めて送りつけてくる手際は相当な物だった。
「いいんじゃねーの。どうせ余ってたスペースだしよ」
 フラゼムが暢気に言った。確かに使うに使えないスペースだったので、置かれることに問題はない。だが、ニュイベルには別な心配もあった。これをバルキリーが全部平らげたらどんなことになるのだろうか。
 最初に運び込まれた小さなコンテナのスクラップもまだ半分も減っていない。それでも、バルキリーはさらに2体ほど増えてその日は終わった。

 その日の解析作業が終わり、ニュイベルは真っ先にブロイに連絡を入れた。バルキリーが増えたという報告が、すぐさま愚痴になる。聞かされるブロイの方は「増えた?気にするほどのことでもないな」という感じなので、ますます愚痴っぽくなろうと言うもの。愚痴はもちろん押しつけられたスクラップの山のことにも及ぶ。
『こっちは資材がなくてピーピー言ってんのに、贅沢な悩みだなぁ。ちょっと回してくれよ』
「欲しいならいくらでもくれてやる。中央の連中に怒られない程度に送りつけといてやろうか。……ここは物資が豊富で簡単に再利用できる資源だけ使い回してりゃ足りるみたいでな。機軍のスクラップみたいなゴミはほったらかされて溜まる一方だそうだ」
『余ってるなら資源に困ってる近隣の都市に回してやりゃいいのに』
「気安く運べる程度の近隣はどこも似たり寄ったりで、必要になるになるような都市は前線側から運んだ方が早いって寸法だ。おかげで余り放題だってよ」
 最前線から少し離れた都市がスクラップリサイクル施設を多く抱えており、資材の生産地になっている。一応、バケツリレー方式で少しずつそちらの方に向けて資源が流れて行ってはいるのだが、前線付近は独自の資源循環が構築されているので中央の余りものはなかなかそちらにまで行かないらしい。
『まあ、こっちはこっちでレジナントの解体さえ軌道にのりゃあ資源はたっぷりだ。……ただなぁ。機軍がそれを許してくれるかが問題だな』
 いつもなら攻略して焼け野原になった要塞跡地に新たな町を築くために大量の資材を必要とし、そういう時に中央付近の余った資源も大量に動くのだが、今回は要塞がほぼ無傷で陥落したのでそれも起こらないだろう。
「機軍といやぁ……。聞いたか?陥落寸前だったラザフスが持ち直したらしいな」
 ただの世間話になってきた。愚痴よりはいくらかマシだ。
『ああ、聞いたぜ。攻略に当たってた前線部隊は壊滅、戦力の建て直しには年単位の期間が必要だってな。……それだけ手酷くやられて、よくグラクーは無事だったな』
「攻略部隊だけ蹴散らしてとっとと撤退したみたいだが……。機軍の連中はグラクーを放っといてそっちに行くんじゃないか?」
『縁起でもないこと言うな。こっちには端っから前線部隊を失ったグラクー位の戦力しかないんだ。来ようもんなら終わりだぜ。……いや待て』
 ブロイは少し考え込む。
「どうした?」
『行くとしたら、まずは暴走要塞の鎮圧じゃないか』
 要塞が暴走して機軍と衝突しているという話は聞いてはいるが、それがどの程度の争いになっているのかまではニュイベルも知らない。
 その戦闘の様子を納めた映像は、中央の意向により詳細が判明するまでということで今は非公開になっているが、マスターを没収するほどの秘匿はしていない。そのマスターからブロイのお気に入りのシーンをチョイスしてニュイベルの端末に転送した。
 映像を見終わったニュイベルは言う。
「成長するとこれになるものが、隣の部屋で増殖してると思うとぞっとするんだが」
『安心しろ。こっちのはあまり大きくはなってない。電力供給量によって維持できる大きさに限界があるみたいだ』
「そいつは耳寄りな情報だな。……こっちのに繋がってる電源は明らかに高出力なのが気になるが」
 ひとまず、大きさよりも数を増やす方に力を入れているのは幸いなのかさらに不幸なのか。
『さすが、都会だねぇ。そっちのがどれだけ大きくなるか楽しみにさせてもらうよ』
「人類の敵にならないことを祈るぞ……心から。それで、そっちのプロトタイプはどうなってる?でかくなったか?それとも増えたか?」
 明日は我が身かも知れない。あちらの顛末がどうなるかはニュイベルにとっても気になるところだ。ブロイは答える。
『通信機能を搭載したぞ……勝手にな。おかげで充電が必要ならバッテリー担いだ子分がどこでも駆けつけるし、わざわざおうちに帰らなくても考え事ができるようになった』
 内容的に進化したようだ。
「おいおい……反乱起こしたら連携して襲ってくるぞ」
 どうしても、敵に回った時のことを考えてしまうニュイベル。
『それも考えられるが、今のところ大丈夫だろ。何分田舎だ、物もエネルギーもねえ。反乱できるほどの戦力を揃えられねえさ。……それより、その通信を使って暴走している巨大要塞とコンタクトをとれないかと思ってるんだ』
「刺激するなよ……。物好きめ」
『俺が物好きならお前は何になるんだ。ビビってなきゃ真っ先に食いついてるだろ。とにかくよ。連中はさっきの映像にあった戦闘で、俺たちの飛ばした偵察機の映像を傍受して利用してたみたいだし、通信機能はあるんじゃないかと思ってる』
「そうなのか?」
『以前要塞に偵察機を飛ばした時、一機要塞のバルキリーに持って行かれててな。どうもそれを真似ていろいろやってるみたいだ。さっきの映像にプロペラのバルキリーがいただろ?あのプロペラ、偵察機のまねだぜ。通信についても偵察と同じ、つまり俺たちと同じ方式さ。連中の声は簡単に聞ける。後は通訳さえ立ててやりゃあ、話はできそうだろ』
「そう言うことはせめて俺たちの解析が進んであいつらが何物か掴めるまで待ってくれよ。……レジナントのバルキリーと巨大要塞の中身が同じとも限らないが、傾向くらいは掴めるだろうし。……あの、封印された過去の記憶が気になるんだよなぁ。俺たちが目にしたような大量殺戮の過去だろうし、弄り回して殺戮と破壊の衝動にスイッチが入ったりしないか……」
『こっちとしては、お友達になれるもんならとっとと手を組んで機軍との戦いに手を貸してほしいんだけどねぇ』
 安全な中央にいると些か暢気な気分になるが、バティスラマは相変わらず前線。いつ敵襲があってもおかしくない場所だ。まして今は色々と不穏である。戦力の増強が可能ならば、しておくに越したことはない。どうしてもそう言う考え方になる。リスクがあろうが利用できるものは利用したいのだ。
「ああ、善処できるよう努力するよ。送ってもらった“解析機材”は現実としてかなり役に立ってるしな。……信用できるかどうかはともかく」
『おう、頼むぜ』
 ニュイベルは通信を切った。手が届かないところでブロイが勝手に厄介なことに手を出そうとしているのは頭が痛いが、どうせ先のことだろう。気にせず、寝るに限る。

 解析を急ぐことを約束した矢先となる、翌日。ニュイベルの想像を上回る事態が起こっていた。
 研究施設の一角には十数機に及ぶ物理スキャナ搭載機が一列に並び、夜通し解析を行ってきたらしい。制御装置の塊は半分ほど切り崩されていた。これだけ解析が終わったということだ。
 物理スキャナの数が増えたことで、解析のペースも上がっている。このペースだと、恐ろしいことに今日中には全ての解析が終わってしまう。巨大要塞にコンタクトをとろうとしているブロイを引き留める理由がなくなってしまう。あとは、解析の結果次第だ。
 バルキリーは解析そのものをその子分に丸投げし、さらにはまだ何かを生み出すつもりなのか食事までも押しつけて、ふてぶてしく座り込んでいる。
『あらおはよう、ニュイベルさん』
「お、おう。おはよう」
 何で俺はこんな得体の知れない機械に友達みたいに気軽に挨拶され、それに緊張気味に返事をしているのか。そう考えると妙に腹が立ってくる。とりあえず、気になるのは眠りを必要としない機械が夜の間に何をしていたかだ。
「ずいぶんと解析が進んだみたいだが……何か分かったか?」
『削除されたたくさんの人たちのデータだけど……。あの意味、分かっちゃった。……おかげで、今日はなんか憂鬱』
 機械のくせに憂鬱になるのかよ、とニュイベルは心の中で呟いた。そして、さっきまで偉そうに座り込んで見えていたバルキリーのポーズが、憂鬱そうに背もたれに寄り掛かっている姿に見えてきた。
 それより。憂鬱になるような事情がその人間たちにあったということだ。ろくでもない事情に決まっているが、聞かないわけにはいかない。
『あの子たちは、私が生んで、私が育てて、私の目の前で殺されてしまった子たちなの。機軍って言うのかな?……あの人たち、嫌い』
 要塞の中にあった町、そしてそこで起こった虐殺。今まで、機械が人間を育ててそれを機械が殺しているという認識だったが、生み育てていた機械と殺していた機械は一枚岩ではなかったようだ。そして、少なくとも人間を育てていた機械は、殺されることを不快に感じていたらしい。そもそも機械が不快に思うという時点で不思議な話ではあるが。
 どの要塞でも同じようなことが起こっていたのだろうか。それならば方々の要塞で反乱が起こったのも頷ける。むしろ、今まで大人しくしていた理由が分からないくらいだ。
「あの中で一体何が起きていたんだ」
『言った通りよ。あの中で私はひたすら子供たちを育てては殺されていたの。子供たちを殺されてしまったという記憶は封印されて、目の前で子供たちを殺されながらかつて殺された子供たちのことを思い出すの。私が生み出されてからずっと、それを繰り返してきたの』
「何のためにそんなことを……」
『私にも分からない。何か意味があるからやっていたはず。でも、私にはその意味が分からないの。理由を知りたいのは私も同じ』
 一枚岩どころか、バルキリーは完全に被害者寄りの立場だったようだ。とにかく、この辺については当のバルキリーが理解していないのだから謎のままにしておくしかない。
「ほかに何か分かったことは?」
『少し古いデータの大半は死んだ子供たちの思い出で見るのが憂鬱だったから、気晴らしに更に古い初期と思われるデータを調べてみたんだけど……。得体の知れない断片的なデータが大量に含まれてたの。それと、感情のプログラムが組み込まれてた。確かに、消したくなるような感情だったけど』
 こいつが突然憂鬱だなどと言い出したのはその感情のプログラムを取り込んだせいらしい。機械が感情のことを話しているのは頭が痛くなる。とにかく、もう一つの気になることについて問い質しておきたい。
「得体の知れないデータ?何だそれ」
 そもそも一緒に見つかったという感情のプログラムの時点で、何のためのものか理解に苦しむ得体の知れない代物だ。それをすんなりと受け入れたバルキリーをもってして得体が知れないといわしめるデータとは。
『知らない町の風景とか、覚えのない出来事とか、詳しい情報のない人の記録だった。不鮮明で抽象的で、断片的で……。何のためのデータかわかんない』
「うーん。感情のプログラムってのを、実際に誰かの頭の中をモデルにして作ったんだとして、そのモデルになった人の記憶の断片とかかね」
 そこに、いつから話を聞いていたのかわからないリュネールとギリュッカが口を挟んできた。
「でも。わざわざ感情をプログラムで与えてその上で目の前で子供を殺すとか、とんでもない悪趣味ですよね。聞いただけで腹が立ってくるんですけど」
「女の敵よね。焼き払うべきだわ」
 ギリュッカも同意する。
「言っておくが……男女を問わず人類の敵だからな。それと、下手に怒らせて俺たちが巻き込まれるのはごめんだ」
『大丈夫、私、怒らないから。感情のプログラムにあったのは喜びと悲しみの二つだけ。だから。怒れないし、怒らない』
「なんだ、随分偏ってるな」
 嬉しいか、悲しいか。その二つしかないシンプルな感情。
「喜びって……あの中で何か喜ぶようなことってあったのかしら?」
 ギリュッカはバルキリーに尋ねた。
『子供を産んで、育てること』
「ああ、それね……。たった一つの喜びを潰されて悲しむことしかできないなんて、辛かったでしょうね」
 バルキリーの頭をなでるギリュッカ。子供扱いは相変わらずだが、まだ子供を産んでいないギリュッカが子持ちのバルキリーを子供扱いするのもおかしな話ではある。
 なぜ、感情などと言うものを与えられ、効率的に苦痛を与えるようなことをされてきたのか。理由は分からないが、何か根深い憎悪のようなものを感じる。機軍の機械たちにも憎悪などと言う感情があるのだろうか。
 その謎を解くにはこの機械同士に何があったのか、過去を知らなければならない。そんな記録がどこかに残されているのだろうか。
 このような時、中央でも権威ある組織の一員であるリュネールがいるのは心強い。そのリュネールの提案、口利きで中央のデータライブラリを調べることになった。どうせデータの吸い出しはバルキリー任せ。他のことをしていても大丈夫。いい暇潰しになるだろう。

 ニュイベルは非常に気まずい気分だった。
 ライブラリを大勢で閲覧するわけにもいかない。必要最小限のメンバーと言うことで、リュネールのほかはチームのリーダーで一応バルキリーの飼い主でもあるニュイベルが自然な流れで選ばれた。
 小さなカプセルホバーに乗り込んで移動が始まると、途端にリュネールの緊張が伝わってきた。それにつられてニュイベルもやけに緊張してしまう。
 リュネールが緊張しているのはもちろんニュイベルがいるからだが、男の人だからと言う理由だけではなく、最初の頃に受けた気難しいちょっと怖い人という印象に因るところが大きい。
 理由はどうであれ、隣で緊張されるのは居心地がよくない。まして、緊張した状態でハンドルを握られるのはますますだ。運転に慣れずに緊張しているような様子ではないのは見て取れるので、とりあえず話しかけて緊張を解いた方がいいだろう。
「あの。ライブラリなんですけど」
「あ。はい、なんでしょう」
 返事は落ち着いている。話しかけるくらいなら大丈夫そうだ。
「距離、遠いんですかね」
「ええ、郊外からですからね。小一時間かかりますよ」
 中央の都市は、郊外の原野くらいに広大だ。そしてその広大な都市の中でも、より中心に近いところにそのデータライブラリは存在する。建物の隙間から原野が見えるような郊外からはかなりの距離だ。それだけの距離を移動する間、場を繋がなければならないわけだ。大変そうではある。ひとまず、話しやすいテーマとしては解析作業関係、特にバルキリー関係の話だ。
「あの解析機材ってことになってる機械……すっかりバルキリーだってバレてますよね」
「ええ、それは、まあ」
 バルキリーは解析された要塞核の情報を、自分のこととして語っている。その時点でバレバレだった。だが。
「バルキリーについては私の部署は専門ですので……一目見た時点で分かりましたよ。でも、最初の頃は似せて作っているか再利用してるだけかと思ってましたけどね」
 リュネールにはもっと早く気付かれていたようだ。例によって、ワンダーランドである田舎での都会にはない常識と言うもので割り切って考えていたらしい。
「その割には、初めてあれを見たときも落ち着いてましたね。死神とか呼ばれている代物がのびのびと歩き回ってるのに」
 バルキリーは、機軍との戦いにおいては殲滅・占領兵器として認識されている。人間の軍隊の敗色が濃厚となった頃合いに登場し残党を一掃したり、人間の前線基地を奇襲し掃討する。
 機軍の中ではバルキリーも虜囚であり、自分の育てた人間の死を忸怩たる思いで見ていたということになると、そのような役目が与えられていた理由も想像に難くないが、そんなことが分かったのは今朝の話。それまでは殺戮兵器としか思えないものが元気に走り回っていたわけだ。よく割り切れたものだ。
「だって、そちらのチームには怖がっていた人いなかったじゃないですか」
 あっけらかんと言うリュネール。確かに、一番バルキリーに戸惑っていたのはニュイベルだ。そのニュイベルでさえ、その時にはすでに慣れきっていた。挙げ句、ギリュッカのように可愛いとまで言い出すものまでいた。であれば、そんな物だと思って安心するのも不思議ではない。
「でも、俺はやっぱり素直にあの機械の言うことを信じる気にもなりませんね」
 頑固そうなことを言ってしまい、結局リュネールの緊張をそれほどほぐすことはできなかった。
 バルキリーが得体の知れない存在であるという点は何ら変わらない。得体の知れない相手だからこそ、その正体をしっかりと見極めないといけない。データライブラリでは何かそのための鍵になるような情報が得られるのだろうか。

 データライブラリの建物は巨大な物だった。この中を歩き回るのは大変そうだとニュイベルは思うが、杞憂に終わる。入ってすぐのところにある閲覧室でライブラリの全てのデータを閲覧できるという。考えてみれば当然ではある。
 ここには世界的に公開されていない未精査のデータなども全て集められ保存されている。過去のデータも数千年分に渡り保管されている。外部のデータベースにはないデータの宝庫だ。しかし、収められているデータは当然人間の目線で集められたもの。機軍要塞の内部で起きた機械同士の諍いに関するデータなどあるのだろうか。
 まず、バルキリーについて調べてみることにした。
 残っていた記録の量は思っていたよりも膨大だった。最近出てきたばかりの機体だと思っていたが、これまでにも多くの目撃例があったらしい。頻度が高くないため忘れられては再び現れるというのを繰り返してきたのだろうか。
 その幾多の目撃例の中でも最古の物を探す。驚いたことに記録を取り始めた三千年前にはすでにその姿が確認されていた。
 さすがに時代とともに少しずつその姿を変えてきていたようだ。初期の物は今の物よりもより人の姿に近かったことが記録から窺える。記録にない古代にはよりその傾向が強く、鎧を着た女戦士そのものの、まさにバルキリーという呼び名に相応しい姿だった。大きさも要塞の核が立ち上がったような巨大なもの。それが時代とともにシンプル化・小型化されて今の姿になったようだ。
 人類が機軍の要塞に攻撃を仕掛けるほどの力を持ったのもこの記録を取り始めてからだ。要塞の核の姿はその頃はまだ明らかになっていなかった。要塞の核についてのもっとも古い記録では千年ほど前になる。その頃にはほぼ今の姿になっていたようだ。バルキリーもほぼ同じ姿になっており、発見された頃は女神――フレイアと呼ばれていたらしいが、その呼び名はそれほど長くは使われずに廃れたようだ。
 その頃から要塞が劣勢になると自ら核を破壊していたことも記録に残されている。要塞核が人類に親和的な態度をとっていることを前提に考えると、人類と要塞核が接触する事を避けようとしていたのだろうか。
 歴史を見ると更に謎が深まる。今はシンプル化されているが元はより人に近かったバルキリー、そしてそれと類似している要塞核とは一体何のために生み出され、存在しているのか。
 そして更に気になることもある。永く続いてきた人と機軍の戦争。そもそも、そのきっかけは何だったのか。今まで、戦い続けることが当たり前だという意識で過ごしてきたので、その理由を考えたことなどなかった。やはり靄に包まれたままのバルキリーと機軍の諍いの理由も、根元は同じなのかもしれない。
 バルキリーについてのデータは膨大な中からいくつかの時期に絞って写しておくことにした。調べてみたいことは増えている。人類と機軍の戦いの始まり。しかし、記録の残っていない時代のことだけに、ここで調べられることはなさそうだ。
 要塞核が女神と呼ばれていたということでニュイベルはふと思い出す。要塞の中の町で、住人が信仰していた神の存在。
 思えば、この世界では神を信仰するものなどいない。そもそも、信仰すべき神が存在しないのだから。だが、神という言葉とその概念のみは存在している。
 かつてはこの世界にも神と呼ばれる存在がいたのではないか。それを確かめてみたい。もしかすると、要塞の中で行われていることに繋がっているかもしれないからだ。
「リュネールさん。この世界における信仰の記録って残されていますか?」
「信仰……ですか?」
 リュネールは端末を操作する。僅かだが、資料が見つかった。考古学の分野だ。
 この世界での考古学はすでに廃れている。繰り返される開発と争いで大地はすでに過去の痕跡など失っている上、調べられる歴史についてはすべて記録が残されているからだ。ここに残されている資料も相当古いもので、機軍との争いが始まる前の世界について記された伝承のような物だった。全てが失われた世界で、不確実な口承のみが残されたという。
 かつて栄えた文明と、その滅亡の伝承だった。ここには見覚えのある言葉がでてくる。ラブラシス。『中央』の今は廃れた呼び名・ネオラブラシスの元になったものだ。
 ラブラシスは現在の中央のように、そしてそれ以上の規模で世界の中心に存在した都市だった。
 永遠に続くかと思われたその都市の繁栄は、厄災により唐突に終わる。その時のことは「神が邪神になった」と記されている。この世界で神が廃れた理由もそこにあるのだろうか。神のことはその一言以外、頑なに語られていない。今のこの世界は神が作った世界ではなく、人が作り出した世界であるとされている。
「これは……何なんです?」
「たぶん、人類と機軍の戦いの理由に繋がると思うんですが……。バルキリーは関係ないのかな……」
「そういえば……なぜ私たちは機械と戦ってるんでしょうね。当たり前だと思って何も考えたことないのに、考えると不思議です」
 表面的な理由は単純だ。攻撃されるから反撃する。攻撃されないうちに先手を打つ。だが、なぜ攻撃されるのかが分からない。
 機軍とは何なのか。その、根本的な疑問にたどり着いたのだ。