ラブラシス機界編

16話・ロスト・メモリー

 夜が明けて翌日。今日から解析機材と言う名目になっているバルキリーを解析施設に連れていく。解析機材なのだから解析に使わないのもどうかと思うし、タダ飯を食わせる――腹立たしいことに機械の癖に本当に飯を食いやがる――のも癪だ。邪魔になりさえしなければいい、何かの役に立ったら儲け物。ニュイベルはそのくらいのつもりでいる。
 部屋を覗いてみると、そのバルキリーの姿がない。逃げ出したのかと思いニュイベルは一瞬焦るが、部屋に微かな香水の香りが残っていることに気付く。どうやらギリュッカが一足先に迎えに来ていたようだ。夕べも連れ回していたようだが、気に入ったのだろうか。ギリュッカの自由にさせてやるフリをして押し付けてしまってもいいのだろうか。
 とにかく。バティスラマの連中にしてみれば、バルキリーはすでに見慣れた物体だ。なぜこれがここにあるのかを疑問には思うだろうが、それが送りつけられた事情ならギリュッカにも話してあるので彼女の口でも説明はできるだろう。
 しかし、同じ説明をこちらの人間であるリュネールにしてしまうのはまずい。
 バルキリーの安全性についてはニュイベルでさえも懐疑的だ。ニュイベルはバルキリーがブロイに懐いて仲良くやっていることも、機軍の要塞内にいた存在だが同様の連中が機軍とは対決姿勢を見せていることもそのブロイの話で知っている。その上でもいつ手を噛まれるか冷や冷やしているのだ。そのような情報も無いままに、バルキリーが要塞核のミニチュアであることを知れば、当然危険なものだと認識するだろう。リュネールがバルキリーと顔を合わせる前に先回りし、うまいこと誤魔化しておいた方がいい。
 しかし、解析施設に着くとすでにリュネールはギリュッカと一緒にバルキリーを撫で回しているところだった。
 ニュイベルに近付いてきたプレスコは言う。
「あれ、解析機材ってことになってんだろ?姉ちゃんにはそう言っといたぜ。バティスラマにゃあんなのが歩き回ってるってすっかり信じちまった」
 そう言えば、居住区の職員にそう言って誤魔化したとき、プレスコも一緒にいた。それを聞いていたので話を合わせたらしい。それはいいとして、撫でまわしているのは何なのか。機材に対する扱いと言うよりはペットのようである。どう考えても最初から坊や呼ばわりして可愛がっていたギリュッカの影響なのだろう。
 それにしても、あんなのがそこら中にうろうろしているなどと言う話をあっさりと真に受けるとは。やはり、この町の人間にとって田舎とは謎に満ち満ちた未知の領域のようだ。
 リュネールにもバルキリーの存在が伝わったので、大した気兼ねもなくバルキリーの餌探しを頼むことができる。頼んでみると、二つ返事で引き受けてくれた。あれこれ詮索しないのはありがたい。いざというときに気は回りそうではないが、素直でいい。
 リュネールは早速上司に連絡を取り始めた。
「おはようございます、主任。手配して欲しい物があるんですけど……。作業に必要になるのでスクラップを。……ニュイベルさん、量はどのくらい必要になります?」
 ニュイベルは考える。バティスラマから箱二つほど送られてきた分はあっと言う間になくなってしまった。それに、現在最も必要になるのはプロセッサの複製を生産するために必要な半導体素子だ。大量のスクラップをかき集めても、その中に含まれる半導体の割合は高くはない。その辺を考え合わせると、こういう答えになるのは至極当然だ。
「多いに越したことはないですね」
 リュネールはその旨を上司に伝える。話はスムーズに進んでいるようだ。
 上司との通信を終えたリュネールにニュイベルは礼を言う。
「すみませんね、上の人にまで面倒かけさせて」
「いいんですよ、暇な部署ですから。機軍の戦力に、新型……それも特殊な物が出てこないと仕事が回ってこないんですよ。日頃は他の部署のお手伝いばかりしてます」
 そして、特殊なバルキリーはまさに彼女たちの守備範囲と言うことか。エリートなのか閑職に回されたのかよくわからないとぼやくリュネール。とりあえず、部署的には暇だが余所の手伝いで閑職と言うほど暇でもないようではある。
 他には、人間の領域に攻め込んでくる侵略攻撃機兵の研究を行う部署と、要塞に設置される防衛迎撃機械兵の研究を行う部署がある。リュネールの部署は特殊な物を扱うため、どちらかに特化した知識があればいい他の部署と違い、幅広い知識が必要になる。そして、技術と見識を高めるために他の部署への協力をしているのだが、リュネールはそこまで考えていない。手が空いているから手伝っているとしか思っていなかった。
 そのような性質上有能な人材の集められる部署なのだが、そんなわけでリュネールはそう思っていなかった。彼女がそう思えない理由はそれだけではない。それは彼女の上司、今通信で話していた人物だ。優秀な人物には見えない飄々とした雰囲気。リュネールはその人物のことをたまに鋭いけどとぼけたおじさんだと思っている。その、たまに見せる鋭さこそ彼の本質だった。
 彼の有能ぶりは今まさに発揮されようとしていた。

 今日も解析作業が始まる。変換ユニットのおかげでデータ吸い出しの効率が飛躍的に高まった。吸い出されたデータがどのようなデータなのかを調べる点についてはなんの目処も立っていない。
 この状況で、バルキリーが何かの役に立ってくれるのかどうか。賭のようなものだが、人の言葉を使えるようになったバルキリーが翻訳者となってくれることを期待している。
 そうそう、言葉と言えば気になっていたことがあったはずだ。バルキリーに言っておかなければ。
「いいか、おまえはまず偉そうな言葉遣いを直せ。……聞いてて腹が立つから。いいか、そこにいるリュネールって言う女性の喋り方を真似しろ」
 そう言い、リュネールの方に目を向けた。……つもりだったが、そこにはリュネールはいなかった。急に通信が入り、慌てて少し離れたところに移動していたようだ。とりあえず、バルキリーに言うべきことは言っておく。
 通信はすぐに終わり、リュネールはこちらに戻ってきた。
「ニュイベルさん、今上司から連絡がありまして。手元にあったスクラップを送るとのことです。午後にはここに届くのではないかと」
「早いですね」
「これから倉庫を探して、もうちょっと集めてみるとのことでした。うちじゃスクラップはたくさん出ますからね。すぐに集まりますよ」
「助かります。そんなに重要な用件でもないのにここまでしていただけるとは恐縮ですね」
 ニュイベルは社交辞令を述べておいた。
「いえいえ、こちらとしてもスクラップは置き場に困るくらい出ますから。何かに使うなら喜んで持ってきますよ」
 それならば、気兼ねすることもないと思うニュイベル。しかし、この言葉に込められた意味をもっとよく考えてみるべきだったのだろう……。

「吸い出し、終わったわ。これ、坊やのおもちゃにしてもいいでしょ?」
 ギリュッカがプロセッサのユニットをヒラヒラさせながら言う。ニュイベルは頷いた。
「ああ。もし壊されたとしても大丈夫ならばな」
 壊されることも心配だが、未確認のユニットに収められたデータの内容について嘘をつかれるのも警戒している。ニュイベルはまだこの機械を信用はしていない。真実を知られないように、事実を歪めて伝えようとするかも知れない。完全にデータを複製してあれば、こちらでもいくらでも検証が行える。嘘は通じない。
「問題ないはずよ。さあ坊や、おいで」
 制御ユニットの断片を手渡され、バルキリーはそれをこねくり回しはじめる。やがて、それさえやめておとなしくなった。読みとりが始まったようだ。
 程なくその読み取りも終了した。
「もう終わったの?早いわね」
 ギリュッカは制御ユニットを受け取り、リュネールはバルキリーに話しかける。
「なにが入ってたか、教えてくれるかな?」
『格納されていたのは真新しいデータだ。プログラムのコードと思われる物がいくつも記録されていた。まともな機能を持ったものではない、動かせば暴走を呼び起こしそうな奇妙なプログラムだ』
「それは俺がばらまいたウィルス……『ルナティック』だろうな」
 ニュイベルはレジナント要塞内に閉じこめられたときに持ち込んでいたウィルスをばらまき脱出の糸口を掴んだ経緯を話した。
「自慢げで鼻持ちならないだろ?こいつはこういう話をするときだけ生き生きとしやがるんだぜ」
 プレスコの余計な茶々にリュネールは苦笑いを浮かべる。
「それにね。ウィルスで要塞を止めたの、この人じゃないわよ。要塞の核がね、この人の持ち込んだウィルスを改良して広めたみたいなのよね」
 ギリュッカも口を挟んできた。
「それって……どういうことですか?」
「さあ。あたしらの仲間の中には、この核の持ち主は機械の要塞に捕らえられた別な勢力の機械じゃないかって考えている人もいるわ。それが一体何者なのか……本人に聞いてみるのが一番ね」
 そう言い、その本人・要塞核のプロセッサ構造体に目を向けるギリュッカ。
「そう言うことを聞き出そうとしているのがこのプロジェクトだ。……しかしようやく1ユニットの吸い出しが終わったところか。途方もないな」
 ブレクルフも女房と同じようにプロセッサ構造体を見る。数百ある制御装置のユニットのうち、たった一つを読み取るだけで1日以上掛かっている。機材を増やしたり作業に慣れたりすればもっと早くはなるだろうが、それでも当分終わりそうにない。
「この子に手伝ってもらったら?」
 ギリュッカはそう言いバルキリーを指し示す。こちらが1日かけた作業をあっと言う間に成し遂げたバルキリーだ。手伝ってもらえばかかる時間が半分以下になるかもしれない。
 だが、敵の要塞の中から出てきたこの機械をそこまで信用できない。機軍とは対立しているとしても人間の言うことを素直に聞くような義理はない。この機械が何者……いや何物なのか分かってはいないのだから。その、何物かを示すデータがいいように歪められては困る。
「そうだなぁ……。構造体表層付近は新しいデータだろうから、それで試してみるか」
 あまり重要なデータはないと思われる、表層付近のユニットをバルキリーに与えてみる。そして自分たちは中心付近、つまりは最も古く、恐らくは最も重要なデータが含まれる部分の吸い出しから進めていく方針にした。
 だが、吸い出しを始めるとすぐに問題が起こる。
「壊れてる?」
「ああ。読める部分は読めるんだがな。結構な量のデータが消えてる。読めない」
 プレスコの指し示すモニターを見る。吸い出されたデータを視覚化した映像だが、確かにかなり広範囲のデータが抜け落ちている。
「この調子だと、思ったよりも早く吸い出しが終わるぜ。喜べる状況じゃないがな」
「古すぎて壊れたのか?」
 ニュイベルの言葉にバルキリーが口を挟んできた。
『劣化による故障を回避するために、定期的に再構築を行っていたはずだ。読みとれなくなるほど損傷する前に対処していなければおかしい』
「ううむ。俺たちがいじり回して壊したってことか」
「吸い出しが終わったら、その専門家に調べてもらおうぜ」
 専門家とはバルキリーのことだ。連れてきたところで役に立つのかと懸念していたが、早速便利に使われ始めている。吸い出しは早く終わるとのことだが、それでも昼過ぎまではかかるだろう。すべてはその後だ。

 昼までに、バルキリーは表層部分の制御ユニットの読み込みを二つほど進めていた。そこで、バルキリーの記憶容量が足りなくなってきた。ついでにエネルギーも残り僅かだ。一度、充電と読み込んだデータのプールのため部屋に戻すことにした。部屋にはギリュッカが連れていくことになった。
 今後もこのようなことはたびたび起こるだろう。そのようなとき、自分も何かお手伝いできればと言う理由でリュネールもバルキリーの部屋についていく。ギリュッカがいれば安心だろう。
 二人とバルキリーがいなくなった後、来客があった。見慣れない中年男性だ。この町に見慣れた人などそう何人もいないし、見慣れた面々がおいそれと来ることのできる場所でもないが。
「おや。ここじゃないのかな。部下のリュネールがここに手伝いに来ていると思ったんだけどね」
 リュネールの上司のようだ。
「リュネールさんなら、今ちょっとした用件でよそに行ってますが」
「あら、そうなの。どう、リュネールちゃん元気にしてる?」
「え。ええおかげさまで」
 よく分からないノリで話しかけられ、ノリでよく分からない返事をしてしまうニュイベル。こちらに出向いて昨日の今日で元気じゃなくなるようでは相当だ。とは言え、実際初日に対して役に立てず、勘違いやら手違いやらを連発しへこんだりしたのも事実なのだが。
「あー、遅くなっちゃったけど、私は機軍対策情報局前線調査部解析研究課3係係長のヘンデンビルです。よろしくね、どうもね。でさ、頼まれてたもの、持ってきたのよ。機械くずのガラクタでいいって言われたんですけどね、こんなのでいいのかな」
 ヘンデンビルが持ってきたのは壊れた機兵ロボット、バルキリーの餌にするにはもったいないくらいの代物だ。
「これは上等ですね。いいんですか、これ」
「うちのラボって、世界中から日々こういうサンプルが送られてくるからね。いくらでもあるのよ。置き場所にも困っててさぁ。引き取ってくれると助かっちゃう。もう欲しいだけあげますから。言ってちょうだい」
 半笑いとしか言いようのない力の抜けた顔でそう話すヘンデンビル。
「こちらもどのくらい必要になるか分かりませんから、いらないのならどんどん持って来ちゃってください。見ての通り、場所は余ってますんで。……場所と言えば、こんな広い建物用意してもらっていいんですかね」
「うんうん、リュネールに聞いてますよ。勘違いで必要以上に大きな作業場を確保しちゃったそうですねぇ。でもここ、郊外だからねえ。見ての通り周りは原野でしょ。土地の心配は無用だから。いやあ、それにしてもすごい余りようですねえ。スケールの大きい勘違いでしたねぇ」
 ヘンデンビルはそう言いながら建物の中を見回す。ラボの一室を借りれば十分なプロジェクトだったが、ラボそのものが収まりそうな建物が与えられている。あまりにも無駄だ。
「うん、うん。広いねえ。……ああそうそう。機械くず、置いてかないと」
 ヘンデンビルはいそいそと外に出るとコンテナカートで乗り込んできた。コンテナの中は山積みのスクラップだ。ずいぶん持ってきたなぁ、とニュイベルは思う。
「今、ツテを頼ってかき集めてるから。じゃあ、うちのリュネールちゃんのことよろしくね。どうもね」
 なんだかよく分からないうちにヘンデンビルは去っていった。
 入れ違うようにバルキリーを連れたギリュッカとリュネールが戻ってきた。ニュイベルはリュネールにヘンデンビルが来たことを伝える。
「わざわざ自分で持ってきたんですか。もう、暇人なんだから……」
 ため息をつくリュネール。連絡を取ったとき、ひとまず手元にある分だけ送るとは言っていたらしい。
「ずいぶんと手元にあったもんですね」
 運び込まれたコンテナを見ながらニュイベルは言う。
「世界中からサンプルが送られてきますからね。送ってきた方にとっては始めて見かける型でも、余所ではもう確認済みなんてことも多々あって、そう言う場合それはただのゴミですし」
 そんなところでツテを頼ってまでかき集めると、どれほどのスクラップが集まるのだろう。ニュイベルの中にだんだん不吉な予感が頭をもたげてきた。リュネールは言う。
「この子ですけど、データの移動は終わって後は充電だけで。充電ならここの方が出力の大きな電源がありますから連れてきたんです」
「電源、直接接続できましたっけ」
 あの日々変形する充電器が必要なのではないだろうか。
「それなら、休憩中に端子を作ってましたよ。ほらここ」
 リュネールの示す場所には、確かに見覚えのない端子が出来ていた。
「え。あ、そう。……そんなに簡単に端子を増やせるのか、こいつは」
 ニュイベルがぼやいている間に、リュネールはその真新しい端子にケーブルを接続する。
「で、これが坊やのご飯になるわけ。……だいぶ奮発してくれたみたいだけど……いいわね、この町はなにもかも気前がよくて。物のない田舎から見ると羨ましい限りだわ。……ほら、あげてごらんなさいな」
 ギリュッカはそう言いながらコンテナからスクラップを取り出してリュネールに手渡した。何気なく手渡されたスクラップの重さにつんのめるリュネール。ギリュッカはおっとりした外見によらず腕力は強い。機材やこう言ったスクラップを抱えて駆けずり回った日々の賜物だ。
 手渡されたスクラップを抱えてよろよろと歩きだしたリュネールの足下に、ケーブルをはずしたバルキリーが駆けより、自分の体ほどのスクラップをひょいと受け取ると、ケーブルの届くところまで軽い足取りで駆け戻っていく。見た目によらない怪力ならこちらの方が上だった。
 その見た目によらない怪力でスクラップをねじきり、中身を食べ始める。
「なんか、本当に生き物飼ってるような気分になりますよね。いっぱい食べて大きくなるんだよー」
 リュネールの言葉に、それは勘弁して欲しいと心の中で言い返すニュイベル。
 バルキリーがそのおやつを食べ終わる頃、制御ユニットのデータ吸い出しが終わった。
 やはり、データは全体的に壊れていた。だが、物理的な損傷のためではないらしい。そのことは、そのユニットを調べたバルキリーの言葉でも明らかだ。
『データが削除されている』
 その言葉を受けてフラゼルは言う。
「削除?はあん、それでデータがないのか。それなら特におかしいってことはないな」
『おかしな話だ』
「っておい。1秒で否定されたぞ」
 フラゼルはずっこけた。ニュイベルはバルキリーに問う。
「なにがおかしいって言うんだ」
『この素子はROMだ。作られたときに内容が決まっていて、後から書き換えることはできない』
「そんなことは分かっている。……いや待て、妙だ。ROMの内容をどうやって削除するって言うんだ」
『方法はある。内容を直接書き換えることはできないが、データのゲートウェイを物理的に切断すればそのデータには二度とアクセスできなくなる』
「要するにぶっ壊すんだろ?強引な方法だな」
 ブレクルフが顎をさすりながら言った。
「物理スキャンをかけたときには中身に変なところはなかったはずだ。ゲートウェイってところだけが壊されてたわけか。それならば物理スキャンを使えばなにが消されていたのかは分かるだろ」
 そう言ってはみたものの。
「面倒だな」
 物理スキャンにはかなり時間がかかる。レジナント要塞で、改変されたウィルスを見つけたときに使った方法がその物理スキャンだが、小さいゆえに精密な代物だけあってスキャンそのものに丸一日を要する。
 そうやってスキャンが終わったら今度はその構造を元にデータの繋がりを追っていかなければならない。回路はニュイベルたちの専門外。レジナントでの調査時もそこは専門のチームに任せていた。ちょうど、ブロイたちに手伝ってもらって制御装置から箱型の装置を取り外していたときだ。待っている間の空いた時間をその作業に当てていたというわけだ。
 物理スキャンが必要になる状況は多くはない。そのため、スキャン装置の数も多くはない。同時に稼働させて作業を複数並行させればそのぶん早くはなるだろうが、限度がある。
 作業はとんとん拍子で進むかと思われた解析だが、早くも暗雲が立ちこめてきた。
『物理スキャンという方法を使えばアクセスできないデータを読み取ることができる?』
 バルキリーは物理スキャンに興味を抱いたようだ。物理スキャンについて詳しく知りたいとも言い出した。
「あの。私でよければレクチャーを引き受けますよ」
 リュネールが申し出てきた。
「お願いできますか」
 面倒事を引き受けてくれるのもありがたいが、それ以上にバルキリーに言葉の手本にするように言ってあるリュネールと話し込むには絶好の機会だ。逃す手はない。
 ここはリュネールに任せてニュイベルたちは今後の方針について話し合いを始めた。
「聞きたいことあったらどんどん聞いてね。先生って呼んでもいいんだよ」
 そう言ってリュネールは説明を始めようとした。その間際に飛んできたバルキリーからの最初の質問はこれだった。
『先生とはいったい何か?』

 今後の方針として、ひとまず簡単に吸い出しが行えるユニットとスキャンが必要なユニットを見極めるところから手を着けることになった。
 それを見分けるのは簡単だった。データ削除のためには物理的に回路を切断する必要がある。それは物理的に連結された箇所・ゲートウェイに対して行われる。つまり、その場所を見れば削除されたデータがあるかどうか一目で分かるというわけだ。
 そうやって調べて、大方のユニットについて削除箇所の有無を割り出したところでその日の作業を終えることにした。
 表層付近にあった新しいユニットは削除箇所のない完璧なものが多かったが、古いものには多かれ少なかれ削除箇所のあるものが大半だった。特に中層域には削除されたデータが多く、読めるデータの方が少ない有様だ。この様子では解析は一筋縄では行かない。バルキリーが物理スキャンに興味を示している事がどう転ぶかに、いやが上にも期待が高まる。信用できるかどうかは未知数だが、不本意でも頼るしかない状況になってきている。
 そのバルキリーはまだリュネールからのレクチャーを続けている。原理や基本的な概念から叩き込まねばならない。スキャナの構造までたどり着くにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 リュネールは今夜中に終わらせたいと思っていた。バルキリーもできるだけ早くスキャンができるようになりたいと望んでいるし、それで事態が好転するなら早いに越したことはない。ニュイベルもそれを止めることはしない。説明など夜遅くまでするほどのことでもないとも思うが、だからと言って何日もかけるようなことでもない。同じだけ時間が掛かるならば、いつやっても同じだ。
 レクチャーの場所だけは、居住区のバルキリーの部屋すなわちニュイベルの隣の部屋に移すことになった。せっかくなのでヘンデンビルから受け取ったスクラップも一部、部屋に運び込むことにした。量が多すぎるので全部は無理だ。小型のカートにスクラップを積み替える。半分も入らないが、それでも結構な量だ。
 リュネールはカートとバルキリーとともに部屋に入っていった。その後どうなったのか、ニュイベルには特に興味がなかった。

 どうなったのか興味がなかったニュイベルも、部屋に入ればその結果を否応にも目撃することになる。
 いつも通り朝一番にバルキリーの様子を見に行ったニュイベルは、バルキリーの部屋の床に何かが転がっていることに気付く。まだ眼鏡をかけてないし、寝起きで目も霞んでいる。何かは分からない。
 近付いてよく見ると、手のようなものが見えた。いや、ようなものではない。確かにそれは手だった。誰かが床に倒れてる。
「!?……おい、大丈夫か!?何があった!」
 倒れていた人を揺さぶるニュイベル。
「う……。あ。きゃ。え、えーと。おはようございます。……め、眼鏡眼鏡……」
 声でようやくそれが女性だと分かる。倒れていた女性は眼鏡を探し出した。
「もしかして、リュネールさんですか。何でこんなところに……」
 こんなところにいそうで、眼鏡をかけている女性など他に思いつかない。それに、声の感じも。そして、そういえば昨日は夜遅くまでバルキリーにレクチャーを行っていたことを思い出す。
「えーと。……ニュイベルさん?」
 こちらも声で分かったようだ。なにはともあれ、ただ寝ていただけらしい。
 そのとき、騒ぎを聞きつけた誰かが部屋を覗き込んだ。
「なんの騒ぎ……?」
 顔はよく見えないが声からしてギリュッカらしい。ギリュッカは言う。
「あなたたち……どなた?」

「俺の顔を見忘れるとは……。ずいぶんだな」
 ニュイベルはいつも通り不機嫌だ。
「あんたたちの眼鏡のない顔、始めて見たわ。あんたの顔、眼鏡で覚えてたし。眼鏡、無いと普通の顔ね」
「眼鏡があるときはどんな顔だってんだよ」
「そりゃあ……もちろん、眼鏡よね。他に特徴ないし。リュネールさんの顔だってそんなによく覚えてなくて。そんな誰かも分からない女性と顔をくっつけて話してるのがあんただなんて……思うわけないじゃない」
「……お互い、近眼だからな」
 今はニュイベルも一度部屋に戻り、眼鏡をかけている。リュネールも眼鏡を見つけていつも通りだ。二人とも間近で見つめ合っていたはずなのだが、その眼鏡の無かった顔はよく見えてない。
「で、なんでこんなところに転がってたんです」
「転がってって……。ゆうべは夜遅くまでかかっちゃいまして。で、帰らなくていいや、ここで寝ればと思って……」
「寝るにしてもこんな床じゃなくてベッドで寝れば……あ」
 ニュイベルは思い出す。この部屋ではベッドを使っていないので畳んだままだ。話を聞いてみると案の定、バルキリーへの説明が終わったのが真夜中で、ここに泊まっていこうと思ったもののベッドはない。ベッドに寝るにはマットも出してベッドを整えなければならない。そんな体力はリュネールには残されていなかった。そこで、毛布だけ引っ張りだしてそれにくるまって寝ていたということだった。
「それで、どんな感じです?スキャンは使えるようになりそうですか」
「手応えはありましたね。私が寝てる間にスキャナの試作機を作るって言ってましたけど。……どう?できた?」
 バルキリーはリュネールに訊かれて答える。
『まだ。もうちょっと』
「お昼までかかりそう?」
 バルキリーは頭を横に振った。
『ううん。もうちょっと』
「調査が始まるまでには出来る?」
『うん』
「……あら」
 リュネールとバルキリーのやりとりを見ていたギリュッカが何かに気付いた。
「いつの間にか、かわいい喋り方になってるじゃない」
「あ。そうなんですよー。なんか私の喋り方を真似しているみたいなんです。なんか友達になったみたい」
 このやりとりでニュイベルは自分の誤算に気付いた。リュネールはニュイベルをはじめとしたメンバーには丁寧な言葉で接している。だがそんなリュネールもこの機械に対してまでは敬語を使わない。さらに、バルキリーを“かわいいボウヤ”扱いしていたギリュッカの影響もあって“かわいいボウヤ”に話しかけるノリで話しかけていた。そして、バルキリーはその喋り方を覚えてしまったようだ。
 バルキリーにしてみればニュイベルの命令に従っただけ。リュネールだってボウヤ扱いの機械相手に敬語を使う義理などない。その命令を出した後、リュネールがニュイベルたちと会話する機会は減り、一方バルキリーと直接対話する機会は増えた。間も悪かった。それでも、あの偉そうなしゃべり方よりはかわいげがあるだけマシだ。これでいいやと言う気になった。
 何はともあれ、まだ時間はある。リュネールは調査が始まる前にギリュッカの部屋でシャワーを貸してもらうことになったようだ。ニュイベルもとっとと朝食を済ませることにした。

 先ほどの言葉通り、バルキリーは自作の物理スキャナを携えて施設に現れた。さっそくそのスキャナが使いものになるか試してみることになった。
 今までに使っていた物理スキャナは、幅広い用途に使えるように結構な大きさだ。だが、バルキリーのスキャナは用途が限定されている。大きさもそのために最低限必要なサイズに押さえられ、スキャナ部分は手も入らないような小ささだ。当然消費電力も少なく済む。
 そのスキャナに要塞核のプロセッサが装填され、スキャンが始まる。スキャンされたデータは普通のスキャナと同じようにモニタされている。実に順調だ。動作に何の問題もなく、精度も十分だ。
 さらに、スキャンされた構造図を解析してプロセッサ内のデータを割り出すところまで同時進行している。他の用途には使えない特化型であるゆえの強みと言えよう。
 プロセッサユニット一つを半日ほどで解析し終わった。この調子なら解析は早く終わるだろう。名目通り、解析機材としていい働きをしてくれている。どんどんこの得体の知れない機械に頼らざるを得ない状況になっているのが歯痒いが、それは致し方ない。
 解析されたユニットの消去されていたデータには、無数の人物のプロファイルが収められていた。レジナントの『町』の住人たちだった。その誕生から数年間の短い生涯の事細かな記録が、画像や映像、音声などと言った様々なもので残されている。
 要塞内で無数に培養されて誕生し、誕生から数年で殺されてしまうような人間たちの記録を、わざわざ取っていた理由も、それを消した理由もわからない。分かるのは、この記録自体は相当古いものだと言うことと、削除されたのは極めて最近だと言うこと。
 データの削除はある時期に集中的に行われている。その時期、もしくはその直前、何かが起こったようだ。数百年に渡り残してきた記録を一斉に破棄させるような出来事が。その時期に何があったのかを探るのが近道だろう。新しいユニットは基本外側に増設されているので新しいデータは傾向的にユニット構造体の外側にある。特に消されているデータの量が大きく変化する部分が怪しい。
 その辺りを大雑把に調べてみると、やはり消去データ量が一気に減っている部分が作られた時期は、大量削除が行われた時期と一致している。この辺りをよく調べてみるのがいいだろう。方針が決まったところで、作業は進んでいく。