ラブラシス機界編

14話・語られる心

※現在序盤部分の加筆修正につき内容整理中です。
 どこかの町だ。その町に見覚えはない。いや、本当に見覚えはないのだろうか。知っているような気がする。
「もう、ここはだめだな」
 誰かが言った。その誰かに見覚えはない。いや、本当に見覚えはないのだろうか。知っているような気がする。
「いい捨て駒さ。増援部隊が到着するまでの時間稼ぎにはなる。十分だろう」
 誰かが言った。いや、誰かではない。自分……だろうか。しかしこの声にも覚えがない。いや、本当に覚えはないのだろうか。知っているような気がする。
「敵さんは元気だな。第6陣、接近を捕捉……だ」
「ここへの到着までは?」
「見りゃ分かるだろ」
「……だな。聞いただけだ。こちらの戦力は?」
「そんなの、聞くまでもないだろ」
「……だな。口癖みたいなもんだ、聞き流してくれ」
 もはや、希望は何一つない。しかし、絶望もない。状況は絶望的だが、こうなることは分かり切っていた。逃げずにここに残った時点で覚悟は決まっている。
「遊軍の到着は、ここが潰されてから暫くってところだな」
「だろうな。何もかも、今更聞くまでもねえ。……それじゃあ、準備に取りかかろうか。俺たちの人生の終わりを派手に彩る祭りの……よぉ」

 リカルドは目を覚ました。
 そうか、これはいつもの、確か……。
 夢。
 そうだ、ブロイに教えられた。夢と呼ばれているものだ。
 今までにも何度か見たことがある。まだ、あの狭い世界で神に祈りを捧げていた頃。死の存在を知らなかった頃。
 思えば、人は永遠に平穏に生き続けるという、あの狭い世界での常識に疑問を抱くきっかけになったのは、こんな夢のせいだったはずだ。
 それがどんな夢だったのかは思い出せない。しかしその夢の直後は必ず知りもしない死に怯え、みんなが信じている永遠の平穏などと言う絵空事に吐き気までも感じた。
 その平穏な世界の空を突き破り降り注いだ炎の塊から這いだした、後に冗談混じりに悪魔と名乗った男たちに会ってからは、目まぐるしい日常と次々と知らされる真実にそんな夢からも遠ざかっていた。
 夢。それは得体の知れない現象だった。
 見たことのない、想像もつかない世界が夢の中には広がっていた。あまりにも現実味のない世界だと思った。しかしその一方で、その夢から覚めると今自分たちがいる世界の方がよほど現実ではないような気がしたものだ。
 今の今まで、そんな夢のことなどすっかり忘れていた。こうして改めて考えてみると、この夢はこの本当の世界のことだったのはないだろうか。
 リカルドはこの世界のことを知っていたのではないか。また、その思いを強くした。

「おはよう、リカルド」
「ああ、ラナ。おはよう」
 食堂でラナと行き会う。再びのレジナントでの、今までと違う生活。それはバティスラマでの数日と変わらない。違うところがあるとすれば、食事の後の日課が訓練から作業になったこと、そして自分たちとは違う作業を割り当てられたガドックと会うことが減ったくらいだ。大きな変化なのだろうが、今まで住んでいた狭い世界の生活から今の生活になった時の変化に比べれば無いに等しい変化だ。
 いつものように二人で向き合って食事をとる。自分たちと同じような姿をした人間たちは、気味悪がってリカルドたちに積極的には近寄ってこない。こういう扱いは慣れているので気にはしていない。好奇心の強いドワーフたちは興味本位でよく声をかけてきたが、最近はよく言えば慣れ、悪く言えば飽きてきたのであまり声をかけてこなくなった。
 いつものように他愛もない話をしながら食事を進める。そんな中、リカルドはふと言った。
「ラナ。最近、夢って見てる?」
「夢?……そう言えば、最近見てないな」
「俺は今日、久しぶりに見たよ。いつもみたいな夢だった。……よく夢を見ていた頃は分からなかったけど、あの夢ってこの世界のことを見てたんじゃないかな」
「……よく思い出せないけど……そうなのかもしれない。私、どんな夢見てたっけ……」
 ラナは思いだそうとするがよく思い出せない。自分たちの住んでいた世界の常識と乖離しすぎた夢は、その内容を覚えるどころか理解することすらできなかった。理解できないものを覚えることなどできない。
 なぜ、この世界の夢を見るのか。そもそも、あの夢は本当にこの世界なのか。
 リカルドだって、今日見た夢のことを理解できたわけではない。もっとこの世界のことを知らなければ、あの夢を理解はできないだろう。あの夢の意味が分かったとき、新しい何かが分かるかもしれない。

 ずぼらなブロイが目を覚ましたのは、リカルドたちが朝食を摂っている時だった。昨日の様子からしてバルキリーが賑やかに起こしに来ると思ったのだが……。
 要塞の核だった場所に近付くが、そこも静かだ。ここにもいない……?いや、覗き込むとそこにいた。ただ静かにしていただけらしい。バルキリーはスピーカーに飽きたのだろうか。もう手にも持っていない。
 しかし、ブロイの姿を見つけると、どこからともなく音を鳴らし始めた。
『ぷぉー。ぱーぼー』
 どうやら夜の間にスピーカーを体の中に取り込んだらしい。手の早いことだ。それにしても変な音だ。
 バルキリーが寝床から這いだしてきた。
 まず、その歩き方の変化に気付く。二本足で歩いている。と言っても、人間の歩き方にはほど遠い。酷く屁っ放り腰で体が傾いている。ひよこのような歩き方だ。
 そして、その歩き方を支えるために後ろ足が太くなっており、昨日とは全然違うフォルムになっていた。
 電源が強化されたから一晩でこれだけの変化ができたのだろう。しかし、二本足での歩行は効率が悪い。なぜ二足歩行を取り入れようとしているのだろう。さすがに周りに合わせたいだけなどというくだらない理由ではないだろうが……あり得ないことでもない。
 効率を求めて進化するなら、足を引っ込めて車輪をつけた方がいい。レジナントもバティスラマも、人間が出入りする範囲はカートも使えるように段差のない構造になってる。ましてレジナントの大部分は最高の移動効率の車輪をつけた機械たちが闊歩していた世界。そんなところでこんな効率の悪い歩き方を目指して進化する理由があるはずだ。
 しかし、何を考えているかさっぱり解らないバルキリーについて結論なんか出るはずがない。いくら考えても周りに合わせようとしているという答えよりいい答えが思いつかなかった。まさかとは思うが、案外その通りなのかもしれない。
 変な歩き方のバルキリーを引き連れて作業場を目指す。
 ひとまず、作業機械を量産するための機械を設計する作業は今日でひと段落しそうだ。
 作業場では何人かの仲間が待っていた。ガドックの姿もある。
「よう、おはようさん。オーダーの数は?」
 作業員たちに向けてブロイが言うとバルキリーが鳴った。
『ぷぉーぱーぼー』
「ん?言葉を覚えてきたのか。どれどれ、おはよー」
 クラスクが覗き込みながら声をかける。
『ぷぉぱぴょー。……ぽぱぼー』
 出す音をクラスクの言い方に少しずつ近付けていくバルキリー。ブロイはそれでバルキリーがおはようと言おうとしていたことを知った。まだ、とても言葉だとは気付けない程度のクオリティだが……。
「おはよー」
『……おはよー』
「うおっ」
 突然まともに言葉を発したが、どう聞いても録音したクラスクの言葉のオウム返しだ。
『おはよー。おは……お。おは。おー、おーはー……あよー……』
「俺の声で遊ぶな。おい、ブロイ。何とかしてくれ」
「そうだな、色気のないおっさんの声で遊ばれてもうっとうしいしなぁ。ちょっと待ってろ、声の素材を調達するわ」
「それはそれで失礼な発言だな……」
 クラスクを無視してブロイは端末を取り出し通信を始めた。
『ブロイ?なにか用?』
 通信の相手はラナだ。
「大した用じぇねえが、少しだけ時間とれるか?」
『少しくらいなら。で、なあに?』
「声のサンプルが欲しいんだ」
 ラナにいくつかの言葉を言ってもらってそれをバルキリーに聞かせると、早速その声をいじり始めた。男むさい作業場に若い女性の声が響く。
「これはこれで落ち着かんな。まあいいか。そろそろ作業に入ろう」
 残った作業の量はそれほど多くない。今日一日あればのんびりやっても終わるだろう。ちなみに、オーダーの数については誰も回答してくれなかったが、無茶な数が入っていたならもっと騒いでいる。そうでないなら、別にどうでもいいのであった。

 自分の声がバルキリーのおもちゃになっていることなどつゆ知らず、ラナは作業に勤しんでいた。
 単調な作業に昔のことを思い出す。この町に今とは違う人々が暮らしていた頃。この町の人々が行っていた作業に自分たちは加わることを禁じられていた。考え方の違い、それだけの理由で。
 今の町の人々は、そもそも彼女たちとは生まれかたからして違う。機械の中から生まれた異質な彼女たちはここでも気味の悪い存在として敬遠されているが、隔離まではされないし、他の人のように役割も与えてもらえる。まだここの方が扱いがいい。
 こうして作業を行うのは、生まれてすぐの頃まだレジナントでも他の人と同じように扱われていた頃を思い出すのだろうか、どこか懐かしい感じだ。
 そんなことを考えていると、ふと今朝のリカルドの話を思い出した。
 昔見た夢。いったいどんな夢だったのかは思い出すことができない。ラナの理解を超えた非現実的なものだったと思う。
 ただ一つ、あのころに見た夢についてとても鮮烈に思い出せることがある。夢から覚めた後の感覚。決まって胸が締め付けられ、目から涙が溢れた。
 何も知らなかったラナは、その感覚がなんなのか分からなかった。その感覚の正体は、ある日ふとしたきっかけから知るところとなった。
 祈りを捧げ、神の使いの言葉を聞く。神の使いは言った。この世界は苦痛も悲しみもない幸福な世界なのだと。
 まさにその通りだった。あらゆる苦痛や悲しみ。その元となる死や病、争いや苦悩を徹底的に排除すべく管理されたその世界には、その言葉通り苦痛も、悲しみも、恐怖も絶望も存在しなかった。
 思えば滑稽な話だ。存在しない物を無いと言われてもそれは当たり前のこと。そして、存在しないと言う苦痛や悲しみという物がどんな物なのか。話を聞かされていた人々は、それさえ漠然となにやら恐ろしく不快な物らしいと言うことしか分かっていなかった。
 ほんの少しの人間を除いては。
 その一人がラナだった。夢の後その話を聞き、あの時感じたのが悲しみであることに気付いた。胸を締め付けられ、涙を抑えきれないほどの悲しみ。
 そのことに気付くと同時に、その神の教えが信じられなくなった。
 ここが悲しみのない世界?悲しみならあの時感じた。何かが間違っている。神の言葉?それとも自分の存在?
 ラナの住んでいた小さな世界は、彼女の存在が間違っていると判断した。同じように間違った存在・イレギュラーと呼ばれる仲間たちともに、ラナを隔離した。
 今朝、その頃からの仲間であるリカルドは言っていた。あの夢は要塞の外に広がっていた正しい世界、この世界のことだったのではないかと。
 存在さえも知らなかった町の外。自分たちの知る全てだった狭いレジナントの町とはあまりにも違う世界。
 しかし、ここに来てから、ラナは不思議な感覚を何度と無く味わっていた。初めて目にする景色、初めて手にする道具、初めて耳にする知識。しかし、初めてでは無い気がする。言葉を知っていれば、こう表現するだろう。デジャブ。
 リカルドの言うようにあの頃見ていた夢がこの世界なのだとしたら。時折感じるデジャブの正体が、自分の記憶のどこかにあったこの世界の知識なのだとしたら。
 ラナやリカルドは、この世界のことをいったいどこで知ったのだろう。
 リカルドは今朝、この広い世界に来て初めて夢を見たという。ラナももう一度あの頃と同じ夢を見ることができるだろうか。分からなかったあの夢の意味を、今なら理解することができるだろうか。あの夢が悲しみを呼び起こした理由を知ることができるだろうか。
 もしかしたら、ブロイたちが知ろうとしている、機械の中で人間が育てられていた理由に繋がる何かがその夢の中に見つかるかもしれない。
 それはラナやリカルドだって知りたい。それは、自分たちが生まれた理由なのだから。

 バルキリーはラナの声を繋げて言葉を作り始めていた。
 ついにしゃべり出すか。誰もが期待しながら成り行きを見守っていたが、事態は思わぬ方に動き始めていた。
『……しのここーろーはー♪あなたのーいないせーかいーでー♪醒めなーい夢をーみーているのー♪目覚ーめをー運ーべるのはー♪あな……』
 昨日の曲に歌詞がついていた。
「何なんだ、こいつは」
「俺に聞くなよ……」
 クラスクの言葉に、ブロイは苦笑いしかできない。
 メロディが中途半端なところから始まって中途半端なところで終わる感じなのは昨日の時点で気になっていたが、歌詞がつくとそれがよりはっきりする。何かの歌の一部分らしい。メロディだけでもノリの軽い曲だったが、歌詞はさらに輪をかけて軽い。悲しいラブソングではあるが、ラブソングである時点でそもそもが軽い。
 そもそも、どこからこの歌詞が出てきたのだろうか。人間たちと長い間戦い続けてきた機械の中身から出てくる歌詞には思えない。数年生きたら殺される運命の住人しかいない、レジナントの閉ざされた町の中でこんな暢気な歌が流れるとも思えない。男と女の区別もついていない連中が、恋について歌うはずもないのだ。
 ブロイの知らない間にバティスラマか人間に占領されたレジナントのどこかで耳にしたのかもしれないが、なぜわざわざこの歌を覚え、真っ先に口ずさんだのかが分からない。バルキリーが進化を遂げる度に、ワケの分からないことが増えていく。いったい、こいつは何なのだろうか。
 そしてようやく、スピーカーを持ち出した当初の目的通り、バルキリーが言葉でコミュニケーションをとろうとし始めた。ここにくるまでによく分からない回り道をしたが、やっとバルキリーからいろいろと聞き出せそうだ。
 残った仕事はそれほど多くはない。とっとと片づけて、酒でも飲みながら話を聞かせてもらおう。
 そう言うことに決まったところで、バルキリーが言う。
『ここでは、話せない』
「どうした?恥ずかしいのか」
「んなわけねぇだろ」
『私の記憶のほとんどは、本体の中にある。大分拡張されてはいるが探査ユニットの記憶領域は限られている。外部で収集する情報の量も多い。そのための空きも必要。持ち歩く情報は必要と思われる最低限の物だけ』
 イントネーションがおかしいが、結構な長科白を澱みなく話すバルキリー。今まで話しはしなかったがブロイたちの言葉をちゃんと理解していただけに、語彙はそれなりにあるようだ。
 バルキリーの今の話から、いくつかの事実が浮かび上がった。今まで寝床だと思っていた“あれ”が本体で、本体だと思っていた“これ”は探査ユニットだと言うこと。それと、あの軽いノリの歌はどうやら、そんな限りある記憶領域を使ってまでも持ち歩きたい最低限の情報の一つだったらしいと言うこと。まあ歌については考えると頭が痛くなりそうなので気にしないのが一番だ。
「じゃあ、本体のところに行くか」
「どこだ、本体は」
 ブロイの言葉に、マスキンプも立ち上がる。ついてくる気は満々のようだが。
「町があっただろ。あの奥のコアのあったところだ」
「げ。虐殺があったところか。……夜に行くところじゃないよな。昼でも嫌だぜ。お化けなんか出ないと言って真夜中あそこに踏み込んだ馬鹿がいたが、何かを見た、二度と行かねえって言ってたぜ」
 また腰を下ろすマスキンプ。
「そいつ、何を見たんだ?」
「真っ暗な町の跡地をハンドライト一つで歩いていたそうだ。するってえと、どこか遠くの方からふしゅー、ふしゅーって音がしたんだと。その音に吸い寄せられるように通路の中に入っていくと……怪しい光が」
 マスキンプは雰囲気たっぷりに話し始める。
「うわ。嫌な流れだなぁ。まさかその馬鹿はその光の正体を見に行ったりしてないだろうな」
「見には行ってない。その代わり声を出したわけだ。そこに誰かいるのか、ってな」
「さすが馬鹿だな」
 細かい茶々は入るが、皆一様に話の続きを待っている。マスキンプの怪談は続く。
「すると音も怪しい光もぱったりと消えた。そして……」
『あなたのーいないせーかいーでー♪』
 暇になっていたバルキリーが突然歌いだした。
「ぎゃあ。な、なんだこいつは。嫌なタイミングで……」
 バルキリーは勝手に歌わせておいて話を元に戻す。
「声をかけたらな。明らかに人間のものじゃない足音がひたひたひたひたと近づいてくる……さすがにやばいと思って全力で逃げてきたそうだ」
「……なあ。それいつの話だ?」
 仲間の一人が訊く。
「俺がこの話を聞いたのは昨日だから……一昨日か」
「なんだよ、えれえ最近じゃねえか」
「っていうか、もうその頃はこいつが居座ってたんだぞ。誰が犯人か明らかじゃねえか。大丈夫、お化けなんか出ねえさ。そんなのが出るならこいつが見てる。なあ、バルキリー。お前の新しい寝床でそんなもの見てないだろ?」
 ブロイの問いかけにバルキリーは首を傾げた。
「お化けがなんなのか分からないんだろうな。あそこで俺以外の人影とか、見てないだろ」
 バルキリーは質問に答える。
『人影は見ていない。しかし正体不明の存在の接近は検出した』
「え」
「何だ、正体不明の存在って。お化けだろ、それ」
 色めき立つ一同。
『接近を検出したが確認に失敗した。おそらくこちらの接近に気付き離脱したと思われる。時間は157057秒前』
「……何時間前かで頼む」
『43.627時間前』
「だいたい一昨日の夜か。……これも正体がはっきりしてるぜ。どう考えてもお前の友達っていう物好きの馬鹿だろ。ほれ、やっぱりお化けなんかいねえって」
「ううん……でもできれば昼間に行きてえ」
 そんなことを話していると、バルキリーが言う。
『残念だが、現在本体の所在は不明だ。だいぶ前に運び出されたことは分かっているが、その頃は搭載されていた記憶容量が小さく十分なデータが残っていない』
「あれっ。本体って……そっちか」
 どうやら一つ勘違いをしていたようだ。バルキリーの言う本体とはすでに運び出されている。ということは、その本体とはより大元の本体、要塞の核のことらしい。確かに今バルキリーのねぐらがある場所に、ちょっと前まではその核があった。バルキリーにしてみれば、そこにあったはずの物が今はないという認識らしい。
 核に詰まっているデータを送ってもらえるようにニュイベルに頼んでみた方がいいだろう。
 思い立ったことはすぐに行動に移したがるブロイは、大好きな酒さえもほったらかしてニュイベルと連絡しに行った。

「よう、ニュイベル。手は空いてるか?」
『くだらないことを聞くな。ろくな機材がないのにちんたら輸送しやがって。何もすることがねえ。こんなことなら別便で移動すりゃよかった』
 無線越しに呼びかけると、不機嫌そうな声が返ってきた。ニュイベルが不機嫌なのはいつものこと、特に変わったことではない。
「相当暇そうだな。暇つぶしにいい野暮用があるんだが」
『暇だからって何でもやると思うなよ。とりあえず話は聞くけどな』
「大した用事じゃねえさ。そこにある核の中のデータをこっちに送ってくれ」
 ややあって返事が返ってきた。
『どこが大した用事じゃないって?悪いが、膨大なデータだぞ。輸送中に吸い出しを進めておこうと思って持ってきたストレージはあっという間に埋まっちまった。通信で送ろうなんて、何日かかるか分からん』
「そんなに多いのか」
『あの制御装置の大きさを見て分からないか』
「コブのある網を丸めた奴にしか見えなかったがな」
『あのコブ一つがあんたの持っている端末一個分だ』
 端末には入出力装置などもあるためかさばっているが、それを取り除けば中身は大した大きさではない。記憶媒体ならあのコブ一つで十分収まる。
「……そりゃえらいこっちゃな」
『思い知ったか』
 なぜか勝ち誇るニュイベル。しかし、この様子ではデータを送ってもらえそうにはない。
『話し相手はどこ?近くにいるのか』
 バルキリーが口を挟んできた。ブロイは説明してやる。
「相手は遠くにいる。これは通信って言ってな、離れた相手と話をするための仕組みだ」
『誰だ?ラナか』
 今度はニュイベルが質問してきた。
「ラナの声を拝借しているが、こいつはバルキリーだよ」
『げ。喋るようになったのかよ」
「しかも今は二本足で歩き回ってるぜ」
『マジかよ。ついこの間まで犬みたいに這い回ってたのに……。恐ろしい成長速度だな。敵がこの速さで進化したらと思うと恐ろしい』
「安心しろ、こいつは本当に赤ん坊みたいなもんで、教育次第でいい子に育つと確信してる」
『あんたに育てられても善良だが不真面目に育ちそうだがな』
 言い返すべき言葉も見つからないので無視するブロイ。
「しかし、参ったな。その忘れ物が欲しかったんだが」
『中央ならすぐに吸い出しも終わるだろう。そしたらコピーを送ってやるさ』
「頼むよ」
 ニュイベルとは一応話が付いた。ブロイは通信を切った。一方、こっちの話はまだ済んでいなかったようだ。
『“つうしん”について知りたい』
 この話は長くなりそうだ。

 レジナントで作業を行う人数は増えており、ペースも順調に加速している。町だったスペースの解体は住居の取り壊しが終了したところで大部分の作業員が他の作業に向かい、リカルドとラナを含む数名が町の外壁を剥がしながら瓦礫の運搬車が来たら積み込む作業のためにこの場所に残った。もうここがあの町だったとは思えない。
 住居を作るのにぴったりのスペースなのだが、惨劇が繰り返された場所だし真下は死体がそのままの人間工場なのでここに住みたいと思う人はいない。もう少しマシな場所を確保するためにほじくり出したスクラップを詰め込む倉庫になる予定である。
 そのような使い道なら撤去された天井も残しておいた方がよかったのではないかと思うが後の祭り。そもそも、天井を撤去しないと作業などにもいろいろ支障があった。墜落した飛行機に簡単にぶち抜かれるような薄い天井、要塞のど真ん中では一番外に近い場所がこの天井だったのである。
 見上げれば空が見える。この町でリカルドたちがずっと見上げていた偽りの空ではなく、あの日だけ小さな穴から覗いていた本物の空が。

 そもそも、彼らがあの狭い世界でイレギュラーと呼ばれ隔離されたのも、あの世界で信じられていた世界観を受け入れられなかったからだ。
 ここ以外に世界はない。ここでの苦しみも何もない穏やかな生活は永遠に続く。
 違う。
 誰もが盲信しているそんな説法を聞く度、彼らの心の声はそう叫んでいた。しかし何がどう違うのかはわからなかった。やがて、彼らは仲間達に異端者であることに気付かれ隔離されることになる。
 最初はリカルド一人だったが、リカルドの話を聞いたラナは、彼が自分と同じ疑問を抱いていたことを知る。隔離されたリカルドと密かに接触を繰り返していることが知られ、彼女も隔離された。
 やがて、ガドックが連れてこられた。やはり、彼らの信義に疑問を抱いていた。この調子で仲間が増えていくのかも知れない。そんなことを思っていた。
 そんな時だった。世界の天井をぶち破って外の世界の人間が現れたのは。
 あの日。いつも通り物置小屋で過ごしていたリカルドたちは、突然の轟音に驚き外に飛び出した。
 目の前では見たことのない物体が燃え上がっていた。空からは小さな火の塊が時折降り注ぐ。その空を見上げると、青空に不気味な穴が開いていた。
 目の前で燃え上がる小屋ほどの大きさの物体の一部が開き、中から人が這いだしてきた。この狭い世界の全ての人間を知っているはずの彼らが初めて見る人物。頭からは血が流れていた。これほどの怪我を見るのも初めてだ。
 彼は、リカルドたちを見て、リカルドたちが言おうとしていたことと同じ言葉を言った。
「……誰だ?」
 リカルドたちは彼を自分たちの知らない他の世界から来た人間なのだとすぐに理解した。最初から、あの狭い町だけが世界の全てではないはずだと疑っていたため、その事実をあっさりと受け入れたのだ。
 もしも遭遇したのがリカルドら以外だったならどうなっていただろう。得体の知れぬ存在に戸惑い、彼を匿おうなどという考えは起こらなかっただろう。
 彼はこの世界にいるはずのない、居てはいけない存在。すぐに奴らが片付けに来る。そう思ったから、予想外の人間との遭遇に戸惑っていた彼に向かってリカルドはこう言った。
「隠れて。奴らが来る」
 その言葉だけでは伝えられることに限度はある。正しく伝わるとも限らない。しかし、彼は何となくだが理解できたようだ。
「奴ら……か。待ってくれ、仲間が居る」
 彼は燃える物体の中に戻っていった。程なく話し声が聞こえた。
「人が居るぞ」
「ああ、話し声が聞こえたな。……こっちゃ動けるのは俺だけだ。ディッツは腰が挟まって潰れちまったみたいでな。腹をちょん切らないと外れねぇってよ。引き金を引くくらいの元気はあったからな、こいつを貸してやったぜ」
「……そうか。で、どうする。信用できるか?」
「顔も見てねえ俺に聞くなよ。人だろ?機械よりは信用できるさ。見つかる前に隠れた方がいいのは確かだ。選択肢なんざありゃあしねえよ」
 彼らの言っていることの多くはリカルドたちの知識では理解できなかった。しかし、言葉は同じだ。通じてはいる。
 もう一人の人物が姿を現した。服が血塗れだ。ついでに煤にも塗れている。
「……よう。自己紹介みたいな込み入った話は後だ。悪いが、邪魔させてもらうぜ」
 燃えさかる機体の上から手を振り、下に降りようとする。
「降りられるか?ニュイベル」
「手だけ貸してくれ」
 燃え盛る物体から這いだした彼らは、物置小屋に身を隠した。程なくリカルドの予想通りに“神のしもべ”とされている者たちが現れ、それらを運び去り、その一帯を封鎖した。
 物置小屋の中のリカルドたちにも、明日の朝まで封鎖するので立ち退くように命令が下った。リカルドたちの隔離は住人たちの意志だ。“神のしもべ”の命令には勝てない。“神のしもべ”たちは、小屋の地下に隠れているアウトランダーたちには気付かなかった。
 一夜明けると、墜落地点は何もなかったように片付いていた。穴が開いて本物が覗いていた空も、いつも通りの姿に戻っている。地面にも何の痕跡も見あたらない。
 封鎖も解け、リカルドたちも物置小屋に戻ってきた。いつも通りに追いやられてきたのだ。
 隠れていた二人も無事だった。二人とも怪我の程度は軽く、出血もすでに止まっていた。ブロイは足を痛めていたが、それも数日で回復するだろう。彼らは空腹を訴えた。存在しないはずの人間のための食事など用意できるはずがない。リカルドたちは自分たちの食事を少しずつ彼らに与えた。
 お互い、興味を持つことは同じだった。彼らはなぜここにいるのか。
 飛行機は機械の要塞のど真ん中に落ちた。そのはずなのに、なぜ落ちた先に人間の町があったのか。
 人間の世界はこの狭い町だけのはずなのに、彼らはどこからきたのか。
 彼らはお互いの知る世界の知識を話し合った。リカルドたちの知る世界の全てはあまりにもこぢんまりとし、限定的で閉鎖的な楽園だった。一方、ブロイたちの住む世界は圧倒的に広大で、苦痛と恐怖に満ちていた。ブロイたちの話す当たり前の常識は、リカルドたちの疑問に、感じていた違和感に、納得のいく答えだった。
 やがて、リカルドたちの世界が本当の姿を現す。ブロイたちはこの町にいるのが子供か精々若者ばかりであることから、大人になる前に虐殺が起こると予想した。さらには新たな子供の供給が止まっている点から、その日も近いと推測した。その予想は当たり、虐殺のどさくさに紛れて要塞を脱出。
 ずっとこの中にいたイレギュラーたちには、この要塞の外観を目にしても自分たちがここにいたという実感が全く湧かない。しかしブロイたちに外に連れ出され、彼らの仲間の飛行機から要塞を初めて外から見たとき、目の前にある物をどこかで見たことがあると感じていた。
 彼らの記憶に残っているのは遠巻きに見た要塞の姿だった。機械の中で育まれているときに記憶に植え付けられたかと考えたこともあったが、あの小さな閉ざされた町が世界の全てでその外は何もないと信じ込まされていた彼らに、機械たちがわざわざ世界の外側の風景など覚えさせるわけがない。この記憶の正体は、一体何なのだろうか。
 そして今、リカルドたちはその時に知った違和感のない世界にいる。彼らの知っていた世界も、全ての嘘を暴かれた上に活動も止まり、この世界の一部となっている。
 だが、彼らは新たな違和感を感じ始めていた。
 今まで知らなかった本当の世界。
 本当に、知らなかったのだろうか。
 なぜ、初めて操ったはずの機械の感触に覚えがあり、無意識のうちに動かしたいように動かせたのか。
 なぜ、見たことがないはずの要塞の外観をおぼろげに覚えていたのか。
 そもそも、もっと前……初めの頃からだ。なぜ、誰もが疑いもせずに信じていた、世界はここだけでこの平穏な暮らしが永遠に続くという言葉にあれほどの違和感を感じたのか。
 自分たちはどこかで知っていたのではないだろうか。死を。外の世界を。真実を。
 解体作業は粛々と続いていた。彼らを嘘の世界に閉じこめていた分厚い壁が、彼らの手により取り壊されていく。

 翌日の午後。ブロイはニュイベルに連絡を入れた。
「よう。暇か」
『明日の到着まですることはない。昨日と状況が変わるとでも思ったか?』
 相変わらず不機嫌そうだ。と言うことは特に変わったことはないと言うことだ。
「それもそうか。こっちは昨日と状況が変わったぜ。今日はお前さんの解析の助けになりそうなプレゼントを贈ることにしたんでな。そいつを伝えたかった」
『あんたのプレゼントは怖いね。まさかバルキリーを送りつけてくるつもりじゃないだろうな』
 向こうは冗談のつもりで言ったのだろうが。
「ほう。よくわかったな」
『げ。勘弁してくれ。あんたの仕事はほったらかしていいのか』
「いや、俺は行かんよ」
『保護者なしでアレを送りつける気か!勘弁してくれよ』
「いろいろ勘違いしてるみたいだな。順を追って説明するよ。そっちに送ろうとしてるのはバルキリーそのものじゃねえ。そのバルキリーがこしらえていた自分のコピーだ」
『コピーだと……。そんなに簡単に増えるのか、奴は』
 ニュイベルとしてはますます安心できない。
「俺はいろんなところでアレがうじゃうじゃ這い回ってるのを見てる。今更だな」
 そもそも、今のバルキリーを作るために細かいバルキリーが多数せっせと働いていた。今、大きい一体だけに纏まっているのが奇跡なのかも知れない。
『おいおい、こっちで大増殖したらどうするんだ』
「心配性だな。増えるとしてもそれなりの大きさのは作るのに時間がかかるし資材も必要だ。そうそう増えたりしないから安心しろ。そうなるならこっちがまずバルキリーで溢れかえってるさ。とりあえず、コピー一式と餌を送っておいた。居住区に一部屋確保してそこに届くから、電源だけ繋いでやってくれ。あとは勝手にやるだろう」
『もう送ったのかよ!許可は出たのか!?』
「解析機材ってことになってるからな。思う存分解析作業に役立ててやってくれ」
『あとで怒られるんじゃないか……?』
「あとから追加でおつむ増強のデータユニットと、また餌も送っとく。こっちからは多分それで最後になるから、あとの餌はそっちで用意してくれ」
『さっきから気になってたんだが、餌って何だ?食うのか?』
「当たり前だろ。まあ、細かいことは気にするな。とりあえず電源のことだけ忘れないでくれよ」
 そう言い、ブロイは通信を一方的に切った。遠くでは、ニュイベルが慌ててるところだった。
「あっ。切りやがった。……ちゃんと説明しろ!ったく」
 そういいながら、ブロイに通信を繋ぎ直すことはしない。実際に説明されても聞く気も起こらないだろう。
 ニュイベルにとっての新たな面倒の種は、高速輸送船に乗って順調に空の旅を送っている。