ラブラシス機界編

7話・第3の勢力

 集結していた機軍がパニラマクアに向けて進軍を開始した。斥候バルキリーを誘導してきた偵察機は機軍から大きく距離を取り潜伏する。
 ここから機軍そのものの姿は見えないが、立ち上る砂煙が機軍の行動開始を明確なものとしている。そしてその反対側、機軍の進行方向より接近中の斥候バルキリーも再び偵察機の視界に入った。程なくバルキリーは進路を反転し、今来た道を引き返し始めた。遙か彼方の砂煙に、機軍の動きに気付いたのだ。
 今から引き返したところで、斥候バルキリーがパニラマクアに着く頃までには機軍も肉薄している。あるいは、追い抜かれるかも知れない。だが、その懸念は不要であった。バルキリーにとって必要な移動距離は、そのすぐ後方にまで来ていた追従バルキリーまでで十分だったのだ。そして、ワイヤーを連結させてここまで繋がってきたバルキリー達の、その理由もそれで明らかとなった。斥候バルキリーとの連絡用、長い長い糸電話である。
 その事を示すように、自動航行でステーションに帰還中の偵察機がパニラマクアで活発に活動を始めるバルキリー達の姿を捕らえていた。本格的に迎撃に向けて準備を進めているのだ。
「あいつら、電波とか使えないのかね」
「みたいだなぁ。傍受されるのを恐れてるのか?」
「通信量の問題じゃないかな……」
 傍観者達はやはり推測でしかものを言えない。そもそも、迎撃しようとしているというのも見た感じでの推測でしかない。まだバルキリー達がなんのために動いているのかは判らないのだから。
 そんなことより、一つ問題が発生しそうである。自動帰還モードに入った偵察機は飛行コースの変更などは一切行えない。そして、その進行方向には進行中のバルキリーの集団が。つまりこのまま飛ぶとニアミスしてしまうのだ。
 頼む、気付くな。そう祈ってはみたが、無駄なのは分かりきっていた。揃って行動していたバルキリーの、一部の動きが乱れる。偵察機にバッチリ気付いたのである。幸い、即座に撃ち落とそうという気は無いようだ。いや、このままだともっと最悪の事態が起こる。バルキリーは偵察機の追跡を始めた。恐れていた通りである。このまま追跡されると、ステーションが見つけられてしまう。
 正直、操作ができないのだからこうなってしまうと対処のしようはない。新しいステーションを設置することを考えつつ、出来るだけ長くこのステーションが壊されず、機軍とバルキリーの揉め事の顛末を見られることを願うばかりである。

 機軍とバルキリー集団の距離は迫っていた。バルキリー達は岩陰に潜む。機軍はバルキリー達に気付いていない。この状況で身を隠すと言うことは、戦う気満々であることの証左であろう。最早両者の対立は決定的だ。
 機軍サイドから高速で飛び出す一団があった。高速移動による奇襲を得意とする飛行機兵。発見してそれを報告し終わる頃には眼前にまで迫られている、そんな敵だ。飛行機兵はバルキリー達が潜む岩場の上を高速で通り過ぎた。程なくパニラマクアを襲うことになるだろう。地上の機軍は何事もなく進行し続けている。飛行機兵も潜伏するバルキリー達に気付かなかったようだ。
 先制攻撃を仕掛けたのはバルキリー達だった。岩陰から一斉にミサイルを発射し、ミサイルは着弾を待たず機軍の頭上で炸裂した。爆発は炎を撒き散らし辺りを火の海に変えた。降りかかった炎を纏ったまま走り回る機兵も見受けられる。ナパームタイプの焼夷弾だ。
 奇襲に多少混乱した機軍だが、すぐに応戦に入った。岩陰に潜むバルキリー達は直線的な軌道の兵器では攻撃できない。焼夷弾の砲火を浴びた機兵達は速度を上げて突進し炎を抜ける。背後の機兵達は炎を迂回して回り込む。
 バルキリー勢による再びのミサイル攻撃。先程砲火を受け炎から逃れて突進する一団の頭上、そして行く手で炎が暴れた。金属の装甲を持つ機兵は多少の炎は平気で乗り越えていく。だが、こうも念入りに焼かれてしまえば装甲の奥深くで守られる制御装置に熱が達する。冷却水が尽きれば待っているのは熱暴走。エネルギーユニットの制御を失った機兵はその内部エネルギーを弾けさせ、周囲に更なる熱波を呼んだ。逃げ場を失った機兵達を待っているのは連鎖爆発だった。
 この砲撃により先鋒部隊に被害はあったが、機軍の戦力から見れば大したものではない。そして、二度のミサイル発射でバルキリー達の位置も特定され、機軍からもミサイルが撃ち込まれる。生憎偵察機の位置からではバルキリー達がミサイルにやられたのか撤退済みなのかは判らない。どちらにせよ、機軍の主力は雪崩れ込んでいく膨大な数の機兵、飛び道具はおまけだ。
 肉薄する機兵にバルキリー達も岩陰を飛び出して全力で攻撃する。ミサイルにレーザー。明らかなまでに数で劣るバルキリーは単発高威力の兵器が主力だ。攻撃一回当たりの撃破数は多いが、手数が少ない。あっという間に押し切られ蹂躙された。レーザー砲のためのエネルギーが攻撃に使われぬままあちこちで爆発を起こし、ナパームミサイルも誘爆して方々で燃え上がった。
 この戦闘は機軍にとっては想定外であり、バルキリー達にとっては急仕込みとは言え待ち伏せだ。こうして負けることさえも計算ずくだった。誘爆したナパームミサイルが機軍の行く手の所々で爆発し、炎の壁を作り上げていたのだ。機軍の選択肢は鎮火を待つか、迂回するか。鎮火を待つと長い時間が経過してしまうだろう。ならば迂回してでも先に進んだ方が到着は早いが、迂回して悪路を進めばエネルギーを無駄に消費することになる。パニラマクアへの攻撃のためのエネルギーが十分に確保できなくなるかも知れない。
 一方、先行してパニラマクアを襲った飛行機兵も大した被害を与えぬままに撃退された所であった。急襲を目的とした飛行機兵は、来ることが分かっていれば簡単にレーザー砲で迎撃されてしまう。そして、撃墜された飛行機兵はそのままパニラマクア要塞に運び込まれ、バルキリーの材料となる。第一陣の飛行機兵を撃退したパニラマクアは、バルキリーの第二陣を送り出した。
 機軍は鎮火を待たず迂回する道を選んだようだ。そのまま二手に分かれたが、その動きも所々に潜む斥候バルキリー達に丸見えである。バルキリーも部隊を二手に分け、やはり岩陰に潜んで機軍を待ち受けた。
 二手に分かれたその先の二箇所で、先程とほぼ同じ事が繰り返された。バルキリーの第二陣も壊滅、機軍は未だ多数が生存している。だが、二度の襲撃で大きなダメージを受けた上、迂回によりエネルギーも浪費しすぎた。パニラマクアで飛行機兵の残骸がバルキリーとして生まれ変わりつつあることももちろん分かっているのだろう。
 機軍は更なる迂回は断念し撤退を始めた。辺りに散らばった敵味方の残骸は丁寧に拾って帰る。これらの残骸も、放置してバルキリー達が回収すればバルキリーの材料にされる。バティスラマのラボでも小虫ほどのバルキリーがあれよあれよという間に拳ほどになったのだ。昨日の哨戒機の群れもパニラマクアに取り込まれている。もとよりあれほどの大集団、半分ほどに減らしても残骸さえ残っていれば元の数に戻るのはあっという間だろう。
 このまま総力を挙げて攻め込んだところで、再生が覚束ないほどのダメージを与えない限りは勝ちにならないのだ。奇襲は看過され、要塞に接近するにももたつき、この先更に何か仕掛けられる恐れもある。このまま進んでも要塞に辿り着けるかどうかすら怪しい。今なら撤退してもバルキリー側の資源を奪うことが出来たことになり、勝ったと言えなくもない。敵を強化させてしまっては敗北だ。
 バルキリー達も素早く第三陣を送り出して追撃を開始した。僅かな機兵が反転し、足止めのために捨て身の攻撃をする。撤退のための時間さえ稼げばよい。機軍の動きは目的が明確だった。僅かな捨て駒の損害だけで機軍は逃げ果せた。
 大決戦が始まるのかと思われたが、戦いはあっけなく終わり、損害も双方僅少であった。パニラマクアのバルキリーが多少多めにやられ、残骸も持ち去られている感じだろうか。同様の小競り合いが続けばバルキリー側がじり貧になりそうである。
 とにかく。
「どういう訳かはわからねぇが、やはりパニラマクアの要塞は機械どもとは対立関係らしい。って事は、あそこをどうにかしないと連中は大量の戦力をここに送り込むのは難しいって事だ。パニラマクアのこっち側には敵は易々と近付けねえ。こんなチャンスはねえぜ」
 こんなチャンスは確かにない。だが。
 このチャンスに、アレッサを叩くための兵力もアレッサへ戦力を送り込むための足掛かりもない。なんとも歯痒い話だった。

 パニラマクアでのバルキリーと機軍の小競り合いのせいで、こちらのバルキリーのことをすっかり忘れていた。あまり目を離しているとこちらでもパニラマクアばりの大暴れをされてしまいかねない。思い出したブロイは慌てて様子を見に帰った。
 しかし、そんな不安をよそにバルキリーはおとなしく休眠状態であった。少なくとも、覗きにきたブロイに気付くまでは。
 バルキリーは既に古いボディを食べ尽くし、ミニチュアも人の頭ほどの大きさになっている。本体のほうは剥き出しだったのが覆われてその分一回りほど大きくはなった程度。頭もミニチュアのほうに移動しているし、むしろもうこちらが本体になったらしい。旧本体は……今は充電器のようなポジションだろうか。バルキリーは旧本体に体を預けて眠っている。
 ブロイに気付くや首をあげ、鉄板の囲いによじ登って首を出しブロイに向ける。こうもあっさりよじ登られると、囲いの意味を為していない。思えば、ミニチュアバルキリーは旧本体のボディをよじ登り溶かして回収していた。ミニチュアにできることを親玉ができないはずがない。鉄板で囲ったところで何の意味もなかったのだ。それでもこの囲いからは出ようとしないのは、この鉄板の設置理由は理解していてそれに逆らう気もないようだ。
 もしかしてこいつ、結構躾られたりするのかな。そんなことを思うブロイ。そして、もう一つ気付いたことが。バルキリーはブロイの顔を見つつ、ラボの隅に転がっているエネルギーユニットにもちらちらと顔を向けているのだ。
「何だ、あれが欲しいのか」
 頷くバルキリー。意志の疎通ができてしまった。それに言葉も通じている。やや焦りつつもニュイベルに連絡を取る。
「なあ、バルキリーがエネルギーユニットを欲しがってるんだが、そこにある奴、あげちまっていいか?もう調べ終わってるんだろ」
『軽くだけどな。どちらにせよ似たようなのはこっちにもあるんだし、むしろどう見てもこっちが親玉だ。そっちのはもう好きなようにすればいいと思うぜ』
「そうか。しかし、ちと心配なのはエネルギーユニットを復元されると自爆したりしないかだが」
『その心配はないな。分析した結果、このエネルギーユニットはただの蓄電池で蓄積効率も放出性能もさほど高くない。爆発ったってショートさせて火花を散らすのが精一杯だろうよ。それに、電源があれだからな。あの貧弱な電源ではそんな大したことは出来ないさ』
 バルキリーのために使っている電源は、工作器具の電源として使う小型の物。出力は大きくない。
「まあ、それだけ言うならお前のお墨付きって事で、こいつも奴らの餌にしちまうぞ」 
『……安全とかは保証はしないぞ。俺がそっちにいたら絶対に許可しない。俺がいないから許可するんだ。憶えとけよ』
「責任の丸投げは俺の持ち味だぜ。お前さんの事なかれ主義と同じでな」
 ブロイは通信を切った。
「“ニュイベルのお許しが出たから”こいつはくれてやるぞ」
 責任をしっかりと転嫁しつつブロイは囲いの中にエネルギーユニットを放り込んだ。バルキリーはすぐにエネルギーユニットに張り付く。本当に餌をやっているような気分だ。
 ブロイは頭を掻く。
 躾のことまで考えることになったか。こりゃあ、本当にペットか子供みたいなものになってきたな。暇なついでに、芸でも仕込んでみるか。
 そんなことを考えるブロイだった。ひとまず、芸はともかくとして。
「バッテリーが増えりゃ遠出もできるようになるだろ。お散歩に連れてってやるからタイヤ強化しとけ」
 ブロイはラボを出る間際、そう言い残した。

 もう一つ、すっかり忘れていたことがある。
 偵察あるいはバルキリーと機軍による戦闘の実況中継が、何の問題もなく続けられていたため何事もなかったように見過ごしてしまったが、その直前に偵察機がバルキリーに見つかり、追跡されてステーションまで発見されていたのだった。
 流石に次の朝までには見つけられたことを思い出した者もいたが、結果の確認は翌日にまで先延ばしにした。そして翌日。起動した偵察機が最初に映し出したのはステーションの変わり果てた姿であった。
「見ての通りよ」
 モニタを顎でしゃくるゲラスの言葉に、まあ、見ての通りだよなぁ、とブロイは思う。
 ステーションは、バルキリー化していた。待機中のもう一機の偵察機も同じだ。おそらく、この起動中の機体もまた。
 この映像が見られている時点で、偵察機やステーションの機能はそのままであることが解る。しかし、ただバルキリーに取り付かれたというだけではあるまい。恐らく一度解体の上解析され、元通りに再構成された。ただし見た目は除く──と、こんな所だろう。
 今まで通りに使えるならば、まあいい。見た目については気にしないことにした。むしろ、機軍に見つかってもバルキリーの仲間だと思われ自分たちの関与を疑われずに済むかも知れない。
 気にするべきは、バルキリーたちの方に起こった変化であろう。パニラマクアに行くと、その光景が一変していた。
 まず目に付くのは要塞周辺を飛び回るバルキリーの姿だ。これまでぞろぞろと陸上を這い回っていたバルキリーは、翼ならぬプロペラを手に入れていた。どこから手に入れたのかは、偵察機の上を見れば明らかである。
 下に目を向ければ大地には闇が広がっているかのようであった。光を吸い込み糧とする暗黒の石版──ソーラーパネル。これもステーションに取り付けられていた物を真似たとしか思えない。
 偵察機やステーションがバルキリー寄りの見た目にされたのみならず、バルキリー達の方も偵察機やステーションに寄っていた。つまり、偵察班はこのバルキリー達に技術提供してしまったことになる。これで機軍をやっつけてくれれば良い。だがその後次のターゲットが人間に向いたら……えらいことだとしか言いようが無い。
 パニラマクアの方は異常大ありだったが、今の所周囲に機軍の姿は無い。その点は平穏であった。

 その翌日、外郭3とレジナントを繋ぐレールラインが開通した。突貫工事ゆえにまだ単線だが、これであちらとこちらを気軽に移動できるようになる。
 ちょうど少し手が空いたブロイはニュイベルを冷やかしにでも行ってやることにした。折角である。お散歩に連れて行ってやると言っておいたバルキリーも、初めてのお散歩には多少遠出ではあるが連れて行ってやることにした。もちろん、あんまり長いこと目を離すのは不安だからと言うのも無くはない。
 そして早速、一晩目を離した代償という物を見せつけられることになった。
「……タイヤ強化しろって言ったのによ」
 バルキリーについていた小さなタイヤは無くなっていた。代わりに、足が生えている。思えば最初見た時も、バルキリーには足が生えていた。本来の姿に戻りつつあるようだ。ただ、最初に見た時とは足の付き方が少し違う。あの時は足の付け根が外側を向いて虫の足のようになっていたが、今度は下向きに揃えられて犬や猫のような姿になっている。
 そして。犬や猫のように軽やかに駆け巡るのかと思いきや、ふらふらしながらひょひょこと歩くのであった。それでもブロイののんびりとした歩きにはちゃんとついてくるし、小さなタイヤよりは速い。ただし、それは平地でのこと。階段を昇るのは一苦労だ。まあ、タイヤならば階段を昇ることも出来ないのだからそれよりはよいのだろう。それでも。
「しょうがねえなあ」
 足場の悪い所ではバルキリーを背負ってやることにしたブロイ。バルキリーもその体を背中に預け、肩に前足、言わば腕を回してしがみついてきた。なんだかガキを背負ってるみたいだなぁ、パパっぽく見えるかなぁ、などとガラスに映る自分の姿を見る。
 どう見てもバックパックを背負った荷物の多い技術者だった。しかし、まあこれはこれで怪しまれずにバルキリーを持ち歩けそうだ。
 レールラインのターミナルでは到着した車両の荷物の積み卸しをしている所だった。単線のレールラインなので、ブロイが乗るのもこの車両だ。この積み卸しが終わり次第出発となるのだから、この作業がとっとと終わってくれるに越したことは無い。ブロイも作業を手伝う。レジナントからの荷物は山ほど、そしてリサイクル目的のガラクタが多い。一方こちらから積み込むのは機材や建材など。あまり量は多くない。だからこそブロイが乗っていく余裕もあるわけだが、帰りはガラクタの隙間に体を滑り込ませないといけないだろう。
 走行を始めた無骨な貨物用車両の小さな換気窓から外を窺い見ると、並列するレールの敷設が進行中だ。これが完成すればレジナントからの車両も余裕を持って人荷を搭載できる。そうなればもっと帰りの乗り心地も良くなる。それを待ってから来ても良かったかなぁ、などと思うブロイ。
 彼は知らない。そんな杞憂が無用になる事態が起こることなど。

 サプライズのため、ニュイベルには知らせずいきなり登場してやるつもりだった。
 しかし、無理だった。ニュイベルがどこにいるか分からないからである。無線で今の居場所を聞く前の「暇だからレジナントまで来てやったぜ」と言う一言に驚いてくれたことで我慢することにする。
 ニュイベル達は要塞の裏手に造られた解析村とでも言うべき場所にいた。こんな場所、解るわけがない。聞いて正解である。ここに来るなら、と言う理由でブロイは同じ車両に積まれていた大きな荷物の一つを運搬車両でニュイベルの所に運んでいくことになった。大型の解析器材だそうだ。このくらいなら大した手間ではない。乗り物も確保できたのだからむしろ儲けものだ。
 要塞のど真ん中を貫く通路を通り、裏手に抜けた。ニュイベルは相変わらずつまらなそうな顔で出迎えた。一緒にいた作業員に荷車をパスし、散らかった通路を歩く。
「いいなぁ、ここはよ。こっちはすっかり女のいねえ男だらけの世界になっちまったぜ」
 ここに到着してから女の姿を見たわけではないブロイは、想像で物を言った。しかし、想像は正しいらしくニュイベルからの訂正はない。
「少なくともラナがいるだろ」
「ガキじゃねえか。それに……穴もねえしよ」
 ニュイベルはふっと呆れたような溜息をついた。別に、今更ブロイの下品な発言に呆れたわけではない。
「あんたにゃどっちみち関係ないだろうよ。それに、食堂のおばば達も残ってんだろ」
「そこはせめて女って言えよ。おばばって言った時点で色々ダメだろうに」
 などといつものやりとりも、ニュイベル達の作業部屋に入った所で終わりだ。何せ、ここには普通に女がいる。
「あら、ブロイ。……呼んだの?」
 ギリュッカの質問はニュイベルに向けられた物だ。なんとも色っぽい雰囲気を醸し出す女性だが、残念ながら人妻である。いや、人妻だから色っぽいのか。
「呼ぶかよ。勝手に来やがったのさ」
「ふうん。会いにわざわざ……ね」
 男同士でそういうことにされそうなので、言ってやる。
「こいつに会いに来たわけじゃねえ。こっちにごっそり連れてかれたお姉ちゃんらに会いに来たのさ」
 相手が人妻なら、体面など気にせず本音を言えるのである。
「そ」
 どちらにせよ、どうでも良かったようである。新しく運び込まれた機材の方が大事らしい。そちらを見にみんなぞろぞろ部屋を出て行った。そもそも、ギリュッカはブロイが来ることさえ知らなかった口ぶり。ニュイベルも余計なことだと判断し、特に何も言わなかったのだろう。
「で、お前は見に行かないのかい」
 一人残ったニュイベルに問う。
「どうせ後で飽きるほど見ることになるだろ。それよりあんたに今の状況とかこれからのこととか話しておいた方がいい」
「そうかい」
 ブロイは背負っていた荷物を下ろした。見つかると面倒だから大人しくしてろと言い含めておいたバルキリーも、もう動いていいと察したようだ。バックパックのフリをやめて歩き回り始めた。ニュイベルが飛び上がって驚いたのでなんとなく満足するブロイ。
「ずいぶん小さくなったというべきか、大きくなったというべきか……」
 ニュイベルはバルキリー相手に、完全にビビっている。
「こいつは肉は食わねえから噛みつきゃしねぇよ。そうそう、折角だからこいつの餌になるような物が余ってたらもらっていこうかね」
 ウィルスの調査も終わり、ニュイベルたちが今取り組んでいるのは要塞核のメインプロセッサと思しき構造体を調べることだ。要塞の核はどうやらバルキリーと同じもののようである。
「つっても、スクラップが大量に出るような解体作業じゃないしなぁ……。ま、そうだな……」
 ニュイベルは作業台の上に無造作に置かれていた手のひらに収まる程度の黒い直方体を手に取った。
「こいつはプロセッサだが……何のだと思う?」
「分からん」
 即答である。
「少しくらいは頭を使おうとしろ。まあ、どうせ分かりもしないのに長々と考え込まれても鬱陶しいか。こいつはな、あの悪魔と呼ばれていた殺人マシンのプロセッサだ」
 レジナントの町で、住人を切り刻んでいた蛇女である。非常に思い出したくもない光景であった。
「うへえ。あの地獄絵図を作り出した奴だろ。よくそんなの調べる気になったもんだ」
「俺だって調べたくないさ。運び込まれてきたときは返り血なのか錆なのか分からない感じで真っ赤になってたんだぜ」
「うげー。錆だったとしてもその錆の元は塩気を含んだ液体だからなぁ」
「調べる気になったのは上の方だよ。せめてそんなガワはひん剥いて中身だけにしておいて欲しかったぜ。運ぶのだって重いだろうし。……そんなわけで一通り解析したところだ。ウィルスで暴走するまでの記憶もしっかり残ってるぜ。VRヴィジョン形式でな。……見るか?」
 ニヤァリと笑うニュイベル。
「誰が見るか。……いや、一緒に見てくれるってんなら吝かじゃねえが」
「もうごめんだ、それは遠慮する」
 暴走する前の記録など、どう考えても殺戮の記録だ。VRで体感などしたいわけがなかった。そもそも、誰に見せるつもりでそんな物を記録していたというのか。そして、口ぶりからしてニュイベルは一度は見てしまったわけである。ご愁傷様だ。
「それはおいといて。こいつも見てくれはとにかく構造的にはありがちな機兵だし、メモリーにもめぼしいものは残ってなかったし一応コピーも取った。もうこんな胸くそ悪い機械がどうなろうが知ったこっちゃないね。始末してくれるんなら歓迎だ。バッテリーが強化されたなら次はそのエネルギーの使いどころだろ。プロセッサは強化したいはずだ」
「それはその通りだと思うがよ。機兵のプロセッサでこいつのプロセッサ作れんのか?」
「……作れないのか?」
「知らねえよ」
 得体の知れない謎の機械バルキリーの中でも際だって奇妙な構造のプロセッサは調べようとして何かをすればそのまま修復不能になるおそれさえあるのでまだ全然調べられていない。よって、どのような物質で構成されているのかさえ不明だ。
 だが、全く誰も知らないということはない。中央になら専門家もいるだろうし、もっと詳しい者も身近に存在している。プロセッサを作成できるほどに詳しい……モノが。
 バルキリーは早くくれと言いたげに身を乗り出していた。
「こいつは食いたいみたいだぜ。……で、どうなんだ?おまえのプロセッサもこれで作れるのか?」
 こくこくと頷くバルキリー。
「ううん。それはそれでこれを取り込んじまうってこったよな?殺人マシンの凶暴性まで取り込みそうで心配だが」
 バルキリーはそんなことはないと言わんばかりにかぶりを振った。実際、言葉を発することができたならそう言っていたことだろう。
「意志の疎通ができるようになってんのかよ……。とにかく、信用はしてやるが念入りに焼いといてやるさ」
「だな、頼むわ」
 プロセッサは特に熱に弱く、火で炙ればあっさりとただの半導体の塊になり果てる。戦場で回収したものを読み取ろうとするときはそのせいで空振りが多いが、消し飛ばすのは簡単だ。
 プロセッサはバーナーでじっくりと焼かれた上レーザーで切り分けられてバルキリーの前に出された。ステーキである。もうこうなればどんな機材を使っても読みとることはできない。
「それより、こっちの首尾ってのはどうだい」
「要塞核の巨大バルキリーもようやく調べられるところまで来たよ。横っ腹に穴開けて、バッテリーの白玉とか取り除けてな」
「白玉って……」
 しかし、思い浮かべてみるとそれ以外に言いようのない色形である。
「そういえば、移動する必要もないしごっつい電源が側にあるからだろうが、バッテリーは随分貧弱だったな」
 要塞核は巨大な電源に直接繋がっているし、もちろん移動することもない。
「無くてもいいくらいだしな。やっぱり要塞核の構造はこいつと同じか?」
「大体は、な。中身には同じパーツもありゃあまるで違うのもあったが……そういうのは見るからに機軍由来のありふれた機械だ。一つ取り外して調べた所だが……ん?」
 新しい機材を見に行った研究員達が戻ってくると、部屋の中にあった機材を運び出し始める。
「どこに持ってくんだ」
 ニュイベルが問いかけるとプレスコが答える。
「要塞核に運び込むんだよ。場所はあるんだしな」
「電源は?」
「決まってるだろ、ケーブルを引くのさ」
 まだオイルの採掘もできない現状では主なエネルギーの供給源はソーラーパネルや発電機頼みだった。だが、レールウェイが開通したことでそれに付属するバティスラマからの給電ケーブルが繋がり、大型の発電機やその燃料もさらに運び込まれる。もう貧弱な発電量を苦心してやりくりしなくてもいいのだ。しかし。
「配電ユニットとかも設置しなきゃならないだろ。誰がやるんだ、そんなこと……」
 ニュイベルの語尾がトーンダウンし、首がぐりんとブロイの方に向いた。そして、ニヤア……と笑う。オカルティックな動きだ。
「いい所に来たな、ブロイ」
「はいはい、任せとけ。その代わりタダにはしねえぜ」

 要塞核調査の新規ベースは要塞核の入り口にもなっている『偉大なる故郷』に設置されることになった。
 レジナントにあった町は今、巨大スクリーンパネルに偽の空を映し出しいていた天井が取り払われて本物の空が見えるようになっている。日の光も砂塵も雨水も降り放題だ。建物の中なら雨風は防げるが、居住施設の構造は殺人マシーンに追いつめられる構造。床や壁がどれだけの血を吸ってきたか分かったものではない。掃除も終わってすっかりきれいになった居住スペースを利用せずに、わざわざ貴重な資源とマンパワーを使い作業員村を建造したのもそのためだ。
 使わないのなら居住区をわざわざ掃除などせず、いっそそのまま解体してしまってもいいのではないかと思うだろうが、それはそれで祟られそうなので当面は墓標代わりに残しておくことになっている。その一方で、大部分がみっちりと機械の詰まった要塞の中で、町は通り抜けできる貴重なスペースでもある。長居はしたくないが、解体やスクラップ運び出しの拠点になっているバティスラマ側からの近道として通り過ぎる者は多い。通り過ぎるだけにしても、血塗れなのが見えたり、見えなくても壁の向こうは血の海では気分が悪い。だから掃除は真っ先に行われた。
 町に子供たちを送り出したら閉ざされるこの『偉大なる故郷』なら、誰も死んでいない……はずである、多分。ここも昼間の作業場所として使うにはよいが、墓地の隣のようなものなので寝泊まりは論外だし、暗くなってから居住区を通って帰るのもできれば避けたい。昼間なら落ち着いて作業できるということもない。解体村からのアクセスも決して良くはなく、そんな移動時間のこともあるので作業できる時間は更に削れるし、設備や機材が揃っている解体村で出来ればそれに越したことはない。ここで本格的な作業を行うつもりはないのだ。それでも、機材があれば研究対象の取り外しなどの作業効率は段違い。だからこそこれまで使ってきた貧とは言えちゃんとしたな機材を運び込むのである。
 よく使う機材のセッティングそのものは何度もやっているのでニュイベルたちでできる。ブロイの仕事はニュイベルの言葉通り配電設備のセッティングである。
「ほいっと。終わったぜ」
 慣れているだけにその作業はあっさりと終わった。端から見ていると簡単そうだが、失敗すると感電したり発火・爆発することもある。実際設置そのものはそう難しくはないが体力と度胸が必要であり、それらはニュイベルたちにまさに欠如しているものである。専門家にやってもらうに越したことはない。
 もっとも、配電装置の設置が終わっただけで使えるようになったわけではない。配電装置に給電するケーブルも、そこに送る電力の確保もできていない。このセッティングは後々のため、ブロイがせっかく居るのだからと言うことだ。よって、作業が終わったことで何かが劇的に変わることもない。
 劇的には変わらないが、小手先の技術者がフリーになったのは助かる。今ニュイベルたちが取り組んでいる作業はバルキリーの制御装置群に挿入されている不要と思われる装置を手作業で取り外す、彼らの専門ではなくどちらかといえばブロイ向けの作業だからだ。要するに、こっちも手伝ってもらいたいのである。早速その現場に連れて行かれる。『偉大なる故郷』の奥の壁に開けられた穴を通り、多少狭い空間へ。巨大バルキリーの内部である。
「遊びに来たのにずいぶん便利に使われるな……。それはいいとして、そもそもこいつは何だ?本当に要らないのか」
 取り外された箱形の装置を指でつまんでこねくり回しながら、この巨大バルキリーの、そしてもしかしたら要塞そのものの制御装置だろうとされる代物を見上げるブロイ。
 レジナントから持ち帰ったバルキリーの中を覗いたときは無数のワイヤーに囲まれよく見ることがでいなかった制御装置は、改めてみてみれば脳細胞のような構造である。不定形の塊から数本のワイヤーが伸び、それぞれが他の塊と繋がっている。それらの連結部に一つ一つ箱状の機械が挿入されており、それらもまたワイヤーで連結されていた。取り外されていたのはこの箱形の機械。
「これは調べてみたら機軍のありふれた構造の機械でな、このユニット間のデータのやりとりを捕捉してモニタリングしたりそのログをプールしたり。そんでそういうデータを外部に送ったりするんだ。翻訳機みたいなものかな」
 見るからに調べやすそうだったので取り外してみたところ、案の定だったというわけだ。
「それじゃ、こいつがあれば制御装置を調べるのに役に立ちそうじゃないか」
「プログラムは揮発性のメモリーに入ってたんだ。翻訳してたってのも推測だよ。それに、機軍語に翻訳されても困るぜ。機軍式のプログラムを組まされるのもごめんだ。これを参考にしてこっちで改めて作った方がいい」
 機能停止して中身が消し飛んでしまったので今は役にも立たないただの箱でしかない。
「そうか。それじゃあサンプルがいくつかあれば十分だな。ところで、この取り外したパーツは……」
「くれって言いたいんだろ。いいぜ、手間賃代わりにあんたが取り外した分は持ってっていい」
「へえ、太っ腹じゃないか」
 早速作業に取りかかる。制御装置は全体的に見れば巨大で複雑に見える構造だが、機軍由来の物を取り除けば大分シンプルに、そして小さくもなるだろう。逆に言えば、取り外してしまって構わない代物がそれだけ大量に挟み込まれていると言うことでもある。取り外し作業は極めて面倒な物になるだろう。手伝ってくれるというのならお礼を大盤振る舞いしたくなるのも道理である。
 作業はニュイベル達には単調で疲れる肉体労働、ブロイにはちょっと細かすぎる微妙な内容である。グラインドカッターでプロセッサの連結部を切断し、挿入された機械を取り除き、連結を紐で仮止めする。後々、この紐を短くしてよりコンパクトに繋ぎ直す予定らしい。
「とにかく、ここじゃ大したことは出来ないからな。もっとちゃんとした場所で調べたい。そのために運び出すわけだが、そのための作業さ。元々の予定じゃこの巨大バルキリーを丸ごと運び出す計画だったみたいだが……」
「もしかして、天井を取っ払ったのはその為か」
「ご明察。でもな、それにはこの辺り一帯をごっそり壊さないといけないし、調べるところも多いから頓挫だ。それでとりあえず、これだけはって事さ。この制御装置は余計な物さえ取っ払えばそこの穴から余裕で出せそうだし」
 要塞核がバルキリーとほぼ同一の物だと確信した時点で、外殻に穴を開けるくらいなら問題ないと推測され、実際穴が開けられた。ブロイ達はそこから出入りしたのだが、大人が身を屈めれば通れる程度の大きさだ。対して、制御装置は見上げるほどの高さ。しかし、間に挟まっている機械を外せば大分小さくなるし、紐で繋がれている状態ならば柔らかく、押し潰して通すことも出来るだろう。
「まあ、手伝ってやらないことはないぜ。しかし、偵察とかもあるんだよな……。いや、俺がいなくてもなんとでもなるんだけど、あっちの方が面白いって言うか、何と言うか」
 何と言うかも何も、他に何とも言いようがない。
「偵察ったって、映像見てるだけだろ。こっちにも映像流して貰えよ。そうすりゃ俺たちも見るぞ、暇潰しにな」
「俺に仕事押しつけてお前らは暇潰しかよ、ざけんな」
「しょうがないだろ、今の所使える道具がそれだけなんだから」
 切断に使えるグラインドカッターも数に限りがあるし、この狭い場所で動ける人数も同様だ。
 こんなことを言い合っている暇があるなら、偵察組に連絡の一つも入れるべきである。一休みがてら、そのようにする。
「よう、俺だブロイだ。やってるかい?今、ちょっとニュイベルらの手伝いをさせられててそっちに行けないんだ。何か面白いことはあったかい。……ほう、何があった?」
 何か、面白いことがあったようだ。
『話してみな、今代わるから』
「ん?」
 代わる、と言うことは誰かが来たようだが……。
『よう、俺に内緒で随分と楽しそうなことをやってたみたいじゃないか。……声だけじゃ誰か判らないか。俺だよ、セオドアだ』
 セオドア=マクレナン少佐、バティスラマ軍統括であった。