ラブラシス機界編

4話・『神』

 数日後。リカルドたちの検査が終わり、ちょうどバティスラマに滞在しているブロイのところにやってきた。
 報告では感染症については全く問題は無かったとのことだ。妙な病原体をもっているということも無く、抗体が無くて普通は発症しないような病気が発症することもないという。やはり、外の人間と同程度の抗体を持っていたわけだ。
 生まれる前に体を弄られた形跡以外は目立った異常は無い。至って健康とのことだ。
 ようやく帰ってきた彼らには聞くべきことがいくつもある。特に、謎だらけのレジナントの町について。彼らは異端者として隔離されていたとは言え、この町に住んでいたのだ。何も知らない全くの部外者よりはあの町について知っている。

 外郭3は現地調査や解体作業の基地にするため確保されている。戦闘・防衛の前線基地から作業・調査の前線基地になったのだ。ブロイは研究者とともにリカルドたちを連れてレジナントに足を運んだ。
 ここに足を踏み入れるのはこれでもう何度目だろうか。レジナントの町はブロイが訪れるたびにその姿を変えて行く。この町であった惨劇の痕跡は消え去っていた。血の跡も大雑把にではあるが洗い流され気になるほどではない。
 公園の木々は闇に閉ざされたこの町から全て運び出され、外に移植されている。その木の下には町の住民たちが埋葬された。木は住民たちの墓標代わりとなり、その骨肉は木々となっていくだろう。膨大な数にのぼる大いなる故郷の子供たちもゆくゆくはここに埋められることになっているが、その目処は立っていない。
 そして、要塞が沈黙し真っ暗になっていたこの町にも、日の光が差し込むようになった。天井の一部が切り取られ、いくつかは出入口を兼ねる明かり取りの窓があちこちに作られている。大きな窓ではないので強い光ではないが、昼間に建物の外を歩いている分には照明器具は要らない。
「すっかり寂しくなっちまったが……。どうだ、故郷は」
 触れない方がいいのかどうか悩んだ挙げ句のブロイの言葉に、リカルドたちは複雑な表情をした。変わり果てた故郷に言葉を失ったのかと思ったが、そう言うわけではないようだ。
「私たち、長い間隔離されて暮らしてたから……あまり実感がないの。ここでは、他の人になるべく会わないようにして生きてきたから」
 ラナの言葉に二人も頷いた。どちらにせよあまり触れない方がよかったようだ。
 居住区は、隔離される前に1年くらい住んでいただけなので、特に愛着もない。この狭い町の中に於いて、彼らが行動できる範囲は更に狭く制限されていた。
「神を疑う者・イレギュラー、か。……で、だ。疑ってるところ申し訳ないんだが、その神とやらについて聞かせちゃくれないかい」
 この町の最大の謎である、公園の奥にある神殿と偶像について聞いてみることにした。すっかり見晴らしのよくなった公園に神殿は聳え立ち、その中には巨大な偶像が相変わらずの姿で鎮座している。ここには手付かずになっている。訳が分からないので皆あまり触れたくないのだ。自分たちは神など信じていないが、見知らぬ神による祟りくらいは恐れるのである。
 リカルド達は、この像についてやはりよく知っていた。
「これは俺たちが崇拝していた神だ。ソルゲトゥル様という創世主だよ」
「創世主ねぇ。で、世界ってのはこの町のことか?」
 ブロイの問いにリカルドは首を傾げる。ただ漠然と『世界』としか言われていないそうだ。リカルドたちにとって、世界とはこの狭い町だけのはずだ。だが、世界はその外にも広がっていた。外側も含むのか。もちろん、外側の存在を知らなかったリカルド達にそんなことが判るわけはない。
 リカルド達はこの世界について多くを知らない。ならば、リカルド達の知っていることだけを聞き出すべきだ。
「何のために神様なんてでっち上げたんだ……なんてのは聞かれたって分からないよな。そもそも、どんな神様なんだ、その舌を噛みそうな名前のかみそまは」
 舌は噛まなかったが直前の『噛みそう』に引っ張られ科白は噛んだ。
「ソルゲトゥル様は悪魔と戦っている、と教えられている。その悪魔との戦いに勝てば悪魔によって奪われた世界の一部が戻って来る、と」
「……きっとその悪魔ってのは、こんな顔をしているんだろうよ」
 ブロイはにやけた自分の顔を指さしながら言った。彼らの世界、この町を奪い取ろうとしていた相手。それはブロイ達人間しかいない。
「ここにはソルゲトゥル様に倒されて服従したという悪魔がたくさんいたわ」
 ラナが口を挟んできた。
「その悪魔ってのはどんな奴だ?やっぱり人間か?」
「いえ。……ほら、あの、最後の日。みんなを殺した……あいつらよ」
 女の顔に蛇の体を持ったロボット。町で人々を滅多刺しにして虐殺した機械。町の人々は悪魔と恐れていた物に殺された訳だ。その恐怖は半端なものではなかっただろう。
「なんだよ。服従してるって言いながら裏切ってるじゃねえか。大した神様じゃねえなぁ。……いや、むしろその神様が大虐殺の黒幕か?神様が神を敬わない愚民に裁きを与えるってのもよくある話だからなぁ」
 古い時代にはこの世界にも普通に宗教が存在していた。その伝承くらいは残っている。
「裁きを受けたのは、神を信じてた連中だ。俺たちイレギュラーは生き残った」
 リカルドが低く呟く。
「じゃあ、悪魔どもの反乱って事で結論だな。……神に服従させられていた悪魔に見逃され、外界の悪魔どもの手引きで外に出た……か。お前らはとことん悪魔に愛されてるらしい」
「あんたらは人だろ。町の仲間は神に見放され、悪魔に殺された。ならば俺たちはどちらも嫌いだ。どちらも信じるものか」
 リカルドは吐き捨てるように言い放った。
「まあ、それがいいだろうよ」
 そう言いながらブロイはふと考える。ブロイたちは神などいないと考えている。それが既に常識になっている。だが、目の前に居る偶像が古に崇められていた、今は名を知る者とて居ない神であるなら。この忘れられた神が要塞の、果ては機軍の謎を解き明かす鍵になるのではないかと。

 リカルド達から、この町での暮らしについても改めて聞き出した。もちろん、ブロイたちもその暮らしぶりを見ていたイレギュラーとして追いやられた後のことではない。普通の住人としての暮らしだ。
 町での人々の暮らしは実に規則的なものだった。朝、目を覚ますと、神殿に集い祈りを捧げる。イレギュラーと呼ばれた三人も、他の人たちとは時間をずらして形だけの祈りを捧げていた。そうしないと食事が与えられない。ブロイ達も、リカルド達が食事を貰いに行くことは知っていたが、神への祈りを捧げていたことは知らなかった。
 浴室で身を清めたあと、裸のまま偶像の前で祈りを捧げるらしい。男も女も一緒くただ。話を聞いてブロイは鼻の下を伸ばした。しかし、生殖器は切り取られ、男女の性差のことさえ、顔の違い程度の差だと思っていた彼らだ。そのことで変な気を起こすこともなかっただろう。
 祈りと同時に、例の悪魔を模した機械によって儀式が行われる。その時は優しげな仮面と姿を隠す衣でその恐ろしい姿を隠していた。ブロイ達がこの町で見た“虐殺の悪魔”はその手に細い刃を持っていたが、普段は刃ではない物を手にしていた。棒のような物だったそうだ。儀式の時は住人たちの胸にある穴にそれが差し込まれる。心に疚しいところがないかを探るとされていたが、嘘っぱちだろう。神に疑念を抱いていたリカルドたちが、その儀式を何食わぬ顔で受けていられたのだから。その穴が体内に繋がっていることを考えれば、そのプラグを利用して健康状態をチェックしていたのだろうと推測できる。
 神の教えでは、死というものはないことにされていた。完全に隔離され管理された環境下、体調不良などもそうそう起こるものではないだろうが万が一という事もある。だからこまめなチェックが必要なのだ。
 それが済むと食事が与えられる。それはブロイたちも知っている。リカルドたちが食べる分の食事を分けてもらっていたからだ。食事も神殿で与えられ、神の像から支給されていたという。食事を与えてくれる神だ。リカルドらはともかく、他の人々なら崇拝しないわけがない。
 与えられる食事は粥のようなものの場合もあれば、やたらと堅い固形物の時もある。全てに共通しているのは、何が入っているのかさっぱり分からないということだ。
 ただ、リカルドたちはその食事に入っている何かの一部と思しき物を目にしたことがある。町の一角には畑があった。どうやら要塞の中で育てられてマガジン式に露出させられるらしく、毎朝その区画のシャッターが開くたびに作物の種類が変わっていたそうだ。その区画にあるスクリーンに指示が表示され、その通りに種蒔きや収穫、作物によっては花粉の媒介などの作業を行っていた。イレギュラーとされ隔離される前のリカルドたちも、その仕事を手伝っていた頃があった。そこで作られた野菜や穀物が食事の材料になるのだろう。
 野菜ばかりではなく肉らしい味もしたはずだが、家畜はいなかったようだ。肉が取れそうなものなら『偉大なる故郷』と言う場所で、機械が育てていたが……。あまり考えない方が良さそうだ。
 イレギュラーたちが隔離され始めた時、最初は神殿での祈りさえも禁じられていたが、イレギュラーたちが現れないことに『神』が不審がり、怒り始めたらしい。それで礼拝だけは許可されたそうだ。そもそも、祈らなければ食事がもらえず死んでしまうだろう。死の存在しない世界で餓死者が出るのはまずいわけだ。
 だからこそ、彼らの隔離される場所も、もっとも神殿に近いこの倉庫になったようだ。隔離されてからのリカルドたちの行動範囲はとても狭かった。公園の奥の物置と神殿を往復するだけ。
 ブロイとニュイベルを含めると、三人分の食事を五人で分けていたのだから飢えそうではあるのだが、そのようなことはなかった。食事の前に調べただろう健康状態を元に食事の量も加減されるらしい。リカルドたちは食料を多めに支給され、その分をブロイたちが分けてもらえばそれなりに釣り合う。ブロイらはリカルドたちの胸の穴については知らなかったが、三人が痩せるにつれて持って来る食事の量が増えて行くのをみて、健康状態で食事の量を加減されていると推測はしていた。
 畑作業などの仕事が一段落したらまた神に祈りを捧げ、食事をもらい、残った時間は遊んで過ごしていた。イレギュラーたちは祈りを捧げて食事だけ与えられ、あとは公園の隅の小屋でおとなしくしていればいいということになっていた。
 そんな感じで、町の生活の中では神への祈りに多くの時間が費やされていた。食事の前後、就寝前。それ以外の時にも気が向いたときや何かあった時など、神への祈りが捧げられていた。
 ただ単に空いた時間を潰させるために祈らせていたとは思えない。意味のないことを機械がさせるとも思えない。何か意味があるはずだ。

 調査から戻ったブロイは携帯端末を使い、中央のデータベースへとアクセスした。データベースを調べれば得られない情報はないと言っても過言ではない。設置以来のあらゆる情報が蓄積されているのだ。
 この世界における神とは、信仰とは何なのか。この世界にかつて神はいたのか。そして、いつ神は消えたのか。レジナントで信仰されていた神、ソルゲトゥルとは。
 データベースの弱みは設置以前の古すぎる情報は必要最低限しかないことだ。そして、今回はその弱みの部分そのものであろう。一体どのくらいの情報が集まるのか。正直なところ、ブロイもあまり期待はしていなかった。宗教について調べて見つかった情報も、「宗教は古い時代に絶えており、かつてどのような宗教が信仰されていたのかを示す資料は残されていない」と言うものだった。案の定と言ったところか。やはり古代には宗教が存在していたということが分かっただけだ。ブロイの勘が当たった、それだけだ。
 この世界ではいつ頃からか、機械との絶えることのない戦いが続いている。戦いの中で町は破壊され、その町の歴史も消え去る。そんなことが繰り返されるうち、いつしか語り継がれてきた歴史が失われてしまっていた。その消失を防ぐためのデータベースだ。
 そんな中で過去のことを調べようなどというのは無茶としか言いようがない。中央のデータベースでも、存在しないデータまでアクセスはできないのだから。はっきりと残されているのは数千年前からのデータ。そのころにはすでに今と変わりない機械との戦争の歴史が始まっていたようだ。そこに、宗教など存在していない。今とまるで変わらない世界の姿がそこにあったようだ。
 ブロイは最後にレジナントで崇拝されていた神の名、ソルゲトゥルを調べてみた。やはり何のデータも出てこなかった。返ってきたのはエラーメッセージのみ。
 端末を仕舞おうとしたブロイだが、ふと手を止める。
 おかしい。
 ブロイは何かが引っ掛かった。もう一度、ソルゲトゥルのデータを探す。そして、感じていた違和感の正体に気付いた。
 エラー。
 思えば、今までにエラーなど見たことがなかった。見慣れた通信エラーの表示でもない。存在しないデータであれば、返って来る答えは「そのワードに関するデータは存在しません」と言うメッセージだ。試しにありもしない言葉を入力してみると、その通りのメッセージが返ってきた。
 データがない訳ではないのかもしれない。そのデータが壊れているか、あるいはアクセスできないようになっているのか。しかし、データベースの万全の保守状況を考えてもどちらもあり得ないはずだ。
 一体どうなっているのか。だが、ブロイにはいくら考えても分からないし、どうしようもない。おかしいという事に気付けただけでも上首尾と言える。これ以上は専門家に任せてみるべきだろう。

「エラー、ねぇ……」
 調べるべきことが多すぎて、充実した日々の割にはいつになく深くなっていたニュイベルの眉間の皺が深化する。不愉快に感じているわけではないのは目に宿る光で判る。食いついたのである。
 プログラム関係の専門家のニュイベルも、このデータベースでエラーメッセージを見るのは初めてだった。そして、場所も端末も違うのに同じエラーが出るという事はやはり端末や通信のエラーではなデータベース側の問題だという事である。
 この手のシステムは人間の手で管理されている訳ではない。元々システムに自己管理まで組み込まれており、一度設置すれば物理的に破壊されるまで自動的に維持される。大昔に既に完成されたシステムなので、新しく設置する時にはそっくり複製し、稼働し始めてしまえばあとはほったらかしだ。各地にあるコピーがお互いのバックアップの役目も果たし、異変が起こればそれらを元に即座に復帰される。今までにエラーなどみたこともないし、エラーが出るという話を聞いたことも、そんな噂が起こった事さえなかった。それだけに、このエラーは気になる。ニュイベルは物好きな仲間たちを集めて早速調べてみることにした。
 その代わり、ニュイベルはブロイにバルキリーの電源装置換装を頼んだ。このバルキリーが要塞の核部分のミニチュアである可能性が濃厚になってきたので、詳細な調査そのものは要塞の核で行ない、バルキリーは試しに動かしてみることにしたのだ。そのためには自爆装置にもなり得る危険なエネルギー供給装置を安全な物に替える必要がある。ブロイはメカニックだ。こちらに関しては専門家である。
 バルキリーはビーム砲と4本の足、ボディの一部が取り外され、機関部分が剥き出しになっている。手も足も出ない、どころか無い。このまま動かしても暴れたりはしないだろう。あとは、そのエネルギーユニットさえ外してしまえば危険は一切ないと思われる。
 ブロイにバルキリーを預け、ニュイベルはデータベースの解析に取り掛かった。
 ソルゲトゥルのデータにアクセスする。返ってくるエラーメッセージ。ブロイは先んじて2回確認し、ニュイベルとともにもう一度アクセスした。この時点で4回目となるはずだ。
 このデータベースシステムに詳しい仲間によると、このデータ自体にエラーが起こることは、実はそう珍しいことでもないという。記憶装置の経年劣化などのハードトラブル、書き換えミスなどによるデータ破損。それらを検出するセルフチェックも常時行ってはいるが、セルフチェックにより発見されるエラーは全体の1割程度だとか。残りはユーザがアクセスしたときに発見されるエラーだ。そのような場合、システムは各地にあるコピーから破損していないデータを参照する。ユーザにエラーが返されることは無い。データベースシステム同士の通信が行えずエラーが返ることはごく稀にあるが、その場合は今回のようなデータエラーではなく通信エラーになる。
 どのような状況ならばデータエラーなんてものが返ってくるのか。全てのデータベースに於いて同じデータが破損したとでもいうのだろうか。それに、同時にすべてのデータが破損したところで、自己修復機能は修復不能なエラーデータを削除するはずだ。エラーのまま放置しておくことはあり得ない。何者かによる明確な意図を感じざるを得ない。
 そして。そこまでされているならこのアプローチでは真実に迫ることはできまい。検証は早々に切り上げられることになった。

 その頃、ブロイは預かったバルキリーに電源を繋ぐ作業を行っていた。
 バルキリーのボディには大きな穴が開けられている。おかげで、作業はだいぶやりやすい。コアであろう中心の構造体からボディ外装に網の目のように張り巡らせられていたワイヤは、外装のダメージモニタリングや自己修復時のエネルギー供給用のものらしかった。つまり、それほど重要なものではなく切り開いても問題はないと判断された。
 バルキリーに搭載されたエネルギーユニットは二種類。一つはビームキャノンに直結されていたお馴染みの形式のもので、エネルギーが残っていれば制御不能時に自爆同然の爆発を起こす、危険な代物。ビーム砲を取り外した時に一緒に撤去済である。もう一つは内部にびっしりと存在する白い球状のもので、調べてみた結果いわゆる電池であった。エネルギー蓄積量も大したことは無く安全性も高いが、数が多くこれだけのエネルギーが一気に放出されると何が起こるか分からない。そして何より、何をするにも邪魔であるのでこれも一応外しておくことにした。
 ロボットアームを差し込み、ビームカッターで草を刈るようにザクザクとワイヤーを刈っていく。バルキリーの制御装置の周囲には無数の電池型エネルギーユニットがあり、その数だけ端子のようなものが制御装置と繋がっている。だが、そのほとんどはエネルギーユニットを制御するための端子で、制御装置にエネルギーを供給している端子はほんの数本だった。その端子に外部エネルギーユニットを接続。今回は制御装置のほか、頭部にあったカメラなどの各種センサーにもエネルギーを供給する。
 作業を終えエネルギーを送り込むと、バルキリーは動き出した。とは言え、動く部分は首だけだ。その唯一動く首をしきりに動かしている。作業が問題なく終わったことをニュイベルに知らせるべく、ブロイは通信を繋いだ。
『そうか。こっちも解析が終わったぞ』
 ブロイの言葉にニュイベルがそう返した。
「そうか。で、どうだった」
『詳しい話はそっちでする。何かヤバそうだったら引き返すから連絡くれ。……いや、ヤバくなさそうなら連絡の方がいいな。途絶えたら帰る』
「助けに来ちゃあくれないのかい」
『あんたくらいのタフガイがピンチになる事態に俺に何ができる』
「オッサンを労われよ若者」
『将来ある若者がオッサンのために犠牲になるのはどうだろうな。……あー。のんびり駄弁ってる暇があるなら、話しながら移動するわ。そっちの様子もモニタリングできるしな』
 あくまでも何かあったら引き返すつもりらしい。
 
 あの後、ニュイベルたちがデータベースシステムを直接調べると、エラーの原因はすぐに判明した。このシステムはプログラムがデータを検索し表示するもので、そのどちらかがおかしければ表示できない。そして結論から言えば両方に問題があった。
 ソルゲトゥルに関するデータはデータベースに確かに存在していたが、そのデータにアクセスするための経路が狂わされていた。インデックスの参照先がデータの存在しない場所になっていたからエラーが出た。そのような事態になった場合、プログラムがそのエラーを自動的に修正するはずだが、そのエラーを自動修正するプログラムに、ある条件に当てはまるときは修正を行わないようにするコードが埋め込まれていた。そのため、エラーのまま放置されていたようだ。
 意図的にデータへのアクセスができないようにされていた訳だが、それならばデータそのものは本来の場所に残されているはず。本来のデータアドレスは概ね類推できた。そしてその近辺を調べてみると、明らかに不自然なデータがあった。
 壊れているのか、削除されたのか、そこにあったのはただの空白であった。そのくせ上書きもブロックされている。システム基幹部分の一部にはこのようなプロテクトが掛かっているが、ブランクデータにプロテクトが掛かっているのはあからさまに不自然だ。そもそも、データにプロテクトを掛ける機能があったこと自体初耳である。
 この手の古い時代のシステムは、構造は単純だがコードが冗長だ。言ってみれば机の上のカップを取れと言う命令のために、カップを取るための指の動かし方まで指示してやらねばならない。システムを利用する人間に近いインターフェイス部分は小まめに手直しが入るが、機能として完成していた基幹部分はほったらかしにされ、後世の管理者には見る気も起こらない有り様になっている。そんなブラックボックス化したシステムによる隠れ蓑と言えた。
 記録から消し去られ、思い出すことすら禁じられた神。いずれ、そのタブーに触れることになるのだろう。
「何だよ。結局判らねえのか」
「システム面での状況は把握できたんだ。ここからは俺たちの仕事じゃねえ。情報管理の連中にパスだ。俺にはこいつを調べるっていう次の仕事があるんだしな」
 ニュイベルはバルキリーを顎でしゃくる。
 ニュイベルの方はバルキリー弄りに取りかかろうとしていた。
「よく考えたらバルキリーって名前も神の使いから来てるんだよなぁ」
 ブロイはバルキリーのボディをぽんと叩きながら言った。しばらくほったらかしにされたせいもあってか、バルキリーはすっかりおとなしくなっていた。
「なんだこいつ。無視されて拗ねたのか?さっきはきょろきょろしてたのに」
 ニュイベルに至ってはこの部屋に入ってからしばらくロックオンされており、落ち着かないひと時を過ごしたものである。無事、無害認定が出たのか程なくロックオンは外れ、その後はほぼ無関心である。何よりである。
「まさか。することも何もないから休止状態になってるんだろう」
「それは拗ねて不貞寝とどこが違うんだ」
「……ま、人間で言えばそんな所かもしれないがな。……なんとかして叩き起こさないとな」
 ボディや頭を叩いたりしてみたが反応はない。
「無理に起こすな。反撃される。寝起きがいいとも限らないだろうが」
「反撃も何も。今のこいつじゃヘッドバットくらいしかできねえぞ。ビビるほどのもんじゃない。ほれ、ほれ」
 ブロイはバルキリーを持ち上げ、ニュイベルに向けた。そして、その絶妙なタイミングでバルキリーが鎌首をもたげる。
「ひゃあー」
 間の抜けた声を上げながらニュイベルはヘッドバッドの射程をかなりの余裕をもって離脱した。
「通電させたせいで壊れたかとも思ったが、そんなことはなかったみたいだな。じゃあ、後は任せるぜ」
「お、おう」
 大丈夫なのかと思うほどの腰の引けようだが、駄目なら駄目で面白そうなのでブロイは気にしないことにした。

 バルキリーはニュイベルに任せ……と言うか押し付けたと言うか、とにかくブロイはリカルドたちを誘ってソルゲトゥルに関する資料を紐解くことにした。ブロイはもちろんそんなことの専門家ではない。ではなぜ彼なのか。
 ブロイはメカニックを兼ねた戦闘向けのマシンオペレータ。前線のこの町で、日頃もっとも必要な人材はその戦闘マシンオペレータだ。一応作業機械も動かせるが、そちらにはそちらの専門家がいるし、今はその専門家たちが余所の町からも押し寄せてきている。手伝えることはあれど、手伝う必要もない。
 近々リカルドたちにもマシンオペレータの適性があるかどうかをテストすることになっている。彼らがオペレータになれれば、その教育で多少は忙しくなるだろうが、それまですることがない。要塞を奪取したことでニュイベルは圧倒的に忙しくなったが、ブロイは暇だ。つまり、これは暇潰しなのである。そしてまた、忙しい奴に押し付けるわけにもいかないことだけに、暇人が処理すべき案件なのである。
 ソルゲトゥルのデータそのものは消されていても、付随する情報までは全てをカバーできまい。外堀を埋めていけばその輪郭が浮かび上がるはずだ。
 リカルドたちはソルゲトゥルについて創世主で世界の守護神ということくらいしか知らなかった。創世主だというのならば、歴史を徹底的に遡ってやろう。もちろん、創世まで。
 この世界の歴史はほぼ機軍との戦いの歴史である。数千年間に渡り続いているこの戦いは、まさにいつ果てるともなく続き、そしていつ始まったのかさえ定かではない。
 少なくとも、このデータベースシステムが出来上がった頃にはすでに戦争は始まっていた。そう言いきれる理由は簡単だ。データベースシステムの開発時期はしっかりと記載されているからである。その頃にはすでに長期にわたる膠着状態に突入しており、歴史とはほぼ戦史であった。それ以前の歴史は仔細に残されてはいない。
 多くの人が知る歴史あるいは伝承では、機械は人間により生み出されある時人間に反旗を翻したことになっている。知るべきはその“ある時”の事であるが、大規模な破壊により人間はどうにか生存し復興するのが精いっぱいであったため、これ以前の時代の記録は文明の大部分とともに失われ、歴史は口承でのみ伝えられている。確かな資料は無い。
 この時反旗を翻したという機械の目的は人類の殲滅ではなくラブラシスの占領であった。そのため人類は全滅を免れ辺境で再興できたと言う。その後復興を遂げ版図を拡大する人類とやはり勢力を広げていた機軍がかち合い、現在も続いている争いに突入している。
 要塞内に隔離された人々が崇拝させられていた神・ソルゲトゥルは、歴史が失われている時代に崇拝されていたか、もしくは機械たちの神なのだろう。どちらにせよ、機械が無意味なことをやらせているとは思えない。そして、どちらにしても機械に占領されたラブラシスに謎を解く鍵がありそうだ。
 ラブラシスは現在も機軍の本拠地として存在している。だが、だからと言って近年の情報がわんさと集まるという事もない。何せ、機軍に占領されて以来全くもって不可侵の領域となっているのだ。今も存在しているなどと書いたが、それすら実は推測でしかない有様である。よって、ラブラシスについて得られる情報はやはり伝承に関するものが中心となる。それでもソルゲトゥルのように直接情報を削除されたりはしていないので集まる情報は多い。
 ネオ・ラブラシスがラブラシスをモデルに築かれたように、人の都市だったころのラブラシスもまたかつて存在していた同名の都市の名を受け継ぎ築かれたという。では、その旧ラブラシスはどこに存在していたのか。それを辿ると、もはや歴史ではなく神話の世界にいざなわれることになった。そのラブラシスが存在していたのはかつて神の逆鱗に触れ滅ぼされた世界だという。
 この辺りの事情から神の名前が消されていた理由も何となく理解できる。世界を滅ぼすような荒ぶる神である。忘れたいと思うのも道理だ。決して忘れぬように歴史に名を刻むという選択肢もあるが、忘れる方向で進めた理由も何かあるのだろう。そうであれば、自分たちもあまり深追いしないほうがいいのかも知れない。
 そうと分かればめんどくさい歴史のお勉強は後回しである。ブロイはライブラリを後にした。ライブラリと言っても図書や資料そのものがあるわけではない。どこにいても携帯端末からアクセスできるデータベースへの、よりハイスピードなアクセスができる回線とコンフォータブルな閲覧ができるハイスペック端末とラグジュアリーな環境を提供する施設で、回線・通信設備もサーバも、普及している携帯端末も貧弱な田舎には必要な施設である。大量のデータアクセスを伴う調べものに、そして、サボりに。
 基地に戻るとライブラリのゆったりとした雰囲気と真逆にざわめき立っていた。
「何だ、レジナントで何かあったか」
 近くにいた人に問いかける。
「いや、この辺の話じゃあないんだがな。……グラクーの戦況が一変したんだ。押せ押せだったグラクーの前線部隊があっという間に壊滅、おまけに外郭防衛線も大ダメージだってよ」