Hot-blooded inspector Asuka

Episode 7-『Return back』

第14話 最悪の遭遇

 部屋を脱出した大貴たちの前に、静寂に包まれた殺風景な廊下が続く。二人の捕らえられていた部屋は廊下の一番奥、進める方向は一つだ。迷うことはない。静寂に包まれているということは、近くに人も居ないということ。この場を離れるなら今のうちだ。
 廊下を進むと階段に行き当たった。上と下に延びている。迷わず下に降りようとする大貴を聖良が呼び止めた。
「私たちが担がれて運ばれてきた時、階段を下りるような感じがしましたわ」
「そうなのか?俺はよくわからなかったけどな」
 大貴は運ばれてくる間中くねくねのたうち回り暴れていたのだから当然である。とにかく、聖良がそう言うのだからきっとそうなのだろう。二人は階段を昇っていく。
 階段を昇るとすぐそばに外に出られそうなガラス戸があった。
「やったぞ!出口だ!」
 駆け出そうとする大貴の手を聖良が引き戻す。
「待って!……その……大貴くんだけずるいです」
「な、なにがだよ」
「ええと、あの。ひ、一人だけすっきりしてしまって!私だってずっと我慢してるんですわ」
 要するに……ここを出る前におトイレに寄っておきたいというわけだ。女の子なので、そこら辺でというわけにもいかない。真っ赤な顔に涙目でそんなことを言われると、ものすごく悪いことをしている気にもなる。
「しょうがねーな。一緒にトイレ探してやるからさっさと済ませろよ」
 幸い、トイレはあっさりと見つかった。用が済むまで大貴は外で待つ。
 どこか遠くの方から、内容まではよく聞き取れないが男の声がした。犯人たちだろう。聞き耳を立てるが、やはり内容は分からない。澄まされた耳は声ではない音も拾った。用が済んだのだろう、水が流れる音。それが収まりかけた時に聞こえてきたのは先程のガラス戸が開かれる音、そして、こちらに向かってくる足音。
 トイレのドアが開いて聖良が顔を出した。大貴は聖良をトイレに押し戻しながら自分も入っていった。
「な、なんです?」
「誰か来る……隠れるんだ!」
 うろたえる聖良。大貴はトイレを見渡す。小便器が一つと、奥に個室。隠れられそうな場所はやはり個室か。
 大貴はトイレの明かりを消した。これで少しくらいは見つかりにくくなるはずだ。そして、明るい間の記憶を頼りに個室に入り、ドアに鍵をかける。
「ごめんなさい、私がトイレに行きたいなんて言わなければこんなことにはならずに今頃逃げられたはずですのに」
「いいや、深森は悪くねーよ」
「……ありがとう。パパの言ったとおりですわ」
「なんて言ってたんだ?」
「男の子が相手なら、先に謝っておけば悪くなかったことにしてもらえるって」
「……」
 いろいろ言ってやりたいことはあるが、ゆっくりと外の足音が近付いてきた。お喋りは終わりだ。不審な光がなければ素通りしてくれると期待していたがそのあては外れ、トイレのドアが開かれた。入ってきたのが男で小用であればまだまだやり過ごせる可能性はあるが、女や大きい方ならまずいことになる。
 だが、様子が変だ。用を足すどころかここの明かりをつけることもない。ドアは閉められたが、入らずに帰ったわけではないのはトイレの中を蠢くライターの火らしき光ではっきりと分かる。何をしているのか。
 火は消え、一瞬だけ何かの物音がし、その後は闇と静寂が訪れた。何者かが出て行く気配はない。先程の物音も出て行った気配でもなかった。まるで、二人が出てくるのをじっと待ち構えているかのようである。大貴と聖良は身動きが取れなくなった。

 飛鳥刑事と佐々木刑事はスナイデル物流の事務所内に入った。物音一つしない。……いや。
「今、奥の方から足音が聞こえたな」
 刑事の耳はしっかりとそれを捉えていた。
「ああ。何人か……ばたばたと」
「行ってみるか」
「だな」
 奥に進むと、階段があった。下の方から足音と話し声が聞こえる。それと……近くの部屋の中からも話し声がする。
「どっちに行く?」
「階段は……降りたら昇ってこねえとならねえぞ」
 佐々木刑事は飛鳥刑事の問いかけに直接答えない。だがそれは確かに答えであり、飛鳥刑事の判断にも大きな影響を与える一言だった。
「……決まりだな」
 水は低きに流れる。だが上に戻ることを考えると、低いところに行かない事こそより低い選択だった。
 刑事達は声の聞こえる扉の前で聞き耳を立てる。
「じゃあ、荷物はそこに運びゃあいいんですね。……はい。……はい。……それじゃあ早速、大急ぎで」
 話し相手の声は聞こえない。どこかと電話でやりとりしているらしい。話を聞いただけでは普通に物流関係の仕事の電話のようにも思える。
 とりあえず、部屋に入ってみることにした。ドアをノックし、返事も待たずに開ける。電話はちょうど終わったところのようだ。部屋には男が二人居り、一人の前には電話機らしい物が置かれている。受話器らしいモノはついているが、一般的な電話の形ではない。
「な……なんだてめえらは」
「夜分失礼しますよ。警察なんですがね」
 警察手帳を見せつける飛鳥刑事。
「け。けけけ警察っ!?」
 驚く男のうちの一人。もう一人の男が狼狽えんじゃねえ怪しまれるぞと言わんばかりにその男を小突いた。だがもう手遅れだ。はっきりと怪しい。怪しいが、さも怪しんでいないかのように予定通りの話をする。
「残業ですか。大変ですね。まあ、我々も似たようなものですがね。……実は先ほど近くで怪しい男に声を掛けたらこの中に逃げ込みましてね。ちょっと、探してもいいですか」
「う。う、うぉい。どうする」
「どうぞ探してください。ああ、隠れそうなところを案内しますよ」
 どうやら、探されても大丈夫なところを案内してお茶を濁そうという魂胆らしい。案内されたところを雑に探し、避けたところを重点的に探すと良いかも知れない。

 人質を閉じ込めた部屋の前に、二人のエージェントがやってきた。
 人質の移動の許可もおり、相談の結果移動先も決まった。また人質を担いで歩き回ることを考えるとうんざりするが、さっきは暴れまくった坊主の方もさすがにそろそろ疲れ果てておとなしくなって……いてくれると助かる。期待をすると裏切られた時に悲しくなる。期待はしない方がいいのだ。
 最悪、今度は台車がある。階段はどうにもならないが、廊下は一気に楽になるはずだ。そして、心強い協力者も加わっている。ここの主、砂島研一社長ことエージェント31号である。番号は若いがさほどの古株でもない。後釜としてこの番号に収まったのである。
「頼むぜ、社長さんよ」
「任せてちょうだいな。こちとら運ぶことにおいてはプロよん。ストーンきってのデリバリーガイよぉん!」
 そして内輪での喋り方はちょっと釜っぽいのだ。後釜に相応しい人物と言えた。デリバリーゲイといった風情だが、もちろんそのケはなくバリバリに女好きなのはご存じの通りだ。彼がこんなキャラになってしまったのには事情がある。だが、とてもどうでもいいことだ。
 エージェントの一人が人質を閉じこめてある部屋の扉を開けようとするが。
「ん?……誰か鍵かけちまったみたいだな。しかも鍵持って行っちまった」
「ああん。だ・い・じょ・う・ぶ!こんなこともあろうかと、合い鍵持ってきてるわぁん。……どれかしら。これはおうちの鍵……これは車の鍵……」
 何でも雑然とポケットに突っ込んでおく性分のようだ。暫しもたついた後、目当ての鍵を手に取った。鍵を開けるとまた鍵を適当にポケットに放り込むと扉を開いた。
「さあかわいいお嬢ちゃん、人畜無害なおじちゃんと一緒に行きましょうねー♪……おい、ガキはどうした」
 人質が消えたことを知り、素に戻る社長。エージェントとしては、選挙ポスターで世間一般に広く顔の割れているあんたは大人しくガキに目隠しをしてから手伝ってくれないかと言ってやりたいが、察するにそれどころではない事態が起こっているようだ。
 エージェントも部屋を覗き込む。子供の姿はなく、子供たちを縛っていたガムテープが丸められ転がっている。
「に、逃げられた!」
「さ、探すぞ!」
 普通に取り仕切り出す31号。もう一人のエージェントは思う。普通に喋れるならあの気持ち悪い喋り方をせずに最初から普通に喋ってほしいと。何にせよ、それどころではない。
 とにかく、上にいる仲間にこの非常事態を伝えなければ。二人は今来た廊下を引き返し始めた。

 男の案内する最初の部屋を雑に調べたところで飛鳥刑事が言う。
「大勢で部屋を一つ一つ調べていても効率が悪い。一人一部屋ずつ見ることしましょうか。こっちが終わったら声をかけますよ」
「そ。そうですかー?それがいいかもしれませんねー」
 男が指定した部屋それぞれに散っていく飛鳥刑事と佐々木刑事。
 それぞれの部屋のドアが閉まった。……一秒と経たずに飛鳥刑事と佐々木刑事が出てきた。二人は頷き合い、そのまま階段に向かっていく。
 階段を下りていると、慌ただしい足音が近付いてくる。階段を下りたところではち合わせた。一人は見覚えのある顔。そして、ここに居そうな人物である。
「な、何だてめえら」
「ちょっと失礼してますよ。警察ですがね」
「警察……だと?」
「ああ、これはこれは候補……いや、社長さん。実は、ちょっと捜し物がありましてね」
 あえて、何を探しているのかについては口にしなかった。
「何をお探しですかな」
 平静を装う砂島社長だが、意識はついつい廊下の奥に向かう。何せ、人質がいなくなったことに動転して奥の部屋のドアを開けっ放しにしてきているのだ。もちろん、飛鳥刑事もその怪しい反応を見逃しはしない。
「えーと。その一番奥の部屋なんですがね。見せてもらうわけにはいきませんかね。開けっ放しにしてるくらいですから、まあ問題なんてないですよねえ」
「え、ええまあ。ええもう。どうぞどうぞご覧ください」
 人質が逃げ出していたことにこの時だけは感謝する社長。
 飛鳥刑事と佐々木刑事は部屋の中を調べ始めた。大貴と聖良の姿はない。乱雑に投げ捨てられた二枚の麻袋、丸められたガムテープ。どうやら、攫われた二人は一度はここに運び込まれたようだ。しかし、すでに他のどこかに移されたらしい。だからこそ、堂々と見せられるということか。
 どこに連れて行かれたのかを示す証拠でも残されていないか。薄い期待を胸に部屋の中を探し始める。
 人質が逃げていたことで気が大きくなっていた社長だが、本当にどこかに逃げているとは限らないのではと不安になってきた。何せ、彼らが踏み込んだ時には部屋の鍵は掛かっていたのだ。ならば、逃げずにこの部屋に隠れている恐れもある。そんなところを刑事たちが見付けでもしたらお終いだ。
 いや。この部屋のドアは鍵が掛かっていたって内側からいとも簡単に開くではないか。ガムテープから抜け出したのなら、部屋の外に逃げようとするに決まっている。自分たちが来た時に鍵が掛かっていたのは逃げたガキが掛けたからだろう。鍵があるのを見て元に戻したか、ガキの浅ましい時間稼ぎ。そんなところだ。ああ、間違いない。
 追いつめられているからこその火事場の馬鹿力を社長の脳味噌が見せていたようだ。的確な推理である。だが、その推理を元に行動に起こす精神的余裕はなく、そもそも状況的にもそれは無理と言う物だった。
 そして。人質が逃げていたことで気が大きくなっていた社長だが、そもそもこの部屋はストーンの秘密の部屋である。人質以外にも見られて困るものはごまんとあるのである。飛鳥刑事がちょうどそんなものが集まっているような場所に近付きつつあった。
 それに気が付いた社長はもう人質どころではなくなった。だが、飛鳥刑事も目当ては人質、厳重に隠してあるそんなものを探すつもりなどは特にない。そして、そっちに社長の気が取られているうちに今度は佐々木刑事がとんでもないものを見つけてしまうのだ。
「ん?なんだこりゃ」
 その声に飛鳥刑事もそちらへと歩き始めた。ほっとする社長だがそれもつかの間、佐々木刑事の居場所を見てうろたえ出す。
「なんだその紐のような物は」
「女物の下着だろ」
 蠱惑的な黒いレースに佐々木刑事のレーダーが反応し、思わず手に取ったのだ。広げてみる佐々木刑事。
「きゃあっ。いやあん、見ちゃダメえっ」
 混乱のあまり、素ですらなくなった上に刑事たちに女言葉を使い出す社長。とりあえず、深く考えると訳が分からなくなりそうなので聞かなかったことにする刑事二人。
「下着……っていうけどな。これじゃ隠すべき場所が隠せないだろ」
「ああ。その通りさ。だからこいつは隠すべき物を見せる下着ってことだ」
「何というか……。こんなの着けさせるくらいなら裸の方がいいだろ。着けるなら着けるで中途半端じゃなく普通の下着の方がいいと思うがね」
「他人の嗜好に口出しするもんじゃねえぜ。好みってのは人それぞれさ。特に、一度道を踏み外したらどんどん常人の理解を超えた世界に踏み込んでいくもんさ。ほれ、こいつを見てみろ」
 筆舌に尽くしがたい道具が色々と出てきた。
「なるほど。……こんなものを使いたいなんて言ったら離婚されそうだ」
「普通は、そういう店で使わせてもらうもんだぜ。……まあ、珍しいものを見せてもらっていい勉強になったってところだ。俺たちの捜査にゃ関係ないな」
 その言葉を聞いて砂島社長は思う。関係ないなら、わざわざほじくり出して広げたりしないでほしいと。
 大貴と聖良はここにはいない。それならば、長居は無用だ。速やかに次に移動しよう。佐々木刑事は言う。
「お楽しみのところ、すんませんっしたっ」
 顔を見合わせた後、声を揃えて叫ぶエージェント二人。
「ちがああああああぁぁ!」
 これは佐々木刑事のせめてもの嫌がらせだった。広げっぱなしの恥ずかしい道具ともども、精一杯の嫌がらせだった。

 大貴と聖良は闇の中で身動きがとれずにいた。こうして数分が経つ。さっき誰かが入ってきて、出た様子はない。しかし、誰か居るにしては静かすぎる。本当はもう誰も居ないのではないか。
 それに、大貴はとんでもないことに気付いてしまったのだ。
 さっき、おしっこをうまく使ってガムテープから抜け出したまではいいが、その後そこにあった湯のみのお茶で軽く濯いだくらいで手をちゃんと洗っていないのである。これは由々しき事態であった。ドアを開ければすぐそこに手を洗える場所がある。その誘惑に抗うのが難しくなってきた。
「……よし、ここを出よう」
「だ、大丈夫なのでしょうか……?」
 闇の中から不安げな声が返ってきた。
「だめならその時だ。このままじゃ埒が明かない!」
 ひそひそと話し合った後、大貴はそっとドアを開けた。聖良を残し一人個室から出る。ドアの外も闇、先ほどの記憶を辿りながら壁伝いに出口を目指す。
 廊下に繋がるドアに手が触れた。この近くに……あった、明かりのスイッチだ。
 トイレの中に明かりが点る。
「うおっ」
「きゃあ」
 他の人影はない。その代わり、二人の目に異常な物が飛び込んできた。大貴は条件反射のように蹴りを放っていた。重い手応え……いや足ごたえ。蹴られたそれは不気味に動き始める。それは名状しがたい水色の物体。
「す……スライム!?」
「うえーん、やだー、おうちかえるー!」
 泣き出してしまう聖良。
「スライムごときに負けるものか!食らえ、ダイキック……」
 技を出す前にスライムが大貴の方に転がりながら突撃してきた。素早くスライムの攻撃を横っ飛びで躱した大貴だが、洗面台に頭をぶつけた。
「っ……!……!……!!」
 痛みのあまり言葉もでない大貴。まさに痛恨の一撃である。自爆だが。
 そして、スライムは大貴を倒したことでレベルが上がり、正体を現す。言うまでもなく、水色のゴミ袋に化けていた深森探偵である。
「う、うええん、おじさまあああ」
 恐怖で泣きじゃくっていた聖良が安心のあまり泣き出した。
「それは違うぞ聖良ちゃん。君にとって私は大おじさまだ」
 割と、どうでも良かった。やはりどうでもいいと感じた大貴は冷ややかに言う。
「でも、おっさんだろ」
「……後20年も若ければお兄さんだと反論できたが、認めざるを得ないようだ」
「で、探偵のおっさん。こんなところで何をしてたんだ」
「あえて言うなれば……何もしていなかった。私が何かをしていたと思うかい」
 真っ暗な中でゴミ袋をかぶって丸くなっていた。……これを、何かしていたとは言い難い。
「いやいや。何かをしにここにきたんだろ」
「私は探偵、目立たず密かに事件を解決に導くのが役目なのだ。私は囮役でね。私がこうしている間にも君のパパが君を捜してこの建物の中を歩き回っている」
 で、あるというのに。
「……何でおっさんの方が先にここに来てるんだ?」
「……むしろ、なぜ君たちがなぜこんな所にいるのかの方が解せないが」
「逃げてきたんだよ。見つかりそうになったから隠れてたんだ。……あれ。もしかして、俺たちって……おっさんから逃げてた……?」
 大貴が聞いた入り口が開く音はまさに深森探偵が入ってきたときの音だったのだ。相変わらず、人騒がせな探偵である。
 そんな人騒がせな探偵のせいで大騒ぎをしてしまった子供たちの声は、犯人達の耳にも届いていたのだ。

「刑事に逃げられた!」
 土気色の顔で仲間が戻ってきた。先に地下に向かった31号らに、彼が時間を稼いでいる間に人質を隠すよう伝えるべく別の仲間が地下に向かったばかり。刑事たちがその仲間を見つけて後をついて行くと人質の隠し場所に一発で辿り着かれてしまう。更に悪いケースとしては刑事たちが少し遅れてそこにいくパターンだ。この状況で更に人質を隠せる場所はあの部屋にある隠し扉。その奥はストーンの関連施設を結ぶ例の地下通路だ。それを警察に見つけられては大事である。
 だが、ひとまずその事態を免れたことが、その伝令役が大慌てで帰ってきたことで判明する。
「大変だ!人質が!」
「け、警察に見つかったのか!?」
「いや。刑事が来たが……それよりも人質が、いなくなってやがった!」
「何!?に、逃げたのか!?」
「そうみたいだ」
 ということは、刑事たちが隠していた部屋は見つけられてしまったようだが、まだ人質は見つけていないということか。事態がいい方に転がったとは到底思えないが、それだけは勿怪の幸いだ。
「よし。刑事たちが地下にいる間に逃げた人質を捜して外に連れ出すぞ」
「って言うかさ。……もう外に逃げてるんじゃね?」
「……だとしたら俺たちは終わりだ。だから……そんなことは考えるな!最後の希望は捨ててはいけない」
 自分たちがそこまで追い込まれていたことを今更理解して青ざめるエージェント達。
「よし、手分けして探すぞ!」
「わかった!」
「ガキを見つけたら……今度こそゆっくりと寝るんだ……」
 微妙に死亡フラグでも立ちそうなことを言うエージェント。この場合は永眠フラグか。安らかに眠れそうである。
 一人はこのフロアを、一人は2階を、もう一人は外の敷地内を。地下は他の二人と、何より刑事がいる。
 こうして散っていたエージェントたちの内、1階を調べていたエージェントの耳に聖良の泣き叫ぶ声が聞こえた。
 調べていた部屋から廊下に出てみると泣き声は収まっていた。念のため声がしたと思しき方向に向かう。トイレから明かりが漏れていることに気付いた。
 聞き耳を立ててみるエージェント。確かに人の声がする。だが、聞こえたのは到底子供のものとは思えない低い声だった。他のエージェントか?いや。俺と一緒だった二人は今、上と外だ。地下に行った二人はついさっき下で刑事と話しているのだろう声が聞こえていた。
 まさか、他の刑事が?
 思わず逃げ出すエージェント。だが、思い直す。エージェントは再びトイレの近くに来た。声は聞こえない。
 ドアを開けてみる。人の姿は見えない。異常なし。……とは到底言えない。
 トイレに、露骨に不自然な青いゴミ袋が置かれていた。こんなところにこんな大きなゴミを置いていくことは普通はないだろう。
 エージェントの脳裏に過ぎったのはローズマリーを高飛びにまで追いつめたという探偵のことだ。ゴミ袋のふりをしてどんなところにも這い寄ってくるという。噂ではストーンの隠れ家や夢の中にまで現れたとか。怪しい気配に振り向くとそこにいるという。夢はともかく他の目撃談もただのゴミ袋に過剰反応しただけなのだが、早くもほぼ妖怪のような扱いになっている。
 そんな神出鬼没のゴミ袋だ。ここに現れたのもそれだとしか思えない。
 ど、どうする。そうだ、いっそ……正体を現す前に殺っちまうか?今ならナイフでぐさりとやってもただのゴミ袋だと思って刺したことにできる。……そうだ、よし!
 ナイフを取り出し、ゴミ袋に近づく。そして、振り上げる。
 彼は警察相手に銃撃戦を繰り広げるような武闘派のエージェントではない。人を殺したことなど無い。ナイフを振り上げたところで動きが止まり、脂汗にまみれていく。
 いや待て。探偵がガキどもをこうやってカムフラージュしているのかも知れない。そうだとすると、刺しちまったらまずいことになる。ならば念のため中身を確認して……いやいや!それだとゴミ袋だと思って刺したという言い訳が立たない。……いや。なぜ警察に捕まったときの言い訳を用意しようとしているんだ。気にせずに中身を確認して刺しちまえばいいんだ……!
 刺さない言い訳を考えているうちに、結局刺すという結論にたどり着いたエージェント。覚悟を決めてナイフを握り直す。息を呑み、唾を飲む。そして最後に深呼吸を。
「いい加減に刺さんかい」
「ほわあああああああああ!」
 背後からの声にエージェントは飛び上がり、勢い余って前につんのめった。深呼吸で大きく吸い込んだ息を魂ごと吐き出したかのように力が抜ける。慌てて立ち上がろうとするが腰が抜けており、生まれたての仔牛のようになっている。
 そこに置かれているゴミ袋は中身のない深森探偵の抜け殻だった。自分たちはトイレのドアを開けた時に扉の裏にできる死角に身を潜め、背後に回り込んだのだ。そしてゴミ袋に気を取られているうちに勝負をかけるつもりだったが、ナイフが出てきたのでそれを刺すところまで様子を見ることにした。だが、刺す度胸もなさそうなのでとっととけりを付けるべく蹴りを入れることにしたのである。しかし、その前に一声掛けたことで、エージェントがつんのめり蹴りは外れた。運のいいエージェントだ。
 すでにほぼ身動きのできないエージェントに深森探偵は香水瓶らしい小瓶を突きつけ、鼻先にぷしゅっと吹き付けた。ぷるぷると足掻いていたエージェントは、2秒ほど動きを止めた後、崩れ落ちた。
「し……死んだ!?なんだそれ!」
「死んではいないぞ。眠らせただけだ。……探偵というものは、ある時は夜の闇に紛れて悪事を働く輩、または白昼でも構わず悪事を働く輩、あらゆるケースに柔軟に対応するために眠れるときに眠っておかなければならないのです。こいつはそんな時のための薬なのです」
 浮気相手と夜の密会を楽しむものもいれば、働いている振りして日中に不貞を働く旦那も、旦那の仕事中に間男と逢う妻もいる。それに対応するために自分に使う眠り薬なのだ。
「まあもっとも。護身用も兼ねて多少きっつい成分もブレンドしてあるのですがね。ふひょひょひょ」
 論外であった。自分用に使うときは指先に吹き付けて、少し揉んで息を吹きかけ多少成分を飛ばしてから遠巻きに吸い込む。こうして鼻先にしこたま浴びせられれば一晩ぐっすり眠れるだろう。
 奇しくも、先程ガキを見つけたらゆっくりと寝ると呟いたエージェントだった。晴れてガキを見つけ、こうしてゆっくり眠ることと相成ったのである。些か彼の望んだ形と違っていたのは諦めてもらうより他なかった。

 元々深森探偵はここに刑事二人が踏み込む口実を与えるために忍び込んだのだ。特にここにいるエージェントたちの前で刑事たちに見つかってしまえば、もうここに留まる理由が無くなった刑事ともども出て行かなくてはならなくなる。
 それを避けるにはどうすべきか、考えた結果がトイレにゴミのフリをして籠もることだった。そもそもトイレに入ってきたのは、隠れ場所を探す探偵にお似合いの、ちゃちで開閉しても大した音がしそうにない明かりの漏れてないドアに吸い寄せられた結果。初めて踏み込む場所での咄嗟のことということもあって、深く考えてなどいない。
 よく考えればトイレなど刑事以外の人間だっていつ入ってくるかわからない。出た方がいいか、などと思いながら外の様子に耳をそばだててみれば、存外にバタついている模様。迂闊に外に出れば鉢合わせになりかねない。動くに動けずにいた所、奥から大貴と聖良の声がし、二人が出てきたというわけだ。もちろん入り口に近いこの辺りがばたついていたのはその刑事のせいであり、刑事自身の足音も相当混じっていた。
 こうして子供たちも無事見つかったのだ。幸い出口も目の前、とっとと外に出るに限る。だが、そんな深森探偵を大貴が引き留めた。
「待ってくれ。……そろそろまたおしっこしたい」
「……確かに。トイレに来てなにもせずに帰るのは、沖縄に行って泳がず帰るようなものですな」
 沖縄は、海以外にも見るところは盛りだくさんである。それよりも。二人が用を足し終わって外に出たら、自分もまたしておこうと密かに思う聖良であった。

 廊下に人がいないことを確認し、トイレを飛び出した三人は一気に出口までダッシュした。外へのドアが目の前に迫った時、そのドアが勢いよく開かれ、エージェントが飛び込んできた。待ち伏せされていた、と言う様子ではない。
「あ。ああー!」
 エージェントはこちらを指さして叫んだ。向こうも明らかに不意の遭遇だったことが窺える。そして、背後のドアを振り返り見て、大貴と聖良に向き直り見、視線をずらして深森探偵を見る。もう一度背後のドアを見て、子供たちを見る。
「う……うおおおおおおおおお!」
 頭を抱えて叫んだ後、大貴らに突進する。……いや、少し角度がずれている。大貴らの横を全力ですり抜け、奥に向かって全力で走っていった。何があったのかは分からないが、どうやら助かったようだ。
「ふふん。私の気迫勝ちですかな」
 多分違うと思う大貴。だが、そう思いたいなら思わせておいて何ら問題ないだろう。
 気を取り直して外に飛び出す子供たち。その目に絶望的な光景が映った。
 黒い人影が辺りを取り巻いていた。服装だけではない、その顔もまた恐ろしげである。そして、手には武器らしきものを持っている。大貴は思った。これは殺されてしまうと。
 リーダー格と思しき男が、両手を振り上げこちらに突進してきた。大貴は逃げ腰になる。探偵も身動きができない。そんな中、聖良は果敢に男に向かっていく。そして。
「うわあああああん、パパあああぁ!」
「無事だったか!よかったよかった!」
 この恐ろしげな人が聖良のパパであると知り度肝を抜かれる大貴。今度こそ、助かったようだ。……取り囲んでいる顔ぶれを見るに、到底そんな気はしないが。
「おじき、よく助けてくれたな。恩に着るぜ」
 聖良のパパはゆっくりと歩み寄った深森探偵の手を握った。
「私は大したことはしとらんよ、アキ坊。聖良ちゃんたちを見つけられたのは偶然だ。礼なら私と聖良ちゃんを引き合わせた神様にでも言っておけ」
「分かった、そうさせてもらう。それと、そろそろアキ坊はやめてくれ。俺もいい年だろ」
「考えておこう。……さて、後はまだ中にいる刑事さんたちだ」
「もしかして、父ちゃんが来てるのか?」
「うむ。今頃は坊やたちが捕まっていた部屋を見つけて捜査している頃合いじゃないかな。もう捜し物は見つかったと知らせてやらないと」
「俺たちが捕まってたのは地下室だよ。一番奥の方」
「そうか。じゃあ、ちょっと様子を見てこようかね」
 そんな深森探偵に、聖良のパパが声を掛けた。
「俺もいくぜ、おじき。娘をさらったふてえ野郎のツラを拝んでやりてえ。おまえら、ちょっとの間娘を頼んだぜ」
「押忍!」
「よし、坊主!俺たちが遊んでやるぜ。ひっひっひ」
 大貴ににじり寄るヤンキーたち。さっきしていなかったら、漏らしていたことだろう。
 さっきのエージェントも、外を探していたら自転車で音も静かに動き回っていつの間にかここに集結していたヤンキーの群に飛び込んでしまい、全力で逃げてきたのだ。
 その少し前、ここに探りを入れていたヤンキーが丁度刑事二人が敷地に入っていく姿を見て昭良に連絡し、ここに集合するよう通達が出されたのだ。
 大貴にとって到底安心はできないが、ここは安全である。

 刑事二人は結局大した成果も無いまま地下を後にすることになった。……が。
「おお。やはりここにおりましたか」
「おや。……不審者」
 探しているという名目の、別段探しても居ない相手と遭遇した。しかし、一人ではない。
「子供たちは無事見つかりましたぞ」
 深森探偵が声を掛ける刑事達もまた、他の人物を引き連れていた。
「やれやれ。俺たちは何のために来たんだか」
「奴らを混乱させて、子供達が逃げ出す隙を作っただけで十分ではないですかな」
「我が息子ながら、無茶してくれるな。大人しくしてくれているのが一番なんだが」
 それが無理な性分であることは、父親である飛鳥刑事もとてもよく理解していた。
 お帰りはあちらですと案内しつつ二人を見張るべく一緒にいた社長は全てが終わったことを悟った。特に、不審者と呼ばれた男と一緒にいる人物が絶望感をかき立てる。深森候補である。
「そうそう。みもっさん、面白いもん見つけたぜ」
 そう言うと佐々木刑事は奥の方に走って戻っていった。佐々木刑事がみもっさんと呼ぶ時は深森探偵の方なのだが、ここにいるのは二人とも深森だ。
 佐々木刑事は大貴が言っていた一番奥の部屋に入り、何かを手にすぐに出てきた。
「ほれみもっさん、これ」
 佐々木刑事が手にしていたものは鞭であった。それをピシャンと床に打ち付けてみせる佐々木刑事。これはいわゆる女王様とお呼び的な用途に用いるものである。但し、鞭を振るうのは女王様ではなく社長の方で、この雌豚がぁ!などとやるわけである。これをやらせてくれるような変態はなかなかおらず、出番は滅多にない。もしいればお小遣いは相当はずむのだが、やらせてくれる時点でやられて喜ぶような女だったりする。それはさておき、この状況でこんなものを出されるとどうなるか。
「おいこらテメエ。俺の娘になにしてくれちゃってんの」
「ほ。ほわ?ちが……違うの!誤解なの!」
 メンチを切りながら胸ぐらを掴まれ、思わず女言葉になる社長。
「ごめんなさい刑事さん、私が犯人でした!逮捕してちょうだい!」
「んー。何のことですかねえ」
「ほら、子供も見つかったんでしょ!」
「子供?さあ、何の事だか。我々は不審者を探しに来てたもんで」
「何言ってんのよ!誘拐事件よ!人質も見つかってんのよ!!」
「見つかってると言っても、我々が見つけた訳じゃないですしねえ」
「まあ、不審者は無事見つかったようなんで。我々はこの人を連れていくんで、後はごゆっくり……ってね」
 不審者・深森探偵とハイタッチをする佐々木刑事。
「恩に着るぜ、旦那」
「ぎゃあああ。事件が、事件が起こるううぅ!警察は何をしてるのおおおおぉぉ!」
「事件が起こってから捜査するのが我々の仕事でして。すみませんねぇ」
「のおおおおおぉぉぉぉ!」
 嫌がらせはこのくらいにして、本人も罪を認めていることだし逮捕しておくことになった。

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