
Episode 7-『Return back』第13話 KIDNAP PANIC!
今日の選挙活動を終えて事務所に戻った森中候補に加え、最後の二人が事務所を訪れた。娘を預けている深森候補と妻の聖美だ。
二人は娘の聖良が攫われたと聞いて二人は愕然とした。失神する聖美。倒れこむところを小百合が慌てて抱きかかえた。
「だ、大丈夫?お、おーい。おーい!」
呼びかけるが目は覚ましそうにない。
「すまん、深森。俺がついてたってのにこんなことになっちまって」
頭を下げる飛鳥刑事。
「なあに、子供を連れて行かれたのはお互い様でしょう。それに、相手は無事に返して欲しければ……みてえなことを言ってたんでしょう。無事に返すつもりがあるってこってす」
「まあ、それはそうだ。交渉の余地があるうちは二人に危害を加えることは無いと思う」
「その間に、何としても見つけましょうや。そして……奴らの方こそ、無事で帰れると思わねえことだ」
高校生時代の、獣の目に戻る深森候補。警察の威信をかけて、彼やおそらく声を掛けるだろうその支持者たちより先に聖良を見つけないと、逮捕者が増えることになりかねない。大人しく犯人側の動きを待つことはできないだろう。ある意味、彼らもライバルだ。
明良はすぐに動き出した。こちらもぐずぐずしてはいられない。だが、警察の応援は呼ぶべきかどうか。
今回の犯人、名乗りこそしなかったが要求の内容からしてストーンが絡んでいるものと考えられる。攫った子供の中にストーンと何度も対決している刑事の子供がいるのだ。故に相手側もすでに警察関係者に事件が発覚しているくらいのことは分かっているものと思われるが、大々的に動けば相手を刺激することになるのは変わらない。人質がいる以上、慎重に動かなければならないだろう。
ひとまず、地味に動いてくれそうな人物と合流しよう。深森探偵である。まだ彼は事情を知らないはずだ。彼もまた、親戚である明良と接触すれば手を組むことは確実。先にこちらに引き込んでおきたいところである。
「みもっさんなら居場所は分かるぜ。今日もスナイデル物流でこそこそしてるはずさ」
「今度は何を探ってるんだ」
「どうも、選挙活動が終わった後に事務所に戻ってきてるみたいでな。何をしてるのか探るらしい。あんな噂を掴んだ後だ。考えられるのは……おネエちゃんとの密会とか?」
「デバガメする気ってか。お前じゃあるまいし……。まあいい。とにかくとっ捕まえよう」
出来れば、デバガメ中の変質者としてではなく捕まえたいところである。
二人がスナイデル物流に向けて車を走らせている間に、深森候補の呼びかけに応じた舎弟……いや票無き支持者たちは動き始めていた。
「アニキ……いや、先生。娘さん、どうやって探します?」
「幸い、こっちには人手はある。それに、誘拐犯が聖良たちをどこかに閉じこめるとすれば廃墟を使うかも知れねえ。使えそうなところならお前ェらにも心当たりくらいあんだろ?」
そう言う場所は彼らにとってもたまり場である。心当たりを一通り探してみることになった。
「それと。この選挙にはどこぞの悪党がちょっかいを出してるらしい。今俺のオジキが探りを入れてるみてぇだが、そいつらが絡んでるかもしれねえ。そっちも見てきてくれ」
「押忍」
どうすべきかは決まった。問題は移動手段だ。まだ時間は早いとは言えども夜のこと、バイクは近所迷惑だ。それに、敵にも動きが悟られやすい。そこは自転車も扱う深森輪業の店主のこと、自転車も用意できる。
暴走族たちは夜のしじまに紛れ、静かに自転車で町を巡り始めた。
誘拐犯たちは困り果てていた。上からの指示に従って子供を誘拐したところまではよかったのだが、驚愕の事実が明らかになったのだ。森中候補の姪だと思いこんでいた娘は、どうも別人のようなのだ。森中候補の妹は高宮家に嫁いでいる。つまりその姪も名字は高宮のはずだが、その娘は深森聖良と名乗った。念のため確認すると、やはり対立候補である深森候補の娘であった。
これは一体どういうことなのか。考えられるのはこうだ。森中候補は手強い対立候補である深森候補を引きずりおろすため、その娘を誘拐し脅迫しようとしていた。……彼らの常識で考えてしまうと、こんな答えが真っ先に出てきてしまうのである。
森中候補側もそんなことが発覚すればもちろんアウトだ。リスク覚悟でやっていたのだろうが、彼らが連れ去ってしまったことで森中候補には発覚のリスクがなくなった。彼らの立場では警察に知らせることはできない。むしろ、最大の証拠である子供がこちらの手中にあるのだ。実際そうだとは言え、どうみても誘拐犯は彼らである。
しかも。おまけで連れてきた男の子の方はよりにもよって刑事の息子、しかも女の子の友達だという。それにより、まず警察がグルである可能性が浮かび上がってきた。明らかに不良候補である深森候補を誅する為に警察も手段を選ばず手を貸したということだ。そして。友達である男の子と一緒にいたことで女の子は自分が誘拐されていたという事実に気付いていなかった可能性も高い。つまり、女の子にとっても誘拐犯は単純に彼らということになる。
このままでは森中候補の対立候補潰しに一役買ってしまう。しかも責任はこっち持ちだ。
そして、さらに悪いことがあるのだった。
飛鳥刑事と佐々木刑事は深森探偵がいるだろうと思われる場所にやってきた。塀に寄りかかる深森探偵らしき姿。
「おい、みもっさん」
佐々木刑事は声を掛けて手をぽんと置いた。反応はない。
「おい、みもっさん」
少し強めに揺さぶってみる。その体は力なくゆっくりと倒れた。
「こ、これは……!!」
息を飲む佐々木刑事。
「……ただのゴミ袋だな」
「だな」
しかし、話ではここに来ているはずなのだ。そして来ていればやっぱりゴミ袋に化けているはず。
いや待て。そういえば、ゴミ袋に化けているところをローズマリーたちに見つかって逃げてきたという話を聞いた。もしかしたら他のものに化けているのかもしれない。ひとまず横のゴミバケツを開けてみる佐々木刑事。何の変哲もない、ゴミの詰まったゴミバケツだった。
「ゴミに化けてるのがバレたのに、またゴミに化けたりはしないだろ」
「それもそうか」
その時、声がした。
「その声は刑事さんたちですかな」
「お。みもっさんだ」
声は塀の向こう、敷地内から聞こえる。飛鳥刑事と佐々木刑事は不用心にも半開きになった門の中に入っていった。
声がしたと思しき場所には水色のゴミ袋が置かれていた。まさかなとは思いながらも声をかけてみる。
「おい、みもっさん」
ゴミ袋はもぞもぞと動き、すっくと立ち上がった。
「ゴミだとバレたからゴミにはならないって話したところだってのに……変えたの色だけかよ」
「別なものに化けると言っても、そんなにすぐにアイディアもでませんし、準備もできませんや。だから色だけ変えてみました」
「連中の間に黒いゴミ袋だという話ひろまってりゃあいいが、ただゴミ袋とだけ広まってたら色なんか変えても何の意味もないんじゃ」
まじめに意見を述べる佐々木刑事。
「……まあ。そうかもしれませんな」
「まだ段ボールでもかぶった方がいいんじゃないですかね」
飛鳥刑事はそう提案した。
「ふむ。考えておきましょう」
「それより。ここは人の敷地なんですから勝手に入っちゃいけませんよ。不法侵入でしょっぴかなきゃならなくなる」
「いや、動きがあったもので、つい」
そう聞いて、佐々木刑事が口を挟んだ。
「動き?何の動きっすか?奴さん、ついに会社にホステスでも連れ込んだかい」
そうじゃないだろと心の中でつぶやく飛鳥刑事だが。
「……なるほど。冷静に考えればそういうことだとも考えられますな、あれは」
なくもないのかよ、と心の中で突っ込む飛鳥刑事。
「私はてっきり、モスラの幼虫が運び込まれたんだとばっかり」
一体何を見たのかさっぱり分からなくなった。
「どれだけ冷静さを失えばそんな発想が出るって言うんですか」
「いや、悪の組織だという話ですし。それならモスラを養蚕して世界征服とか」
「養蚕してせいふくって……シルクの制服ですか。ストーンは闇取引とか密輸出入中心の組織ですから、モスラを仕入れたなら自分たちでは使わずそれを使いそうな別な組織に横流しするでしょうね」
まじめに意見を述べる飛鳥刑事。佐々木刑事は思わずツッコむ。
「運び込んだのがモスラなのは確定なのか……?」
「まあ、モスラにしては小さいと思いました。ホステスと聞いてまだそっちの方がそれっぽいとは思いましたが……ホステスにしても小さいですかな。こう、両手で抱えておりましたし」
大物を釣り上げてその獲物を抱え記念写真を撮っている釣り人のようなポーズをする。
「んー?ちょっと待て。これって、ひょっとしないか」
何かに思い当たる飛鳥刑事。佐々木刑事も同じ事に思い当たったようである。
「ひょっとするな。深森探偵、その運び込まれた荷物って、ホステスじゃなくて子供じゃないすか?」
「ふむう。何分、布にくるまれておりましたから何とも言えませんが……。言われてみれば子供くらいの大きさだったかも知れません。私がモスラだと思ったのは、その形も芋虫めいていたのもそうですが不気味にくねくねと動いていたのを目にしたからでして」
どうやら、生き物だと言うことは間違いなさそうだ。
深森探偵に事情を説明した。
「つまり、運び込まれたのは攫われた聖良ちゃんと刑事殿のご子息かも知れない、と?」
「しかし、どうするよ。踏み込むにしても令状もねえぞ」
「令嬢なら中に連れ込まれているじゃありませんか」
「いや、洒落を言ってる場合じゃ。実際、運び込まれたのが子供かはっきりしちゃいねえ。布にくるまれてて中身が動いてたってだけじゃ、人じゃなくて大トカゲかも知れねえしな」
「要するに、この建物に踏み込む理由が欲しい。そういうことですな。それなら簡単ではないですか」
「何か手があるんですか」
飛鳥刑事は身を乗り出す。
「不審な中年男が建物の中に入っていくのが見えた。……いや。うろついていたので声をかけようとしたら建物の中に逃げ込んだ」
見るからに不審な中年男はそう提案した。
「なるほど。それなら不審者を探しているという名目で、中の連中に堂々と声までかけられますね」
「しかし、みもっさん。不審者呼ばわりしていいんですかい」
「なあに、いつものことです。別段怪しくもない人間相手でもベテランの勘などという理由で疑り声を掛けるのが警察の仕事ですからな」
どう考えても声を掛けられるのはその胡散臭さのせいだとは思うが、黙っておくことにした。
そんなわけで、忍び込んだ不審者役の深森探偵が建物の中に入り、少し遅れて飛鳥刑事と佐々木刑事も建物の中に入っていった。
誘拐犯たちにとっての困った事とは人質を連れ込んだ場所だった。急に決まった誘拐だ。それに砂島候補の為に決行したことでもある。スナイデル物流の建物を快く提供してもらったのはいいのだが、むしろこれで万が一人質の居場所がバレようものなら砂島候補は事件との関わりが取り沙汰されて出馬辞退はやむなし、それどころかしょっぴかれる恐れもある。
警察、特に森中一派が相手の時はこれまでもまさかの事態が起きてきた。警戒するに越したことはないのだ。特に、ターゲットだった森中候補の姪がいないとなれば尚更だ。対立候補の娘などどうなってもいい。危害が加えられれば選挙どころではなくなり、森中候補にとって願ったり叶ったりである。その野望の実現のためなら刑事も喜んで息子の命を捧げることだろう。……返す返すも、彼らの世間からズレた常識で考えるとこういうことになるのだ。
最悪の事態に備えて人質をどこかに連れていくことにした。本当はもうとっとと手放して逃がしたいのだが、上からの指示なしにそれはできないのだ。彼らも微妙に苦しい立場である。
閉じこめている地下室の扉を開けるエージェントたち。だがそこには人質の姿はなく、縛り上げるのに使っていたガムテープだけが残されていた。
大貴と聖良がこの場所に運び込まれて来た時にまで話は遡る。
エージェントたちは麻袋に押し込まれその上から縄で縛られた二人を担ぎ、スナイデル物流の事務所奥に運び込んだ。すっかり怯えておとなしくなっている聖良と違い、大貴の方はのべつくねくねと暴れており、担いでいてとても疲れる。
「頼むから。もうちょっと大人しくしてくれないかね。なあお願いだよ」
この物腰の弱さでちびっ子の大貴にまでナメられ、言うことを聞いてもらえないのだ。彼らは警察相手に銃撃戦を仕掛けたりもする武闘派メンバーと違い、肝も据わっていない。
とにかく、奥に運び込むまでの我慢である。運び込んでしまえば後は楽になるのだ。暴れる大貴は三人で交代しながら運ぶ。地下におり、二人を床におろすとエージェントたちは一様にほっとした。特に、おとなしいことをいいことにたった一人でここまで聖良を担がされてきたエージェントが。
この部屋はストーンの会議などが極秘で行われる隠し部屋だ。普段、スケベな社長がここを何に使っているかは各自の想像にお任せする。
二人を麻袋から引きずり出すと、そこにあったガムテープで手足を縛り直した。ここまで縛ってきたロープは荷物用の太いロープ、子供の細い手を縛るには少し太い。どういうわけか人を縛るのにちょうどいい太さと柔らかさのロープもここに用意はされているのだが、そもそも彼らは人をロープで縛ったことなどないのだ。いい加減な縛り方をして逃げられでもしたら大目玉である。目玉の一つ二つで済めばいい方である。楽で確実なガムテープを彼らが選んだのは当然なのだ。
「よし。森中の事務所に電話をかけるぞ。番号はわかるな」
「もちろんだ。俺がダイヤルを回すから後は頼むぞ」
エージェントの一人が受話器を取り上げ、押しつけてきた。
「俺はその、一人で運んで疲れた。ちょっと休むわ」
何かに使ってるベッドに横たわりながら言うエージェントの一人。
「俺は運転したし」
最後の一人のエージェントは明後日の方を向いている。
「うぐっ。し、仕方ないな。それじゃちょっと今から心の準備を」
「えっ。もうダイヤルしちまったぞ」
「なんだと。まだ心の準備が!……あー。ガ、ガキは預かった!無事に返して欲しければ出馬を辞退しろ!」
『なんだと!』
心の準備は出来ていなかったが、最初の掴みはバッチリな気がする。この調子だ。俺もやれば出来るじゃないか。
そのとき、後ろから声がした。
「つないでるスナイデル」
この場所をズバリと指し示す単語が出たので思わず電話を切ってしまうエージェント。坊主の方が言ったようだが、なぜそんなことを言い出したのか。……正面の壁を見ると、「明日へ、未来へ。経済と生活をつないでる、スナイデル。」と書かれたポスターと、「明日へ、未来へ。市政と市民をつないでる、スナイデル。」と書かれたポスターが並べて貼られていた。それの読みやすいひらがなカタカナだけの部分を読み上げただけのようだ。余計な物を貼ってくれたものである。
「おいおい、人質の声も聞かせずに電話を切ってどうすんだ」
寝転がりながら文句をつける、気楽なエージェント。
「す、すまん。つい」
「しょうがない、もう一回かけよう。ダイヤルは任せろ」
「俺は疲れてるから」
「俺は運転したし」
「分かった分かった。もたもたしてると逆探知の準備とかされちまう。早くかけちまおう。……その前に」
エージェントは大貴の口にガムテープを貼った。これで一安心だ。そもそも、この誘拐は女の子を森中候補の姪だと思って決行したのであって、最初から大貴はおまけだ。黙らせても何の問題もない。
そして、勘違いされている聖良に勘違いしているエージェントは言う。
「いいか、これからまた電話を掛けるから、俺の言う通りに言え。余計な事を言うと命の保証はねえからな」
その言葉に震えながら頷く聖良。実のところ、余計なことを言われて命の保証がないのはエージェントたちの方だったりするのだが、嘘は言っていない。
聖良は電話で自分たちの無事と、森中候補が出馬を辞退し明日の新聞にそのことがちゃんと書かれていれば自分たちが帰してもらえることを伝えた。
「よーし、いい子だ。命はひとまず助かるぞ」
エージェントたちの命のことであるのは言うまでもない。
「ところで、こっちの坊主はどこのガキだ?」
大貴の口は塞いでしまったので本人に聞くことはできない。エージェントは聖良に問いかけた。
「あすかだいきくんです。ようちえんのお友達です」
「そうか。嬢ちゃんの名前は?」
「みもりせいらです」
「ん?深森……?もしかして、あのヤンキー候補者……深森明良の娘か?」
「……はい」
「これは……どういうことだ?」
エージェントたちは一旦部屋の外で話し合うことにした。その中で、飛鳥大貴が恐らくだが刑事の息子じゃないかという話も出た。刑事の息子と、対立候補の娘。彼らの知っている少ない情報とずれた常識で間違った答えに行き着いてしまうのはご存じの通りだ。
間違っていても今の彼らにとってそれが結論なのだ。その結論に基づいて行動を起こす。
まずは上にこの事を知らせなければならない。電話が必要だ。本部と連絡するには専用の特別な電話機が必要である。その電話機は先ほど森中選挙事務所に掛けた電話機だ。特別な電話機は特別な部屋に置く。当然である。しかし、今は子供たちがいる。聞かれては困る電話をその部屋で掛けることはできない。
子供たちを別な部屋に移すより電話機を動かす方が簡単だ。使う回線そのものは通常の電話回線でいいので、上の事務所で使っている普通の電話機を外して取り付けてやればいい。エージェントは電話機を取りに来たついでにしばらく来なくなるこの部屋のドアノブに刺さったままの鍵を回して掛けた。
「ううう。わたしたち、どうなってしまうのでしょう……」
一人泣く聖良。横にいる大貴は身動きはもとより、ガムテープで口まで塞がれている。
「ぶはっ。くっそまずっ」
その大貴が声を発した。
「まあ。どうやってテープを外したんです?」
「ベロベロなめまくってやったさ。まだ口の中が苦いぜ」
唾を吐く大貴。
「大貴くん。私たち、大丈夫ですよね?こ、殺されたりなんか、しませんよね?」
話し相手が出来ただけでも聖良の不安はだいぶ収まった。
「大丈夫だ。誘拐ってのは相手に返してほしければ何かと引き替えだって取り引きするためにするもんだ。殺したら取り引きできないからな。この犯人は森中のおっちゃんに選挙に出るなって言ってたし、明日の新聞にそのことが載ったら返すとも言ってた。明日の朝までは手出ししないはずさ」
「森中のおじさまが辞退すれば私たちは帰れると言うことですわね」
「いや。そうとも限らないさ。新聞にその……じたい?って奴が載っちまえばもう取り返しがつかないんだろ。あいつらがどういう奴らかわからないけど、あくどい奴だったら新聞に載ったのを見届けたら用済みの人質は口封じも兼ねて殺すね」
金銭が目的であれば、受け渡しの時に人質が生きていないのは非常にまずい。だが、こういう取引であれば要求が履行されたのを見計らい人質を殺してしまっても困らない。むしろ、人質受け渡しのリスクを回避できる。
「ううう。そんなぁ」
だが、そんなことは取引する側にも分かることだ。要求を呑んだところで人質が帰ってくる保証がないのであれば。
「この場合、新聞への掲載が間に合わなかったと一日延ばしてその間に犯人の割り出しと人質の救出をするのがいいと思うな。父ちゃんなら多分そうする」
「じゃあ、すぐにどうにかなっちゃうことはないのですわね。助けなら……必ず来るはずですわ。だって、私はセーラ姫ですもの。囚われた姫は助けられるものと相場が決まってますわ」
もうそれどころではないと思っていたが、まだその設定は生きていたようだ。普段姫を助けている自分がこのザマではあるが。そして自分も助けてほしいが、今の話だと姫ではない自分が助けてもらえるかどうかはとても怪しい。
それに、大貴はこのままおとなしく助けられるのを待つつもりはなかった。この状況を何とかしないとならない切羽詰まった状況があるのだ。
「とりあえず、今の状況を冷静に考えると、しばらく犯人たちはここに来ないと思う」
「え?なぜです?」
「さっき、犯人が部屋を出るとき鍵を掛けていっただろ?その前に全員でちょっと部屋を出て行った時はそんなことはしなかったのに。これは鍵を掛けておかなきゃならない状況になったってことさ」
「あ、そっか!お留守にするってことですわね!」
「そういうことさ。これはチャンスであり……俺にはちょっとピンチでもある」
「?……なにがピンチなんです?」
「いや、大したことじゃない。それより、このチャンスを生かすことを考えるんだ。深森、足は動かせるか?」
「うん。少しだけなら」
足先をくいくいと動かす聖良。二人は後ろ手に手首と足首を縛られて床に座らされている。椅子に縛り付けられたりはしていないので割と動けるのだ。
この状態だと手で何かをするのは難しい。大貴は冷静に考える。足で、何ができるか。
「……よし。深森、まずは俺の服をずりあげて足を背中に当てるんだ」
大貴はずりずりと聖良の前に移動し、背中を向けて座った。
「泥が付いてしまいます」
「構わねえ。それどころじゃないからな」
聖良は言われた通りにした。
「そう。そしてそのまま足を下に」
「で、でも。それだと大貴君のズボンが……」
「ああ、そうだ。それに、パンツもだ」
流石に躊躇する聖良。
「そ、そんな。いやですわ!……で、でも。助かるため……なのですわね?」
「……ああ。そうだ、助かるんだ」
「わ……わかりましたわ」
聖良は大貴のズボンとパンツをずりおろした。半ケツが出る。その調子だ。だが、まだ足りない。
「そのまま、踵でズボンをしっかり押さえててくれ!」
このままではこれ以上は無理だ。大貴は体を倒し這いずる。尻は見事に丸出しだ。
「い、いやですわ……」
大貴は振り向く。聖良と目が合った。
「いやとか言いながらバッチリ見てんじゃねー!横見てろっ」
「そ、そうですわね」
聖良が横を向いたのを見届け、大貴は一気にズボンとパンツをずり下ろす。
「……よし、もう足を離して大丈夫だ!」
聖良は足を離すと大貴から離れるように部屋の隅まで後ずさった。大貴もそれに背を向けたまま聖良とは逆の隅に這っていく。
そして。
「……ふう。スッキリ」
「……」
非常に切羽詰まっていたのだ。我慢の限界ぎりぎりだったのだ。あと一歩で漏れそうだったのである。
「深森。……助かったぜ!」
そう、ある意味助かったのである。
「サイテーですわ」
なんと言われようと構わない。何もしなければもっと酷い目で見られかねない事態が起こっていたに違いないのだ。
「うおっ」
黄金の魔の手が、ゆっくりと大貴に向かって流れ始めた。せっかくズボンが汚れないようにしたのに、これを食らっては元の木阿弥にも程がある。大貴は遠ざかった。
そして、その迫り来る黄金の奔流を見つめているうちに、一つの考えが脳裏に浮かぶ。そうだ、これならば。
大貴はごろりと体の向きを変え、動きが止まりつつある奔流に背を向けた。後ろにいた聖良と目が合う。顔が向かい合うと言うことは、体もそちらに向いているということだ。
「きゃあ」
「ぎゃあ。こっち見んな、横向いてろ!」
「そ、そうですわね」
大貴はしばらくそのままごそごそとやっていたが、程なく。
「よっし、手が自由になったぞ!」
大貴は起き上がり手を振り上げた。口に貼られたガムテープを舐め回して剥がしたときと原理は同じだ。手に貼り巻き付けられたガムテープを、手元にあった液体を利用してふやかして剥がしたのである。いい感じというか嫌な感じに生温かい液体のおかげで、ガムテープの糊がふやけるのも早い。
「えっ。まあ!すばらしい……ですわ」
こちらを見た聖良の顔が、少しずつ下がる。まず大貴がすべきことは、パンツとズボンを上げることようである。
ひとまず犯人たちが飲んでいたお茶の残りで手を洗い、聖良も自由にしてやる。
「まさか……本当にパンツをおろして助かるとは思いませんでしたわ」
最初は自分のズボンとパンツだけ助けてやりたい一心だったが、たまたまとは言えこうして自由を手に入れることは出来た。
「まだ助かったとは言えねーよ。どうにかここを抜け出して、無事に家に帰らないとな。よく言うだろ、おうちに帰るまでが……あれ、なんだっけ」
「それ、遠足ですわね」
「そ、そっか。遠足じゃないな、楽しくないし。とにかくだ。まずはこの部屋をどうやって抜け出すか、だな」
この部屋は見渡してみても窓はない。
「窓はない……そしてただ一つの出入り口だろうドアにも鍵が掛か……って……」
ドアを調べ始めた大貴はとんでもないことに気付いた。俺はとんでもない思い違いをしていたんだ。
このドアは外から鍵を掛けられている。だから自分たちはこの部屋に閉じこめられている。だが、そうではなかった。このドアの錠は、外から鍵を使って掛けられた。よくある、部屋の鍵である。外から開け閉めするには鍵が必要である。中からは……ノブ一つで簡単に開くのだ。
大貴は第二の関門である、いや関門だと思いこんでいただけなのかもしれないそのドアを簡単に開いた。少なくとも、このドアの鍵は二人を閉じこめるには何の役にも立たない。外からやってくる何者かを阻止するために鍵を掛けたのか。いっそ、部屋を離れるに当たって最初に開けた鍵をちゃんと閉め直しただけなのかもしれない。なんにせよ、鍵を掛けるに当たり深く考えてはいないのだろう。
大貴がドアを振り返ると、把手には鍵が刺しっぱなしになっていた。このままでは外からきた何者かにも開け放題である。本当になんにも考えていないのであった。
大貴は何となく、ドアをロックして鍵を引っこ抜いておくのだった。
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