Hot-blooded inspector Asuka

Episode 7-『Return back』

第11話 水泡と帰す努力


 この夜もまた大したことが起こらないまま明けていった。もちろん平和なのは喜ぶべきことだが、気合が空回ってしまう警察としてはこの気持ちのぶつけ所が欲しい。
 ローズマリーが現れないので昨夜はパトカーも余っていた。相変わらず交通課員の手も開いており、そのパトカーで市内鬼ごっこを始めた。パトカーが走り回っている状況では泥棒はなりを潜める。とんだとばっちりで泥棒にとって不遇の状況が続いていたのだ。
 この調子では交通課の鬼ごっこに刑事課二係も混ぜてもらう事態も起こりかねない。まあ、平和なのはいいことだ。
 そして、静かな夜は調査の名目でお姉ちゃんと酒を飲んでいた佐々木刑事たちの楽しみを妨げることもなかった。
「昨日はどうだったんだ」
 飛鳥刑事はいかにも昨夜のことを話しそうに近付いてきた佐々木刑事に尋ねた。
「全体的に顔はぱっとしないのは前情報の通りだったがな。その分トークなんかのサービスで喜ばせようって気合いを感じてなかなか楽しめるひとときだったぜ。また行きたいかどうかなら行きたい部類だ。どうだ、今度一緒に行くか。もちろん上司であるお前のおごりで」
「行くなら割り勘にしようや、なあセンパイ」
「いいじゃん、給料いっぱいもらってんだろ、巡査部長サマよぉ」
「そのうちのいくらが俺の小遣いだと思う?自由になる金は独身貴族にゃあ逆立ちしたってかなわないさ」
「そのうちのいくらが口説いた女のご機嫌取りに消えると思う?……やれやれ、おごってもらうのは無理そうだな。独身の上司を誘うことにするよ」
「そんなことより、俺が聞きたいのはそんなことじゃないんだ。分かるだろ」
 佐々木刑事も、ただお姉ちゃんと楽しく酒を飲むためだけに店に行ったわけではない。……はずだ。ちゃんと、本来の目的を覚えていてくれていれば。
「砂オヤジに黒い噂はあったかってことか。その点に関しちゃあ、残念でした。まあ、バレちゃヤバいようなまずい話はおねえちゃんを侍らせてやるもんじゃねぇしな」
「表向きはさすがに清廉潔白か」
 結局、お姉ちゃんと楽しく酒を飲んだだけの成果だったということか。
「そうでもねえけどよ」
 そう言うと佐々木刑事はくわえていた煙草に火をつけた。
「ん?何かグレーな感じの話でも出てたか?」
「世の中、白か黒だけのモノトーンじゃねぇぜ。テレビもカラーになっただろ」
「いつの時代の話だよ。……で、何色だ?血の赤か?同じ赤でも共産主義か?」
 あるいは、炎の赤か。……飛鳥刑事も煙草を取り出し、その先端を紅に染める。
「そいつにちょっとホワイトを垂らしてやりな。さあ、何色だ?」
「……そっち関係の話か」
「ピンクい気持ちで行く店だぜ?出てくる話題もピンクまみれさ。やっこさん、社長だけあって金回りもよくて、おねだりすりゃあ何でも買ってくれるって評判でな。ただし、相応の対価は必要だ。おピンクな……な。1万円くらいまでなら服も脱がずにすませられる要求だが、値段につれて変態度が増していき、際限がねえ。中にゃあ車を買ってもらった猛者もいるが、そいつが何をさせられたか……聞きたいか?」
「いや、やめとくよ。そんな話してるのをほかの署員に聞かれたら俺が変態にされる」
「そうかい。まあ、あの砂オヤジの本性はそんな感じさ」
 極めてどうでもいい本性だった。
「しかし、第三者にそんな話をほいほいばらすホステスもどうかと思うぞ。変態でも上客なんだろ、言い触らしたのが知れたら来てくれなくなるだろ」
「それなら、ほかの客がいるときに何々が欲しいならこうしろみたいな話をでかい声でしてるから平気だろってよ。一応そういう店じゃないってことになってるから店の中じゃやだもーとか言ってその話は終わったようなフリをしてるが、会計のあとに本交渉さ。それはともかく、常連客の間じゃやっこさんの変態ぶりはとっくにお馴染みでな。立候補してからは流石にお店にゃ顔を出さなくなってるが、ホステスのところにはエロ電話が掛かってくるらしいぜ」
「しかしまあ……もっとましな候補を立てられなかったのかね」
 そうしてくれれば、朝っぱらから下品な話を聞かされずに済んだのだが。
「一番黒くなかったってことだろ。黒い噂よりピンクの方がましってな」
「やれやれ……としか言いようがないな」
「みもっさんはさらに調査を続行するそうだ。続報に期待だな」
 変態話以外に、何か得られるものはあるのだろうか。
「別に聞きたくもないな……」
 飛鳥刑事は心からそう思うのであった。

 ストーンでは、そんなピンクな一面を暴かれた砂島候補を勝たせるための地道な努力が続いている。だが、いくら地味な努力を積み重ねたところで、地元の名士である森中候補に勝つことは到底叶わない。ストーンは犯罪組織。卑劣でせせこましい程度の努力で我慢する必要などないのだ。
 うまくいけば一撃必勝の秘策が、動き始めようとしている。

「ここで女の子と遊べるって聞いてついてきたんだけど?」
 佐々木刑事が入るなり目の前の女性に話しかけたのは、森中候補の選挙事務所でのことだ。女性はもちろん、いつも通りそこで番をしている小百合だ。呆れ顔で佐々木刑事に答える。
「それを信じてホイホイ現れたんですか?」
「場所が場所だぜ?まともに遊べると思っちゃいねえさ
「どちらかというと……まともな遊びをしてもらうことになると思うわよ。その、ちっちゃい女の子とね」
「佐々木のおじさま、お久しぶりですわ」
 聖良はにこやかにあいさつした。
「お兄さま、な」
 女性を口説くときと同じスマイルで聖良に語り掛ける佐々木刑事。
「黙れオッサン」
 鋭い飛鳥刑事の一言に、すかさず反撃が。
「童顔だから若く見えることをいいことに……言ってくれるじゃあねえか。このとっちゃん坊やめ」
 飛鳥刑事は少なからずダメージを受けた。
「はいはい、教育に悪い喧嘩は署か現場でお願いね。それじゃあ、とりあえず聖良ちゃん……遊びじゃセーラ姫ってことになってるけど、この子をさらった悪者として大貴と戦ってくださいな」
 大貴の長ったらしい役名は割愛されたようだ。
「……なんか、女の子と遊んでるというより男の子と遊んでるよなそれ」
「女の子を侍らせながら男の子と遊ぶ……。そう言い換えたほうが良かったかもしれないな。まあ、気にしないことだ」
「えーとえーと。ナンパのおじさんだから……難破船でであった宇宙海賊!」
 大貴は佐々木刑事の設定を決めたようだ。
「お兄さんな……ってちょっと待て。俺、ナンパのおじさんってことになってるのか。お前らどういう話をしてるんだ」
 飛鳥夫妻に顔を向ける佐々木刑事。二人はそっぽを向いた。
「俺は知らん」
「あたしも知らないわ」
「日頃のお前を見て純粋な心で庸二をナンパのおじさんだと記憶したってことだ。甘んじて受け入れろ」
「なんて野郎だ。……どうやらこの戦い、受けねえと俺のメンツが立たねぇようだぜ。いいぜ、掛かってきな!」
 佐々木刑事はいかにも悪役っぽいポーズを取った。
「よーし!姫を返せ、宇宙海賊!」
「ちょっと待て。せっかく海賊なら海賊っぽくしたほうがいいな。えーと、そうだ、頭にタオルを巻くと海賊っぽい感じに……」
「それは海賊でも下っ端じゃないか?変なことをしなくてもお前はそのままで十分賊っぽいから安心しろ」
「なんだと。……まあ、言われてみりゃその通りのような気もするし、それはいい。とりあえず海賊っぽくするために名前くらいは何とかするか。……フック船長っていうのがいたな。それをもじって……ファ○ク船長っていうのはどうだ」
「お前にはぴったりだが、子供の遊びで使う名前じゃない」
「早く襲ってきてよー!」
 大貴が焦れ始めた。ひとまず、ファ○クは聞き流してくれたようだ。
「はいはい。……お前を宇宙の藻屑に変えてやる!くらえパイレーツ・パンチ……略したらえらいことになるぜ!」
「なぜ子供の遊びにこまめに下ネタを混ぜ込むんだ、お前は。そんなことより小百合。宇宙の藻屑と聞いてモズクが食べたくなった。スーパー、まだあいてるよな」
「毛の話をしてる時にモズクの話をしないでよ」
 確かに、毛を剃るような言葉が危うく出そうになったところではあるが。剃った部分のことよりも、剃られた毛の方を想像する飛鳥刑事。
「……ああ、別にいいやモズク」
 余裕綽々の宇宙海賊と外野のどうでもいいやり取りを尻目に大貴の反撃が始まる。
「行くぞ、ダイキック!」
 突進する大貴。
「その手は食わねぇ、くらえパイレーツ・クロー!」
 大貴のオデコをアイアンクローで押さえつける佐々木刑事。大貴の足が空回りし始める。基本直進しかできず簡単に止まれない、大貴の弱点を知り尽くした対応だ。この技を何とかしない限り大貴に勝ち目はない。意外と手強い相手になりそうだ。
「ぬおおおおおお!負けるものかああああああ!」
 大貴の足の勢いは止まらない。もちろん、空回りだ。よく見ると、畳の目と足の動きが平行になっている。これはとても、空回りするのにお誂え向きだ。
「がんばって宇宙刑事ダイナマイトファイナル大貴ギャラクシー!愛の力を思い出して!」
「あ、愛!?」
 セーラ姫の声援を受ける大貴だが、愛のことを持ち出されるとパワーダウンすることに聖良は気付いていないようだ。
「昨日と名前が違うな」
「適当につけてる長ったらしい名前なんて、いちいち覚えてらんないでしょ。日々パワーアップして、それで名前も変わってることになってるのよ」
 とりあえず、宇宙刑事と大貴が入っていれば何でもいいらしい。
「はっ。愛だと?しゃらくせえ。……いいか、愛なんてもんは幻想だぜ。所詮、そこに存在しているものは汚れきった欲望だけさ」
 悪役らしいセリフだし、佐々木刑事が言うと含蓄がある。そして、愛についてなので大貴としてはコメントしにくいらしく、口を挿まずただひたすら突進を続けるのみだ。代わりに、聖良が発言する。
「愛は心と心をつなぐ素晴らしいものですわ!さあ、宇宙刑事ダイナマイトファイナル大貴ギャラクシー、愛の力を受け取って!」
 何かを投げつける動作をする聖良。また大貴がパワーダウンしそうだが、宇宙海賊はその手を空いている手で受け止めた。
「おおっと、男の勝負に女の口出しは禁物だぜ。高みの見物でもしてなぁ!」
 佐々木刑事は聖良の腰に手を回し、そのまま肩の上に担ぎ上げた。聖良は短く悲鳴を上げ、佐々木刑事の頭にしがみつく。
「私のことなど気にしないで!覚悟はできていますわ!」
「しかし、姫が死んでは世界が!」
 いつか聞いたようなやり取りをする二人。
「命は奪わねえ。奪うのはお前さ。しっかり俺好みに育てて妾にしてやるぜ」
 またしても子供の遊びにそぐわない発言をする佐々木刑事。連れてきたのは失敗だったか。
「父ちゃん。めかけってなんだ?」
 大貴が動きを止めて問いかけてきた。
「子供は知らなくていいことだ。さあ、何事もなかったように続けなさい」
 何事もなかったように足を空回りさせ始める大貴。
「なあ、姫。俺について来れば色とりどりの財宝に埋もれながら海賊船で宇宙中をクルーズする日々が待ってるぜ。どうだい、俺と一緒に銀河の果てを見てみないか」
「まあ、素敵ですわ」
「大人しく攫われちまいな。こんな甲斐性のないお子ちゃまなんかとより、ずっとファンタスティックな日々を送れるぜ」
 昨日はヒデオサンダーに大貴が唆されかかっていたが、今日はセーラ姫が誘惑される日のようだ。
「ああ、でも。宇宙刑事ダイナマイトファイナル大貴ギャラクシー、このままでは愛のパワーが揺らいでしまいそうですわ!」
 どうやら、口説かれていい気分になってきたらしい。
「けっけっけ、そうだ、この程度の誘惑で揺らぎ、壊れてしまうものが愛だ!所詮は欲望を美化するための幻想なんだよ!お前も欲望の赴くままに生きてみろよ、楽になるぜぇ……?」
「欲望だと……!?食欲とかか!……そういえば……腹減ってきた」
 このくらいの年頃だと、一番の欲望はやっぱりそれか。
「よし大貴。欲望のままに戦え、その勝利の果てに……温かい飯が待っているぞ!」
「う、うおおおおおおおお!やってやるぜええええええ!」
 愛をかなぐり捨て、欲望に目覚めることで真の力を発揮する大貴。空回りがスピードアップする。佐々木刑事は大貴の体をくるっと回した。明日はどっちだ、そっちは明後日だ。明後日の方向の壁に突進する大貴。壁にぶつかって一度はひっくり返る大貴だが、すぐに立ち上がって佐々木刑事に突進する。
「くらえ、スーパーファイナルダイキックスペシャル!」
 ファイナルな必殺技が決まった。とりあえず聖良を下に置いてから、佐々木刑事は身悶え、苦しみ、崩れ落ちた。
「俺は倒せたが……愛は消えたぞ!さあ、これからどうする……?」
「愛は……愛は不滅ですわ!……ねえ?」
 大貴に問いかける聖良。
「お、おう」
 とりあえず、適当な返答でお茶を濁す大貴。
「気付いているはずだぜ。俺を倒した力は愛の力じゃねえ、欲望さ。お前は俺に勝ったが、欲望に負けたのさ!」
「嘘だそんなことッ……!」
 ノリで言い返す大貴だが、確かに食欲に負けていたと思う。
「さあ、その調子で姫を欲望のままに奪い取っちまいな!心も、体も……ぶべっ」
 佐々木刑事を小突く飛鳥刑事。
「そういうことを吹き込むのはあと10年経ってからにしろ」
「ちっ。わーったよ」
 ひとまず、子供の遊びはここで終わりだ。飛鳥刑事は今回のことを振り返る。
「結局、終わってみれば完全にナンパのおじちゃんだったな」
「くっ。俺としたことがちびっこ相手にマジになっちまったぜ……」
「聖良ちゃん。今日のことはパパにはあまり言わないほうがいいぞ。宇宙海賊のおじちゃんがヒーローより恐ろしいものと戦わなければならなくなるからな」
「私を巡って戦いが起きるなんて女冥利に尽きますわね。……でも、黙っておいてあげますわ」
 飛鳥刑事は思う。これは言うだろうな、と。
「軍曹さんがお見えになるまでまだ少し時間がありそうね」
 時計を見ながら小百合が言う。いつのまにか軍曹がうつっているようだ。そして、佐々木刑事も特に何の疑問も抱かず誰のことかを察する。
「母ちゃん、おなかへったよー」
 いつもを遥かに超える足の空回りぶりに加え、愛を持ち出されて頭の中でも相当な空回りが起こり、エネルギーを消費してしまったようだ。
「聖良ちゃんは俺が面倒見てやるから、お前らは心置きなく帰りな」
「そうさせてもらおうか。……今夜は何の用もないのか?」
「ああ、残念ながら……な」
「庸二のジゴロぶりも近頃じゃすっかりなりを潜めたな。そろそろ身を固める準備をしたらどうだ」
「そのためにも昇進試験は受かっておきたかったんだがな」
 この気構えでは昇進は先ではなかろうか。
「まあいい。聖良ちゃんに手を出すなよ」
「出すかよ。……しょうがねえ。父ちゃん来るまで何して遊ぶ?トランプか?しりとりがいいか?」
「おままごとでもして家庭を持った時のシミュレーションでもしたらどうだ」
「あのさ。俺、一応同棲までなら経験あるんだけど」
「つまり、これまではそこまで行っておいて失敗してるわけだろ。改めて根本を見直せ」
「だめよー。佐々木刑事じゃ夜の生活なしの同居生活なんて不可能だもの」
「あのなぁ。俺だってガキンチョ相手にそこまでするほど飢えてないわ。お前らの発言のほうが聖良ちゃんの教育に悪いぞ、ほれほれ、散れ散れ」
 追い出される飛鳥刑事。まあ、いろいろと茶化しはしたが別に心配することはない。安心して佐々木刑事に任せて帰ることにしよう。

 朝から、バイクの大集団が道を駆け抜けていく。法定速度を守りながら、そして先頭には深森候補の選挙カー。もはやすっかりおなじみの光景になってしまっている。
 見た感じはかなり怖い集団ではあるのだが、それほど邪魔にも迷惑にもなってはいない。何より夜中に暴走されるよりは遥かにマシだ。夜毎暴走するバイクの騒音に悩まされてきた沿道の住民にとって、これほどありがたいことはない。そして、それ以上に喜んでいるのは走り回っている連中の親達だ。更生の道を歩んでいるのだと信じ、深森候補に感謝の言葉もないほどだ。
 だが、そのように直接的に恩恵を受けているわけではない住民たちはそれを訝しげに見るばかりだ。選挙が終われば元通りになるかもしれないし、そもそもこんな不良の親玉を市長に祭り上げてまともな政治が行われるとは到底思えない。
 しかし、沿道の住民、そして若者や親世代からの人気は確実に上がってきている。色物の泡沫候補だろうと高を括っていた人々も、流石に無視できなくなってきていた。
 その一方で、この風潮に密かに笑みを浮かべる者たちがいた。ストーンである。
 ストーンとしては、この選挙は森中候補と砂島候補の一騎打ちになるだろうと踏んでいた。だが、そこに深森候補人気が巻き起こったことで、ストーンとしては有利な状況が生まれたことになる。ほぼ一強であった森中候補の票が深森候補に流れることになれば、固定票を武器に戦う砂島候補には追い風となる。
 そして。ストーンには逆転の秘策があるのだ。大勝も夢ではない。ストーンでの士気は高まってゆく……。

 ついにこの日がやってきた。いまさら言うまでもなく、市長選の投票日である。
 ここまで来ると、もはやできることは何もない。人事を尽くして天命を待つのみだ。
 しかし、森中候補の事務所に緊迫感はなかった。普通に考えれば、負ける選挙ではない。余裕綽々である。裏で何が動いているかなど、知る由もない。
 そして。裏でひそかに動いていたものが姿を現す。
 その予兆は、投票所に赴いた人々の目に飛び込んできた。そこには、普段の選挙ではありえない光景があったのだ。
 投票待ちの、長蛇の列。市街地の投票所は混み合うことも珍しくはない。だが、今回の選挙ではそれにしても異常な混み方だった。
 原因の一つは深森候補の存在であった。明らかにろくでもなさそうであるのに、若年層を中心に高い支持を得ている。そしてそれは沿道の住人や親世代にも渡る。未成年者の人気など高くても選挙に何の関係もないのだが、その少し上の世代には選挙権もあり、普段なら絶対に選挙に行かない彼らの票が深森候補に入ることになるだろう。現に、投票所には若者の姿もちらほらある。
 そして、そんな一部からの深森候補人気を見た市民が、まかり間違って深森候補が当選してしまっては取り返しがつかないと危機感を抱き始めた。日頃市政になど興味のない市民も、とりあえず投票しておこうと重い腰を上げたのだ。
 原因のもう一つ。それこそが、姿を現したストーンの秘策であった。秘策というくらいだ。密かに事を進め、密かに結果をもぎ取る。そのつもりだった。それが、姿を現してしまったのだ。
 異変に気付いたのは投票所の係員だ。有権者から入場券を受け取り、照合を行う。その時、おかしなことに気が付いた。すでに投票が終わっているはずの人が、入場券を持ってもう一度投票所にやってきていたのだ。
 たまにはこんな手違いもあるさとのんびり構えていたのも最初だけ、同じようなことが次々と起こり、投票所は混乱し始めた。そして、驚くべきことに同じようなことが方々の投票所で起こっていたのである。
 昼を待たずに投票は打ち切られ、後日再選挙という事態になった。そんなことになった原因こそ、ストーンの秘策であった。
 話は数日前に遡る。ローズマリーが選挙管理事務所から密かに過去の入場者名簿のコピーを盗み出した一件だ。
 ストーンは、過去数回分の選挙で一度たりとも投票に訪れていない人物をピックアップした。結構な人数である。過去の選挙では、これだけの数の票が投票されることなく水泡と化したのだ。ストーンの目的は、それらの票の有効利用である。彼らが投票しないというなら、代わりに投票してあげようというのだ。むろん、投票する候補者は砂島候補である。
 本人の投票券を盗み出して使えれば一番確実なのだが、数の面でもそれは無理というもの。だからこそ、過去数回投票していない人物をピックアップしたのだ。そして偽物の投票券を作成し、ストーン構成員などを使って投票させる。
 投票所の係員の知人の名前を騙り発覚することを恐れ、投票所の係員一人一人に事前にローズマリーが催眠をかけ、面識のある人物を聞き出して外していくという念まで入れた。万が一にも発覚などしようものか。
 だが、してしまったのだ。なぜそんなことになったのか。言うまでもなく、深森候補のせいで日頃投票しなかった人物が投票したからである。成人してから一度も投票などしなかった若者や沿道の市民、そして彼らの思い通りになどさせるかと立ち上がった中高年。初めての投票、あるいは久々の投票。斯くして、普通なら眠ったまま使われないはずの投票券は使われ、偽物とダブったのだ。
 ストーンにとって幸いだったのは早い段階で異常事態が発覚し、露骨に砂島候補が優勢になったりする前に投票が打ち切られたことだ。おかげで、それがストーンの仕業だと気づかれることはなく、選挙管理委員会の手違いということで片付けられた。
 そして、戦いはまさかの延長戦に縺れ込むことになったのである。

 飛鳥刑事もまた、のんびりと一家で投票所に出かけたところでその事態を知った。すでに投票は打ち切られ、入口にはその旨を口頭で説明する係員の姿があった。
「なんかおかしなことになってるわねぇ」
「相変わらず、この町の行政は緩いよなぁ。……公務員のセリフじゃあないが」
 追い返された飛鳥刑事たちは、ひとまず森中候補の事務所に向かうことにした。事務所では森中候補がキリストだるまに目を入れる用意を整えていた。しかし、このだるまに目が入るのは少なくとももう少し先になりそうだ。
「もちろん、話は聞いているよ。まったく、私の晴れ舞台にとんだケチをつけてくれたものだ。再投票は一週間後になるそうだよ」
 さすが、候補者には真っ先に詳しい事情の説明があったようだ。詳しい事情までは聞かずにここに来た飛鳥刑事たちは、ここで子細を聞く。
「投票券がダブるとは。でもなんでそんなことに?そもそも、同じものが2通来たからと言って2回投票する人なんてそんなにいないでしょうに」
「同じ人が2回来たわけじゃなくて、同じ入場券を持った人が二人いた、という事らしいね。どんな手違いがあったのかまでは選挙実行委員会も突き止められていないが、ワープロ印刷の小さな文字なんかお年寄りはよく見えないからちゃんと確認しないことも多いだろうし、若い人だって封筒の表に自分の住所と名前が書いてあれば中身の名前まではちゃんと確認しないこともあるだろう。それで、手違いでダブって印刷してしまった入場券が手違いで別な人に送られ、そのまま使われようとしてこんなことになったんじゃないのかな」
「ふむう。中途半端に機械なんか使うからこんなことになるんですな。やっぱり、こういったものはしっかりと手書きで真心を込めて書き上げるべきなのですよ」
「でも、そうすると時間と人手が必要になって税金の無駄よねぇ。それに、手書きだと書く人の字がちゃんと読み取れるかどうかってのも問題よ。あなたみたいな雑な字じゃ、名前が読めなくて同じことが起こるんじゃないの」
「君はまだ若いんだ。そんな時代に逆らうようなことを言っていると取り残されるぞ」
 飛鳥刑事の意見はピンポンのボールのごとく叩きまわされた。
「……それで。選挙はどうなるんですかね」
「来週再投票らしいが……さすがに勝ち目がないことを悟った泡沫候補には辞退する人もいるようだね。継続するのは私と深森くん、そしてピエとろの店主も残るらしい。それと……やはり砂島候補も残るんだろう」
「ほう。頂上決戦といった感じですな。……そこに昭良が入ってるのが複雑な気分ですが」
「警察と暴走族、そして秘密組織……。なかなかに熱い戦いになってきたじゃないか。最後には正義が勝つことを見せつけてやるがね、はっはっは」
「案外、食欲が最後に勝つかもしれませんけどね。もう、女の人なら投票しちゃうわよぉ、ピエとろ」
 そちらも、案外伏兵だったりするのだろうか。
「さとうとケーキ、どうせ甘いものなら甘いだけのさとうよりいろんなおいしさの詰まったケーキに決まってるわ」
 その言葉で砂島候補くらいには勝ちそうな気がしてきた。

 ストーンもまた、選挙管理委員会を超える混乱ぶりに見舞われていた。
 ローズマリーまで引っ張り出し、大量の構成員を送り込んで決行した秘策が、あっという間にバレて選挙がやり直しになってしまった。もう同じ手は使えない。
 さらに、残った候補も最悪だ。森中候補は言わずもがな、深森候補の存在で浮動票は森中候補に流れる傾向が顕著だし、何よりも最悪なのはいしいいわお候補が残っていることだ。
 漢字表記であれば甃井五輪男とストーンとの関係が薄そうに見えるのだが、とにかく『いしいいわお』と書かれてしまうと『さとう研一』よりもずっとストーンの擁立候補らしく見えてしまう。
 事前にストーンが候補を擁立することくらいは知らせてあったが、ここまで紛らわしい名前が出ることは想定していない。そして、市内各地に散らばった構成員たちは、日頃普通の市民として忙しく働き、夜は夜で潜んでしまうことが多く、急に連絡がつけにくい。告示日からの1週間でも連絡がつけられなかった構成員は多い。そのうち、どのくらいが自分の投票すべき候補をいしいいわおだと思っていることか。
 時間がもう1週間増えたことで周知徹底は進むだろうが、構成員がすべて砂島候補に投票したところで、森中候補に勝てるかどうかは怪しい。それどころか、ほかの二人にすら手こずりそうな気がしてならない。
 1週間で大逆転の秘策を見つけ出さねばならない。ストーン首脳陣は頭を抱えて机にこすりつけるばかりだった。

 その、前の日。大貴が宇宙海賊と激戦を繰り広げていたまさにその時。
 夕闇忍び寄る街を闊歩する、怪しくそして怪しい女。ローズマリーだ。ストーンから頼まれていたお手伝いも片付き、久々に本業のほうにも手を出そうと物色していた。
 実入りのいい宝石店は時折狙うこともあるが、警備も厳重だし自分の手口にはあまり合わない。やはり、個人所有の高級品を騙し取るのが向いている。ローズマリーの足は、高級住宅街に向いた。
 邸宅の呼び鈴を鳴らし、出てきた家人と話を始める。
「わたくし、高級安眠枕の訪問販売をしておりますの。ご主人、お仕事のほうはいかがかしら?良い仕事は良い睡眠から。まずは一晩、この枕でおやすみになってくださいな」
「……生憎、枕が変わると眠れないものでね」
「あらあら。それでしたらむしろうってつけ。この枕などは、見ているだけで眠くなってしまうほどの安眠効果がありますのよ。ほぉら、お眠りなさいな……」
 催眠術の出番だ。家人はあっさりと催眠にかかり、枕の代金としてこの家にある最も高価なものを差し出すことを了承した。
「これが私の自慢の一品、黄金の甲冑です!さあ、お納めください!安らかなる眠りに乾杯!」
「……ちょっと待っておくれ。さすがに、お納めするにはこの一品は重過ぎるんだよねぇ。……この次に高価な品は何だい」
「これなど、伝説の三種の神器……カラーテレビ!もちろん、冷蔵庫・洗濯機もあります!」
「もっと重いじゃないか。そもそもカラーテレビなら、クーラーとカーで3Cの時代だろ。……もっとお納めしやすい宝石とか、小ぶりの美術品とかはないのかい」
「芸術には疎いし、宝石にも興味がないもので……。私の興味があるものは最先端のテクノロジーなのですよ。ほら、こちらをご覧くだされ」
 ローズマリーは何やら、機械だらけの部屋に案内された。この男、金はありそうだが全てこういうものに使っているようだ。
「高そうな機械ばかりだが……重そうな機械ばかりだねえ。……おや、これは何だい」
 ローズマリーの目を引いたのは、何やら魅惑的で怪しげな輝きを放つ物体だ。
「それに目をつけるとはお目が高い。それもまた最近出てきたばかりの技術で、コンパクトディスクというのですよ」
「よくはわからないが……。最先端の技術で生み出された宝飾品の類かしらね。……なかなかに美しいねぇ。それじゃあ、これを頂いていくことにしようか」
「どうぞお納めください!」
 ローズマリーは懐にCDを忍ばせ、意気揚々と屋敷を後にした。
 彼女は知らない。そのディスクの本当の価値を。
 そして、その背後から密かに迫る、黒い影の存在を……。

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