Hot-blooded inspector Asuka

Episode 7-『Return back』

第9話 白く煙る街角

「ろ、ローズマリーです!ローズマリーが現れ……ぐう」
 警察無線から聞こえた緊迫した声が鼾に変わった。
「ローズマリーは現れてません。異常なしです!」
 程なく同じ声で無線が入ったが、異常なしなど信じるわけがなかった。
 無線の警官は八雲邸前の道路を封鎖していた警官だ。無事にどこかで車を確保し、検問所に堂々と乗り込んできたようだ。ローズマリーは目の前に迫っている。さて、どこから現れるのか。八雲体でローズマリーを待ち受ける佐々木刑事は気合いを入れ直そうとした。すると。
「諦めるかと思いましたが、さすが怪盗ともなると往生際が悪いですな」
「うお。どこから現れたんすか」
 この探偵も大概神出鬼没だ。
「この部屋にはこの扉しか入り口はありませんぞ。怪盗なら窓から入ろうとするかもしれませんがね」
 その時、玄関の方から爆発音がした。
「……ほう。堂々と正面から着たようですぞ」
 この状況で落ち着き払っているこの人物が爆発音の犯人だ。
「何を仕掛けたんすか……?とにかく、ここは頼んます」
 佐々木刑事は玄関に向かって走り始めた。玄関の扉は閉まっている。既にローズマリーは侵入した後だろうか……?
 扉を開けて外を見るが、何も見えない。だが、漆黒の闇が蟠っているわけではない。視界は闇の黒ではなく白で覆われている。真っ白な煙が辺りを満たしていた。きな臭さや焦げ臭さはない。ただただ、埃っぽい。
 白い煙のただ中に一際白い人型の物が存在していた。
「うおっ!?これは……妖怪白玉男!」
 そんな妖怪は誰も聞いたことがない。さらに。
「あたしゃ女だよっ!」
 妖怪であることについては否定しないようだ。
「その声はローズマリーか!?しばらく見ないうちにずいぶんと厚化粧になったなぁ。誰だか分からなかったぜ」
「そんなわけないだろ!あんた分かってて言ってるわね」
 ローズマリーは蹴りを放ってきた。蹴りそのものよりもまき散らされる粉の方が怖い。素早くガードしたが、粉まみれだ。
「トシなのは間違いねぇなぁ。足があまり上がってねぇぞ。純情な女学生みたいな真っ白いパンツは見えたけど」
「それも粉だよ!今日は紫だからね……って何を言わせるんだい!」
「言わせてねえし!それにしても紫かよ、ケバいなぁ」
「あーもう、うるさいよ!」
 ローズマリーは派手に粉を巻き上げながら再び蹴りを放った。むせ返る佐々木刑事。巻き上がった白煙がおさまるとローズマリーの姿はなくなっていた。
 一体どこに消えたのだろうか。いや、白い粉が廊下に点々と残りその行き先を示している。そもそも、ローズマリーが行く場所など最初から分かりきっている。マルガリーの女の所だ。
 急いで部屋に戻ると、部屋の中から破裂音が聞こえ、白い煙が溢れ出す。また粉を食らったようだ。部屋をのぞき込むと白い靄の中に白い塊が。
「おお、妖怪白玉女……」
「誰が妖怪だいっ!」
 ローズマリーの納得のいくように言い直してやる佐々木刑事。今度は男ではなくなったためか妖怪につっこみが入った。
「ふははははは。ローズマリーめ!貴様の弱点が粉だと言うことは知っているぞ!」
 深森探偵の高笑い。
「少なくとも今日から粉は大嫌いになりそうだね。こりは粉々だよ!」
 言い間違えるくらいに苛立っているローズマリー。
「ねえ旦那。何で粉が弱点か分かってます……?」
「さあ。喉が弱いとか、関節に粉が詰まって動きが悪くなるとか」
「ロボじゃないんすけどね、この怪盗も」
 宝石の粉を使った催眠術に甚大な支障を来すからなのだが、そこまでは知らなかったらしい。催眠術封じなら小さじ一杯分の粉があれば十分だ。ここまで粉まみれならば催眠術はいずれにせよ使えない。
「ふん。それなら小細工なしの力ずくで奪い取ってやる!茨の鞭にたとえられるこの鋭い蹴り……避けられるもんならよけてみな!」
 繰り出される鋭い蹴り!深森探偵は軽快な動きでかわして見せた。別段深森探偵の動きがすごいわけでもない。フェイントを織り交ぜながら背中を向けて逃げまどっているだけだ。
「やっぱ衰えてるよなぁ」
 終いには蹴りをはずした勢いで足を滑らせて転倒してしまった。
「くぅー……あいたた」
 ローズマリーは素早く立ち上がるがあちこちが痛い。
「茨の鞭を見せてくれるんじゃなかったのか?オババのむち打ちなんか見たかねえぞ」
 横からヤジを飛ばしてくるだけの佐々木刑事だが、そのヤジが案外的確に心をズタズタに切り裂く。ローズマリーは格闘を封印する決心をした。その時。
「ぃよっしゃああ!ローズマリーのパンティーゲットォ!」
 声高らかに深森探偵が叫び、高々と手にした純白のパンティを掲げた。
「へ。ひゃ……ぎょわああああああ!」
 あまりかわいくない悲鳴と共にヘたり込むローズマリー。その隙に捕まえようとする佐々木刑事だが、粉で応戦され動きを停めた。最初ローズマリーは蹴りを出そうとしたようだが慌ててやめたようだ。
「乙女みたいな反応してんじゃねぇよ、砂かけ婆のくせに。そもそもおまえのパンツは紫だって自分で言ってたじゃねぇか。そんな乙女みたいなパンツ、絶対はかねぇだろ」
 ローズマリーはその言葉で我に返ったようだ。もう少しパニクらせておけばよかったと佐々木刑事は少し後悔した。
「なんと、紫ですか。顔相応にケバいパンツですな」
「うるさいよ!……ああもう、とっととマルガリーの乙女を頂いて帰るからね!」
 佐々木刑事の科白の影響で絵の名前が微妙に変わっている。佐々木刑事は思う。そもそもこの絵は、なぜ乙女ではなく女なのか。この絵を描いた人物は、この絵を描いた時点でモチーフとなった既に乙女とは言えないことを知っていたのではないか。佐々木刑事には分かっていた。そんなことはどうでもいいことだと言うことも。佐々木刑事にとってのどうでも良さは、乙女だろうが遊んでようがお構いなしで口説ける相手は口説く……そんな意味でのどうでもいいなのだが、さらにどうでもよかった。
 体勢を立て直したローズマリーは足払いを放った。誰を狙ってと言うわけでもない。足の届く範囲には誰もいない。その動きはさながらコサックダンス、白い粉が舞い上がるばかりだ。ローズマリーの目的はまさにその粉だった。辺りは舞い上がった粉で白く染めあげられ、視界が閉ざされた。
 佐々木刑事は粉にむせ返りながらも蠢く何者かの気配を感じ取った。
「そこだ!……どうだ、捕まえてやったぞ!さあ観念しろ!」
「刑事殿。私にはそのケはありませんぞ!」
「げ、お約束か!俺にもそのケはねえっす」
 佐々木刑事が無抵抗のオッサンを抱きしめている間にローズマリーは目的を果たしたようだ。
「おーっほほほほほー!マルガリーの乙女は頂いたわ!それではごきげんよう……あ痛っ」
 何か鈍い音がした。ローズマリーも視界が利かないのでどこかに足でもぶつけたのだろう。
 視界が晴れるとローズマリーと絵は消えていた。

 ローズマリーが玄関を開けると、目の前には飛鳥刑事率いる警官隊が駆けつけたところだった。
 飛鳥刑事は言う。
「お婆さん、ここは危険ですよ。凶暴なローズマリーが来ます。さあ、早く安全なところへ」
「私がそのローズマリーだよ!」
 飛鳥刑事の脇腹に回し蹴りが突き刺さった。側頭部を狙ったつもりだが、あまり足が上がっていない。全身粉まみれで服も脚そのものも重くなっているし、そんな状態で動き回り疲れている。しかも玄関もその粉まみれで滑りやすい。無意識のうちに守りに入ってしまったのだろう。きっとそうだ。断じて歳のせいなどではない。
「ローズマリーだっ……!」
「凶暴だ!」
「危険だ!」
 色めきたつ警官たち。
「ぐっ……!しばらく見ないうちにそこまで老けたのか、ローズマリー……!」
 片膝をついた飛鳥刑事なら側頭部も簡単に蹴れた。飛鳥刑事は粉まみれの大地に突っ伏した。ローズマリーは警官たちを見渡して言い放つ。
「道をあけな!この粉を吸い込むと催眠で私の下僕になるよっ!」
 ローズマリーの出任せに警官たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。情けない警官だと笑うべきなのか、そこまで嫌われているのかと嘆くべきか。いや、今は何も考えずに逃げる時だ。
「くぅー……あいたた」
 飛鳥刑事は起きあがった。粉まみれにはなったものの、側頭部を蹴られた割には気絶もしなかったし首を痛めてもいないようだ。これもローズマリーの衰えか。
 ローズマリーと入れ替わるように奥から佐々木刑事と深森探偵が駆けつけてきた。
「よし、よくやったぞお前ら!今度こそ捕まえたぞローズマリー!ひゃーっはははは、ザマーミロぉ!」
 飛鳥刑事に組み付く佐々木刑事。
「……おい、顔をよく見ろ」
「うおっ!?……見ないうちに老けたはと思ったが、声もおっさんに!」
「ローズマリーはともかく、俺の顔まで忘れるな」
「あー……もちろん冗談さ。決まってらぁ。……くそっ、今日は何でか男にばかり抱きつく日だぜ。こいつはどこかで女を抱いて浄化しねぇと」
「これ以上不浄になってどうする気だ。そもそもお前こそもっと粉をかぶってればローズマリーと間違えられてもおかしくないんだ。今時長髪なんてよ」
 飛鳥刑事はタバコに火をつけた。この時代、まだ粉塵爆発の恐怖は広くは知られていない。それに倣い、佐々木刑事もタバコをくわえる。粉塵で煙っていた部屋はタバコの煙で再び煙りだした。
「あと10年もすればまた長髪の時代がくるぞ、きっと。その時のために切らねぇんだ。今時じゃねえ、未来を先取りしてんのさ」
「その頃にゃ白髪になってるんじゃないのか。そんなことより、もっと気にしなきゃいけない長髪があったな。マルガリーの女……だっけか。とにかく、絵は無事か?……で、自分で言っておいて何だが……マルガリーの女って長髪でいいんだよな?意表を突いてショートヘアなんてことは……」
「ああ、そうか。飛鳥はまだあの絵を見てないんだな。髪の短そうな名前だが、栗色のウェービーなロングヘアだったぜ。……生憎、マルちゃんはマリーちゃんにつれていかれちまったよ」
「うーむ。もうちょっと早く駆けつけてればな……」
 とりあえず、一足間に合わず絵が盗まれた現場になってしまった部屋に向かうことにした。

 佐々木刑事と同時に駆けつけた深森探偵は、佐々木刑事が飛鳥刑事に組み付いている間にローズマリーを追って外に飛び出していたようだ。
「ローズマリーめ、私の自転車まで盗みましたぞ!」
 屋敷の外でローズマリーの帰りを待っていたエージェントは飛鳥刑事が率いてきたパトカーを見て逃げ出したのだ。逃げる足がないと分かったローズマリーは目に付いた自転車を盗んでいったようだ。
「まったく。発信機がついているからいいものの……」
 自分の自転車にそんな物をつけていたのか。そんなことより。
「それなら、今すぐ追いかければ発信機で奴の居場所が……」
「さっきの受信機でいいのか?」
 佐々木刑事は既に動き始めていた。
「ええ。今チャンネルを合わせます。追跡はお願いしますぞ」
「合点!」
 深森探偵と佐々木刑事は外に飛び出していった。
 誰もいなくなったところで、飛鳥刑事は部屋の中を見渡す。とにかく、粉だらけだ。玄関も大概だったが、この部屋はさらにひどい。ドアに向けて粉がぶちまけられたことが粉の分布で見て取れる。ローズマリーと何度もやり合ってきた飛鳥刑事にはこの粉が何のために撒かれたのかは想像に難くなかったが、撒きすぎだろうと思う。掃除が大変そうだ。
「うひゃあ。粉を撒くとは言われましたが、ずいぶん撒いたなぁ……」
 部屋にさえないおっさんが入ってきた。ここの主、八雲氏か。
「申し訳ないが、絵は盗まれてしまったようですな」
「はぁ。……マルガリーの女は無事でしょうかね……」
 話が噛み合わないな、と思ったところに深森探偵が戻ってきた。
「マルガリーの女なら無事ですぞ」
「えっ。でも、ここにあった絵は……」
 飛鳥刑事には話が飲み込めない。
「ふっふっふ。偽物にすり替えておいたのですよ」
 八雲氏との噛み合わない会話にも合点が行く。盗まれたのはここにあった偽物、マルガリーの女ではない。本物の安否はまだ分からないと言うことだった。
「偽物……?よくそんなもの用意できましたね」
「私がね。昔描いた模写があったんですよ」
 八雲氏もその絵の作者と同じサークルで絵を描くくらいには絵心があった。古い友達に譲ってもらった絵をモチーフに描いてみようと思うことくらいはあったということだ。その模写を本物だと思って持って行ってしまったのか。
「それで、本物はどこに?」
「適当な隠し場所がなかったので、今刑事殿が乗っていった車のトランクに隠してあります」
 盗まれたのが深森探偵の自転車のほうでよかった。車を盗まれていたら絵まで盗まれたことだろう。
「どちらも大した価値のない絵ですからな、本物の方を盗まれていたなら模写を本物だと言い張ればいいだけです」
 そんなことを言われても、まだマルガリーの女を名画だと思っている飛鳥刑事は戸惑うしかない。その辺の話は後で聞くことにして、目に見える疑問を解消することにした。
「ところで、何で探偵殿はパンツを握りしめてるんです」
 先ほど、ローズマリーから奪い取ったと見せかけローズマリーを怯ませたあのパンツだ。深森探偵はあれからずっとパンツを握りしめていたのだ。手に汗握る攻防の中、汗を吸い取らせるにはお誂え向けだったと言うこともある。しかし、単純にしまい込む暇もなければ投げ捨てるのもどうかと思い、対処を先送りにし続けてきただけのことだ。
「ああ、これですか」
「広げなくていいです。存分に握りしめていてください」
「ええと、その。ローズマリーの侵入経路になりそうな場所を探していたら、ベッドの下に落ちているのを見つけたのです。誓ってそれだけです」
 問い詰められるパンツ泥棒のような深森探偵。
「それだけじゃないみたいですね。そもそも、ベッドの下にローズマリーの入るような穴はないですよねぇ。……何を探してたんです。そして、何を隠しているんです」
「ひいいいぃぃ。すべてゲロしますのでカツ丼はご勘弁を。考えただけで胃が……」
 確かに、カツ丼など食えるほど胃は強くなさそうだが。
「そんなことだからそんなにガリガリなんですよ」
「実はですな。先ほどローズマリーにつかませた偽物の絵ですが……」
 深森探偵が探していたのは一枚の絵だった。件の名画の作者が八雲氏の学友だったという話を聞き、さらに八雲氏が偽物として使えるほどの模写を描いていたことを知ったとき、一つの可能性が浮かび上がったという。
「マルガリーの女は実はシリーズものだったのです。裸婦像バージョンと、さらに過激でハードコアな幻の作……。諸事情により門外不出のその作品ですが、そんなものを描いたことを話せるほどの仲である八雲殿なら、禁断の模写を隠し持っているかもしれないではないですか。探すでしょう、男なら!」
「それでベッドの下を探してたわけですか。エロ本みたいなものですからねぇ、ベッドの下……うんうん、隠しそうだ」
 図らずも、マルガリーの女に大した価値がないという理由も聞けたようだ。しかし、いくつか謎が残っている。なぜローズマリーがそんな落書き同然の絵を狙ったのか。そして。
「何でそんなところにパンティが落ちてるんです。それもそんな女学生みたいな色気のない……」
「私が知るわけないでしょう」
 知っているのはもちろんここの家主と言うことになる。飛鳥刑事の目が八雲氏に向く。
「あ、そ、それは……彼女の忘れ物ですよ、ははははは」
「それはありえねえぜ」
 いつの間に戻ってきたのか、佐々木刑事が口を挟んだ。
「さっきさ、あんた……出会いがないから彼女ができないって言ってたじゃねえか」
 つかつかと八雲氏に歩み寄る佐々木刑事、後退る八雲氏。
「うわ。いや、その。結婚はできないと言っただけで彼女ができないとは言ってないです、はい」
「それなら……出会い、あるじゃねぇか」
 佐々木刑事は心配して損したという顔をした。
「刑事殿、自転車は。……それとローズマリーは」
 空気を読まない割り込み。深森探偵にとって自転車の方が優先事項らしい。
「自転車は乗り捨てられてましたぜ、旦那。車にゃ積めないんで、場所だけばっちり覚えてきましたよ」
 道理で帰ってくるのが早いわけだ。
「おお、無事ですか!では早速案内を」
「あいよ。……で、その前に。八雲さん、おたく……どこでその彼女を見つけたんですかい」
 話が自転車に向いてほっとしていた八雲氏だが、あっさり戻されて慌てる。そこに口を挟む飛鳥刑事。
「そんなこと聞いてどうするんだ、庸二。……まあ、お前の考えそうなことは分かるがな」
「生憎、俺はそんな努力しなくても女は捕まえられるんでね。……それより俺はおたくの態度が引っかかってるんですよねぇ」
 そういって八雲氏ににじり寄る佐々木刑事。確かに、先ほどから露骨に様子がおかしい。
「普通に出会いがあってヤりまくりだってんなら自慢しそうなもんでしょ。まあ、俺には負けるからモテないってことにすることもあるでしょうが……このビビりようはそうじゃねぇな。何か……犯罪が絡んでる臭いがするぜ」
「まさか売春か?……それならこの豪邸も売春斡旋で稼いだ金で……」
「いや……、違うな。そんな大それたことができるタマじゃあねぇさ。さっき、身の上話をしたときに嘘をついてそうな感じはなかったしな。それに、買ってる方ってことでもないんじゃないかね」
「ほう。なぜそう思う」
「簡単さ。このパンティだが……。こいつは穿いてたモンじゃねえ。臭いがしねぇのさ」
「……カッコつけて言ってるがな、庸二。……そのパンツ、嗅いだのか」
「嗅ぐだろ、普通」
「……普通なのか……?」
 とにかく、今論点にすべきはそんなことではない。とりあえず、パンティの見つかった寝室に行ってみることにした。男やもめの散らかった寝室だ。いかにも自分だけが寝て起きる、そんな場所という雰囲気。
「穿いてもいないパンツが男しかいねぇ家にある……。それに、女を招く気なんざまるでなさそうな汚い寝室……。この状況から導き出される結論は何だ?」
「パンツだけが家の中にやってくる……パンツ泥棒か!」
「その線が濃厚だな。よし、探すぞ」
「おい、礼状もなしに調べる気か」
「絵のほかに被害がないか確認するんだよ、名目上はな」
 めちゃくちゃだ。だが、まあいいだろう。
「エロ本とか隠しそうな場所は徹底的に調べろ!」
 なぜか仕切り出す佐々木刑事。飛鳥刑事は天井裏を覗いた。
「刑事殿はそんなところにエロ本を隠されるのですか」
 深森探偵は驚いたようだ。エロ本とは普段からよく使うもの、このような取り出しにくいところにしまい込むのは不都合だ。絵画であってもこのような埃っぽいところに隠すのは躊躇われる。深森探偵はそう言ったこともあって天井裏を探査の対象から除外していた。決して、歳のせいで登れなかったからではない。
「エロ本に限らず、何かを隠すにはよくある場所ですよ」
 だが、めぼしい物はなにもない。
「絵は!絵はありませんか!」
 深森探偵はそれもまだ諦めていないらしい。
「ありません」
 飛鳥刑事は天井裏を覗くための踏み台にしたベッドから降り、布団をめくってみた。
「あ。あった」
「なんと、そんなところに!……パンティではないですか」
「ええそりゃ、これを探してたんでしょ」
 深森探偵だけは違ったようではあるが。
 布団の中は女物の下着で溢れていた。下着に埋もれながら眠っていたようだ。いい趣味である。
「じゃあ、署で詳しく話を聞かせてもらいましょうか」
「は、はひいぃ……」
 ローズマリーは捕らえられなかったが、意外なところで犯罪者を捕まえることができたようだ。なによりも嬉しいのは、ここの家主がいなくなるため深森探偵がぶちまけた粉を急いで掃除する必要がなさそうであるということだ。
「それで……絵は?」
 その深森探偵は、まだ諦めていなかった。

 八雲氏は近所のコインランドリーを渡り歩いては洗濯機から女物の下着を盗んだり、夜中に軒先にぶら下がっていた洗濯物を物色したりしてこつこつとパンティを集めていたという。深森探偵が見つけたパンティはまさに前の晩に手に入れたばかりのものだった。
 八雲氏は連日男のモデルばかり相手にする日々に辟易していた。
 そんなある日、たまたま立ち寄ったトイレで女の声が聞こえた。もちろん男子トイレだ。個室の中でカップルがお楽しみ中らしい。他の利用者がやってきたことで必死に自分の存在を消そうとする女、そんな女にちょっかいを出し声を出させようとする男。こんなところに連れ込まれて行為に応じている時点でそう言うプレイだ。
 けったくそ悪いのでとっとと用を済ませて出ようと思ったが、ドアの下の隙間から揃えて置いてある女性の靴と、その上にぽんと乗せられている布が見えた。セクシーなレースのパンツだ。八雲氏は衝動につき動かされるままにドアの隙間からパンツをかすめ取り、その場から逃げ出した。それがきっかけでパンツに覚醒してしまったそうだ。事情は分かったが、別に聞きたくもない話だった。
 盗んだ数は多いが被害届けが出ているわけでもなし、それに初犯なので書類送検で済む。再犯を防ぐためだろう、佐々木刑事は八雲氏に今度いいランジェリーパブを紹介すると言った。世の中にはいくらでも合法的にパンティを拝む方法があるんだと。そんなものに頼らなくてもパンティはぎ取り放題のプレイボーイなのにそんなところにも行ってるのかと飛鳥刑事は呆れた。

 結局ローズマリーは囮として方々から盗ませた美術品も取り返され、盗み出したマルガリーの女も偽物という散々な結果に終わった。さらにそれに追い打ちをかける事態が起こっていた。
 ローズマリーが捕まらなかった代わりにパンツ泥棒が捕まったという話が必要以上にクローズアップされ、さらに深森探偵の興味はすでにマルガリーシリーズの他の作品に向いていた。他に盗まれた絵が偽物だと知っているのはパンツ泥棒など他のことに掛かりきりになっていた飛鳥刑事と佐々木刑事だけ。結局そこに全く触れられないまま数日が経ち、ストーンがマルガリーの女を売りさばいてからマルガリーの女の出自とともにその事実が世にぶちまけられた。結果、クライアントからはどやされローズマリーは逆ギレし、一番散々だったのはストーンのエージェントだった。
 しかし、粉まみれにされたローズマリーはそれを待たずして帰りたい衝動と戦う夜を越え、ストーンからの頼みごとだけこなしてとっとと引き上げる決心をする。
 斯くして深森探偵の華々しい売名の日々は急速に終わりを告げ、穏やかな浮気調査の日々に戻るにも半端に顔が売れていてやり辛いという困った状況になっていくのだ。
 そんなことになっていくとはまだ誰も知らないまま粉とパンティまみれの夜は明けた。
 飛鳥刑事とい佐々木刑事はようやくパンツ泥棒の取り調べを終えて短い仮眠に入っていた。
 昼間の戦いが再び始まる。町をかけ巡る選挙カー、空気を震わせる演説。
 ローズマリーに夜中振り回され、刑事課二係の刑事や警備課・地域課など関連部署の警官たちの目が虚ろになる中、ローズマリーと無関係のとある部署もまた虚ろな目で呆ける警官であふれていた。交通課である。
 彼らの目が虚ろになったのは無論ローズマリーのせいではない。疲労困憊で燃え尽きているわけでもやはりない。彼らは今、暇なのだ。
 日夜彼らと激しいバトルを繰り広げてきた走り屋たちは今、深森候補の選挙カーの後ろを徐行中。その光景のインパクトから通報するものもいるが、交通規則を守って走っている若者を捕まえるわけにもいかない。
 する事もないし取り締まりでもするかと言う意見も出たが、取り締まりで市民の反感を買い元警察を旗印に掲げる森中候補の得票に響くようなことがあれば、警察署に戦車で突っ込んでくるような事態になりかねない。
 俺たちの体は風を求めているんだなどと季節はずれの扇風機の前で呟きながら、いっそ俺たちが暴走して他の課員とカーチェイスすればいいのだろうかなどと考え始める始末。
 しかしそこは常識ある公務員。競輪の中継を見ながら「どっかで事故でも起こらねえかなぁ」と呟くにとどめた。

 午後。飛鳥刑事と佐々木刑事は活動を始めた。
 昨晩の囮にされたドライバーたちに話を聞いて回る。ローズマリーの催眠術で日雇い窃盗団に仕立てられた人々だ。
 話を聞くと言っても、なにせ催眠術で操られていたときのこと。大したことは覚えていないことを確認して回るだけの捜査だ。
 そもそも泥棒に仕立てられた彼らだが、やっていることは催眠をかけられた家人から荷物を受け取って運んだだけの運送仕事。催眠が掛かっていなくても罪に問えるものではない。実質被害者や目撃者への聞き取りに近い。覚えていることも少ないので話もすぐに聞き終わり、移動時間の方が長い有様だ。
 数ばかりが多く埒があかないので、手分けしてとっとと片付けることにした。それには一つ心配なことがある。相手は美術品のような大荷物を担いで運べる屈強な男たち。色気のないひとときに佐々木刑事のモチベーションが維持できずサボりに走ってしまうのではないか。
「何だよ、信用ねえなぁ。心配には及ばねぇよ、男むさい現場でも口説きたくなるような事務員のねえちゃんくらいはいるもんだ。いなけりゃいないでおっさんたちからいいお店の情報仕入れたり、楽しみ方はあるもんだぜ」
 ますます心配にならざるを得ない。飛鳥刑事は佐々木刑事の見張りとして若い刑事を一人つけた。事件と関係ない話を長々と続けていたら容赦なく突っ込むように言い含めておく。
「しゃあねえな。俺の華麗な聞き込み術を仕込んでやるか」
 ろくなことを仕込まなそうだが、刑事になれるくらいの判断力がある人間ならば惑わされることもないはずだ。いずれにせよ、いつも以上に実入りがないことが分かっている聞き込み。サボられたところで大差はない。
 飛鳥刑事も自分の聞き込みに出ることにした。

 手分けが功を奏し、聞き込みはすぐに終わった。案の定かけた時間とガソリンの割に成果はない。
 そんな移動の最中、深森候補の姿を何度か見かけた。深森候補と暴走族はセットになっている。しかし、あれを暴走族と呼んでいいのか。何せ、暴走していない。交通課の面々をにわか廃人に仕立てあげた光景だ。
 選挙使用に改造されたバイクのスピーカーからはマニフェストではなく交通ルールを説く声が延々と流れる。いや、市民に交通ルールを徹底遵守させ交通状況を改善するマニフェストの体現なのかもしれない。
「人に迷惑をかけて目立とうとするのは臭えウンコと一緒だ。このままじゃ便所に流されてなかったことにされちまう。どうせ目立ちたいなら綺羅星のように美しく輝いて目立ってみせろ!」
 おおよそ選挙カーのスピーカーからでる言葉とは思えない。その呼びかけに応じて、おう!と言う声があがった。
 この交通指導の意図はともかく、おとなしくなった暴走族を従え町を練り歩く様はさながらハーメルンの笛ふきでなかなかのインパクトだ。
 小百合によると、バイクがにわかに静かになったことはママさん衆にも話題になっているらしい。夜中に騒音を立てられると子供も怖がるし迷惑千万。それがなくなるというのはなにげに嬉しいようだ。ママさんに限らず暴走族に迷惑をかけられていた市民は少なくない。そういう人たちは結構目先の恩恵だけで深森候補に入れてしまうかもしれない。
 森中候補の敵ではないだろうが、案外健闘してしまったらどうしよう。何となくこの町の将来が不安になり始める飛鳥刑事だった。

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