Hot-blooded inspector Asuka

Episode 7-『Return back』

第8話 悪夢の始まり

 夜も更けかかった頃、ローズマリー出没と思われる一件での通報があった。
 被害にあったのはやはり星見ヶ丘からは離れた場所にある高級住宅街だ。この町ではありふれた住宅街とも言える。飛鳥刑事はパトカー数台と共に現場に急行した。
 被害の状況は昨日の事件とそれほど大きな差はない。家人の話によると、女性が訪ねてきて話をした所までは覚えているが、気がついたら女性はいなくなっており、金庫が開いていて宝石と家中の美術品がなくなっていたと言う。
 今日も被害が大きく大掛かりだ。昨日捨てていった車の代わりに新しいトラックを用意しているのだろうか。となると、また連続で何軒か回って行くつもりか。
 案の定、次の事件がすぐに起こった。最初の現場からいくらも離れていない場所で、手口も被害も同様だ。
 飛鳥刑事は最初の現場周辺の家々を巡り、不審なトラックを見ていないか尋ねた。すると、まさに被害にあった家でドタバタとした物音がしたことを気にして外を見た人がおり、家の前に停められたトラックも目撃されていた。ただの宅配便だと思い、大して気にもしなかったようだ。そのせいで、車の特徴などは分からない。しかし、手口がはっきりしたのは収穫だろう。
 次にすべきことは不審車両の洗い出しだ。こんな時間に住宅地を走り回っている貨物トラックなどそう多くはない。
 それらしい車を探して車を走らせる。案の定、見つけだすまでさほど時間はかからなかった。大きな屋敷の前にトラックが停まっている。
 荷台には『木通の宅配便』と書かれている。一見きれいなロゴで、昨日のスプレーで書かれたロゴほど露骨に偽物臭くはないのだが、間近で見るとそのロゴがマジックで書かれているのが分かる。塗りがスカスカだ。ペンキで塗ると乾かないのだろうか。
 一応応援を呼んで様子を見ていると、屋敷の中から絵を担いだ男二人が出てきてトラックに積み込んだ。宅配便が人の家から者を担ぎ出すことはそうそうないし、余所に届けるために受け取りにきたとしても運び出すときには絵かどうか分からないくらいにしっかり梱包しそうなものだ。間違いなく、この宅配業者は偽者だ。
 運び出す荷物はまだあるようだ。車に絵を積み終えた男たちは再び屋敷の中に入っていった。ここにいるのはこの男たちだけらしい。ローズマリーはすでに余所に行ったのだろうか。
 程なく、飛鳥刑事が呼び寄せた応援のパトカーがやってきた。相手は二人、ローズマリーもいない。これだけの人数がいればあっさりと取り押さえられるだろう。
 再び男たちが屋敷から出てきた。今度は壷と、金属製の前衛的で意味不明なオブジェを一つずつ持って現れた。
 警官たちが二人を取り囲むと二人は動きを止めた。
「警察だ。ちょっと話を聞かせてもらおうか」
 飛鳥刑事が声をかけると男たちは目を向けた。なんの感情も宿っていない虚ろなその四つの目を。
 ……これは。催眠術か。
 どうやら無関係の人間に催眠術をかけて実行犯をやらせたようだ。
 まずは、彼らの催眠を解かねばならない。少し考え込んだ後、飛鳥刑事は男のほっぺを思い切り引っ張った。
「うおっ、あいててててて!……ん?ここはどこだ」
 男は分かりやすく我に返ったようだ。なんともちょろい。大した催眠でもなかったのだろう。
 もう一人も目を覚まさせた。話を聞いてみると二人は近くの土建屋で働いており、トラックの運転はできるが宅配業者とも、ましてやローズマリーともなんの関係もないようだ。
 催眠術をかけられたと言うことはどこかでローズマリーと会っているはずだ。二人に記憶を辿ってもらう。二人とも仕事が終わってからの記憶がないと言う。だが、二人がローズマリーに会ったのはその前後ではなかった。
 怪盗ローズマリーと言われ、思い当たることがあるという。3時の休憩の頃、現場に一人の女がやってきて声をかけてきたのは覚えているが、その後数分の記憶がないようだ。その後、夕方までは何事もなく仕事をしていた。仕事が終わったら発動する催眠だったようだ。
 数分というほんのわずかな時間でこんな犯行の指示を出せるはずがない。恐らくはその時に仕事が終わった後ローズマリーのところに来るようにだけ指示を出し、後から催眠をかけ直して細かい指示を与えたのだろう。
 ローズマリーの手口には家人の協力が必要だ。盗み出すだけの価値のある美術品を教え、この運び屋たちを家に招き入れる、催眠にかかった家人が。
 この家の家人もやはり催眠にかけられていた。耳元でバケツを叩いてやると我に返った。夕暮れ、亭主が仕事から帰って少し経った頃にローズマリーらしい女が尋ねてきたのを覚えていた。今はもう9時になろうという時間、それからはずいぶんと時間が経っている。
 今までに比べると相当に用意周到な手口だ。自分たちの手はなるべく汚さず、しかも実行の時にはその近くにいる必要さえない。
 恐らくこんな回りくどく大掛かりな方法を選んだ本当の狙いは深森探偵に出した予告だろう。一見昨日と同じような手口で犯行に及ぶことで警察や深森探偵を攪乱し、その隙に本命を盗み出そうという考えだろう。
 そうであれば、ローズマリーは八雲邸の近くにいる。深森探偵と佐々木刑事はこの陽動に踊らされずちゃんと絵の警備を続けているだろうか。

 八雲邸を見張っていたエージェントから連絡が入った。探偵と警察が八雲邸を飛び出して住宅街方面に向かい始めたらしい。
 警察もすでにばらまかれた餌に食いついている。言うまでもなく、これから住宅街で次々と起こるだろう事件は本命であるマルガリーの女から注意を引き離すためのものだ。今起きている事件をほったらかすことのできない警察はともかく、探偵までこの誘いには乗るまいと思っていたが、あっさりと乗ってくれたらしい。
「さあ、行くよ。あの不似合いなブ男から女を奪って一稼ぎさせるんだ」
 ローズマリーの言葉に運転席のエージェントはキーを回した。
 ひょひょひょひょ。ひょひょひょひょひょ。
「……どうしたんだい」
「エンジンが掛かりません。……またしても」
 またしてもという言葉の通り、エンジンが掛からないことがあった。……昨日の夜に。
 ものすごく嫌な予感がした。
 昨日は、訳が分からず車を捨てて逃げ出したが、今日は違う。エンジンが掛からないと言う状況がどういう状況で引き起こされるのか、真っ先に思い当たる条件がある。
 ローズマリーと二人のエージェントは車から飛び出し、車の後ろに回り込んだ。エージェントがライターを取り出して火を点す。その明かりの中にマフラーが浮かび上がった。
 マフラーには光る闇が突き刺さっていた。闇のように黒く、宝石のように光を受けて輝いている。黒真珠のように黒く輝き、絹布のように薄く儚げな何か。……まあ、ゴミ袋だろう。
 同じ手は二度と食らわぬ、してやったり。と言う気分になったのはほんの一瞬だった。嫌な予感は晴れるどころかさらに濃く、深く、低く垂れ込める。どう考えても、同じ手を仕掛けられた時点で大問題だった。
 近くにいる。
 とにかく、車が動くようにすることが先決だ。エージェントの一人がマフラーに突き刺さるゴミ袋を引っこ抜いた。
 光が目に入った。ゴミ袋の塊の先端に小さな火がついている。いや、小さな火のついた何かがゴミ袋に包まれているのだ。燃える細い紐の生えた、筒状の……。
「ば、爆弾だぁ!」
 導火線に火のついたダイナマイトだった。エージェントはダイナマイトを放り投げ、一目散に車に逃げ込み、キーを回してセルモーターを始動させた。もう一人のエージェントとローズマリーも車に駆け込む。
 ひょひょひょひょひょひょひょひょひょ。
 ローズマリーは乗り込んだばかりの車からまた飛び出した。まだエンジンは掛からないようだ。エージェントたちも諦めて車から飛び出してきた。
 とにかく、ダイナマイトから離れなければ。全力疾走で走る。
 背後で爆発音がした。
 ぽん。
 ……花火でももう少しくらいは景気のいい音がするものだ。終わったと見せかけ、油断して近付いたところで大爆発する仕掛けかもしれない。だいぶ長いこと様子を見てから恐る恐る近付く。ダイナマイトにではなく、車に。
 もう一度、マフラーを調べる。何か、紐が垂れている。エージェントが思いきって引っ張ってみた。紐には何かが繋がっていた。どうやら発火装置らしい。これでさっきの導火線に火をつけたようだ。
 エンジンが掛からなかったのはこいつが突っ込まれていたせいだろう。もう一度キーを回すとエンジンが掛かった。
「こんな物を仕掛けたってことは、探偵はまだこの近くにいるはずさ。それなら、このままあの屋敷に行けば、探偵は撒けるね」
 屋敷から車が出たのは、この車を見つけた探偵が応援を呼んだのだと考えられる。探偵はこの近くに一人で潜んでおり、マフラーのダイナマイトは応援が来るまでの時間稼ぎに違いない。
 こんどこそ、してやったり。
「さあ、行こうじゃないか!マルガリーの女が連れ去られるのを待ってるよ!」
 あの女はあんな冴えない男に囲われているなんて似合わない。あの女はこれから華やかでどす黒い暗黒世界の男たちの手を花を渡る蝶のように回り、そのたびに大きな金が動く、そんな存在になるのだ。
「おっと」
 エージェントは急ブレーキをかけ、思いふけっていたローズマリーは前のシートの背もたれに激突した。この時代、まだシートベルトは義務化されていない。義務化されていてもローズマリーたちは守らないのだろうが。
「何をやってるんだい、前を見て運転しなっ」
「前を見てるから急ブレーキをかけたんですがね。横を見てたら今頃激突してますぜ」
 前方にはほかの車のヘッドライトが見えた。対向車にしてもあり得ない方向に向いていた。斜めだ。その姿ははっきり見えないが、この広くもない道で斜めに停まっていると、道は塞がっているだろう。
 待ち伏せか。探偵に知らされた警察だろう。しかし、この程度で勝ったと思っているのなら甘い、甘い。
 なぜ、今回狙った獲物がマルガリーの女だったのか。それは単純に価値だけが理由ではない。在処の立地だ。八雲邸はダウンタウンにある。周囲に路地が張り巡らされ、回り込みながら近付くのも道を変えながら逃げるのも容易だ。高級住宅街での連続盗難事件に多くの警官が割かれていれば、こちらの警備に回る警官は少ない。より撒きやすいだろう。
 ローズマリーの乗った車は大きく迂回し、側面に回った。まさかこの方向から来るとは思うまい。
「ん?」
 エージェントはまた急ブレーキをかけた。ローズマリーはまた背もたれに顔面から突っ込む。
「また待ち伏せかい!?」
「待ち伏せというか……前からきた車が」
 道を塞ぐように急停車したという。ローズマリーの車は反転し、元来た道を引き返しだした。交差点も先ほど来た方向に進み、さらに反対側に回った。
 再び八雲邸に接近するが、また阻まれた。ローズマリーは先ほどから対向車のライトが見える度に防御姿勢をとっている。そのおかげで、背もたれへの激突は回避できた。満足げなローズマリーだが、この状況が芳しいものではないのは明らかだった。
 警戒に当たっている警官の数は多くはないはずだ。だというのに、行く先ざきで行く手を阻まれる。そもそも、交通量の少ない道でもない。疎らにではあるが対向車には行き会っている。前方にテールランプや後続車両のライトが見えることもざらだ。こんな道で、狙いすましたようにこの車の行く手だけが阻まれている。停められているのがこの車だけというだと確認したわけではない。だが、この車以外も停められている方があり得ないはずだ。今は夜、相当近寄りでもしなければ見える物はライトだけ。それだけでどの車か見分けるなど不可能だ。
 それならば。
「……おかしいですぜ。この車の位置、ばれてるんじゃないですか」
「どういうことだい」
「発信機でもつけられてるんじゃないですかね」
「なんだって」
 ローズマリーはとりあえずシートと背もたれの隙間に指をつっこみ、探る。
 何か、固い物に指が触れた。ほじくりだしてみると……10円玉だった。ちょっと得した気分になった。
 他にも何かあるかもしれない。宝石の一つや二つ挟まってはいないか。もっとシートの隙間をまさぐる。発信器を探していることなどはやくも忘れていた。
 今度は何か柔らかい物に指が触れた。取り出してみる。……指に絡みついたのはガムだった。
「ギエエエエエエエエエエエ!」
 悪魔の断末魔のような悲鳴を上げながら腕を振り回すローズマリー。ガムは明後日の方に飛んでいく。まさに未来への飛翔と言えよう。未来の行く末であるフロントガラスにガムは貼り付いた。
「誰だいっ、こんなところにガムなんて捨てたのは!」
「俺じゃありませんぜ」
「俺でもないです。今日、後ろの座席に乗ったのは姐さんだけですぜ」
「なんだい、私だって言いたいのかい?今のガム、あんたの口に放り込んでやろうか?」
「いや、言いませんけどね……それより」
 エージェントは窓に貼り付いたガムを手に取った。しっとりと柔らかく、ネバネバしている。
 少なくともこの車を自分たちが使う前にガムが捨てられたのならば、もう乾いて固まっているはずだ。こんな、噛んだ直後のように柔らかいわけがない。
 エージェントは指でガムを潰す。何か固い物が指に触れた。ガムを引っ張って伸ばす。中から何かが出てきた。つまみ出すと小さい機械のようなものだ。間違いない、これが発信機だ。
 窓から捨てた。これで安心だ。よい子は包み紙に包んでくずかごに捨てましょう。
「発信機って……今の一つだけか?」
 ほっとしたのも束の間。エージェントの言葉に一同固まる。言われればごもっともだ。先ほどのマフラーの仕掛けのことを考えても二重三重のトラップを仕掛けるのがあの探偵のやり口かもしれない。他にも仕掛けられているということは十分に有りうる話だ。
 急いで車内を探す。
 ローズマリーが先ほど何度か激突したシートの背もたれにガムテープが貼り付いていた。さっきまではこんな物はなかったはずだ。それを引き剥がすと……。
「あ、あった」
 運転席のエージェントも見つけた。クラクションのボタンのど真ん中に、ガムテープが。その裏には……。
「こっちにもありましたぜ!」
「これもだ!」
 エアコンの送風口がガムテープで塞がれていた。もちろんその裏には。
「これもだね」
 ローズマリーは自分の隣のシートに発信機と粘着面を上に向けて置かれたガムテープを見つけた。この上に座るとどうなるだろうか。ローズマリーは自分の尻を触ってみる。つるっとした手触りの異物が手に触れた。ガムテープ。エージェント二人の尻にもそれぞれ貼り付いていた。
 車内にこんな物を仕掛けられたのは、先ほどの爆弾騒ぎの隙くらいだ。そんなに長い時間でもなかったはず。……いや、結構……?
 一度伸ばして発信機を張り付け、切り込みを入れて巻き直したガムテープを使っているようだが、それにしてもすごい手際だ。あのこけおどしの花火が爆発してからは遠巻きにとは言え車の方に目を向けていた。中で何か動きが有れば気付いたはずだ……多分。目が花火の燃えかすに釘付けだった気もする。自信はない。
 そもそも、仕掛けられているのが車内だけとは思えない。車内だけのはずがない。
 車外に出てみると、車には派手にガムテープが貼り付いていた。側面には一直線に、ボンネットには網目状に。昼間だったらこのガムテープだけでもこの車だと分かるほどだ。
 剥がそうにも一筋縄では行かない。ガムテープには一枚ずつ切り離せるように切り込みが入っているが、剥がそうとするとそこで切れてしまい一度には剥がせない。
「……だめだ。この車は捨てよう」
 そろそろ、動かなくなったこの車の様子を見に探偵か警察が近寄ってくる頃合いだ。ひとまず車に乗り込み発進させた。

 つい先ほどまでローズマリーたちの車が停まっていたところに一台の自転車が停まった。
 自転車から降りた人物は辺りを見渡す。ガムテープが散乱しているのが見えた。何かの機械を取り出してさらに辺りを探る。歩道に落ちている何の変哲もなさそうなガムを見つけた。手にした機械はそのガムに変哲があることを示していた。
 無線機に通信が入った。
「市街地まで追いかけたが車を捨てて逃げられた!」
「どうやら、当たりを引いたまではよかったものの、あちらはそのことに気付いてなかったようですな」
 発信機はガムの中の一つだけ、ガムテープで貼り付けられたものはそれっぽく見えるだけのガラクタだ。さすがにあんな大量の発信機を仕掛けるのは、まず予算面で無理だ。
 目の前に露骨に残された偽の発信機。それに気を取られて本物から目が逸れるというのが本来の狙いだったが、まぐれ当たりで本物を真っ先に引かれてしまった。しかし、他がはずれだと気付かずに放っておいていいガラクタに心を折られ、車を捨てる決断に迫られた。結果オーライだ。
 市街地まで行くとストーンには地下通路がある。そこに逃げ込まれると追跡は絶望的だ。体勢を立て直し別な車を確保して八雲邸に向かわれると厄介だ。
「八雲邸に戻りましょう」
「了解!待ってるぜ、おやっさん」
 佐々木刑事の車のエンジン音が遠ざかっていく。深森探偵は自転車にまたがりペダルを漕ぎ始めた。

 深森探偵が八雲邸に戻ってきた。
「ずいぶんと早いっすね。自転車だって制限速度守らなきゃなんないんすよ」
「それでは、刑事殿はちゃんと制限速度を守ったことがありますかな」
「へっへっへ、質問が悪いぜ?ネズミ捕りやってるところくらいはちゃんと法廷速度まで落としますぜ」
「守ってることはほとんど無いと言ってるようなものですな」
「まあ、警察ですからね。で、絵はまだ無事ですぜ」
「それは何よりですが、これから無事でなくなりそうな言い方はいかがなものかと」
「そりゃ失礼」
 確かに絵は何事もなくそこにあった。
「それで、ローズマリーは諦めますかね」
「新しい車を見つけてまた来ることも考えられますな。しかしそれもすぐではありますまい。私はその間、準備したり調べたりすることがあります。……すみませんが、八雲殿をこの部屋に留めてもらえませんか」
「あのおっさんを……?ははぁ、さては探偵さん。お宅もおっさんの怪しさに気付いたんすね」
「はて。何か、怪しかったのですかな」
「あれ?なんか違うんすか?いや、最初警察だって名乗ったとき、露骨に狼狽えて怪しかったんすよね」
「ほう。では、何か疚しいところがあるのかもしれませんな。が、知りませんなそんなこと。私が興味を持ったのは別なことですよ。事件の匂いのしない……他愛ないことです」
「じゃあ、俺には関係ないな。勝手にやっててくださいな。俺はおっさんに探りを入れますわ」
 佐々木刑事は深森探偵を野放しにすることにした。
 そして、八雲氏のいる絵のある部屋に入っていった。佐々木刑事の顔を見ると八雲氏は挙動不審になった。やはり怪しい。
「旦那。ちょっと……お話、いいすかね」
「な、なんですか」
「いや、ただの世間話っすよ。……ずいぶん儲かってるみたいっすけど、お仕事は何を?」
「え。ええと。紳士服メーカーで企画の仕事を」
「ほう。企画の仕事って言うと、何をするんです」
「私はポスターのデザインを任されることが多いです。撮影に立ち会ったりもしますね。モデルに服を着せたり……」
「モデル……って言っても、紳士服じゃ男でしょ?俺はやっぱ女がいいなぁ。しかも、着せる方じゃなくて脱がす方が……」
 自分の発言の方が犯罪者っぽいことに気付く佐々木刑事。八雲氏は返答に困り目を泳がせている。ひとまず、ここまでの話で怪しいところはなさそうだ。話題を変えることにした。
「奥さんはいないんですか」
「この顔ですから……諦めてますよ」
 確かに顔だけを見れば諦めろと言いたくなるが。
「刑事さんはおもてになるでしょ」
「ええまあ、モテますがね」
 謙遜する気はまるでなしだ。
「結婚ってのは顔でするもんじゃあありませんぜ、旦那。結局はね、金ですよカネ。俺なんか顔だけで金がないから、遊び相手にゃ事欠かないが遊んだらポイですぜ。もうそろそろジゴロを気取る歳じゃないっしょ。俺の地味な後輩だってお似合いの地味な嫁をもらって子供拵えておまけに昇進まで……」
「はぁ」
 おずおずと入れられた合いの手のようなもので、佐々木刑事は話し相手がいることを思い出した。あまり内輪の話をするのもどうかといった状況だ。
「ええと、何の話でしたかね。……ああ、そうそう。嫁っすね。……結婚は人生の墓場なんて言葉もありますがね。幸せな人ならそこから天国の暮らしが待ってるんでしょうが、普通は地獄っすよ。そうなりゃ沙汰は金次第って言うね。貧乏人には墓に入る権利もなくて浮かばれない無縁仏って言うね。それに比べりゃあ、お宅は金があるだけいいっすわ。男遊びは自由と割り切って金目当ての女を捕まえて囲っておけば世間体は何とかなるでしょ」
 仕切り直したところで何の話をしているんだと言いたくなる状況に変わりはなかった。だが、八雲氏もせっかくなのでモテ男にアドバイスしてもらうことにしたらしい。
「ううん。しかし、根本的に出会いがねぇ……。男モデルとの出会いならいくらでもあるんですが」
「キャバクラとか行かないんすか?」
「あー。うーん、行かないねえ」
「金があるなら遊ばないと!貯め込むよりばらまくのが金持ちの社会貢献っすよ。女にばらまかれた金がジゴロに回ってきますんでね。これが社会の仕組みっすよ」
 ずいぶんと狭い社会だ。
「ううん。でも、そう言うお店に行く勇気がないなぁ……」
「じゃあ、俺がいろいろ教えてあげますぜ。もちろん、料金はそっち持ちで」
 タカろうとする佐々木刑事。
 もう既に深森探偵の頼みなど忘れていたが、図らずも目的は果たせていた。

 その頃、車を捨てたローズマリーたちはとある場所に向かっていた。そこなら労せず車を手に入れることができる。それに、もっと派手な作戦も仕掛けられる。
 ローズマリーが向かっていたのは囮として使った泥棒偽運送屋の集合場所になっている駐車場だ。囮ではあるが、盗み出させた物はちゃんと回収してストーンに売り捌いてもらう。当然だ。
 そのためにも、盗み出した物を同じ場所に運び出すように指示を出してある。そこにはストーンのエージェントもいるし、車もたくさんある。ローズマリーたちの乗る車を調達することも、さらに思い切った対応もできるだろう。
 そろそろ駐車場に着こうかという頃、ローズマリーたちの目に不吉に明滅する血のように赤い光が飛び込んできた。まさかとは思うが、こんな光は消防車か救急車、あるいはパトカーくらいしか出さない。
 着いてみれば案の定、パトカーの大群が駐車場に群がっていた。泥棒という立場上、その光景にはゴキブリの巣を見たような不快感を禁じ得ない。
 それにしても、どうしてこの場所がバレたのだろうか。この駐車場は日頃から休憩中のトラックがよく駐車している。トラックがたくさん停まっていても怪しいことはない。
 もちろんトラックはしっかりと偽装済みだ。バレるはずなどない。……少なくともローズマリーたちはそう思っているし、実際よく見さえしなければ不自然には思わないだろう。夜道を走っていれば暗さとスピードでただの車だとしか思えない。
 犯行の最中で停めてある車が見つかれば怪しまれるだろうが、その場で捕まえればこの場所がバレることはない。
 だが、盗みを終えるまで待って車の後をつけるくらいのことは警察でも思いつくのだ。
 ローズマリーの狙いがあくまでもマルガリーの女であるならば、こっちの催眠泥棒軍団は囮だろう。しかしたとえ囮でも、がめついローズマリーなら奪った絵をしっかり回収しようとするはずだ。そう考えた飛鳥刑事はその方法も考えた。
 マルガリー狩りと同時に進行するのであれば、その間ローズマリーは彼らに指示を出すようなことはできない。であれば、あらかじめ催眠で指示を出しておくことになる。一番簡単なのは同じ場所に集まるように指示を出しておくことだ。
 普通の泥棒であれば、後をつけられればそれに気付いて警戒される。だが、催眠にかかっている間はそこまで注意が回らない。たとえパトカーに追い回されても警戒しないだろう。何せ自分が盗みを働いたという自覚さえないのだ。飛鳥刑事は見つけた偽運送屋の後をつけてあっさりとこの場所を見つけたのだ。
 そんなわけで、ここは警察に占領されていた。ここにいたエージェントたちも大混乱で逃げまどったようだ。ストーンの車はもう一台残らずいなくなっていた。だが、逃げ遅れたエージェントが物陰で駐車場の様子を窺っている。こういう逃げ遅れがいることが混乱ぶりを物語っていた。
 ローズマリーたちは警察に気付かれないように気をつけながらそのエージェントに近付き、そっと声をかけた。
「ちょいと」
「ほわ。ほわああああああ!ほわああああああああ!」
 いきなり声を掛けられてびっくりしたらしい。せっかくローズマリーたちがこそこそしていたのに台無しだ。
「この辺で変な声がしたぞ!」
「誰かいるのか!」
 警官が寄ってきた。
「にゃあああああん」
「なんだ猫か」
「おっさんみたいな気持ち悪い声の猫だなぁ」
 警官は去っていった。エージェントの素晴らしい機転でどうにかこのピンチを切り抜けたようだ。声の評価で心に傷を負ったようだが大した痛手ではない。
 それよりも。この様子ではここで車を調達するのは難しい。何か他の手段を考えなければ。

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