
Episode 7-『Return back』第7話 広がる森
次にローズマリーが現れたのは、最初の現場からいくらも離れていない、やはり資産家の屋敷だった。
駆けつけて話を聞くと、事件の発生に気付いてまだ20分と経っていないようだ。
家人が我に帰ると開けられた金庫の前に座っていた。もちろん、金庫の中からは宝石が消えていた。さらに、他の部屋にあった絵画や骨董などの美術品はきれいさっぱり消え失せていた。しかし、金庫の中にこれ見よがしに積まれていた札束は無事だった。
未だ混乱する家人に、その直前に訪ねてきた人を覚えていないか問いただすと、“警察署の方から来た”という人物が訪ねてきていたという。
「警察の人と警察の方から来た人は全然違うから。それで、その人はなんて言ったの」
最近この近辺で多発している窃盗事件について聞きたいことがあると言われたらしい。そして気がつくとこのざまだった。窃盗事件で新たに盗まれることになる物について、さぞやいろいろ喋ってしまったのだろう。
「あの。ところで私パトカーの方から来た者なのですが」
そう切り出したのは。
「深森探偵、居たんですか」
パトカーは玄関前に停めてある。玄関から来れば、それはもうパトカーの方から来たことになるのだろう。
「怪盗の居るところ、探偵の姿あり。……生憎、もう怪盗の姿はないようですがね」
「それじゃ、ここにいてもしょうがないんじゃありませんかね」
飛鳥刑事の言葉に深森探偵は大きく頷いた。
「その通り。そこで、聞きたいことがあるのですがね。この近所で怪盗に狙われそうな、特に裕福な家はありませんか」
「次に現れそうなところに先回りする気ですか」
「もう先回りとは言えないでしょうな。だが、追いつけるやもしれませんぞ」
先ほど聞いたとおりローズマリーたちが大きな車で動いているなら、さらに次の場所に向かっている確率は高い。
ローズマリーたちも、警察は被害者の話を聞いているだけならばまだローズマリーの仕業であることに勘付いた程度で、自分たちが引っ越し業者に偽装していることまでは把握していないと考えて堂々と動き回っているだろう。これだけ大掛かりな仕事なら一気にできるだけ稼ぎたいはずだ。、ましてや手口を掴まれれば次も同じ手口と言うわけにはいかないのでますますだ。
そうであるなら、行きそうなところにあたりをつけて早めに動いておくのは悪い手ではない。
「よし、飛鳥。ここは俺に任せて行ってこい」
佐々木刑事の言葉に飛鳥刑事も頷いた。
「そうだな」
家人にこの近所にある大きな屋敷を思い当たるだけ挙げてもらう。先ほど被害に遭っていたダブル不倫夫人宅を含めていくつかの候補が挙がった。狙うべき相手は分かっている。手作り感あふれる引っ越し社の貨物トラックだ。ターゲットと居そうな場所が分かっているならばすぐに見つかるだろう。
「それじゃ、行きましょうか、深森探偵」
車に案内しようとするが。
「一緒に行こうというのですかな?笑止!」
「え?」
「一緒に行ったところで何になりますか。相手は目立つ貨物トラック、一人でも見落とすことなどないでしょう。そして、二人で見つけて、警察無線で応援を呼んで……それって、私要りますか?要らないでしょう」
「まあ……要りませんね」
「それならば、二手に分かれた方がいいに決まってます。効率の上でも、私の出番という面でもね!」
深森探偵の出番はともかく、効率に関しては確かに言うとおりだ。
この近辺の豪邸を時計回りと反時計回りでそれぞれ順に巡ることにした。
「深森探偵が車を見つけたときはどうします?」
「泥棒を見つけた一般市民として、すべきことをしますよ」
深森探偵はそう言い自転車に跨る。普通に通報するのだろう。それならば警察無線で飛鳥刑事のところにも連絡がくる。
深森探偵の自転車が闇に消えた。飛鳥刑事も車を走らせた。
警察無線に連絡があった。
『捨熊町3丁目34番地の手貫宅にて引っ越し業者を装った窃盗団が現れたとの通報あり。付近を巡回中の車両は急行してください』
深森探偵が見つけたのか、被害に気付いた家人の通報か。とにかく、飛鳥刑事はそこに向かってみることにした。
飛鳥刑事の他にも現場に向かっている車があるらしく、遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。
現場に着いたのは飛鳥刑事が一番乗りだったようだ。まだパトカーの姿はない。その代わり、話にあった貨物トラックがあった。
辺りには人影も人の気配もない。前に貨物トラックが停められている屋敷は扉が開け放たれている。ローズマリーはまだ中にいるのか。
「お早いお着きですな」
「おわっ」
確かに人影も人の気配もなかったのだが、すぐそばで人の声がした。
声のした方に目を向けると、ゴミ捨て場でゴミ袋がもぞもぞと蠢いている。その一部がめくれて中から深森探偵が現れた。いや、ゴミ袋が深森探偵になったと言った方がいい。これが噂の深森探偵の変装術らしい。油断していたとは言え、全く気付かなかった。
「いくら優れた探偵である私でも怪盗率いる屈強な集団に単身で正面からは立ち向かえません。連中にはむざむざと逃げられてしまいました。……だがしかしっ」
深森探偵は貨物トラックを指し示す。
「お宝満載の車を奪取しましたぞ!生憎宝石の類はポッケに入れて持って行かれてしまったようですが……」
「おおっ。……でも、何で車を捨てて逃げたんです?」
「それはですな」
深森探偵は貨物トラックの後ろに回り込みしゃがみ込んだ。車のマフラーに棒を突っ込みかき回すと何かが出てきた。マフラーの排気口を詰めてエンジンがかからないように細工したようだ。
「なるほど。パトカーのサイレンが近付いてくるのにエンジンがかからないとなれば、車を捨てて逃げるしかないですね」
「連中は全員もう一台あった乗用車に乗って逃げたようですな。無理矢理7、8人は乗り込んでいましたぞ」
検問をすれば定員オーバーで引っ張れそうだ。ローズマリーがいる以上、催眠術であっさりと切り抜けそうだが。
次々とパトカーが到着し、すでに家人しかいないだろう邸宅内に警官が駆け込んでいく。それを後目に貨物トラックの荷台を開けてみると十数点の絵画や彫刻、骨董品が出てきた。数人掛かりで運び出しただけあって結構な量だ。これがたった三軒の民家から持ち出されたものだと言うことが一番信じられない。いや、むしろ信じられないのはこんな金持ちと同じ町に住んでいる自分の月給の方か。
ここの家人もやはり催眠をかけられ金庫を開けさせられていた。金庫から奪われたのは宝石のみ。あとは壁に掛かっていた絵と庭の彫像だが、いずれも貨物トラックの中から見つかった。これまでの家で盗んだ分ももちろん一緒だ。結構な量を奪い返せた。
引っ越しの越石と聞いていたが、貨物トラックにはラッカーでカラフルに「引っ超しの超石」と書かれている。字が間違っているが、気付かなかったのかそれとも何か深い意味でもあるのか。どうやら、この貨物トラックもどこからくすねた物のようだ。適当極まりない恥ずかしい上塗りの隙間から別な会社のロゴらしい物が見える。こんなひどい偽装でも施さねばならなかったのは、よほど民家の前に停まっているのが不自然な車だったのだろう。 ローズマリーも手を変え品を変えいろいろと仕掛けてくるが、それだけに準備にかける時間はとれないらしい。
また次の夜も何か仕掛けてくるに違いない。ひとまず、これだけ散々な目にあえば今夜は安心だろう。
翌朝の新聞には一面にローズマリー出現の記事が大きく出ていた。
見出しは『ローズマリーVS名探偵』、もちろん、名探偵とは深森探偵のことだ。記事には昨夜ローズマリーが起こした三件の事件とその目論見を砕いた深森探偵の活躍、警察との見事な連携について書かれている。
深森探偵の奥義と言ってもいいゴミ変装については秘密になっているのか触れられていないが、それ以外の活躍については余すことなく語られている。
そんな記事を街角のおしゃれなカフェで、苦いコーヒーを飲みながらそんなコーヒーの苦さでもそこまでではないだろうというほどの苦みばしった顔で目を通す女性の姿があった。怪盗ローズマリーその人である。
ローズマリーにしてみれば自分の失敗を晒しあげる記事だ。苦々しくて当然なのだが、それに加えてと言うものもある。
これは聖華市にローズマリーが戻ってきたことを知らせる最初の新聞記事でもある。ローズマリーとしては犯行を華麗に成功させて颯爽と登場したかったのだが、初日はオカマに偽の宝石を掴まされ、翌日も宝石こそ手に入れたものの計画そのものは大失敗。挙げ句そんな状態で晒しあげられたのだ。
ローズマリーの計画では一通り荒稼ぎした後、盗んだ美術品と貨物トラックをバックに写真を撮って「引っ越し祝いはいただきました」と言うメッセージとともに新聞社に送りつけるつもりでいた。しかし、それがうまくいったところで恥を晒すことになっていただろう。何せ、貨物トラックに書かせた引っ越し屋の文字が間違っていたらしいのだ。
横に越石と書いてあるのに、なぜ同じ字である引っ越しの越を間違えるのか。成功して揚げ足を取られるのも悔しいが、失敗してさらにそれをいじられるのはなお悔しい。貨物トラックの塗装をしたエージェントには催眠で夜も眠れなくなるほど恐ろしい白昼夢を見せてやらないと気が済まない。なお、記事には引っ越しの文字が間違っていたとしか書かれていなかったのでローズマリーは知る由もないのだが、越石の方も間違っていたのはご存じの通りだ。
計画が失敗に終わった原因は名探偵の機転のせいだということを記事で知った。この探偵の小細工で車が走らなくなり、狭いセダンに8人も乗り込むことになったのだ。美術品をごっそり奪い返されたことよりもそのことに腹が立つ。重い美術品をいくつも運んだ後のむせ返るようなエージェントも複数いた。しかも、そんな力仕事をするような連中だけに、筋肉ではちきれんばかりの肉体だ。窮屈で汗臭く蒸し暑い、地獄としか言いようがない車内だった。
思えば、この探偵には見覚えがあった。西川小百合の所在や現況を探るために雇った探偵だ。最後には調査資料を奪い取り、ついでに調査費用を踏み倒す為に催眠にかけた記憶があるが、催眠は解けて自分が被害にあったことを思い出したようだ。そのことがきっかけでローズマリーを勝手にライバル視しているらしい。
正直、こんな探偵など相手にする気はない。だが、思った以上に厄介で面倒な相手であることが記事を読むうちに分かってきた。
探偵の名字が砂島のライバル候補の一人と同じだったのでもしやとは思ったが、案の定だった。候補者の深森昭良とは親戚らしい。正直、物のうちにも入らないような色物候補だ。だが、今回ローズマリーに一泡吹かせたことでそんなただの色物候補にも票が流れかねない。
さらに輪をかけて厄介なのは一番の強敵であろう森中候補とも繋がりがあるらしいことだ。どちらも名門の旧家で古くから繋がってきているらしい。つまりはこの探偵による浮動票の流動は色物の深森候補よりは森中候補に向く確率の方が高いだろう。それだけは絶対に避けなければ。
ローズマリーが今こうして聖華市で暴れていることには森中候補の足を引っ張るという目的も多分にある。市長などやっている場合ではない、警察に戻れと市民に思わせるのだ。だが、そんなローズマリーが森中警視以外に撃退されては森中候補が市長になっても大丈夫だというお墨付きにしかならない。
そして、取るに足らない相手だと思っていた深森探偵も、あの森中元警視の“一味”ということになると、正直嫌な予感がする。いや、むしろ嫌な予感しかしない。
森中警視が不在となった今のうちに荒稼ぎするつもりだったローズマリーだが、出鼻も挫かれ前途は波乱含み。早くも帰りたい気持ちになっていた。
いつもは主婦のたまり場にされていた森中候補の事務所だが、今日は少し違った。朝から飛鳥刑事と佐々木刑事がサボりに来ていたのだ。
このところ連夜ローズマリーが現れている。どうせ今夜も現れるに決まっている。だから、昼は寝て夜に備えているのだ。一応、刑事課長公認なので高いびきだ。なぜこんなところで寝ているのかというと、やはり連日の怪盗騒ぎで仮眠室がふさがっているためだった。
そして、寝ている以上唯の風景の一部に過ぎない。いつもと少し事務所の内装が違うだけで、主婦がくっちゃべる光景に変化はなかった。
主婦の手加減ない茶飲み話も気にせず眠り続けた二人だが、容赦ない物理攻撃にはさすがに目を覚ました。大貴が幼稚園から事務所にやってきたのだ。
大貴は男友達数人をつれて現れた。そのまますぐ遊びに行くので荷物だけ置きに来たようだが、眠り込んでいる父親を見つけて飛びかかり引っ張り引っ叩きのフルコースをお見舞いしたのだ。
さらに、大貴の連れてきた悪ガキが事務所の外で「昼間から寝てんじゃねーぞ、税金ドロボー」「国家の犬ー」などと幼稚園児らしからぬヤジを飛ばしてきた。それにブチギレた佐々木刑事が車に積んであったマシンガンを取り出して悪ガキに乱射し始めた。
「税金も払ってねえチビどもが調子に乗るんじゃねえ!てめえらのお駄賃から所得税納めてみやがれ!オラオラぁ!」
今はBB弾さえ入っておらず音だけのおもちゃだが、悪ガキをビビらせるには十分だ。悪ガキどもは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
これで騒がしいのは主婦軍団だけになったが、また寝る気は起こらない。そろそろ起き出すにもちょうどいい頃合いでもある。そろそろ署に戻ることにした。
とある駅前に差し掛かると選挙演説が行われていた。まるで選挙演説に見えないのは深森候補の演説だからにほかならない。
「俺も大人だからよく分かるが、大人どもはクソったれだ!偉くなるような連中は特に金にきたねえクソったれだ!」
このままロックンロールかフォークソングでも歌い出しそうな口上だ。そんな選挙権を持つようなクソったれどもに聞かせるにはそぐわない演説だが、ちょうど下校時間ということもあって聞いているのは制服姿の学生が多い。それはそれで、有権者に聞かせるべき選挙演説としてはいかがなものかとは思う。
「この町は俺たちの町だ!金持ちの道楽で腐らせちゃならねえ!」
この町における金持ちの比率を考えればこの演説も逆効果にしかならない気がするのだが。そもそも、昭良は実業家としてそこそこ成功している。昇進したとはいえまだまだ薄給の飛鳥刑事に比べれば十分金持ちだ。いわんや、昇進すらしていない佐々木刑事に於いてをや。
とにかくいろいろ突っ込みどころはあるが、ここに集まっている中高生はこういうのは好きそうだ。これに感化されてツッパリになってしまわないことを祈ろう。
そう言えば、肝心の森中候補の演説をまだ聞いたことがない。せっかくなので見に行ってみよう。確か今日の夕方にうみゆり公園で演説を行うはずだ。覆面パトカーを海に向けて走らせる。
「せっかく海の見える公園までのドライブなら、助手席には美女を乗せたかったな。なにが悲しくて男二人でオッサンの話を聞きに行かなきゃならないのかねぇ」
ふと、そうぼやく佐々木刑事。
「……仕事するか?」
「……オッサンの演説サイコーです。サボりサイコー」
「どうせ夜になりゃあ女のケツを追って走り回ることになるだろ。……相手もそろそろ若くはないがな」
そう言いながら、飛鳥刑事はハンドル片手に煙草を取り出し、一本咥えた。
「そういやあ、今回はまだ一回もローズマリーの顔見てねえんだよなぁ。何年ぶりだっけ……?すっげー老け込んでたらやだなー」
「あの小百合がすっかり大人の女性だからなぁ。しかも母親ときたもんだ」
「へっ。コマしてハラませたのはお前だろうが」
「ま、そうなんだけどな。……庸二もそろそろ家庭を持ったらどうだ」
「性にあわねぇし、先立つものもねえっての」
まあそうだろうな、と飛鳥刑事は思う。それにしても。
「これまでの給料とボーナスはどこに消えたんだ」
「女に決まってんだろ」
「なんか、矛盾してるよなぁ……」
そんなヨタ話をしている間にも、車はうみゆり公園に到着した。
公園には百合のような形の、それでいてあまり百合っぽくない、むしろ中からエイリアンでも出てきそうな遊具が並んでいる。……本当に遊具なのだろうか。
公園には結構な人が集まっていた。ここはデパートが近い。夕食の準備のための主婦、もう少し遅くなれば帰宅途中の会社員が立ち寄る場所だ。
「演説は5時から30分か。もうそろそろだな」
時間設定からして、狙いはその層だろう。
やがて、森中候補が登場した。何とも野戦に向いてそうなオープンジープに乗って手を振りながらゆっくりと公園に入ってくると、観衆からぱらぱらと拍手が巻き起こり、それはだんだんと人々に広まっていった。最初の数人は後援会の仕込みだろう。
森中候補は公園内でも一際大きな遊具に登り始めた。滑り台だろうか。逆さにするとチューリップハットのようだ。中腹の勾配が急になりすぎないように斜めになっているが、十分急勾配だ。それにデザイン性のために終点が割と高い位置になっている。小さい子供では足がつかないのではないか。多くのトラウマを生み出していそうな滑り台だ。
海と沈みゆく太陽を背に、森中候補の演説が始まる。……見ている人は眩しいのではないだろうか。
「現市長の手によってこの町は新しい風を取り入れることに成功しました。それによりこの市はさらなる発展を続けています」
森中候補はそう切り出した。聖華市の人口は増加の一途を辿り、市街地も発展が続いている。新たなランドマークが作られ、それがさらに人を呼び寄せる。勢いはまだまだ止まりそうにない。
森中候補は基本的にそのやり方を踏襲し、さらなる発展を目指していく方針であるようだ。
当たり障りのない理念語りをしているうちに日も傾き、人も少しずつ集まってきた。ここから本題のようだ。
「この町に発展をもたらした外からの風ですが、その風によって悪いものも吹き込んでいるのも事実です。ここ二三日、再びこの町に舞い戻り暴れているローズマリーなど、その最たるものであります」
森中候補の退職・立候補による隙をついたローズマリーの襲来。森中候補にとっては不利な話題だが。
この町は信仰心の高い住民が多く、資産家も多い。そんなこの町の特性上、この町の古い住民は犯罪に走ることはほとんどない。だが、最近は余所からの流入が多く、そのような人物の中には最初から裕福な住人の資産を掠め取ろうという手合いが少なからずいるのもまた事実だ。現在の成長路線を進む以上、外部の犯罪者も呼び込み続けることになる。
「昨今、警察の努力により犯罪件数は減少傾向にありましたが、それでも犯罪の根が絶たれた訳ではありません。ご存じの通り私は警察官として犯罪と戦ってきましたが、この町の犯罪事情は他とは些かかけ離れたものとなっております」
大きな被害が出がちな所を中心に防犯を進めるにも、対象が余りにも多すぎる。警備に回せる人員もたかが知れている。警察は後手に回りがちどうしても防犯に関して限界がある。
そんな話を聞いて、聴衆が不安にざわつきだした。森中候補は言う。
「守る力に限りがある以上、守られるだけの市民ではいつか犯罪の被害に遭うのを待つだけであります。これから我々に求められるのは犯罪と戦う力なのです。元警察官であり怪盗とも幾度となく相見えてきた私には、その力も蓄えられたノウハウもあります。市ぐるみで犯罪に立ち向かう、そのための設備投資や条例の整備を押し進めていきたいと考えております」
やはり、自分の得意分野を目玉に掲げてきた。そういう意味ではこのタイミングでローズマリーが出没したのもむしろ追い風といって良さそうだ。
森中候補は防犯インフラの構想などを述べた後、最後に言い添える。
「我々の、犯罪に立ち向かう意志を示すのはまさに今です!戦おうとするみなさんの先陣を切ることができるのは私です!私の勝利こそみなさんの勝利なのです!これは我々の戦い、我らが闘争なのです!さあ、明日のため未来のために立ち上がり、共に戦いましょう!」
森中候補が手を振りあげると、観衆から一斉に拍手が巻き起こった。今度のはサクラ先導ではなさそうだ。森中候補の終盤に向けて力強く熱を帯びていく演説はなかなかにうまいこと観衆の心を掴んだということだ。ローズマリーの話で不安を煽りつつ、その不安を払拭することを約束する事で頼もしいイメージを持たせることができた。そして、森中候補の理念は市民と共に戦うこと。その理念に沿い、共にや我々と言った言葉を多用したことで観衆との一体感を演出したようだ。
「はー。森中さんもよくやるわー。俺はこういう演説とかダメだわ」
観衆の中で一番やる気のない適当な拍手をしながら佐々木刑事が言った。
「俺もだ」
「女と向かい合ってならいくらでも喋れるんだがねぇ」
「……俺はそっちの方が苦手だ」
「小百合も気楽だろうなぁ。浮気なんかしそうにないや」
「おまえの嫁になる女はかわいそうだな」
「その心配はいらねえよ。嫁をもらう気はねぇからな」
二人がそんなことを話している間にも、森中候補は演台となった滑り台から降り、登場したときと同じように車に乗って手を振りながら公園を去っていった。
まだ、ローズマリーが現れたという知らせはない。今日はどこに現れるのだろうか。
そんなことを考えながら車に乗り込もうとする飛鳥刑事の視界の端で何かが動いた。
「お帰りですかな」
「のわっ」
百合なのかエイリアンの巣なのかよくわからないオブジェの中からぬっと顔を出したのは深森探偵だった。
「いたんですか!」
「いえ、今来たところです」
「今って……もっと早く来ないと演説聞けませんよ」
「演説に用はありませんな。用があるのはあなた方にです」
また面倒なことになりそうな気がする。
「何です?」
「ローズマリーも私を認めたようでしてな。ふっふっふ……私のところにっ!予告状が届いたのですよ!」
「何ですって!」
関わり合いたくなさそうにそっぽを向いていた佐々木刑事も、徐に歩み寄って覗き込んできた。
「それでですな。……新聞に載るくらいの有名人になった名探偵・モリサダのことです。面白半分で偽の予告状を送りつけてくる不逞の輩も現れるやもしれません。この予告状が本人のものかどうか、調べていただきたい」
予告状を手にとって眺めていた佐々木刑事は考え込む。
「調べるったって……どうやって調べるんだ?予告状なんて怪盗らしい真似してたのはルシファーばっかりで、ローズマリーはルシファーの来るところに張り合って出てくるか勝手に出没してたから予告状なんてなかっただろ」
「指紋でも調べりゃいいんじゃないか?ローズマリーの指紋ならデータがあっただろ」
指紋など残っているだろうか。……しかし、正体を隠して送ってきているわけでもないのだから、本人であれば堂々と素手で髪を触りながらしたためたはずだ。調べてみる価値はあるだろう。
指紋を調べるために、一度署に戻って鑑識に回すことにした。その車内で改めて予告状を調べる。
予告状には『星見ヶ丘4丁目の八雲邸より、巨匠リージェント作の名画・マルガリーの女をいただきます』と書かれている。正直、聞いたことのない巨匠だが、芸術に明るい人なら知っているのだろうか。
署についた。深森探偵は後から自転車でやってくる。それを待っている間に指紋の鑑定も終わった。間違いなくローズマリー本人が書いた予告状と見ていいだろう、とのことだ。
「それで、ローズマリーはそこに現れると思いますか」
「思いませんな」
言い切る深森探偵。
「敵に手の内を明かしてどうするのです。こんなのようどうに決まっているではないですか。こっちに行くぞと教えておいて、実際には反対に現れる。私ならそうしますぞ」
何とも姑息な考え方をする深森探偵だが、その言葉に飛鳥刑事と佐々木刑事はそろって頷いた。
「ルシファーならともかくなぁ」
「ローズマリーなら、そうだろうな」
それでも、釣られてやらないとローズマリーも動かないだろう。深森探偵は単身星見ヶ丘に向かうという。
「ローズマリーが別な所に現れたと聞き我々が色めき立ってそちらに向かったところで、マルガリーの娘を掻っ攫いに行く手筈と読みました」
その上で、深森探偵は刑事たちに提案する。ローズマリーが出没したらその場所を電話で教えてほしいと。
警察としても予告が出ている以上ほったらかしにもできない。電話よりも警察無線の方が手っとり早く確実だろう。覆面パトカーを一台置いておく方がいい。飛鳥刑事と佐々木刑事は二手に分かれることにした。深森探偵と共にマルガリーの女を守るのは佐々木刑事だ。
「女は俺に任せろ」
佐々木刑事はそう言うが、むしろ女に危険が及びそうな感じがするのはなぜなのだろう。幸いなのは、女がただの絵であることだろう。
飛鳥刑事は警察署で待機する。念のため警察署から見て星見ヶ丘と逆方向に当たる一帯の巡回を増やしたが、気休めだろう。こちらは現れてからが勝負になりそうだ。
星見ヶ丘4丁目、八雲邸。佐々木刑事はその門を叩いた。深森探偵は自転車で後から現れる。
顔を出したのはロマンスグレーの紳士……と呼ぶには些か薄汚い顔立ちのオッサンだった。
「あのぉ。警察署の方から来た、こういう者なんすけどね」
佐々木刑事が警察手帳を見せると、胡散臭い顔のオッサンは目を泳がせ始めた。
「お、俺は警察のお世話になるような疚しいことなんて……な、な、なんにもないぞ」
どう見てもダウトだ。だが、このオッサンが裏でなにをしてようが今は関係ない。まずは用件を伝える。
「実はお宅のお嬢さん。……丸刈りの?そのお嬢さんがローズマリーに目を付けられてましてね。ナイトとして馳せ参じたってぇことなんすけど」
「お、お、おお。なんと、そう言うことですか。それはどうも。ささ、どうぞどうぞ」
おどおどしながら佐々木刑事を招き入れる八雲氏。
八雲氏は佐々木刑事を真っ直ぐ絵のある部屋に案内した。華やかなタッチで描かれた若い金髪の女の絵だ。
「ほほう、いい女だ」
「でしょう!」
「……髪の毛、ありますね」
「あははははは」
本気で丸刈りだと思っていた佐々木刑事と、良く言われるジョークだと思った八雲氏。
「美女の前でこんな下世話なことを言うのもなんすけど……おいくら?お高いんでしょう?」
「いいえ、実はそれほどでも。俺は友人の誼ってこともあって5万で譲ってもらいましたぜ」
「え?友人……?でも、有名な画家の名作なんすよね?確か……リーゼントとか……」
「ジョナサン・リージェント。アメリカ出身でポップアート作家を目指して絵の勉強をしていたそうですがね。今は東京で漫画家のアシスタントをしてるって言ってたかなぁ」
「……全然巨匠じゃねえ!……でもなんか、結構古びた言い風合いみたいな感じになってるじゃないっすかこれ」
「保存状態が悪いだけじゃないかねぇ。この絵はハイスクールでの片想いの相手を思って描いたらしいですがね。久々にアメリカに帰ったら、その子が100キロ以上の巨体を揺さぶりながら子供を3人連れてるのを見てショックで手放すことにしたらしいです」
「うわあ、きっついねぇ……」
「この絵は実は3枚セットになってましてね。残りの2枚は裸婦像で、一枚は売りに出したらすぐに売れたらしいですよ。もう一枚は……あまりにも過激なので人に見せられずに未だに厳重に仕舞ってあるとか」
「それは……ポルノの類になりそうっすね」
好きな人をモチーフに、エッチな絵を描く。絵心のある若者ならやりそうなことだ。そして、そんな経緯で生まれた絵が、名画であるとは思えなかった。
「それじゃあ、なんでこれが名画ってことになってるんです」
「いやあ。ジョンがね、そのヌードの絵を買った人にこの絵は実は3枚あるんだって言う話をしたみたいで……。その話が絵が人の手を巡るうちに勝手に大きくなってて、幻の名画みたいなことになっちゃったみたいなんですよね。それで、ついこの間俺がジョンからその絵を買ってたことが知られまして、何人か取材が」
「何人もの手を巡りながら、別に名画でもなんでもないってことに誰も気付けなかったのか……。そいつらの目は節穴だな」
そして、それに踊らされるローズマリーもご苦労なことだった。とは言え、悪い絵でないのは確かだ。……これのエッチなバージョンというのも、見てみたい気がする。名画とは、こうしてなんでもない絵に妙な付加価値がつきながらできあがっていく物なのかも知れない。初恋の人をイメージしながら描いただけのただの絵を掴まされたローズマリーも見てみたい気がするが、もう名画と呼ばれるだけの価値がついていて結構いい値段で取引されたりしたら癪だ。やはり、このお嬢さんは守ってやりたい。たとえ、今は子持ちの太ったおばさんになっているとしてもだ。
そして。もう一人のナイトが自転車に跨りゆっくりと八雲邸に近付いてきていた。
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