
Episode 7-『Return back』第5話 踊る大選挙戦
告示日。新聞には候補者の一覧が掲載された。
我らが森中秀雄の名前はもちろん、甃井五輪男候補の名もちゃんと読み方も添えて書かれていた。そして。
朝のコーヒーを飲みながら新聞に目を通していた飛鳥刑事は、その名前を見つけた時、飲もうとしていた熱々のコーヒーが鼻にまで引っかかるくらい仰け反って驚き、その熱さに暫し悶えた。
そして、慌てて森中候補に電話をかけた。
「やあ飛鳥君か、おはよう。新聞を見て電話をかけてきたんだね。どうだね、私のコメントは心が震えただろう」
そう言えばそこはまだ読んでなかった。それどころじゃなかったからだ。
「森中警視!……いやその、候補。謀反です!深森が裏切りました!」
新聞で見つけたのは深森昭良の名だった。ただでさえ多くはなさそうな名前の上、写真まで載っている。同姓同名の他人であるわけがなかった。
「ああ、それか。それなら供託金なんかをおごって立候補させてあげたんだよ。思い出作りにね。ああ、もちろんうまいこと法には引っかからないように策は巡らしてあるよ」
「はい?」
どうやら森中候補の差し金のようだ。
「選挙は賑やかな方が楽しくなると思うだろう?だから心行くまで盛り上がってくれと頼んでおいたんだよ。わはははは」
森中候補は何か企んでいるらしい。どうせ、またろくでもないことなのだろう。
昭良にはなじみの常連客なども居て顔は広い。族上がりのヤンキー衆ぞろいの、些か選挙というようなお堅いものとは縁遠そうな連中だ。それだけに行ったこともないだろう選挙の初めての投票での森中候補への得票をあてにしてたりもしたが、これではその票は期待できそうもない。
その票を捨ててでもやりたいことでもあったのか。……ただの厄介払いのような気もするが。
昭良の事務所の場所も教えてもらった。聞き込みのついでにでも様子を見に行くことにした。
森中候補から聞いた事務所の場所に着いた。
だが、事務所など無かった。どう見てもただの空き地だ。
それでも場所は間違いないというのはすぐに分かった。竹槍のようなマフラーを空に向けた、見るからにろくでもなさそうなバイクが何台も空き地に停まっている。
空き地の奥にはベニヤ板の看板が掲げられ、ラッカーで極彩色に染め上げられており、何ともサイケデリックな文字で『深森昭良参上』と書かれていた。少なくとも、選挙事務所には見えない。暴走族の拠点以外の何物でもなかった。
空き地にたむろしていた、絶対に関わりたくない感じの若者たちが飛鳥刑事に気付いた。一斉に立ち上がり、飛鳥刑事に向き直った。そして口々に同じことを口にする。「清き一票世露死苦!」と。これで一体誰が投票したくなると言うのか。
空き地の奥には一際目立つゴテゴテと飾りがついたバイクがある。林立するマフラーでパイプオルガンのようになっていて、高く聳えるカウルには『アキラ』『投票上等』の文字が見える。どうやら、選挙カーのつもりのようだ。隣にある一回り小さなバイクのカウルには顔のような物が描かれている。どこかで見たような造形だと思ったら、ダルマだった。目つきが悪く、鋸のような歯を剥き出し、口の端をつり上げて笑う斬新なデザインのダルマだ。
もう何がなんだかわからない。勝つつもりがあるようには見えなかった。
夕方6時から集会と書かれた立て札が立っている。来るならその時の方がいいか。それとも、今ここに集まっているメンツから見てやめといた方がいいのか。とりあえず、昭良は不在のようだ。
飛鳥刑事も暇ではない。あまり油を売ってもいられない。とりあえずこの訳の分からない選挙事務所は気になって仕方ないが放っておくことにした。
今日の仕事も終わった。どうせ夜になれば事件が起きて緊急出動をかけられるに決まっているので、とっとと切り上げるに限る。
森中候補の手伝いにいっている小百合と、幼稚園が終わってから小百合のところに行っている大貴を迎えにいくことにした。
昨日はちょっとした宴会があったようだが、今日は事務所も静かだ。ただ、子供が一人騒いでいる声はする。まったくどこのやんちゃ坊主だろう。
覗いてみると、小百合と我が家のやんちゃ坊主、どこかのおっさんと聖良の姿があった。聖美の姿はない。
大貴はただ一人で騒いでいたわけではないようだ。悪のロボット・ダルマーからセイラ姫を助け出す正義のヒーローごっこをしているそうだ。ダルマーは相当手強く、目に見えないレーザーで攻撃してきてまったく近付けない。
やられて吹っ飛んでは不屈の闘志で立ち上がり、軽快なステップでレーザーをかわしながら少しずつ近付くが、ある程度近付くとまた壁まで吹っ飛ばされるという何とも大変そうな遊びだ。
聖良はずっとダルマの裏に行儀よく座ってそんな大貴を応援し続けている。なんと楽な遊びだろう。
「おい、息子。今日はもう帰るぞ。とっとと悪者を倒せ」
「よーし、食らえダルマー!ダイキーック!」
ダルマに向かって猛然とダッシュし始める大貴。勢いが乗りかけたところで小百合に首根っこを引っ掴まれた。
「こら!キックしちゃだめ!」
確かに蹴っちゃ駄目だろう。ましてここのダルマは当然レプリカながらありがたいキリストダルマだ。神を足蹴にするのはまずすぎた。いよいよもって大貴には手出しのしようがなかった。
「諦めろ、息子。相手が悪すぎたんだ」
「そんなぁ。正義が悪に負けるわけにはいかないんだっ!」
「おまえは悪に負けたんじゃない。時間に負けたんだ」
どうにか言いくるめたが、大貴は釈然としない顔だ。
それよりも気になるのは。
「何で聖良ちゃんがここに?」
「聖美さんは昭良さんの応援に行ってるんだけど……。あっちはなんか子供にはちょっと見せられないからこっちで預かってほしいって」
それは……とてもよく分かる気がする。聖美ですらあそこをうろついていいものか。
「聖良ちゃん、どうしよう。昭良のところは6時から集会だって言うから見てくるつもりだけど……連れていけないよなぁ」
誰なのか分からないおっさんは言う。
「ここはもう閉めるよ」
誰なのかは分からないが、ここの戸締まりを管理しているようだ。この人に迷惑もかけられないし、よく分からない人と二人きりにするのも不安だ。集会が終わるまで預かるしかなさそうだ。
小百合と大貴、聖良を家において飛鳥刑事は深森昭良選挙事務所……と言っていいのか分からないが、とにかくそこに足を運んだ。
想像通り、いやそれ以上の光景がそこにはあった。空き地の付近は族車で埋まり、ガラの悪い若者が群がっている。確かに、これは“集会”だ。
いくつものグループが集まっているらしく、掲げられている旗もいろいろだ。そして自分のグループの優位を示すかのように周囲に鋭い眼光を周囲に巡らせている。一触即発というか、あとは手が出るのを待つばかりという状態だった。
空き地の奥に、一人だけ場違いな人物がいた。聖美だ。ちんぴらの中に投げ込まれた哀れな一般人にしか見えない。まだ昭良の姿はない。
聖美の近くに行こうとすると、不良たちに取り囲まれた。
「おどれはどこのチームのOBじゃい、コラアアァ!」
どこの訛なのだろうか。
凄まれたことよりもチームのOB呼ばわりされたことに面食らう飛鳥刑事。刑事も長くやっていると一般人とは違う雰囲気になるとは言われるが、自分からも堅気とは違う雰囲気がするのだろうか。少なくとも、族上がりだと思われるくらいには一般人っぽさがなくなってきているようだ。
どうすればここを通してもらえるだろう。警察手帳を見せれば逃げていくだろうか。逆に袋叩きにされそうな気もする。
その時、聖美がこちらに気付いた。
「飛鳥さーん」
そう飛鳥刑事を呼んで手を振ると、飛鳥刑事を取り囲んでいた者を含め不良が次々と道を開けた。昭良は彼らによほど慕われているのか。……あるいは怖れられているのか。
聖美のそばまで行くことができた。昭良の姿はない。聖美によると、選挙にかまけて店を閉めるわけにもいかないので、学生が来る夕方近くは店を開けているそうだ。
「市長になったら店なんかできないでしょ。どうするの」
飛鳥刑事の言葉に聖美は笑う。
「市長になる気、あると思います?」
確かに、選挙で勝てそうなことは何もしていない。ここに集まっている連中も、大部分が選挙権もない未成年者。彼らの親が昭良に票を投じるとも思えない。むしろ、暴走族を集めての集会など、イメージが悪くなるばかりだろう。しかし、昭良を支持しそうな層はこの連中くらいだ。
「市長になる気がないなら、なんで立候補なんかしたんです?本当に思い出作りなの?」
「さあ?私は何も。ただ、森中さんについて歩いていたら、森中さんの思いつきで立候補することになったって言ってましたわ。やりたいようにやって、とにかく目立って欲しいんですって」
おそらく、森中候補には何か目的があるのだろう。昭良に聞けば話してくれるのか。いや、この調子だと昭良も目的については何も聞いていないか。いずれ、何か分かるかも知れない。分からなかった時は……よく分からない人がよく分からないことをしたとだけ思えばいいか。
詳しい事情について聞くのは期待できないようだ。それならば、もう一つの用事をとっとと済ませておくべきだ。
「聖良ちゃん、森中さんの事務所を閉めるって言うんでうちで預かってるよ」
「あら。昨日はずいぶん遅くまで開いてましたのに」
「さすがに、毎晩酒盛りはやってられないってことじゃないかな」
聖美は手帳を取り出してメモを取る。『聖良はあすかさんがあずかっている』
「ええと。終わったら警察の方に電話をかければ……?」
「いや、うちで。小百合も居ますから。それに、俺はもう急用でもない限り署には行きませんよ」
「分かりましたわ。じゃあ……このメモを渡しておきますね」
聖美はメモに『けいさつには電話するな』と書き加えて破り取った。
「あの。その書き方はとても誤解を呼びそうなのでどうにかしてください」
「……あら。そうですわね。……演説が終わったら口で伝えますね」
「そうしてもらえると助かります。……いろいろと」
これで用は済んだ。しかし、もうすぐ演説も始まる。昭良がどんな演説をするのかは興味がある。少し聞いていくことにした。
辺りの状況は最悪だった。睨み合いはとうとう言い争いにまで発展し、いつ掴み合い殴り合いになってもおかしくなかった。
その時、ようやく昭良が登場した。いつもはオイルまみれの作業着姿の昭良も、今日はビシッと決めている。……特攻服で。日頃はオールバックにして気持ち程度に前に出っ張らせていた髪も、キメキメのリーゼントだ。
「オラァ、てめぇら!俺のシマで張り合ってんじゃねぇぞ!俺様が喋ンだ、黙りやがれ!カッコ悪いだろうが!」
拡声器で一喝する昭良。辺りは恐ろしいほど静かになった。
演説が始まる。
「……俺が昭良だ。俺を伝説なんて呼んでいる奴もいるが、俺は何も特別な男じゃねえ。お前らと同じだ。生きたいように生きて、邪魔な奴をシメただけだ」
昭良が不良たちの間で伝説と言われるのは数年前の事件がきっかけだ。事件を起こしたと言うよりは、解決に導いた方に近い。それに、かなり被害者よりでもある。その事件が元で市長が今の市長になったのだから市民にとっては大きな出来事だ。
この町で拉致監禁事件があった。犯人は当時の市長の息子。不良上がりのチンピラで、手先にして恐喝などをさせていた子分の不良に自分の気に入った女を拉致させ、強姦目的で監禁していた。
それまでも当時の市長は警察を言いくるめて息子の起こした事件をもみ消してきた。不良同士の喧嘩ならば誰しも勝手にやってろと言わんばかりに我関せず。恐喝も発覚しにくく、バレても実行犯の不良を差し出せば済んでいた。
だが、今回の問題はそうも行かなかった。事件に一般人が巻き込まれた上、問題が大きすぎた。それに、監禁だけで済んでいたため被害者も黙り込むこともなく、話がすぐに広まった。
それだけでも政治生命を絶たれかねない大ダメージだったが、金に目のくらんだ市長当人もストーンにいいように利用されていたことが発覚、失脚を待たずに逮捕されることになった。
その時の被害者が聖美で、警察とともに監禁された聖美を救出、市長の息子の逮捕にも協力したのが昭良だった。その時は同じクラスの気になるアイツくらいの認識だった二人は、事件をきっかけに一気に急接近。今はこの通りだ。
飛鳥刑事とこの二人が知り合ったのももちろんその事件がきっかけのようなものだ。それまでもよく補導されてくる不良少年として昭良の顔くらいは見たことはあったが、それだけではここまでのつき合いにはならなかった。
そして、市長が替わるほどの大騒動を起こした昭良はすっかり不良の間で伝説の人になっていた。そんな伝説の人が営む店は不良に大人気で繁盛していた。ここに集まっているのもそんな客たちだった。
昭良は言う。
「生きたいように生きる……それは今も変わりねぇ。俺がこうしてここにいるのもそうだ。俺はもう半端やれるトシじゃねえ。でも、最後に一暴れしてやる!俺の次の生きざまは……この町のヘッドだぜ!どうだ、半端じゃねえだろうが!」
沸き上がる歓声。その一方で飛鳥刑事はいろいろと突っ込みたい気持ちでいっぱいになった。なんかこう、いろいろと間違っていやしないかと。
「そのためにはてめえらの力が必要だ!俺に力を貸してくれ!」
再び沸き上がる歓声。
「いいかてめえら、一つだけ気をつけろ。これからの俺たちの戦いはルール無用のケンカじゃねえ。ルールから外れると惨めでカッコ悪い敗者になっちまう。クソ汚え爺どもは俺たちの失点を探して笑い者にしようと必死だ。そんなクソどもを見返してやるには俺たちも大人になってルールを守らなきゃならねえ!ついてこい!オトナの走りを見せてやる!」
昭良はそういうとバイクにまたがった。不良たちも各自自分のバイクにまたがりエンジンを吹かし始める。
「よっしゃああ!いくぜえええっ!」
走り出した昭良のあとをついて不良たちのバイクも続々と走り出した。程なく、空き地には飛鳥刑事と聖美だけになった
「結局なんだったんですかね、これ」
「さあ。何だったんでしょうね」
ひきつった顔で言う飛鳥刑事に、聖美はにこにこした顔で答えた。そんな笑顔の訳は。
「あの人のああ言う姿、なんか久々に見ましたわ。大人になって子供もできて、すっかり丸くなったのかと思ったら、そうでもなかったみたい」
「何で嬉しそうなんですか」
「だって、あの人のああ言うところに惹かれて結婚したんですもの。……こうなってしまったら、あの人いつ帰るか分かりませんわ。聖良を連れて帰りましょ。このメモはもういらないかな」
聖良を預かっている、警察には連絡するなというメモを、ぽんとそこら辺に置く聖美。
「誤解を招きますから。見られないように処分しましょうよ」
飛鳥刑事はメモを拾い上げてポケットに押し込んだ。事情を知っている聖美のいないところで誰かがこのメモを見て無用の騒ぎが起こるのは勘弁だ。
飛鳥刑事は車で聖美を聖良の待つ飛鳥刑事の自宅に連れていき、そのまま二人を自宅に送り届けた。今日はどたばたしたが、一日もやっと終わりそうだ。
終わるわけがなかった。夜の闇は今宵も事件を連れてきた。
まだ子供も寝静まらぬような時間から緊急呼び出しだ。現場は先日7人組の窃盗団が押し掛け、従業員が人質にとられた挙げ句乱射騒ぎまであったあの店だ。
飛鳥刑事が駆けつけると、佐々木刑事が先に到着していた。先日破られたシャッターはガムテープで仮補修されている。
「またこの店か。で、被害と状況は?」
「店は休業中で、シャッターが直るまで店員が寝ずの番をしてたらしい。店内にはこないだの事件で盗まれそうになった宝石がそっくり残ってたが、今度はごっそり盗まれたみたいだな」
「見た感じ、店内はそんなに荒らされてないみたいだな。店員は犯人を目撃したのか?」
「それは今調べてるところだな」
店員から話を聞いていた警官から報告を受けることにした。それによると、店は休業中のうえシャッターにも大穴があいていて不用心なので、宝石類はすべて金庫に収めていたという。その夜は店員一人で金庫のある部屋を番していた。
「見張ってたのに盗まれたのか?居眠りでもしてたか、そうじゃなかったらその見張りが盗んだんじゃないの?」
しかし佐々木刑事の根拠のない決めつけは些か早計だ。店番をしていた店員は金庫の鍵も持たず暗証番号を知らず、金庫を開けることはできない。まして店がこの状態だ。番号は店長自ら変更したばかりで、鍵も店長が自宅に持ち帰ってしまった。
「しかし……この金庫はこじ開けたって感じじゃねぇよなぁ」
金庫は鍵穴もナンバー入力キーも傷つけられている様子はない。
「で、金庫が開けられたのはいつ?トイレにでも行って、帰ってきたら金庫が開いてた?」
店員がふと金庫に目をやると金庫が開いてたという。最後に金庫に異常がないことを確認してから開かれていることに気付くまでの間、店員は部屋を出ていない。誰かが出入りしたということもない。まさに、いつの間にか開いてたのだ。金庫は最初から空で鍵もかかっておらず、勝手に扉が開いたとしか思えない状況だ。
もちろん、この状況で一番疑わしいのはずっと部屋にいた店員だ。彼が誰も見ていない、部屋から出ていないと言う根拠が彼自身の証言しかない。
彼が金庫を開けられないと言うのが本当でも、誰かが金庫を開けたのを黙っていることはできるだろう。
その店員からもっと詳しい話を聞く必要があるだろう。それと同時に、鑑識が進めている指紋の検出で誰の指紋が出てくるかだ。
店内にいた店員は先日の事件の時に店番をしていた店員とは別人だった。店長を含めた男性店員が当番制で店番に当たっているらしい。
「それで、宝石が盗まれた時間は?」
「ええと。よく覚えてないんですが、金庫が開いていることに気付いてすぐに店長と警察に電話しました。……店長は留守でしたけど」
通報のあった時間がほぼ金庫が開いていたことに気付いた時間だといえると言うことだ。通報は午後10時半過ぎ。
「最後に金庫が閉まっていたのを確認した時間は?」
「ええと。連続殺人の時です」
「はい?殺人?」
「ええ、9時からの。あれは確か……美人OL連続殺人事件・最後に残された5人目の悲劇!刑事若松健二郎が解き明かす真相と巨大な陰謀……」
「ああ、2時間ドラマですか」
「ええ。美人かって言われると微妙でした」
「それは個人的な好みの問題もありますから……女優を選んだ人には美人に思えたんでしょう」
ドラマについて議論を交わしている暇はない。
「美人が一人ずつ殺されてくなら、最後まで残るのは悲劇だよな。次は自分だと思うと怖ぇだろうし、そのまま残ったら残ったで美人じゃないって言われてるようなものだし」
暇はないのだが、佐々木刑事まで話に乗ってきてしまった。
「だよな。……でもそれは今はどうでもいいから。とにかく、事件は9時から10時半の間に起きたのは間違いない、と」
飛鳥刑事は話を戻す。
「ええ。ただ、その間はテレビに釘付けで……。たぶんその間に賊が入ったんでしょうね」
とは言うが、いくらテレビに見入っていたとはいえ、部屋に誰かが入ってきて、金庫を開けて宝石を持ち出すのにまで気付かないと言うのは考えにくいし、そもそも人がテレビを見ている後ろで盗みを行える剛胆な泥棒などいるわけがない。
いるわけがない……?
「あれ?そういえば……」
飛鳥刑事の思考は店員の発言で中断した。
「どうしました?」
「二人……いつ死んだんでしょう」
「はい?……ああ、ドラマね。ドラマの話は今はおいときましょうよ」
「ええ。……いや、でも」
店員は考え込む。
「もしかしたら、テレビの前から席を外してた時間があったかも……」
「本当ですか!」
「だって、いくら考えても咲子と花江がいつどうやって死んだか思い出せないんです。でも、通報する直前に渚が『あとはお前が死ねば全てが終わる』と電話で言われて……恐怖のあまり体に巻いていたバスタオルがはらりと落ちるシーンを見たのを覚えてます」
「ああ……、もしかしてそういうお色気シーンがあるから引き受けてくれたのが微妙な女優ばかりだったんじゃ……」
「そういうことなんですかねぇ。それより、ドラマの内容がごっそり抜けてるんです。それってつまり見てなかったってことじゃないですか」
「で、見てない間どこで何を?」
「……さあ?」
これではお話にもならない。しかし、最近これとにたような問答をした記憶がある。飛鳥刑事は踏み込んで聞いてみた。
「該当する時間、自分がどこで何をしていたか覚えてますか?」
「ここでテレビを見ていたはずですけど」
それはあくまでそうしていたはずだという話だ。しかし、見ていたはずのテレビの内容は記憶に残っていなかった。
「庸二。こいつはこの人の記憶が消し飛んでるかもしれないぞ」
「んあ?でもよぉ、俺はマシンガンぶっ放してねぇぞ。まだここに着いたばっかだし」
「いや、そうじゃなくてな。ほら、アイツだよ。ローズマリーの仕業じゃないかと思うんだが」
「ああ、なるほどなぁ。そういやお前言ってたっけな、ローズマリーが探偵を雇ってお前の浮気調査してたとか」
「全然違うぞ。お前じゃないんだ、浮気なんかするか」
「あ?俺は浮気はしねえよ。次から次へと乗り替えるだけだぜ」
聞くときに話半分だったか、適当に覚えていて頭の中で少しずつ話が変わっていったのか。どっちだったにせよ、この辺は佐々木刑事にとってあまり重要だとは認識されていなかったらしい。とにかく、それはどうでもいい。
「確かにローズマリーなら催眠術で金庫を開けさせるくらいはお手の物だな。……10年前ならアイツもオトナのお姉さんって感じで悪かぁなかったんだが、今頃すっかりただのオバサンだろうしなぁ」
そういう問題ではないが。ともあれ、ローズマリーが動き出したとなれば厄介だ。かつて先頭に立ってローズマリーに立ち向かってきた森中警視はいない。ついでに言えば相手がオバサンになり果てて佐々木刑事のモチベーションも低そうだ。厳しい戦いになるかもしれない。
そのとき、店舗付近を捜査していた警官が不審者を連れてきた。
「店の前の道路に停められていた不審車両のボンネットの上で下着だけで寝ていた男を連れてきました!」
「そこまで露骨に怪しい男を今まで放っておいたことの方に驚くぞ」
「毛布をかぶっていたので今まで気付きませんでした!」
車のボンネットが毛布をかぶっている時点で変だが、さすがにそこに人がいるとは思えなかったようだ。確かに、そこから出てくるなら人より猫数匹といった感じではある。
連れてこられたのは、顔は普通のオッサンだった。しかし露骨に怪しく見えるのは、なんと言っても下着姿のせいだろう。
「て、店長!」
店員のオッサンが叫んだ。どうやらこの店の店長らしい。それにしても、この間人質にされた人といい、この店にいるのは到底宝石になど縁がなさそうなオッサンばかりだ。
「やーもー。何で服を脱がされて男の前に連れてこられてるの、あたし。犯されるぅー、いやぁー」
しゃべり方もかなり変だった。
「こっちから願い下げだっつの。そもそもオッサンは見つかったときからその格好だぞ。何でそんな格好で寝てたんだよ」
苦虫を噛み潰したような顔で佐々木刑事が言う。
「知らないわよ。おねんねするには時間だって早いじゃない。これからハニィと盛り上がる時間よ」
ひとまず、オッサンであることは否定しないようだ。それよりハニィがいると言うことがまず想像できない。そのハニィが男か女かは考えないことにした。
いや、それもまた重要ではない。ただ一人金庫を開けることができる店長がここにいるという事実が一番重要だ。金庫の鍵を持っていたのも、金庫の暗証番号を知っているのもこの店長なのだから。
店長も、店の金庫が全開になっており、無くなったのが店長の服だけではないことにようやく気付いた。いつかこの店の前で聞いたような、木綿のふんどしを引き裂くようなあまり駆けつけたくない悲鳴を上げた。
ほぼ間違いなく、ローズマリーに催眠をかけられたこの店長が金庫を開けているはずだ。店長を落ち着かせて話を聞いてみることにした。
「ええと。最後にどこで何をしていたか覚えてませんか」
「部屋で優雅に宝石に囲まれて過ごしていたわよ。宝石で飾られたドレスで着飾って宝石を味わっていたわ」
「食べるんですか!宝石を!」
「やあね、飲むのよ。液体の宝石……リキュールを。ついでに言うと、ドレスを飾ってる宝石も偽物。本当に美しい宝石は、本当に美しい人が身につけてこそだもの」
自分が美しさとは縁遠い存在であることは自覚しているようだ。それだけは救いと言えるか。
「あたしはね、昼はきらきらした宝石で他人を飾りたててるでしょ?誰も見ていない夜くらい自分も輝きたいわけよ」
しかしこうして人前に引きずり出され、その時にはみすぼらしい下着姿。きらきらしているのは大粒のピンクパールを思わせる禿頭くらいだ。
「まあ、部屋で晩酌してたってことか。それで酔っぱらって下着姿で外をうろついた挙げ句そこらで寝込んだ……って訳じゃねぇんだろ?」
「当然よ。酔っぱらうほどなんてとても飲めないわよ、太るもの」
すでに手遅れに見えるが。
「あたしは食後のデザート代わりにちびちび飲んでただけ。それなのに、記憶もなくなるほどぐでんぐでんになるなんて……。誰かあたしのお酒にハッシシでも混ぜたんじゃないの?もちろん犯すつもりで。いやああー」
そんなことをして誰が得をするのか。それより、店長は自分の行動が酒か何かのせいだと思っているらしい。無理もない、この町でローズマリーが大暴れしていたのはもう何年も前の話だ。市民たちを震え上がらせた催眠使いの怪盗も記憶から薄れて来つつある。
飛鳥刑事は店長にこの事件がローズマリーの仕業である可能性があることを話した。
「あらやだ、何よそのご無沙汰な響きは。怪盗なんて何年もいなかったのに。もう捕まってるのかと思ってたわ」
ローズマリーは人知れず犯行を行う。被害者も盗まれたことにすら気付かずいつの間にか物が無くなっていたと思うことも多く、その手口を知る者とて多くはない。神出鬼没の怪盗・ローズマリーのこと、その町に彼女が現れたということにさえ気付かないうちに仕事を済ませて立ち去ることがほとんどだ。誰も彼女の仕業だと思っていないからこそ、彼女の名が語られることもない。
ここ最近は派手に立ち振る舞うことも減り、市民からその名はますます忘れられていた。
「つまり。店長さん、あなたはローズマリーがこの店の金庫を開けさせるために連れてきたようなんですよねぇ。何も思い出せないのは催眠術のせいでしょう。この考えが正しいかどうか知るためにも情報が欲しいんですけどね、何か思い出せませんか。たとえば、ここに連れてこられる前に自宅に来客があったとか」
「うーん。あ、そういえば……玄関のチャイムが鳴ったのよね。それで、帽子をかぶったの」
「帽子?」
「人前に出るのに欠かせない帽子よ。……後は察して欲しいわ。でも、誰が来たのか、何しに来たのかは全く思い出せないの」
来客があった。それに応じるべく、かつらを着用した。そこまでは思い出せるようだ。条件としてはいかにもと言う色が強まってきてはいるが、まだまだ確証と言えるほどではない。もっと何か無いのか。
「どうやってここまで来たのか覚えてますかね?」
「さあ。車に乗ってきたのは間違いないんだけど」
「え。車ですか」
「そうよ。そこにあたしの車が停まってたもの。あたしがボンネットで寝てた車よ」
「何だって。おい、すぐその車を調べるんだ!」
捜査の結果、車のハンドルから店長の物ではない指紋が発見された。誰の物か見当のついている指紋の照合は早い。案の定、発見された指紋はローズマリーの物だった。
ローズマリーは店長に催眠をかけ、店長の車を運転してここまで来た。そして、見張っていた店員にも催眠をかけ、店長に金庫を開けさせて宝石をいただき、用済みの店長を捨てて自分は退散。……そう言えば、なぜその店長が脱がされていたのか。
「ううん。きっとアタシの体に男としての魅力を感じたのよ」
それはない。
そう言えば、この店長の服は、きらびやかなイミテーションの宝石で悪趣味に輝いていたはずだ。それを本物と勘違いして持ち去ったのだろう。イミテーションだと分かっている店長には特に価値のあるものではないと分かってはいるが、ぱっと見ただけではそこまでは分からないかも知れない。
事件の全容はそんなところか。ローズマリーが出てきたことは間違いない。ますます厄介なことになっていきそうだ。
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