Hot-blooded inspector Asuka

Episode 7-『Return back』

第3話 包囲網


 結局、深森探偵が事件についてそれ以上思い出すことはなかった。
 犯人の正体も目星がつき、その目的も朧気にだが見えてきた。ここまで来れば十分だろう。もはや事件は街角の興信所が調査費用を踏み倒されたというようなちっぽけな事件では済まない。森中警視に相談しなければ。
「それならば私も行きましょう。森中氏にも久しく会ってませんし、挨拶がてら」
 そう決まると、深森探偵は言った。知り合いらしいので会うこと自体に問題はないのだが、署にまで押しかけさせていいものか。飛鳥刑事としても一応釘を刺しておくことにした。
「はあ。迷惑じゃないですかね」
「迷惑を気にしていては探偵は務まりません」
「言い切りますね」
「真実を暴くことは暴かれる方にとっては迷惑以外の何物でもない……そうでしょう」
「まあ……、それは確かに」
 自分も刑事として真実を暴く仕事をしているので、それは身に染みるほど分かっている。とはいえ、暴かれて困るような真実を隠しているような連中は得てしてろくな者ではないので迷惑をかけて心が痛むこともない。今回とは明らかに事情が異なる。だが、そんなことお構いなしで深森探偵は言う。
「つまりは私は……。いや、警察であるあなたも同じ真実を探し出す人間として……迷惑極まりない存在なのです。今更誰かに迷惑をかけることを恐れてどうするのですか」
「それはさすがに飛躍しすぎでは」
「この飛躍は未来に繋がる人類にとっては大きな飛躍なのです。では参りましょうか」
 余りにフリーダムな発言・発想に茶々を入れるのさえ面倒になってきた。知り合いであるようだし、あとは森中警視に任せてしまいたい。そんな気持ちも強くなった。飛鳥刑事は深森探偵を森中警視の所に連れて行くことにした。

「森中さん。お久しぶりですな」
 紳士同士の会話は挨拶から始まる。主婦の井戸端会議と同じだ。
「おや、モリサダさんではないですか。今日はどうしたんですか」
 お互いの呼び方の響きが似ているのは気のせいか。いずれにせよ大したことではない。
「話せば長くなりますが実はこのモリサダ、事件に巻き込まれましてな。あれはそう、記憶も不確かなとある昼下がり……」
 長くなると言いながら話す気は満々のようなので、飛鳥刑事が簡潔に事件の概要を伝えた。
「……とまあ、そのようなことがあったのですよ。最初は私の頭一つで事件の謎に挑むつもりでしたが、アキ坊が気を回してくれましてな。伝を頼ってこの若い刑事君を寄越したのです。面倒なのでこのまま警察に任せてしまおうかと思いましたが、どうやら怪盗が絡んでいるとの話。これは怪盗からの挑戦だと思い、重い腰を上げた次第。とっ捕まえれば箔もつきますしな。戦後の明智小五郎と呼ばれる日も近いでしょう」
 何とも不純な動機だった。
「とにかく!ストーンが戻ってくるかもしれません!阻止しなければ!」
 飛鳥刑事は力強く言った。森中警視も頷く。
「それならば、まずは奴らの潜入の痕跡がないか調べてみようか」
 聖華市の地下に作られた古い地下道。
 キリシタンの隠れ里だったこの場所。そのキリシタンたちが様々な秘密のやりとりに用いていたものだ。必要のなくなった今ではすっかり忘れ去られていたが、ストーンはそれを見つけだし、手を加えて利用していた。
 警察も地下道の全容把握のために調査を行ってきたが、閉じればただの石壁やコンクリートの継ぎ目にしか見えない巧妙な隠し扉に阻まれて調査は頓挫した。
 連中が戻ってきていれば、地下通路やその先の施設に使用した痕跡が残っているかもしれない。
 早速警察が把握している地下通路を調べてみたが これと言って変化は見られない。
 以前、ストーンが撤退するときに同時に忽然と消滅したペーパーカンパニーとおぼしき大小含めた企業や民間人を装って構成員が個人で所有していた不動産は、所有者を失い現在その多くが市の管理下に置かれている。今更この土地を取り戻すのは難しいだろう。
 地下通路を使うには、入り口のあるそういった施設を通らなければならない。これらが押さえられている限り、ストーンが地下通路を使うのは容易ではない。
 しかし、地下通路の全容は分かっていない。警察の知らない地下通路を使ってすでに暗躍しているのかも知れない。そもそも、人気のない地下を通るだけなら誰も気付きはしない。注意深く監視を続けなければならないだろう。
 そして、気になるのはやはりその目的だろう。
 深森探偵が連中の依頼で小百合を調べていたなら、目的の一つが小百合であることは間違いない。小百合にも気をつける必要がある。 

 深森探偵から連絡があった。
「今し方、依頼人を名乗る人物が事務所を訪ねてきましてな。念のため踏ん縛っておきましたぞ、ふはははは」
 その話を聞いてすぐさま飛鳥刑事がジャングル探偵事務所を訪ねると、そこには机の脚に踏ん縛りつけられた深森探偵の姿があった。聞いた話と全然違うので飛鳥刑事は面食らう。
「何であなたが縛られてるんですか!」
「彼奴を踏ん縛って警察に連絡したところまでは良かったんですが。その後すぐに彼奴の仲間と思しき屈強な男4人が部屋に押し入ってきましてな。このモリサダ、連中を一人ずつちぎっては投げちぎっては投げ……と洒落込もうと思いましたが、連中はなにを血迷ったか4人一遍に掛かってきまして、このざまです」
「むしろなぜ一人ずつ掛かってくると思ったんです」
「一人ずつなら勝てますから」
 この自由な発想も探偵に必要なのだろうか。その結果このざまだが。
 依頼人と名乗る連中がやってきた時のことを深森探偵は語る。
 最初は男一人で事務所にやってきた。見覚えのない男に深森探偵は何の用かと尋ねる。
「お忘れですか、私ですよ。ほら、半月前に飛鳥小百合の調査を頼んだ石田です」
 その顔にも名前にも覚えはない。だが覚えていることもあった。服装、特に外国語の文字がびっしりと書かれた珍しい柄の特徴的なネクタイ。
 記憶を辿れば、催眠とやらのせいで顔が塗り潰された依頼人の姿、その首から下は確かにこの男のようだ。
「ふ。ふはははは!血迷いましたかな?依頼費用を踏み倒しておいてのこのこ戻ってくるとは!!」
「え?」
 男はきょとんとする。
「問答無用っ!この事務所が貴様の死地と知れ!」
 こうして不意打ちで男を捻り倒し踏ん縛り、警察に連絡した。だが、外で仲間が待っていたらしい。騒ぎを聞きつけて事務所に押し入ってきた。そしてあっという間に自分が縛り付けられてしまった。男たちは深森探偵を問いただした。
「どこだ!調査資料はどこだ!」
「はっ、何を!催眠までかけて資料を奪ったのはそちらではないか!」
「さ……催眠だと……?まさかここに女がきたのか!」
「いかにも!貴様の古女房だ!」
「あの女は独身のいき遅れだ!……いや、それどころじゃない!やられた!あの女狐め!」
「女豹に獲物をとられた……!」
「とんだ蛇女だ!」
「とことんケダモノ扱いだなぁ」
 これは話を聞いていた飛鳥刑事の感想だ。
 とにかく、ストーンの連中はローズマリーに出し抜かれたようだ。ローズマリーとストーンは仲間同士だと思っていたが、どうやらそうではないようだ。さすがにあれから数年経ち、その間に事情も変わったのだろう。
 嵐のように事務所に押し掛けてきた連中は、ここに用がないと悟るや疾風のように去っていき、後に残されたのは縛られた深森探偵と一封の封筒だった。
「で、この封筒は何なんです?」
「奴らが帰りしなに叩きつけていった依頼料ですよ」
 依頼料は踏み倒されたと思っていたが、そもそもの調査記録をかっぱらっていったローズマリーが依頼した連中と関係ないのなら、踏み倒されたわけでもない。
「依頼料さえもらえれば一件落着といっていいでしょう」
「え。でも資料はとられたままで犯人も捕まってないんですよ?探偵の意地とプライドにかけて事件を解決するんじゃないですか」
「意地とプライドでおまんまが食えますか!?食えないでしょう!むしろプライドを捨ててゴミを漁ったり物乞いしなきゃ食えないことだってあるではないですか!プライド?ハッ!金持ちの道楽ですなそんな物は!……しかし、私はこうして金を手に入れたのです。プライドという道楽に心血を注いでみせる心のゆとり……見せてやるのもまた一興!」
「意地は……?」
 何はともあれ、やる気は出してくれそうだ。
 犯人を捕まえたとの知らせで駆けつけたが、逆に縛られた深森探偵を助けるだけになりそうだ。深森探偵を縛った連中についても調べておいた方がいい。数少ない証拠品は机の上にある。
「奴らの指紋が残っているかも知れないからこの封筒を預かりたいんですけど」
「私にプライドを捨てろと?」
「いや、調べてめぼしい物が見つからなければすぐに返しますから」
「なるべく早くお願いしますよ」
「じゃあ急いで調べますんで」
 飛鳥刑事は封筒を手に事務所を後にしようとした。
「お待ちなさい!」
 急ごうとしていたのに呼び止められた。
「なんです?」
「せっかくこうして訪ねてきたから……その。この縄を解いてくれるものとてっきり」
 そう言いながら、後ろで縛られた手をもじもじさせる深森探偵。
「あ。そういえば忘れてました」
「私は覚えていましたぞ。これも青写真のモリサダと呼ばれる所以……」
 なんだか訳が分からなくなったが、ようやく深森探偵は自由になった。

 なぜか、ローズマリーがストーンと思しき連中を出し抜いて深森探偵の調査記録を奪い取り、調査の記憶まで消し去ってしまった。
 いや、ローズマリーはやはりストーンに肩入れしていて、ストーン以外の何者かがまた別に小百合を付け狙っているのかもしれない。
 深森探偵に依頼した連中と、ローズマリーあるいはその背後にいる連中。それぞれの目的と正体を掴まねばならない。何にせよ、今の警察にできそうなことは奴らが姿か何か動きを見せるのを待つことくらいだ。何とも歯がゆい話である。
 一方、深森探偵はプライドという道楽のための調査を続けていた。
 動き易さから一匹狼が基本の彼だが、さすがに今回は単身で解決できる問題ではない。そこで助っ人を呼び寄せた。
 今回の話は知れ渡れば深森探偵の評判にも関わる。頼れるのはよほど信用できる人物だけだ。そういう意味で、身内であるアキ坊こと昭良に話に持ちかけた。
 昭良はしがないバイク屋だ。頼りになるとは思いにくいところだが、侮ってはいけない。客層が些か、いやかなりアウトロー寄りになっている昭良の店は、後ろ暗い連中の話題がよく集まる。町を走り回っている連中なので今まで使われていなかったのに最近になって使われ始めた施設にもよく気付く。
 昭良の"手の者"は調査を始めた。それはかなり迷惑極まりないものだった。
 たとえば、特におかしなところのない、オープンしたてのベビーショップがあったとする。かわいらしい内装、店内にはママさんや家族連れ。そんなあたたかな雰囲気をぶち壊す連中がやってくる。爆音をまき散らすバイクの一団が店の前にやってくるのだ。そして、店内にずかずかと入ってくるのはソリコミにリーゼント、パンチ、スキンヘッド。店の雰囲気には……いや、よほどの場所でない限り似つかわしくない連中だ。
 似つかわしくないだけあって、買い物に来たわけではなさそうだ。店員を観察するようにじろじろと見ている。それが普通の人だってそんなことをされたら気味が悪い。しかもやってるのは見るからに普通じゃない連中だ。気味が悪いどころか命の危険さえ感じる。
 これが迷惑なのはお客や店の人にとってだけではない。そんな不安と恐怖に晒されれば、か弱い一般市民は誰かに助けを求めずにはいられない。多くの場合、助けを求める相手は警察だ。いちいち出動させられる警察としてもたまったものではなかった。
 不良たちも捕まりたくてやっているわけではない。パトカーのサイレンが聞こえればあっという間に逃げてしまい、警察がやってくる頃にはその姿はない。それに、そもそも警察沙汰になるようなことはしていない。ただ店に来て店員をじろじろ見ただけ。捕まえることはできず、せいぜい小言を言って追い払うくらいしかできないだろう。そんなことのために出動もしたくないのだ。
 そして。その店がストーンが絡んだものだった場合、店にとっての厄介ぶりに拍車がかかる。
 ストーンの絡んだ店とはいえ、店員をエージェントで固めるわけにもいかない。店員は普通にアルバイトやパートを雇っている。そんな一般市民の店員たちは、不良たちにじろじろと見られてついつい警察を呼んでしまう。そうすると肝を冷やすのは店やその店でカムフラージュされたストーンの関係施設にいるエージェントたち。警察をやり過ごすまで冷や冷やし通しだ。
 たまらず、ストーンのエージェントたちは緊急ミーティングを開いた。その結果、これまでその不良たちが実害を与えてきたことはないことを重視し、とにかく帰るまで店員たちを我慢させるマニュアルを配布した。お店に警察が来ると評判に関わります、ここは我慢しましょう。じっと耐えれば嵐は過ぎ去ります、と。
 マニュアルは功を奏し、警察を呼ばずとも不良はある程度時間が経つと帰っていくことが分かった。おかげで警察を近付けずにすむようになり、ストーンも一安心だ。
 一方、ストーンの絡んでいないところからの通報は相変わらずある。警察も真面目に相手にするのが馬鹿馬鹿しくなってきた。駆けつけるのはパトカーからミニパトになり、果てにはよぼよぼの万年巡査長がスーパーカブで駆けつけてくる有様になった。巡査長がやってきて「ほらほらお前ら、帰りなさいよ」と頼りなく声をかけるだけで不良たちは追い払えた。
 半ばそれ専門になった巡査長はすぐにコツを掴んだ。不良たちは追い払われるとすぐに次の場所に現れる。そして、どこに現れるのかは大体見当がついた。何せ、連中は移動の時にけたたましい音を立てる。去って行く時のその音をつけていけば、大概は次の目的地の近くまでいける。あとは、通報があって無線に連絡が入ればすぐに駆けつけられる。巡査長としても、何もないのに動くとただ働きになるので、ボーナスの実績作りのために通報までは待機していた。
 さらに、不良たちのバックにいる深森探偵と昭良もコツを掴んでいた。警察が来るところと来ないところがある。巡査長は通報を受ければ割とすぐに駆けつけるし、警察を呼ぶような所は長いこと我慢などせずにすぐに呼ぶ。警察を呼ばれるところと呼ばれないところ。それは明確に分かれた。
 後ろ暗いところのある連中は警察と関わりたがらない。つまり、不良が来てすぐに警察を呼ぶところはおかしなところはなく、いつまで経っても警察がこないところは怪しい、ということになる。
 不良と、利用されて何も知らないまま不良たちに協力するような形になってしまった巡査長のおかげで、怪しい店などが効率よく発見できた。

 怪しい店は郊外のニュータウンを中心に多数見つかった。しかし、怪しいと言うだけでは警察は動けない。こちらの調査には民間人の深森探偵と昭良夫妻に加え、小百合も加わることになった。 
 小百合は昭良の妻・聖美と一緒に行動する。狙われていると思われる小百合が一人で臨むのも、根っからの民間人である聖美が一人で臨むのも不安かつ危険だ。さすがに二人で行動していれば危険は少なくなるだろう。
 小百合がこの調査に名乗りを上げたのは深遠なる理由があった。リストに挙がった店にはスーパーなども多々ある。主婦として、少しでもお得に買い物できる店を開拓したい。そのためには敵地に乗り込むこととて厭うことはしないのだ。そうやって調査した後の買い物も単身で乗り込む必要などない。旦那に任せればいいのだから。
 聖美にも聖良という大貴と同い年の子供がいた。大貴の名は生まれた頃に流行っていたドラマに肖って両親の名を一文字ずつ取って名付けたものだが、同じドラマを見ていたことがとてもよく分かる名前だった。
 子供たちの通っている幼稚園こそ違うが、端から見れば同じ幼稚園児の保護者同士と言った風情で見た目も自然だ。
 大貴の気後れも遠慮もない前向きな性格と、聖良の奥ゆかしくも強かで他人の全てをにこやかに受け止める性格もあって、二人はすんなりと打ち解けた。打ち解けたと言っても、一人で勝手に盛り上がる大貴を聖良が無難に受け流すという構図になっている。
 子供たちが勝手にやってくれているおかげで、主婦二人は集中して眼光鋭く店内を調べることができた。
 店の様子、店員の様子。来ている客や仕入れている業者にまで目を光らせる。
 そして何より商品だ。主婦としての意地とプライドにかけてここだけは気を抜けない。表だってその関係性を出すことはないが、バックボーンにはストーンが存在している。資金力は豊富だ。ストーン自体、表の事業である百貨店やスーパーチェーンのノウハウなどもある。そのため小さなスーパーでも、侮れない安さを実現できている。まったくもって怪しい安さ。
 敵と思しき店に金を落とすなんて、と旦那は言う。だが、この出血大サービスプライスで買うことで、敵を失血死させることだってできると彼女たちは信じて疑わない。ストーンから見れば彼女たちによる出血はノミとどっこいどっこいといったところだが、そんな現実など眼中になかった。

 一方、警察にも成果がないわけではなかった。成果は意外なところから現れた。
 一見無関係な事件が繋がっていることが多々あったストーン。やはり今回も関係なさそうな事件との繋がりからその動きが見え始めていた。
 ただでさえこの町での活動基盤を崩されたストーンは、何をするにも資金がほしい。となれば、ひとまず本業に力を入れることになるのは自然な流れだ。彼らの本業すなわち盗品の売買。この町はお宝の山である。それに貿易港があり盗品を海外に運び去るにももってこいだ。警察の頑張りで、そのお宝の山を荒らす余所者も多くはない。宝の山は少しずつ大きくなりながら、彼らの帰りを待っていた。
 ただ、足りないものがある。そのお宝の山を彼らの商品に変える盗人たちだ。裕福な住人と、暗躍していた盗品の換金者たちのために、かつてこの町は泥棒で溢れていた。その泥棒を地道に捕らえ続け、さらにはその生命線である換金者たちの黒幕であるストーンを追い出したことで、泥棒は目覚ましい勢いで減った。となれば、新しい泥棒たちもそんな泥棒が消えまくった町には手を出さず他の安全な町に行く。おかげでこの町は長らく泥棒の少ない静かな状態が続いていた。商売を再開するにも、客がいない。
 スムーズに彼らの商売を始めるためには、余所から客を連れて来るのが一番手っとり早い。どこからともなく大量のこそ泥が住み着きだし、ここ数ヶ月はにわかに窃盗事件が頻発するようになっていた。
 ストーンの客とは言え、所詮はただの泥棒だ。普通の泥棒と同じように警邏・警備の強化や地道な捜査で対処できる。数年前までこそ泥天国だったこの町の警察にとってそれはまさに昔とった杵柄。そうやって捕まえた泥棒を問いつめていくと、ストーンと思しき"買い取り屋"の話もちらほら出てきた。斯くて、警察の目にもストーンの影が見え始めてきた。

 あらゆる角度からその姿を現し始めてきたストーン。しかし、姿を垣間見ることはできてもその尻尾を掴むどころかはっきりと見ることすらできていない。
 確実に奴らはこの町に戻ってきている。一体何を企んでいるのか。
 その次の一手はある日唐突に見いだされた。
 主婦仲間の聖美と日々安い店を探し歩く調査を行っている小百合。生活には役立っているだろうが表向きの名目であるストーンのことについては役に立っているかどうか定かではない。
 ただ、深森チームの状況などは小百合を通してコンスタントに伝わってくる。その意味ではある程度の貢献はしていた。
「昭良さんたち、何か見つけたみたいよ」
 そのきっかけもこうして小百合が情報として運んできた。
「何かって、何?」
 夕食を掻き込みながら聞き返す飛鳥刑事。隣の大貴も同じポーズでご飯を掻き込んでいる。教育に悪いから親であるあんたが行儀よくしろと怒られたこともあるが、すでに手遅れだと言うことがはっきりしたので、今は自分も小百合も気にしてはいない。
「それがよく分からないから何かって言ってるのよ」
 いつものように不良が見つけてきたものだと言うが、それがあまりにもよく分からないと言うのだ。
「何かの事務所って書いてあるみたいなんだけど、何の事務所なのか分からないのよ。入った男の子たちの話だと、会議室みたいにテーブルが並んでるんだけど人の気配はあまりなくて、何人かがお茶を飲みながら話をしていたそうよ。代わりに目を引くのはこちらを睨みつける隻眼の偶像……。露骨に怪しくて不気味よね」
 何かの新興宗教でもやってきたのだろうか。ストーンと関係があるのかどうか定かではないが、なかったとしても怪しすぎた。一度見ておいた方がいいだろう。
 飛鳥刑事は夜のうちに探りを入れておくことにした。不良たちを統括している昭良を誘ってその事務所を見に行った。
「夜の町を突っ走るのなんて久しぶりだなあ。こりゃ昔の血が騒いじまう」
 満面の笑みでバイクのエンジンを吹かす昭良。あまり昔の血を刺激しないうちに片付けてしまいたいところだ。
 昭良が言っている昔の血とはもちろん若い頃の走り屋の血のことだが、昭良の中に流れている血はそれだけではない。
 昭良には聖華市の名家・深森家の血が流れている。深森探偵が語っていたようにその血は里の秘密を守り、お上の動きを見張ってきた密偵一族。闇に紛れて暗躍してきた隠密の血だ。闇の中を徒党も組まず走り回る昭良を見て、深森探偵も血は争えないと思っていたという。
 そんな昭良のバイクに先導されて飛鳥刑事の車は目的地にたどり着いた。
 町外れの仄かな灯りの中でも真新しいことがわかる看板が掲げられている。そこには大きな文字で事務所の名前が書かれていた。
「いしいいわお事務所」
 これはどう見ても。
「選挙事務所……ですかね。あれ、じゃあ謎の偶像って」
 選挙事務所にありがちな、赤い片目の像と言えば。窓から覗き込むと、その丸っこいシルエットと片方だけ黒々としたまん丸の目が窓からの薄明かりに浮かび上がっていた。
「ただの選挙だるまじゃないか!何が謎の隻眼の偶像だよ!いや、まあ、隻眼の偶像って言えなくはないけど……だるまって言えよおおお!」
 こっそりと見に来たことを忘れて吼えたくる飛鳥刑事。
「まあまあ。あいつらは想像以上に無知ですからねぇ。だるまを見ても名前が分からなかったんでしょう。だから見た目通り、隻眼の赤い偶像としか言いようがなかったんでしょう」
「隻眼の赤い偶像なんて言葉が使えるなら、だるまくらい知ってていいだろ……」
「あいつらの知識のほとんどは漫画からだから偏ってるんですよ。だるまなんて仏教の物ですからこの町じゃ滅多に見かけませんし」
 確かに、明治のキリスト教解禁と同時に今まで隠してきたキリスト教色を前面に出しまくってきたこの町に、仏教や神道のシンボルはほとんど見られない。生粋のこの町育ちで外界の知識も少なければ、だるまでさえ見たことがないのも不思議なことではなかった。
「なんて人騒がせなだるまなんだ……」
 何故かだるまのせいになった。
 得体の知れない事務所の正体は明らかになった。だが、これで一件落着というにはまだ早い。
 飛鳥刑事は気付いた。いや、飛鳥刑事でなくてもここまで露骨だと誰でも気付くだろう。
 この候補者の名前だ。いしいいわお。
「ずいぶんいの多い看板ですな」
 看板に険しい目を向ける飛鳥刑事に気付いた昭良が言った。
「それもそうだけど、そうじゃなくて」
 ストーンは時に構成員を民間人に紛れ込ませる。そのとき、仲間などに自分の正体を分かりやすくするために名乗る偽名にちょっとした工夫をする。名前の中に石の文字を紛れ込ませるのだ。石という文字そのものはもちろん、石を部首に持つ岩や砂、磨といった文字もだ。
 それを考えると、いしいいわおという名前は露骨に怪しい。
 まさかとは思うが、可能性はある。もう少し調べてみた方がいいかもしれない。

 翌日。飛鳥刑事は結局謎でも何でもなかった事務所のことを森中警視に話してみた。
「選挙、か。来月に市長選の告示があるな」
 現市長が任期満了を迎え、高齢もあって現役引退の意志を示しているという。そのため、こ度の選挙の戦局は見えない。かと言って、この選挙が注目されているわけでもない。この町は全体的に裕福だ。市政に注目するほど不満を持っている人もいないし、自分のことくらいは自分の財力でなんとでもできる人が大半。心にゆとりがありすぎて政治などに関心もないのだ。
 飛鳥刑事も数年前は安月給の安アパート暮らしだったが、今や借家とは言えマイホーム暮らしだ。昇進もできず薄給のままの佐々木刑事も見事なジゴロぶりで金にも女にも困っていない。佐々木刑事が昇進できないのは、そのおかげでハングリー精神に欠けるのが大きいようだ。
 このような偏った例でなくても生活に困っている人は少ない。生活が困窮したらろくでもないが泥棒や強請屋にでもなればどうにかなるし、そのうち臭い飯と仕事にもありつける。そもそも、この町は裕福な人が多いせいもあって庶民向けの安物は多くない。生活が苦しいなら、まずは近隣の町に引っ越すのが先決だろう。
 ここはそんな町だ。市長が誰になっても暮らしが大きく変わるわけでもない。まして、選挙に勝つような人が変な人であるはずがないと信じている。自分が関わらなくともそれなりの市長が選ばれる。市長選もどこ吹く風と言った感じで多くの人が興味も持たないまま終わるだろう。投票率も低そうだ。
「ストーンが本気になればこんな選挙に勝つくらいさほど難しいことではないだろうね」
 そうなれば、この町の裏社会などではなく町そのものにかなりの影響力が持てる。例の地下道の入り口も市の所有になっているところも多い。それらが丸ごと連中に戻るに等しい。
 法に触れることをしているわけではない。ただ選挙に出て、うまくいってもそれに勝ったと言うだけ。警察が手出しできる理由など何もない。
 かなり大胆かつ確実な方法。まさかこんな方法があったとは。果たして、警察にはこの手段に立ち向かう方法はあるのだろうか……?

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