Episode 6-『Stone in underground』第5話 隠された名前
小百合を探すということは、死体が小百合のものではない事を知っているという意志表明に等しい。ストーン側にこの動きを気付かれるとまずいだろう。かといって細心の注意を払いながらでは行動に制約が多すぎ、小百合を探すどころではない。
だが、警察内部にまでストーンのエージェントが紛れ込んでいる現状では、下手に動けばすぐに気付かれてしまう。
まず、すべきことがあるとすれば、警察内部に潜伏しているストーンのエージェントをあぶり出し、手を打つことだ。
幸い、それについては森中警視に考えがあった。
飛鳥刑事がゴルフ場の調査に当たっていたころ、佐々木刑事はゾディアック事件の別な一面を探っていた。被害者たちに紛れて暗躍していたストーンのエージェントたちだ。
エージェントたちが骨董品店の地下に集まっている所を見るまで、特に怪しい点は無かった。発信機を元に作業車を追跡していなければ、最後の最後まで気付くことは無かっただろう。
拓磨夫妻、そして、石原氏。こうして接点が見つかって見ると、実に分かりやすい符丁を読み取ることが出来る。どちらの名前にも石という漢字、もしくは石を部首に持つ漢字が使われているのだ。
何とも小馬鹿にしたようなものだ。正体を隠す気がないかのようにさえ思えてくる。だが、このような名前は、そこいらにいくらでもいるような珍しくも何とも無い名前だ。偽名として名乗るのに不自然な点は無い。そして、仲間同士であれば実に分かりやすい符丁である。エージェント同士が全く面識のない者同士であっても、名前を聞くだけで仲間である可能性に気付ける。後は相手が仲間か一般人かを確認するために合言葉でも織り混ぜながら何げなく話をしてみればいい。
かつてのリベンジャー事件で、伊藤美代子の手助けをしていた警察内のエージェントの名前は不破だった。この名前にも石という部首が使われている。そして、その直後に姿を消した警察関係者たちも、確認してみたところ皆名前に『石』の文字、もしくは石を部首に持つ文字が使われていた。間違いなく、彼らもストーンの関係者だろう。
現在、聖華署には名前に石の文字、あるいは石の部首を持つ文字を使った名前の人物が5名いる。もちろん、ストーンと無関係の人間が大半だろう。だが、この中にストーンのエージェントが紛れているはずなのだ。
両手両足をパイプ椅子に縛り付けられた小百合に、妙な機械が取り付けられた。
小百合として死んだあの女性にも、死の直前に取り付けられていた機械だ。音響、そして視覚からの刺激で、催眠状態にするための機械。
スイッチが入れられた。抗いながらも、あの女性とは対照的に小百合は簡単に催眠に陥ってしまった。
「いい子だ。自分の名前を言ってみろ」
神代は機械に取り付けられたマイクに向かって言う。
「……西川……小百合……」
「……警官になる前の事を思い出すんだ。お前が通っていた大学はどこだ?」
少し間をおいて答えが返ってきた。
「講梁大学……」
普通の人ならば覚えているだろう、自分の出た大学の名前。だが、小百合は催眠により、その名前を忘れていた。その記憶を催眠により引き出される。退行催眠だ。
「そこに通っていた時のお前の名前は?」
「倉橋……優香……」
「よし。もう倉橋優香だった頃の事を忘れている必要はない。お前は西川小百合ではない、倉橋優香だ」
小百合の頭の中で、何かが割れるような音が響いたような気がした。それと同時に、忘れていたはずの過去が戻ってくる。
「あ……ああ……」
西川小百合は失われていた過去、倉橋優香の記憶と対面した。
優香の父は警視庁の刑事だった。捜査2課の課長、倉橋憲三。
とある事件がきっかけで、彼は石川商会、後にストーンとなる組織の存在を知り、秘密裏に捜査を始めた。
ストーンが発足してからも、彼はその姿を追い続けた。政財界とも繋がりを持ち始めていたストーンは、警察の手に負えない存在になり始めていた。
手遅れになる前に、倉橋はストーンの尻尾を掴もうとした。恐ろしいまでの執念でストーンを追いつめた。石川商店の社長は逮捕され、その息子が新たに設立したストーンにも捜査の手が伸びようとしていた。だが、その直後、倉橋憲三は忽然と姿を消してしまう。
石川商店を巡る逮捕劇に不当な捜査があり、その件についての責任を取って自殺した、と言う事になっている。失踪から数ヶ月後、山中で発見された白骨死体が所持していた警察手帳と、そこに残されたメモ書きの『遺書』により、それが明らかになった。
だが、事実は違う。もちろん、ストーンの手により消されたのだ。
優香も、その自殺に納得がいくはずがなかった。そして、優香は刑事を志す。父の追っていた敵を自分も追い、父の死の真相を掴むために。
だが、優香は刑事課ではなく、警備課に配属される。ここにもストーンの作為があった。
そして、警備の最中、倉橋優香もまた姿を消した。
その時倉橋優香はいなくなり、代わりに『西川小百合』が転勤で怪盗対策にやってくることになった。
だが、その西川小百合はローズマリーが演じていた偽物だった。
このとき、まだ倉橋優香は倉橋優香のまま、あのゴルフ場の地下に捕らえられていた。監禁中、自分を捕らえ監禁している相手が、父が追い、自分もいつか追う事を夢見ていたストーンである事を程なく知る。
優香は見張り役の隙を突いて脱走を試みるが、うまくは行かなかった。
上への階段を駆け登りクラブハウスの扉を開けた。鍵がかかっていたが、つまみを回すだけで簡単に開いた。だが、そのとき警報ベルが鳴り響いた。小百合は一直線に駆け出した。どこまでも続くかのようなゴルフコースを。
無我夢中だった。ベルの音で追っ手が動き出すことは分かり気っていた。駆け出してすぐ、追っ手の声もし始めていた。
あのとき、正面に逃げず、建物の裏手に回り込み、駐車場を目指していれば違う結果が待っていたかもしれない。本当の逃げ道、道路に繋がる駐車場は後ろにあったのだから。
結局、再び捕らえられた。ゴルフ場を目にすることで思い出された一幕はこれだった。
その後だ。ローズマリーが優香の前に現れたのは。倉橋優香に、最後の時が訪れた。
そして、もう一つ。
倉橋優香がこの世から消える直前のこと。
彼女は確かに目にしていた。死んだはずの父親、倉橋憲三を。
もう昼は近い。飛鳥刑事は仮眠から目覚めた。
多くの犠牲者を出した夜は明け、警察内部はてんやわんやの騒ぎになっていた。犠牲者のうち一人は警察官、そしてもう一人、警察官だと思われている犠牲者がいる。
署内から2名もの犠牲者を出した事件だ。警察とて、その犯人の正体を知ろうと躍起だった。
森中警視はこの機会にとストーンについて知っている事をぶちまけた。
それはまさに絶好のタイミングだったのだ。リベンジャー事件の時の一件で多数潜り込んでいたスパイは一斉に姿を隠し、残った数少ない侵入者の一人、森中警視に一番近い立場で潜伏している伊沢刑事は腕を撃たれて緊急手術のために病院にいる。邪魔立て出来る人間は多くない。
すぐにゴルフ場とトナミメンテナンスの本格的な捜査が始まった。
飛鳥刑事はあの時、桜丘市方面に走り去る車も目撃している。その車の行方も追う。
さらに、オケラ屋や石原氏の古物品店地下から見つかった地下通路についても再検証が行われる。まさに多方面作戦だ。
だが、森中警視はそれらの動きにあまり期待はしていなかった。
地下通路はオケラ屋の地下にあったものも、古物商の地下にあったものも、どちらも途中で行き止まりになっていた。石積みの壁に見えるようにカムフラージュされた仕掛け扉があるらしいということはオケラ屋地下を調べたときに分かっている。同じような扉で隠されているなら壁をくまなく調べなければならないし、そもそも開く方法がない。
桜丘市に走り去った車も、飛鳥刑事が見たのは走り去る車のヘッドライトとテールランプだけ。それだけでは探しようがないのは明らかだ。
ゴルフ場に関しても、飛鳥刑事が最初に見た引っ越し社の車で、重要な資料などは粗方運び去った後だろう。通路に残され積まれていたのはテーブルや椅子等。重要な手掛かりが残されているとは思いにくい。トナミメンテナンスも似たようなものだろう。
だからこそ、警察に忍び込んだ構成員の割り出しを行うのだ。
森中警視は聖華署員にストーンのことをぶちまけたが、一つだけ伏せたことがある。その警察内部に潜り込んだ構成員についてだ。そんな話をすれば警官同士が疑心暗鬼になるし、本人は警戒して尻尾を掴みにくくなる。
ストーンについての捜査が始まり、浮足立った今がぼろを出させるチャンスなのだ。
署内のストーン構成員についての調査を秘密裏に進めているのは飛鳥刑事と佐々木刑事だ。飛鳥刑事が小百合と一緒にゴルフ場を調べていた一方で、佐々木刑事は伊沢刑事とともにゾディアック事件に関わったストーンのエージェントについて調べていた。正確には、ストーンということは特に意識せず、ゾディアック事件の主犯格として調査をしていたのだが、それがストーンによるものなのは明らかだった。
石原氏の店も拓磨氏のマンションも、既にもぬけの殻になっていた。最初から計画が終わったら煙のように消え去るつもりだったのだ。最後の最後のミスさえなければ、当初の計画通り忽然と消え失せていただろう。
しかし、そもそもサジタリウスが盗まれ、他のゾディアックとの関連を調べている時に、ローズマリーが事件に関わっている事に警察も気付いた。ローズマリーの背後にはストーンがいる。
森中警視の奇策で地下通路まで見つかった。誤算だらけだ。まさかこんなにくっきりと事件とストーンの繋がりが浮かび上がってしまうとは思っていなかったために、偽名を石原に拓磨などという分かりやすい名前にしてしまった。最初から用心していればもう少し分かりにくい名前にしていただろう。お陰でストーンは偽名のつけ方に気付かれてしまったのだ。
飛鳥刑事と佐々木刑事は、現在聖華署にいる石のつく名前を持つ署員達について詳しく調べていく。
不破巡査部長のケースから察するに、勤務時間外の行動が重要だ。不破はプライベートでの行動がまったく謎だった。逆に言えば、ストーンに関わりがなければプライベートでの姿も明らかだという事になる。
同僚を自宅に招くなどの行為が頻繁にあれば疑わしさはかなり薄れる事になる。子煩悩パパで休みごとに子供と写真に写っているような署員もストーンだとは思いにくい。
疑いを捨てきる事は出来ないが、一人ずつ可能性は薄いと判断されていく。
独身で、一人旅が大好きな署員だけが残った。プライベートでの行動は謎だ。一人旅と言ってはいるが、撮ってきた写真を見せびらかすでもなく、証拠も何もない。旅の話をしないわけではないが、多くを語ろうとはしない。本当に旅に出ているのか、裏付けはとれていないのだ。
その一人に的を絞ろうと算段を着けたところで、森中警視に呼ばれた。
「伊沢君が退院できるそうだ。迎えに行ってきてくれないか」
伊沢刑事は腕を撃たれている。だが、銃弾は骨にも当たらずに肉を傷つけただけ。傷は大したことがない。軽く縫合しただけで手術も終わりだ。ただ、流石に車の運転は出来ない。そこで迎えに行ってくれという事だ。
こんなことに時間は取りたくない。二人はパトカーに乗り込み、非常灯で邪魔な車を追い払い、追い抜きながら病院に駆けつけた。
伊沢刑事は病室で、すでに帰り支度を済ませていた。
帰り支度と言っても、荷物は少ない。撃たれた直後に病院に連れてこられ、そのまま手術をした。その時に来ていた血まみれの服だけが荷物だ。
そう言えば、伊沢刑事が今着ている真新しい服は誰が持ってきたのだろう。気になった飛鳥刑事は聞いてみた。
「見舞いに来た絹田さんが持ってきてくれたんだよ」
総務課の絹田さんだ。さすがは総務課だけあって細かいところに気が利く。
「イサワさーん」
看護婦が病室にやってきた。会計の話だ。当然、支払いは経費になる。あとで保険証を持ってきてくれとだけ言われた。もう、これで帰れるようだ。
飛鳥刑事は、今ふと気になった事を言う。
「今、イサワって呼ばれてましたね」
「え。あ、ああ。そりゃ、イサワだしな」
「あれ、そうなんですか?ずっとイザワだと思ってましたけど」
「俺もイザワって呼んでたぞ。イサワって呼んでる奴、誰もいないじゃん」
佐々木刑事も話しに入ってくる。
「まあ、なんだ。大したことじゃないから特に気にしてないんだ。今まで通り、イザワでいいよ」
少し伊沢刑事は妙な態度を見せた。
退院し、署に戻ってきた伊沢刑事は署内で高まっているストーン捜査の気運に少し驚く。しかし、あのストーンの重要施設内で重要な事件が起こったのだから、そう言った動きになる事も少しくらいは予測していた。
「傷の具合はいいのかね?」
刑事課に顔を出した伊沢刑事に森中警視が問いかける。
「ええ。しばらく激しい運動は出来ませんけど。傷が開いたり痛んだりしますからね」
「まあ、そうだろうな。今ちょうど、昨日撃たれた警官や構成員らしい人物の死体を司法解剖しているところだ。撃たれたときの様子などの詳しい証言も必要になる。そちらの方に協力してくれ」
「了解!」
伊沢刑事は一係の方に話をしに行った。そのままどこかに連れ出されて行く。再現検証でも行うのだろう。
「そう言えば。俺たちは一つ大きな勘違いをしてたみたいっすよ」
佐々木刑事はそう切り出した。飛鳥刑事も何のことかピンと来なかったが、次の一言でああそれかと思う。
「あの、伊沢って男の正体っすよ」
「何かあったのかね」
「あのイザワって男はなかなかの食わせ者っすよ。今まで俺たちにその真実の姿ってのを隠していたんすよ」
「イザワって呼んでましたけど、本当はイサワだったんです」
佐々木刑事があんまりもったいぶるので飛鳥刑事はさっさとぶちまけてしまった。
「大した話じゃ無いな」
話のオチを取られた上、ばっさりと切り捨てられてめげる佐々木刑事。
「ええ。だから今まで本人も気にして無かったそうです」
「しかし、自分の名前を間違えられて、どうでもいいと思えるってちょっと考えられないっすよね。なあ飛鳥。お前だって自分の名前を飛鳥トモタカとか呼ばれたらすぐに訂正するだろ」
「……まあ、そうでしょうけど、トモタカって呼ばれたことはありませんね。ユウキって呼ばれたことはありますけど」
「……そういえば、いつかナンパした女子大生がお前と同じ字でユウキちゃんだったなぁ。字を知って一気に萎えたっけな。何か飛鳥を口説いてるような気がして」
げんなりした顔になる佐々木刑事。飛鳥刑事も口説かれたくはないと心の中で呟きうんざりした顔をする。
「その話、何か俺もあまりいい気持ちはしないですね」
「キャバクラ行ったら美人でいい体のホステスが来たけど、名前がアスカで気分が今一つ乗らなかったこともあったな。思えばお前の名前は俺の人生に暗い影を落とし過ぎだ」
「何の話ですか、もう」
なんの話をしていたのか分からなくなってきた。
「私のところにも、よく森中英雄様という名前で郵便物がくるな」
森中警視の発言で、話は元の流れに戻る。
「直させるでしょう、そういうときは」
「……いや。放っておいているから、何度もその名前で郵便物が来るんだがね」
佐々木刑事の主張は森中警視に打ち破られた、かのように思えた。
「まあなんだ。直させるには送り主に電話をかけるか手紙でも送り付けなければならん。しかも、電話受付は営業時間内だけと来ておる。そこまでして直してもらう必要の無い相手だ。相手が目の前にいるなら直すだろうな」
「そうでしょう、そうでしょう!」
佐々木刑事は再び勢いを取り戻す。
「まあ、どちらにしても、どうでもいい話だな」
中途半端に盛り上がった分、この一言での佐々木刑事のがっかりぶりは大きかった。
とにかく、二人は明らかになっていない一人旅大好きな署員、岩崎警部補の私生活の調査を続行することにした。
刑事課を出て行く二人の後ろ姿を見送った後、森中警視はふと手を止めボソッと呟く。
「イサワ、か……」
森中警視はしばらく考え込んだ後、聖華署の警官の名簿を手に取った。
調査は主に岩崎警部補の自宅周辺での聞き込みだ。岩崎警部補のアパートの大家に、近所で起こっていた空き巣事件の話を聞きに来たということで話をし、そのついでの世間話のようにして岩崎警部補の話を聞く。
こういう話を聞くのは話好きのおばちゃんに限る。この手のおばちゃんは、聞いてもいないことまで機関銃のような勢いでしゃべりまくる。このおばちゃんも、その例にもれなかった。
「あの人ねー。休みの度にどこかに出かけてるわねえ。カメラ持ってさ。日帰りの一人旅だって言ってるわよ。富士山見に行ったり、湖見に行ったり、海を見に行ったりしているみたいねぇ。そんなことするよりもお嫁さん探せばいいのに。もうそろそろいい年だってのに浮いた話の一つもなくてねえ。どうせ旅に出るなら恋人同士とか夫婦とか、子連れとかの方が楽しいに決まってるじゃないの、ねえ。……見たところ、あんたら二人も独身っぽいわねぇ。奥さんいたらそんなしわくちゃでみすぼらしい背広着てないでしょ。おばちゃんがいい嫁紹介してあげようか?46才でバツ2のおばちゃんなんだけどぉ」
いつの間にか話が変わり、とんでもない事になり掛かっている。46才くらいのおばちゃんはちょうど目の前にいる。まさか自分を売り込んでいるのではあるまいか。
「……もしかして、岩崎警部補にもそんなノリで接してたりしません?」
「やーねえ。当然じゃないのよ。あたしゃあたしなんだからさ。若い男はいいわねえ。もう、話しているだけで若返っちゃう」
どこが若返っているのか理解に苦しむ。飛鳥刑事は『近隣住人とのトラブルで女性恐怖症の可能性あり』とメモに書き加えた。バツ2と言うが、旦那も逃げたくなるわけだ。
とりあえずこれで分かったのは、やはり岩崎警部補という人物は旅好きなのかも知れないという事か。ただ、そう言うキャラを警察外でも演じているだけかも知れない。
大した成果もないまま署に戻る。森中警視にも、大家から聞いた話を伝えた。
「君たちが出ている間にもう一人、気になる人物が出てきてね。今度はその人物についても少し調べてもらいたい。総務課の絹田巡査部長だ」
どこかで聞いた名前だ。飛鳥刑事は少し考え、思い当たる。
「ああ。確か、伊沢刑事の見舞いに来たって言う」
「……なんだって?それは確かか」
「ええ。伊沢刑事がそう言ってました」
「……そうか。……やっぱり絹田巡査部長は調べなくてもいい。材料は揃った。あとは、キャストが揃うのを待つばかりだ」
「もしかして、誰がスパイなのか分かったんですか!?」
「ああ。多分だがな。絹田巡査部長は恐らくストーンの構成員だ。そしてもう一人……。もうそろそろ戻ってくるはずだ。……伊沢君がな」
飛鳥刑事と佐々木刑事は驚く。
「い、伊沢さんですか?」
「俺、ここしばらくちょこちょこ一緒に仕事してましたけど、そんな様子は無かったっすよ」
「そりゃあ、様子だけで気付かれるようなら潜伏にはならんな」
「そりゃあ、そっすね」
「でも、何で伊沢さんなんですか?」
「伊沢君が、イザワではなく本当はイサワだと聞いたとき、この文字が頭に浮かんだんだよ」
森中警視は机の上のメモ帳に“石和”と書いた。
「それは……イサワ、ですね」
「へえ、これでイサワって読むのか」
「もしかしたら、ストーンで通じる名前と同じ読みで、違う字が充てられた名前を使っているかもしれない。そう思ってありそうな名前を名簿で探してみた。そして見つけたのが絹田だ」
飛鳥刑事はふと西山村署の木牟田警部補のことを思い出した。響きが似ているだけで全く関係ないが。
「あ。もしかして石に占うって書いて砧っすか?東京にナンパしに行ったときそんな字見ましたよ」
佐々木刑事が口を挟んで来る。
「君はそんな話ばっかりするな。早く身を固めて落ち着きたまえ」
「何か今日はそんなことばっかり言われるっす。まだ人生の監獄に行き着く訳にはいかないっすよ。嫁という名の看守に見張られる人生は嫌っす」
「紙切れ一枚で脱獄出来るじゃないか。人生経験だよ」
「バツイチという前科がつくじゃないっすか」
「人とは生きているだけで罪深い。まして、愛など。決して償いきれぬ罪のようなものだ」
「あの。何の話をしてるんですか?さっきから」
ものすごく関係ない話になってきているので飛鳥刑事がツッコミを入れた。
「おお、そうだった。伊沢君が戻って来てしまう」
思えば、森中警視の私生活も謎と言えば謎だ。明らかなのはあの軍事マニアぶりか。家を訪ねたときも家族のいる様子は無かった。しかし、今の口ぶりはただの独身者とも思えない。まあ、あの趣味だ。紙切れ一つで看守は辞めてしまったのだろう。勝手にそう思う飛鳥刑事。いずれにせよ、こんなことを詮索している時間は確かに無い。
「伊沢、絹田。関連の無さそうな二人が、わざわざ見舞いに行ってまでコンタクトを取るというのは怪しい。見舞いに行くほどのケガでもないしな」
「しかし、だとしたらなぜ、わざわざ絹田巡査部長が訪ねて来たことを俺たちに言ったんすかね。黙ってりゃバレないのに」
「訪ねて来たのは事実だ。下手に隠し立てする方が怪しい。そのためお互い正体を隠して警察にいるのだからな」
思えば最近の伊沢刑事の行動はおかしかった。リベンジャー事件で潜入していたエージェントのうち、分かりやすい名前で潜入していたエージェントが引き上げたので多忙になったうえ、重大な案件が次々と舞い込んで来た為に、細かい所まで気を回せなくなっていたのだ。そのうえ、森中警視が中心となってストーンの裏をかいてくる。その後始末までさせられるのだ。無理も無い。
とにかく、伊沢刑事がストーンのエージェントなのか。それは確認しなければならないことだ。
それについて森中警視には考えがあった。
倉橋優香は何処とも知れぬ部屋の中で、再び“消される”そのときを待っていた。
一度、倉橋優香は死んでいる。だが、自分はこうして生きている。倉橋優香としての人生を閉じ、別人、西川小百合として。恐らく、また同じことが繰り返されるのだ。
今、ストーンは優香が生まれ変わる別人の手配に奔走していた。
やはり、警備課の警官にするのが一番だ。優香の体に警備課の仕事が染み付いている。
入れ替えやり方は簡単だ。その入れ替わられる婦人警官を、警察内部から手を回させて転勤させる。そのとき入れ替わらせ、入れ替わられた婦人警官は別人として始末してしまう。例えば、まだ失踪していることになっているゴルフ場から消えた中村幸恵として。
もちろん、新しく生まれ変わったその誰かはもう聖華署に来ることは無いだろう。
優香はもう西川小百合ではない。だが、一時期でも西川小百合だったのは確かだ。その西川小百合だった自分が求めている。
消えてしまう前に、もう一度でいい。飛鳥刑事に会いたい。
飛鳥刑事、助けに来て……。
伊沢刑事は再現検証を終えて刑事課に戻って来た。
森中警視も、飛鳥刑事も佐々木刑事もそこにはいなかった。
「森中警視は?」
近くの刑事に聞いてみる。
「ストーンのアジトのそばで消えたOLの自宅を調べるって、庸二らを連れて出て行ったぜ」
今頃あの女についてを調べてどうしようというのか。ゴルフ場から消えた女の正体ははっきりとした。事件ともストーンとも何の関係もない、ただ巻き込まれただけの不幸な女。
ふと、伊沢刑事は飛鳥刑事の机の上に目を向ける。そこにはいくつかの指紋サンプルがおかれていた。そこには西川小百合の名があった。
そして、飛鳥刑事ののものとは思いにくいファンシーななメモ帳。表面にはパウダーで浮かび上がった指紋が見える。
これはもしや、西川小百合の所持品ではないのか。
ストーンは西川小百合、すなわち倉橋優香を殺すことは無い。だとすれば、当然あの死体は替え玉による別人だ。
頭部を切り取られているので顔でそれを知ることは出来ない。だが、指紋を調べられるとそれが西川小百合の死体ではないということがたちどころに分かってしまうだろう。
伊沢刑事もあの死体が誰の物なのかまでは聞かされていない。それはどうでもいいことだったからだ。
だが、あの時のあそこの状況から考えて、あの死体はストーンがゴルフ場で捕らえたという中村幸恵と考えていい。
恐らく、死体が中村幸恵であるかどうかを確認するために中村幸恵の自宅に向かったのだろう。だが、そのことが証明されようが、別にどうでもいいことだ。あの死体が西川小百合の物ではない。それが知られた時点で、もう既に問題なのだから。
伊沢刑事は急いで総務課に向かった。もちろん、絹田巡査部長の元へだ。
絹田巡査部長は、いつものように席にいた。何食わぬ顔で、さりげなく挨拶をして声をかける。
「今朝はどうも」
「おお、退院出来たかね」
などと白々しい挨拶を交わす。
「この差し入れてもらったシャツのことで話がありましてね。ちょっといいですか」
「手短に頼むぞ」
二人は総務課を出る。周りに人がいないのを確認し、にこやかな笑顔から真顔になった絹田巡査部長が言う。
「何かあったのか」
「あの死体が西川小百合の物でないことに森中が気付いたようだ。死体の指紋を調べている。間もなくあの死体が中村幸恵のものだと確認されるだろう」
「なんだと!?……いずれバレるとは思っていたが、思ったよりも早かったな」
あの死体が西川小百合では無いと認定されると、西川小百合は失踪者として扱われることになる。今ここで西川小百合だった倉橋優香を進行中の計画どおり別人にして警察に送り込み直すのは危険すぎる。
「よし。至急この状況を知らせてこよう。お前は森中の動向を見張れ」
「森中は今中村の家を調べているぞ」
「戻って来たら、成果を聞き出せ。それと、今後の方針もな。あちらを止めておけばどうにでもなる」
伊沢刑事はうなずいた。そのまま署を出て行く絹田巡査部長を見送り、刑事課に戻って行った。
「動き出しました。絹田巡査部長の方です」
物陰で駐車場を見張っていた飛鳥刑事は、署からいそいそと出て車に乗り込む絹田巡査部長の姿を確認し、無線で森中警視に伝えた。
絹田巡査部長の車が走り去ってしばらくたってから、森中警視と佐々木刑事の乗った覆面パトカーが駆けつけた。
「さて、何処に連れて行ってくれるのか楽しみだ」
森中警視は受信機のヘッドフォンを装着し、にやりと笑う。
伊沢刑事と絹田巡査部長の車には、発信機が取り付けられている。ヘッドフォンはその受信機に繋がっている。
それがどんな意味を持つのかはまだ知りようがないが、小百合が生きていることはストーンにとって知られてはまずいことのはずだ。無関係の人間を殺してまで小百合が死んだかのように見せかけているのだから。
警察が小百合の死を疑っている。物証までつかんで。そのことはストーンにとっても一大事だろう。
だが、知らせるのに電話は使えない。通信記録が残るからだ。まして、警察内部の電話など使えたものではない。下手をすれば周りで聞き耳まで立てられてしまう。
となると、無線機などを使うか、仲間の元に直接出向いて連絡を取る事になる。外の電話や無線機を使うにせよ、警察署内では目立つ。どこか場所を変える必要がある。だから動いてどこかへ行くと踏んでいたのだ。
絹田巡査部長の車はそう近くはない場所を目指している。公衆電話などを使う気はないようだ。
絹田巡査部長の車は市街地の雑居ビルの地下駐車場に入っていった。ここが目的地らしい。飛鳥刑事たちも森中警視に率いられ、近くの駐車場に車を停め、雑居ビルの地下に侵入した。
入り口は一つしかない。この駐車場から雑居ビルに抜ける通路もない。袋のネズミ。そのはずだが、絹田巡査部長は忽然と姿を消していた。
耳を澄ますと、奥の方からくぐもった物音が聞こえる。非常扉の向こうらしい。
慎重に非常扉を開けて入り込む。中は真っ暗だが、横の壁からうっすらと光が漏れている。いや、漏れていたと言うべきだろう。その光は、見る間に消え去りただの壁となった。
どうやらここに隠し扉があるようだ。押してみても開く様子はない。
「どうします?」
「今回はここに入るのは諦めよう。ただ、この様子だと絹田巡査部長はすぐに出てくるはずだ。そこを押さえよう」
三人は駐車場をあとにした。
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