Hot-blooded inspector Asuka
Episode 6-『Stone in underground』

第4話 地下の惨劇

 ゴルフ場張り込んでいたはずの飛鳥刑事と小百合は、忽然と姿を消していた。
 飛鳥刑事達が姿を現さず、時々入っていた無線連絡もぱたりと止まった。こちらから無線機に連絡を入れても応答が無い。何かが二人の身に起こったのは間違いない。
 ゴルフ場の近くで飛鳥刑事が乗っていた車が発見され、やはりこの近くにいたということは分かった。ただ、その姿だけがどこにも見あたらない。
 勢いだけで空回りするくせにじっとしていられない飛鳥刑事の事だ。連絡を入れたあと、無謀にも行動を起こして捕まったのではないか。森中警視はそう判断した。
 実際にはじっとしていたにもかかわらず見つかってしまったのだから、それはとんだ誤解ではある。いずれにせよ、些細な違いだった。

 明かりが消され、しばらく経つ。
 一条の光もない闇の中、感じられるのは地下の冷たい空気と冷えたコンクリートの壁や床の感触、そして、隣にいる小百合の体温だけだ。闇の中、不安を紛らわすためにも二人で寄り添っているのだ。
 ここに閉じ込めるとき、急いでいたためだろう、取り上げられた物は飛鳥刑事の銃だけだった。
 手錠やライターなどは残っているが、これをどうにか使って脱出ということは出来そうにない。
 出来ることと言えば、せいぜいライターの火で腕時計を見て、今何時か確認することくらいだ。もう真夜中だ。夜明けまでもいくらもない。
 警察はこの場所のこと、そしてあの出入り口のことに気付いているだろうか。あれから何の動きも見せないストーンの動向はどうなっているのか。何も分からないまま時間は過ぎて行く。

 飛鳥刑事からの無線で、バンカーの仕掛けについて聞いていた森中警視が、バンカーを見逃すはずもなかった。警官数人がかりでバンカーの砂を掘り出すと、すぐに鉄で覆われた構造物が現れた。
 その動きについてはストーン側も警察に紛れ込んだ仲間たちからの連絡で把握していた。
 まだ掘り出し切るには時間がかかるだろうが、夜明けまでには侵入を許すことになるだろう。
 これからの計画について神代から話があった。
 今この辺りに来ている警官の数は決して多くはない。バンカーを掘り起こしているのが森中警視を含めて5人、ゴルフ場の入り口を固めているのが二人、トナミメンテナンスの駐車場を固めているのも二人。
 トナミメンテナンス側から車で脱出すれば簡単に突破出来るだろうが、その時タイヤを銃撃されれば一巻の終わりとなる。万全を期すためにも、トナミメンテナンス側の二人をゴルフ場におびき寄せなければならない。
 作戦のためには通路の遮断を一度解除する必要がある。幸い、クラブハウスやトナミメンテナンス側の出入り口を警察が探る動きはない。電力を復活させても問題は無さそうだ。
 地下施設内はにわかに慌ただしくなった。

 真っ暗になっていた部屋に、数時間ぶりに明かりが点る。ついた明かりで腕時計を見て、数時間が経過していた事を知ったのだ。
 通路に響き渡る慌ただしい足音に、飛鳥刑事と小百合も顔を上げた。
 ほどなく、ガチャガチャと言う騒々しい音の後、扉が開かれ、数人のエージェントが入って来た。そして、小百合を取り囲み、両腕を引っ張って無理やり立たせ、そのままどこかへ連れ去ろうとする。
 飛鳥刑事も立ち上がり、その後について行こうとするが。
「お前に用はない」
 エージェントに押し戻された。倒れ込んだ飛鳥刑事は立ち上がり部屋の出口に突進したが、その目の前で扉は閉められた。錠の掛けられるガチャリと言う音がした。
「小百合をどこに連れて行く気だ!返せ!」
 飛鳥刑事は扉を叩きながら叫び続けたが、小百合を連れたエージェントたちの足音はお構いなしで遠ざかって行った。
「くそっ」
 鉄の扉を思い切りどんと蹴り、扉の前に座り込む飛鳥刑事。
 小百合を連れて行く足音は、飛鳥刑事たちが連れ込まれた方向とは逆へと向かって行った。より、奥の方へ。

 そして同じ頃、その逆方向であるバンカーに埋まっていた入り口は、警察の手によりほぼ掘り出されていた。だが、鉄製の蓋はやすやすと開きそうにない。
 その時、途中で抜け出し一人でどこかに行っていた森中警視が戻って来た。
 ……のだが、やって来た車を見たとき、誰もがまさか森中警視だとは思わなかった。ただ一人、佐々木刑事を除いては。
 それはいつか、森中警視私邸の庭で見た装甲車だった。その登場により、静かなゴルフ場跡地は野戦地のような雰囲気になる。
「よくその車で検問通れたっすね」
 この道の聖華市側では検問が行われていた。カップルの行方不明事件を名目にした物だ。そんな検問を砲台が2門もついた車で、良く通り抜けてきたものだ。道路を走っているだけでパトカーに追いかけられそうだと言うのに。
「警察手帳だってあるんだ。検問くらいわけないぞ。特殊機動隊だと言って堂々と通って来たよ」
「いくら何でも特殊すぎるでしょう……」
「さあ、入り口は姿を現している。後はこじ開けて入るだけだ」
 森中警視はそう言うと、その装甲車に搭載された機関砲を入り口に向けた。ボンボンボンと鈍い破裂音が立て続けに発せられる。そして砲弾によって鉄の扉が少しずつ歪む。歪んで出来た隙間にバールのようなものを突っ込むと、扉をこじ開けることが出来た。
「この車、実弾の出ないレプリカだったんじゃ……」
 呆然としながら佐々木刑事が呟く。森中警視はにやりと笑い、言い返してきた。
「時代は移り変わり、人の心も、物の姿も移ろうものだよ。何も出ないレプリカの砲台で私がいつまでも満足すると思うかね。それにこれは実弾じゃない。空気圧を利用した空気鉄砲を大きくしたような物だよ。夏休みの工作でも作れる代物を、少し大きくしてよりただけだ。言わば、大人の工作による大人の空気鉄砲だ」
 どうやらこの機関砲、自作らしい。
「子供なら遊びみたいなものでも、金と技術のある大人だとタチが悪いっすね」
 思えば、あのゾディアック事件の蟹江氏もその類だ。タチの悪い仕掛けの数々。佐々木刑事も森中警視は絶対に敵に回したくないと思ったものだ。
「最悪なのは、金と技術と暇のある大人だよ、佐々木君。私は忙しい身、暇が無いだけマシだろう。忙しい中、僅かな時間を利用してのささやかな楽しみ……大したもんじゃないよ。さあ、突入だ!」
 森中警視の号令で警官たちは突入して行く。
 だが、5秒と経たず戻って来た。その後ろではズドドドドドという機銃の掃射音がする。
 中ではストーンのエージェントが機銃を手に待ちかまえていたのだ。時間稼ぎ、そして、警察が手に負えないと思えばトナミメンテナンス側の警官も応援に呼び寄せるだろう。その、陽動も兼ねている。
 だが、そう思うようにうまくいかないのは世の中の常である。警察、特に森中警視はそのための対策もしっかりと準備していた。
 スロープの下の方で機銃を手に待ちかまえていたエージェント達は、上から小さな何かが投げ込まれ、転がってくるのに気付き、その姿を目で追った。近づいて来るにつれ、その姿がはっきりとしてくる。どう見ても、手榴弾であった。
 次の瞬間、地下通路に閃光と爆音が轟いた。
 警官達が覗き込むと、通路で数人の男が伸びていた。死んでいるわけではない。音と光で相手を気絶させるスタングレネードである。投げ込んだのは、もちろん森中警視。
 警官達は素早くエージェントを確保し、手錠をかけた。そのうち一人の顔には見覚えがある。昼間会ったばかりのトナミメンテナンスの工場長だった。その昼間の大失敗のため、処分と汚名返上の機会を兼ねて、この決死の応戦に臨んだのだ。が、いいところもないままにあっけなく制圧されてしまった。
 そして、そのすぐ側の扉が内側からどんどんと叩かれ、聞き覚えのある声が助けを呼んでいた。その声を頼りにすぐに飛鳥刑事も発見された。

 小百合の連れ込まれた部屋には先客がいた。
 一人は虚ろな目をした若い女。そしてもう一人。白衣を着た、学者風の男。この男は何か強烈に嫌な感じがする。小百合の脳の片隅に封じ込められた記憶の中で、何かが暴れている。その男が、小百合の方を見てにっと笑った。
「またお会いしましたな。まあ、君は私の事を覚えてはいないだろうがね。覚えているはずがない。私が記憶を消して差し上げたのだからねぇ」
 くくく、と含み笑いを漏らす。何とも気味の悪い男だ。
 男の言う通り、小百合はこの男を知っているような気がした。だが、思い出す事は出来ない。記憶の中に深い靄が掛かり、その奥で霞んでいる。
 小百合は記憶を辿ろうと、気味の悪いその男を睨み付けるようにして見つめた。
「くくく、いい心がけだ。手間が省ける。そのまま私の目を見るんだ。そして、私の操り人形となるがいい」
 唐突に小百合の意識は朦朧とし、これが現実なのか夢なのかさえも定かではなくなった。
「この女も哀れだな。強情が過ぎたばかりに、こんなことで命を落とすことになるとは。まあ、そのおかげで我々はこうしてこの計画を行えるのだがな」
 男のその言葉は、小百合の耳に届いた。だが、小百合の朦朧とした脳裏に届くまでに、言葉ではないただの音でしかなくなっていた。
 その時、地下に轟音が響き渡った。幾重もの鉄の扉をも突き抜けて届くくぐもった轟音。
「警察か!」
 警察がかなり手荒な方法で出入り口をこじ開けようとしている音だ。タチの悪い大人の工作の吐き出す砲弾が、鉄の入り口を激しく叩く音。
「どうやら時間がないようだ。早く終わらせ、ここから立ち去ろうではないか」
 学者風の男は、これから目の前で起こるだろうあまりに凄惨な出来事を知りながら、まるでそれを楽しむかのような芝居じみた口調でそう言った。
 血塗られた惨劇の、最後の下準備が始まる。

 飛鳥刑事が捕らえられていた部屋の扉は、閂が数個あるだけで外からなら簡単に開くようになっていた。
「小百合がどこかに連れて行かれました!」
 扉が開くなり、飛鳥刑事はそう言って通路の奥に向かって走り始めた。
 人がすれ違うのがやっとの狭いトンネルの先に、壁と扉が見えてきた。両側の壁と同じような壁が天井から壁の半ばまであり、その下には別な色の壁と扉が見えている。どうやらシャッターのように上の壁が下りてくるようになっているらしい。これが完全に降りれば、ただの行き止まりのように見えるだろう。外部からの侵入者をここで食い止めるための仕掛けだ。
 横の壁にも扉がある。開けて見てみたが、がらんとした何もない部屋だった。実際使われる事もあるが、行き止まりに見せるダミーの壁と相まって、この通路をこの部屋に続いているだけの通路に見せかける意味もある。
 奥に続く扉を開け、更に先を目指す。通路の脇にやけに目立つ立派な扉があった。開けて中を見てみる。
 据え付けの大きな机があった。そして、その机の背後には大きな窓がある。ここは地下だ。窓の外も当然地下のはずだ。しかし、明け始めた空から降り注ぐ微かな光が窓から入ってきている。直接ではない。揺らめく水を通してだ。位置関係から察するに、恐らくはゴルフ場にあった池の地下に当たる場所なのだろう。
 正面の壁にはロゼッタストーンをかたどったストーンの紋章のレリーフが掲げられている。
 特殊な部屋だというのはすぐに分かった。据え付けの机の大きさや豪勢さからして、ストーンでも上層の人間が利用する部屋なのだろう。
 だが、他に何もない部屋には用など無い。更に奥を目指す。突き当たりにあった扉を開けると、その向こうは壁になっていた。カムフラージュのための壁が降りているのだ。扉の向こうにカムフラージュの壁があると言う事は、今向かっている方向は外にだという事になる。
 周りを見回すと縦に二つ並んだ丸いボタンがあった。下のボタンを押すと壁が降り、上のボタンを押すと壁が上がるのではないか。試しに上のボタンを押すと、案の定壁が上がり始めた。
 今まで一本道だった通路が、二手に分岐している。二手に分かれたいところだが、何が起こるか分からない。人員を分散させずに一塊になって進む。この区画は回廊になっていた。更に、部屋の数も多い。一人一つずつ部屋を開け、中を覗いていく。
 大多数の部屋は机と椅子、あるいは簡単なベッドが残っているくらいだった。オフィスと居室か。資料などはあらかた運び出されている。
 そんな中、ある扉を開けた警官が大声を上げた。刑事と警官達はその部屋に集まる。
 部屋の中は胸の悪くなるような血の臭いが充満している。そして、その臭いよりも強烈な光景が広がっている。血の海だ。床一面に血溜まりが広がり、壁や天井にまで血飛沫が飛び散っている。
 血溜まりの中心にはベッドがあった。そのベッドの上には血まみれの人影が横たわっていた。
 その顔は窺い知る事が出来なかった。なにせ、顔どころか、首から上が跡形もなく消えていたのだから。
 だが、少なくとも、飛鳥刑事にはその姿に見覚えがあった。
 その死体が身に纏っていた物は、飛鳥刑事が最後に見た小百合の服装だったのだ。
「さ、小百合?そんな……!小百合!小百合いいぃぃ!」
 飛鳥刑事の慟哭が地下に木霊した。

「森中警視!」
 入り口で侵入を阻んだエージェントたちの確保に当たっていた伊沢刑事が駆けつけて来た。左腕から血を滴らせている。
 伊沢刑事は血で染まった部屋の様子に驚いたが、それよりも今は伝えるべき事がある。
「申し訳ありません!犯人の確保に失敗し、犯人三名と警官一人が死亡しました!」
「何だと!どういうことだ!」
 森中警視は驚き振り返った。
「確保の際、意識を取り戻した犯人の一人が隠し持っていた拳銃で仲間を次々と射殺、居合わせた警官とともに阻止しようとしましたが、反撃のために警官は死亡、私も腕に銃弾を受けました。その隙にその犯人もこめかみを撃って自殺しました!」
「何ということだ!」
 頭を押さえる森中警視。
 もちろん、全て伊沢刑事の作り話だ。
 実際はこうだ。犯人の確保中に伊沢刑事が隠し持っていた拳銃を取り出し、事態が飲めずに呆気に取られていた警官の眉間に鉛弾を撃ち込んだ。そして、犯人の一人にその銃を手渡し、仲間たちを射殺させた。
 その時、自分一人が無傷では怪しまれては困るので、伊沢刑事の腕も撃たせてから自殺させたのだ。もちろん銃に伊沢刑事の指紋など残っていない。最初の警官を殺し終えたあときれいに拭き取ってある。今は再び拳銃を受け取ったエージェントの指紋のみが付いているはずだ。いくら調べても疑わしい点など無いだろう。
 それより、この状況は何事だ。
 部屋では飛鳥刑事が女性の死体を前に慟哭している。小百合、小百合と叫びながら。
 まさか。ストーンがあの女を易々と死に追いやるはずがない。
 伊沢刑事は死体の首が無いことからすぐさま事情を飲んだ。なるほどな、と心の中で呟く。
「伊沢君を警察病院へ!そして応援を呼んでくれ!殺人事件だ!」
 命令を受け、警官が伊沢刑事を連れて行く。
「警視。トナミメンテナンスの監視をしている警官も呼び寄せますか?」
 伊沢刑事の言葉に森中警視はかぶりを振った。
「何もわざわざ敵の退路を増やしてやる事はない。まして、犯人が逃げ込んだ方の道を空けてやる必要など、な」
 む、そこまで感づいていたか。やはり侮れんな。食い下がらずに大人しくした方がいいだろう。
「分かりました」
 伊沢刑事は警官に連れられて去って行った。

 残されたのは飛鳥刑事と佐々木刑事、そして森中警視だけになった。
 森中警視は冷静に検屍を始める。血の海を慎重に踏み越え、死体に近づき、手を触れた。
「殺されてまだ間もない。血が出尽くして出血は止まっているが、体温はほとんど低下していない。体表に触れても生きているかのようだ。死亡してからそう時間は経ってはいないだろう」
 当然だ。ついさっきまで飛鳥刑事と一緒にいたのだ。生きていたのだ。
「どうして小百合が……!」
 なぜ、小百合が殺されなければならなかったのか。なぜ、自分だけ殺されなかったのか。飛鳥刑事は自問する。
「この血の飛び散り方からして、生きたまま首を切断したのだろう。凶器はベッドの下にあるこの鉈と見て間違いない。……しかしなぜ、犯人は死体の頭部を切り取り、持ち去ったのだろう?」
 森中警視は呟く。それは、当然出てくる疑問だ。なぜ、このような殺し方をしたのだろうか。一撃で止めを刺すためともとれるが、ストーンは毒薬や銃などもいくらでもある。殺すだけなら他の方法がいくらでもある。
 この状況は、何かの必要があって生み出された、必然の状況であるはずだ。
「他に外傷がないか確認しよう。佐々木君、ブラウスのボタンをはずしてくれ」
「女を脱がすのは慣れてますがね……」
 佐々木刑事は慎重に死体のブラウスの胸元をはだけさせていく。血で染まっている事以外、特に不審な点は見つからない。少なくとも、首から下は。ただ、佐々木刑事はその首から下にも違和感を覚えた。
「う?こいつは……?」
 佐々木刑事は手を止める。
「どうした」
「なあ、おい飛鳥。これ、どう思う?」
 佐々木刑事は飛鳥刑事に意見を求める。だが、飛鳥刑事は何を言えばいいのか分からない。
「な、何がですか?」
「なんか、引っかかるんだよ。なんかこう、こんなはずはないって気が腹の底からこみ上げてくるんだ。ただ……それがなんなのか。俺にはよく分からねぇ。飛鳥、この体を見て、何か変なところはないか?」
 そんな事いわれても。飛鳥刑事は小百合とはそれなりにいい関係になりつつあるが、まだそこまではいっていなかった。下着姿さえ、見るのは初めてだ。そんな体を見ておかしな点といわれても。始めて見るものにおかしな点など……。
「あれ?」
 確かに、何かがおかしい。
 何に違和感があるのか。飛鳥刑事は思い当たった。
「これは……小百合じゃない!小百合の体とは思えない!」
 飛鳥刑事は、思わず叫んでいた。死体の体の一部に指を向けて。その指の指した方を見て、佐々木刑事も自分の感じた違和感の正体に気付いたようだった。
「ど、どういう事だね!?一体、何がおかしいのか!」
 森中警視は分からないようだ。無理もないかも知れない。
「警視。こんな時に死体を前にしていう科白じゃないとは思うんすけど。これが小百合だったら、俺だって小百合を放っておかないっすよ」
「……は?」
 森中警視はまだ合点がいかない。
「ペチャパイウェスト太めの寸胴の幼児体型にボディに、眼鏡に三つ編みの生徒会長みたいな顔が乗ってるからこそ、俺は小百合に見向きもしなかったんす。こんなスタイルだったら……間違いを起こしてたかも知れない。そう言う事っすよ。飛鳥が指さした胸がヤケに大きかったから気付いたっす」
「……確かにこんな状況でいう科白ではないようだな」
「とにかく。小百合にしてはやけにスタイルがいいんです。この人並みに膨らんだ胸の事は、普段は見えないところですから放っておくにせよ、足がこんなにすらっと長いはずがない!」
 飛鳥刑事も、真顔で言う事じゃないような気がしたが、真顔でそう言う。
「……これで、西川君が別なところで殺されていたら何とも救われない話だ。……だが、少なくとも目の前にある死体は西川君のものではない可能性が極めて高いと思える。となれば西川君が生きている可能性はある。むしろ、死んだように見せかける必要があると言う事は、死んでいない可能性が高いな。首を切って頭を持ち去った理由も、おそらくはそこだろう。顔がなければ、真っ先に服装を見てその人が誰かを判断するからな」
 絶望の淵に叩き込まれた飛鳥刑事だが、わずかな光が見えた気がした。
「いいかね。西川君が生きている可能性があると言う事は口外するな。誰も西川君の死を疑っていないように振る舞うんだ。そして、我々だけで秘密裏に動こう」
 森中警視も、警察内にストーンが潜入している可能性が高い事には前々から気付いていた。それに加え、この頃ではかなり身近なところに潜んでいる事を感じていた。
 敵を欺くには味方から。いや、味方の中に敵が潜んでいる。頼れるのは、ごくわずかな腹心だけだった。

 死体の事は気になるが、それ以上に犯人の事が気になる。
 まだ遠くに入っていないはずだ。森中警視を殺害現場に残し、飛鳥刑事と佐々木刑事は追跡を再開した。
 付近で、扉の向こうに壁がある、あちら側から見れば隠し扉になっている場所を見つけた。スイッチを押し、壁を開く。
 その奥には短い通路があり、すぐに扉に突き当たっている。扉を開くと薄暗い部屋に出た。視界は悪いが、上から微かに緑色の光が差し込んでいる。階段が上に続いている。
 階段を上ると、がらんとした建物の中に出た。緑色の光は非常口の案内灯だった。窓に紙が貼り付けられている。どこかで見た光景のような気がする。
 扉があった。開こうと手をかけて揺さぶると警報のベルが鳴り響いた。ここは、もしや。
 扉には鍵が掛かっていた。内側からはつまみを回すだけで開く事が出来る。扉を開けると、森に囲まれた草原。ゴルフ場のコースだ。ここは、クラブハウスだろう。
 辺りを見回していると、遠くでエンジン音が聞こえた。トナミメンテナンスの方向だ。目を向けると、ヘッドライトらしい明かりが動いている。飛鳥刑事は走り始めていた。
 クラブハウスからは、駐車場を通ってもトナミメンテナンスのフェンスの穴を抜けても、すぐにはトナミメンテナンスには着けない。結構な大回りを強いられる。
 飛鳥刑事が駆けつけた時には、すでに車は桜丘市方面に走り去ったあとだった。あちらには検問がない。あっさりと逃げおおせてしまう事だろう。
 トナミメンテナンスを見張っていた警官二人はその場に倒れていた。何か意味不明な言葉を呟いている。生きてはいるようだ。
 揺り起こすと警官は目を覚ました。
 話を聞いてみると、トナミメンテナンスを見張っていた警官たちは、工場の中から一人の男が現れたので駆け寄ったという。そこから先の事は覚えていない。やけに白っぽい人影で、闇の中でもやけに目立ったという。白衣でも着ていたのではないかとの事だ。もちろん、神代である。こちらを見張っていた警官が、相も変わらず見張っているので、神代自ら動いて眠らせたのだ。こうすれば、退路を妨げる危険はない。
 そして、悠々と車で走り去った。もちろん、今飛鳥刑事達の前から走り去っていった車だ。
 その時、駐車場の方で物音がした。
 パトカーが一台、走り出す。伊沢刑事達だ。遠いバンカー側の出入り口を通り、コースを延々と歩いていたので今まで掛かったようだ。もちろん、伊沢刑事はクラブハウス側の出入り口の存在も知っている。だが、知っていてはいけない立場なので、敢えて遠回りをしたのだ。
 そのパトカーからの無線連絡を受け、聖華署からパトカーの群れが近づいていた。

 小百合は目を覚ました。
 ここが天国だとは思えなかった。両手両足が縛られている。こんな不自由な天国は無い。自分はまだ生きている。
 自分が下着姿である事に気付いた。あの男に変なことをされたのではないかと恐怖に駆られたが、体や下着の感触に違和感は無かった。多分、何もされてはいない。そう思うことにした。
 どうやら自分は今、車に乗せられているようだ。車のトランクか、バンなどの広い車の床に無造作に寝かせられ、上にシートのようなもをかけられている。
 縛られた足でシートを払いのけようとしたがうまく行かなかった。
 しばらく車で移動した後、車のエンジン音が停まり、乗っていた人間が降りる音がする。
 近くのドアが開き、シートが払いのけられた。
「おや。起こすまでも無くお目覚めでしたか、お嬢さん」
 あの嫌な感じのする男が覗き込んで来た。
 小百合は足の縄だけを外され、男たちに車から引きずり出された。車はライトバンだった。
 車が停められていたのは屋内か地下の駐車場。あまり広くはなく、打ちっ放しのコンクリートの壁に囲まれた空間に、数台の車があった。
 両側を押さえられたまま歩かされる。
 非常口と書かれた扉に入り、扉横のスイッチを入れる。真っ暗だった通路に明かりが灯った。
 通路の先には階段があり、そのうえには蓋が取り付けられている。だが、目的地はその出口ではなかった。その近くにはやはり照明のスイッチらしいボタンのついた箱がある。ボタンを押すと明かりが消え、真っ暗になった。
 箱のところでカタカタと音がする。まだ何かをしているようだ。何もなかった壁に一本のかすかな光の筋が現れる。コンクリートでカムフラージュされた隠し扉だった。隠し扉は開かれ、仄明るい通路が現れた。照明のスイッチボックスの裏側に、隠し扉を開くスイッチも隠されているのだ。
 さらに奥に向かう。暗証番号が必要な扉の向こうにいくつかの扉があり、その扉の向こうの部屋に連れ込まれた。そこで小百合はパイプ椅子に縛り付けられた。
「何をするつもり!?今度こそ、殺すつもりね!?」
 小百合の言葉に神代はかぶりを振る。
「私はストーン総裁にお前の事を任されたとき、好きにしていいと言われている。ただ、殺すこと以外はね。……お前たち一族は死をもってしても償いきれぬ罪を背負っているそうだ。生きて、苦しみ続けなければならない……私には興味のないことだがな。だが、今のお前は死んだことになっているのだ。だから、お前……名前は何だったかな?」
「……西川小百合」
 言う気などなかったが、口が勝手に動いていた。催眠をかけられたようだ。恐怖などの不安定な心理状態は、催眠を掛かりやすくする。
「その、“西川小百合”には消えてもらうことになる」
 殺しはしないが、消えてもらうという。一体何をする気なのか。この男の考えは読めなかった。

 鑑識課員も駆けつけ、本格的な捜査が始められた。
 検屍の結果、死亡推定時刻は飛鳥刑事達が死体を発見する少し前だった。死因はやはり首を切断された事による失血死。凶器はやはり鉈であるようだ。争った様子などはなく、眠っているような無抵抗な状態の時に殺害された可能性が高い。ベッドの上に寝かされた状態で鉈を振り下ろされ、首を切断された。ベッドにはその時についたのだろう切れ目が見つかった。頭部はどこからも発見されなかった。持ち去られたようだ。
 小百合の服装はボディラインの目立たないゆったりとしたブラウスにスカート。その服装のため、本来この服を着ていた人間と今この服を着ている人間の体型の差が分かりにくい。
 着衣に不自然な点は無いので、着衣からこの死体が西川小百合のものだとする飛鳥刑事の証言が通り、死体は西川小百合の物と断定された。
「いずれ、この断定を覆す必要が出てくるだろうな。そのときのための材料を集めておこう」
 森中警視はそう言い、“小百合”の死体を調べ始める。だが、すぐにそれをやめた。
「どうしたんですか?」
 飛鳥刑事は不思議そうに問いかけた。
「探すほどのことも無かったよ。後は西川君の自宅を少し調べれば、この死体が西川君ではないことがすぐに明らかになる」
 飛鳥刑事は死体を見た。この死体に残された、死体の正体を示す証拠とは。
「!……指紋ですか!」
 死体は頭部を持ち去られ、一目では誰なのか分からないように細工がなされていた。そして、その服装で別人だと認識させる。この服を着ていたはずの、小百合に。だが、一目見ただけでは別人に見えようとも、詳細に調べれば特定は可能だろう。早々に特定されてしまえば、身元についての情報はあまり詳しくは調べられないが。
「つまり、この死体の手の指紋と、小百合の家にいくらでもついている指紋を見比べりゃ死体が小百合じゃねぇって分かるってことっすね」
 佐々木刑事は死体の手を取り、指先を眺めた。確かに指は綺麗なまま残っている。首の切断痕以外、目立った外傷はないのだから。
「うむ。さらに、この死体の正体も明らかにしてくれるだろう」
「この死体が誰なのか。まずはそれを調べないといけませんね」
 飛鳥刑事は考え込む。顔もなければ、身元を示す証拠も残されていない。指紋だけで個人を特定できるのか。
「この死体が西川君でないとするならば、ここには西川くん以外にも女性がいたということになる。ここにいる可能性のあった女性。我々も一人、その可能性のある人物を知っている」
 警察に、ゴルフ場近辺をつぶさに調べる理由を与えてくれた人物。この人物の存在無くして、今警察はこの場所に踏み込んではいないだろう。
「昨日調べに行った、中村幸恵……っすか」
「しかし。ストーンの女性構成員かもしれないじゃないですか」
 飛鳥刑事が口を挟んだ。
「いや。確かにストーンの構成員がこのように別人の死体として身代わりになって発見されるケースはある。それと断定出来たケースは極めて少ないがね。そう言った死体は大概腐敗が進行しているか、白骨化している。敢えて発見を遅らせるのだ。その理由の一つは身元が特定出来ないようにするため。身体的特徴や指紋などを調べられると別人だということがばれてしまう。そのため、身元を調べるための情報が失われるのを待つのだ。後は、死体に身分証明書でも添えて発見させれば、それだけが身元を証明する証拠品となってくれるという訳だ」
 確かに、死体が身分証明書などを携帯していて、そこに疑わしい点が見当たらなければ、警察はその身分証明書に書かれた人物だと認定するだろう。
「そして、もう一つ。ストーンの下級構成員には番号が振られており、その番号が体のどこかに入れ墨として刻まれている。その入れ墨が分からなくなるまで死体を腐乱させなければならないのだ。この死体はすぐに発見された。そして、入れ墨は見つかっていない。つまり、この死体はストーンと直接関わりは無い人物なのだ」
 ストーンに直接関係がないにもかかわらず、こんなストーンの隠された施設にいた。考えられるのはやはり、この辺りで行方をくらました中村幸恵がここに監禁されており、今、こうして無残な死体となって横たわっている、と言うことだ。
 中村幸恵は小百合に見せかけるために殺され、小百合として発見された。そして、本物の小百合は見つかっていない。
 小百合を、見つけださなければならない。

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