Episode 6-『Stone in underground』第2話 偽りと見破り
ゴルフ場の捜査が始まった。
名目上はここに立ち寄った不審車両の痕跡捜しだ。あまり踏み込んだ詳しい捜査はできない。
クラブハウス前の牛の糞臭い一帯は特に念入りに調べられる。他に目に付く池やバンカー、グリーンなどの回りも刑事がうろうろする。どこもストーンにとってはあまり詳しく調べて欲しくない場所なのだ。
このままではいけない。そう思い、伊沢刑事はとある場所へ向かった。
牛の糞の臭いしか無いクラブハウス前から見切りをつけた刑事たちが他所に目を移す。大部分は目の前にあるクラブハウスに興味を示した。
昨日飛鳥刑事がそうしたように閉められたガラス扉に手をかけて引き開けようとした。昨夜同様非常ベルが鳴り響く。その音に脅えるように、小百合が飛鳥刑事にしがみついて来た。
「確かに妙だな。こんなクラブハウスにここまで厳重な警報装置は必要ないはず。まして再開もせずに打ち捨てられたような場所に、こんな警報装置が維持できる電気が通っているだけでも不自然だ」
扉は鍵がかかっている。びっしりと張られた張り紙のせいで、中はよく見えない。今日の捜査ではこの扉を開けさせる所までは踏み込めないのが現状だ。
一方、池やバンカーなどを調べていた刑事たちも、数々の奇妙な点を見つけていた。
まずは池だ。
水の澄み方が異常だった。常にきれいな清流が流れ込んでいるかのように澄んだ水。だが、ぱっと見にはそのような水が流れ込んでいる小川も、澱んだ水が流れ出すための流れもない、コースの中にぽつんとあるだけのただの池だ。
そして、そんな澄んだ水なのに、底が見えないほどに深かった。ゴルフ場にある池にしては異常だ。
バンカーの方も砂が異常に柔らかかった。踏んだだけで踝まで足が沈む。まるで最近、深くまで掘り返されたかのようだ。
このゴルフ場は、思った以上に怪しい点が多すぎる。何かきっかけを見つけて、もっと詳しい捜査を行えないものか。だが、その足掛かりを得るのは容易ではない。それが警察の限界だった。
その頃。伊沢刑事はゴルフ場の裏手にある小さな自動車整備解体工場を訪ねていた。
いくら騒音対策とは言え、ここまで辺鄙な所に工場を構えるのは不自然だ。車輌の輸送費用だけでも馬鹿になるまい。それもそのはず、ここもストーンのカムフラージュ施設なのだ。
施設だけあってもカムフラージュにならない。一応、それらしく見える程度の運営はなされている。
伊沢刑事は工場の事務所にいる責任者らしい人物に声をかけた。
「車のタイヤを石のタイヤに交換して欲しい」
「……話は何だ」
“石のタイヤ”がここでの合言葉だ。それが通じたということは、ストーンと直接関わりのある人物と見ていい。
「俺はナンバー064、聖華署刑事課に潜伏中のエージェントだ。警察がここを嗅ぎ付けた」
「それは分かっている。パンダカーが押しかけているからな。どういうことだ?こっちは何も聞いていないぞ」
「俺だってまさかここを警察が掴んでいたなんて、ここに連れて来られて初めて知ったぞ。どうやら、ゾディアックを担当したチームの使っていた車に、牛糞と一緒に発信器がへばりついていたらしい」
「ああ、あれか……。確かに、酷い臭いをさせながら車が帰ってきた。だから洗い落とせと言っておいたが……まさか発信器が混ざっていたとはな」
そう、あの車は牛の糞を洗い流す前に一度ここに来ていた。そして、牛の糞を洗い流せと言われ、言われた通りにゴルフ場に行って洗い流す。その後は、言うまでもなく再びここに来ているのだ。
「まったく、あの青二才共は最後の詰めが甘すぎる!」
苛立ちながら伊沢刑事が言った。
「そう言うな。警察側で指揮を執ったのはあの森中だろう。相手が悪い。あまりにもな」
「それはそうだが……。それならますます、あんな連中に行かせたことが悔やまれるな」
「かといって、アローには重すぎる仕事だ。奴はまだ本物の仕事はこなしていない。ローズマリーが降りた時点でこちらに分はなかったんだ。それより、警察の連中はどうする?」
「まずはゴルフ場から引き離したい。そこで、ここに注意を引かせようと思うんだが。いいだろうか」
「そうだな。で、どうする」
警察の引き付け方をどうするか。密談が始まった。
話し合いに時間は掛けられない。急がなければ。
「警視!」
どこに行っていたのか、伊沢刑事がゴルフ場の外から戻って来た。
「近くに自動車工場があったので聞き込みを行ったのですが、犯人グループの車を工場の人が目撃していました。車を洗いに来た後、聖華市方面に走り去ったと証言しています」
「ほう。それで」
「それでと言いますと?」
「他の話は特に無いのかね」
「え、ええ。何なら詳しく話を聞いてみてはどうでしょう」
「そうだな。行ってみよう」
森中警視は飛鳥刑事ら数人を引き連れて自動車整備解体工場に向かって行く。
よし、まずはうまく行った。あとは、残った警官を重要な場所から引き離しておけばいい。
そのころ、森中警視たちはその自動車整備解体工場に到着していた。造られてからそうは時間が経ってなさそうな看板に、トナミメンテナンスと書かれている。
中に入ると工場長が少し堅い表情で迎えてくれた。警察と聞いて嫌悪感をもつ人間は、犯罪者ならずとも少なくは無い。まして、車関係ではネズミ捕りなどの取り締まり関係で辛酸を嘗めさせられることも多いだろう。特に疑問は抱かなかった。
「さっきの刑事さんに聞かれた話ですな」
「ええ。ここで不審な車両を目撃しその車が聖華市方面に走り去ったと」
森中警視……この刑事たちの中で最も年嵩で、いかにも威厳がありそうな人物が訊いて来た。工場長は、この男が、と心の中で呟く。
そして、その近くにいる、刑事達に混じり一人だけ制服を着た婦警に目を向ける。この女が、あの。
とにかく質問に答えよう。
「ええまあ。走り去ったのを見た訳じゃないんですがね、音があっちの方に向かって行きましたよ」
飛鳥刑事はメモを取り始めた。
手帳の開いたページをふと見てみると、あまり覚えの無いものが書き込まれている。それが気になった。
これは何だろうか。車のナンバーのようだ。だが、一体何の。字は自分の字なのだから自分で書いたのだろうが、覚えがないのが些か気味が悪い。
飛鳥刑事は数字をじっくりと見てよく思い出す。書かれたのは間違いなく昨日だろう。昨日あったことと言えば、このゴルフ場に来て……。
その瞬間、全てを思い出した。それと同時にあまりのどうでもよさに力が抜ける。昨日、そこの駐車場に停まっていたカップルの車のナンバーだ。覚えていなかったのも頷ける。どうでもいいのだから。
飛鳥刑事はメモを取るついでにそのナンバーの上に線を引いておいた。
「車は工場で見かけたのですか?」
「いや。話し声と水の音が聞こえたので、林を抜けてコースに見に行ったんです」
工場のフェンスの向こうはゴルフ場を囲んでいる林だ。位置関係的に、昨日カップルがいた辺りに出るのだろう。フェンスには人が通れるくらいの穴が開けられている。
「ゴルフ場にはよく行かれるのですか」
「ええ、まあ。どうせ誰も使ってないし、昼休みとかにみんなでゴルフやったりしてますよ」
「コースが綺麗に整備されているのも、皆さんがやってるんですか」
「ええ」
これは、強ち嘘ではない。コースを整備しているのはここの工場にいる関係者だ。もっとも、実際のところはゴルフをやって遊ぶのはおまけかつカムフラージュの一環ではあるが。このコースには他の役目がいくつかある。だから整備しているのだ。もちろん、そんなことを言いはしない。
「もちろん、無断使用というわけではありませんよ。どうせ使ってないなら使うまで遊ばせてくれと、オーナーに言ってあります。で、オープンが先延ばしになったので、そのまま遊ばせてもらってるわけですな。ゴルフをやったり、散歩したり……」
これで、コースが不自然に整備されている理由も問題なくなるわけだ。
「ふむ。……では、もっと前の話になりますが、何かこのゴルフ場を工事していたようですな。その時も見ていましたか?」
森中警視は質問を変えた。工場長は関係なさそうな話になったので、まだ話を引き延ばすつもりかと苛立つ。だが、それを表に出しても仕方がない。
それに、その工事についてはある意味核心に触れる話題でもある。なにせ、その工事でゴルフ場の地下にストーンの拠点が築かれたのだ。慎重に答えねばならないだろう。
「コースの形状を変えるための工事だったようですが。同じコースで再オープンするのもなんですからな」
「……それはおかしいですね」
飛鳥刑事が口を挟んできた。何がおかしいというのだ。工場長は少し焦りを覚える。
「最近撮られたものと、だいぶ前に撮られた航空写真とを見比べた事があるんですが、形状はほとんど変わらなかったと思いますが」
「え。あ、ああ。それは。木を植え替えたりするのは大変ですからね。芝の部分の起伏を変えたり張り替えたりするのが中心だったようですよ。上から見ても分かりませんよ」
もちろん、起伏など変えていない。咄嗟の出鱈目だ。余計な事を言うと、余計な事を詮索される。あまり雄弁になるのも考え物か。
「なるほど。起伏をですか……ふむ」
頷く森中警視。どうにか納得してくれたようだ。続いて、次の質問。
「ゴルフ場で洗われていた車が走り去る前後に、何か変わった事や気がついた事はありますか?」
「いえ、特には」
「ゴルフ場についてですが。いろいろと不思議な点があるんですがね。日頃、手入れしたり使ったりしていて、不審に思う点などはありませんか」
「い、いえいえ。特に。昼休みには毎日のように来てはいますがね、これと言って変な点は……」
「いや、そんなはず無いですよ」
喋りすぎないように知らんぷりでやり過ごそうと思っていたが、またしても飛鳥刑事が口を挟んでくる。なんだ、何がおかしいというのだ。
「少なくとも、あの車が洗われてからは臭いとかが気になるでしょう」
なんだ、その話か。驚かしやがる。工場長はちょっとほっとした。
「え、ああ、あの牛の糞ですか。確かに、ちょっと困りますわな。だいぶ離れないと、弁当も食えませんわ」
「洗い落としているときの様子は見ましたか?」
飛鳥刑事からの質問だ。
「いや、よくは。遠くから見ただけですからね」
「しかし、勝手に車なんか洗っているのを見て、注意しようとは思わなかったんですか?」
確かに。他所から来た変な奴らが断りも無く臭い車を洗っていたら普通は怒鳴り散らすものだ。
「それはあれですよ、ほら。その、そこはうちの土地という訳でもありませんし。うちだって貸してもらってる立場ですからねぇ。ここの持ち主の関係者かも知れませんし」
苦し紛れの言い訳だったが納得してもらえたようだ。
「ところで、ひとつ気になるんですが……」
何を気にしているんだ、この神経質な刑事は。
「この工場、さっきから結構な騒音がありますよね。よく車を洗っていることに気が付きましたね」
うげ。言われれば確かにそうだ。
「いやあ、うちだって引っ切りなしに騒音立ててる訳じゃありませんからねぇ。音の切れ間に声が聞こえて来たんですよ」
「そういえば、昨日来たときは静かでしたね。あれは……昼過ぎだったかな?」
何の音もしなかったからこそ、昨日来た時に飛鳥刑事はこの工場の存在には気付かなかったのだ。
飛鳥刑事はそれで納得してくれたようだが、今、ひとつ気になることを言った。昨日来た、だと?
昨日はゾディアック略取計画の後始末で人が出払っていたのだ。まさか、その間に余計なことを調べられてはいないだろうな。工場長は焦る。昨日の昼間も来たが、ゴルフ場の入り口付近で引き返しているということまでは知りようがない。
その時、ゴルフ場の方からまた非常ベルの音が聞こえた。という事はまた誰かがあのクラブハウスのドアを開けようとしているのだろう。064と言う警察に潜伏中のエージェントがあの辺りから人を引き離す手筈になっているのだが、何をしているんだ。
「そういえば、昨日来た時にあの非常ベル鳴らしちゃったんですけど。何で使ってもいない建物の非常ベルのスイッチが入ってるんでしょうね」
何の気なしと言った風情で飛鳥刑事が言った。工場長は驚く。そんな話聞いていないぞ。不審な接近者がいれば連絡が入る。昨日の昼は特に何も無かったはずだ。
飛鳥刑事が非常ベルを鳴らしたのは夜なのだが、まさか2回も来ているとは思わない。
「昨日、鳴らしたんですか。知りませんでしたが」
「ああ、夜ですよ、夜」
「何だ、夜ですか。それなら鳴りましたわ」
確かに、夜にベルが鳴ったのは話に聞いている。ベルが鳴ったので警戒をし始めたとき、不審な人物がクラブハウスに近づいて来たので捕らえたと聞いている。
非常ベルに驚いて近寄って来ただけの、単なるデート中のカップルらしいことが分かったが、それが分かったところでごめんねと言って帰す訳にもいかない。ただ、昔なら速やかに口封じされてしまうところだが、彼らはラッキーだ。今は神代のお陰で洗脳して生かしておくことができる。早々に厄介払いのために使い捨てられる人材だが、少しは生きながらえられるし、有意義な最後を迎えられるのだ。
しかし、ベルを鳴らしたのがあのカップルではなくこの刑事だというのなら、えらいとばっちりだ。なんて酷い事をする刑事なのだろうか。なんの罪もない人間を犠牲にして!
そのなんの罪もない人間を口封じのために始末しようとしている組織の構成員は、心の中でそう呟く。
「この工場は、何時までやってるんですかな?」
今度の質問は森中警視からだ。もう聞くことは無くなったのか、随分とどうでもいいことを聞いてくる。こんなことを聞くくらいならとっとと帰って欲しいものだ。
「普段は5時までですよ。忙しいときは残業がありますがね」
残業など無い。本職ではないのだから。仕事も時たま跡形もなく消してしまいたい車が運ばれてきてスクラップにされるくらいだ。
「昨日も5時に?」
「ええ」
実は、昨日は工場になど来ていないが。ゾディアック略取計画の後始末をしていたのだから。
「自宅はこの近くですか」
「まさか。町の方ですよ」
「……なるほど。よく分かりました。……では、また後日」
森中警視はそう言い、にやっと笑ったように見えた。何だ、後日というのは。また来る気なのか。
警察はぞろぞろと引き上げて行く。だが、工場長には最後の森中警視の様子がやけに引っ掛かり、これっぽっちもほっとできなかった。
工場から出ると、森中警視が言う。
「飛鳥君が質問してくれたのはなかなかに良かったようだな。私が相手のときはだいぶ警戒していたが、飛鳥君の質問や意地の悪い突っ込みのお陰で油断や動揺が生まれ、だいぶボロを出してくれたよ」
あの工場長、ボロなんか出していたのか。それ以前に、自分はそんなに意地の悪い突っ込みを入れていただろうか。飛鳥刑事は考え込む。
「合点が行かないと言った顔だな。意図的にやった訳ではないらしい。いいだろう、あの工場長の出したボロについて教えてやろう。飛鳥君の何げない言葉のタチの悪さも含めてな」
何か自分が悪いことでもしたような気分になる飛鳥刑事。
「私が最初に二三質問したとき、その返答に突っ込みを入れていたな。それはおかしいとか、気になる点があるなどという思わせ振りな言い方で」
「思わせ振りでしたか?」
「あの言い方のお陰で向こうも必要以上に警戒していたようだな。はっきりと動揺の色が出ていたよ。最初の工事に関する質問は向こうとしても痛い所を突かれていたのだろう。それをうまいことやり過ごしたところでまた突っ込みが入った。またしても思わせ振りな言い方だったが、どうでもいい細かい揚げ足取りだった。それで油断したらしく、実にささいながらボロを出してくれた」
「えーと。牛の糞の話ですか。……どこかおかしいところ、ありました?」
「良く考えてみたまえ。確かに、あの車にこびりついて異臭をふりまいていたのはかぐわしい牛の糞だ。それを用意したのは私だし、君たちにそれを言った覚えは無いが君たちもあの仕掛けのモチーフがさるかに合戦だというのは知っているから、想像できただろう。それは犯人グループも同じだ。だが、あの工場長はなぜあれが牛の糞だと分かったのかね?」
「なるほど。確かに」
「農家の人ならともかく、臭いだけで何の糞かまで特定はできないだろう。彼があれが牛の糞だと知り得るチャンスは、その車がここに来た時、犯人グループに聞きでもしなければ無かったはずだ」
「ただ、無関係でも臭いが気になったので声を掛けたという可能性はありますね」
「うむ。だが、それならそのことについて言うはずだ。わざわざ訊ねてみたことなのだからな。……これは些細なボロながら、犯人グループと関わりがある可能性を臭わせた致命的なミスだった。さらに致命的な一言は非常ベルの話だ。そこに至るまでの飛鳥君の話は、意図していたのならまさに卑怯としか言いようのない意地の悪さだ」
「そんな意地の悪いこと言ってましたっけ、俺」
「何も考えずに言っていたのなら、何の問題も無い。非常ベルの話をするとき、最初鳴らした時間について伏せていたな?」
「え。伏せた覚えはありませんが……確かに言った覚えも無いですね」
「昼間来ていたと言った後にベルを鳴らしたと言ったので、それが昼のことだと思ったのだろう。それで混乱させられ、その後それが夜の話だと聞いて合点が行ったのだろう。安心してうっかり、夜にベルは確かに鳴ったと言ってしまった。その後私が念を押して聞いたときは、夜はこの近くにいなかったと明言したがね。それなら、どうやってあのベルが鳴ったのを知ったのか……?なんにせよ、怪しい事は間違いない」
「あの工場長、大嘘つきだったんですね」
「まさか本当のことも言えまい。この工場もゴルフ場同様怪しい場所としてマークしておこう。……そうだな。飛鳥君、駐車場に停まっている車のナンバーを書いておいてくれないか。持ち主を照会してみよう」
飛鳥刑事は停まっていた車のナンバーを控えた。全部で5台停まっている。
そのうち一つを書き留めたとき、その番号に覚えがあることに気づいた。先程同じ番号をこの手帳で見かけ、何の番号なのか必死に思い出そうとしたお陰で、番号が頭に焼き付いている。昨日のカップルの車のナンバーだ。
黒い大きなセダンの助手席にハンドバッグがおいてある。飛鳥刑事の記憶と違うのは、そのハンドバッグが倒れていることくらいか。
残りの車のナンバーを控え終わった飛鳥刑事は、早速そのことを森中警視に伝える。
「そりゃ、昨日お前らが見たカップルがここの関係者だったって事か?」
佐々木刑事が口を挟んできた。
「カップルを見た訳じゃありませんよ。ちょうどお楽しみ中で……声が聞こえてきたので、見ないようにしたんです」
「昨夜、君たちがここに来て車を見た訳ではないのだな?」
森中警視の言葉に飛鳥刑事は頷く。
「ゴルフ場の駐車場に停まってたんです。最初はこんなところに停まっている不審な車両ということで目をつけたんですが、カップルがいたので、ああそういうことか、と……」
「そりゃお前。こんな野外プレイのメッカに来ている車なんてやってることは一つだろ」
佐々木刑事が余計な突っ込みを入れてきた。
「そんな場所だなんて、さっき初めて聞きましたよ……」
「ったく。男と女が何も知らずにそんなところに行くなよ。ここには恋の火遊びに来る奴らばかりだ。火傷すんぜ」
「なんです、それ」
「まあ、何はともあれ、車の持ち主を調べてみよう。同じ車が表面上は何ら関係ないはずの場所でこうして目撃されるのは、偶然とは思いにくいからな」
ここで調べられるのはこのくらいか。今度こそここを切り上げることにした。
そのころ、ゴルフ場では伊沢刑事が核心に近い場所から警官たちを引き離すのに躍起になっていた。
自動車工場でのやり取りは無線機で伊沢刑事も聞いていた。あっちはうまいことやってくれたようだ。もう一押しでここはただ車を洗って通り過ぎただけの場所になる。
刑事たちがゴルフ場に帰ってきた。伊沢刑事は森中警視に声をかける。
「どうでしたか」
話を聞いて、ここは重要ではないと思ってくれたか。
「話を聞いて、ここは重要な場所だと確信をもったよ。あの工場長が一体何を隠しているのかは知らないが、我々が核心に触れようとしているのは違いない」
何だと!?そんな馬鹿な!一体なぜ!?工場長はうまいことやり過ごしたように思えたのに!
心の中では動揺しつつも、そんなことは色にも出さず、涼しい顔でとぼける伊沢刑事。
「そうですか。私が話を聞いたときはそんな風情はありませんでしたが」
「だろうな。私もただ話を聞いていただけでは怪しいなんて思わなかっただろう。飛鳥君のいやらしくたちの悪い突っ込みが無ければボロは出さなかっただろう。ボロと言っても実に些細なボロだ。本人もまさかボロが出ていたとは思うまい」
ボロなんか出ていただろうか。聞いていてもボロが出たようには思えなかったが。
「どんなボロを出したんですか?」
「まあなんだ。話を聞いてないと分かりにくい話だよ」
聞いていたとも、初めから終わりまで聞いていたとも!……さすがにそんなことは言えないが。とにかく、後でもう一度対策を練り直さなければなるまい。それにはとにかく今を乗り切らなければ。
「こっちはこれと言った発見はありませんでした。犯人グループの車両はここで洗われた後すぐに走り去ったと考えていいでしょう」
それは、間違いない。チームの車はここでは牛の糞を洗い落としただけだ。元々ゴルフ場に用など無いのだから。
「ゴルフ場としては、不可思議な点が多いのは事実だがね」
森中警視の言う事はごもっともだ。ここには何とも反論が出来ない。あまり気にしないでくれる事を祈るだけだ。
「さっき、工場で話を聞いて気になった事がある。それだけ確認してみようか」
何が気になるというのか。
森中警視が調べに向かったのは、先程の工場の敷地に一番近い林付近だ。フェンスの切れ間から工場の人間がゴルフ場に出入りするという場所。
フェンスには人が一人通り抜けられる程度の破れ目がある。だが、近づいてみるとそれよりも目を引く事実がある。タイヤの跡だ。
実はこのフェンス、開閉すれば車両も通れるようになっている。そう頻繁に通る訳ではないので普段は閉めてある。牛の糞まみれで帰ってきたチームの車は、ここを通ってコースに出、洗い終わってまたここを通って工場に戻ったのだ。
実は、伊沢刑事もそれは知らなかった。ここのフェンスを改造して車を通れる様にしたのは割と最近だった。だからこそ、ここを見に来る森中警視を止めようともしなかった。
もともと、ここは林の木がまばらだった。ちょっとした車なら通れるほどに。だからそれを利用しようとしたのだ。
だが、森中警視はそれよりも気になるものを見つけていた。飛鳥刑事も森中警視についていく。
森中警視が林の小径から少し薮の中に入ったところで、手に取って拾い上げたのは女物の上着だった。OLが着る制服のようだ。あまり汚れてはいない。ここに落とされてそんなに時間が経っていないようだ。飛鳥刑事が近くを探ると、制服の襟のリボンや男物の靴下やネクタイもあった。
「それは昨日のカップルの忘れ物でしょうか?」
伊沢刑事は焦る。まさかこんなものが残っているとは!
例のカップルはまさにこの場所で、生まれたままの姿で絡み合っていた。コースの縁を歩いていたらいい感じで林が途切れた場所を見つけたので、その林の陰で。
疲れ果てながら余韻に浸っていた二人のムードをぶち壊す非常ベルが轟いたときも、二人はまだ裸だった。
ベルの音に驚き、二人は慌てて服を着て様子を見に行く。その時、靴下やブラウスのリボンまでは後回しにしてここを去ったのだ。まさか、二度とここに戻ってくることはないなどとは露ほども思っていなかったのだから。
ベルを聞き付けて動き出したのはそのカップルだけではない。地下にいたストーン構成員も様子を見に来た。それと鉢合わせ、カップルはそのままどこかに連れ去られた。
ストーン側もカップルの忘れ物のことなど知らなかった。もう少し時間があれば見回り係が気づいただろうが……。
森中刑事は制服のポケットを探った。化粧をぬぐったティッシュ、どうでもいい仕事の事が書かれたメモとともに、社員証が見つかった。
メモもティッシュも水に濡れた様子などはなく、ここに置き去りにされた時間が決して長くはない事を物語っていた。そして、社員証には会社名と氏名が明記されている。
「飛鳥君。この会社に向かって、この女子社員について調べてみてくれないか。もしも、必要がありそうであれば詳しく頼む」
森中警視は飛鳥刑事に社員証を手渡し、小声で伝える。
「分かりました」
その様子を伊沢刑事も遠巻きに窺う。ただ、何を話し合っていたのかまではよく聞こえない。ただ、感じからしてますまずまずい事が起こりそうではある。早いところ仲間に知らせたいが、今は無理だ。一人になってからこっそりと動くしかない。
まったく、とんでもない事になってくれたものだ。
幸いなのは、刑事達もこれで一度は引き上げてくれるという事だ。その間に、余所へ逃げる手はずはすでに整っているだろう。冷や冷やさせられたが、どうにかなりそうだった。
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