Hot-blooded inspector Asuka
Episode 5-『Star seekers』

第1話 消え始めた星々

 一件の空き巣。その一見小さな事件が、これから起こる連続窃盗事件の幕開けであった。

 その通報があったのはまだ朝も早いうちであった。
 通報を受け、数人の制服警官とともに現場である佐波邸に急行した飛鳥刑事と佐々木刑事。
 呼び鈴を鳴らすと、中からどうぞという声が聞こえた。だが、鍵がかかっていて開かない。インターフォン越しにそのことを伝えると、佐波氏が慌てて玄関の扉を開けに来た。目の細い、小柄な初老の男性だ。起き抜けらしく、着替えてはいるが髪は軽く整えられた程度だった。
 そのまま現場へと向かう。玄関からすぐの所に階段がある。現場は邸宅の二階、被害者の寝室だ。現場は殊の外片付いていた。夜中に泥棒に荒らされた現場だとは一見してだけでは思えない。
 だが、窓ガラスがきれいに切り取られ、穴が開いていた。明らかにガラス切りで切られたものだ。切り取られた窓はその部屋にあるベランダに通じる窓である。
 そして、盗まれたのはこの部屋に置かれた金庫だと言う。朝、被害者が目を覚ますと部屋にあるはずの金庫がなくなっていたそうだ。金庫は70キロほどだろうとのことだった。まだ細かいものまでは見ていないが、財布や通帳などは盗まれていなかった。恐らく、持ち出されたのはこの金庫だけだとのこと。
 飛鳥刑事は被害者である佐波氏にさらに詳しい話を聞く。
「金庫の中には何が入っていましたか?」
「現金が数十万円といくらかの証券、貴金属類ですな」
「えー、被害の総額はどのくらいになりますかね」
「一千万は下らないかと」
 最初に聞いた現金の額から、被害総額もたいした額じゃないだろうと思っていた飛鳥刑事は、思わずメモを取る手を止めた。
「そんなに入っていたんですか!」
「ええ。証券は付き合いのある会社の株券などでたいした額じゃないんですが、『サジタリウス』と言うのが入っていまして」
「何ですか、それ」
「宝石細工ですな。銀でできたプレートに射手座の形に宝石を散らしたもので、歴史のあるものだと聞いています」
 飛鳥刑事はそう言われて、サジタリウスと言うのが射手座のことであることを思い出した。
「その金庫に『サジタリウス』が入っていたことを知っている人は?」
「そんなに多くはないと思います」
 それを買うきっかけは骨董品のオークションだったと言う。その場に居合わせた人なら覚えているかもしれないとのことだった。十年ほど前だろうという。
 飛鳥刑事ら警察が通報を受け駆けつけた際、玄関に鍵がかかっていた。佐波氏によれば、ゆうべ寝る前に鍵をかけたのは間違いないので、そのままだったのだろうということだ。金庫を盗み出すのに、わざわざ鍵をかけ直す必要もない。
 つまり、犯人たちは玄関から出た訳ではない。恐らくは侵入した窓から金庫を運び出したのだ。
 それを裏付けるように窓の近くから痕跡が見つかった。ベランダに出てすぐの所に金庫を置いたような跡が、ベランダの手摺りにも金庫を置いたか、ぶつけたかしてできたらしい真新しい傷と凹みが見つかった。
 また、鑑識課員の調べた結果、寝室の扉のノブにはこの家の主人である佐波氏の指紋が多数検出され、その上に擦れた跡などはほとんどなかった。これは日常的に佐波氏が開け閉めする際に付く指紋のみで、手袋をしたものを含めて第三者が触れた形跡がないことを示している。犯人は寝室の扉さえ開けていないのだ。
 犯人たちは、ガラス切りで窓を破って鍵を開け侵入したた後、他を物色することもなく金庫だけを運び出しているようだ。その金庫を一人で運び出すのはただでさえ至難の業だが、更にベランダから運び出している。下に落とした痕跡はないことから、クレーンのようなものを使った可能性が高い。組織的かつ計画的だ。
 更に、これだけの作業が、まさに佐波氏の眠る寝室で行われた点も見逃せない。これだけ計画的であるのなら、この部屋が寝室であることくらいは周知の上だろう。よほど静かに作業をしなければ佐波氏に気づかれてしまうが、そんなにうまいこと行くとは限らない。犯人たちはその対策をしっかりとっていたか、万が一のときには強行的な手段にでるつもだったのかも知れない。
 その辺を踏まえ、佐波氏が目を覚ました時の状況を訊ねてみると、今朝はいつになく頭が重く、目が覚めた時間も若干いつもより遅かったと言う。睡眠薬の類いを使われたと見て間違いない。就寝直前に口にしたものはなく、特に強烈な眠気などの異常は感じなかったというので、侵入時に睡眠薬を投与されたか催眠ガスを吸わされたかしたのだろう。
 かなり手慣れた手口だ。この犯人グループがまだこの町に留まり犯行をくりかえすのなら厄介なことになりそうだった。

 数日後、とある事件に関する張り込みから帰ってきた飛鳥刑事に、森中警視が声をかけてきた。今日は佐々木刑事は非番である。最近できたという新しい彼女とデートらしい。これで何人目かは本人でさえも分からない。
「先日起きた佐波邸の事件について、興味深い情報が入ったのだよ。飛鳥君、だいぶ前の話になるが、ルシファーが盗んだものの中に『ジュエル・スコーピオン』というものがあったことを覚えておるかね?」
 それは当初ローズマリーが盗んだと思われたものであったが、後日ルシファーが盗んだものを返した際、ルシファーの手により持ち主に返されたことで印象に残っている。
「ありましたね、そんなの。……あれ?」
「君も気づいたかね?あれは銀のプレートに宝石で蠍座が描かれていた。そして今回盗まれた『サジタリウス』。銀のプレートに、宝石で射手座……」
「もしかして同じシリーズですか?ということは、他の星座のものも?」
「うむ。佐波氏が『サジタリウス』を落札したオークションでほかのものが数点出ていたそうだ。さらに、その前後でも。数回に渡ってすべてがオークションに掛けられている」
「へえ」
「で、だ。その12のプレートはオークションにより、聖華市を中心に近隣に散らばったのだが、そのうち聖華市以外の資産家に渡った4つのうち3つが、ここ半月ほどの間に相次いで盗難に遭っているのだ」
「えっ。それじゃ、これってその犯人による連続窃盗事件かも知れませんね」
「うむ。ただ、それだけではない。そのうち1件は極めて奇妙な話でな。貸金庫に預けてあったものを騙し取られたというのだが、それが気が付いたら貸金庫に預けていたそれを持ちだして、見知らぬ相手に渡してしまっていたと言うものだ」
「なんです、それ」
 飛鳥刑事は怪訝な表情を浮かべる。言葉巧みに騙されたというわけではなく、気がついたら手渡していたというのはなんなのか。
「被害者は商店を経営していたのだが、客を装ってやってきた女性と話していたところから記憶が途絶えていて、気が付いたら女性にモノを渡していたらしい。女性が去った後、被害者は慌てて従業員に自分が今何をしたのか訊ねた。その女性と二言三言話した後、被害者は車に乗ってどこかに行きまた戻ってきたと言われたそうだ。その間銀行に行っていたのは間違いないだろう」
「被害者はその間、記憶がないんですか?まるで催眠にでも掛けられたような……ってまさか」
 飛鳥刑事はハッとする。その様子を見て森中警視も頷いた。
「私もそのまさかだと思っておるよ。この一件にはローズマリーが関わっている」
「でも、『サジタリウス』の事件の手口は明らかにローズマリーのものとは違いますよ?」
「県外で起きた他の二件もローズマリーの手口ではない。いくつかのグループがめいめいに起こしているのだろうな」
 飛鳥刑事は考え込む。
「協力しあっているのか、あるいは奪いあっているのか。いずれにせよ、他のものも狙われるでしょうね」
「うむ、そう思って既にいくつか手を打ってある」
 窓から空を見上げながら森中警視は余裕のありそうな様子でそう言った。

 その手の一つが新聞記事であった。県の地方紙にて既に伝えられていた事件の続報として、他のシリーズも盗難に遭っており、これから新たな被害が出る可能性を伝えた。それをみた所有者が、次々と警察に名乗り出てきたのだ。
 それと同時にオークションの記録などからも行方を追跡、すべての所有者を割り出した。
 12の星座のうち、既に盗難に遭っている物は佐波氏のサジタリウスの他は全て聖華市外の所有者で、アリエス、ヴァルゴ、カプリコーン、アクエリアス。ローズマリーらしい手口で盗まれたのはアリエス、そして、新聞に記事が載った日、市外でただ一つ盗まれていなかったアクエリアスも何者かに盗み出されたという。その手口はローズマリーの物ではなく、さらにサジタリウスを盗み出したグループの手口でもない。
 白昼にガラスを破って侵入し、駆けつけた被害者夫人の目の前で、書斎に飾られていたアクエリアスを奪い、そのまま停めてあった車で走り去るという、荒っぽい手口だった。その夫人によると、犯人は帽子にサングラス、マスク姿で顔はみることはできなかったが、声や背格好から男であることは間違いないという。それも若い男だ。
 いずれにせよ、残された7つが今後盗難に遭う危険性が高い。新聞記事などを見て名乗り出てきた所有者を含めて改めて事情を説明し、警備に当たることになった。
 手口の多様さを考えても犯行が複数のグループによるものなのは間違いない。それらのグループがが同時に動くことも考えられるし、そうでなくてもローズマリーがその中にいるのだ。

 飛鳥刑事と佐々木刑事はジェミニの所有者村上氏の邸宅に出向いた。
 村上氏は二人の刑事に金庫に仕舞われていたジェミニを取り出して見せた。先日まで居間のサイドボードに飾られていたが、連続盗難の話を聞いて慌てて金庫に仕舞ったそうだ。
 村上氏もやはりオークションでジェミニを手に入れたという。
 飛鳥刑事は村上氏の手の中にあるジェミニを見た。銀色のプレートにやはりダイヤやルビーの星々が煌めいている。スコーピオンは正三角形だったが、これは正方形をしている。
「おや。四角なんですね。以前スコーピオンを見たことがありますが、それは三角形をしてましたよ」
 飛鳥刑事が思ったことを言う。
「ゾディアックは12種類あるでしょ?それがそれぞれ四角、三角、四角、三角と互い違いになってるんです。それぞれをきれいに並べると、正12角形になるそうです。ちなみに、四角と三角はそれぞれ正方形と正三角形、どちらも一辺の長さは同じなので四角の方が面積が倍も大きい訳です。尤も、銀のプレートの大きさより、つけられた宝石の方が価値に差をつけるわけですがね」
「へえ。ゾディアックってのは、12星座のことでしたね。これはひとまとめにしてそう呼ばれている訳か。それにしても詳しいですね」
「まあ持ち主ですからこのくらいは。ところで、思うんですがね、犯人は他の所有者なんじゃないですかね。きっと、12個全部を揃えたいんだ」
 村上氏は犯人が複数のグループだということを知らない。ただ、犯人というのを黒幕ということにすればあり得ない話ではない。もちろんまだ決めつけるには早計すぎるが。
 しかし、急に続々と盗まれ出しているというのは揃えたいからだという考え方は確かに成り立つ。その線は濃厚であろう。
 さて、問題はジェミニをどう守るかだ。村上氏の邸宅にはそれほど厳重なセキュリティの保管場所はない。ひとまずこの金庫に納めておき、警官が警備するのが妥当ということになった。

 続いて、キャンサーの所有者である蟹江氏宅へ向かう。キャンサーの所有者が蟹江氏とは何かの冗談のようだと思っていたが、その邸宅にたどり着くと、目の前にあったのはさらに信じられないような光景であった。
 それはまさにカニ屋敷としか言いようのない代物。門扉の鉄格子がカニの形をしているのを皮切りに、庭にある飛び石もカニの形、庭の植木はカニの形にカットされ、庭の池にはサワガニが戯れ、あらゆるところにカニのオブジェなどが配置されている。
 普通はライオンの形をしていることが多いドアノッカーももちろんカニで、扉を開けて出てきた蟹江氏もカニのような四角い顔だった。
 家の中に入ると、家の外があれでも周りの目を気にしておとなし目のデザインになっていたことが分かるような有り様だった。どこを見てもカニしかない。壁紙もカニ、スリッパもカニ、天井の照明のカバーもファンシーなカニ、案内された部屋のソファの形までカニだった。全体的に悪趣味な部屋だが、特に目を引くのは洋間なのに掛けられた掛け軸で、『東海の〜』で始まる、石川啄木の有名な歌が書かれている。
「すみませんねぇ、人を入れるような家ではないのですが。私、名前が蟹江なもんでサイン代わりにカニのマークを添えたりしていたのが高じて、カニマニアになってしまいまして」
「マニアですか」
 マニア程度で済ませていいのかという気も起こるが、気にしないことにする。
 もちろん、キャンサーもそういうマニア根性から手に入れたという。オークションではなく、その落札者から譲ってもらったそうだ。
 蟹江氏がコーヒーを入れてくれた。淡い水色があしらわれた可愛らしいデザインの、むさ苦しい四角い顔の男が男二人に出すものとは思えないカップだ。コーヒーは特に蟹の味や香りはしない。
 早速キャンサーを見せてもらうことにした。キャンサーはコレクションルームにあるという。これだけ家中蟹だらけで、さらにコレクションルームがあるのか、と思いながら蟹江氏の後をついていく。
 他の部屋とどこが違うのか分からないコレクションルームの一番奥にそれは鎮座していた。これがキャンサーなのだろうか?ただの蟹の置物では?
 そう思う飛鳥刑事と佐々木刑事の前で、その蟹の置物の腹に当たる部分が開かれた。ちなみに、蟹の腹の部分とは裏側の三角になっているカニのふんどしとも言われる部分だ。
 そのふんどしの中にはキャンサーが置かれていた。これは三角形だ。
「どれどれ、ちょっといいですか」
 佐々木刑事が手に取ろうと手を伸ばす。が、蟹江氏はそれを押し止めた。
「ちょっと仕掛けがありまして、下手に触ると危ないんです。見るだけにしてください」
「そっすか。……じゃ、ここに置いておくのが一番安全って言う感じっすか?」
「ええ」
 よく分からないが、危ないらしい。こんな物のために危ない思いをする気はない。佐々木刑事はあっさりと引き下がった。
「なんか、さるかに合戦を思い出しますね……」
 飛鳥刑事はぼそっと言う。カニがおにぎりのような三角形のキャンサーを抱いていると、そんな感じなのだ。
「あははは。言われてみればそうですねぇ。ああ、いいなそれ。今度はそういうのもつけてみようかなぁ……」
 蟹江氏は何かを考えているようだが、何を考えているのかは読み取れない。分かりたくもない。
 このコレクションルームは窓がないため、この入り口にでも見張りを立てておけばそれなりの警戒ができそうである。
 客間、と言うか客間だったが結局カニで埋まった客間のなれの果ての部屋でそんな話をまとめたあと、次の場所に向かうことにした。
 立ち上がる間際に飛鳥刑事はカップに残る冷めたコーヒーを飲み干した。小さな魚が描かれていた薄いブルーのカップ。その底は海の底が描かれており、ヒトデと共にカニの姿があった。

 次に二人が向かった場所。そこは……。
「おや、どうもお久しぶりです」
 そういって二人を迎えてくれたのはスコーピオンの所有者、光浦氏である。
 スコーピオン。これを巡り、ルシファー、ローズマリーそして警察が三つ巴の争いを繰り広げた。思えば、森中警視が聖華署に配属になって最初に立ち会ったのがこの事件だった。そしてローズマリーのトラウマとなり、それが先日のオケラ屋の騒動で比留間小夜子の頭上に金ダライを乗せるきっかけにもなった、トリプル金ダライクラッシュの罠が森中警視の手により仕掛けられたのもこの屋敷だ。後々まで後を引くことになる様々な出来事がここで起きている。
「これは他の所有者の皆さんには伝えていないことなんですけど……。実は、今回の一連の盗難事件にも怪盗ローズマリーが関わっているかも知れないんです」
 結局後になって何故かルシファーの手により返されたとは言え、あの時はこのスコーピオンをローズマリーに持って行かれてしまった。そのことを思い出すと、警察としても恐縮するしかない。
 光浦氏はため息をつく。
「もし、今回盗まれるようなことがあっても、きっぱり諦めるつもりですよ。ちょっと嫌な噂を聞いてしまいましてね」
「い、嫌な噂ってなんでしょう」
 もしかして警察についての変な噂が流されているのでは、と身構えてしまう飛鳥刑事。
「なんでも、この宝は呪われているという噂です。馬鹿馬鹿しいとは思いますが、確かにこれを手に入れてから体調が優れなくなったような気もしますし、怪盗が一遍に二人も押し入ってきた上、またしてもこんな騒動に巻き込まれた。やはり呪われているのかも知れませんな」
 体調が優れないのは年のせいだと思う。怪盗に狙われるのも呪いなんかではない。飛鳥刑事はそう強く思う。飛鳥刑事がこの手の話を頑なに信じようとしないのは、ただ単に怖いので信じたくないと言うだけではあるのだが。
 とにかく、今回の警備についても考えなくてはならない。
「私に呪いに抗う力があるのなら。そう昨日から思い考え抜いた防衛策があるんです。これで盗まれるのであればそれまでと言うことです。特に警備は必要ありません。……いや待てよ。私の家をそれらしく警備してもらうというのもいいかも知れませんな……」
 結局、光浦氏にどんな考えがあるのかは明かされないまま、警備の警官を屋敷に配置することで話はまとまった。

 まだ盗まれていない物は7つ。それぞれの所有者を飛鳥刑事と佐々木刑事のチーム、そして森中警視と伊沢刑事のチームで手分けして回っている。
 森中警視たちの回る場所は3箇所。当然、飛鳥刑事たちは4箇所回ることになる。
 最後に回るのは、タウラスの所有者である拓磨氏のマンションだ。
「話は伺っておりますわ」
 拓磨氏の妻がそういいながら飛鳥刑事と佐々木刑事を招き入れた。
 拓磨氏はまだ仕事から戻ってきていないが、間もなく帰ってくるだろうとのことだった。
 その言葉の通り、妻から話を聞いているうちに拓磨氏が帰宅してきた。鬼上司といった感じの厳しそうな顔立ちだ。
 拓磨氏はオークションではなく、人の手から手に渡っていたタウラスを最近になって手に入れたという。
 タウラスは部屋の隅にある金庫に収められていた。この金庫は大きな金庫で、サジタリウスの入っていた佐波邸の金庫のように金庫ごと持ち出すのは困難だろう。ロックも厳重だ。油断してはいけないが、この金庫に入れていれば少しは安心だろう。タウラスも三角形だった。
「牡牛座は女ったらしにはぴったりの星座ですよ。美しいプレアデス姉妹をたらし込むためにゼウスが化けたのがこの雄牛だ」
 妻が席を外したのを見計らい、拓磨氏は小声で言い、にやりと笑った。
「先輩、ぴったりだそうです」
「よせやい。俺は正攻法で勝負をかけて落ちない相手に手を出す趣味はねぇ。……で、そんな事を言うって事は拓磨さんはその気満々って事で?」
「さあ、それはどうだろう?」
 そんな与太話ばかりもしていられない。とりあえず、大きく、ダイヤルが3つもついている立派な金庫があり、これはなかなか破れないだろう。一応念のため、警備の警官を玄関前に配置することになった。
「空に無秩序に散りばめられたただの星。星座とはそれに神話を結びつけ、意味を持たせたものです。12の星座にもそれぞれ由来がある。それを知ってみれば、今回の事件についても面白いことが分かるかも知れませんよ……」
 飛鳥刑事と佐々木刑事が立ち去る間際、拓磨氏は意味深な言葉を残した。

 森中警視と伊沢刑事が回った3箇所は、レオの石原氏、リブラの坂本氏、ピスケスの川中氏。
 石原氏は古物商を営んでおり、人の手を巡っていたレオを商品として手に入れたという。店頭の商品や商品倉庫はその古物取引の会社が責任を持って管理しており、警備も自社で行っているという。一応、警察との連携に応じている。
 坂本氏は弁護士である。リブラを手に入れたのはその職業ゆえらしい。弁護士のバッジのシンボルは天秤だからだ。ちなみに、もちろんバッジの代わりにリブラをつけて法廷に立っているわけではない。事務所に訪れた人にはったりをかけるために目立つ場所に置いていたが、一連の事件の話を聞いて慌てて隠したそうだ。日頃警察の捜査内容にケチをつける仕事をしているせいか、あまり警察のことを信用しておらず、警備は民間の警備会社に任せると言っている。
 川中氏には出会うことができなかった。なぜなら、川中氏は海運会社の貿易船で船長をしており、今その貿易船は南米から日本に帰ってくるところなのだ。なお、ピスケスもそんな貿易船の船長室にあるらしい。こればかりはどうしようも無さそうだ。
 残ったゾディアック七つのうち一つは海の上、一つは所有者の意向で警備は完全に民間委託。警察が警備するのは五つということになる。それでも、かなり人員を分散させなければならない。もちろん、警察の警備が必要な案件がこれだけということもない。十分な警備を行うには些か心許ない。
 まして、敵にはあのローズマリーもいる。対策に苦慮することになりそうだ。

 そのころ、ローズマリーはストーンのエージェントと会っていた。薄い白髪頭の、小柄な壮年の男だ。ゾディアックに関する仕事はこの男が取り纏めている。
「お呼びがかかったってことは次のターゲットが決まったって事だね?」
「ああ。馬鹿な警察が、我らに代わってきっちりとターゲットの情報を集めてくれたよ。ざっとみてあんたに頼んだ方が良さそうなのは、警察にもその隠し場所が明かされていないスコーピオンくらいか。今ピスケスを戴きに行っているチームが戻ってくるまでは、あんたとアローが手分けして残りを取ってくることになる」
「そうかい。あたいはあのスコーピオンには因縁があってね。知ってるだろ?あの小賢しい小憎らしい小生意気な小娘に出し抜かれたんだ。ああ、今思い出してもむしゃくしゃする!」
 ローズマリーはだんだん感情が高ぶりだし、地団駄を踏み出した。
「落ち着け……。いいか、今回はしくじるなよ。あんたの趣味でやる盗みじゃない、うちからの依頼なんだからな」
 しばらくふーふーと肩で息をしていたが、だんだん落ち着いてきた。
「分かってるよ」
「もちろんこちらからもサポートをする。それでは、スコーピオンの件だが……」
 ここに警察や部外者の目や耳はない。だが、男は慎重に声のトーンを落として、必要になりそうな情報を話し始めた。

 ガシャアァァァン!
 配置する民間の警備員の手配を済ませたばかりの坂本弁護士の家で、突然静寂を切り裂くガラスの砕け散る音が響いた。
 坂本弁護士は慌てて窓から身を乗り出し、音の出所を探した。1階の窓が1箇所破られており、まさにそこから黒い人影が入り込んでくるのを目撃した。
 坂本弁護士は、これは間違いなくリブラを狙ってきた犯人だと察し、リブラを隠していた机の引き出しから取りだし、ポケットに押し込み、隣の部屋に身を隠した。
 程なく書斎に何者かが侵入し、机の引き出しを漁り始めた。坂本弁護士はその隙を見て屋敷の外に逃げ出し、警備会社に匿ってもらおうとした。
 だが、ガレージに駆け込んで車を発進させたところで、ちょうど門の前に犯人の乗ってきた車がぴったりとつけて停められており、車では出られないことに気付いた。
 坂本弁護士は、とっさにその犯人の車に乗り換えることを思いついたが、エンジンはかかっているのに、運転席のドアは開かない。
 そうこうしているうちに、二階の窓から犯人が飛び出し、坂本弁護士に迫ってきていた。坂本弁護士は逃げ出したが、相手は身軽な泥棒、初老と言っても言い坂本弁護士が逃げ切れないのは明らかだった。
「モノを持って逃げるつもりだったな?って言うことは持ってるんだろ?出しな」
 そう言いながら、犯人は坂本弁護士の腕を掴んできた。
 今だ。
 坂本弁護士は見た目は華奢だが、柔道も2段の腕前なのだ。犯人の隙をつき、内股を仕掛ける。……つもりだった。
 犯人は素早く反応し、内股すかしを仕掛け返してきた。坂本弁護士はそのまま押さえ込まれてしまった。
「おや、こんな所に。モノはいただいたぜ」
 ポケットの中に入れていたリブラを見つけられてしまった。犯人はリブラを奪うと、軽々と塀を越えていった。車の後ろから乗り込み、そのまま走り出していく。
 警備員が到着したのは、それから2時間も後のことだった。その警備員に薦められ、ようやく不承不承ながら警察に相談することになった。
 この手口からして、アクエリアスを盗み出した犯人と同一犯であろう。坂本弁護士の証言から、相当身軽で格闘技も身につけていることが分かる。なかなかに手ごわそうだ。
 坂本弁護士は落胆の色を隠せないようだ。リブラを盗まれたことに対する落胆はもちろん、それを警察のせいにできないことも不満らしい。
「警察の警備を断ってくれて助かったぜ。警察の警備の配置はどうせ間に合わなかっただろうし、そうなったらこの弁護士、喜んで警察を批判して騒ぎ立てるだろうからな」
 佐々木刑事がボソッと言った言葉に、飛鳥刑事も苦笑ながらに頷いた。
 現場を丹念に調べてはみたが、犯人の指紋や毛髪などは発見されなかった。
「さすが、相当なベテランらしい。こいつは現場で見つけてふん縛るしかなさそうだな」
 坂本弁護士のたっての願いもあり、一通り検証を済ませた後、警察はそっくり引き上げた。
 これで残りのゾディアックは6つ。早くも半分が盗まれたことになる。

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