Episode 3-『仮面の復讐者』第3話 XIII・Death
その者にとってこの出来事は事態の停滞を招いた。その一方、彼らには再びの好機が訪れた。
「俺がなにをしたってんだよ!」
突然警察署に連行された梅川が怒りを露わにするのは無理もないことだ。
「秋庭和夫、水村一巳、そして室谷宗次。この三人の全てと関わりがある人間はお前しかいないんだ」
佐々木刑事の言葉に梅川は黙り込んだ。
「……俺じゃねぇ。確かに水村には腹が立ちっぱなしだったし秋庭のじじいも虫が好かねぇ。でも室谷の野郎とは仲がよかったんだ。そんで最近は全然会ってない。恨みなんかなにもねぇ」
消え入るような声で梅川は続けた。
「室谷は恨まれて殺されるような奴じゃねぇ、なにからなにまで間違いだ」
「被害者の室谷がどんな人物なのかは我々は知りませんが……」
飛鳥刑事が口を挟む。
「我々はあなたが犯人だとは思っていませんよ」
梅川が顔を上げた。
「一連の事件は『復讐』を掲げ次から次へと人を殺している。そしてその全ての被害者に関わりがあるのはあなただ。となると、あなたを捕まえておかないと道理が通らないんですよ。これがまず一点。我々が思い浮かべている犯人像はあなたとは一致しません。となると、犯人はあなたに罪を着せたいんだ」
驚いた顔をする梅川。
「つまり、この復讐はあんたへの復讐でもあるって事だ。室谷って奴は俺達の目をあんたに向けさせるために殺されたと見ている」
「なんだと……」
佐々木刑事の言葉に梅川は静かにではあるが憤りを露わにした。
「いい奴だったんだろ?今度はこっちが室谷を殺した犯人に復讐してやる番だ。犯人を監獄にぶち込んでやれ。そのためにも、俺達に力を貸してくれないか」
梅川は小さく頷いた。
「とりあえず、誰かに恨まれている、というようなことはありますか?」
飛鳥刑事の質問に梅川は考え込んだ。
「うーん、自分じゃ思いつかないっすね」
梅川の態度も落ち着いてきたが、返ってきた答えはあまり芳しいものではない。
「知らずに恨まれてるってのはあるかも知れませんけどね、自分じゃ恨みを買うようなことはしてないつもりですよ」
「俺達が目をつけてるのは女なんだ。女絡みでなにか無いか?」
「うーん……。会社入ってからは無いと思いますけどねぇ」
「でも結構モテるって聞いてるけど?」
佐々木刑事の言葉に梅川は照れたような顔をした。
「や。でも一応高校時代からずっと続いてる彼女がいるんですよ」
「けっ。俺はどうせ女捕まえても長続きしねぇよ……」
いじける佐々木刑事。飛鳥刑事は頭を抱えた。
「いい加減立ち直ってくださいって……。あ、もしかしたら恨みと言うより妬みの線もあるかも……。モテる男をモテない男が……って怪しいのは女でした」
「そもそも妬みなら志賀チョッコウって奴に行くだろ。俺なら間違いなくそっちだな」
「水村もそれで嫌がらせしてたみたいですしね」
「まてよ。なにも今までで事件が終わった訳じゃねぇな。これからチョッコウが狙われる可能性もあるんじゃねぇか?」
「そうですね。でもこうして梅川さんを拘束している間はなにもできませんよ」
「よし、飛鳥。俺はこっちでもう少し話を聞いてみるから西洋商事の方で女絡みの話を集めてくれ」
飛鳥刑事は頷き、取り調べ室を飛び出していった。
飛鳥刑事は嫌がる小百合に頼み込んでまた会議室の前に立ってもらい、そこで話を聞くことにした。
時間はちょうど昼休み、というタイミングだった。
そのため、第二営業部の面々の多くは弁当を広げて歓談していたところだった。もっとも、話は殺された水村と拘束された梅川の話で持ちきりだったようだ。入ってきた飛鳥刑事の顔を見ると、表情が張りつめる。
最初に呼ばれたのは梅川とコンビを組んでいた松村だ。
「梅川なんですか?」
飛鳥刑事の質問より先に、松村が口を開いた。
「その質問には答えられませんが……彼の無実を信じるなら話を聞かせてください。梅川さんの女性関係について知りたいんです」
不満げな顔で不承不承松村は頷く。
「女性関係、といってもあいつには学生時代から続いてるって言う彼女がいるだけで女性に手を出すような奴じゃないですよ」
これは梅川の証言と一致する。
「モテる、という話ですけど……具体的に誰にモテてたとか分かりますか?」
「さあ……。そう言う話なら中川さんに聞くのが一番じゃないかなぁ」
「中川さん?」
「ええ、同じ第二営業の。あの人はそう言う噂話とか大好きですからいろいろ出てくるんじゃないですかね」
とにかく、松村からはあまりいい話は引き出せそうにない。その中川という人物に期待してみることにした。
中川瑞江。第二営業部の中でも一番の耳年増だという。
松村に教えられ、彼女を会議室に連れてきたのはいいのだが、部署を出たあたりから落ち着きのない態度で会議室に入る頃には声を上げて泣いていた。
「何やってるんですか」
非難するような目で小百合に見られるが。
「俺だってなにがなんだか」
こう答えるしかない。とにかく、話を聞く前に彼女を落ち着かせなければならない。
「松村さん、なにを言ったんです?なんで私が疑われなきゃならないんですか!」
開口一番の言葉に飛鳥刑事は彼女が勘違いをしていることを悟った。
「いや、今ちょっと梅川さんの女性関係の話を探ってまして、そう言う話ならあなたが詳しいと紹介されたんですよ」
「あら」
その一言で落ち着いた、と言うよりは気が抜けた中川女史。
「やだ、私ったら取り乱して」
確かにやだ、と内心思う飛鳥刑事だった。
とりあえず、手始めに梅川周りを聞いてみる。
「梅川さんはああいう感じで、結構サバサバしててつきあいもいいんでモテてますよ。ただあの人彼女がいるんでせいぜい一緒にお酒飲むくらいですね。予定がなければ誘えば大体付き合ってくれます。二人っきりでも。実は私も誘ったことあるんですけど。ただ喋るのはあまりうまくないですね。ま、必要ないってのはあるんでしょうけど。受付の美代子なんか一度彼に熱上げちゃったことがあるんですよ」
一度捜査線上に上がった女性だ。早速飛鳥刑事はメモを取る。
「その話、詳しく聞かせてもらえますか?」
「うーん、詳しくってほど思い出せるかどうか分かりませんけど……。あの子、受付なんてやってますけど結構気が弱い方で、特に男性に対してはあまり積極的になれないみたいなんですよ。それで、このままじゃいけない、とか言うんで女子社員が何人かでセッティングして疑似デートやらせたんです。それからしばらく本気で熱上げちゃって……」
「その時、美代子さんは梅川さんに彼女がいるって事は知ってたんですか?」
「知ってたと思うんだけど。本人に聞いてみた方がいいかも知れませんね」
そうしたいのは山々なのだが、一応容疑のかかった相手なのでそう迂闊なこともできず、直接は話を聞きにくい。だからこうして第三者からの意見をとっているのだ。
「他に、梅川さんには何かありますかね?」
「うーん。私みたいに二人っきりで誘ったりした人も何人かいますけど、その時何かあったりとか、ってのはあるかも知れないですね。さすがに、そう言うところまでは私も知りません」
「本人たちに聞くしかないのかなぁ。いや、そう言うのなら梅川さんの方が憶えてるかも」
とりあえず、梅川に関して聞ける話は無さそうだ。
「女性関係では志賀直行氏が恨みを買いそうですけど、そちらの方ではなにかありますか?」
「何かありますか、と言われても……。多すぎてどれから話せばいいやら。とりあえず第二営業の話だけしときますけど」
志賀は第二営業部に新しく女子社員が入ってくるとすぐに口説こうとする。そのたび、周りの女子社員が一斉に止めにはいるので、彼の『魔の手』にかかる新入社員はいないそうだ。
何せ、第二営業部の間では、志賀が同僚に自慢げに語る『戦績』がそのまま女子社員の耳にも入ってくる。なので女子社員は志賀の誘いになど絶対に乗らない。不潔だと敬遠している。
ただ、やはり志賀が入社してきたばかりの頃はそんなことを知らずに食事に誘われ、そのままホテルにまで半ば無理矢理連れ込まれた女子社員もいたらしい。
「その女子社員とは……あ、話しづらいようなら今はまだいいですけど。この事が事件と関連があるようならまた聞きますので」
質問を取り下げた飛鳥刑事だが、中川は少し考えてから一言だけこう言った。
「その子、その後すぐに辞めちゃったんです。ちょっと前に偶然会ったんですけど、今は結婚して普通の主婦みたいですね」
どういう意味合いが込められているのかまでは察しきれないが、一つため息をつく中川。
その女子社員なら志賀に対する恨みもあるだろう。水村とはもちろん、秋庭とも一悶着あった可能性は高い。飛鳥刑事はさらに突っ込んで聞いてみることにした。
「その人は梅川氏ともトラブルがあったりといったことはありませんでしたか?」
「トラブルはなかったと思うけど……。ただ、ちょっと彼女、あの人に気があったみたいでしたね。彼女がいるって知ってすぐ諦めたみたいです」
可能性はあるな、と飛鳥刑事は心の中で呟いた。梅川と面識もあるようなので梅川から彼女の話も聞けるかも知れない。
とりあえず、今日の所はこんな所で引き上げることにした。
「あれ、今日はもう終わりですか」
引き上げようと言った飛鳥刑事に意外そうな顔を向ける小百合。
「うん。とりあえず収穫はあったし、昼休みもそろそろ終わるしね」
「助かったぁ」
そう言いながら小百合は大きく伸びをする。
受付にも昼休み終わり間際と言うこともあって人が戻ってきていた。
受付に座ってコンパクトを覗きながら化粧を直していた伊藤美代子が顔を上げた。飛鳥刑事と目が合うと、目をそらし慌てて化粧を直し始めた。もっとも、飛鳥刑事が通り過ぎるまでに口紅を塗り終えることもできはしなかったが。
署に戻った飛鳥刑事は佐々木刑事に先ほど聞いたことを伝えた。そして、そのまま梅川に話を聞くことになった。
「辞めた女子社員……?タケちゃんかな?」
梅川は彼女のことをよく憶えていた。長くはないが共に仕事をした同僚のことだ。当然だろう。
「辞めちゃった子のことあれこれ言うのもなんだけど、あの子は結構男好きでねぇ……。たまに二人っきりで食事とかもしましたけど話がなんかえげつない話ばかりで。早めに飲むの切り上げないと酔った勢いでホテルに連れ込まれそうになるんですよ」
「是非俺にも紹介してくれよ」
割って入ってきた佐々木刑事の肩を掴み引き戻す飛鳥刑事。
「女子社員同士でいる時は清純な女の子演じてる感じでしたね。退社の時も女子社員の間には志賀が手を出したせいだ、なんて噂が流れてましたけど、そんな生やさしいもんじゃないですよ。なんでも子供ができたんで、いわゆるできちゃった婚って奴ですよね。それなんですけど父親が誰かはっきりとは分からないとか言ってて悩んでたんですよ。下手に結婚して産まれてきた子供の血液型合わないと大変だって。その後すぐに辞めちゃったんでどうなったのかまでは知りませんけど」
女子社員同士の時は清純な振りをしていた、というだけあって聞いた話とまるで違う。
梅川は彼女一本槍で他の女性に手を出す気はなかったというのもあり、タケちゃんは梅川のことを早々に諦め、代わりに清純だと思わせたい他の女子社員には言えないようなことを梅川にぶちまけていたようなのだ。
もっとも、梅川が言っていることも本当かどうかは分からない。そのタケちゃんという女子社員が梅川に言ったことが嘘であることも考えられるからだ。
ただし、後日この女性について少し調査を行った結果、梅川の言っていることが正しいことが判明した。
というのも、タケちゃん……本名は旧姓木村武子、今は板橋武子というのは近所でも有名な不倫妻だと言うことだ。二人目の子供を身ごもってはいるらしいが、父親がまたしても定かではないとのこと。
とにかく、こんな女性が志賀に口説かれて手を出されたことを恨みに持つとは到底思えない。むしろ喜びそうだ。自分の腹の内をこっそり聞かせてるくらい、ある意味仲のよかった梅川にも恨みを抱いてそうにはない。まして、腹ボテであんな犯行ができるわけもない。彼女はひとまず白にしておいて良さそうだ。
梅川は釈放された。元々話を聞くために警察に呼んだようなものだ。恐らくその様子を見ているだろう犯人を牽制し、そしてこちらの腹の内を読まれぬよういわば騙すために多少手荒いやり方を取ったものの、彼は容疑からは外れている。拘束しておく理由はない。
ただ、梅川には警察は自分を疑っているが俺は潔白だ、というように伝えておいた。犯人を油断させるためである。
今までに聞いた話から察するに、次に狙われるのは志賀だ。
警察は深夜の志賀の自宅周辺に張り込んだ。
「ふわ。ああああああ。あふぅ」
覆面パトカーの助手席で大あくびをかましてくれているのは小百合だ。運転席の飛鳥刑事も眠そうだ。
「ふぅ、眠い……。交代制にしましょうよぉ。二人で起きてること無いじゃないですか」
「いや、駄目だ!駄目だ駄目だ!小百合が寝たら俺が寝た時誰が起こすんだ」
「寝る時にあたしを起こせばいいだけだと思います」
「そんなに甘くはないんだ。眠気を感じて小百合に声をかけようとする、その時にはすでに意識が飛び始まってる」
「ルシファー追いかけてた時はもっと夜遅くまで平気で起きてたじゃないですか」
「ルシファーは予告状を律儀に出してくれてたから夜に備えて昼寝できたし……。今日は昼間駆け回って疲れてるからヤバいし」
「なんであたしなんですか?佐々木先輩連れてくりゃいいじゃないですか、コンビなんだし。夜は強いんじゃないですか、あの人」
小百合の問いに飛鳥刑事はため息をひとつついてから答える。
「デートだってさ」
「この間まで振られたってしょげてたのに。もう乗り換えたんですか」
「このエネルギーをもっと仕事にも傾ければ立派な刑事になれると思うんだけど……」
「取り調べ室で容疑者絞る時には発揮されてますよね、そのエネルギー」
「ああ……あの人は警察にはいらなかったらきっと警察にお世話になる方だったな……」
「本人いないと言いますね、飛鳥刑事」
「え。うわ。今のは聞かなかったことにしてくれる?」
「うふふふー。しばらくはこのネタで揺すれますねー」
不敵な笑みを浮かべる小百合。
「やめてね。お願いだから」
「自業自得ですよ。そのうち何かおごってもらおうっと。そしたら忘れるかも」
「かも、か。怖いなぁ、30回はおごらないと忘れそうにない……」
「そもそもこんな時間に引っ張り出されてなんの利益もないんじゃやってられませんもん。仕事終わったのにスーツ姿で『ちょっと来てくれないか』なんて言われたから何事かと」
「スーツ着てるんだから仕事に決まってるじゃないか」
「それもそうか……。デートの誘いかと思ってドキドキしてたのに」
「デートって……。スーツでか?」
「ノーネクタイじゃ入れないようなお店で高級料理とか」
「スーツ着ていかなきゃならないような高級な店に行けるほどお金無いよ……。せいぜいはま屋でカツ丼がいいところだ」
はま屋とは飛鳥刑事のアパートの近くにある安くてそこそこうまくて、店の方はちょっと年代と悲壮感を醸し出しているうどん屋である。
「刑事と二人きりで薄暗い店でカツ丼食べてたらまるっきり取り調べじゃないですか。それにこんな時間にカツ丼なんて太っちゃう」
「それじゃ鍋焼きうどんにでもしておくか」
「あ。鍋焼きうどん食べたーい」
「今は食べないから。そのうちだから」
「えー。つまんなーい」
「うどんより人の命の方が大事だからな……。それに温かいうどんでおなか一杯になるともう確実に寝るから。勘定も払わずその場で寝るから」
「言えてる」
小百合はくすくすと笑う。そして、その笑い声が収まると不意に沈黙が訪れた。その沈黙を打ち消すかのように、目を細め俯き気味になりながら小百合がそっと呟く。
「あの……。飛鳥刑事」
「なんだい?」
「お喋りが止まると意識が飛びそうになるんですけど」
「……しょうがないなぁ。缶コーヒーでも買ってくるよ」
「その間寝てていいですか」
「だめだめ、俺がいない間しっかり見張っててくれ。頼むから」
「ふぁい……。なんで窓開けるんですか?寒いのに」
車から出る間際、窓を開けていく飛鳥刑事に不思議そうに小百合が尋ねた。
「開けといた方が冷たい夜風で目が覚めるだろ」
「寒いところで眠ったら死んじゃいます」
「寝るな!そもそも冬山じゃないんだからそうやすやすと死なないって。すぐ帰ってくるからちゃんと起きててくれよ」
念を押して、近くの自動販売機に熱い缶コーヒーを買いに行く飛鳥刑事。とは言え、この辺には土地勘がないので少し探し回った。歩き回ったおかげで飛鳥刑事は少し目が覚めてきたが、このままでは小百合が心配だ。寝ていないかが。
財布を見ると辛うじて2本買えるだけの小銭が入っていた。
熱くて持てない缶コーヒーを左右のポケットに一本ずつ突き刺し、この時期には薄すぎる安物の生地のスーツとスラックスを通してくる缶コーヒーの熱がそろそろ我慢できないくらいになってくる頃のことだった。
突然夜の闇を切り裂いて甲高い悲鳴が上がった。
小百合の悲鳴だった。
飛鳥刑事は大急ぎで車に戻った。角のところで車のエンジン音とライトが迫ってきた。轢かれそうになりながらもそれを躱し、止めてある車を覗き込んだ。
「どうした、何があった!」
小百合は無事だった。動揺こそしているが、何かされたというわけでは無さそうだ。
「し、死神が、死神がぁ」
小百合の言葉に飛鳥刑事は呆気にとられる。
「死神?何を言ってるんだよ」
「その家の門の前に鎌を持った死神が……!」
「夢でも見てたんだろ……。コーヒー飲んで落ち着け」
「夢じゃありませんよ、見たんですから」
いいながら、コーヒーの缶を開け口を付ける小百合。
「熱ッ」
飲めなかったが目は覚めた。
「でも、夢じゃないですよ、車のドアが閉まる音がして目が……目がそっちに向いたら」
「目が覚めたんだよな」
「違います」
「目が覚めたんだよな!」
「そうです!それまで寝てました!でも物音で目を覚まして、見たらその門の前に鎌を持った死神がいて、それで思わず悲鳴を……。その悲鳴に驚いて死神は車に駆け込んでこっちに」
飛鳥刑事が来た方を指さす小百合。
「……!さっきの車か!今からじゃ間に合わないか……!多分そいつが犯人なんだ!」
その後、すぐにパトカーが駆けつけた。小百合の悲鳴を聞いた近所の住人が通報したようだ。
通報者は勘違いをしたらしく、車に乗っている女性を襲っている男がいる、と通報してきたらしい。さすがに同じ署にいる刑事を捕まえるようなせっかちな警官はいなかったが。
そして、現場がまさに次のターゲットだとマークされている志賀の家の付近だったのですぐさまこの事件の捜査に当たっている刑事たちにも連絡が飛び、勢揃いしたのだった。
勘違いで通報されたとは言え、志賀の家に入ろうとする犯人を目撃したのは確かなのだ。
「犯人を取り逃がしたのは残念だったが犯行を防げたのは見事だ。お手柄だ、飛鳥君、西川君」
森中警視の言葉に照れ笑いを浮かべる飛鳥刑事。
「こんな時間に二人っきりとはいい仲だなぁ。おかげさまで俺はこんな真夜中にせっかくできた彼女を追い返す羽目になっちまった。また振られちまうよ」
佐々木刑事の言葉に飛鳥刑事とは別な照れ方をする小百合。
小百合は見たままを話した。
飛鳥刑事がコーヒーを買うために車を降りて行ったあと、小百合は眠気に耐えきれずうつらうつらし始め、とうとう窓から入ってくる冷たい風も気にせず寝こけてしまった。
その後、バタンという車のドアが閉まる音がし、小百合は目を醒ました。自分が寝てしまったことに気がつきつつ、小百合は飛鳥刑事が帰ってきたのかと思ったが、それにしては今のドアの音は遠くから聞こえたと思い、あたりを見渡した。
すると、視界の端に何か動く影が見えたという。放射冷却で寒さも厳しい今宵は空には細い三日月が浮かんでいる。その極めて微かな月明かりに浮かび上がった黒い影は長い鎌を持ち、まさに死神のイメージそのままだったという。
「その鎌の刃はどのくらいだったかね?」
「長くはありませんでしたね。多分手のひらくらいか……もうちょっと長いかも知れません」
「鎌と言うよりも登山のピッケルといった感じだな」
森中警視の言葉に小百合はイメージが湧かない。登山に詳しくないのだ。
「小さいツルハシだよ。ツルハシもシルエットだけ見れば鎌に見えて不思議はない。犯人がどうやってあんな深い傷を残したのか、いくつか方法があげられていたが……。長い柄をつけて勢いよく振り下ろすというのもその一つだ。これで殺害方法、凶器は確定した。それに犯人も……」
「えっ、犯人が分かったんすか!?」
驚いたように佐々木刑事が言う。
「西川君、犯人は死神そっくりに見えた、ということは当然、服装などもそのような感じだったわけだね」
「ええ。頭から足まで裾の長いフード付きのような服で……」
「見たのはシルエットだけだったね」
「はい」
「犯人が誰か、これではっきりしたな」
その一言で森中警視に視線が集まる。
「でも小百合はシルエットしか見てないんですよ?」
飛鳥刑事は不思議そうな顔をする。
「考えてもみたまえ。今のところ捜査線上に挙がっている女性はたった二人だ。伊藤美代子、笹川弘枝。そして西川君がみた犯人の外見。鎌を持っていた、ということがまず何より死神という印象を与えたのだろう。そこから全体的なシルエットも死神に見えてしまい、自ずとフードの付いた襤褸という死神のスタイルを連想したものだと思う。しかし、犯人は深夜に闇に紛れて現れている上、車で近くまで乗り付けている。わざわざ死神の恰好をして現れる必要もない。そんな姿で車を乗り回しているところを見られる方がよっぽど怪しまれるはずだからな。今までの事件を見ても犯人は被害者が熟睡しているところを一撃で即死させている。被害者にその姿を見せ恐怖を与える、ということもないわけだ。むしろ犯行中誰かに姿を見られることはほぼ無いと言える。ならば、犯人は特に姿を偽ることなくここに現れるとは思わんかね。襤褸をまとって見えたのは犯人が女性だと言うことを考えればせいぜいワンピースかロングスカートだった、といったところだろう。もちろん、返り血を浴びないようにレインコートを着ていたという可能性も否定はできないが、レインコートを着て運転しているところを誰かに見られてはマズい。ならばバッグにでも詰めて被害者の家に忍び込んでから着るほうが合理的だ。つまり犯人はほぼ普段の姿を西川君に見られている」
この長い解説を短くまとめるとこう言うことだ。
「つまり、犯人は別に何もしなくても死神に見える外見ってこってすか」
佐々木刑事の言葉に頷く森中警視。
「それじゃ、犯人は髪の長い伊藤美代子ですか」
割り込んだ飛鳥刑事の言葉にも小さくうなずき、森中警視はまた口を開いた。
「その通り。ショートヘアの笹川はフードをかぶっているようには見えない。となれば、ロングヘアの伊藤だ。飛鳥君、佐々木君。君たち二人には今すぐ伊藤美代子の家に向かって欲しい。到着したら真っ先に車のボンネットを調べるんだ。温まっていればそれが動かぬ証拠になるだろう」
「分かりました!」
敬礼し、飛鳥刑事と佐々木刑事は覆面パトカーに飛び乗る。佐々木刑事の荒っぽい運転で覆面パトカーは夜の静寂を切り裂きながら伊藤美代子のアパート目指し走り始めた。
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