Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第27話 星を抱く石

 じりりりり。じりりりり。
 飛鳥刑事はその音で目を覚ました。
 いつも通りに目をつむったまま時計の方に歩いていく。そして、時計の頭を叩いた。
 じりりりり。
 ベルは止まない。もう一度押す。止まらない。
 飛鳥刑事はようやく、その音が目覚ましでないことに気づいた。電話だ。
 慌てて受話器をとった。
「はい、飛鳥です」
 出たのは寝ぼけた声だった。
「私だ、木下だ」
「あ、木下警部。おはようございます」
「おはよう。ついさっきB美術館の職員から電話があってな。この間ルシファーに盗まれたダイヤが戻って来たらしい」
「えぇっ!?」
 今までの眠気が一気にふっ飛んだ。
「まぁ、そういうことだ。詳しい話はあとで聞いてくれ」
 そう言い残し、電話は切れた。
 飛鳥刑事は受話器をおくと慌てて着替え始めた。
 部屋を飛び出そうと靴を履いたとき、後ろのほうで目覚まし時計のベルがなった。

 飛鳥刑事が来たのを見て木下警部が快活に笑った。
「ははは。来ると思ったよ」
 木下警部に簡単にあらましを説明された。
 職員が美術館に到着し、事務所の机の上に小さな封筒が置いてあるのに気がついた。
 封を切ると、中にルシファーに盗まれたはずのダイヤが脱脂綿に包まって入っていた。
 そして、一緒に『ダイヤはお返しします。怪盗ルシファー』と書かれたメッセージカードが同封されていた。
 これが、大体のあらましである。
「じゃ、私はそろそろ交代の時間だから帰らせてもらうよ」
 木下警部は今日は夜勤である。
「それより、西川君は今日は一緒じゃないのかね?」
「あっ!」
 慌てて飛び出してきたため、小百合を置いて来てしまった。
「まだ時間も早いし、連れてきても間に合うだろう」
 木下警部は時計を見ながらのんびりと言った。振り返ると、既に飛鳥刑事の姿はなかった。

「もう、びっくりしたじゃない」
 飛鳥刑事の部屋の前で待っていた小百合は、車に乗り込むなり不機嫌そうに言った。
「ご、ごめん」
「なにがあったの?」
 苦笑いしている飛鳥刑事に問いかける小百合。
「さっき、木下警部から電話があってさ。この間盗まれたB美術館のダイヤが返されたって言うから、慌てて飛び出していっちゃったんだ」
 飛鳥刑事は苦笑いのまま答えた。
「あいかわらずねぇ」
 呆れたように小百合がいった。
「ルシファーのことになると、いつもなんにも考えないで行動に出ちゃうんだから」
「そ、そんなことないよ」
 慌ててかぶりを振る飛鳥刑事。それに合わせて車も揺れた。焦ってハンドルを握りなおす飛鳥刑事の横で、小百合が小さな声で呟いた。
「なんか、妬いちゃうなぁ」
「何か言った?」
「ううん、なんにも」
 飛鳥刑事はただ首をかしげるだけだった。

 署に着くと、佐々木刑事が椅子で煙草を吹かしていた。
「あ、先輩。おはようございます。それより、聞きました?ルシファーがダイヤを返したって話」
 あいさつもそこそこに飛鳥刑事が切り出す。佐々木刑事は首を横に振った。
「知らねぇな。誰が言ったんだ?」
「木下警部です。さっきうちに電話をかけてきたんです」
「で、その木下警部は?」
 佐々木刑事は木下警部を探すように部屋の中に視線を巡らせた。
「昨日夜勤で、ついさっき帰ったところですよ」
「で、話は聞いたのか?」
「はい。電話を受けて慌てて署に来たんですよ。で、小百合を置いて来てしまったんで慌てて帰ったんですが」
 佐々木刑事はタバコを灰皿に押しつけた。
「早く帰りたかったからだな、飛鳥のこと呼んだのは」
 どうも飛鳥刑事は木下警部の目論見通りの動きをしてしまったらしい。
「んじゃ、早速現場を見に行って来るか」
 佐々木刑事は立ち上がり、のんびりとした足取りで歩きだした。飛鳥刑事もそれについていく。
 朝方の通勤ラッシュの中を、B美術館に向けて車を走らせた。車の進みの遅さにタバコに手が伸びる回数も増えた。
「渋滞って体に悪いですね」
 いっぱいになった灰皿を見ながら飛鳥刑事が呟いた。
「この時期は公共事業で道路工事も多いからな。こんな下らないところに税金使うなら、こっちに回してくれりゃいいのにな」
「まったく」
 苛立ちからか、愚痴っぽくなる二人。ようやく流れがスムーズになりだした頃、美術館に到着した。
 美術館の裏口から入り、事務所に行く。職員は飛鳥刑事と佐々木刑事の顔を憶えていた。
 職員はすぐに置かれていた封筒とその中に入っていたダイヤ、脱脂綿、メッセージカードを差し出してきた。
「ルシファーが侵入したと思われる時間、分かります?」
 それらを受け取りながら佐々木刑事が訊く。職員は首を横に振った。
「戸締まりはどうでした?開いていた所などは?」
 今度は飛鳥刑事が聞いた。職員はそれも分からないようだ。
「侵入経路、時間ともに不明、か。あいつらしいな。じゃぁ、一応ダイヤは鑑識に回して調べおわったらすぐ返しますんで。あと、他に何か訊くようなことあるか?」
 佐々木刑事に言われ飛鳥刑事も考えるが、特に聞きたいことはない。返してきたものに関してあまり追及したくないのだろうか。
「この封筒とカードと綿はどうします?証拠品としてこっちで預かっていいですか?」
 飛鳥刑事が訊いたのはそれだけだった。職員は頷いた。美術館としてはダイヤさえ戻ってくればいいようだ。
 それだけで飛鳥刑事と佐々木刑事は美術館から引き揚げた。往復の時間のほうが美術館にいた時間より明らかに長かった。

 電話のベルが鳴った。受話器をとると、聞き慣れた声がした。
「聞いたか?ルシファーがB美術館にダイヤを返してきたそうだ」
「なんだって?」
 ローズマリーは思わず訊き返した。
「返したって、どういうことだい?」
「知らねぇよ。どういうつもりだかな。とりあえず、お前の耳に入れておこうと思ってな」
「そうかい。わざわざすまないね」
 004は短い挨拶の後電話を切った。ローズマリーも受話器をおく。
 ルシファー……。あいつ、どういうつもりなんだろう。
 まぁいい。もう少し様子を見ようじゃないか。
 ローズマリーの口元に、企みに満ちた笑みが浮かんだ。

 ダイヤは鑑定の結果、まちがいなく本物であった。そして、添えられていたカードも間違いなくルシファーの筆跡であった。飛鳥刑事はルシファーの筆跡は見慣れているのですぐに分かる。
 ダイヤはその日のうちに美術館に返された。ダイヤを運んだ飛鳥刑事と佐々木刑事が署に戻って来ると、木下警部が待ちかねたように声をかけてきた。
「今電話があってな。港通りのアンティークショップ『タイムカプセル』から盗まれた時計がついさっき返されていたそうだ。至急、向かってくれ」
 休むまもなく二人はアンティークショップに向かった。
 頭の禿げかかった小柄な店主が、店の真ん中に立っていた。佐々木刑事は会うのは初めてである。
 盗まれたはずの時計は、盗まれたときに置かれていた場所にあった。そして、時計にはメッセージカードが立てかけられていた。
「えーと、時計はあの時のものに間違いありませんか?」
 飛鳥刑事が聞いた。店主はおどおどしながら頷いた。見るからに小心そうな男である。そういえば、盗まれたときもおどおどしていたのを憶えている。
 時計に目をやった。わりと小さな時計。確かに、ルシファーに盗まれたのはこの時計だったような気がする。
 時計の横に一枚のカードが置かれている。ルシファーの字で『時計はお返しします。怪盗ルシファー』と書かれていた。
 店主の話では、店主がカウンターを離れてトイレに行っているほんの1分たらずの間に時計はこの場所に置かれたとのことだ。
「この時計、盗まれた後になって珍しい品だというのがわかりましてね。やはり、怪盗だけに見る目があるんですな」
 聞いてもいないのに店主が言った。戻ってきたのが嬉しいらしい。
「これから鑑識が来てちょっと調べていきますんで、それまでできるだけこの辺のものに触らないようにしてください」
 佐々木刑事が言った。自分の関っていない事件なので、興味はあまりないようである。早く帰りたがっている。
 鑑識と入れ違いに飛鳥刑事と佐々木刑事は店をあとにした。
「嬉しそうだったな、おっさん」
 車の中で佐々木刑事がタバコに火をつけながら言った。
「いつも、被害にあって悲しんでいる人ばかり見てますから、こういうのもたまにはいいですね」
 飛鳥刑事の言葉が終わるのを待たずに車のエンジンがかけられた。

 翌日。次に返されたのはトルマリンの自由の女神だった。
 世間では、ルシファーが盗んだ物を返し始めたことが、今さらながらに話題として持ち上がっている。
 そのため、飛鳥刑事たちが芦屋邸で事情を聞いている間にも、マスコミがまるで包囲するように周りに集まってきている。
「何だ、すごい人垣だな」
 芦屋邸の2回のリビング。そこで外を見ながら佐々木刑事が呟いた。
 芦屋邸の外では、テレビのリポーターがめいめいに、自分たちの報道のために喚いている。隣で喋っているリポーターの声につられて、ついつい声が大きくなるようだ。
「もう少し静かにできねぇのかよ」
 佐々木刑事は窓の外を見ながら愚痴をこぼしている。
 飛鳥刑事は芦屋氏に質問をしている。
「おっ」
 外を見下ろしていた佐々木刑事が何かに気づいた。そのまま部屋の外に駆け出す。
「先輩?」
 飛鳥刑事が部屋の外に身を乗り出し佐々木刑事に声をかけたが、佐々木刑事は階段を駆けおりて行ってしまった。
 佐々木刑事が玄関から出ると、マスコミが一斉に反応した。喧騒が一層激しくなる。
 門を開けてマスコミの中に突っ込んで行く佐々木刑事。マイクを向けられながら佐々木刑事はマスコミを掻き分けていく。しかし、すぐに行きづまった。
「お前ら、退け!ローズマリーがそこに来てやがるんだ!」
 佐々木刑事が叫んだ。
 行く手を阻んでいたマスコミも、ローズマリーの名を聞いて逃げるように道を開けた。その先のT字路の陰からローズマリーが姿を現した。
「あんた、目敏いね。ちゃんと隠れてたつもりなんだけど」
 ローズマリーは悠然とした態度である。
「お前の派手な顔はどんなにうまく隠れてるつもりでも目立つぜ」
「悪かったね、派手で」
「悪いとは言ってねぇ。今日はルシファーが返したものを狙ってたのか?」
 佐々木刑事の言葉にローズマリーはふん、と鼻で笑った。
「そんなセコい真似、しないさ。今日は様子を見にきただけだよ」
「まぁいいさ。俺の前に現れたからには逃がさねぇ」
「そういって、捕まえられたことがあるのかい?」
 ローズマリーは身構えた。
「だから今日こそはって奴だよ」
 佐々木刑事がローズマリーに飛び掛かった。それを軽く躱すローズマリー。
「今日は様子を見に来ただけだって言っただろ?疲れさせないでほしいね」
 ローズマリーはそう言い残すと走り去っていった。
 それを追った佐々木刑事は、しばらくしてから50メートルほど離れたところでのびているのを通行人に発見された。

 ルシファーの手にはジュエルスコーピオンが握られている。
 これを返せば聖華市で盗んだものはすべて返したことになる。
 ルシファーは、M氏邸の庭に忍び込んだ。その瞬間だった。横の茂みから影が飛び出してきた。
 ルシファーは腕をつかまれた。強い力だ。しかし、相手は男ではない。
 ルシファーは腕をはずそうともがく。微かな月明かりに相手の顔が浮かび上がった。
「ローズマリー!」
 ルシファーは半ば叫ぶように言った。
「あたしの返しているものを狙ってるのね!」
 ルシファーはローズマリーを睨みつけた。
「あんたが何を考えて盗んだ物を返しているのか知らないけどね。あたいにとってはチャンスなんだ。さぁ、ジュエルスコーピオンを寄越すんだ!」
「いやよ!」
「あんた、自分の立場が分かってないみたいだね。このままあたいが力を入れればあんたの腕は簡単に折れるんだよ」
 ルシファーの顔が青ざめていくのが月明かりでも十分に見てとれた。それを見てローズマリーは満足そうな笑みを浮かべた。
「さぁ。どこに隠しているんだい?」
 ローズマリーの手に力が込められた。ルシファーの腕が激しく痛む。
 ローズマリーはルシファーの腰につけられたポシェットに気がついた。
 ここか。
 ローズマリーはポシェットのファスナーを開けた。そして、手を突っ込んで中を漁る。
 その瞬間、ローズマリーの指先に鋭い痛みが疾った。
「うっ!?」
 ポシェットの中に鋭利な針のような道具が入っていたようだ。
 痛みのためにローズマリーの腕の力が緩んだ隙をついてルシファーはローズマリーから離れた。
「しまった!」
 ローズマリーは慌ててルシファーを捕まえようと飛び掛かる。その瞬間、辺りはすさまじい量の煙に包まれた。ルシファーが煙玉を使ったようだ。煙が風に流されて視界が戻ったときには、ルシファーの姿は消えていた。
 ローズマリーは辺りを見渡した。風があったので、煙はすぐにひいた。そんなに遠くまでは逃げられないはずだ。
 ローズマリーは庭木に目をつけた。この寒い中、青々と葉を繁らせている常緑樹だ。
 そのとき、邸宅の前に一台の車が到着した。中から降りてきたのは飛鳥刑事と佐々木刑事。そして、森中警視だった。
 どうやら、庭で騒いでいるのに家人が気づいて通報したようだ。
「ちっ」
 ローズマリーは舌打ちした。ルシファーよりも、まず刑事達をどうにかしなくてはならない。
 ローズマリーは宝石の袋を懐から取り出した。そして、刑事達に向き直る。
 飛鳥刑事と佐々木刑事が横に跳んだ。その後ろには、消火器を構えた森中警視。
 それを確認したとき、消火器の噴射が始まった。5秒後には、ローズマリーは粉まみれになっていた。宝石の粉の袋も粉まみれ、というより粉で半ば固まったようになっている。
「もう少し、スマートな作戦でやれないのかい?」
 ローズマリーは戦慄く声で言った。
「いかんせん、急だったんでな」
 森中警視が言った。
「飛鳥、お前行け」
「ローズマリーは先輩が相手するんじゃないんですか」
「今は触りたくねぇよ」
 飛鳥刑事と佐々木刑事が低い声で言い合っている。
「触られたくなかったら退くんだね」
 ローズマリーが低い声で言った。怒りを押し殺した声だ。
 ローズマリーが身動きするたびに粉がはがれ落ちた。それを見て、刑事達は道を開けた。
 ローズマリーは粉を払いもせずに、足早に去って行った。足音とが遠のいて行く。ローズマリーの通ったあとは、足跡の代わりに粉が散らばっていた。
 飛鳥刑事は、後ろで物音がしたのに気がつき振り向いた。すると、木の上にルシファーの姿があった。
「ルシファー!」
 思わず叫ぶ飛鳥刑事。その声に佐々木刑事と森中警視も振り向いた。
「お久しぶり!」
 ルシファーの声。確かに、こうしてルシファーと対峙するのは半月ぶりである。飛鳥刑事は先週会ってはいるが、ルシファーの姿ではなかった。
 ルシファーが何かを放ってきた。受け取る飛鳥刑事。封筒だった。封を切ると、中にはメッセージカードとジュエルスコーピオンが入っていた。メッセージカードには、『これはお返しします。怪盗ルシファー』と書かれている。
「これは……。ローズマリーが盗んだんじゃなかったのか?」
 飛鳥刑事がルシファーの方に顔をむけると、ルシファーの姿はもう既に消えていた。
「どうして盗んだ物を返しているのか、訊くチャンスだったのにな」
 佐々木刑事が言った。
 飛鳥刑事には分かっていた。いや、飛鳥刑事が考えている通りかどうかは本人に訊いてみないと分からない。
 あいつは怪盗をやめるんだ。だから、きっと罪を消したいんじゃないだろうか。
 法律的には、それでも罪は消えない。それでも、盗んだ物を返せば自分の中では罪は消えていくだろう。それで罪の意識に苛まれずに済む。
 それならば、俺は、見守ってやりたい。あいつが、自分の罪を洗い流すのを……。
 飛鳥刑事は、さっきまでルシファーがいた木を見つめながら心の中で呟いた。
 冷たい風が木擦れを奏でていた。

「聖華市で盗まれたものは、もうないよな」
 ルシファーが盗んだ物を返したときに添えたメッセージカードを机に並べて佐々木刑事が言った。
「次は西山村市ですね。ルシファーの盗んだ物はほとんどあっちですから」
 飛鳥刑事がそういったとき、後ろに木下警部が立った。
「お前達、西山村市に行きたそうだな」
 木下警部が二人の心中を察するように言った。
「しかし、ルシファーはともかく、ローズマリーはどうする気だ?」
 佐々木刑事の目を見ながら木下警部が言った。
「ルシファーが盗んだ物を返そうとした現場にあいつは2回現れてます。何か企んでるみたいっすね。あいつはヘビのようにしつこい女です。絶対、ルシファーを追って西山村市に現れますよ」
 佐々木刑事は二人が聖華市に戻って来る前に木牟田警部に言った言葉とにたようなことを言った。
「そうか。まぁ、お前達があっちに行っている間にローズマリーが現れても、こっちには森中警視がいる。新しい兵器を投入するとかいっていたし、こっちは大丈夫だろう」
 最後の言葉が少し気になるが、二人はやや安心して西山村市へと向かうことになった。

 久々の西山村署。刑事課に向かうと、木牟田警部が出迎えてくれた。
「久しぶりだな。話は聞いているよ。いろいろ大変らしいな」
 木牟田警部は懐かしそうに、ただでさえ細い目をさらに細めた。
「向こうでもいろいろありましたよ。森中警視は来るし、小百合も帰ってきましたし。飛鳥もルシファーと仲違いしたりな」
 佐々木刑事の言葉に飛鳥刑事が反応した。しかし、飛鳥刑事が口を開く前に木牟田警部が先に口を開いた。
「きいたよ。過激な人だろ、あの人は」
 森中警視のことだ。とりあえず、ルシファーの話にならなかったので飛鳥刑事は安心した。
「手榴弾を投げたり、大砲をぶっぱなしたりしますからね」
「じゃ、噂は本当だったのか。あの人、その前にも暴走族の検挙にバズーカを出したという噂もあってな。どうも、それもただの噂じゃないようだ」
 どうも、昔からそういう人だったようだ。
「で、小百合君は元気かね」
「元気ですよ。とても長いあいだ監禁されていたとは思えないくらいです」
 飛鳥刑事が答えた。
「こいつ、小百合と同じ屋根の下で暮らしてるんですよ」
 タバコに火をつけながら佐々木刑事が言った。
「変な言い方しないでくださいよ。アパートが同じだけじゃないですか」
「でも、弁当作ってもらったり、一緒に車に乗ってたりもしてるだろ」
 こういう話が始まると佐々木刑事の方に分がある。飛鳥刑事はこういう話をされると頭の回転が鈍るのだ。
 そこに、木牟田警部がとどめのようなことを言った。
「で、ルシファーとは仲良くやっているのかね」
 飛鳥刑事の頭は数秒間、止まったも同然になった。

 西山村市で最初に返されたのは中央美術館のモネの絵であった。
 朝、職員が出勤すると、事務所の壁に新聞紙に包まれた絵が立てかけられていたらしい。
 すぐに飛鳥刑事と佐々木刑事が駆けつけ、発見者に対し簡単な質問をすませた。
 そして、署に戻ろうと覆面パトカーに乗り込んだ時、無線で連絡が入った。
『今、通報があってな。パスコにルシファーが盗んだ書道の金賞の作品、返ってきたそうだ。そちらにも向かってくれ』
 それを受けて、車はパスコへと向かった。
 パスコは、再来週のバレンタインに向けて、プレゼントフェアを行っていた。あのとき、『わが家の達筆展開催中』と書かれていたアドバルーンは、今日は『バレンタインフェア』となっている。
「どっちの現場も、柳のことを思い出しますね」
 飛鳥刑事が言った。
「ああ、そうだな」
 柳のことを思い出したのか、佐々木刑事が苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
 考えてみれば、どちらもルシファーにとって嫌な思い出がある。真っ先に返したくなる気持ちも分かる。
 さっきと同じように、簡単な質問を職員にする。
 チョコレートを買いに来た女子高生が、チョコレートのカートに不釣り合いな巻き物が置かれているのを見て、店員にきいたのが発見のきっかけだった。
 客に聞き込みを行ったが、このカートに近づいた長い髪の若い女、というのは、ほぼ全員が目撃している。当たり前である。
 バレンタインのチョコレートのカートなのだから、たまに中年も混じっているだろうが、主に若い女性ばっかりが買いに来るわけだ。その中に、髪の長い女がいないほうがおかしい。
 その中にルシファーが混じっているのだろうが、今さら探しようもない。
「しかし、うまいところに置いたな」
 溜め息をつきながら佐々木刑事が言った。
「相手はルシファーですから。こんなところでボロを出したりはしないでしょう」
 飛鳥刑事が言った。二人は早々と諦めた。
 事務所に戻ると、一人の老人が事務所のソファーでお茶を啜っていた。
 飛鳥刑事と佐々木刑事が訝しげな視線をその老人に向けると、それに気づいたのか、職員が老人を紹介した。
「あ、こちらの方はこの書を書かれた村上吉太郎さんです」
 老人は立ち上がり、頭を下げた。その老人に職員が、ルシファー担当の刑事だと告げると、老人は泥棒ごときに手を焼いておるとはなんだかんだと説教を始めた。
 しかし、話は途中から書道の自慢話になってきた。怪盗ほどの相手に狙われるとはワシも鼻が高いわい、と言うのが結局はこの老人の言いたいことらしかった。
 結局、怪盗を捕まえられない云々の説教は前フリに過ぎず、その後は切々と自慢話を聞かされることになった。ルシファーのおかげで近所じゃ評判になった、と喜んでいる。
 2時間ほどの長話の末、老人もようやく気がすんだのか、ようやく腰を上げて上機嫌で去って行った。それで、ようやく飛鳥刑事と佐々木刑事は帰れる。
「あの歳になっても目立ちたいのかね」
 佐々木刑事が溜め息をつきながら呟いた。
 署に帰ると、木牟田警部が不安そうな顔で訊いてきた。
「ずいぶん遅かったが、何かあったのかね?」
 説明するのも馬鹿馬鹿しかった。

 映美は港の船を見渡した。
 見覚えのある船があった。あれが目的の船のようだ。船の腹に『第六光明丸』と書かれている。
 船に近づくと、埠頭の中ほどで釣り糸をたれていた老人が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん。わしに用かな?」
 こんな誰かも分からない老人に用はない。そう思うが、一応話くらいは聞けるかもしれない。
「あたしのお父さんが乗ってる船を探しに来たんですけど。太平洋海運の」
 映美は出任せを言った。一応、太平洋海運という大手の名前を出しておいたが、そこの船がこの港に来ているかどうかは分からない。
 老人は、港を見渡した。
「太平洋海運の船は、そこの3本煙突の船と、あの一番でかい船だな」
 老人が船を指差しながら言った。どうやら、太平洋海運の船はこの港にも来ていたようだ。それにしても、船を見ただけで会社の名前が分かるとは驚きである。
「詳しいんですね」
 映美は素直な感想を延べた。
「ここで釣り糸を垂れていると、いろんな船が来よる。魚なんぞより船のほうが多いんでな。いつしか船に詳しくなっちまった」
 老人は言いながらポケットから『わかば』を取り出しに火をつけた。安いタバコだ。
「じゃ、この船は?」
 映美は目の前の船を指差して訊いた。本当はこれが聞きたいのだ。
「これは光明貿易の船だな。この会社は船の名前に第何光明丸ってのしかつけないからな。すぐに分かる。ただな、この船はちょっと前に密輸に使われたらしくてな。警察が差し押さえてるよ」
 そう言ったとき、老人の竿の先が少し揺れた。老人は竿をちょい、と動かした。
「チッ、逃げられた」
 老人は舌打ちしながら針を引きあげた。先には餌も何もついていない。
「ありがとうございました」
 意外にも、聞きたいことは聞けたので映美はとっとと引き上げることにした。
 老人は餌をつけながら、いいよとだけ言った。

 映美はアパートに帰ると、西山村市の電話帳を調べた。光明貿易。すぐに見つかった。電話番号の横に住所が書かれている。ここに返せばいいのだ。
 映美は日が暮れるのを待った。
 辺りがすっかり暗くなってから、映美はバッグを手にアパートを出た。電車に乗り、西山村市に向かった。
 ちょうど帰宅ラッシュということもあって、電車の中は混んでいた。席は埋まっているが満員ではない。
 さらにバスに乗り、目的の場所に向かう。バス停で降りて辺りを見渡すと、目的の会社はすぐに見つかった。まだ残業している人がいるらしく、灯がともっている。
 映美は近くのファーストフードで時間を潰した。再び会社に向かう。今度は灯は消えていた。もう誰もいなくなったのだろう。
 その後を追うように、チーズバーガーとポテトのMを手に飛び出してきた人影に映美は気づかなかった。

 念のため、辺りを一周して裏口を見つけた。そこから入る。正面から入ると見られる恐れもある。いかにも汚れたボロビルらしく、裏口の鍵はあっさりと開いた。そこから中に忍び込む。
 映美は適当な部屋に入り、バッグから持ってきた冠を出し、適当な机の上に置いた。いつか、ローズマリーからひったくったものだった。あの頃はまだ飛鳥刑事よりも佐々木刑事の方に気があった。まだ少し憶えている。
 その冠の横にメッセージカードを置いた。『これはお返しします。怪盗ルシファー』と書かれている。
 これで、ルシファーとしての思い出が一つ消えた。あとは、ここを立ち去るだけだった。
 映美はもと来た道を引き返し、裏口から外に出た。
 扉をくぐると、目の前に人影があった。心臓が止まりそうになった。目の前にいるのが誰か分かったとき、顔から血の気が引くのが分かった。
「ローズマリー……」
 ローズマリーが不敵な笑みを浮かべた。映美はローズマリーを睨みつけた。ローズマリーの手から零れ落ちる輝く粒子がその目にうつった。
 催眠術だと気づいたときには、映美の体は自分の意思では動かなくなっていた。
 気がつくと、朝になっていた。映美は自分のアパートのベッドの上で着替えもせずに眠っていた。

 昨晩、ローズマリーに会ったことは憶えていなかった。
 映美は目をこすりながら、テレビのスイッチを入れた。
 画面には、昨日映美が忍びこんだビルが写し出されていた。あの冠が返されたことが報道されている。
 映美は、写し出された冠を見て愕然とした。
 冠に取りつけられていた色とりどりの宝石。その中でも一際大きく目立っていた、中央にあった大きなルビーがなかった。
 映美はテレビに駆け寄った。レポーターの言葉を一言たりとも聞き逃すまいと耳をそばだてる。
「今日の朝、職員が出勤してきたとき、この机の上にこの『プロミネンスクラウン』が置かれているのに気がつきました。そして、『これはお返しします』というメッセージが添えられていました。しかし、この中央につけられていたスタールビーは、返されたプロミネンスクラウンにはつけられていませんでした」
 どうして……?
 映美は必死に夕べの様子を思い出そうとする。
 プロミネンスクラウンと言うらしい、あの冠。確か、夕べ冠を置いてメッセージカードを置いたときには、あのルビーはあったはずだ。そうだ。あのルビーが見えるようにメッセージカードを置いたのを憶えている。
 どうして?どうしてなくなったの?
 映美は必死に考えた。
 まさか、ローズマリーが?
 そう考えたとき、昨夜の全てが思い出された。
 映美は、あの時ローズマリーにあのビルの裏口で出っくわした。そして、催眠術にかけられた。ローズマリーは、『あんたには用はないよ。もうお帰り』と言った。催眠にかかった映美は、拒むこともなくそのとおりに帰路についた。
 それじゃ、あのあとローズマリーが!?
 もともと、あの冠はローズマリーから奪ったものだ。ローズマリーに奪い返されたのだ。
 しかし、それならなぜ、冠そのものを持っていかず、わざわざ宝石だけをはずして持って行ったのか?
 答えはすぐに出た。
 あの冠は、ローズマリーに盗まれたことになっている。だから、黙っていればローズマリーが盗んだものとして扱われるはずだった。
 しかし、映美が返したことで、ルシファーが盗んだことがわかる。手書きのメッセージカードまでつけられているのだ。そして、その冠の宝石が一つだけない。その宝石は、ルシファーが持っていることになるのだ。
 このまま、すべての盗んだ物を返しても、その宝石だけは盗まれたままになる。
 罪は消えない。
 プロミネンスクラウンのスタールビー。それが返されない限り。
 ルシファーには返すことができない。
 ルシファーは、その宝石を持っていないのだから。
「そんな……」
 映美の全身から力が抜け、その場に青ざめた顔でへたり込んだ。
 テレビは、時事のコーナーから芸能のコーナーに移ったらしく、大物歌手の入籍を伝える報道がテレビから流れてきた。映美は、それを上の空できいていた。嬉しそうに会見を受ける歌手の顔を、虚ろに見つめた。

「まったく、どういうことだ?」
 飛鳥刑事は冠の妙に目立つ窪みを見つめながら呟いた。
 ルシファーが、また盗んだ物を返してきた。しかし、わざわざ宝石を一つはずしてだ。
 報道陣も、ルシファーの返品騒動にはもう飽きたのか、今回は帰るのが早い。確かに、宝石が一つなくなっているということで、騒ぎにはなったが、それも大したことはない。
 しかし、警察にとってはこれは重要なことである。今までになく、念入りに調べられている。
「あの、ここに妙なものが」
 地面を調べていた鑑識課員が言った。飛鳥刑事は鑑識課員に近寄った。
「なにもないじゃないか」
 足下を見ながら飛鳥刑事が言う。
「いや、よく見てください。ここに妙な粉が落ちています」
「粉?」
 飛鳥刑事は地面に這いつくばって、地面に顔を近づけた。その様子を見て、佐々木刑事も寄ってきた。
「なに土下座してるんだよ」
「先輩。ここに落ちているの、宝石の粉じゃないですか?」
 宝石の粉といえばローズマリーである。佐々木刑事も急いで地面に顔を近づけた。
 ここに3人の男が、顔を近づけて地面に這いつくばっているという妙な光景が出来上がった。
「暗いぞ、飛鳥」
「先輩が来たからですよ」
 言いながら立ち上がる飛鳥刑事。
「なるほど。確かに白い宝石の粉が落ちてるな」
「ということは、ローズマリーが来たということでしょうか」
「間違いないな。恐らくローズマリーが後から来たんだ。あの冠、あのコカイン騒ぎの時のだろ?確かあの時はローズマリーが持って行ったんだ」
 佐々木刑事は顎に手を当てながらぼそぼそと呟いた。飛鳥刑事も顎に手を当てて考えながら呟く。
「で、ルシファーがローズマリーから奪った……」
「ローズマリーは、今度は取り返してやろうってんでここに来た」
 飛鳥刑事は眉を寄せた。
「先輩。それじゃ、何でローズマリーは冠ごと持って行かずに、わざわざ宝石だけ持って行ったんでしょうか?」
「知るかよ。怪盗のやることなんて分かりゃしねぇよ。お前、何でルシファーが盗んだ物を返してるのか分かるか?分からねぇだろ?それと同じだよ」
 そういいながら佐々木刑事は立ち上がり、ふらふらとどこかに行ってしまった。
 飛鳥刑事は心の中で呟く。
 分かるよ。あいつがが何で盗品を返しているのか。
 それで、気がついた。なぜ、ローズマリーが冠を残して去ったのか。
 罪を着せるためだ。今まで、この冠はローズマリーが盗んだ物と思われていた。しかし、ルシファーが返したことで、ルシファーが盗んだことになる。
 そして、ルシファーの返した冠から宝石を一つ盗んでおく。その宝石は、ルシファーが返さなかったことになるのだ。誰かが、このからくりに気づかないかぎり。
 しかし、その考えは誰にも言えない。
 悪いことに、この盗みがローズマリーによって行われたということは佐々木刑事と飛鳥刑事が握りつぶした。
 飛鳥刑事には、誰にも言うことはできないのだ。
 ルシファー、ごめん……。
 飛鳥刑事は心の中で呟いた。

 寂しい道だった。
 バイトの帰り道。今日は一人ではいたくなかった。だから、映美は自分のアパートではなく、源一郎のアパートに行くことにした。バイト先から源一郎のアパートの道がこんなに寂しいということに初めて気づいた。
 薄暗い電灯の下で、初めて人とすれちがった。
「こんなところで会うとは奇遇だね」
 聞き慣れた声がした。思わず足を止め振り返る映美。
 そこにいたのはローズマリー。
「どうした?いつもの元気がないね。何かあったのかい?」
 ローズマリーが言った。口元にはいやらしい笑みがへばりついている。
「返して」
 映美は鋭い口調で言った。目にも鋭い光が宿っている。
「何を?」
 ローズマリーの口元がさらにつり上がった。
「スタールビー!盗んだの、あんたでしょ!?返してよ!」
 映美は叫んだ。そしてローズマリーに掴み掛かった。しかしローズマリーにあっけなく張り倒される。倒れ込んだ映美にローズマリーの容赦ない蹴りが飛ぶ。
「ふふん。いい気味!あんたね、盗んだ物を返して今までの罪を許してもらおうと思っているんだろ?でもね。聖華市に移った時点でお前の運は尽きてるんだ。あそこは聖なる都市。悪魔は滅ぼされるしかないのさ」
 愉快そうにローズマリーが言った。映美は無言でローズマリーを睨みつけている。
「まさか、こんなに早く、しかもこんなにうまくいくとはね!スタールビーはね、お前なんかじゃ絶対に盗み出せない場所に預けてあるよ。どんなに頑張って盗んだ物を返しても、それだけは絶対に返せない。お前の罪は消えないんだ。一生ね」
 映美の表情が強ばって来たのを見てローズマリーは声を立てて笑った。
「いい顔だ……。後悔してたんだね……。安心しな。これであたいの気は済んだよ。これからは好きにすればいいさ。悔いを残したまま、罪に苛まれながら生きるもよし。堪えかねて自ら命を断つもよし……。ふふふふふ……」
 押し殺した笑い声とともにローズマリーは去って行った。
 ローズマリーの姿が闇に消えた。映美はしばらく道路に座り込んでいた。
 立ち上がり、手で目をぬぐった。そして、ローズマリーとは逆の方へ駆けだした。
 源一郎のアパートが見えた。部屋の前に立ち、ドアをノックする。短く返事があり、すぐにドアが開けられた。
 源一郎は映美を認め、何かを言いかけた。その時には、映美は源一郎の胸の中に飛び込んでいた。
 源一郎は胸の中で泣きじゃくっている映美にそっと手を回し、もう一方の手で扉を静かに閉めた。

Prev Page top Next
Title KIEF top