Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第19話 God father

 ノックの音がした。そろそろ来る頃だと思っていたところだ。
 ローズマリーの返事を待たずに男が入ってきた。
「あんたねぇ。レディの部屋に黙って入ってくるなんて失礼じゃないか」
「平気で俺の前で着替えるくせに。大体レディってがらかよ」
 ローズマリーの言葉に、男が悪びれた様子もなく言い、上がり框に腰をかけた。
「つくづく失礼だね、あんたは」
 そういうローズマリーも、そんなに怒った様子はない。そんなローズマリーを見て、男が不思議がった。
「ん?なんだお前。今日はいやに機嫌がいいな。何か楽しいことでもあったのか?」
「分かるかい?」
「男でも出来たのか?」
 組織の男がにやりと笑った。逆にローズマリーはむっとした顔になる。
「悪かった……」
 ローズマリーの様子に気づいた組織の男は慌てて顔を伏せ、帽子を目深に被りなおした。帽子の縁越しにローズマリーの顔を見上げる。
「しかし、お前はこの手の話題だとすごく怒るよな。なんでだ?」
 組織の男の言葉にはっとなるローズマリー。そういえば、なぜだろう。
 答えはすぐに見つかった。
 心の奥にあの言葉が引っかかっていた。
『消えろ!俺の前に二度と現われるな!』
 いつか、飛鳥刑事に投げられた罵声。
 飛鳥刑事はもう忘れてしまったのだろうか。ローズマリーを見ても、特に反応はない。でも、心の奥では何かあるのだろうか。
 ローズマリーの心には、この言葉が杭のようにつきささっていた。
 あたいは人を愛するのが下手だ。
 こんなことをしている間は、人を愛することなどできない。
 愛。甘美な言葉だ。もちろん、今でも憧れてはいる。
 でも、あたいは愛したものを傷つけずにはいられないようだ。
 ましてや、怪盗と刑事。敵同士だ。こんな愛が壊れずにいられるのは物語の中だけ。
 その思いが、いつしか自分を戒めていた。人を愛するなかれと。
 暗い顔で考え込むローズマリーをしばらく黙って見つめていた組織の男だったが、ため息を一つついて声をかけた。
「で、どんないいことがあったんだ?」
 組織の男の声で我に返るローズマリー。
「あ、ああ。ほら、この間教えてもらった催眠術さ。いいね。ただ眠らせるより何倍も面白いよ」
 ローズマリーの顔に笑みが戻った。
「そうか。この間の仕事のときに使ってみたんだな。何をやったんだ?」
 ローズマリーはこの間の仕事のことを誇らしげに話した。
「お前のわがままも一つ満たされたみたいだな。ところで、その仕事の上がりはどうなったんだ?」
「これだよ。どうだい、とても博物館なんかで腐らせておくようなものじゃないよ」
 いまだ輝きを吹き込まれていない原石のダイヤモンドを組織の男に手渡した。
「なるほど。こいつは磨けば相当高い値がつくだろう。それに、あの計画にもちょうどいい」
 男の言葉にローズマリーが訊き返した。
「計画ってなんだい?」
「そろそろ言ってもいいか。お前にも手伝ってもらうことになるだろうしな」
 男は、計画のことを話し出した。
「そうかい……」
 話を聞き終え、複雑な表情を浮かべるローズマリー。
「やってくれるだろ?いやとは言わさねぇぜ。もともとはお前が持ちこんだ種だ」
 何かを考え込むローズマリーを尻目に組織の男は立ち上がった。
「おっと、忘れるところだった。前回の上がりはこれだ。……この計画の分は別にボーナスが出る。まったく、総裁も甘いよな」
 そういって男は札束の入った封筒をローズマリーの足元に投げると、別れの挨拶の代わりに後ろ向きに手だけ振って部屋を出ていった。
「そうかい。あの女が……」
 ローズマリーはそれだけ呟いて、足元に置かれた封筒を拾いあげた。

 映美は変装していた。変装といっても、いつもは被らない帽子を被り、ダテ眼鏡をかけ、化粧もいつもと変えただけだが、自分でも鏡に映っているのが自分とは思えないくらいだ。まるで別人である。
 そして、適当な人からすり盗った財布を持って警察署に行った。
「すいません、財布を拾ったので届けに来たんですが」
 応対に出て来た警官は何も疑わずに、笑顔で手続きをすすめている。
 この財布をすられた人は、一も二もなく警察に届けるだろう。よほどのことがなければ。そして、落とし物として届けられている財布が返される。そうすれば、財布は落とされて拾われたということになる。
 連絡先は、一応喫茶店を教えておいた。持ち主が現れて、お礼に来たとき、架空の人とかを教えるとかえって怪しい。
 お礼をもらうのは少し後ろめたい気もするが、ここで変に断って訝しがられるのもなんなので、2回断って3回目にもらうという常識的な対応をすることにしている。
 お礼に現れるのは、どうせ財布の持ち主だけだろう。警官がついてきたとしても、財布を拾っただけの人の顔をそんなに憶えているとも思えない。それに、女は多少見ためが違ってもプライベートと仕事中なら別に不自然でもない。
 手続きが終わった。もう、この財布に関してはどうでもいい。
 問題は、これからだ。
 今回警察署に変装までして入ってきたのは、ポケットに収められた物をしかけるためだ。
 盗聴器。
 しかし、刑事課の、しかもできるだけいい場所にしかけるためには、ただ警察署に理由をつけて入るだけでは厳しいかもしれない。
 やっぱり、夜にすればよかったかな、とも思うが、飛鳥刑事がいなくなってからだと、どこが飛鳥刑事の机なのかわからなくなる。
 とにかく、どうにかしなきゃ。
 などと考えていると、突然騒がしくなった。刑事課だ。飛鳥刑事のいる刑事課が騒がしくなったのだ。
 映美はこっそりと覗いて見た。
「分かりました。急行します!」
 木下警部が受話器を降ろした。
「3丁目の栗木邸にローズマリーだ。まだ入って間もないらしい。急げ!」
 中から刑事達がどやどやと出てきた。
 飛鳥刑事が、ドアの近くに立っていた映美にぶつかりそうになった。
「あ、すいません。急いでますんで」
 それだけ言って飛鳥刑事は駆けて行った。
 再び部屋の中をを覗く。誰もいなくなっていた。
 チャンスだ。ローズマリーには感謝しなきゃね。
 などと思い、まわりに誰もいないのを確認してルシファーは刑事課の部屋に入った。
 飛鳥刑事のデスクはさっき部屋を覗いた時に確認しておいた。そのデスクにかけより、みまわす。引き出しの裏だと見つかるだろう。多分ときどきチェックしているはずだ。
 チェックしそうにないところは。あたりを見回して、いいものに気づいた。
 蛍光燈が飛鳥刑事のデスクの真上にあった。その傘の裏側に盗聴器を仕掛けた。
 幸い、蛍光燈は取り替えたばかりなのか明るい。ここならばしばらくばれなそうだ。それに、今回の盗聴器は手作りではなく、本場物なので、小さくて性能がいい。
 この盗聴器はいつだったか聖華市役所の市長の部屋の屋根裏を這って歩いた時に見つけたものだった。一度、電池を抜いて取り替えたりしたのでこれを仕掛けた犯人も、気付かれて除去されたと思っているだろう。
 映美はそのまま警察署の天井裏に入りこんだ。
 そして、うまいこと階段に出た。
 階段を降りていくと、さっき財布の手続きをした警官が出てきた、一瞬どきっとする。
「あ、あの迷っちゃったんですけど。出口はあっちですか?」
「そうです。まっすぐ行って、途中を左に曲がると出口がありますよ」
 相手が若い女だからか、親切に教えてくれる警官。
 映美は警官にお礼を言って、そのまま警察署をあとにした。

 栗城邸はパトカーに囲まれていた。
 玄関から、堂々とローズマリーが出てくる。
「余裕じゃねぇか」
 佐々木刑事が言った。
「今回は警備もいないしねぇ。ちょっともたついちまったけどね。それさえなけりゃ、もっと楽に逃げられたんだろうけど」
 ローズマリーは不敵な笑みを浮かべながら言った。
 盗まれたものは宝石と絵画だ。絵画はローズマリーが抱えている。宝石は恐らくポケットだろう。
「まったく、いきなり現れやがって。準備もできやしねぇ」
「あたいはどこかの小娘と違って予告なんてだすほど自信過剰じゃないからね」
 佐々木刑事とローズマリーが話している間にも、警官は裏に回って逃げ道を塞いでいるはずだ。
「逃げ道は塞いだぞ。観念しろ、ローズマリー!」
 飛鳥刑事が言った。
「そういって、いつも逃げられているのはどこのどいつらだい?」
 楽しそうな顔をするローズマリー。
「じゃ、逃げられないかどうか試して見ようじゃないか」
 ローズマリーが駆け出した。こちらに背を向け館の裏手に向かう。
 てっきり向かってくると思っていた二人は虚を衝かれ、対応が遅れた。
「お前ら、絶対に動くなよ!」
 警官達に言い残し、佐々木刑事がローズマリーを追った。飛鳥刑事もそれに続く。
 全力で走る刑事二人。やがて、裏門にたどり着いた。
「ローズマリーは!?」
 裏では森中警視と木下警部が固めている。
「いや、こっちには来てないぞ」
「え?でも確かにこっちに。チッ、あいつめ!」
 慌ててもと来た道を引き返す二人。途中に植え込みがあるのに気づいた。多分ローズマリーはここに身を隠していたのだ。
 正面に回った。
 警官達がもがいていた。
「どうした!?」
 飛鳥刑事の問いに、警官達が言った。
「た、助けてください!」
「蜂が、蜂がぁ!」
「どうにかしてくださいぃ!」
 口々に言うが、警官達のまわりに蜂などいない。
「蜂なんかいないじゃないか」
 佐々木刑事が言うが、警官達はまだもがいている。
「蜂の大群がぁ!」
「だめだ、こりゃぁやられたな」
 通りに出たが、ローズマリーの姿は既になかった。
 パトカーが一台なくなっていた。
 そのパトカーは200メートルほど行ったところで電柱にぶつけられていた。

 映美は受信器のチューニングをいじっていた。
 前にあの盗聴器の周波数は調べてあったのでどの辺に合わせれば音を拾えるのかは分かっていた。
 ザーザーと言う音が、唐突に人の話し声になった。
 聞き覚えのある声がして、思わず口元がほころぶ。飛鳥刑事の声だ。
 何を話しているんだろう。昨日のローズマリーのことだろうか。

「それにしても、あの運転技術はどうにかならないかねぇ。免許ないのは分かるけどさ。しかもあれで車を使おうとするんだから、笑っちまうよ」
 佐々木刑事がうんざりといった声で言った。
「いつかの軽トラも派手にすりましたしね。今回はそれよりひどいじゃないですか」
「乗るたびに腕が落ちる?まさか」
「そんなこと言ってませんよ」
 飛鳥刑事と佐々木刑事のやり取りに、木下警部が加わってくる。
「何の話だ?」
「ローズマリーの運転の話ですよ。パトカー一台オシャカにしたじゃないですか」
 木下警部の問いに佐々木刑事が答えた。木下警部は冗談混じりに言う。
「佐々木君、あんなことが立て続けに起こられたんじゃこっちとしてもたまらないからな。ローズマリーに車の運転でも教えてやってくれよ」
「機会があったら、ぜひとも手取り足取り教えてやりたいところですがね」
「苦労するぞ」
「何言ってるんですか、二人して」
 飛鳥刑事が突っ込んだ。
「それにしても、ローズマリーの奴、最近催眠術の腕が上がったと思わないか?」
 佐々木刑事が飛鳥刑事に言った。
「そうですよね。前は本当に眠らせるくらいしかできなかったのに。昨日の警官も蜂が見えるとか言ってましたし」
「木下警部も、その前に宝石の場所吐かされましたしね」
「いやなことを思いださせないでくれ。あの時、何があったのか憶えてないもんなぁ」

「へぇ、そうなんだ……」
 盗聴して正解だった。ローズマリーの最新情報が入ってきたではないか。
 ローズマリーの催眠術か。
 一度、ローズマリーの催眠術で、本当の名前を言いかけたことがあったっけ。
 そこまで考えて、映美はふと思う。
 ローズマリーの本当の名前って、何だろう。あいつだって、きっと本当の名前があるはずだ。
 ものすごく興味がある。
 でも、どうやって調べればいいんだろう?

 ドアをノックする音がした。
「待ってたよ。そろそろ来るんじゃないかと思っていたところさ」
 ローズマリーが言うと、予想通り組織の男が入ってきた。
 ここに来客などめったにあり得ない。たまにうるさいセールスマンが来るくらいだが、一睨みしてやると大体はそのまま逃げてしまう。
「……?どうしたんだい?」
 ローズマリーは男の様子を訝しんだ。
 いつもなら入ってくるなり上がり框に腰を降ろすはずなのに、今日は玄関先に立ったままだ。
「今日は、ちょっとお前に用もあるんだ。来てくれないか?」
「どこにさ」
 ローズマリーは立ち上がった。
「本部だ」
 ローズマリーは凍りついたように動きを止めた。
「本部!?何だって言ってあたいを……」
 組織の男は表情を和らげた。
「安心しろ。お前をばらそうってんじゃねぇよ。言っただろ、用があるって」
 ローズマリーは一つ思い当たった。恐る恐る男に訊ねる。
「もしかして、例の計画かい?」
「察しがいいじゃねぇか」
「用なんてそのくらいだろう。それにしても、わざわざ本部にあたいを呼ぶほどなのかい?」
「確かにここに連れてきてもいいけどな。総裁がぜひとも、お前のお手並みをみたいって言うんだ。もしかしたらそれだけじゃねぇかも知れねぇ」
 ローズマリーは考えた。が、考えてもしかたがない。逆らえば何があるか分かったものではないのだ。それほどの危険を冒して逆らう理由などない。
「わかったよ」
「面倒かけて悪いな」
 ローズマリーが外に出ると、車が待っていた。ロールス・ロイスだった。
 組織の男が後部座席のドアを開け、エスコートした。
 車の内装にも金がかかっていた。
「ずいぶんとすごい車に乗ってるんだね、あんた」
「こいつは賓客用の送迎車だ。組織のな。俺のマイカーはポンコツの国産車さ。一応高級車だけどな」
「あたいは賓客かい?」
「当然だ。お前にはだいぶ稼がせてもらってるしな」
「それにしては、あんた態度でかいんじゃないのかい?」
「それを言うなよ。俺とお前の仲じゃないか」
「何が俺とお前の仲だい。腐れ縁じゃないか。ま、こっちも気にしちゃいないよ。軽口叩きあうのはお互い様ってところさね」
 ローズマリーは車内を見渡した。
 確かに内装は豪華だが、窓がすべて塞がれている。外を見ることはできない。組織のアジトの場所を知られないようにするためだろう。
「あんた、運転はうまいんだろうね」
 外が見えないので、どんな運転をしているのかも分からないので少し不安になった。
「ああ、もちろん。今のところ無事故無違反の模範ドライバーだ」
「信じられないよ」
「嘘じゃねぇ。こんなくだらねぇことで警察にとっつかまったらバカみてぇだからな。セコいところで捕まるなってきつく言われてるんだよ。だから、人のいる所じゃ喧嘩も出来ねぇ」
「大変なんだね、あんたらも」
 外が見えないのはつまらない。自然と相手と喋るしかなくなる。
「それにしても、運転がうまいっていうのは確かみたいだね。さっきからガクンとも言わないよ」
「車がいいからだろ。マイカーじゃクラッチをつなぐたびにショックが来るぜ。道路が少しでっぱってるだけでもだいぶ揺れるしな」
 そこで一旦言葉を切って、さらに続ける。
「ところで、運転といやぁさ。お前、この間派手にやらかしてくれたらしいな」
「いやなこと言うねぇ。あたいは運転はからっきりだよ。免許ないんだから」
 ローズマリーは不機嫌に答えた。相手がどんな顔で言っているのか見えないので余計腹が立ってくる。
「教習所通えばいいじゃないか。金はあるんだろ?」
「バカなこと言うんじゃないよ」
「何がバカだよ。教習所くらい通っても怪盗の仕事は出来るだろ」
「人には事情ってもんがあるんだ。あたいが、なんでまっとうな仕事に就けなかったのか知ってるんだろ?」
「知るかよ。性格が悪いからか?」
「あんたが見えるところにいたら一発引っぱたくところだよ。降りてから覚悟しておきな」
「げ。な、なんだ違うのか?」
「あったりまえだろ!もう、ばかばかしくなった。あんたとなんか話すことなんかないよ!」
 とはいっても、なにもないと気が気ではないので、結局、5分と経たないうちに男に声をかける。
「いつまで待またなきゃいけないんだい?」
「ん?もうすぐだ。あと10分くらいで着くさ」
 それにしても、なんでわざわざあたいを本部に呼ぶ気になったんだろう。
 まさか用済みになって処分されるということもないだろう。そう思いたい。
 しかし、あの計画のためだけに呼ばれると言うのもおかしな話だ。
 あの女をあたいのアパートの部屋に連れてきてもあの計画を実行するには十分だろう。催眠術をみたいなら出向いてもいい。
 何か、他にあるのだ。

 車が停まった。サイドブレーキが引かれ、エンジンも止まる。
「ついたのかい?」
「ああ」
 ローズマリーは車を降りた。
 薄暗いところだった。駐車場のようだ。あたりには車が数十台停まっている。
「こっちだ」
 男が歩き出した。ローズマリーもそれに続く。
 駐車場から出ると、きれいな建物になった。掃除が行き届ている。しかし、どこか冷たい感じがする。それが窓がないせいだと気づいた。
 男はさらに歩いた。人とすれちがうこともない。あとに続くローズマリーも少し不安になってくる。
「ここは誰もいないのかい?」
「ここは来客用通路だ。構成員用の廊下は別にある。がらの悪い連中が多いからな。お客と構成員が出会わないように気を使ってるんだ」
「がらの悪いのなら見慣れてるよ」
「お前みたいに見慣れてる奴ばかりじゃないってことさ。あんたみたいな賓客ばかりがお客でもない。そういう末端の客層は別な下請企業が引き受けているのさ。そういう客はサラリーマンみたいな連中を相手にしているから俺達の顔を見ると震え上がっちまう」
「いろいろあるんだねぇ」
 そんな話をしているうちに、エレベータホールに出た。ボタンは下しかない。ここが最上階なのだ。
 エレベータでさらに地下に向かう。
「広そうだね。ここは」
「ああ。広いさ。もっとも、倉庫だの研究施設だのが多くて人はあんまりいねぇよ」
 エレベータが止まり、ドアが開いた。
 ドアの前に数人の男が立っていた。一様に黒い服を来た無表情な男たち。ローズマリーは思わす息をのむ。
「コード004、帰った」
 その言葉に男たちは頷くと道を開けた。長く薄暗い廊下が続いている。
「コード004ってのは、あんたのことかい?」
 ローズマリーが訊いた。
「ああ。正式にはJS004だけどな」
「ナンバーフォーってことは、結構えらいのかい?」
「担当地区が本部から近いからさ。えらくはない。ランクが上の人にはコードネームがついてる。俺は名前ももらえない下っ端さ」
 廊下の奥には扉があった。
 奥には、椅子にかけた一人の男がいた。
 上等の椅子だった。
 椅子にかけている男は若い男だった。ローズマリーと同じくらい。いや、年下かもしれない。
 後ろの壁には大きな字でSTONEと書かれていた。ストーン。この組織の名前である。そして、総裁のコードネームでもある。
「総裁。ローズマリー様をお連れいたしました」
 004が言った。ローズマリーと接するときとは明らかに口調が違う。
 そして、目の前にいるこの若い男が総裁なのだ。
「初めまして」
 総裁が立ち上がった。手を差し出してくる。ローズマリーはその手を握った。
「初めまして、総裁」
 ローズマリーの言葉に総裁は微笑んだ。
「本日はようこそ御足労いただきました。感謝します」
「はぁ」
 思ったより紳士的な態度にローズマリーは呆気に取られた。しかし、目の中には何か無気味な光のようなものが宿っていた。それが、その紳士的な態度をどこか滑稽なものにしている。
「話は聞きましたか?」
「ええ、まぁ」
 こういう雰囲気は慣れないローズマリー。それを察したのか、総裁が言った。
「規約に従っていただいている以上、あなたは我々の顧客の一人だ。楽にしていただいて結構」
 横にいた004が耳打ちしてきた。
「ここじゃあんたは客だ。いつも通りにしてりゃいい」
「そうかい?」
 ローズマリーは一息ついた。
「だったら、そっちもその堅苦しい話し方をやめてもらわないと。肩が凝っちまいそうだ。お客だからって気を使うことはないよ」
 目は004の方に向いているが、その言葉は総裁に向けたものだった。
「では、おことばに甘えて……」
 総裁も姿勢を崩した。こうすると確かにやくざか何かのようだ。
「約束通り、力を貸してもらおう」
 総裁はローズマリーの目を見つめた。やはり鋭い光が目の奥にみえるような気がする。
「ああ。もともとこっちが持ちこんだ種だしね。手間をかけさせて悪かったね」
 目をそらしたい衝動にかられながらも、総裁の目から視線をそらさずにローズマリーは答える。
「こっちだってお客のいうことは絶対だからな」
「で、あたいは何をすればいいんだい?」
 総裁が顔を伏せた。
「神代忠臣に会った」
 いつかの催眠術師だ。
「催眠術のことを聞こうとしたが断られてな。それであんたの名前を出したら今度は快く教えてくれた。あの男はあんたのことを相当気に入っているぞ」
「そうかい」
 神代か。あの人を不快にさせるにやけ顔さえなければ面白い奴だった。
「それにしても、何のために催眠術なんか調べてるんだい?」
 総裁の目がぎらっと光った。さしものローズマリーも身を竦めたくなるような目だ。
「今度の計画のためだ。あの女は知りすぎた。しかし、警察官相手に無茶なマネはできん。記憶を消すための薬はどれも副作用が強すぎる。かといって殺すわけにはいかん」
「どうしてだい?」
「あんたが関っている。我々だけなら内々で処理して闇に葬ることは可能だ」
「本当にあたいを殺す気はないんだろうね。その言い方だとあたいを消しちまえばあとは内々で処理できるって感じだけど」
 総裁は笑みを浮かべた。
「あんたはうちにとっても上客だ。それに……」
 総裁は言葉を切った。ローズマリーのほうを見た。
「その催眠術は我々にとっても力になる。できれば、我々に協力していただきたい。メンバーに加わっていただきたいのだ」
 ローズマリーは納得した。
「なるほど。それでわざわざあたいをここまで呼んだってわけだね」
 ローズマリーは溜め息をついた。
「悪いけど、あたいはそういうのは性にあわないんだ。誰かの下につくってのがね」
 総裁の顔が険しくなる。
「ただ、力を貸すだけならいいさ。どうせ、そんなにしょっちゅう用があるわけでもないだろ。何か用があったら今回みたいに呼んでくれりゃいい」
 総裁は頷いた。
「力を貸してくれればそれでいい」
「あたいだって怪盗をやめたくはないしね。折角ローズマリーの名が通るようになったんだ」
 総裁は再び頷いた。
「内容は変わったが、契約は成立だ。これからもよろしく頼むよ」
 再び総裁が握手を求めてきた。
「こちらこそ、よろしく」
 ローズマリーは総裁の手を握った。華奢な見た目の割に力の強い手だった。

 ローズマリーの組織における立場が今までは若干変化した。顧客という立場から、特別準構成員という立場になった。組織はなぜ、これほどまでに肩書きが好きなのだろうか。
 ローズマリーはこれからも今まで同様、怪盗として組織に物品を流し、それを捌いた金のマージンを受け取る。その立場は変わらない。
 ただ、今までと違って組織の内部情報を流してもらえるようになった。その見返りとして、組織からの要請があれば出向いてその要請に答えなければならない。
 そして、その第一の要請の対象がローズマリーの横の席で寝息をたてていた。
 初めてこの女を見た時とはだいぶ変わったような気がした。
 日の当たらない施設の牢のような部屋で長いこと繋がれていたのだから仕方ないだろう。
 これで飛鳥刑事との約束をようやく果たすことができる。
 しかし、その前に、大きな仕事が待っていた。
 帰り際に、道具だと言われて渡された袋を見つめた。中には無色透明の光り輝く粉。
 ついこの間盗んだダイアモンドの原石を磨く時に出たクズだ。水晶なども混じっているといっていた。
 確かに、自分の使っている催眠術にこの力があることは知っていた。しかし、まさか使うことになるとは思わなかった。
 溜め息をついた。その時、ローズマリーを載せた車が停まった。
「ついたぜ」
 ローズマリーが車から降りると、見慣れたアパートの前に出た。
 結局、組織の本部に行ったような気はしなかった。途中、移動したと言う感じがしなかったからだ。
 004が車の中で眠っている女をかつぎ出した。
「じゃ、あとは頼んだぜ」
 ローズマリーの部屋にその女を横たえ、男は車にのって帰っていった。
 ローズマリーは自分の部屋で眠る女を見てため息をついた。

Prev Page top Next
Title KIEF top