Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第17話 Trick makers

「羽丘ぁ!」
 町外れの古びた建物に怒声が轟いた。
 入り口には『稲城奇術団』という看板がかけられている。
 稲城奇術団。著名なマジシャンである稲城幸太郎が興した奇術団で、稲城幸太郎亡き後もその名を捨てることなく、32年と言う長い歴史を持つ、県内では最高、国内規模で見ても五本の指に入るほどの知名度を誇る奇術団である。
 声をあげたのは神代と言う男だ。この奇術団では若手にはいるが、催眠術の腕は群を抜いている。
 怒鳴られているの羽丘と言う男は、今年大学を出たばかりの新米である。
「まったく、お前はいつもいつも、どうしてそうお人好しなんだよ!まったく、お前みたいな馬鹿正直なお人好しののろまがここにいるんだ!」
 神代は激しい馬声を浴びせつづける。羽丘は黙ってうつむいている。
「いいか、手品ってのは、人を騙すテクニックなんだ。お前みたいなお人好しがなんで人を騙せる?……。チッ、いいからもうあっちに行け!」
 羽丘は追い立てられ、慌てて逃げていった。
 その背中を睨みつける神代。
 チッ、気にいらねぇ。
 あんな、嘘もろくにつけないような奴がなんで……。
 神代はため息をひとつ吐いた。
 なんで、俺よりも才能がありやがるんだ。
 羽丘は、大学時代からマジックのサークルに所属していたと言う。さらにいえば、小学生のころ、学校の前で露店を開いているいかにも胡散臭いオヤジのちゃちな手品を見てから、手品に取り憑かれたらしい。
 小さな頃から手品の本を読み、学校では級友にその腕前を披露する。普段は目立たないおとなしい少年も、ひとたび教壇のステージに立てばクラスのスーパースターになる。
 その感触が、少年時代の羽丘をさらにマジックへと引き寄せていった。
 そして、中学、高校、大学と学校は変わっても、マジックを続けた。青春の、すべての情熱をマジックにささげたのだ。
 そして、この稲城奇術団の門をたたいた。
 最年少の新米だったが、羽丘の才能は認められ、すでにステージにも立っている。奇術団始まって以来の天才とまで謳われた。
 そんな、羽丘の全てが神代は気に入らなかった。
 4年先輩の俺を差し置いて。
 神代も、似たような少年時代を送っていた。神代は催眠術だった。やはり、クラスの仲間に催眠術を自慢げにかけてみせた。
 しかし、最初のうちは面白がった級友たちも、だんだん、彼のことを気味悪がりだした。
 もともと人あたりのいい方ではなかった神代から、友人が一人減り、また一人減る。そのたび、神代の性格は暗くなっていった。
 神代はやがて、催眠術を使って様々な悪事を働く。といっても、高校生の時代の話だ。やることもたかが知れている。
 それでも、そんな彼はやはり嫌われていった。心が荒び、荒れた時期もあった。スーパーの店員を眠らせてレジの金を盗ったことも、女学生を眠らせて悪戯したこともあった。
 大学時代、彼は催眠術を封印した。全てを忘れ、新たな世界にとけこむために。
 催眠術とかけ離れた工業大学を志望したのも、そんな思いからだ。そこで、取り憑かれた様に勉学に励み、主席で卒業した。
 稲城幸太郎の死を知ったのはそんなときだった。
 西洋奇術の先駆者として名を馳せた稲城幸太郎。
 彼の催眠術も、稲城幸太郎の著書から学んだものだ。
 その偉大なマジシャンが、この世を去った。
 その後、彼はこの奇術団の存在を知り、一も二もなく入団を申し込んだ。
 催眠術を志す彼に、稲城幸太郎の残した研究資料はあまりと言えばあまりにもすばらしいものであった。
 あらゆる物を利用した催眠術が、調べつくされていた。水、振り子、宝石、植物、香り、機械にいたるまで。
 狂ったように、その資料を読み漁り、催眠術の星とまで呼ばれるほどに上りつめた。
 何もかもがうまいこといっていたのだ。あの羽丘が入って来るまでは。
 羽丘は、人あたりのいい明るくおとなしい性格で、他の団員からもかわいがられた。
 それに、手品ののみ込みもよい。素質があると、皆が口をそろえて言った。今までもてはやされた神代は、だんだんないがしろにされるようになった。
 テレビなどでは、まだ神代の知名度は高い。だが、この男が世に出れば、神代など忘れられてしまうだろう。また、辛い日々が始まる。
 それが怖かった。忘れ去られてしまう。嫌われてしまう。
 こんな奴のせいで。
 神代はなにかと羽丘に冷たくあたった。他の団員が目をかけている男をである。そうすると、団内での孤立はますます強まった。
 またか、ここでもか。
 身から出た錆とは思わなかった。
 こいつがいなくなれば。こいつさえいなくなれば。俺はまた返り咲ける。
 そう、信じて疑わなかった。

 その、建物の前に一人の女が立っていた。
 ローズマリーだ。
 日も落ち、辺りは夕闇に包まれている。晩秋と言うより、もう初冬と言っていいこの時期、日の落ちるのは早い。
「やれやれ、辛気くさい建物だねぇ。あたいが入るにふさわしくないよ」
 自分のアパートを棚に上げて苦笑を浮かべる。
 そのまま、建物の中に入っていった。
 入り口の近くで掃除をしていた男に訊ねた。
「神代とかいう男に会いたい。会わせてくれないかい?」
 不審そうな顔をしたが、男はその申し出を承諾した。
 部屋に通された。部屋のなかにある机の前に一人の男が座っていた。間違いなく、テレビで見たままの神代である。
「神代忠臣さんだね?」
 神代は、ローズマリーをなめまわすように見た。
「私に、何か?」
 みるからにタチの悪そうな男だ。ローズマリーは嬉しくなった。
「まず、名乗らせてもらおうか。あたいは、怪盗ローズマリーってんだ。聞いたことあるだろ?」
 神代は眉をそびやかした。そして満面の笑みを浮かべた。
「お噂はかねがね。テレビでですがね。で、その怪盗さんが私に何か御用で?」
 世間を騒がせている怪盗を前にしても余裕の神代。
「あんた、あたいがどういう手口で盗むのか、知ってるかい?」
「ええ、ご存じですよ。催眠術をお使いになるとか」
 ローズマリーは話しながら思う。こういう喋り方をする男にろくなのはいないね。いいじゃないか、気に入ったよ。
「まさか、私から催眠術を盗むつもりじゃありませんよね?」
 神代は冗談めかして言う。
「そのまさかさ。ま、後腐れが悪いとなんだから、御教授願いたいってところかしらね。あんた、そういうこと嫌いじゃなさそうな顔してるよ」
 ローズマリーも薄い笑いを浮かべている。
 暫し、無言で見つめあう二人。
 ふと、神代が意味ありげな笑みを浮かべた。
「怪盗ローズマリーさん。私は別に構いませんが、タダというわけにはいきません。おっと、お金のことじゃないですよ。取り引きをしましょう」
「取り引き?」
「あなたの、怪盗としての腕を見込んでお願いがあるのです。つまり、盗んでほしい物があるのです。よろしいですか?」
「せこいヤマならしない、と言いたいところだけど、今回はいいよ。何がお望みだい?」
「私が欲しているわけではないのですが。私の後輩に羽丘と言う男がいるのですが、その男の持っているトリック帳を盗み出して頂きたいのです」
 ローズマリーは不思議に思った。なぜ、仲間の物を?
「トリック帳?そんなものを盗み出してどうするんだい?あんただってここのメンバーなんだろう?」
 神代は笑みを浮かべている。
「まぁ、内輪もめってやつです。盗みだしたトリック帳はお好きにして構いません。彼は優秀なマジシャンですからね。彼のトリック帳なら高く売れるでしょう」
 ローズマリーはしばらく考えてから頷いた。
「いいよ。いいけどさ。あんたも結構性根の曲がった男だねぇ」
 ローズマリーは苦笑しながら言った。
 神代も嬉しそうな顔をした。

 稲城奇術団の宿舎の屋根の上に黒い影が舞い降りた。
 ルシファー。
 先程、この近くを通りがかった時にローズマリーがこの建物に入っていくのを見たのだ。
 そして、大あわてで着替えてきた。
 ローズマリーが何かを盗むつもりなら、黙っているわけにはいかない。
 予告状は出してない。
 こんな古びた建物に何があるのかは知らない。
 しかし、ローズマリーがのうのうと盗みを働くのは気に入らない。邪魔をさせてもらうことにした。

 羽丘は机に向かって新しいトリックを考えていた。
 ここならば、道具がなんでもそろう。大がかりで夢でしかなかったようなトリックも、ここにいれば使える。
 だからこそ、もっと、奇想天外なトリックを、と日夜考えつづけていた。
 分厚いノートもすでに8割方埋まっている。
 すでに30近いトリックのメモがとられていた。どれも、何度も細かい手直しがされている。手直しされるたびに、トリックは完璧に近づいている。
 羽丘には、このノートの価値のことなど、考えも及ばない。自分のマジックに決して自信をもっているわけではないのだ。
 神代にはいつも、鈍い、お前には不向きだ、とどやしつけられている。そんな自分の考えたトリックだからたかが知れている……。そう思っていた。これが、怪盗に狙われるなどとは想像もつかないのだ。
 扉がノックされた。
 返事をし、扉を開ける羽丘。
 目の前には見慣れない女が立っていた。
「あの、どちらさまですか?」
 あどけない笑顔で出迎えた。
 目の前の女も微笑んだ。
「羽丘源一郎君だね?」
「はい、そうですけど」
 女はポケットから袋を出した。
「面白いものを見せてあげよう。トリックの足しにでもなるといいけどね」
 袋から取り出されたきらきらと輝く粉が袋の中に戻っていく。
 それをじっと見つめていた羽丘は、あっという間に眠り込んでしまった。
「悪いねぇ。お兄さん。ふふふ、かわいい顔をしてるじゃないか。あんたも悪い先輩を持ったもんだねぇ」
 眠り込んでいる羽丘の頬に指を添えるローズマリー。
「さてと。トリック帳を頂かないとね。あれかい」
 机の上に置かれたトリック帳を手に取った。ぱらぱらとめくってみる。メモのようなもので、意味の分からない図と単語が乱雑にならんでいるだけで、ローズマリーには何が書かれているのか理解できない。マジシャンの仲間うちでは通用するのだろうか。
「まぁ、こんなもの盗み出したからって、組織じゃ買ってくれないね。こっちの方面にツテでもありゃぁ、別だろうけどさ」
 ローズマリーはため息をもらした。

 廊下で神代にあった。トリックノートを見てあたりを慌てて見回す。
「できれば、早い所退散していただきたいですね。それおいてきてから、また来ていただきたい」
「じゃ、今夜は遅いから明日にでも来るよ。約束を破ったら承知しないよ」
「私が人を欺くような人間にみえます?」
 神代の言葉にローズマリーは困ったような笑みを浮かべた。
「あからさまに怪しいよ。いかにも手品師って感じさ」
「私は手品は苦手なんですがね」
 神代は肩をそびやかした。
 ローズマリーはそのまま踵を返し、宿舎を後にした。

 ローズマリーが外に出ると、星空が広がっていた。
 薄暗い道を歩く。
 街灯の光の中に立った。
 さっき盗んだばかりのトリック帳を見つめる。
 やはり、意味の分からない図やら文字やら……。見てもどうしようもない。
 こんなもの、盗んだからってどうにもなりゃぁしないねぇ。でも捨てるには惜しい。ま、組織にでも頼んで捌いてもらうか。
 その時、トリック帳をを掴む手があることに気付いた。
 黒い手袋。
 ふと顔を上げる。
 見慣れた姿があった。
 ルシファー!
 気づいた時にはローズマリーの手にトリック帳はなかった。
「ああっ、何をするんだい!」
「へー、あんたがこんなの盗むなんて珍しいじゃない。価値のある物なの?」
 慌ててとり返そうとするローズマリー。ルシファーはそれを躱し、大きく飛び退いた。
 ローズマリーはそれを追おうとはしなかった。
「ふん、まぁ、そんなもの盗られても惜しくもなんともないか。持っていっていいから、早くあたいの前から消えな。目ざわりだよ」
 ルシファーにとってローズマリーのこの言葉は意外だった。
「あら?いいの?今日はちょっと変ね、あんた」
「変ってのはなんだい!?せっかく人が気前よくしてやってるってのにさ。催眠術かけてやろうか?」
 袋を構えるローズマリー。
「遠慮しとくわ。……今日のローズマリー、やっぱりなんか変だなぁ」
 ルシファーは大きく飛び上がり、塀に上り、民家の屋根に登った。

 聖華警察の電話のベルが鳴った。木下警部が受話器を取った。
「はい、聖華警察。……盗まれた!?その時の状況を詳しく……。はい、はい……。ふむ、分かりました。今からいきますんで場所を……。分かりました」
 木下警部は受話器を置いき、飛鳥刑事と佐々木刑事のほうに目を向けて言った。
「おい、怪盗だ。ローズマリーの様だ。行くぞ!」
 怪盗と聞いて、二人の顔が緊張した。デスクで書類に向かっていた森中警視も立ち上がる。
 車に飛び乗る4人。
「で、場所は?」
 エンジンをかけながら佐々木刑事が訊ねた。
「稲城奇術団の宿舎だ」
「あのぼろ小屋ですね。いきますよ!」
 一言多い佐々木刑事の言葉を合図に、すごい音を立てて車が発進した。タイヤが空回りする。
「もう少し安全運転できんのかね!?」
 振り回されながら木下警部が叫んだ。
「相手がルシファーなら安全運転で間に合いますが、ローズマリーだと急がないとトンズラしますよ!」
 いいながらもカーブを90キロで曲がる。タイヤがないた。ハンドルを握る佐々木刑事は楽しそうな笑みを浮かべている。木下警部は顔を引きつらせている。が、飛鳥刑事は慣れてきているので、さほどでもない。森中警視はのんびりした顔で窓の外を見ている。
「手遅れだ!1時間も前に逃げている!」
 木下警部が言った。絶叫に近い。ブレーキがかけられ、スピードが落ちた。
「それを早く言ってくださいよ」
「寿命が2年は縮んだな。ふう」
 木下警部は額に浮いた冷や汗を袖でぬぐった。
 その後、安全運転で宿舎にたどり着いた。
 早速、関係者が集められ、事情聴取が始まった。
 その様子を、興味無さそうな顔で見る一人の男。
 神代だ。
 泣きそうな顔で警察の質問に答える羽丘の様子を、無表情で見ていた。
「ローズマリーらしい人物を見た人がいました」
 飛鳥刑事が中年の男性を連れてきた。
「ローズマリーをどこで見ました?」
 佐々木刑事がメモの準備をしながら聞いた。
「えー、私がですね、玄関を掃除していた時に」
「時間は分かります?」
「6時くらいでしたかねぇ……」
「で、何かありましたか?」
「神代に会わせろって言われたので、部屋まで案内しました」
「その神代っていう人は?」
「おい、神代。ちょっと来い」
 壁にもたれ掛かっていた神代がゆっくりと歩いてきた。
「神代さんですね。ローズマリーとは、何か話をしましたか?」
 今度は飛鳥刑事が話を聞く。佐々木刑事は中年男性の方に向き直り、さらに詳しい話を聞いている。
 神代は難しい顔を作り、飛鳥刑事の問いに答えた。
「女性が訪ねてきたのは憶えているのですが、ローズマリーとは知りませんでした」
「まぁ、そうでしょう。で、何を話しましたか?」
「先生のことを聞かれましたね」
「先生と言いますと?」
「稲城幸太郎先生のことですよ」
 メモをとる飛鳥刑事。佐々木刑事は再び羽丘から話を聞いている。
「先生が催眠術の研究もしていたので、その資料が欲しいと言ったのです。もちろん、断わりましたよ」
 涼しい顔で嘘をつく神代。
「詳しいことは分かりませんが、その腹いせなんじゃないですか?今回のことは」
 妙に落ち着いた神代を訝しんだ飛鳥刑事だが、深くは追及しなかった。
「そっちはどうだ?何か分かったか?」
 佐々木刑事が声をかけてきた。
「どうも、ローズマリーは一回追い返されたらしいです。その腹いせなんじゃないかと言う話ですが」
 神代の言った通りのことを言う飛鳥刑事。
「うー、大した話じゃねぇな。こっちもだめだ。なんにも憶えてねぇってよ」
 結局、今回の調査では得るものがなかった。
 諦めて帰る刑事達を見て、神代は微かにほくそ笑んだ。

 パジャマに着替えた映美は、さっき盗んだばかりのノートをベッドの上で広げた。
 ノートの表紙には、『トリックメモ』とかかれていた。
 トリックって何だろう。わくわくしながらノートを開いた映美だが、意味の分からない図や字が並んでいるのを見て、映美は顔をしかめた。
「うわ、学校のノートみたい。しかも数学。やだぁ」
 数学が嫌いだった映美はノートを机のひき出しに押し込んだ。
「ローズマリーがいらないって言ったのも分かるような気がするなぁ。でも、なんでこんなの盗んだんだろう。やっぱり変なの」

 喫茶店に神代が現れた。
「思ったより早かったね」
 ローズマリーが言った。髪型を変えているので、一瞬誰かわからなかった。
「先に来るつもりできたのですが。思ったよりも早かったようですね。マリさん」
 前日のうちに、電話で連絡を取っておいた。明日、この時間にこの喫茶店で落ちあおうと。そして、その時、ローズマリーのことはマリと呼ぶようにと。一応、神代にも偽名を使うか尋ねたが、神代は「どうせ私は顔が知られていますから」と言い、本名で呼ぶようにいわれた。
 神代は、テレビで見る時と変わらないような、あまり趣味のよくない服装で現れた。
「さっそく講釈を聞かせて欲しいんだけど。ここじゃまずいね」
「その必要はないですよ。昨日のうちにあなたの使っている催眠術に関して、すべての資料を集めておきました。これを見ていただければすべて分かります。これ以上のことは、もうこちらでも調べようがありません」
 真新しい封筒に入れられた書類を差し出す神代。
 中身をざっと確認する。
「気を使わせて悪かったね」
「お互い様ですよ」
「実を言うとね、あの帳面、帰り際にルシファーの奴に取り上げられちまってね。あたいが管理できなくなっちまったんだ」
 神代は楽しそうな顔をした。
「おや。天下のマリさんにも強敵がいらっしゃるようですね」
「ああ。まったくだよ。ま、あいつが持ってったんだ、どこに行くかは誰も知らないし、あたいが持っているよりも安全かもね」
「それはありがたい。実を言うと、思ったよりもあのトリック帳が盗まれたのがあいつには効いたらしくて。練習にも身が入らなくなりましたし、追い出せるのも時間の問題でしょう」
 ローズマリーは溜め息をついた。
「結構可愛い後輩さんじゃないのかい?なんでそこまでして追い出そうとするんだい。そこまでしなくてもいいじゃないか」
「情けをかけるものは、生き残れない。弱肉強食の世の中なんですよ、この世界は」
 神代の言葉を聞いて、呆れながらローズマリーは無言のまま席を立った。

 ノックの音がした。組織の男だろう。
「鍵は開いてるよ。入りな」
 入ってきたのはやはり組織の男だった。
「ようローズマリー。何か、また警察が騒いでたが、何か狙ったのか?」
「べつに」
 ローズマリーはつまらなそうに答えた。いいながら、何かに読みふけっている。
「なんだ、お勉強中か?新聞も読まないお前には珍しい」
「余計なお世話だね。それより、何か用かい?」
「この間の宝石が捌けたんでね。報酬を持ってきたんだ」
 男が封筒をさし出した。受け取った封筒には聖徳太子の札のたばが入っている。
「さすがに、ただの宝石は早いね。あれだけあったのにさ」
「足がつきにくいからな」
「宝石といえば」
 ローズマリーはそこまで行って、手に持っている紙に目を戻した。
「今度からさ、宝石の粉集めてくる時は種類ごとに分けてくれないかい?」
「それはかまわねぇけど。何読んでんだ?さっきから。気になるな」
 男が身を乗り出した。
「あたいの使ってる催眠術の詳しい資料だよ。例の奇術団からいただいてきたんだ」
「なるほど、この間の騒ぎはそれか」
「そうだね」
 本当は、ルシファーが絡んでたりしてややこしいが、あまりいろいろ言うと腹が立ってきそうなので、細かいことは言わないに越したことはない。
「宝石ごとに、って言うか宝石の色ごとに効果があるんだってさ。ねぇ、そのうち実験台になっちゃくれないかい?」
 ローズマリーの言葉に腰を上げる男。
「冗談じゃねぇ」
「冗談だよ。そんなにびびらなくてもいいじゃないか」
「びびるよ。で、何ができるんだ?」
「怖がらせたり興奮させたり、幻覚を見せたりできるみたいだね。洗脳ってのもあるね。やってあげようか?」
 にやりと笑って男の方に目を向けるローズマリー。
「遠慮しとくよ。じゃぁな」
 慌てて、逃げる様に男は帰って行った。
「なんだい、冗談だって言ってるのに。あたいが本当にやるとかでも思ってるのかねぇ」
 いささか気分を害されたような顔でローズマリーが呟いた。

 映美は、こっちに来てから仕事を探していた。
 あまりちゃんとした仕事につくと、またあとでややこしいことになるかもしれないので、アルバイト程度のものはないかと探した。
 かなりたくさんあった。スーパーのレジうちから、貴女の魅力を活かして高収入とか言うものまで幅広く。その中から、映美は喫茶店のウェイトレスを選んだ。
 通りに面した、小さな喫茶店だった。
 そんなに客が来るわけでもないが、暇というわけでもない。
 映美はその喫茶店で、午前中働くことにした。
 朝なので、モーニングセットで朝食をすませようというサラリーマンやOLがおおい。
 からんからん。ドアにつけられた小さなベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
 大きくおじぎをする映美。顔を上げ、客を見て心臓が停まりそうになった。
 飛鳥刑事。
 まだちょっと眠そうな顔をしていた。飛鳥刑事は手ごろな席を見つけて腰を降ろした。
 他のウェイトレスはみんな奥に引っ込んでいるので、映美が注文をとりにいかねばならない。
「ご注文は……」
 できるだけ平静にしようとする映美だが、どうしても顔が引きつってしまう。
「モーニングセット」
「モーニングセットですね。かしこまりましたぁ」
 早足で飛鳥刑事から離れる。そして、ほっと一息つく。
 しかし、モーニングセットが出来たら飛鳥刑事に運ばなくてはいけない。
 飛鳥刑事は自宅から持ってきた新聞を広げている。
 この時間はモーニングセットばかりなので、既にトレイにモーニングセットができていた。コーヒー、トースト、サラダ。
 そのトレイを持って飛鳥刑事の席まで運ぶ。
 飛鳥刑事は、あいかわらず新聞を寝ぼけた顔で見ている。
 見出しには、『怪盗ローズマリー、またもあらわる!』と書かれている。
 いやがうえにも映美の緊張は高まる。
 飛鳥刑事の前にモーニングセットのトレイを置いた。
「お待たせしましたぁ」
 1分と待たせたわけでもないが、決まり文句である。
 無言のままトーストに手を伸ばす飛鳥刑事。
 映美はそそくさと去って行った。
「ふーっ」
 物陰に隠れた映美は、額に浮かんだ冷や汗を拭った。
「朝は忙しいけど、9時を過ぎると楽になるから」
 マスターが横から声をかけてきた。思わずびくっとする映美。
「あ、ごめん、驚かせちゃったかな」
 マスターの樋口は、歳は30そこそこといったところだが、口ひげを伸ばしているせいで、10歳は老けて見える。ただ、それでもどことなく愛敬のある、とぼけた顔をしていた。
「いや、まだ慣れないもので。あはははは」
 笑ってごまかす映美。拭ったばかりの額にまた冷や汗が浮かんだ。
 5分ほどして、飛鳥刑事が席を立った。
 レジで会計を済ませ、ドアを開けた。
「ありがとうございましたー」
 飛鳥刑事の背中に向かって、マニュアル通りの言葉を言う映美。
 からんからんと言うベルの音とともにドアが閉まる。
 飛鳥刑事は振り向きもしない。
 映美の中に、寂しさが込み上げてきた。
 気付かれないことにほっとする自分と、気付かれないことにがっかりする自分。
 これから、毎日来るのかな。
 それで、毎日顔を合わせても、いつもこんな調子なのかな。
 気づかれたらどうしよう。
 でも、気づいてくれなかったらどうしよう。
 気付かれるのも、気付かれないのもいやだ。
 葛藤ともいえる複雑な思いが映美の中を過った。

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