Episode 1-『堕天使のラブソング』第13話 Thief hunters
ファンファンファンファン……。
街をパトカーが疾走する。
西山村港の倉庫で強盗事件が起こった。
通報は被害者本人からだった。
犯人は作業中の職員を鈍器で殴り倒し、降ろされたばかりの積み荷を車のトランクに積んで逃走。殴られた職員は、意識は失わずにそのまま公衆電話から通報した。
盗まれた荷は高級なワインだった。木箱につめられた1ダースのワインだ。
港にはすぐにパトカーが到着した。
まもなく通報した職員に対する事情聴取が始まった。
職員は、殴り倒されたあとも意識ははっきりとしており、車や犯人の様子などをよく憶えていた。
車は白の国産車、ナンバーはわからなかったが、車体の横に擦った後があったらしい。
犯人は黒いジャンパーに白っぽい服、ジーンズに履き古された白い運動靴という出で立ちの、やせぎすの割と若い男だったいう。
うす暗い中での犯行だったため、顔まではよく見えなかったというが、これだけ情報があれば犯人はすぐに見つかる。
「手口からして明らかに怪盗じゃないよな。俺達、来なくてもよかったかな」
コンクリートの上に残ったタイヤの後をつぶさに調べている鑑識を横目で見ながら佐々木刑事が言った。
「証言もかなりしっかりしているようですし、そんなに大変な事件にはならなそうですね」
飛鳥刑事はまだ続いている聴取に耳を傾けながら言った。
その時、パトカーの無線に連絡が入った。一番近くにいた木牟田警部が無線機をとり、二言三言会話を交わす。
「どうやら近くで事故が起きたらしい。ここは他に任せて、我々はそちらを見に行こう」
パトカーの後部座席に乗り込む飛鳥刑事と佐々木刑事。急ぎではないので佐々木刑事の荒い運転は要らない。
「事故なんて交通課に任せておけばいいじゃないですか」
佐々木刑事が面倒くさそうにぼやく。
「人手不足だし、近いところにいるんだ。そう言うな」
その言葉を木牟田警部が諌めた。
木牟田警部の運転する覆面パトカーが走り出した。
木牟田警部の安全運転でも、事故の現場まではそう長いことかからなかった。平日の昼下がりなので道が空いている。
すでにやじうまが群がっている。
「通報した方はどなたですか」
木牟田警部がそのやじうまに向かって言った。若い青年がおずおずと歩みでる。
木牟田警部が青年に話を聞こうとしたとき。
「これは……。事故じゃありませんよ!」
飛鳥刑事が言った。
「どういうことかね?」
「見れば分かります」
その状況を見て木牟田警部は息をのんだ。
白と黒の2台の車が衝突している。正面衝突だ。黒い方の車が完全に反対車線に入りこんでいる。
だが、異常なのはそのことではない。
衝突自体はそんなに激しいものではなかった。わずかに車の前部が潰れているだけなのを見てもそれが窺える。
にもかかわらず、白い車の運転席のウィンドウとフロントガラスが割れていた。いや、割られているのだ。
車の壊れ方から見ても、窓が割れるほどの衝撃があったとは思えない。
フロントガラスには3箇所、棒のようなもので外側から叩き割られた形跡があった。
そして、その車の運転席では、ドライバーが頭から血を流し、息絶えていた。
黒い車に、ドライバーはいなかった。
白い車の後ろには急ブレーキの跡がはっきりと残っていたが、黒い車の後にはない。一見して黒い車が故意に白い車の前に飛び出してきたことがわかる。
「これは、殺人事件だ」
佐々木刑事が呟く。木牟田警部も頷いた。
「どうやら、交通課の仕事ではなさそうだ。出向いてきたのは正解だったようだな」
木牟田警部が署に連絡を入れる間に飛鳥刑事と佐々木刑事は状況を確認する。
黒い方の車にはナンバープレートがなかった。はずされている。
白い方の車の窓から被害者を確認する飛鳥刑事。
鈍器で力一杯殴られたようだ。見たところ一撃だけだったが、その一撃が致命傷となったようだ。頭蓋が窪んでいた。
被害者は座席にちゃんと座っている。しかし、座席にいる被害者の頭部をこれほどまでに強く殴ることは普通はできない。車には天井があるのだから。これは、車から身を乗り出したところを殴られたと見てよさそうだ。そして、座席に座りなおさせられた。
被害者の身元を証明するものはないかと、飛鳥刑事は被害者のポケットの財布をとろうとした。
ジーンズのポケットに、黒い革の財布が入っている。飛鳥刑事は、何か頭にひっかるものを感じたが、その財布を手にとり、中身を調べた。
免許証が入っていた。本人のものだった。名前は坂神。住所もすべて書いてある。写真までついているのだ。これ以上確かなものはない。
満足げに頷いて、木牟田警部にこの事を伝えようと振り向きかけた飛鳥刑事は、あることに気がついた。
容疑者は、ジーンズを穿いていた。上はベージュのセーターだ。助手席には黒いものが放り出されていた。ジャンパーらしい。
まさに、先刻の強盗犯そのものの出で立ちだった。飛鳥刑事は被害者の足元に目を落とした。黒ずんだスニーカー。だが、元の色は白だ。
「警部!この被害者はさっきの強盗犯じゃないですか?」
「なんだと!?」
木牟田警部が車に駆け寄ってきた。木牟田警部は被害者の姿を先程聞いた証言を思い出しながら比べてみる。
「おい、トランクを開けてみろ」
木牟田警部の指示で車の後ろに回り込む飛鳥刑事。ちらりと車体を見る。車の横に擦った傷があった。言われた通りにトランクを開けた。トランクには木箱が入っていた。間違いない。港の倉庫にあったものと同じ箱だった。1ダース入りの高級ワインの箱。
その後の調べで、車の中から一枚の紙が見つかった。
血で文字が書かれていた。血は乾いていた。すでに黒っぽく変色している。あらかじめ準備されていたものであろう。
『盗賊に罰を与えよう・Bloody Justice』
それは、犯行声明文であった。
奇妙な事件だった。
坂神の起こした事件には計画性は見られない。
坂神はワインを盗まれた貿易会社に勤めていた男で、仕事を断りもなく休むなど、勤務態度が悪いために3日前にクビにされていた。今回の事件は明らかにその腹いせだった。
実は、この日の積み荷、すなわち高級ワインは、この貿易会社が扱ったここ2、3日の積み荷の中では、割と安い方の積み荷らしい。到着する船の積み荷は、通常は1週間前には既に分かっている。社員ならば全員が読める場所にその荷物の情報が掲示されている。つまり、坂神も向こう1週間に到着する積み荷にどんなものがあるかは知り得たのだ。利益を求めるのならば、もう少し高い物を狙うはずである。
使われた車もマイカーである。さらに、坂神は倉庫の職員にいきなり掴みかかってきたらしい。しかし、職員の方が力は強く、かなわないと見た坂神は、近くにあった扉を押さえるための棒で殴りかかってきたという。凶器さえ用意していなかったのだ。
にもかかわらず、殺人事件の方は計画性がありありと見えた。
車には犯人の物らしい痕跡は何一つなかった。ハンドルにも指紋はない。車も盗難車と判明した。1週間も前に盗まれた車で、色は塗り替えられている。丁寧にも下の塗装まで剥がされていた。
「坂神が犯行を計画する前から犯人は殺人の計画を立てていたってことになるのか」
報告書に目を通しながら佐々木刑事が言った。
「Bloody Justice……。血まみれの正義か。人を殺すことのどこが正義だって言うんだ」
飛鳥刑事も忌々しげに呟く。
「こういう奴は絶対に犯行を繰り返す。やってやろうじゃないか。イカレた偽善者との知恵比べだ」
笑みを浮かべる佐々木刑事の目の奥に光が宿った。
「ねぇ、聞いた?」
渚が映美に話しかけてきた。
「え?何を?」
聞いた、と訊かれても、何を聞いたのかが分からない。
「昨日起こった殺人事件の噂よ。なんでも、なんとかっていう、横文字の名前の犯人がいるんだって」
「Bloody Justiceよ」
瞳が横から口をはさんできた。
「ぶらでぃーじゃすてぃす?」
聞き返す映美。
「なぁに、知らないの?大騒ぎになってるじゃない。テレビ見てないの?」
「うん。昨日は残業から帰ったらすぐ寝ちゃったし、今朝は寝坊してテレビ見てる余裕なかったし」
「ふーん。とにかく、すごいのよ。噂では、泥棒が盗みを計画する前から殺す準備をしてるんですって!」
瞳がどこでそんな噂を仕入れたのか。それは誰にもわからない。
「泥棒を?」
ぎくりとする映美。
「泥棒には天罰を、とかってメモが残されてたんだよね」
渚も妙に詳しい。メモの内容が微妙に違うが。
渚と瞳はその得体の知れない怪人の噂で盛り上がっていたが、映美は底知れぬ不安にかられた。
「またか……」
飛鳥刑事は路上に血まみれで倒れている男の躰の下に一枚のカードを見つけていた。
そのカードを拾いあげた飛鳥刑事はそのカードに書かれた文字を見て呟いたのだ。
昨日の事件と同じ字面だった。
しかし、便乗犯であるということも考えられた。手口が前回とはまるで違う。今度の被害者は刺されていた。しかも計画性というものは見えない。
腹部に細長い棒のようなものが突きたてられていた。先端が削られて尖っている。ごく最近削られたらしい。それが唯一の計画性だ。
救急車が到着し、男は病院に運びこまれた。
空き巣の常習犯だった。せこい盗みを何度も重ね、そのぶん何度も捕まったことのある男だった。
助かる見込みはなかった。内臓が何ヶ所も損傷していたのだ。
「やりてぇことをやって死ぬんだ。諦めろ」
付き添ってきた佐々木刑事が死にかけている男に冷たく言った。
男は脂汗を浮かべながら佐々木刑事を睨んだ。息も荒い。
「死ぬ前に、お前を刺した奴を思い出せ。どんな奴だ?」
「若い、男だった」
男は喘ぎながらかすれた声で言い、むせる。
「あれは、ガキだ」
苦しそうに言う。それっきり黙ってしまった。目を閉じる。息はしているが、途絶え途絶えになっている。
「ガキだと?」
男は答えない。代わりに小さく頷いた。
「どのくらいだ?中学生か?」
首を横に振る。否定。
「高校生か?」
首を縦に振る。肯定。
「間違いないな?」
男は動かない。男はそのまま何も語ることはなく、その生涯を閉じた。
犯人は恐らく高校生の男子。
死にゆく被害者から得られた情報はただそれだけだった。
「昨日も出たんだって、Bloody Justice」
映美は突然後ろから声をかけられびくっとした。瞳だった。
「どうしたの?昨日からびくびくしちゃってさ」
瞳は映美の様子を訝しんだ。
「だって、恐いじゃない」
「でも、狙われるの泥棒だけみたいだし。確かに恐いけどさ」
確かに、瞳たちにはあまり関係はないといってもいい。
しかし、映美は怪盗なのだ、怪盗ルシファーなのだ。もし、そのBloody Justiceという犯人が映美がルシファーであることを何らかの理由で知ったとしたら。他人事では済まないのだ。
映美は底知れぬ恐怖に身を震わせた。
「何なんだい、あの物騒な奴は」
ローズマリーは組織の男にぼやいた。
組織も、ローズマリーが狙われるのではないかと、いつもの男を護衛代わりに送り込んできたのだ。組織にとってローズマリーは上得意である。
「おちおち仕事にも行けやしないよ。まったく」
「お前にしては弱気だな」
ローズマリーの言葉に男はにやけながら言った。こんなときだというのに落ち着き払っている。
「当然だよ。相手は警察みたいな甘っちょろい奴じゃないんだよ?気のふれた殺人狂なんだ、弱気にもなるさ」
苦笑いを浮かべながら肩をすくめるローズマリーに組織の男は楽観的な笑みを向けた。
「ま、こっちも警察みたいな甘っちょろい常識人じゃねぇ。いざとなりゃ、バラしてやるさ、そのイカレた殺人狂をな」
組織の男は懐から拳銃を取り出すと、にやっと笑った。
飛鳥刑事はアパートのドアの鍵穴に鍵を差しこんで回した。かちりと音がして鍵が開いた。
真っ暗な部屋。
ドアを閉めて、電気のスイッチをまさぐった。
その時だった。突然横から何者かが飛びかかってきた。
腕を回され、しがみつかれていた。そのため、腕の自由が利かない。もがく飛鳥刑事。
「誰だ!」
飛鳥刑事は叫んだ。相手は思ったより力が弱い。すぐに振りほどけそうだ。
耳に飛び込んできた微かな声に飛鳥刑事は動きを止めた。今度はその声がはっきりと聞こえた。
「恐いの……」
「ルシファーか?」
「うん」
飛鳥刑事は溜め息をついた。
「Bloody Justiceがか?」
「うん」
「俺達もそいつを追ってる。刑事として、人を殺して正義面している奴を野放しにはできないよ」
ルシファーの腕が緩められた。飛鳥刑事の腕が自由になった。それも僅かの間だった。ルシファーが飛鳥刑事の腕を掴んできた。
「安心しろ、そんな奴は警察が捕まえる。絶対にな」
「うん……。ありがとう」
翌日。中央美術館は昼過ぎから厳重な警備体勢がとられていた。
ルシファーからの予告があったのだ。
狙われているのは先週買い付けられたばかりのモネの絵。
だが、警備が厳重なのはほかにも理由があった。Bloody Justiceだ。怪盗ルシファーからの予告だ。奴が動かないはずがない。
テレビでもこの事はセンセーショナルに取り上げられた。連続窃盗犯殺人事件で騒がれている西山村市で、怪盗が動いたのだ。話題になって当然である。
テレビでは予告状の文面が公開されていた。
『今夜7時に中央美術館よりモネの絵をいただきます。怪盗ルシファー』
予告の内容はワイドショーやニュースで繰り返し伝えられる。
予告の時間は刻一刻と迫っていた。
これだけ騒がれれば、当然、黙っていない人物がもう一人いる。
「こんなときにいい度胸じゃないか」
ローズマリーはにやりと笑った。立ち上がる。
「行くのか?」
組織の男が聞いた。男は昨日から泊まり込んでいる。
「ルシファーが行くんだ、ここで行かなきゃ怪盗の名折れだね。モノもいい物だしね」
「あんな無謀な奴は放っておけばいいじゃねぇか」
「あたいにもプライドってものがあるんだよ」
男は溜め息をついた。
「やれやれ、プライドねぇ」
男も立ち上がった。
「いやでもくっついて行くぜ。こっちも仕事なんだ」
「足を引っ張るんじゃないよ」
「保証はしねぇ。いやならこんなときに行かなきゃいいんだ」
「冗談じゃないよ」
「こっちだって冗談じゃねぇ」
「なんといっても行くと言ったら行くよ」
「やれやれ、強情な女だ。こういう奴と暮らすと苦労するんだろうな」
ローズマリーは男に何かを投げつけた。男は片手で受け止めた。リンゴだった。
男は肩をそびやかし、そのリンゴにかじりついた。
美術館から黒い影が飛び出してきた。ルシファーだ。
その後ろから飛鳥刑事が追いかけて来る。さらにその後ろから警備にあたっていた警官達も続く。
ルシファーが距離を測るように後ろを振り返った。
飛鳥刑事はルシファーを追った。距離は離れない。ルシファーは警官をからかっているようだ。
美術館の周りを一周する。飛鳥刑事は無線で佐々木刑事と頻繁に連絡をとっている。
「先輩、そっちはどうです?」
「今のところ奴らしい姿は見当たらない。そっちは?」
「追いつきそうにありません!」
「最初から期待しちゃいねぇよ」
「それはないでしょう」
「まぁ、怒るな。冷静にな」
「今、ルシファーが美術館の門の前に戻ります!」
その言葉の通り、ルシファーが美術館の前を通り過ぎた。2周目だ。
目の前にはT字路がある。右に曲がるとさっきと同じコースだ。しかし、ルシファーは今度は直進するつもりらしい。道路の左側によっている。
その時だった。横の路地から影が飛び出してきた。
バットのようなものを持っていた。バットを振り上げた。ちらりと顔が見える。若い男。確かに高校生くらいの男だ。
バットが振り下ろされた。
がっ。鈍い音がした。
腕で防がれた。さらなる一撃を繰り出そうと男が振りかぶった。
その男の腹にルシファーのパンチが入った。屈み込んだ男の顎にさらにひざ蹴りが決まる。
男はバットを取り落とした。
「てめぇがBloody Justiceか」
ルシファーが言った。太い声だった。
ルシファーは覆面と頭巾をとった。ルシファーではない。佐々木刑事だった。
「てめぇを捕まえるために一芝居打った甲斐があったってもんだ」
Bloody Justiceは二三歩後退ると、そのまま脱兎のごとく逃げ出した。
「逃がすか!」
佐々木刑事は追いかけた。飛鳥刑事がそれに並ぶ。
Bloody Justiceは角を曲がった。いや、曲がろうとした。しかし、突然跳ね返ったように弾き飛ばされた。
Bloody Justiceを追っていた二人は突然のことに足を止めた。車でも停まっていたのか、とも思った。
その曲がり角から二人の人影が現れた。男と女。
女が起き上がろうとしていたBloody Justiceの頭に蹴りを入れた。その場に伸びるBloody Justice。
「何だい、せっかく出向いてやったってのに。お芝居だったとはねぇ」
女はローズマリーだった。男の方は分からない。黒ずくめの男。
「こういうヤバい奴がうろついてるっていうのに、のこのこ出てくるとはね」
佐々木刑事がローズマリーに言う。
「あんたらがルシファーのフリをしてるから誘われちまったんだよ。全く紛らわしい。こういうことをするんだったら前もって何か言ってほしいものだね」
「言えるかよ。言って欲しかったら電話番号くらい教えろ」
「レディに電話番号なんか聞いて。あんたってのは抜け目ないね。いいからそいつをとっとと捕まえな」
急いで飛鳥刑事はBloody Justiceに手錠を掛けた。
「お前もとっ捕まえてやるぜ」
佐々木刑事はローズマリーに飛び掛かろうとした。しかし、その場で固まった。
横にいる男に銃を向けられていたのだ。
「冗談きついぜ」
手を上げながら言う佐々木刑事。男は表情一つ変えない。
「冗談じゃないさ。この男は本気でやるよ。命が惜しければ大人しくしていることだね」
救いを求めるようにローズマリーのほうに目を向ける佐々木刑事。その目にローズマリーの構える袋が飛び込んできた。
気づいたときには手遅れだった。抗いようのない微睡みが佐々木刑事を襲う。佐々木刑事はそのまま倒れ込んでしまった。
男は銃を飛鳥刑事のほうに向けた。
飛鳥刑事の体に緊張が走る。
「あんたは庸二さンとそのBloody Justiceとかいう殺人狂の面倒を見てればいい」
男に銃を向けさせたままローズマリーは悠然と去って行った。その後を追う男。
男はローズマリーにぼそっと言った。
「あんまりでかいこと言うなよ。俺だってデカなんか撃ちたくねぇ。後が怖ぇからな」
「余計なことを言うんじゃないよ。ハッタリが効かなくなっちまう」
ぼそっと答えるローズマリー。後ろで固まったままの飛鳥刑事の耳には届かなかったようだ。
「うぅ、畜生……」
Bloody Justiceの低い呻き声だけが静寂を乱していた。
Bloody Justiceは捕まった。伊藤という男だった。市内に住む不良だった。高校生だ。
取調室では取調べが始まっていた。
「現行犯で捕まっといてシラを切る気か?」
佐々木刑事は伊藤の胸倉をつかんだ。
「やめてくださいよ。俺じゃないっすよ」
佐々木刑事と目を合わせようともせず、ぶっきらぼうに言った。
「いい加減にしろよな」
佐々木刑事は声を落とした。が、凄味を効かせた声だ。
だが、伊藤は動じない。それどころか不敵な笑みをも浮かべている。
「俺じゃないって言ってるでしょ?俺は怪盗が出るって言うんで警察のお手伝いをしてお手柄で誉められたかっただけっすよ」
「そういうことを考えるツラじゃねぇだろ」
佐々木刑事は舌打ちし、伊藤を睨みつけた。
「人を顔で判断しないでくださいよぉ。そんなことでよくデカが務まるよな」
伊藤に殴りかかろうとする佐々木刑事を飛鳥刑事が押さえつける。
「止めるんじゃねぇよ!こいつは1発ぶん殴らねぇと気が済まねぇ!」
「いやだなぁ、個人的な感情で人に暴力を振るうんですか?」
ねちっこい笑みを浮かべる伊藤に飛鳥刑事が言った。
「お前、その喋り方どうにかしろ。俺達を挑発するな!」
伊藤はだるそうな顔で鼻の下を掻いている。なめきっている。
「ま、いいですよ、そのうち分かるでしょ。俺じゃないってのが」
「それだけ言って、お前の犯行が立証されたらどうなるか……覚悟しておけよ」
飛鳥刑事は吐き捨てるように言った。
気に入らない男だ。
現行犯で捕まっているのに、これだけシラを切るのは何かある。
絶対に洗いざらい吐かせてやる。
あいつのためにも……。
飛鳥刑事の元にルシファーからの予告状が届いた。
今度は本物だ。
前回の予告状は、ルシファーに頼んで書いてもらったものだ。あの晩に。
Bloody Justiceを捕らえるために、飛鳥刑事が一芝居打ったのだ。それならば、別に飛鳥刑事が自分で予告状を書いてもよかったのだが、ルシファーの筆跡であれば、より信憑性が出る。そのおかげで、コピーをテレビに露出させるなどと言った思い切ったこともできるようになった。
内容は、それとまるで同じだった。しかし、Bloody Justiceが逮捕されているためか、文字や文章に元気がある。
「やれやれ、ようやくいつも通りって感じだな」
佐々木刑事がその予告状を見ながら苦笑いを浮かべた。
「飛鳥、この間のはリハーサルだと思っていくぜ。まぁ、あの通りになるとは思えねぇけどな」
Bloody Justiceを誘い出したときと全く同じように警備が敷かれる。もっとも、今度は本当の勝負だ。
モネの絵は壁に掛けられている。他の絵と同じように展示されていた。もっとも、この絵はこの美術館の中でも目玉である。飾り方がやや大仰と言ってもいいくらいだ。
「今度はこの間と違って本物が狙ってくる。気ぃ抜くなよ」
警備している警官に檄を飛ばす佐々木刑事。
その横手飛鳥刑事は辺りの様子をを注意深く探っている。
「もうすぐ7時です!」
飛鳥刑事の一声で当たりに緊張が走る。
無気味なほどの静寂。
再び腕時計で時間を確認する飛鳥刑事。6時59分52秒。もう一度あたりを見回す。奴は7時に来る。もうあと僅か。
ぴっ。
その時、どこからともなく電子音のような音が聞こえてきた。緊張が高まる。来た!
ぴっ。
音はスピーカから聞こえている。全館放送用のスピーカだ。
ぴっ。
なんだ。何が起こるんだ!?
飛鳥刑事はもう一度あたりを見回す。
ぽーん。
「ルシファーが7時をお知らせしまーす♪」
力の抜ける飛鳥刑事。
「7時のニュースでも始めようってのかよ、ルシファーは!」
佐々木刑事が呆れた顔で言った。
「うわああぁぁぁ!」
後ろで悲鳴が上がった。モネの絵のある方だ。
見ると、警備していた警官二人がロープで手足を縛られて立ち尽くしていた。その横で余裕しゃくしゃくで絵を外しにかかっているルシファー。
「待てぇ!」
飛鳥刑事が飛び掛かる。絵を外し終え、さっと身を躱すルシファー。飛鳥刑事は頭から壁に突っ込む。
「痛そー。大丈夫?」
「うるさい!」
涙目でルシファーを睨みつける飛鳥刑事。
「予告状を書いた以上はその品は必ず頂くわ。たとえそれが書かされたものでもねっ」
「そうは言うがちょくちょく失敗してるよなぁ?」
佐々木刑事はとぼけた顔でぼそっと言った。耳ざとく聞きつけたルシファーが怒鳴る。
「余計なお世話よ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに駆けつけた警官が一斉に飛び掛かった。天井に飛びついて躱すルシファー。警官たちはそのまま折り重なって倒れた。その向こうに余裕の面持ちで着地するルシファー。
「逃がすか!」
飛鳥刑事が警官を踏み越えてルシファーに突進する。佐々木刑事もその後を追う。ルシファーは逃げた。
ルシファーはこちらのペースに合わせて走っている。撒こうとはしない。しかし、こうなるとルシファーのほうにはるかに分がある。
美術館の玄関は開け放たれていた。玄関の辺りを警備していた警官たちは、予めルシファーにロープで一まとめにされている。情けない姿である。
ルシファーが玄関から出た。
その刹那。
闇の中に人影が現れた。ルシファーは素早く横に動いた。その横を風を切るような音が走りぬける。
美術館の中から洩れる光に長い物が光った。
刀、だった。
闇の中にギロリとした目が光る。ルシファーのほうにその目が向けられていた。男だと言うのは影の大きさや目の感じで分かる。
ルシファーは何が起こったのか分からず、硬直した。
男が、ルシファーのほうに向き直った。刀が振りかぶられる。
「やめろぉ!」
男に飛鳥刑事が飛び掛かった。怯む男。飛鳥刑事が男を突き飛ばした。男はバランスを崩した。さらに掴み掛かる飛鳥刑事。
その瞬間、飛鳥刑事の左肩に鋭い痛みが走った。
「うっ!」
男の刀の先が飛鳥刑事の左肩に刺さっていた。
横でルシファーが悲鳴を上げた。
痛みを堪えながら男を押さえつける飛鳥刑事。左腕に力が入らない。しかし、刀を持つ腕を押え込んだ。ルシファーのほうに顔を向け、叫ぶ。
「逃げろ!」
ルシファーは首を振っている。
男が飛鳥刑事の腹を膝で蹴った。思わず腕を放す飛鳥刑事。男はルシファーのほうに向かって走り出した。ルシファーは逃げない。僅かに下がるだけだ。
男は動きを止めた。その足を飛鳥刑事が倒れ込みながらも掴んでいる。
「俺に構うな!逃げろ!殺されるぞ!」
ルシファーは、頷き、闇に向かって駆け出した。途中一度振り向き、闇の中に溶けた。
男はそれを見て舌打ちした。そして飛鳥刑事のほうを睨みつけて刀を振りかぶった。
逃げられない。飛鳥刑事は目をつぶった。
その時、横で銃声がした。男が呻き声をあげる。そして刀の落ちる音。飛鳥刑事は目を開き、男を見上げた。
腕を押さえていた。その腕からは血が滴り始めている。
銃声のほうを見た。
佐々木刑事が銃を構えていた。
「ちょこまか動くんじゃねぇよ。狙えねぇじゃねぇか」
佐々木刑事はそう言うと銃をしまった。
取調室に伊藤が呼び出された。
席に着いた伊藤の前に手のひら大のカードが置かれた。そのカードには『盗賊に罰を与えよう・Bloody Justice』と書かれている。
「なんすか、これ?」
伊藤が平然とした顔で言った。
「夕べ、ルシファーに襲いかかって捕まった野郎がそれを持っていた」
伊藤はにやっと笑った。
「だから言ったでしょ?俺じゃないって」
佐々木刑事は伊藤を睨みつけた。
「その捕まった奴が持っていたメモ帳に書かれていた本人の筆跡と、そのカードに書かれている文字の筆跡は明らかに違う」
伊藤の表情が変わった。
「何人いるんだ?お前の仲間は。誰が親玉なんだ?」
「知らねぇよ!なんで俺が知ってるんだよ!俺は関係ねぇって言ってんだろ!」
「昨日の奴にな、俺の後輩が斬られたんだ。刀でな」
佐々木刑事の目が冷たく光った。その目に怯む伊藤。
「どういうことか、分かるか?」
伊藤はかぶりを振った。
「部下が斬られたとなれば、上も黙っちゃいねぇぜ?つまり、この件に関しちゃ、多少やりすぎても上は目を瞑ってくれるってことだ。分かるか?」
佐々木刑事は立ち上がった。
伊藤の顔が明らかに脅える。
「お前、昨日捕まった川口とは同じ不良グループなんだってな」
川口と言われて伊藤の顔が驚愕に歪む。
「お前が失敗したから、川口に回ってきたんじゃないのか?お前が何か言えば、あいつからも話が聞けるはずだ」
「か、関係ねぇよ!」
叫ぶ伊藤の頬に佐々木刑事の拳がめり込んだ。口の中がキレたらしく、伊藤の口元に血が滲む。
「嘘をつくんじゃねぇよ!……。一つ教えてやる、川口に斬られたのはこの間俺と一緒にお前の取調べをしたあの刑事だ。この間みたいに俺を止めてくれる人間はいねぇぜ?……俺には多少やりすぎる悪い癖があってね」
言いながら佐々木刑事は楽しそうに無邪気な笑みを浮かべた。その表情を見た伊藤は、恐怖に身を震わせた。
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