Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第10話 Relation

 ローズマリーは溜め息をついた。
「あたいは返すって言っちまったんだ。なにを出し渋ってんだい?」
 愚痴の相手は、組織の男。男はいつものように上がりかまちに腰をかけていた。
「しょうがねぇだろ。こっちにだって都合ってもんがある。返せといわれてもそう簡単に返すわけにはいかねぇ」
 ローズマリーは、組織に預けていた西川小百合を返してほしいと願い出たが、突っぱねられた。
「都合ってなんだい?あんな小娘一人、預かってる方が面倒だって言ってたじゃないか」
「ああ。だが、ちょっと事情が変わってな。平たく言えば、利用価値ができたってことだ。それが済むまでは返せねぇ」
「利用価値?」
「それについては詳しくは言えねぇ。深入りはするなよ」
「何に使う気かは知らないが、ろくなことをしそうにないね。……とっとと片付けてくれれば早く返せるってんなら、何か手伝えることがあればいいんだけど」
「……そうだな。実は、あんたとまったく無関係という話でもないんだ。あんた、催眠術を本で学んだって話をしていたが、その著者のマジシャンについて調べたら面白いことが分かってな。彼についての詳しい資料をかき集めてるんだ」
「稲城幸太郎のことかい?何が分かったのさ」
「その稲城って男の催眠術の凄ささ。稲城が使った催眠術が本物なら、その催眠術をモノに出来ればストーンにとって大きな力になる」
「稲城の催眠術は本物さ。本を読んで真似しただけのあたいの催眠術でさえ、あれだけ効くんだよ?」
「ああ。だが、もっととんでもないことが出来るという資料にあたってな。ただ、それが本当かどうかは眉唾物だって話さ」
「なんだい?とんでもないことってのは」
「言っちまっていいのかな。……記憶の操作さ」
 催眠術でそんなことまで出来るのか、とローズマリーは思う。
「催眠術ってのは眠らせるのはもちろんだが、相手に暗示をかけて操ったり出来るだろ。その応用で、暗示で被術者の記憶まで操っちまうらしい。暗示が解けるまで、本人は別人だと思いこんじまう」
「……なるほど。やりたいことは見えてきたね」
「やっぱり喋りすぎたか……」
「細かいことまでは詮索しないけど、稲城の催眠術の話なら興味がある。調べるの、手伝ってやってもいいよ」
「そうか。そう言うことなら頼んじまおうか。ただ、俺が唆したって話はばらすなよ。あくまで自分で勝手に調べたのを俺に教えたってことにしてくれ」
「ああ。いいよ」
 稲城の催眠術。確かに、ローズマリーも眠らせるだけでは芸がないと思っていたところだ。組織の野暮用とやらをとっとと終わらせてもらうためにも、そして自分のためにも、調べてみる価値がある。
「で、ルシファーのほうの調べはついたのかい?」
 話が付いた所で話を変えた。ローズマリーの目がいっそう険しくなる。
「いや、まだだ。でも確実にデータが出てきている。相手もなかなかでな。盗んだものをどこに流してるのかがぜんぜんわからねぇ」
「本当はあんたのところの客だってんじゃないだろうねぇ?」
 じとーっとした目を向けるローズマリー。男は一笑に付した。
「おいおい、そりゃぁねぇ。ま、その辺は安心しろ。ルシファーの盗むものは安物も混じってるからな。そんな奴とは取り引きしねぇよ」
「あたいももう警察に出入りしてないし、ルシファーのことは調べられない。だからあんたの所が頼りなんだよ」
「やれやれ、一番の稼ぎ頭だけあって、わがままも一番だな」
 男が呆れたように言った。ローズマリーは男を部屋から追い出した。
「まったく、頼りになるんだか、ならないんだか、分からないねぇ。あの組織は」

 その日の午後、ローズマリーの部屋の電話のベルが鳴った。
 ローズマリーに電話をかける者はごく少ない。
 組織の男だった。
 電話と言うことは、そんなに重要な話ではないということだ。
「なんだい?」
 だるそうに電話に出るローズマリー。だが、男の言葉を聞いて表情が変わった。
「そうかい、ルシファーが……。場所はどこだい?」
 警察が動いている。ルシファーが現われるようだ。
 短い通話だった。二言三言言葉を交わしただけ。
 しかしそれだけでも十分だ。
 ルシファーが現われる。
 ローズマリーの口元に笑みが浮かんだ。
 いやらしい笑みだった。

 照明が落ちた。
 ルシファーが来たのだ。
 警備にあたった警官たちの表情に緊張が走った。
 飛鳥刑事は戸棚の前に立った。この中にはルシファーが狙っている金のブローチがしまわれている。いつかの図書館の事件の時のように、この場所に立っていればルシファーは手が出せないはずだ。
 懐中電灯の明りが一斉にあたりを照らした。今回は警官一人につき一本ずつ懐中電灯を持たせている。
 その光を恐れる様子もなく、堂々とルシファーが降り立った。
 一斉に飛びかかる警官たち。
 しかし、ルシファーは突っ込んで来る警官たちをあっさりとかわす。ぶつかり合い、折り重なる警官たち。
 それを見た佐々木刑事は額に手を当てた。
「おいおいおい、頼むよ……。お前ら、本当に試験受けて警官になったのか?」
 気を取り直して持ってきた道具を構える佐々木刑事。
「なぁに、それ」
 それを見てルシファーは呆れたような声を出した。
 それは、虫取り網だった。
「ねぇ、もしかしてバカにしてる?」
「お前だって俺達のことバカにしてるんじゃねぇか?お互い様さ」
 佐々木刑事の虫取り網が振り下ろされた。さっとかわすルシファー。しかし、すれすれのところだ。
 ルシファーが着地したところに、虫取り網の一撃が来る。ルシファーは腕で払う。
 虫取り網も、長くて軽いので侮れない。立て続けに来る佐々木刑事の攻撃に、ルシファーは壁際に追いつめられた。
「なによぉ、あたしはゴキブリじゃないんだからね!」
「ゴキブリなんか捕まえたくもねぇ。まぁ、真っ黒ってのはゴキブリと同じかもな」
「あーっ、ひっどーい!」
「いやならカマドウマってのはどうだ?飛び跳ねてるのはぴったりかも」
 いいながら、虫取り網を振り下ろす。
「いやな虫ばっかりじゃない!もっとかわいい喩えはないの?」
 すんでのところで躱すルシファー。そのまま佐々木刑事の頭を飛び越えた。
「黒じゃねぇ。派手な色にしたらどうだ?緑ならバッタくらいにはなるぜ?」
 振り返りざまに虫取り網を振り下ろす佐々木刑事。
「きゃっ」
 かかった!ルシファーの頭が網にかかった。
 が。
 佐々木刑事の力で振り回しまくった虫取り網は、網の部分がすっぽりととれてしまった。佐々木刑事が握っているのは、ただの竹の棒だ。
 ルシファーは飛び退いて頭の網を取った。目を開くと佐々木刑事が目の前に迫っている。それを軽くいなすが、佐々木刑事はしつこい。何度も迫って来る。しかし、今度はルシファーのほうが有利だ。
「えへへ、こっちだよ♪」
 完全に余裕のルシファー。
「くっそー、バカにしてるじゃねぇか!これだから虫取り網でも持ってこねぇとやってらんねぇんだよ!」
 佐々木刑事はルシファーに弄ばれている。
 そして。
「網っていうのはこう使うのよ」
 ルシファーは懐から投網を出して投げた。その網に佐々木刑事は包まれてしまった。
「うわっ!」
 もがく佐々木刑事。しかし、もがいても網がからまって動けなくなるだけだ。
「あとは……」
 ルシファーの視線が飛鳥刑事に向く。身を緊張させる飛鳥刑事。
「俺はなにがあってもここをどかないからな!」
「なにがあっても?」
「う……」
 ルシファーの悪戯めいた笑みに思わず後退る飛鳥刑事。
「変なことはしないよ。近づいたら捕まっちゃうもん」
 と言いながら、ポケットに手を入れるルシファー。
 ポケットから出てきたのは水鉄砲。
 その水鉄砲を飛鳥刑事の顔に向けて撃つ。
「やめ、やめろ、ぷはっ、げほっ」
 中身は、水ではない。よりにもよって酢である。むせる飛鳥刑事。
「やめてくれぇ!」
 涙目でルシファーを睨みつける飛鳥刑事。が、さっきまでいたはずのそこに、ルシファーはいない。
 そのことに気付くと同時に、横から突き飛ばされた。
「何しやがる!」
 飛鳥刑事は体勢を立て直し、ルシファーに飛びかかった。がん。ルシファーが開けた戸棚の戸に額をぶつけた。
「きゃ、大丈夫?」
「うるさいやい!」
 言いながらうずくまる飛鳥刑事。
「ごめんね。予告の品、いただきましたぁ。じゃぁね!」
 ルシファーは窓を開け、外に出た。窓をあけた瞬間、風が吹き抜けていった。

 窓が開かれた。そして、そこから黒い影が飛び出した。流星のように長い髪をなびかせながら地面に降り立つ。
 来たね!
 ローズマリーは急いで駆け寄った。
 着地したルシファーはその姿に気付く。
「ローズマリー!?」
 ローズマリーの飛び蹴りが繰り出された。急とはいえ、余裕でかわすルシファー。
「なんであんたがここにいるのよ!」
「どうでもいいじゃないか」
 ルシファーはローズマリーを睨みつけた。
 が、それがいけなかった。ローズマリーは宝石の粉の入った袋を構えていた。袋から掌に舞い落ちる輝く色とりどりの粉。
 慌てて目をそらそうとするルシファー。が、すでに体が言うことを聞かない。
「ルシファー。お前は何者なんだい?教えてごらん?」
 気味の悪いほどやさしい声だ。
 ローズマリーの問いに答えようと、ルシファーの唇が動いた。
 その時。
「いたっ!」
「ローズマリーもいるぞ!」
 警官が辺りを探しに来たのだ。
「チッ、これからいいところだってのに、気が利かないねぇ、男ってのは……」
 忌々しげに吐き捨てるようにいうローズマリー。
 まぁいい。このままあたいが逃げればルシファーは捕まる。ざまぁみろだ。
 背中を向け、逃げ出すローズマリー。が。後ろからも警官が現われた。声を聞きつけ駆けつけたのだ。
 すでに地面に倒れ込んでいるルシファーには目もくれずに、4人の警官がローズマリーを挟むように向かってきた。
「仕方ないね!」
 ローズマリーは前から向かってきた警官の顔面に飛び蹴りを放った。そしてその警官と一緒に来たもう一人の警官の襟を掴んで後ろから向かって来る警官めがけて投げた。頭同志がぶつかり合って鈍い音を立てた。それに怯んだ最後の一人の腹部に拳をたたき込んむ。突き出したあごに向けてもう一発。4人の警官はたちまちのうちに伸ばされてしまった。
「あーあ、みんな伸びちまったか。ついついやりすぎるのがあたいの悪いくせだね」
 ルシファーに歩み寄り、その顔を見下ろすローズマリー。
「こっちも完全に寝ちまったか。あーあ、今回は失敗だね」
 と言いながら、ルシファーの手からブローチを奪った。
「まぁ、安いもんじゃないけど高いもんでもないねぇ。でも一応もらっとくよ」
 そして、ルシファーの顔をじっと見つめるローズマリー。
「ふふん、結構かわいい寝顔をしてるじゃないか……おっと、何を言ってるんだろ、あたいは」
 ローズマリーはその場を後にした。とりあえず、今回はルシファーからブローチが奪えただけでよしとするか。

「おい、お前、まさか今ここで日頃の怨みを晴らそうとか思ってるんじゃないだろうな」
 ナイフを手持つ飛鳥刑事に佐々木刑事は言った。
「そんなわけないでしょ」
 飛鳥刑事は佐々木刑事を網から出そうと思っているのだが、手で切れそうな網でもないし、佐々木刑事がもがき回ったために解こうにも解けないほどからまっている。
 部屋を見回すとナイフがあったので、そのナイフで網を切ることにしたのだが。
「あ、手が」
「うわああぁ!た、頼むぜ、おい」

 ルシファーは目覚めた。道のどまんなかである。
 なんでこんなところに寝てるんだろう。思い出してみて、はっとする。
 ローズマリー!
 慌てて辺りを見回した。ローズマリーの姿はないが、警官の姿が目にはいり、慌てて飛び退く。が、全員気絶しているようだ。鼻血を流しているものもいる。
 ローズマリーの仕業ね。
 そう考えて、ルシファーはさっきのことを思い出した。
 催眠が浅かった上、途中で中断されたので、僅かにだが催眠をかけられた時のことを憶えていた。
 ローズマリーはあたしのことを聞こうとした。
 ローズマリーの言葉が思い出される。
『ルシファー。お前は何者なんだい?教えてごらん?』
 ルシファーはそれに答えようとした。いや、答えたのだ。消え入るような声で。
 本当の名前を口に出したのだ。
 幸いにも警官に邪魔されてローズマリーはその呟きを聞き逃していた。
 が、ルシファーにはそんなことは知る由もない。
 ローズマリーに名前を知られた。
 背筋が凍る思いがした。
 警察に通報されるのか。
 それとも、もっと恐ろしいことになるのか。
 ルシファーは身を震わせた。

 日曜日。
 西山村署の電話がなった。木牟田警部が受話器を取った。
「はい、西山村署。え?……怪盗!?」
 怪盗の言葉に反応する飛鳥刑事と佐々木刑事。
「予告無しで出るのはローズマリーだな!」
 ダッシュで車に飛び乗る。無線で場所を聞き、直行する。
 襲われたのは時計店だった。外国産の高級な時計も多数売られている。ローズマリーは安物には手を出さないだろう。狙うのはその高級な時計。
 刑事たちが店についた時には、すでにショーケースが割られ、店員や警備員が全員眠らされていた。
「案の定か。どう見てもローズマリーの手口だな」
 佐々木刑事が店の様子を見回して言った。
 飛鳥刑事も倣って辺りを見回す。床に赤い布の端切れのようなものが落ちているのに気付いた。
 拾い上げてみた。細いリボンだった。

 刑事たちが駆けつける前。
 ローズマリーが店の中に入ってきた。店の従業員はローズマリーの顔を知らない。知らなければただの客と思うだけだ。
 普通に応対する店員。ローズマリーは店に置かれている時計を一つ一つ、丹念に見ていった。
 しかも、高いものを中心に。
 シルクのワンピースに外国産のハイヒール。趣味のいいアクセサリー。いかにも裕福そうななりをした客である。高いものを買ってくれそうだ。
 店員の対応にも気合いがはいる。
「いいものが結構あるねぇ。どれも欲しいくらいだね」
 ローズマリーの一言で店員達の機嫌もよくなった。店長も出てきてみずから応対に当たる。
「どれがお気に入りましたか?」
「そうだねぇ、あれも、あれも欲しいねぇ。全部もらっておこうかしら」
「えっ?」
 店長を含めて店員達はローズマリーに注目している。その目に、ローズマリーが素早く取り出した袋からこぼれ落ちる宝石の粉が映る。
 全員、あっという間に眠り込んでしまった。
 薄笑いを浮かべながら、欲しいと言った時計を片っ端からハンドバッグにに詰め込むローズマリー。
 その時、入り口が開けられた。
 客か。
 ローズマリーは柱の影に身を潜めた。
 若い女だ。青いジャケットにスカート、長い髪は首の辺りで縛ってある。
 ローズマリーはその女を知っているような気がした。が、誰か思い出せない。
 女が立ち止まった。店員が全員眠っているのだから当然と言えば当然だ。
「これは……」
 女が呟いた。
「これはローズマリーの手口……」
 それを聞いたローズマリーは、一瞬驚いたが、眠らせるのが自分の手口だと言うことはさんざん報道されているから知っていても不思議はない。さらに、ローズマリーはあることに気がついて笑みを浮かべた。
「御名答だね」
 柱の影から現われたローズマリーの姿を見て女の顔が緊張する。その女に向かってローズマリーはいった。
「さすがは、ルシファーさんだ……」
 映美ははびくっと身をすくませた。
 普段の姿を見られてしまった。
 会社の服でないのがせめてもの救いとはいえ、髪を縛っているのがローズマリーに知られてしまった。もう、この髪型では町を歩けない。
 しかし、髪型を変えてだめならば髪を切ると言う手もある。
 まだ追いつめられたわけではない。
「奇遇ね……」
 映美はローズマリーに向かって言った。
「まさかプライベートで会うとは思ってなかったわ」
 ローズマリーは笑った。
「こっちもいい機会だ。この間聞きそびれたお前の正体、教えてもらおう」
 ローズマリーが袋を取り出した。
 はっとする映美。聞きそびれた?と言うことは、あたしの名前は聞かれていなかったのだ。
 映美はほっとした。ならば、長居は不要だ。
 映美は逃げようとした。が、その腕をローズマリーが掴んだ。
 髪を縛っていた片方のリボンが解けて落ちた。映美の髪が広がる。
「おっと、逃がしはしないよ。聞きたいことがあるって言っただろ?」
 もがく映美。だが、ローズマリーの力は強い。振りほどけない。
 その時、店の入り口が開いた。客が来た。映美は叫ぶ。
「警察を読んで!ローズマリーよっ!」
 客は驚いたが、頷いて駆けだした。電話は店のすぐ横にある。
「チッ、ついてないね」
 ローズマリーは映美の手を離すと、慌ててショーケースにあった高い時計をかき集めた。
 映美はその一つを奪うと駆け出した。
「こらっ!泥棒!」
 自分も泥棒なのだが、そんなことおかまいなしで罵声を浴びせるローズマリー。
「まったく、セコい泥棒だね、あいつは!」
 腹立たしげに店の裏手のドアを開けるローズマリー。裏口から出て狭い路地に出た。ここまでは警察もそうそう追ってこないだろう。
 やがて、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 聞き込みではローズマリーを目撃したのは店員と、通報した男性だけだった。
 通報した男性によると、店の中でローズマリーに襲われていた女性がいたはずだが、通報している最中に店から逃れ、そのままどこかに走り去ってしまったという。
 ローズマリーは裏口から逃げたらしく、閉められているはずの裏口の鍵が開いていた。
 狭く入り組んだ路地だ。探すのは絶望的である。
「今回は顔も拝ませてくれなかったな、ローズマリーの奴」
 佐々木刑事が言った。
「そうですね」
「つまんねぇなぁ、荒らされた跡の家捜しなんてよ。なにか見つけたか?」
「これが落ちてましたが」
 飛鳥刑事はさっき拾ったリボンを見せた。
「多分こりゃぁ、襲われてた女のリボンだろ。通報した兄ちゃんがいってただろ、出てきた時は髪が解けてたって」
 佐々木刑事はつまらなそうに言った。
「ローズマリーの奴、たまにしかでねぇのによ。顔ぐらい見せてくれてもいいじゃねぇか」
「なんでですか?まさか先輩、ローズマリーに気があるんじゃ……」
 飛鳥刑事は佐々木刑事に突っ込んだ。
「ルシファーは先約がいて、手を出すと妬く奴がいるからなぁ」
「なななななんですかそれっ!」
 切り返されてしまった。

「おはよー、映美。あ、髪型変えたんだぁ」
 渚が寄ってきた。
「変えたって言っても、二つに分けてたのをひとつにまとめただけだけど」
 映美はリボンの色を赤から青に変えて、まとめ方も二つではなく一つにしたのだ。
「おはよう、映美、渚。あーあ、頭セットできなかった」
 瞳も来たが、映美の髪型には気付かないのか、関心がないのか、ふれてはこない。むしろ、瞳の乱れ放題の頭のほうが気になる。化粧もしてない。
「ちょっと整えて来るわ。ねぇ、ブラシか櫛持ってない?」
 瞳がブラシを出した。
「悪いね。じゃ」
 瞳は駆け出した。
「うわああぁぁ!」
 瞳は入り口で課長とばったり会った。課長が瞳の顔を見て大声を出した。
「失礼ねっ!」
 当然、烈火の如く怒る瞳。
 その後、瞳の機嫌が悪くなってしまった。課長は瞳が近くに来るたびに身を竦めていた。

 夜中の3時を回っていた。しかし、飛鳥刑事は眠ることができなかった。
 うとうととしかかると、あの音が聞こえるのだ。
 吸血鬼の羽音。
 ぷーん。
 もう秋だと言うのに、蚊が飛び回っている。
 ぺしっ。
 月明かりに手をかざしてみた。
 手に血がついている。そして、蚊も。
 やっと、落ち着ける。
 飛鳥刑事はティッシュで血と蚊を拭い去ると、再び眠ろうとした。
 かたかた。
 今度は天井裏である。ネズミだろう。飛鳥刑事は無視した。が、無視できない事態になった。
 とっ。何かが落ちたような音がして、飛鳥刑事は飛び起きた。
「きゃっ」
「うわっ!」
 同時に声をあげた。
 天井裏から、ルシファーが降りてきたのだった。
「な、なんで起きてるの!?」
「そんなの勝手だろ?それよりここは俺の部屋だぞ!勝手に入るな!」
「だって、入っていいかなんて聞けないじゃない」
「う、ま、まぁ確かに。……とにかくなんの用だ!?」
「これ」
 飛鳥刑事のほうに紙が投げられた。暗くてなにが書いてあるのかまでは読めないが、予想はつく。
「予告状か!」
「当たりー。本当は冷蔵庫にでも貼っておこうかと思ったんだけど。ちょっと残念。あとででいいから読んどいてね」
 ルシファーは天井に飛び上がろうとしたが、やめて玄関から出ることにした。
「おい、まて」
 玄関のルシファーに声をかけた。
「なによ」
「お前、この間、時計屋でリボン落とさなかったか?」
 ルシファーは何も答えないが、反応で分かる。
「やっぱりお前か」
 鼓動が激しくなった。思わず目を閉じ、身を竦ませる。顔の血の気が引くのが分かる。
 5秒ほどの沈黙。それがとても長い時間に感じられた。
「俺が預かってる。なんの証拠にもならないって言ってたし、返すよ」
 少し落ち着いた。
「もう、使わないからいいよ。あげる」
「いや、あげると言われても。おい」
 ルシファーは逃げるように出て行った。
 20メートルほど走った。そして、その場でへたり込んだ。
 冷や汗が出ていた。少しめまいもする。
 よくよく考えれば、リボンだけではなにも分からないというのは分かる。まして、あのリボンはまとめて買ったものを少しずつ切って使っているもので、その日の朝に新しく用意したものだ。指紋ぐらいは残っているかもしれないが、たいした証拠にはなりえないものだ。
 まだ、胸の高鳴りが押さえられなかった。
 苦しい。
 落ち着くまで、暗い道端で空を眺めていた。
 街の灯でかすんではいたが、満点の星空だった。

「今日は時計か。ふーん、いいものが揃ってるな。時計ってのはさばきやすいんだ。同じものが腐るほど出回ってるからな。盗品だと気づかれにくい」
 組織の男が言った。
「でもよ。値段はあんまり高くならねぇな。機械モノはさ。新しいと定価以上には絶対にならねぇし。ま、ものがいいから高く売れると思うけどよ」
「ま、いいさ。儲かれば。数はたっぷり持って来てあるんだ。それなりの金額にはなるだろ」
「ああ」
 男はタバコに火をつけた。ポケットから携帯灰皿を出す。
「それにしても、お前もこの街長ぇよな。こんなに居座ったの、始めてじゃねぇか?」
 ローズマリーが西山村市に来たのは4月のこと。それが、今はもう9月になろうとしている。4ヶ月以上いることになるのだ。
 ローズマリーは自嘲気味に言った。
「あいつがいるから、離れられないのさ。とっとと決着を着けてこの街ともおさらばするつもりだったけどさ」
「お前の惚れたデカか?」
「殴られたいかい?ルシファーに決まってるだろう?」
 椅子にかけていたローズマリーが立ち上がったので男も慌ててたちあがった。
「冗談に決まってるだろ。分かってるってば」
 ローズマリーは疑わしげな目で男を見た。立ったついでに冷蔵庫からコーラの缶を出して開けた。
「ルシファーと言えば、この間の仕事の最中にルシファーに会ったよ」
 話が変わったので男は緊張を解いた。
「いつものことだろ」
「でも、今回はあいつはプライベートだったみたいだね」
「プライベート?男付きか?」
 ローズマリーの目つきが変わった。それに気付いた男はそそくさと部屋を出ようとする。
「何言ってるんだい!まったく、男ってのはすぐそういうことを……」
 外に出た男がひょっこりとにやけた顔をのぞかせた。
「妬いてるのか?」
 ローズマリーはテーブルの上に置いてあったコーラの缶を投げた。
「妬いてないよ!違うって言っただろうに!あーもー、まったく!」
「おお、怖い怖い」
 男はそそくさと逃げだした。

 ルシファーの手には大きなカメオのついたネックレスが握られていた。
 今日の仕事もうまくいった。
 後ろを振り返ると、飛鳥刑事の運転する車が見えた。
 屋根の上に身を潜めた。
 車が近づいて来る。
 ルシファーは、その車の屋根に飛び降りた。
 飛鳥刑事は突然頭の上で音がしたので、車を停めた。
 ドアを開けて身を乗り出そうとした時。
「刑事さん♪」
 頭の上から声がした。恐る恐る振り返る。案の定、そこにはルシファーがいた。
「こら!なんのつもりだ!」
 車から飛び降りた飛鳥刑事は車の屋根の上にいるルシファーに向かい手を伸ばした。
 ルシファーはひょいと後ずさりした。それだけで飛鳥刑事の手はルシファーに届かなくなる。
 車の反対側に回り手を出す飛鳥刑事だが、同じようにして逃げられてしまう。
「ねぇ、刑事さん。この間のリボン、まだ持ってる?」
 いきなり言われたのでしばらく考える飛鳥刑事。
「あ、ああ。うちにだけど」
「それだけ聞きたかったの。じゃあね。おやすみ、刑事さん!」
 ルシファーはそのまま塀に飛び上がり、屋根の上を飛びながら去って行った。
 その後ろ姿をきょとんとした顔で見送る飛鳥刑事。
「なんだろ……?」

 映美は家に帰ってすぐにシャワーを浴びた。9月とはいえ、まだ残暑も厳しく、夜も蒸す。仕事が終わったあとは汗でべとべとになる。もちろん、昼間の仕事のことではない。夜の仕事だ。
 生乾きの髪をタオルでふきながらベッドに腰かけた。いつものようにジャスミンティーをカップに注いですする。
 カップを置いてベッドに横たわる。天井を見つめながら一息ついた。
 しばらくそのままぼーっとする。だんだん微睡みが押し寄せて来る。でも、眠れないかもしれなかった。
 起き上がり、机の引き出しを開けた。
 下敷きやペンに混じって、布の端切れが入っていた。
 あの日つけていたリボンの片方だ。
 もう片方を、飛鳥刑事が持っていてくれる。
 いつまで持っているか分からないとはいえ、それが映美には嬉しかった。

Prev Page top Next
Title KIEF top