Episode 1-『堕天使のラブソング』第9話 柳警部補、ピンチ
「くそっ、どこに行った!?」
まただ、完全に見失った。
佐々木刑事はあたりを見回すが、それらしい姿は見えない。
「ま、飛鳥に任せておくか。ルシファーに関しちゃ、あいつのほうが相性がいいみたいだしな」
スーツの乱れを直し、来た道を引き返す佐々木刑事。
一方、飛鳥刑事はルシファーの影を追っていた。
道路に降りてきたルシファーをひたすら走って追う。
影は闇にまぎれて朧にしかみえない。このまま、後れをとれば黒い衣のルシファーはいとも容易く闇に溶けてしまうだろう。そうなれば、見失うのは目に見えている。
ひたすら走った。前にはT字路がある。右に曲がるか、左に曲がるか。せめてそのくらいは見届けなければ。
だが、そのルシファーは、逃げる方向に迷ったのか、分岐点で動きを止めた。
しめた、今のうちに距離を狭められる。スピードを落とさずに、ルシファーの影に迫る飛鳥刑事。
まだ逃げない。
飛鳥刑事の胸に、違和感が生じた。なぜ逃げない?また屋根の上にでも登るつもりか?
ルシファーの姿がはっきり見えるようになった。が、それを目の当たりにして愕然となる飛鳥刑事。
それはルシファーではなかった。人間でさえなかった。黒い人形に車輪がついたものだった。
ダミーだ。
こんなもののために、俺は全力疾走までしたのか。
飛鳥刑事はがっくりと肩を落とした。
結局、今回は予告通りに盗まれてしまった。
とぼとぼと夜道を歩く影があった。飛鳥刑事だ。アパートの駐車場は、アパートから遠くはないが、近くもない。
今日はとっとと風呂にでも入って寝ることにした。
アパートに戻り、風呂桶を手に再びアパートをでる。
銭湯は歩いて5分程度の場所にある。古い、今にもつぶれそうな銭湯だ。だが、値段もそれ相応に安く、飛鳥刑事の安月給でも毎日通える程度の値段だ。
番台の親父にポケットから小銭を出して手渡す。
銭湯はそんなに混んではいないが、空いてもいない。客層的には、老人か若い人がほとんどである。その辺は今日も例外ではない。
桶から石けんを取り出す。タオルは入れたまま湯を桶にため、タオルで顔を洗った。残った湯を体にかける。
タオルをひざの上に起き、再び桶にお湯をためる。
その時、飛鳥刑事は異常に気づいてお湯を止めた。桶の底に何かが書かれている。
薬の名前の入った桶はあるが、そういったものでないことは一目で分かる。確かに、自分の使いなれた桶だ。それに文字が細かい。
波立った水面が静まり、文字がはっきり読めるようになった。
『22日の夜、市立図書館からヘミングウェイの初版本をいただきまーす。湯冷めして風邪ひかないようにね。怪盗ルシファー』
「うわぁ!」
飛鳥刑事の出した声には、何重ものエコーがかかった。
「で、これがルシファーからの予告状か。って、なんでこんなものに書いてあるんだよ」
佐々木刑事が桶を覗きこみながら言った。
「さぁ?それはこっちのセリフですよ」
「お前、ちゃんとドアに鍵掛けて来てるのか?」
佐々木刑事は桶を机においた。
「当然ですよ」
「怪盗にかかっちゃぁ、鍵なんかないに等しいってわけか。それより、他に盗まれたものはないか?」
「いえ。特にないみたいです。まぁ、盗むものなんてないですからね」
「人の家に忍び込んでおいて、何もとらないとは変わった泥棒だな。ま、怪盗だからせこいヤマは踏まないか。それより、対策を練らなきゃな。またあっさりと盗まれたんじゃ俺たちの信用もなくなるしな」
作戦会議はすぐに始められた。
図書館に連絡をとり、職員が招かれた。
職員の説明に寄り、図書館の見取り図が作られ、初版本の展示されているケースの位置が示される。
職員の持ってきた資料には、通風口などの細かい構造まで書かれた設計図もあった。これならば作戦も立てやすい。
「とにかく、本は閉館とともに金庫にでもしまったほうがいいですね。出しておくと盗まれますよ」
佐々木刑事はもっともなことをいった。
「しかし、うちは市営の図書館ですから、大きな金庫なんてないですよ。手さげ金庫くらいで」
図書館の経費は市の予算から出る。そのため、市の経理が直接管理しているのだ。
「手さげ金庫じゃ、ないのと同じですね」
考え込む飛鳥刑事。
「他の本といっしょにしてしまっておくのはどうでしょうか。それなら探すのに手間取りますよ」
作戦が固まってきた。どの本棚にしまうか。警備はどうするか。それらのことがだんだんと決まってきた。
「では、この、一番奥になっている本棚に初版本を隠しておきます。そして警官を常時配置していればそうやすやすとは近づけません。我々はここに待機します。万が一、ルシファーが本を盗んで逃げようとしても、ここなら袋の鼠です」
飛鳥刑事は、図書館の見取り図の上にチェスの様に人形を置き、その人形を使って警備の様子をシミュレートした。
「では、この方法でいきましょう。特に意見はありませんかな?」
木牟田警部が職員の意見を聞く。とりあえず、この作戦に異論はない。
作戦も決まり、会議は撤収された。後は、当日だ。
「ところでさ」
会議の後片づけをしながら佐々木刑事が飛鳥刑事に話しかけた。
「はい?」
「さっき使った人形。なんだありゃぁ」
見取り図の上に置かれた人形のことだ。
「あれは倉庫にあった人形ですよ。ほら、いつだかの防犯キャンペーンのPRに使ったやつです」
「それは、警官の人形だろ。それじゃなくて、ルシファーの人形だよ」
「あれですか」
飛鳥刑事は照れ臭そうにいった。
「この間、デパートで見つけたんですよ。誰がああいうの、作るんでしょうね」
「全くだ。だけどよ、買ってくるお前もお前だよな」
佐々木刑事はにやにやしながら言った。
「ちょっと恥ずかしかったです」
飛鳥刑事は頭を掻いた。
「まだ売ってるのか?」
「さすがにもう売ってないみたいですね。買うんですか?」
「買いはしないけどさ。ま、怪盗の人形なんて教育に悪いよな。あんな人形、遊ぶのは小さい女の子だろうし」
映美は帰宅するとラジカセに入っているテープを巻き戻した。
再生すると、今日、警察で行われた作戦会議の声が流れ出した。受信した盗聴器の電波をタイマーで録音したのだ。
「うーん、最初が切れちゃったか。ま、いいか。肝心の部分さえ入っていれば」
会議は30分程度だった。その内容が、そっくりテープに録音されている。
いくら、警察が作戦を立てたところで、その内容が筒抜けになっているのだから無駄な話である。
あいにく、図を示しながら説明しているらしく、ここだの、こうだのといった言葉ばかりで具体的な内容まではあまりつかめないが、ポイントはつかめる。
あとは、この内容をもとに、こちらも作戦を立てるだけだ。
会議が終わった。後片づけをする飛鳥刑事と佐々木刑事が人形の話をしていた。興味をそそられる映美。
「あたしの人形?へー、そんなのあるんだー、どんなのだろう。あたしも欲しいな……」
閉館の時間が来た。
予定通りの場所に本を隠す。予定通りの場所に警官が立ち、予定通りの場所に飛鳥刑事たちが身を潜める。
あとは、ルシファーが予定通りに動いてくれればいいのだが、相手はそれほど甘くはないことは承知のうえだ。
辺りを沈黙が支配した。物音ひとつしない。
長い時間が過ぎた。いや、長く感じただけで、実際はそれほどでもないのかもしれない。
時計を見るほんの一瞬の隙さえもつかれるような気がして、時計を見ることもできず、本のある本棚を凝視する。
突然あたりが暗くなった。
緊張が高まる。遂に現われたのだ。
佐々木刑事が懐中電灯をつける。その時、天井のほうで音がした。懐中電灯の光の輪がその方向を照らす。
その光のへりの天井の板が動いた。外れた。あとには暗い天井裏の空間が現われる。その黒い空間に、ルシファーの顔が現われた。
「あら、スポットライトかしら?」
のんきにも手を振り、投げキッスまでするルシファー。
「現われたな、ルシファー!本は盗ませないぞ!」
飛鳥刑事がルシファーに向かって叫ぶ。
ルシファーは、天井裏から何かを落としてきた。黒い玉だ。それを認識した瞬間、その玉が弾けた。白い煙が辺りを包む。
すとん、と音がした。天井からルシファーが降りてきたのだ。それは分かるのだが、正確な位置まではつかめない。
闇雲に突進する飛鳥刑事。ただでさえ真っ暗な上、煙玉のせいで視界は全くない。
目の前に本棚が迫っているのにも気づかず、全力疾走する飛鳥刑事。当然、激しく本棚にぶつかる。
それでも、すぐ近くに気配を感じた飛鳥刑事は飛びつく。確かな手応えだ。
「捕まえたぞ!」
「違います!」
「あれ?」
声は明らかに男、警官の声だった。
その時、ルシファーの声がした。
「すごい音がしたけど、大丈夫?とにかく、本は確かにもらったからね。じゃーねー!」
その声のほうに佐々木刑事の懐中電灯が向けられた。黒い影がかすんでみえた。
飛鳥刑事は今度こそとそのほうに突進するが、あっさりと頭の上を飛び越えられた。
慌てて方向転換する飛鳥刑事。
佐々木刑事もあっさりといなされた。逃げる影を追う二人。
「外に逃げるつもりだ!急いで追跡の準備だ!」
木牟田警部の指示を受け、警官たちは一斉に外に出た。
辺りは再び静寂に包まれた。さっきと違うのは、誰もいない静寂であるということ。
わずかな時がながれた。先程板が外された天井から、ルシファーが現われた。
「誰もいなくなっちゃった……」
悠然と降りてきて、本棚に向かうルシファー。
「さて、と、これだけあると探すのも大変ねぇ。分かりやすい場所においてくれてよかったわ」
ルシファーは、まだ本を盗んでいなかったのだ。どの本棚にあるのかは分かっているのだが、その本棚のどこにあるのかは分からない。それを、これから探すのだ。
ルシファーは懐からペンライトを出し、本の背表紙を一冊ずつ確認していく。
その時、背後から光が照らされた。
心臓が止まりそうなほど驚くルシファー。
後ろを振り返ると、懐中電灯らしい光が目にはいった。闇に目がなれていたルシファーは目が眩みそうになる。
「やっぱり、ここにいたか!」
飛鳥刑事の声がした。
「犯人は、犯行現場に戻るってな。いや、この場合は違うか」
佐々木刑事もいる。懐中電灯を持っているのは佐々木刑事だ。
「俺のいったとおりだろ。あの状態じゃ本を見つけ出すのは無理だって」
佐々木刑事の得意げな声が聞こえた。
その、懐中電灯の光の端に黒い影が見えた。
飛鳥刑事が迫っているのだ。
「そこを動くなよ!」
突っ込んで来る飛鳥刑事を慌ててかわすルシファー。飛鳥刑事はそのまま本棚の前に仁王立ちになった。
このままでは本を盗むどころか、探すために本棚に近づくこともできない。佐々木刑事も近づいてきている。
「ふぅ、しょうがないわね。今日は諦めるわ。今度はこうはいかないわよ」
ルシファーは天井の穴に飛び込み、板を元どおりに戻した。
「よし、ルシファーには逃げられたが、本は無事だな」
本棚を照らし、初版本の無事を確認する佐々木刑事。
「やりましたね」
「でもよ、今のをルシファーが見てたら本の場所がバレるな。また、いつ戻って来るか分からないから、飛鳥、お前は今夜はここにいろ」
「ええっ、ずっとこのままですか?」
「交代の瞬間に素早く盗られるってこともあるからなぁ。最初にそこに立った飛鳥が悪い。一歩も動くなよ」
佐々木刑事は冗談めかしていった。
すぐに、木牟田警部たちが呼び戻され、警備が継続された。やがて朝が来た。本は守り抜かれたのだ。
「あー、先輩も人が悪いよなぁ。足が、あいたたた」
飛鳥刑事は、結局一晩立ちっぱなしだった。ただ、本を守りぬいたという達成感のおかげで腹は立たない。
アパートにつくなり、すぐに着替えて布団を敷いた。
そのままふとんに潜り込もうとする飛鳥刑事だが、目覚ましをかけていないことに気がつき慌てて目覚ましをセットする。これを忘れると、寝過ごす危険性が大きい。ましてや、徹夜明けである。泥の様に眠り込んでしまうだろう。すでにまぶたが重い。
飛鳥刑事はふとんに潜り込んだ。そして、やはり泥の様に眠り込んでしまった。
じりりりりりりりり……。
目覚ましがなった。起き上がり、目覚ましのある棚の前に歩いていく。
寝ぼけ眼、というより、目が開いていない。狭い部屋だ。目をつぶっていても目覚ましの場所くらい分かる。
めざましのスイッチに手をかけた。音は止まったが、いつもと感触が違う。
ようやく目が開いた。しかし、まだ焦点が定まらず、視界はぼやけている。それでも辛うじて、時計に紙が貼ってあるのが見えた。
このパターンは。
慌てて焦点を合わせようとする飛鳥刑事。だんだんはっきり見えて来る。かすんではいるが、文字は見える。
『おはよう、よく眠れた?あたしは眠れなかったなぁ。さっそくで悪いんだけどあさっての日曜日、西山村警察署の私をいただきまーす。どんなのだろー、楽しみー。きゃは♪怪盗ルシファー』
やはりルシファーからの予告状か!おかげで完全に目が覚めた。
「おはようございます、先輩」
「今、昼だぞ。とぼけたことをいうところをみるとお前も寝足りなかったみたいだな」
佐々木刑事も眠そうだ。
「それより、ルシファーから予告状が来たんですよ」
佐々木刑事はだるそうな顔をした。
「何だぁ?随分とペースが早いじゃねぇか。こっちの身がもたねぇぜ」
文面を見る佐々木刑事。
「何だこりゃぁ。ルシファーも寝不足みたいだな。訳のわからねぇ予告状出しやがって」
「とにかく、どういうことか考えましょう」
佐々木刑事は面倒くさそうに歩きながらぼやいた。
「俺はルシファーより、ローズマリーに出てきてほしいね。そうすりゃ仕事中に公然と眠れるのによ」
その時、しばらくぶりの声がした。
「こらぁ!しゃきっとせんか、しゃきっとぉ!」
2週間の謹慎が解け、柳警部補がきたのだ。
「うあ?あ、柳警部補。釈放されたんですか」
突然のことに、うっかり変なことを言い出す佐々木刑事。
「しゃく……私は捕まったんじゃないぞ!」
「あ、すいません。やっぱり寝不足だな」
佐々木刑事は逃げる様にその場を去った。
映美はあくびをした。
「映美、どうしたの?眠そうよ」
渚が書類を手に話しかけてきた。
「眠そうじゃなくて、本格的に眠いの」
お茶を出し終えた瞳が寄ってきた。
「あまり深く突っ込んじゃダメよ、渚。昨日は眠らせてもらえなかったのね」
何のことか思わず聞き返す映美。
「だから、夕べは彼といっしょだったんでしょ」
「ちちちちち違うわよ!」
あせりまくる映美。その様子を見て、にっと笑う瞳。
「図星みたいね」
「きゃー、映美ったら大胆……」
まるで自分のことをいわれたように耳まで真っ赤になっている渚。こういう話には免疫がないようだ。
「映美ってすぐに態度にでるのよね」
「ちがうよおおぉぉ!」
映美が密かに思い寄せている飛鳥刑事といたわけだから、あながち間違いでもない、とまでは言わないが。そんな勘違いをどこまでも信じ込んでいる瞳。
「でも、瞳って妙に鋭いよねー。耳年増っていうか……」
「耳年増って何よ。でも、鋭いってのはあるかもしれないわね」
誇らしげに胸をそらす瞳。鋭いとは言っているが勘違いにもほどがある。
「ここの所、瞳の推理って当たるのよ」
「推理って?」
ようやく落ち着いてきた映美が聞き返した。
「そ。最近、あたしが予言したものって、必ず怪盗に狙われるのよ」
「そういえば、いつもあたしたち二人だけで盛り上がってて、映美には言ってなかったのかな。今のところ的中率70%くらいよ」
必ずといった割には30%外している。
「へー、すごいんだ。じゃ、次は何が狙われるの?」
考える瞳。
「そうねぇ、今のところ、これと言ったものはないわね。ローズマリーの狙いそうな高い物もないし、ルシファーの狙いそうな話題性のあるものもないし」
この一言で、映美は自分のターゲットの決め方が話題性に左右されていることに気がついた。
うーん、気をつけなきゃ。
「そういえばさぁ……」
映美は気になっていることを切り出した。
「ルシファーっていえば、ルシファーの人形なんて売ってたのね。話に聞いただけなんだけど」
瞳は知らなかったのか考え込んだが、渚がその話に乗ってきた。
「あーっ、あたし見たぁ。このくらいの人形でね、おもちゃ屋さんにいっぱいならんでたよ」
渚は手で大きさを示した。大きさは15センチくらい。
「でもあの人形、教育に悪いとかですぐに生産中止になっちゃったの」
「へー、そんなのあったんだ」
瞳が興味深げに言った。
「教育に悪い、ねぇ」
映美は苦笑するしかない。
でも、これであさって、その人形を盗むのが楽しみになった。
その15センチくらいの人形の周りに集まる、むさくるしい男たち。
「これを、狙っているのかね?」
西山村署の刑事課で、ルシファー対策が練られていた。
私をいただきます、とのルシファーからの予告状に首をひねっていた一同だが、あることに気がついた飛鳥刑事が席を立ち、この人形を持って現われたのだ。
「こりゃ、この間の作戦会議で使ったあの人形だよな」
その場に居合わせたものは、なるほど、という反応をした。
「……こんなもの、盗まれても別にいいような気がしないでもないけど」
しらけた顔で言う佐々木刑事。
「でも、警察署内から盗まれたなんて言ったら警察の威信に関わりますよ」
「なんだかんだ言ってお前、この人形が惜しいんだな?」
「そ、そんなんじゃありません!」
慌ててかぶりをふる飛鳥刑事。
「図星か。お前、本当に態度にでるな」
どこかの誰かと同じことを言われる飛鳥刑事。
刑事課に押し殺したような笑い声が起こった。
「ま、とにかく威信に関わるのは確かだ。盗まれるものはとにかく、警察署内での犯行を許すようなことがあってはならん」
木牟田警部は辺りを見回した。
「私にお任せください!今度こそ、わが名誉にかけてあのこそ泥を捕まえてみせます!」
突然立ち上がり、大見えを切る柳警部補。
「大丈夫かね?」
「奴の手の内は読めました!今回は秘策があります!ぜひとも、私にお任せください」
「そうかね、ならば任せるが……」
浮かない顔の木牟田警部。柳警部補はまるで信用が無くなってしまっている。
それに気づかず、一人で息巻く柳警部補を見て、佐々木刑事がぼさっといった。
「あの人も、もう長いことないな」
飛鳥刑事以外の耳には届かなかったが、飛鳥刑事は今の一言が本人に聞かれなかったか不安になって様子をうかがった。
土曜日に休みをもらい、寝不足を脱し、ベストコンデションとまではいかないものの、体調のいい飛鳥刑事と佐々木刑事。
予告状では日付は特定されているが、時間までは定かではない。そのため、朝からその人形の警備にあたることになった。
柳警部補の指示で、飛鳥刑事は刑事課で一日中人形をしっかりと持つことになった。
「こういう時に来客があってほしくないですね」
うんざりといった顔で溜め息をつきながら言う飛鳥刑事。
一応、飛鳥刑事がその人形をもっているという以外は、刑事課では通常と同じように仕事にあたっている。
「確かにそうだな。大の男が、そんな人形を握り締めているって光景は、なんとなーく異常だし」
「仕事とはいえ……ふぅ」
その様子を変な笑い顔で見ている佐々木刑事。
「俺だって、お前とこうしてくっちゃべってるの、見られたら体裁悪いぜ。同じ趣味だと思われたら……」
「しゅ、趣味じゃないですよぉ」
刑事課にくぐもった笑い声が起こった。
その時、電話が鳴り響いた。
応対にでる木牟田警部。
「はい、こちら刑事課。え?港に全裸死体?分かりました、急行します」
突然慌ただしくなる刑事課。
残ったのは飛鳥刑事と佐々木刑事と柳警部補の3人だけ。
「殺人事件か?この辺じゃ珍しいな」
今回は怪盗が現われるためにこの事件には関われない佐々木刑事。
「まったく、このややこしい時に……。こんなときに怪盗が現われたら……」
不安げな表情を見せる飛鳥刑事。
「お前も今ちょっとややこしい状態だし」
「またそういうことを。やめてくださいよ」
佐々木刑事がにやー、と笑みを浮かべた。この顔の佐々木刑事には注意したほうがいい。いろいろと言われる。
「ま、その人形をこうして持っているのはお前が適任だよな」
「どういうことですか?」
「俺がそうやって人形持ってたら、お前妬くだろ?」
「何ですか、それっ!」
飛鳥刑事が立ち上がった。
「何が妬くって?」
「うわああぁぁ!」
突然上から声がした。この声は間違いない、ルシファーだ。
「お出ましだな。見ろ、ルシファー。お前の狙ってる物は、こうして飛鳥がしっかりと握り締めてるぞ」
「いやーん、飛鳥刑事ったら、エッチなんだからぁ。なんちゃってぇ。きゃは♪」
「こらあああぁぁ!何だそりゃぁ!先輩、冗談が過ぎますよぉ」
「俺じゃないぞ、今のはルシファーのアドリブだ」
「先輩が変な言い方するから……」
「もめとる場合かっ!佐々木!早くそいつをとっつかまえろ!飛鳥はそれを離すぬもわ」
喚き散らす柳警部補の口の中にルシファーの投げたボールが飛び込んだ。
慌ててもがく柳警部補。
「ナイスコントロール!でも、柳警部補を黙らせてもなんにもならねぇぜ」
ルシファーが天井板を戻した。
「諦めたんですかね?」
「どうかな……」
飛鳥刑事の真上の天井板が外されたことに二人は気づいた。見上げる二人。
天井から、何か大きな物が落ちてきたのが見えた。
その大きな物は飛鳥刑事を直撃した。ぐしゃ。音がした。
ルシファーも一緒に降りてきた。そして、飛鳥刑事を見て慌てる。
「えーっ、ちょっと、なんでぇ?逃げると思ったのに」
飛鳥刑事の上には、大きな水風船が乗っかっていた。飛鳥刑事はあおむけの状態でその水風船に押さえられて身動きできない。
人形を持った手もその風船の下敷きになっていた。頭だけはどうにか出ているため、窒息はしない。
「こらっ、ぼやぼやするな!取り押さえろ!」
ボールを吐き出した柳警部補に急かされてルシファーに突っ込む佐々木刑事。それを軽くよけるルシファー。佐々木刑事は執拗にルシファーに飛びかかるが、まるで動きを読まれているようにルシファーに躱されてしまう。
「何やっとるかぁ!」
「しかし、俺が捕まえちまっていいんですかね。飛鳥が妬きますよ」
「妬きませんよっ!しつこいなぁ、まったく!」
その間にもルシファーはドアから逃げようとする。
柳警部補は持っていたボールを投げつけた。
「きゃぁ、汚いなぁ。口に入れたもの投げないでよ!」
そう言い残してルシファーは廊下に出て走っていった。
「追え、追え、追えー!」
「しかしですね、柳警部補」
佐々木刑事は、ルシファーが諦めたようには思えなかった。この間の様に、逃げたフリをして戻って来るつもりではないのか。
「ええい、ぐだぐだ言うな!追えと言ったら追えー!」
柳警部補はもう走り出している。
「しゃぁねぇなぁ。どうなっても知らねぇぞ」
走り出そうとする佐々木刑事。
「ちょっと、助けてくださいよぉ」
情けない声を出す飛鳥刑事。
佐々木刑事は風船をちょっと押してから言った。
「こりゃ、俺一人じゃ無理だなぁ。ちょっとそのまま待っててくれ」
「ええーっ」
行ってしまった。
部屋には飛鳥刑事だけが残された。
静かになってしまった。
身動きができない状況でこれは辛い。
ただ、天井を見つめるしかない飛鳥刑事。
その天井の板が一枚外された。
ルシファーだ。しかし、それが分かっていてもなにもできない自分が情けない。
ルシファーが頭の横に降り立った。
目が合った。
口元は布で隠されているため見えない。目だけが見える。
その目が、細められる。笑っている。この状況。ぎくっとする飛鳥刑事。
「きゃははははは」
飛鳥刑事は顔を引っ張られた。
「だああぁぁぁ、やっぱりかあぁ!いつもいつも何かと言うと人の顔を、離せぇ!」
首を激しく振り回し、振り切ろうとする飛鳥刑事。だが、手が出ない以上、黙っておもちゃにされるしかない。
「おっと、こんな事をしている暇はないな。えーっと、人形を持ってたのは右手だったかな……」
風船の下に手をつっこみ、まさぐるルシファー。
「きゃー、手、握っちゃったぁ」
「うるさい!」
人形は飛鳥刑事の手からもぎ取られた。
人形が、風船の下から出てきた。
「うわー、これがあたし?かわいー♪ね、にてるかな」
「にてるんだろ、お前の人形なんだから。それより、ここから出せぇ!」
「いいよ。もう逃げるだけだしね。ふふふ」
ルシファーは近くのペン入れからボールペンを取り出した。
「げ、そ、それはよせ……」
ルシファーはボールペンをダーツの矢さながらに投げた。
「うわああああぁぁぁぁぁ……」
「くそーどこに行った!?」
柳警部補は辺りを見回す。しかし、怪盗どころか人影さえない。
「多分、中ですよ。今ごろ人形を飛鳥から奪ったところでしょう」
のんびりと言う佐々木刑事。柳警部補の顔が引きつった。
そこに、木牟田警部たちの車が戻ってきた。
車から、『全裸死体』がおろされた。
見るからに、マネキン人形であった。
さらに、背中の部分には『ごめんね。これからもお仕事頑張ってね。怪盗ルシファー』と書かれていた。
「どうも人手を分散させる罠だったようだ。で、ルシファーはどうした?」
木牟田警部は難しい顔で言った。
「今、中にいるんじゃないかと」
「何、どういうことだ?」
「あとで説明しますんで、中に行っていいですかね?」
その時、飛鳥刑事の悲鳴が聞こえてきた。
「ほら。何かやられているな」
「佐々木君、いきたまえ!どういうことかは柳君から聞かせてもらおう」
佐々木刑事は署内に駆け込んでいった。
見ると、部屋のドアからルシファーが出てきたところだった。
「逃げるなよ!」
叫びながら直進する佐々木刑事。当然それに気づいてルシファーは逃げる。
佐々木刑事は突然足を滑らせた。どうにか踏みとどまるが、ルシファーの姿はなくなっていた。
「チッ、逃げられた」
相変わらず諦めのいい佐々木刑事は、ふと足下を見おろした。水が広がっている。
部屋の中を見ると、床一面に水が散っていた。そのまん中で濡れネズミになった飛鳥刑事があおむけのまま泣きそうな顔をしていた。
「まったく、復帰早々えらい失態じゃないか。このままでは、君は怪盗の一件に関わるのをやめてもらうことになるよ」
木牟田警部の言葉を聞いて、真っ青な顔になる柳警部補。
またしても、佐々木刑事のチクリにより失態が明らかになった柳警部補は、絶体絶命のピンチに陥っていた。
「まったく、君より若い二人の方が的確な判断ができてたじゃないか。君の余計な指示がなければ、犯行を阻止することができたんじゃないのかね?」
木牟田警部はいつになく辛辣な言葉を柳警部補に投げる。
「あーあ、柳警部補、かわいそうだなぁ」
涼しい顔で佐々木刑事が言った。
「飛鳥にも見せてやりたいよな、あの柳の顔!」
水を全身に浴びた飛鳥刑事は、そのまま風邪を引いてしまい、今日は欠勤した。
その日の午後、飛鳥刑事の部屋に、風邪薬が郵送されたことは、彼と、送り主しか知らないだろう。
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