Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第7話 発覚

「おはよーございまーす」
 小百合はいつも元気だ。
「小百合ちゃん、おはよう」
 飛鳥刑事は朝に弱い。声もまだ寝ぼけたような感じだ。
「車、直りました?」
「うん。いきなりパンクとは参ったよ。アパートが近くて助かった。あーあ、中古車はダメだなぁ。メンテナンスで金がかかって、結局新車と同じ金がかかるよ」
 クスクスと笑う小百合。
「よう。おはよう小百合ちゃん。今日は警備の日だったっけ?」
 そこに佐々木刑事も入ってきた。
「はい。今日は恒例のレディスファッションショーの警備です」
 西山村市では、2年に1回、海外のデザイナーを招いてファッションショーを行っていた。
「なるほど、野郎にはできねぇ仕事だな」
「ええ、楽しみです」
「仕事に行くんだろ、小百合ちゃん」
「いいじゃないですか」
「いいよな、そっちは仕事があって。こっちはルシファーもローズマリーも出ないみたいだし、妙な事件も起きてねぇし、退屈だぜ」
「いいじゃないですか。こっちは仕事がないほうがいいんですから」
「やれやれ。平和なのもつまんねぇもんだな。……俺、ちょっと便所いって来るわ」
 あくびをしながら部屋を出て行く佐々木刑事。
 部屋には飛鳥刑事と小百合の二人だけが残された。
「ルシファーやローズマリーが出ても、追いかけるのはいつも俺なんだよなぁ。先輩、なんだかんだいって俺をけしかけるんだもん」
「そうなんですか?そうは見えませんけど」
「ちょっと、小百合ちゃん、敬語はやめてよ。同期なのに変な感じだからさ」
「えっと、じゃ、やめます」
「……やめてられないよ」
「あれ?」
 声を立てて笑う二人。
「ん?何だ、いいムードだな。邪魔しちゃ悪かったかな、と」
 佐々木刑事がおどけながら入ってきた。
「いいムードって、そんなんじゃないですよ。それより、早かったですね」
「あたりまえだ、柳みてぇに便所長くねぇよ」
「え、柳警部補っておトイレ長いんですか?」
 小百合が聞き返す。
「男はな、歳とともに便所が長くなるんだよ。小便がつまって来るんだ」
「やだぁ」
 小百合は恥ずかしそうにする。それを見た飛鳥刑事がかばうように言った。
「変な話しないでくださいよ」
「聞かれたから答えただけだ。それより、俺のいない間に、どんな面白い話してたんだ?」
「いや、俺と小百合ちゃん、同期だから敬語は変だからやめてくれっていったのに、敬語使ってたから」
「いいじゃねぇか、そんなの。喋り方は生きざまが出るんだ。直せっていわれてそう簡単に直るもんじゃねぇよ」
 気どっていう佐々木刑事。
「じゃ、先輩の口の悪いのも直りませんね」
 とぼけた顔で突っ込む飛鳥刑事。
「お前な……」
 部屋の中は再び笑いに包まれた。

「この女……。地味な顔して男二人と馴れ馴れしく話して!何よ、二人ともあたしとのほうが付き合い長いのよ!」
 盗聴しながらジェラシーを燃やす映美。
「予告状!予告状だわ!もう、地味な予告状じゃなくて、とびっきりの予告状送っちゃうんだから!」
 かくて、映美の予告状のための一大プロジェクトが始まった。

 飛鳥刑事は仕事を終え、家路についた。
 タイヤのパンクを直したばかりの車を発進させる。
 その姿をじっと見る者がいた。民家の屋根の上に潜んでいる。ルシファーだ。今日は盗みを働くわけではないが、闇にまぎれられるようにいつもの黒いタイツに身を包んでいる。
 そして、飛鳥刑事の車を尾行する。路地が多いので、屋根の上を跳んでいけば見失うこともない。
 先日、自分の家の近くで鉢合わせしたので、そんなに遠いところに住んでいるわけではないとは分かっている。
 飛鳥刑事の車が近くの月極の駐車場に停められた。飛鳥刑事が遠ざかったのを確認して駐車場に降り立つルシファー。あとは道なりに尾行すれば家までつく。
 やがて、2階建の今にも潰れそうな安アパートに飛鳥刑事が入っていった。
「こんなところに住んでるんだ。お給料、安いのかな。かわいそう……」
 変なところに同情するルシファー。
 飛鳥刑事の住んでいるところが分かった時点で作戦1は終了である。
 あとは明日の朝。

 じりりりりり……。
 飛鳥刑事の木造2階建の安アパートにめざまし時計の音が鳴り響いた。
 ふとんから這い出し、目覚ましのある棚の下まで、そのままの格好で這っていく。そして、立ち上がり、目覚ましを止めた。
 飛鳥刑事は朝に弱い。そのせいで枕元に目覚ましを置いておくと、止めたあとそのまま二度寝してしまうことが多い。高いところにおいておけば、いやでも立たなければ目覚ましを止められない。
 そのまま30秒ほどぼんやりと立っていた飛鳥刑事だが、大きく伸びをして、行動に移った。
 トイレに行き、やかんに水を入れ湯を沸かす。その間に新聞をとり、広げる。折込広告を手にとり、寝ぼけまなこでどこのチラシかだけを順にチェックする。
 島田家具店、石のかわはら、パスコ、ルシファー、パーラースター、にこにこローン。
 よく行く店のチラシはない。チラシを置いて、新聞を手にとり、一面に目を移す。
 なにかがひっかかる。
 その理由に気づいた飛鳥刑事は、新聞を放り投げ、いまし方まとめて置いたばかりのチラシに再度目を通す。
 島田家具店。石のかわはら。パスコ。ルシファー。ルシファー!?
 あわいピンクの西洋紙に、ウインクする女の子のイラストが書かれていて、その横には、マジックでこう書かれていた。
『今夜、M氏所有の宝石「砂漠の夕日」をいただきまーす。まっててね。きゃは(はぁと)怪盗ルシファー』
「なにいいぃぃぃぃ!」
 ぴいいいぃぃぃ!
 飛鳥刑事の叫び声とやかんの笛の音が安アパートに轟いた。

「で、これがその予告状か」
 佐々木刑事は飛鳥刑事の持って来た予告状を広げて面食らった。
「キャバレーのビラか?」
「いえ、ですから予告状ですよ、ルシファーの」
「しかし、こりゃぁ、予告状ってデザインじゃないぞ」
 あわいピンクに少女漫画のようなイラスト、漫画字。とことん少女趣味である。
「とにかくまいりましたよ。確かに予告状を出すとはいわれましたけどうちに直接とは」
「メシじゃねぇんだ、いただきまーすとか言って頂かれるわけにゃいかねぇな。対策ねるぞ」

 映美は盗聴しながらクスクスと笑った。よし、予告状はちゃんと読んでくれた。
 飛鳥刑事が折込広告をまとめて捨ててしまう恐れもあったので、第二の作戦も用意してあったのだが、これでその第二の作戦は必要ない。
 飛鳥刑事が私のラブリーな予告状を見てどんな反応をしたのかは分からない。でも、何かあったはず。
 あとは、あの小百合とか言う女を飛鳥刑事から引き離せばいい。
 プロジェクト第2弾だ!

 M氏の家には午後から警官が集まり、物々しい雰囲気になってきた。
 マスコミも集まり、警官とにらみ合っている。
 「砂漠の夕日」。それはイスラエルでみつかった大きなルビーだ。磨きぬかれたそれは、夕日の名にふさわしく、真っ赤に輝いている。
「うわー、きれいですねー」
 小百合は食い入るように見つめている。
 こいつは見事な代物だね。いくらになるだろう。こんな立派な宝石、ルシファーなんかにとられるわけにはいかないね。
「おい、小百合。そんなにべったりくっついて見てるなよ」
「女ってのはなんでこう宝石が好きなんでしょうね。我々にはガラスとそんなに変わらないような気がするんですが」
「小百合。ちょっと見回ってこい。あんまり見てると欲しいとか言い出しそうだ」
「あーあ、つまんないのぉ」
 いいさ。ちょうどいい。見回りついでに変装をといて、こいつをいただいておこうか。ルシファーが来る前に……。

「きゃあああぁぁ!」
 突然悲鳴がした。小百合の声だ!
「先輩!」
「何かあったな。どうする?」
「どうするって、小百合を助けにいかないんですか?」
「お前、行け。俺はこの宝石についてる。囮かもしれないからな。飛鳥、お前も気をつけて行け」
 飛鳥刑事は頷き、悲鳴のあった方へ走り出した。
 廊下のまん中に人が立っている。あれは、ローズマリー!?
「お、お前はローズマリー!なぜここに!?」
 ローズマリーはおかしそうに笑った。
「そんなことも分からないのかい、新米の友貴さン。これだけ厳重に警備してるんだ。ルシファーが来るんだろ?」
「なるほど、警備を見てあやしいと思ったのか。小百合を襲ったのはお前だな?小百合はどうした?」
「あの小娘かい?あいつにはまたあっさり眠ってもらったよ。前回の教訓がいかされてないね」
「しかたないな……。ルシファーにもお前にも宝石は渡さない!」
 ローズマリーは構えていた袋を傾ける。
「その手をくらうかぁ!」
 目をつむった状態で突進する飛鳥刑事だが、あっさりとかわされてしまう。
「あんたも芸がないね」
「お互い様だろ!」
 声の方向を頼りに再び突進する飛鳥刑事。
 今度は、手応えがあった。服を掴み、引き倒す。
「ちっ」
 飛鳥刑事は目を開いた。ローズマリーはあおむけに倒されていた。
 飛鳥刑事をにらみつけるローズマリー。袋を構える。
 その腕を払う飛鳥刑事。袋がはじき飛ばされる。さらに、腕を押さえつける。
 ローズマリーの蹴りを警戒して背後に回りこんだ。そして、腕をひねりあげる。
 その時、ローズマリーは飛鳥刑事の顔に向けて唾をはいた。思わず顔を背ける飛鳥刑事。
「何をしやがる!」
 向き直った時、そこには袋を構えて笑みを浮かべるローズマリーがいた。
「こんな事もあろうと、袋を二つ用意しておいてよかったよ」
 朦朧とする意識のなかで、それだけは聞き分けた飛鳥刑事。
 くそっ、またか……。

 飛鳥刑事は帰ってこない。
 この感じ。これはルシファーじゃねぇ。あいつか。
 警戒を強める佐々木刑事。
 ケースを開け、『砂漠の夕日』を袋に入れてポケットにしまう。
 足音がした。来た。
 ローズマリーだ。
 向かいあう佐々木刑事とローズマリー。
「後輩が迎えにいったはずだが、どうなった」
「眠ってもらっているよ。……宝石はどこだい?」
「さぁね。ルシファーが持って行っちまったんじゃないのか?」
「そんなわけないねぇ。あたしゃ知ってるんだよ。誰かが持ってるんだろ?」
「どうだか」
「いいさ、言わせてあげる」
 ローズマリーは袋を構えた。
 佐々木刑事はその手めがけて塩の入った袋を投げつける。
「ああっ、袋のなかに粉が入っちまった!……これはもう使えないね」
 もちろん、もう一つ持ってきている。それは奥の手だ。
「お前の手口はそれだけか?」
 佐々木刑事はポケットからホイッスルを取り出し、吹いた。
 その音を合図に隣の部屋から警官がなだれ込んできた。
「ちっ」
 今からでは袋を取りだしても間に合わない。ローズマリーは警官の数を数えた。7人か。どうにかなるだろ。
 最初の警官の腹部に蹴りをたたき込む。2人目の側頭部に肘で一撃。3人目の襟を掴み、4人目にぶつける。5人目の股間を蹴り上げ、突進して来る6人目を躱し、7人目の脳天に踵落としを決める。
「ひゅー、やるじゃねぇか」
 再び飛びかかってきた6人目に裏拳をたたき込んだ。これで7人の警官全員が伸びた。
「あたしの得意技が催眠術だけだと思ったら大間違いさ。ちょっと、はしたないけどね」
「確かに若い女が大股開きで蹴りを繰り出すってのは見るに耐えねぇな」
「そんなもの、見てる余裕はないだろ」
 言葉のやり取りが途絶えた。緊張感が一気に高まる。
 両者、タイミングを測っていた。
 先に攻撃をしかけたのは佐々木刑事だった。回し蹴りだ。
 身をそらしてかわすローズマリー。そこにさらにストレートを繰り出す佐々木刑事。受け止めるローズマリー。そして、即、反撃の蹴りが繰り出された。横にかわす佐々木刑事。ローズマリーはそのまま飛び退き、間合いが広がる。
「やるね、あんた」
「お前も、予想以上だ」
 再び身構え、そのまま殴りかかる佐々木刑事。
 何の苦もなくかわすローズマリー。
 が、佐々木刑事はそのまましゃがみこみ、ローズマリーに足払いを食らわせた。もんどりうって倒れ込むローズマリー。
「俺のほうが上手だったみたいだな」
 にっと笑うと、佐々木刑事はローズマリーの腕を掴んだ。しかし、その腕には先程とは違う袋が握られていた。
「な、なにぃ?」
 さらさらと流れ落ちる宝石の粉を直視してしまった佐々木刑事は、その場で放心し、へたり込んだ。
「喧嘩じゃ負けたけど、奥の手が、あたしにはあったんだねぇ」
 おかしそうな笑みを浮かべるローズマリー。
「さぁ、どこに宝石を隠したんだい?」
「俺……が持って……る……」
 ローズマリーの催眠術で放心状態の佐々木刑事は質問に無意識で答えてしまう。
「まぁ、そんなこったろうと思ったよ。どれどれ」
 佐々木刑事の服のポケットを探す。そして、それらしい手ざわりを見つけた。
「これかい。確かにいただいたよ。おやすみ、坊や」
 ローズマリーは『砂漠の夕日』を懐にしまった。
 指をぱちん、とならすと、佐々木刑事は糸の切れたマリオネットのように床に突っ伏した。

 プロジェクト第2弾に移る前に今夜の仕事をこなしておかなければならない。予告状を出したのだから、こないわけにもいかない。
 ルシファーは邸宅の前についた。警官が二人、正門を警備している。
 ここからはダメね。ま、正面から入ろうなんて思っちゃいないけど。
 警備のいない邸宅の脇から屋根に飛び移り、二階のガードの甘い部屋を見つけ、道具を使い窓を開けた。
 窓を閉め、鍵も元どおりに閉める。そしてそのまま天井裏に身を潜める。
 天井裏から邸宅内の様子を一部屋ずつ調べていく。
 二階に警官はいない。と言うことは、宝石は下の階だ。
 廊下に出て、恐る恐る階段を降りる。玄関ホールが見えてきた。警官の姿はない。
 おかしい。
 妙な不安が沸き起こってきた。確かに、外にはいた。だが、だからといってこの玄関ホールに警官を一人も配置しないなんてことはないだろう。
 警戒しながら、さらに奥へ向かう。
 そこには、飛鳥刑事が倒れていた。
 何があったの!?
 飛鳥刑事が心配になり、その顔を覗きこんだ。眠っている。
 その時、正面のドアが開いた。
 あせって逃げ道を探すが、ここは廊下のまん中だ。そんなものはない。
 現れたのはローズマリー。そして、ルシファーの姿を見てにやりと笑った。
「おや、こんばんわ。怪盗ルシファーさん。あんた、宝石をとりに来たんじゃないのかい?」
「ローズマリー!あんた、またあたしの仕事の邪魔をしに来たのね!?」
「静かにしないと、刑事さんが起きちまうよ。……邪魔ねぇ。いつも邪魔しに来るのはあんたのほうじゃないのかい?あたいは、ここに高価な宝石があるってんで盗みに来ただけさ。ほら」
 ローズマリーは得意げに宝石を見せびらかした。
「『砂漠の夕日』……!その宝石はあたしがいただくことになってるの!寄越しなさい!」
 飛びかかろうとするルシファー。ローズマリーは素早く宝石の粉の入った袋を構えた。
 とっさに顔を背けるルシファー。しかし、このままでは宝石を奪えない。
「残念だね、先着順だよ」
「あたしのほうが先に予告状書いたわよ!」
 その間にもじりじりと出口のほうへ向かうローズマリー。しかし、出るつもりはない。
「予告状?ふっ、そんな物、なんの意味もないね。結局は手に入れた者の物さ」
「逃がさないわ!」
 ルシファーは懐から煙玉を出し投げつけた。あたりに白い煙が充満する。
「うっ!?」
 ローズマリーは突然のことに戸惑う。
 ルシファーはその隙にローズマリーとの間合いを一気に詰めた。そして、ローズマリーの腕を掴み、もう一方の手で懐を探る。
 あった!
 が、その瞬間、ルーズマリーの蹴りがルシファーのわき腹に決まった。思わず倒れ込むルシファー。
「ふふふふ、あたいを甘く見るからこういう目に遭うんだ。あたいはね、あんたみたいなせこいこそ泥とは格が違うんだよ!」
 高笑いとともに去って行くローズマリー。ルシファーは、わき腹の痛みのためにそのあとを追うことはできなかった。

 ようやく立ち上がったルシファーは、とぼとぼとした足取りで玄関ホールに出た。
「ルシファーよっ!」
 ふいに声がした。声のほうを見ると、あの婦警、小百合がいた。
 さらに大声で叫ぶ小百合。その声を聞きつけ、玄関の外の警官も入って来る。
 わき腹の痛みをこらえながら、できる限りのスピードで階段を駆けあがり、近くの窓を突き破り外に飛び出した。
 予想通り、庭に出る。そして、近くにあった木によじ登り、枝に腰かけるルシファー。
 涙が出た。痛みのためか、悔しさのためかは自分にも分からなかった。
 痛みが治まるまで、その木の上から降りることができなかった。
 やがて、雨が降りだし、どしゃぶりになった。

 翌日、映美は仕事を欠勤した。わき腹の痛みは治まっていたが、雨に降られたために体が冷え、熱が出てしまったのだ。
 頭がぼんやりとしていた。何をする気力も起きない。テレビをつけるのも億劫だ。
 手元にあったラジオを引き寄せ、スイッチを入れた。ラジオは昨夜に事件を伝えるニュースを流していた。
 マスコミは事件について詳しく知らない。そのため、ローズマリーの犯行についても何も得るものがなかった。
 チャンネルを変える。一般の放送で使われるチャンネルを過ぎ、警察署の盗聴のチャンネルにあわせた。
 ノイズに混じって聞きなれた声が聞こえた。
 チューニングをあわせ、よりクリアな音にする。

「昨日の事件の鑑識の報告、来たぜ」
 佐々木刑事が鑑識からの報告書を持ってきた。
 それを、ぱらぱらとめくりながら目を通す飛鳥刑事。
「変ですね」
「ん?」
「ルシファーですよ。なんで、窓を開けずに突き破って外に出たんだろう……」
 タバコをくゆらせながら佐々木刑事がいった。
「ルシファーのやつも、ローズマリーのやつに先手を打たれたのが悔しかったんじゃねぇのか?それで、八つ当たりみたいなもんだろ」
「でも……」
「お前の言いたいことは分かるさ。ルシファーならもう少し警官との追いかけっこを楽しむはずだってんだろ?」
「ええ、まあ。それに、ルシファーが今までに何かを壊して物を盗んだことはありません。壊したものといえば、壊さないと取れないようになっているものばかりで、盗んだあとの逃走路の確保のためには外れるものを外す程度のことしかしてません」
「ああ、そうだってな」
 佐々木刑事はタバコを灰皿に押しつけた。タバコから上がっていた煙が途絶える。
「ルシファーと最初にであったのは小百合ちゃんでしたよね」
「ああ。目を覚まして玄関ホールに出たら鉢合わせたそうだ」
「それで、声をあげて、玄関を張ってた二人があとを追ったと」
 飛鳥刑事はそこで考え込む。
「それだけの時間があれば、窓を開けて出ることもあいつにはできたはずだ。なのに、なぜ……」
「あっ、やっぱりここにいたー」
 小百合だ。あいかわらず明るい声である。特に今日は妙に明るい。
「私、昨日は怪盗二人も見ちゃいましたよ」
「見るだけじゃぁ、しょうがねぇんだなぁ。捕まえねぇと」
「でもー、佐々木刑事にも捕まえられなかったんですよね」
「それを言うなよ。しかもローズマリーに眠らされたおかげでルシファーには気づかなかった。まったく」
 佐々木刑事は首を振りながら言った。
「ねえ、小百合ちゃん。昨日、ルシファーを見た時のこと教えてよ」
 飛鳥刑事は小百合に問いかけた。
「んなもん、逮捕につながるわけでもないし、どうでもいいじゃねぇか」
 お前も好きだねぇ、といった様子で佐々木刑事が言う。
「ルシファーですね。えーと、目が覚めた私は廊下に出たんです。そしたら、そこにルシファーが歩いてきたんです。最初はなんだか分からなかったんですけど、相手がルシファーだって思ったんで声をあげたんです。まだぼんやりしてましたから」
 聞きながら、飛鳥刑事は考え込んでいた。
 わからない。昨日、何があったんだろう。ルシファーにしてはやる事がおかしい。
 俺が目を覚ました時に落ちていた爆発物の破片らしいものも気になる。
 ローズマリーがそんなものを使うとは考えにくい。ならば、それを使ったのはルシファーだ。
 警察には、昨夜ルシファーの姿を見たものは他にはいない。
 と言うことは、その爆発物を使った相手は、ローズマリーだろう。
 ルシファーとローズマリーは邸宅内で対決したのだ。おそらくは。
 ならば、ローズマリーはどこから逃げた?
 正面玄関の警備が眠らされていなかったのだから正面ではない。
 しかも、ローズマリーが、逃げた窓を閉めるとも考えられない。窓の鍵は、破られたところを含めてすべてしまっていた。
 考える飛鳥刑事。しかし、いくら考えても答えは出なかった。

 映美はその声をじっと聞いていた。盗聴器のマイク越しとはいえ、飛鳥刑事の声が聞こえて来ると少しほっとする。
 なんで、あたし、こんなことしてるんだろ……。
 警察署での話題は、怪盗の話から世間話に移っている。
 もはや映美には関係のない話だ。それでもただじっとその声に聞き入る映美。
 目を閉じると、刑事たちが近くで話しているような錯覚を受ける。
 そうか、あたしは淋しいんだ。
 ふとんのなかでうつぶせになり、ラジオをじっと見つめる映美。
 やがて、刑事たちはめいめいに仕事に向かい、ラジオからはなにも聞こえなくなった。
 溜め息をついて、ラジオのスイッチを切った。

 日が傾きかけていた。
 窓の外から西日がさしこんでいる。騒がしい街も、今はわずかに静まっている。どこからともなくチャルメラの音が聞こえてきた。それが映美の淋しさを煽る。
 いたたまれなくなった映美は再びラジオのスイッチを入れた。
 刑事たちが集まってたわいない話をしているのが聞こえてきた。

「うざってぇなぁ」
 佐々木刑事がぼやいている。
「でも、これも仕事ですよ。言ってたじゃないですか。仕事がなくてつまらないって」
「でもなぁ。仕事の内容がなぁ。要人警護なんて面白味もなんにもありゃぁしねぇ」
「しかたないじゃないですか。人手不足だって言うんですから。ねぇ」
「ちょっと前にも、ノースフィリッツランドの大臣夫人が怪盗に襲われたじゃないですか。佐々木刑事、その時はいたんでしょ?」
「小百合ちゃん、よく知ってるね」
「この街では最初のローズマリーの事件でしたよね」
「詳しいねぇ。俺たち、あいつにあっさりと眠らされてなぁ」
 詳しくて当然である。小百合はローズマリーなのだから。現場にいた、どころではない。当事者なのだから。
「僕はあっさりとは寝ませんでしたよ」
「でも、結局は寝たんだろ?」
「ええ、まあ」
 言葉を濁す飛鳥刑事。横で小百合が笑っている。
「まぁ、今回はあんなに派手なご婦人がついて来るわけでもないし、何もおこんないだろ。おっさん一人じゃな」
「狙って来るのは怪盗ばかりとも思えませんよ。暗殺者が襲って来るかもしれないですし」
「暗殺者ねぇ。たまには暗殺者なんてのともあって見たいような気がしないでもないけど」
 とんでもないことを言い出す佐々木刑事。
「先輩。滅多なこというもんじゃありませんよ」
「冗談だよ。でも、暗殺阻止でもしたら大手柄だな。ボーナスの袋が立つぜ」
 その時、チャイムがなった。部屋の時計につけられているものだ。
「おっ、交代の時間だ。帰ろうぜ」
「まだ、次の人来てませんよ」
 と言いながらも、飛鳥刑事はすでにドアのほうに歩いている。
「なぁに、どうせ廊下ででもすれちがうだろ。わざわざ部屋で待つこたぁねぇ」
「そうですね。小百合ちゃんは帰らないの?」
「私は着替えてからですから」
「そうか。制服組も面倒だな」
 佐々木刑事がドアを開けると交代の人がすぐに入ってきた。
 それを見ながら低い声で呟く小百合。
「暗殺者ねぇ。あの組織から来たりしないだろうねぇ……」
 
 小百合の呟きは周りの人の耳には届かなかった。それが分かっているから小百合も口に出したのだ。
 だが、その声は盗聴器に拾われた。そして、映美の耳に届く。何を言ったのかまでは周りの雑音にまぎれてよく聞こえなかったが、最初の一言ははっきりと聞こえた。そして、その声は小百合のいつもの声ではなかった。
 聞き覚えのある声。
「ええっ、この声……」
 幾度か聞いた声だった。この声を聞いたあと、何回かひどい目にもあっている。忘れようものか。
「ローズマリー?まさか……何であの女がここに……」
 映美は思わず起き上がり、ラジオに耳を近づける。だが、もう遠くで話す声しか聞こえない。
 映美が盗聴器を仕掛けたのは飛鳥刑事の机だ。飛鳥刑事が帰ってしまえばその机の近くに立ち止まって話すものは稀になる。
 そう、盗聴器は警察署の中にあるのだ。直前まで飛鳥刑事たちの話が聞こえていたのだから、間違いはないだろう。
 ならば、ローズマリーの声がしたのも警察署内ということになる。
 どういうことなのか。
 ローズマリーが捕まったわけではないことは、声の感じからしても間違いない。
 ならば、ローズマリーが警察署内に潜入しているのだ。
 おそらく、誰かに扮装して。
 誰に扮装しているのかは、考えなくても分かる。
 小百合。あの女はローズマリーの扮装……!?
 ならば、昨夜のことも納得できる。
 小百合の正体はローズマリー……。
 どうにかして、この事を刑事たちに知らせなくては。
 でも……。怪盗のあたしの言葉なんか、信じてくれない。
 ならば、あたしが刑事たちの前であいつの化けの皮をはがさないと……。
 映美は、ラジオのスイッチを切り、作戦を立て始めた。
 風邪などとっくに吹き飛んでいた。

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