Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第5話 予告状をあなたに

「さーて、どうかな……」
 映美はラジオのチューニングをあわせた。ラジオと言っても、そこら辺の電気屋で売っているような、ラジオ局の電波しか拾えないようなありふれた物ではない。ハムで使う、本格的な受信機だ。
 耳障りなノイズが途絶え、音が聞こえはじめてきた。どうやら他の愛好者の通信のようである。映美が拾いたいのはこれではない。
 さらにつまみを回すと、目当ての音が拾えた。今ではすっかり聞きなれた声が聞こえてくる。
 音質に難があるようだが、何を話しているのか聞こえればよい。笑みは小さく頷いて満足げに笑みを浮かべた。

 飛鳥刑事はぼんやりと窓の外の眺めていた。前の道路を車や通行人が通りすぎていく。
 後ろから、肩をたたかれた。振り返ると佐々木刑事であった。
「おい、飛鳥。お前、このごろ元気ないな」
「そうでもないですけど」
 飛鳥刑事はかぶりをふった。
「ローズマリーが出ないから物足りないのか?」
「それは先輩のほうじゃないですか?」
 佐々木刑事は声を立てて笑った。
「それは言えたな。俺はルシファーよりローズマリーのオトナの魅力が好きだからな」
 照れる様子もなく言う佐々木刑事。飛鳥刑事は苦笑したが、その胸の奥に、ふとよぎるものがあった。

 ちょっと、ショックだった。
 そう、映美は西山村署の音を盗聴していたのだ。
 映美はちょっと佐々木刑事に気があったのだ。それなのに、あたしよりローズマリーのほうが好きだなんて。しかも、あたしには大人っぽい魅力がないみたいな言い方までされた。
 佐々木刑事にも腹が立ったが、その100倍くらいローズマリーに対する怒りがおこった。
「ローズマリー!あたしの庸二のハートを奪うなんて、なんて女なの!」
 べつに映美のというわけではないのだが。
「今度現われたら絶っっっっ対に邪魔してやるんだから!」

 そこに、小百合が現われた。
「あのー、佐々木刑事、ちょっといいですか?」
 ローズマリー、もとい小百合にもちょっとためらいがあって、飛鳥刑事に自分から話しかけることができない。
「ん?なんだ?」
「今日入港する貨物船が、密航者を乗せている恐れがあるらしいんで、午後、警備に回ってほしいそうなんですけど」
「ちっ。うぜぇなぁ」
 舌打ちする佐々木刑事に申しわけなさそうに首をすくめる小百合。
「仕方ありませんよ、人手が足りませんからね。ここは」
 飛鳥刑事がフォローにはいる。
「聖華署の方が人手は足りなかったけどさ。あっちは平和だったなぁ」
「聖華署……って、お二人は確かそっちから来たんですよね」
「うん。そうだよ」
 飛鳥刑事が頷いた。
「あの町、クリスチャンが多いことで有名なんですよね」
 さらに、全体的に裕福な街でも知られている。かつて幕府に隠れてオランダなどの外国と交易をしていたとの説もある。それで開国と同時に一気に西洋化が進んだのだ。確かに、開国後の資料は残っていて、西洋化した様が分かるのだが、開国以前の資料は見つかっていない。
 現在ではその説が有力とされるが、決め手になるものはない。
 とにかく、ローズマリーはお宝の多い町である、と言うことで、次のターゲットをそこに決めていた。そのため、少しは情報を持っているのである。
「ああ。しかも敬虔な、な。おかげで悪いことをする奴も少なくて、せいぜい詐欺だの、こそ泥だので、あっちで血を見たのは事故のときぐらいだったかな」
「こっちはけっこう傷害とか殺人とかもありますもんね」
「えーっ、私、血を見るのやだなー……」
 小百合はそういったが、ローズマリーとしての本心はそうでもない。演技である。血を見たいわけではないが、別に見たからと言ってどうでもない。
「なーに言ってんだ、女は月に一回血を見てるじゃねーか」
「やーだー、それこそ何言ってんだ、ですよぉー」
「先輩、それは下世話というやつです」
 佐々木刑事の悪い冗談にダブルでつっこみを入れる二人だった。

「何、この女!あたしの庸二に馴れ馴れしく!」
 映美はまだ聞いていた。そして、まだ言っている。
「ちょっと、港に様子を見に行こうか……。どんな女か、気になるし」
 これではまるでストーカーである。が、この頃、まだストーカーという言葉は使われていない。今はストーカー呼ばわりされるタイプの人間は、ちょっと奥手で純情な人という扱いだった。もっとも、ストーカー呼ばわりされるような出過ぎた真似もあまりしなかったのだが。

 汽笛が港に轟いた。貨物船が港に入港する合図である。
 船の入港を見守りながら、佐々木刑事がぼそぼそと呟いた。
「ノースフィリッツランドの大臣の事件を思い出すな」
「ローズマリーが初めて現われた事件ですよね」
 小百合にはピンとこない。小百合、もといローズマリーは到着したホテルで襲ったのだから仕方がない。
「あの時はもっと人がいましたよね」
「ああ。やじうまが一杯いてなぁ。柳ハゲが怒鳴られたんだよな」
「あの警部補の情けない顔!笑いましたよね〜」
 などと話している間にも、船体が埠頭につけられ、待機していた業者の人間が一斉に船に乗りこむ。
「さて、俺たちもいくかな」
 一行は船の中に乗りこんだ。
 その様子を、港の倉庫の屋根の上から見下ろすものがいた。映美だ。今回は物を盗むつもりはなかったので、普段着で出かけてきた。
「あいつか……。やっぱりここからじゃよく見えないわね……」
 それでも、じっと待つ映美。昨日から7月。日差しもきつい。背中がじりじりと熱くなってきた。そもそも、屋根が熱い。
「何であたし、こんな事やってんだろ……」
 だんだん馬鹿らしくなってきた。
「じゃ、とりあえず分かれてやろうぜ。俺はエンジンルームと船室を調べる。飛鳥は甲板のほうから。小百合ちゃんは船底の倉庫を頼む」
「はい!」
「じゃ、いきまーす」
 佐々木刑事の指示通りにめいめいに散っていく。
「あ、飛鳥刑事だ。何やってんだろ、あんなところで……」
 映美は相変わらず倉庫の屋根の上にいた。ぼんやりと船のほうを見ながら、物思いにふけっていた。その時、甲板に飛鳥刑事が現われたのだ。
 飛鳥刑事は甲板の上をつぶさに調べている。甲板を一周して船の中に入っていった。

 エンジンルームは、エンジンが止まっているために静かだったが、エンジンの熱のためにかなりの暑さだった。
「くはー、こりゃたまんねーな。こんなところに密航者も隠れてらんねーぜ。次行こうぜ。次」
 佐々木刑事は見渡しただけでエンジンルームをあとにした。
 船室は小ぢんまりとして、質素だった。ベッドと、壁にかかった海図やよくわからないはり紙などしかない。
「本当にこんな船に密航者なんか乗ってるのかねぇ」

 小百合は木箱のつまれた倉庫を調べていた。
「まったく、何であたいがこんなことしなきゃいけないんだか……」
 愚痴りながらも、ちゃんと仕事はする。
 順に箱を開けていく。積み荷のチェックもかねているのだが、もう一つの顔のローズマリーにとっては物色ということになる。
 箱の中には光るものがびっしりと並んでいる。それを見て小百合はにやっ、と笑った。
「おや、これは……。めっけもんじゃないか。金貨だよ。こんなものも積んでたんだねぇ、この船は。そうだ、これ、もらっちゃお」
 金貨をポケットに入れて上機嫌になった小百合はさらに発見する。
「おや、まあ。悪趣味でいいんじゃないかい」
 宝石でごってりと飾られた冠だった。
「どこの金持ちがこういうの買うんだろうねぇ……。これは、さすがにこの格好じゃ持っていけないね。ここは、ローズマリー様のお出ましといくかい?」
 小百合はポケットから化粧道具を取り出すと、ささっと化粧をし、カツラをとり、警察の制服をぬいだ。下にはショートパンツとブラウスを身につけていた。
「さてと、お仕事お仕事」

 冠を手に、通路に出る。作業中の船員と業者の人間が気づき、大声を上げた。
「誰だお前は!」
「それは……ど、ドロボー!」
 ドロボーという叫び声に反応して、飛鳥刑事と佐々木刑事が駆けつける。あたりには眠らされた船員たちが転がっていた。
「ローズマリー!」
「ご無沙汰じゃねーか。今日はずいぶんとさわやかな格好だな」
「どうでもいいじゃないか。そんなことは」
「なんでこんなところにいるんだ!?」
「知らないのかい?この船は結構なお宝を積んでるんだよ、ほーら、このとおり、ね」
 冠を掲げてにこりと笑うローズマリー。
「……小百合はどうした?」
 小百合がこないことを訝しんだ佐々木刑事があたりを見回す。
「あの婦警さんなら一足先におねんねしてもらったよ」
「あちゃー、ローズマリーの得意技、教えてなかったなぁ、そういえば」
 佐々木刑事は額に手を当てて呟いた。
「次はあんた達の番だよ」
 ローズマリーのポケットから袋が取り出された。そして、ゆっくりと傾けられる。
「そうはいくか!」
 飛鳥刑事はとっさに近くにあった小麦粉と書かれた箱を開け、投げつけるものを探した。箱に大書きしてある通り、小麦粉のはいった袋しかないが、投げつけるにはちょうどいい。
「うわっ!なにするんだい!」
 宝石の粉に小麦粉が混ざり、効果が無くなる。飛鳥刑事はそれでもまだしつこく袋を投げつけた。粉まみれになるローズマリー。
「今日はいつになく化粧が濃いぜ!」
「化粧じゃないよ!あんたらがやったんだろ!」
 ローズマリーが地団駄を踏むと、辺りはもうもうしたと粉塵に包まれる。ローズマリーはその煙に紛れて姿を消していた。
「忍者かよ……」
 追う二人の刑事。今日はローズマリーも動きやすい服装なので逃げ足が速い。
 甲板に出た。振り返ると、刑事二人はまだ追ってくる。
 ローズマリーは頭に引っかかっていた粉の袋を投げつけた。
「うわっ」
 粉の袋の直撃を受けた飛鳥刑事は粉で頭が真っ白になる。佐々木刑事もその粉を吸ってむせ返った。
「このやろー!」
 飛鳥刑事の手に持たれていた粉の袋が次々と投げられる。しかし、目が見えていないので、袋はあっさりとかわされてしまう。
「もっとよく狙って投げないとあたらないよ!」
 と言われて、最後の一袋を投げるためにローズマリーを狙って……。
 ローズマリーは袋を構えていた。そして、流れ落ちる宝石の粉の光の粒が飛鳥刑事に微睡みを与える。抗うことのできない睡魔についに飛鳥刑事は屈した。
「こんなのに引っかかるようじゃまだまだ一人前とはいえないねぇ。ん?新米の友貴さ・ン♪」
「な、何で俺の名前を……」
「どうだっていいじゃないか。もういいかげん付き合い長いんだからさ」
 佐々木刑事がその隙をついて飛びかかった。だが、ローズマリーはそれをあっさりと躱した。再度飛びかかろうとした佐々木刑事は、粉袋からこぼれ落ちる宝石の粉をまともに見てしまう。
「くっ、しまった……」
 佐々木刑事もその場に倒れ込む。
「ちょっと、あんたの投げた粉袋の中に変な袋も混じってたよ。あとで、よーく調べて見るんだね。……あーあ、粉だらけだよ。こりゃぁ、どこかで洗わないとだめだね。しょうがない、こいつを倉庫にでも隠して、水道で洗うか……」

 甲板に誰か出てきた。女?
「!!あれは……ローズマリー!?」
 その姿に気づき、映美は身を乗り出した。
「何であいつがここに……。よーし、ちょうどいい機会だし、いっちょ、やるかぁ!」
 気合を入れる映美。そして、着ていたものを脱ぎ捨てる。こんな事もあろうかと、映美も服の下にルシファーの黒タイツを着こんでいたのだ。
「あの女の鼻の穴をあかしてやるんだから!」

「あーあ、頭の白いのがとれやしないよ!ま、いいか。どうせカツラかぶるし。……あと20分もないね。急いでどこかに隠してこないと……」
 ローズマリーは粉だらけの格好のまま、船を下りた。
 その時、目の前を黒いものが横切った。気がつくと、手にしていたはずの冠がない。
「ああっ、あんたはルシファー!あんたまたあたしの物を横取りしに来たんだね!」
「ふふ、御名答」
「どうしてここが分かったんだい!?」
「さあ?どうしてかしら。とにかく、これはもらっとくね。ばいばーい」
 ルシファーは駆け出すとみるみる小さくなっていく。
「こらー!待ちな!このドロボー猫!まったく、なんて奴だい!あーあ、一番の収穫がまたとられちまったよ!」
 喚いても、ルシファーと盗られた冠が戻ってくるはずがない。
 ローズマリーは粉だらけの服を脱ぎ捨て、警察の制服を着こんだ。カツラをかぶり、眼鏡をかける。薄い色の口紅を塗り、変装は終了。
「さてと。冠のことは諦めてお休み中の二人を起こすとしますかねぇ」
 甲板に出ると飛鳥刑事と佐々木刑事が眠っていた。
「起きてください!」
 二人を揺り起こす。飛鳥刑事と佐々木刑事はのっそりと起き上がり、同時に叫んだ。
「やられた!」
「ぷっ、二人とも、粉まみれですよ?」
 佐々木刑事はさほどでもないが、飛鳥刑事は袋の直撃を受けているのでひどい状況だった。
「またやられちゃいましたね。ルシファーに」
「ルシファー?」
「今のはローズマリーってんだ。催眠術を使うから気をつけろ。言っとくの忘れちまったけどさ」
「あ。そ、そうですか。ローズマリーですか、あははは」
 自分がルシファーに出っくわしたため、ついルシファーの名を口に出した小百合だが、飛鳥刑事と佐々木刑事はローズマリーを知らないから間違えたと思ってくれたようだ。
「?なにがおかしいんだ?」
 怪訝に訊ねる飛鳥刑事。小百合はただばつが悪そうに笑うだけだった。
「そーいや、ローズマリーの奴、俺が寝る前になんかいってたな。小麦粉の袋がどうとか」
 飛鳥刑事の足元に袋が一つ落ちている。これは飛鳥刑事が最後に投げようとしたものだ。しかし、言われて見れば妙である。小麦粉の袋のはずなのに妙に小さい。掌に収まる程度だ。
 それを見た佐々木刑事は、袋を拾いあげ、粉を指でつまんだり、匂いをかいだりしたあと呟いた。
「麻薬か……」
「ええっ!」
 声をそろえて驚く飛鳥刑事と小百合。
「麻薬の、密輸!?」
 飛鳥刑事は呆気に取られた顔でいった。密入国ではなく密輸だったのだ。
「よーし、船員と業者をとっつかまえるぞ!飛鳥!小百合は無線で応援を呼んでくれ!」

 パトカーが港に押し寄せ、残っていた者が逮捕された。荷物を検めたところ、麻薬のほかに、拳銃3丁も見つかった。
 しかし、逮捕された船員は頼まれて荷物を積んできただけで、この密輸に直接は関係していないことが判り、三日後には全員が釈放されることになる。
 そして、逃げていた業者も見つかり、この一件は解決した。
 港にパトカーが来る前に、佐々木刑事は小百合にこういった。
「ローズマリーが来たこと、黙ってろよ。取り調べするのは俺たちだしな。今回はもみ消しておくから、くれぐれも、柳だけには絶対に、口が裂けても言うなよ」

「この間の麻薬の密輸騒ぎ、あんたのところの組織はかかわってないだろうね」
 ローズマリーは黒服の男に訊ねた。
「うちは民間の業者なんか使わねぇ。安心しな。うちの組織はそうやすやすと尻尾を掴ませやしねぇよ。そのためにゴマンという人間が闇に消えて行ってんだ」
「ゴマンは言い過ぎじゃないかい?」
「厳密にいやぁ百人ちょいだ。世界でだがな」
「どこが厳密なんだい」
 黒服の男は上がりかまちで煙草に火をつけた。ローズマリーが空き缶を転がした。
「灰皿は無いから灰はこれにでも捨てておくれ。で、前回のあがりはこれだけだよ」
「金貨と……コカインか!?はっはっは、ちゃっかりしてるな」
「いいたかないけどさ、またでかい獲物を逃しちまってね。ルシファーのせいでさ。何か掴めないのかい?」
「盗まれた物のリストぐらいなら作ってあるけどな。多分、警察以上のことは判ってねぇよ。お前のところは何か掴めたかい?」
「警察の連中も頼りないね。あいつらといても何も判りゃしないよ。ルシファーのケツ追い回してるだけでさ」
 部屋の中が紫煙で煙ってくる。それをぼんやりと見ながらルシファーは独りごちた。
「まったく、男ってのは、つくづくどうしようもないねぇ……」

 日の沈みきった頃、西山村署の電話がけたたましくなる。
 通報は、怪盗の出現を告げるもの。例の如く、佐々木刑事、飛鳥刑事と小百合の三人は覆面パトカーで急行する。そう、小百合がいるのだからローズマリーではない。ルシファーだ。
 これまた例の如く、屋根の上で気どったポーズをとるルシファー。
 小百合は、その姿を見て、にや、と笑った。
 確かにこの連中と付き合っていてもルシファーの情報は期待できない。だが、あわよくば情報などなくても捕まえることができるかもしれない。警察なのだから。
 なるほど、警官やるのもいいもんだね。
 そんな小百合に気づくはずもなく、飛鳥刑事と佐々木刑事は屋根の上のルシファーを睨みつけている。
 今回盗まれたのは大学教授の論文の原稿である。
 いつも通りやっていてはいつも通りに逃げられる。警察も、今日は少し奇策を用意してきたのだ。
 飛鳥刑事が邸宅の中に入った。ルシファーの立っている屋根には窓がある。その窓から屋根に出るつもりなのだ。ルシファーはそれに気づき、あきれ顔をした。
 この間落ちかけたのに、懲りない人ね。
 それにしても、今日はいやに暗い。いつもならつけっぱなしのパトカーのライトだが、今日は何故か降りる前に全て消してしまう。さすがに、何かあるな、とは思ったのだが、せいぜい、暗くして逃げにくくしようという作戦だと思っていた。
 しかし、違ったのだ。
 下のほうで何かの音がした。パン、という花火のような音。そちらに目を向けた。その刹那。
 強烈な光が目につき刺さった。ルシファーには何がおこったのか飲み込めなかった。

 飛鳥刑事が邸宅内に突入して、10秒ほど立ったとき、無線から短い合図が聞こえた。佐々木刑事は、地面にかんしゃく玉をたたきつけた。パン、と小気味いい音がする。それを合図に警官隊が、一斉にサーチライトを点灯した。そして、光の輪をルシファーに合わせる。ルシファーは怯み、身を竦める。その時、飛鳥刑事が窓を開け、屋根に躍り出た。
 サーチライトで黒衣にも関わらず真っ白に浮かび上がるルシファー。
 突進する飛鳥刑事。もう少しでルシファーを捕まえられる。
 ルシファーの手前でスピードを落とす。突進してもかわされるだけだ。確実にタイミングを測って捕まえなければ。
 ルシファーも、飛鳥刑事の気配を感じ取っていた。すぐそばまで来ている。目が眩んで姿は確認できないが、足音と、聞こえてくる息づかいでそれが判る。
 お互い屋根の上でタイミングを測りあった。そして、ルシファーの見せた一瞬の隙をついて飛鳥刑事が躍りかかった。
 が、両の腕は虚しく空を抱いた。だが、ルシファーも逃げあぐねている。いつもなら、このあと隣の屋根にでも逃げるのだが、目が見えないために隣の屋根が分からない。半ば、この屋根に追いつめたも同然なのだ。
 そう、隣の屋根に逃げられない。それどころか、ルシファーはこの屋根の上で逃げることさえままならない状態だ。
 ルシファーには自分の足元さえもつかみきれない。
 このままでは捕まる……!
 胸の鼓動が激しくなった。
 ルシファーは、とにかく、光のあたらない屋根の反対側に逃げることにした。屋根の高いところに向かって走る。
 もちろん、闇雲に走っているわけではない。さっき見た、屋根の形を思い起こす。
 瞼に焼きついたサーチライトの残像の奥に、屋根のてっぺんが見えた。自分がサーチライトに照らされていることが幸いした。サーチライトの光が足元の屋根をくっきりと浮かび上がらせていた。
 そのサーチライトの光の輪に、黒い影が落ちている。自分の影ではない、飛鳥刑事の影だ。
 とっさに身をかわす。が、一瞬遅く、ルシファーは押え込まれ、屋根に突っ伏した。その勢いでもっていた原稿が手を離れ、屋根のへりの先の闇の中に消えた。
「しまった!」
 こうなったら原稿は諦めるしかない。別に欲しくて盗んでいるわけではないのだから。
 ルシファーは、屋根のへりを掴み、身を踊らせた。おそらく、この邸宅の屋根はハの字にはなっていない。このむこうは、垂直な壁のはず。
 ルシファーはそのまま屋根にぶらさがる形になった。やっぱり、と思い、どこに降りようか、と思案をめぐらせた刹那。
「うわああああぁぁぁ!」
 頭の上を飛鳥刑事が越えていった。屋根の形を知らず、そのまま駆け込んできたのだ。下で飛鳥刑事が落ちた音がした。
「あっちゃー、やっちゃった……」
 しかし、幸いな事に家の裏側にはゴルフショットの練習用の的のついた網があり、その網に引っかかって飛鳥刑事は大事は至らなかった。
 ルシファーも慌てて下に降りた。そして、網に包まって逆さ吊りになっている飛鳥刑事を見て、ほっとしたのと同時におかしさが込み上げてきた。そして、けたけたと笑いだした。
 放心状態だった飛鳥刑事も、その笑い声に我に返る。
「わ、笑うな!」
 飛鳥刑事は恥ずかしさで顔が熱くなった。
「だってー。この間も落ちそうになったのに。やることが単純なんだから。そんなことじゃ、あたしのこと捕まえられないぞ」
「うるさい!」
 ルシファーは、飛鳥刑事が動けないのをいいことに、目の前まで来て、顔を指で突っついた。
「やめろ!なにしやがる!バカにするなああぁぁぁ!」
「きゃははは。うりうり」
飛鳥刑事の顔を網越しに引っ張るルシファー。
 激しくもがく飛鳥刑事だが、網は一向にはずれない。だんだん首が変な形にまがってくる。
「最初はいい線行ってたんだけどなー。久しぶりにドキドキしちゃった。そのあとも別な意味でドキドキしたけど」
「お前、バカにするのもいい加減に、う……」
 ルシファーが飛鳥刑事の顔に自分の顔を近づけてきた。飛鳥刑事は思わず言葉に詰まる。
「ね、今度から、予告状出してあげようか?」
「よ、予告状?」
「その方が警備しやすいでしょ?あたしもやりがいあるし」
「あのなぁ……」
 あまりのことに飛鳥刑事も次の言葉が出ない。
 そうこうしている間に、どやどやと警官たちが押しかけてくる足音がした。
「おっと、いけない。今度から予告状出してあげるからね。ちゃんと警備してよ!グッナイ!」
 ルシファーは手を振り、ウィンクして駆けだした。ルシファーの姿はすぐに闇に溶けこんでいった。

「な、何、今の悲鳴……」
 飛鳥刑事の姿は見えない。小百合は嫌な予感がした。
 ルシファーを追って屋根の向こうに飛鳥刑事が消えるのを見て、教授が震えた声でいった。
「い、いけませんよ、あの屋根、向こう側はないんです、絶壁なんですよ」
「って事は?」
 小百合は泣きそうな顔で佐々木刑事を見た。
「落ちたな」
 あっさりと言う佐々木刑事。
「あっちゃー……」
 これも、佐々木刑事。
「だ、大丈夫なんですか?」
「俺はそうは思えねぇ。おい、救急車呼んどいてくれ。小百合、いくぞ」
「う、うん」
 教授の案内で裏庭へと向かう佐々木刑事と小百合。
「生きてりゃいいけどな」
「そんな〜……」
 裏庭に出ると、人影があった。飛鳥刑事ではない。ルシファーだ。ルシファーは、近くにあった気にするすると登ると、そのまま塀の上に立った。
「おい、ルシファー!ちょっと待て!」
「なあに?」
 ルシファーのんきな返事がきた。それで、佐々木刑事は飛鳥刑事の無事を確信した。
「俺の後輩がこの辺におっこったはずだ。知らないか?」
「そこの網のなかでもがいてる。助けてあげてね。じゃーねー」
 確かに、網の中に飛鳥刑事がいた。
「よかったー……」
 安心してへたり込む小百合。
「おーい、みんな。このまま運ぶから手を貸してくれ」
 佐々木刑事の悪い冗談だ。
「勘弁してくださいよぉ」
 泣きそうな声で飛鳥刑事が言った。

 ルシファーが落とした原稿は、裏庭で見つけることができた。風で飛ばされたのか、一枚見つからなかったが。
 飛鳥刑事は、一応、救急車で警察病院に運び込まれたが、すり傷と軽いむち打ちですんだ。
「お前、あの網がなかったら死んでたぞ」
 見舞いに来た佐々木刑事が冗談めかしていった。
「ほんとですよ。もう、心配したんですから!」
「小百合ちゃん、泣きそうになってたもんな。この女泣かせ!」
「なんですか、それ」
「で、あの時ルシファーとお前、なにしてたんだ?」
 飛鳥刑事は、昨夜のことを思い出して赤くなった。
「……何赤くなってんだ?お前、ルシファーにキスでもされたか?」
「し、してませんよ!あたた……」
 飛鳥刑事は飛び起きた。が、首の痛みで元の姿勢に戻る。
「悪い冗談はやめてくださいよ。全く……。退院が伸びるじゃないですか」
 そのやり取りを不機嫌そうな顔で見る小百合。
「ただ、ルシファーが、今度から予告状を出すって言ってました」
「予告状?ずいぶんと大胆なことをするな。予告状なんか出したら本格的に怪盗じゃないか」
「もう怪盗でしょう?」
「ただ、予告状ってのは怪盗の王道だからな」
「何ですか、それ」
 それを聞きながら、小百合はほくそ笑んだ。
 馬鹿な奴。あたしのいるところに予告状を送ろうなんて、いい度胸じゃないのさ。
 どんな罠を仕掛けてやろうかねぇ……。

「映美、夏休みは何してた?」
 出社してきた映美にさっそく渚と瞳が話しかけてきた。
「うーん、何ってこともないけど」
「素敵な恋とかできた?なんてね」
「へへ、どうかな」
「あーっ!何、その意味ありげな一言!」
 二人の態度が一変する。こうなるともう止まらない。
「誰か彼氏できたの!?」
「ねね、片想い?両想い?」
「デートとかしたの?」
「どんな人?」
 二人いっぺんにまくし立てるのでもう何を言っているのか聞き取れない。
「た、た、たいしたことじゃないんだって。ちょっと楽しいことがあっただけ」
「だから誰と?」
「ラブレターとか書いたの!?」
 ちょっと胸がドキッ、とする。
 ラブレターか……。
 予告状って、ラブレターなのかな……。
 予告状を出すと、あたしに逢いに来てくれる。
 なんで、あたし、あの人に予告状を出すって言ったんだろう。
 あたし、本当は誰のことが好きなんだろう。
 あたしのために、危険をも厭わない。
 今までで、一晩近くで話をした人。
 あの人、なのかな……。

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