Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第4話 新米婦警・小百合

 テレビでは、度重なる怪盗による事件をセンセーショナルに取り上げていた。最初はローカルニュースだった盗難事件も、怪盗の存在が明らかになり、しかも二人の女怪盗が競い合うように現れているとなれば、マスコミの話題になるのは当然ともいえる。
 そして、マスコミは時に、マスコミ同士の激しい争いを展開させる。その争いで勝利を収めるために、マスコミ各社はこぞって情報を集め、時には足りないところを推理して伝える。
 大概、情報が少なければその推理も的外れなものが多いが、まれに、偶然にも真実を言い当てることもある。
 この日の某局のワイドショーは、怪盗ルシファーについて検証するコーナーで、映美の私生活を、かなり言い当てた。
「怪盗ルシファーは、かつて聖華市に出現したときから、午後6時から10時までの間に出現するというパターンを守っています。例外的に午後4時に出現したとき、つまりノースフィリッツランドの大臣夫人の事件、その日は祝日でした。その事から、ルシファーは5時ごろに勤務時間の終わる、西山村市内、もしくはその近隣にある企業に勤めている可能性があります」
「学生、と言うことも考えられるのではないでしょうか」
「ルシファーは絵画など大きな物も盗み出しています。そして、それらが売りに出されたという話は聞きません。おそらく、盗品はルシファーが保管しているのでしょう。となると、保護者と同居を強いられる学生には難しいでしょう。学生ならば生活力もないので、盗品を売ろうとするはずです」
「と言うことは、犯人は独身のOLではないか、と言うことになりますね」
「断定はできませんが、その可能性が高いです」
 犯罪学者と言う肩書きの評論家は、アナウンサーの質問に淀みなく答えた。

 テレビで評論家がかなりいい推理をしている。と言うことは、他にも秘密の情報を持っている警察なら、さらに鋭い考察もできるだろう。
「まずいわね。ほぼズバリだわ。あまりぼろ出せないわね」
 映美は言い知れぬ不安に駆られた。
 自分の、怪盗としての状況を考察してみることにした。

「これが、西山村市内でルシファーが出没した場所です」
 OHPにより、スクリーンにおおざっぱな地図が映し出される。その地図には赤いマーカーでルシファーがあらわれた場所が点で書かれている。
「そしてこれが、それらの場所から逃げたルシファーの、分かっているかぎりの道のりです」
 OHPのスクリーンを棒で指しながらはなしているのが佐々木刑事。シートをOHPプロジェクタに乗せているのは飛鳥刑事。
 二人はいつの間にか署内でゴールデンコンビとも呼ばれるようになっていた。怪盗はなかなか捕まえられないが、行動力のある飛鳥刑事と、聞き込み、特に女性からの聞き込みのうまい佐々木刑事は、その他のところでいくつも手柄を上げているのだ。
「これらの矢印は警察内部の人間が最後にルシファーの姿を確認した場所、つまり、見失った場所までで、後の聞き込みによる目撃情報は考慮していません」
 スクリーンには、盗難にあった場所と、そこからのルシファーの逃走経路が書かれていた。逃走経路を示す矢印は、地図上においてもかなり短い。ほとんどあっという間に見失っているわけだ。
 しかし、矢印には素人でも分かるような明らかな特徴があった。
「見てのとおり、ルシファーの逃走経路はこの範囲に収束しています。このことから、この範囲内に、ルシファーの潜伏先、もしくは市外への脱出に使われている交通機関があるものと思われます」
 佐々木刑事が指し棒でスクリーン上に大きな楕円をぐりぐりと描いた。ほぼ同じような楕円がシート上の地図にもマーカーで書きこまれる。
「今日は、この範囲内にある駅、バス停などを中心に、交通機関をあたって、昨日の事件の時間以降の利用者のなかに不審な人物がいないかを中心に聞き込みを行いたいと思います」
 その後、会議は撤収、木牟田警部を中心とした捜査班が一斉に散っていった。
「しかし、ルシファーが交通機関なんて使うかねぇ」
 自分でいっておきながら、佐々木刑事がぼやいた。
「それはないんじゃないですか?使うとしても絵画みたいな大きな物を盗んだときはどこかに隠さないといけませんからね。少なくとも、その隠し場所はこの円内にあると思いますよ。今日の調査は交通機関では怪しい客が見当たらないことを確認するのが目的ですし」
「つまり、無駄だと分かってる捜査をやるわけね……」
「可能性が一つ潰れて、より絞り込めるじゃないですか。そういう地道な積み重ねが検挙につながるんですよ」
「分かっちゃいるけどさ。俺にはそういう地道なの、性に合わねーんだよなぁ」
 佐々木刑事はだるそうに伸びをした。
 地道なのが性に合わないのは飛鳥刑事も同じだ。それに、佐々木刑事は口の割には地道なことばかりする。口では派手にやりたいようなことを言うのだが、実際には面倒がって地道に動いてしまうのだ。飛鳥刑事はその逆で、じっくりと考えようとするのだが、いつの間にか体が動いているようなタチである、
 派手に動きたいが地道に動いてしまう佐々木刑事を、飛鳥刑事が勢いだけで引っ張っていく。勢いだけで動こうとする飛鳥刑事を、佐々木刑事が面倒がって止める。結局、その時の状況に応じてどちらに乗るかが決まるので動くべき時に動き、待つべき時は待つことになる。おかげでうまく回っているのだ。
 逆に言えば、他の組み合わせをすると、空回りしたりサボりまくったりでぐだぐだになりそうではあるのだが。

 その夜、ルシファー出現の一報を受け、西山村警察署内が一気に慌ただしくなった。
 今朝の会議ででた円内の地域に、私服警官を大量に張らせ、ルシファーの隠れ家を探りだす作戦がの準備が速やかに展開される。指揮をとるのは木牟田警部と柳警部補だ。
 一方、飛鳥刑事と佐々木刑事のコンビは警官を数人引き連れて現場へと急行。途中、木牟田警部からの「こちらの準備は整った」との連絡を受け、万端の準備でルシファーに挑む。
 現場にたどり着き、車から降りた二人は屋根の上で髪を風になびかせるルシファーの姿を見つけた。
「ルシファー!降りてこい!」
 飛鳥刑事が叫ぶが、当然ルシファーはこれには応じない。ルシファーの手にはブロンズのビーナス像が握られている。
 ルシファーが跳んだ。予想通りの方向。例の円の中心方向に向けてルシファーが移動していく。
 追う飛鳥刑事。しかし、曲がりくねった路地を走る飛鳥刑事は屋根の上を直線的に逃げるルシファーには到底追いつけるものではない。ルシファーの姿は、あっという間に闇にまぎれていった。
 しかし、その先には先回りした佐々木刑事の車が待ち伏せていた。
「第2ステージと行こうか」
 ルシファーが帰ると思われる地点へは、大きな通りを横断しなければならない。その大きな通りには若い私服警官たちがさり気なく待ち伏せしている。
 できればここで捕らえたいが、撒かれることは目に見えている。しかし、撒かれるのはまだ作戦のうちである。この後、木牟田警部を筆頭とした待ち伏せ部隊が、ルシファーを追跡するのだ。ルシファーがこちらの思うように動くかどうかが問題だが。
 そしてルシファーが動いた。屋根から飛び降り、道路を横切り、一気に駆け抜けた。佐々木刑事の車が、ルシファーの飛び込んだ路地にふたをするように停められる。
「あいかわらず素早い奴だ。後は木牟田警部がうまくやってくれることを祈るばかりだな」

 翌朝。飛鳥刑事と佐々木刑事は柳警部補にどやされていた。
「まったく!お前らの作戦は見事にこけたじゃないか。ルシファーの隠れ家を見つけるどころか、ルシファーにコケにされただけじゃないか!」
 昨夜、ルシファーを追跡した木牟田警部を筆頭とした班は、待ち伏せしていた警官がルシファーを発見すると、その進行方向を伝え、手のあいている者が順にその先回りをするという方法で、ルシファーを追跡した。
 途中から、飛鳥刑事と佐々木刑事も加わり、2時間にも及ぶ追跡が繰り広げられたが、ルシファーは途中から同じルートをたどるようになり、焦った柳警部補は、その周回ルートにほとんどの警官を移動させた。が、ルシファーは周回ルートを離れ、そのまま犯行現場方面へと引き返し、そのまま行方を暗ませた。
 そのまま、夜明けまで警官たちはめいめいに張り込んだが、結局、ルシファーはおろか、不審な女性も通らなかった。
 柳警部補は、そのことについて、飛鳥刑事と佐々木刑事の説が間違っていたと決めつけ、怒り狂っていた。柳警部補はいいたいことを機関銃のように言いまくり、気が済んだところで捜査のために刑事課をでていった。
「徹夜開けだってのに、元気だねぇ、あの人は。あのスタミナを仕事のほうに使ってほしいんだけど」
 20分にわたる説教をほとんど聞いていなかった佐々木刑事は、やっと雑音がやんだといった顔でいった。飛鳥刑事もほっとした顔でタバコに火をつける。
「結局逃げられたきっかけ作ったのはあの柳ハゲじゃねーか。まったく、いつもいつも俺達の邪魔してんのにさ、なんであんな涼しいこといえるんだ?」
「涼しいのは頭だけで十分ですよね」
 今日は飛鳥刑事も虫の居所が悪く、言うことがきつい。
「それよりさ、聞いたか?例の増員のこと」
「もちろん。ルシファーとローズマリーの対策に何人か他の所轄から回ってくるんですよね」
「なんでも、新人も混じっているらしいぞ。しかも女らしい。楽しみだな」
「手を出そうっていうんじゃないでしょうね」
「そんな露骨なこというなよ。かわいかったら食事でも誘って、気が合えば付き合ってもいいかなって程度だ」
「それって手を出すっていうんじゃないですか?」
 ルシファー、ならびにローズマリーの両怪盗による被害の続出に伴い、西山村署の増員が決定していた。
 人が増えれば捕まえられるというようなものではないだろうが、多いに越したことはない。
 増員が配属されるのは来週からということになっていた。刑事課には増員は回ってこないが、警備課と生活安全課では、増員の受け入れのために、準備に追われている。
「うちにも回してくれりゃいいのにな」
「若い女の子をですか?」
「分かってるじゃん。怪盗はどっちも女だ。女の気持ちは女にしか分からない。だからこそ、ぜひとも女性陣の強化を願いたいところだ」
「口実ですね」
「分かってるじゃん。この署は色気が足りねえ。まあ、外に捜査に出たくなるから、それも悪い事じゃないかも知れねぇけどよ」
 署に女性が増えると捜査に差し障りが出るのではないか。飛鳥刑事は少しだけ、そう思った。

「大丈夫?」
「ずるかと思ったけど、本当に悪そうね」
「ずるじゃないよぉ。ふとんから起き上がるのもやっとなんだから」
 仕事を休んだ映美の部屋に渚と瞳が見舞いに来ていた。
 昨夜、今までと違う方向に逃げて捜査を撹乱しようと思っていたが、お遊びのつもりで警察をかまっているうちに、自分がどこにいるのかわからなくなってしまい、堂々巡りをしてしまった。その上、警察の追跡もしつこく、休むひまもなく屋根の上を飛び回り、どうにか警察を振り切って家に帰ったのはいいが、一晩あけると全身が筋肉痛で、トイレにいくのさえままならぬ状況になっていた。
 一応、会社には風邪といってある。
「何か作ってあげようか?」
「そんな、悪いよ」
「いいっていいって。ついでだから私たちもここで食べてっちゃおうよ」
 冷蔵庫を開けて、中身を調べる二人。人の家でもおかまいなしだ。
「私、あまりちゃんとしたお料理って作ったことないなぁ」
「簡単に作れるとなると、やっぱりお粥かなー」
「風邪のときはちゃんと栄養のあるものを食べたほうがいいの。……一人暮らしの割にはいろいろ買ってあるじゃない。彼氏でもいるのかしら」
 いらぬ詮索を始める瞳。
「天ぷらでも作ろうか?それとも焼肉?」
 とても病人に食べさせるには向かないものを提案する渚。もっとも、映美は下半身を中心にしたただの筋肉痛だ。実際には風邪ですらない。焼き肉だろうが天ぷらだろうが食べられる。
「悪くなりそうなものから食べちゃったほうがいいわよね」
「……メロンとか?」
 冷蔵庫の片隅には昨日買ってきたメロンが入っている。マスクメロンなどという高級品ではないが、それなりの値段はしたものだ。
 狭いアパートの部屋である。居間で寝ている映美にもキッチンで話す二人の会話はしっかりと聞こえている。映美は少し怖くなったが、起き出すこともできない。
「あたし、この間ボンゴレ・ビアンコが作れるようになったの。アサリもあるし、作ってみようか?」
「でも、スパゲッティないよ?」
「あるのは……おそばかぁ……」
「おそばでボンゴレ……。だめね」
「ちょっと作ってみて、映美に食べてもらおうよ。黙ってれば何か分からないって」
 アサリそばにしようという発想はないらしい。
「あのー、聞こえてるんだけどぉ」
 姿が見えないうえ、映美も黙っていたので、二人も映美の存在を失念していたようだ。
「うっ。じょ、冗談よ。ははは」
 瞳の慌てぶりからはとても冗談とは思えない。
「もー、人んちのだと思って!作るんだったら普通の料理を作ってよ!」
「普通の料理かぁ。渚、何か作れる?」
「この材料でできるのは……卵焼きくらいかな」
「卵焼きじゃ寂しいよね」
「たまごにさっきのアサリを混ぜるっていうのは?」
「栄養を考えると野菜も入れたほうがいいよね。ゴボウとか、大根もあるし」
「お肉も入れよう」
「卵焼きは別にしてお味噌汁にしたほうがいいかな。お味噌汁ならいろんなもの入れられるじゃない。ほら、栄養のバランスとかもあるし」
「じゃ、お味噌汁に、アサリと卵と大根とハクサイとつみれとトマトを」
「栄養は気にしないからぁ。お願いだから普通のを作ってよぉ」
 涙声で訴える映美だが、果たしてその願いは聞き入れられたのか、真相は当事者達しか知らない。

「このところ、怪盗も出ないよな」
「そうですね。どっちも何の動きもないってのは無気味ですよね」
 その日は怪盗対策の増員が来る日である。朝、顔を見合わせた飛鳥刑事と佐々木刑事は当然のようにその話題を出し、関連で怪盗の話へと移る。
 実際、この間、ルシファーが出現してから9日間、どちらの怪盗も現われない。ローズマリーに至っては2週間も現われてないことになる。4、5日おきくらいのペースでどちらかが現われていたものだが、これだけの間があくのは西山村市に来てからというもの初めてである。
 映美は前回の事件がもとで、筋肉痛になり3日は動けなかったし、今でも本調子ではないので、体力の回復を待っているのだ。
 では、ローズマリーはどこへいったのか。

「さて、と」
 ローズマリーは鏡の前でポーズを取った。三つ編みのかつらをかぶり、縁の分厚い伊達眼鏡をかけ、化粧も薄く色使いを変えてある。自分でも、自分自身が鏡に映っているとは思えないほどである。
「うわー、我ながら変わるもんだねぇ。これなら、連中も気づかないね」
 楽しそうに笑うローズマリー。そこに、ノックの音がする。
「入るぜ」
 組織の男だ。扉を開けて入ってきた男は、ローズマリーの姿を見てあわてる。顔は全くの別人、おまけにスリップ姿である。
「おっと、部屋を間違えちまった。すまねぇ」
 焦ってドアを閉めようとする男にローズマリーは言う。
「間違っちゃいないよ。お入り」
「へ?な、何だ、お前、ローズマリーか?どうしたんだ一体。イメージチェンジでもするのか」
「しないよ、そんなこと。この格好で、警察にもぐりこんでやるのさ」
「んあ?そんなことしてどうするんだ」
「ま、ルシファー対策とでもいっておきますかねぇ」
「仕事もちゃんとやってくれよな。ここしばらくあがりがないんでわざわざ見に来てやったんだ」
「そんなこと頼んじゃいないけどねぇ」
「それにしても、全然変わるよな。なんかローズマリーじゃないみたいだ」
 ローズマリーは満更でもない。
「今までのあたいと、この格好、どっちが好みだい?」
「おう、そっちのほうがいいんじゃねぇのか」
「じゃ、今までのあたいはなんなのさ……」
 ローズマリーが変な目で見ると男は焦って目をそらした。
「いや、な。やっぱり女は髪が長いほうがいいんじゃないのか?俺の好みだけどよぉ」
「そうかい?あたいも髪伸ばそうかねぇ」
 ローズマリーは鏡のなかの自分の姿を眺めながら呟いた。

 新たに配属されたのは、6名。生活安全課、警備課、地域課にそれぞれ配属された。
「なんで刑事課に増員が回ってこないんだ?」
 佐々木刑事が飛鳥刑事に聞いた。当然飛鳥刑事が知るわけはない。
「刑事課は優秀な若手が二人もいるからな。あえて増員する必要もないってことだ」
 どこから現われたのか、木牟田警部が口をはさんでくる。この言葉に真っ先に反応をしたのは若手の二人ではなく、近くで聞いていた柳警部補であった。後ろを向いて、やや不機嫌な顔になる。
「え、優秀な若手って俺達っすか?」
 そのとおりとはいえ、臆面もなくいう佐々木刑事。
「ははは、優秀であることに自覚があるとは、偉くなったものだな。まぁ、間違ってはおらん。そのとおりだ」
 そんなやり取りをしているところに、一人の婦警があいさつに来た。新米の婦警。その正体はローズマリーであるが、知る由もない。
「あ、飛鳥刑事と佐々木刑事ですね?」
「お、お出ましだな。二人とも、新たに警備課に配属された……西川小百合君……だったかな?」
「はい。はじめまして、よろしくお願いします!」
 西川小百合という婦警は、確かに存在した。ローズマリーは、その婦警を拉致しすり変わったのだ。
 元々、組織の方から頼まれたことだ。何をする気なのかは分からないが、この西川小百合という婦警を気付かれないように拉致するように頼まれたのだ。当初は組織の構成員が催眠薬でも嗅がせて眠らせ運び出すつもりだったようだが、その時に騒がれたりして気付かれる恐れもあった。ローズマリーの催眠術ならその心配がない。そこで、協力を頼まれたというわけだ。
 誘拐はうまくいった。そして、誘拐に関わった組織関係者から、この婦警が怪盗対策に西山村署に異動させられる新人で、誘拐した婦警の代わりに組織の人間を警察に紛れ込ませるつもりだと言うことを聞き、代わりにしばらく自分が警察に潜り込みたいと頼んだのだ。
 まさかOKが出るとは思わなかったが、その頼みは聞き入れられた。その代わり、あとで何か話があるというようなことも言われた。その話がなんなのかが気になるところだが、とにかく、警察に潜り込んで警備や捜査の状況を把握し、警察の裏をかいてやればこんなに仕事がやりやすいことはない。これでルシファー如きに後れをとることなどあり得ないのだ。
 そんなローズマリーのことなど露知らず、刑事達は自分を西川小百合という婦警だと思いこんでくれたようだ。この西川小百合という婦警も、元の署でも配属されたばかりで顔も覚えられてないような新人だ。入れ替わったなど、誰も気付かない。
「するっていうと、新人の女の子ってのは君のことか。俺は佐々木だ。こっちが飛鳥。こいつも去年刑事になったばかりの新人だ。気が合うんじゃないか」
「えっ!それじゃ私と同期なんですか?うわー、すごいですね。県内でも有名になってるじゃないですかぁ」
 完全になりきっているローズマリー。
「えっ、そうなの?」
 女性にあまりもてたことのなかった飛鳥刑事は、この状況で脳の回転速度が低下している。そのために間の抜けた返事しかできない。
「あ、もういかなきゃ……。あとで怪盗の話、聞かせてくださいね!」
 ローズマリー、もとい小百合はあわてたように部屋を出ていった。
「結構かわいい子じゃないですか」
 嬉しそうな飛鳥刑事。対する佐々木刑事はさほどでもなさそうである。
「ちょっとがっかりだなぁ。お子様じゃないか。俺はもっと、オトナの女性が好みなんだけど」
 若い子が来ると思って張り切っていた佐々木刑事だが、メガネに三つ編みが思ったよりも子供っぽく見え、少しがっかりしている。佐々木刑事はオトナのオンナが好みなのだ。でも若い方がいいのだから無茶と言うものだ。
「こら、お前たち、もう手を出そうとか考えているのか?」
 と木牟田警部がつっこむ。佐々木刑事に関しては実際に手を出そうとか考え始めたのは割と前からである。そして、今はちょっとその気が失せたところでもある。
 柳警部補も、年甲斐なく鼻の下を伸ばしていた。

 その頃、住宅街のとある邸宅に一台のトレーラーが到着した。
 トレーラーのコンテナには『安心!迅速!信頼の稲垣運輸』と書かれており、一見どこにでもある宅配業者のトレーラーに見える。
 だが、そのコンテナは頑丈な作りで、ドアにもいくつもの鍵がかけられていて、さらにその奥にもう一つドアがある、という厳重なものである。
 美術品や貴金属類、重要書類など、高額な物や他人に狙われやすいものを目的地まで搬送する、そういう業者なのだ。
 トレーラーから二人の男が降り、助手席から降りた背広姿の男が邸宅のドアチャイムを鳴らし、出てきた主人に本人の確認をし、依頼の品が到着した旨を伝えた。その間、運転していた男はコンテナのドアの前で待機する。こちらは青と緑の作業着で、いかにも宅配業者といった感じである。
 そして、邸宅の主人の立ち会いのもと、コンテナの扉が開かれ、中から目的の品が姿を現した。
 小脇に抱えて歩ける程度の箱に入れられていて、その箱には石けんの詰めあわせセットと書かれている。が、これはカムフラージュ。中に入れられているのはやや小ぶりの絵画である。
 業者の男の手から、邸宅の主人の手にその箱が渡される。そして、コンテナの扉は元どおりに閉められた。
「どうぞ、中にお入りになって中の品をお確かめください」
 背広姿の男が恭しい口調でいう。モノが高価な物であるため、念入りである。梱包が解かれ、中のものを確認して、ようやくこの仕事が終わるのだ。さらにいえば、その間、運転手はトレーラーの運転席で待機し、用心する。
 今回の仕事も、滞りなく無事に終了する。そのはずだった。その時、空から降りてきたのだ。『悪魔』が。

 ジリリリリ!
 署の電話がけたたましく鳴る。
「はい、西山村警察署です!……怪盗!?……ルシファー!?そちらの場所は!?被害は!?」
 怪盗の一言で署内が色めき立った。飛鳥刑事と佐々木刑事はすでに走り出している。
 二人は車に飛び乗った。エンジンをかける。その時、車のドアがたたかれた。
「私も乗せてください!」
 小百合である。飛鳥刑事は親指で後部座席を指差し、乗れと合図する。
「おい、仕事はいいのか?」
 乗り込んできた小百合に訝しげに訊ねる飛鳥刑事。
「これが私の仕事ですよ。そのための増員ですもの」
 ごもっともな話である。
 そんなやり取りをよそに、佐々木刑事は無線で連絡をとり、目的地や被害のあらましを確認する。
「いくぞ!新米!俺の運転は荒いからな、しっかりつかまってろ!」
 キキキキキ、とけたたましい音を立てて車が発進した。
 街は日曜で道を行く車も多い。しかし、サイレンを鳴らしながら走っているため、道がまるでモーセの十戒さながらに開いていく。
 目的地にはすぐにたどり着くことができた。歩道のない道の脇に、道路の幅に似つかわしくない大きなトレーラーが止まっている。
「刑事さん!あそこです!」
「見れば分かる!」
 怪盗は、大胆にも白昼堂々、屋根の上に立っていた。青空、白い雲をバックに立つ漆黒の姿。ルシファーはかぶっていたフードを取り去り、風に髪を泳がせる。刑事たちの到着を待っていたかのように。
「昼も夜も相変わらずだな」
「これを見ないと、始まりませんよね」
 楽しそうに笑う二人。小百合は憮然とした顔でいう。
「何のんきなこといってるんです?逃げちゃいますよ」
「ルシファーはそんなつまらない奴じゃない。全員来るまでは逃げないよ」
 続々と到着するパトカー。そして、次々と降りて、あたりを包囲していく警官たち。
 まずいな。佐々木刑事は、道がほぼ完全に塞がったことに気付いた。トレーラーに近寄り、中で待機している運転手に指示をした。
「おい、この車、ちょっと出してくれないか?狭い道に停められてると邪魔なんだ」
 トレーラーが発車する。佐々木刑事が元の場所に戻ると飛鳥刑事の姿がない。
「おい、飛鳥はどこにいった?」
 聞かれて小百合は飛鳥の姿がないことに気付く。
「あ、あれ?さっきはここにいたのに……」
「小百合、こういうときは反応するな。何もなかったように怪盗だけ見ていろ」
「え?」
 何のことか分からず、言われたとおりにルシファーに目を向ける小百合。そのルシファーの後ろに、迫るもう一つの姿があった。
 飛鳥刑事だった。トレーラーが発車したどさくさに紛れて、狭い路地に身を滑り込ませ、そのまま塀をよじ登り、屋根の上のルシファーに背後から迫っていたのだ。
 当然、他の警官たちはそれに気づいている。そして、何も知らないフリをして、周囲を包囲し、追跡の用意をし、一方では被害者に話を聞いている。
 飛鳥刑事は怪盗の姿を目の前に見ていた。気づいていないらしく、不用心な背中を見せるルシファー。この距離では、足音一つ立てただけで気づかれてしまうだろう。周りの喧騒にまぎれて聞き漏らしてくれればいいのだが、相手が相手だ。そうもいかないだろう。
 一歩一歩、確実に近づいていく。もう一歩。まだダメだ。さらに一歩。よし。
 意を決した飛鳥刑事は目を瞑り、ルシファーに飛びかかった。目を開くと、眼下には邸宅の庭が、緊張してみつめる警官たちが、顔を手で被い顔を背けている小百合が、そして佐々木刑事の『やっちまったか』と言わんばかりの顔が、見えた。
 ルシファーも、最初から気づいていたのだ。一瞬、トレーラーに気をとられはしたが、改めて見たとき、飛鳥刑事の姿がないことくらい、すぐに気づく。
 落ちる!飛鳥刑事の背筋に冷たいものが疾った。心臓が止まりそうだ。視界が一瞬、真っ暗になった。
 その時、肩をつかむ者がいた。今、この状況で肩をつかめるほど近くにいるのは一人しかいない。振り向いてその姿を確認する前にすでに答えは出ていた。ルシファーだ。
 初めて、間近でルシファーの顔を見た。風が、コロンのような香りを運んできた。鼻から下は黒い布で覆われていて見ることはできない。見えるのは、目だけである。
 澄んだ瞳だった。とても、人の物を盗み、世間を騒がせている怪盗とは思えない。純真な、子供のような瞳。
 そのルシファーが、耳元でささやいた。
「元気なのはいいけど、後先考えないで行動するのはだめよ。危なくって見てられないわ」
 楽しそうな声だ。
「なんだとぉ!」
 飛鳥刑事はルシファーを振り払った。ルシファーも素早く飛び退く。
「ふふふ、あたしを捕まえるには注意力が足りないな。判断力はいい線いってるんじゃないかな。今度はもうちょっと楽しませてね」
「ふ、ふざけるなぁ!俺たちはお前の遊び相手じゃないぞ!」
 飛鳥刑事は再度飛びかかろうとした、が、さっき落ちかけた恐怖の余韻で足ががくがく震えて、動くこともできない。
「もう少し高いところにも慣れたほうがいいよ。じゃあね!」
 隣の家の屋根に飛び移るルシファー。こうなるともう、飛鳥刑事には手が出ない。
 眼下で警官が一斉に動きだすのが見えた。緊張の糸が切れ、飛鳥刑事はそのまま屋根の上にへたり込んだ。

「よりにもよって怪盗に助けられるとはどういうことだぁ!この大馬鹿もん!!」
 柳警部補の罵声がとぶ。しばらく小言が続き、ようやく飛鳥刑事は開放された。
 部屋を出ると佐々木刑事がにやにやしながら立っている。
「怒鳴られてたなぁ」
「ひどい目にあいましたよ。こんなことなら、屋根になんか登らなきゃよかった」
 憮然として言う飛鳥刑事。
 小百合とすれちがった。小百合は会釈をして通りすぎていく。
「ルシファーに、なんか言われてたな。何を言われてたんだ?小百合ちゃんが妬いてたぜ」
 その言葉に小百合があわててつめよって来る。
「ちょ、ちょ、何言ってるんですか!そんなことあるわけないでしょ!もー、いやだわ、男って……」
 小百合は怒ったように早足で去っていく。歩調が荒い。
「あっれ〜?」
「何です?先輩」
「いや……」
 佐々木刑事は、小百合が耳まで赤くなっていたのを見逃さなかった。

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