Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第3話 ルシファーVSローズマリー決戦の火ぶた

 映美がオフィスの部屋に入ると、瞳がまるで待ち構えていたかのように話しかけて来た。
「見て見て、映美!怪盗の姿をカメラで捉えたわ!」
 興奮ぎみに迫ってくる瞳に思わずひく映美。
「え、う、うそ……」
「嘘じゃないよ!ほらぁ!」
 瞳は映美の目の前に写真を突きつけた。近すぎてよく見えない。一歩さがって写真をよく見てみる映美。写真には、ノースフィリッツランドの大臣夫人が怪盗に宝石を奪われる瞬間が写されていた。
 あいにく、怪盗の姿はぶれまくっており、顔はおろか姿さえもはっきりとはしない。なんの証拠にもなりそうにないので映美はほっとした。しかし、これが決定的瞬間であることは間違いない。
 だからこそ、映美も、
「へー、あたしも見たかったなー、怪盗」
 などと、白々しいことを余裕をもって言える。
「あっ、瞳、写真できた!?」
 そこに入ってくる渚。二人とも、いつもなら映美より遅く、遅刻ぎりぎりに来るのに、今日に限っていやに早い。
「おや、二人とも、今日はずいぶんと早いな」
 案の定、入って来た課長は驚いたようにいう。
「課長!瞳が怪盗ルシファーの写真を撮ったんですよ!」
「何ぃ!?」
 課長はただでさえ驚いたところに追い打ちをかけられる。写真を覗きこんで大いに盛り上がる3人。そして、見る間に次々と課の人間が集まり、人だかりができた。
「こら、始業の時間だぞ。仕事せんか、お前ら」
 などと言って入ってきた部長も、いつのまにか人だかりに加わっている。
 誰が手を回したのかはしらないが、昼休みには廊下の掲示板に引き伸ばされた写真がはりだされることになった。映美は、その前では足早に通り過ぎたい衝動に駆られ、昼休みも部屋から出にくくなってしまった。さらにとどめを刺すかのような渚と瞳のおしゃべりに巻き込まれ、その日は追い立てられるようにして帰宅したのだった。

 昼下がり。狭いアパートの部屋にテレビの声だけが騒がしく喚き立てている。
「第2の怪盗、ローズマリーか」
 ワイドショーのテロップを見て不機嫌そうな顔をするローズマリー。
「せっかくこの町での初仕事をセンセーショナルに決めてやろうと思ったのに、一番でかい宝石は取られる、マスコミも2番扱い。全く面白くない」
 最初はぶつぶつと愚痴っていたが、だんだん感情がこもり、ヒステリックな声になってくる。そして、ここがアパートであることを思い出し慌てて口をつぐむ。
 ローズマリーはため息をつき、棚から乳鉢を出すと、宝石のかけらを放りこみ、深呼吸をした。そして。
「あああっ、腹たつううううううぅぅぅぅぅぅ!!!」
 と叫び、裂帛の絶叫とともに、すべての怒りを乳鉢の宝石にぶつける。
 部屋に低い雷鳴のような音が唸っている。
 やがて、肩で息をし始め、手が止まる頃には、宝石は粉になっていた。
「あちゃー、ちょっと細かすぎるかな?……これもみんなあのルシファーとか言う奴のせいだ。きー!」
 野猿のような奇声を発して棚を蹴る。ぐき。ローズマリーは足の指を押さえてうずくまった。
 その頭に、棚の上から胃腸薬の瓶が落ちてきた。
 何をしても悪循環である。そのたびにルシファーのことを思いだし腹が立つ。
 ローズマリーは、その日の晩、胃の痛みに悩まされた。だが、胃薬を飲もうとすると、これが棚の上から落ちてきたことを思い出し体に来るので飲めなかった。まさに、地獄だった。

 柳警部補は2日の無断欠勤の後、出勤した。目の下にはクマができ、やせ細った顔はさらにやつれ、生彩がない。
 柳警部補は今まで順当に仕事をこなし、大きな失敗もなく警部補まで上りつめたのだが、それゆえに先の失態がかなり効いたのであった。さらに、悪いことに、怪盗ルシファー出現から逃走までの一部始終を撮影したビデオがやじうまから提出され、そこには、飛鳥刑事らに無茶な指示を飛ばし、怪盗を捕まえ損ねた警官たちに怪盗そっちのけで馬声を浴びせる姿がしっかりと撮られていた。
 さらに、佐々木刑事が、柳警部補が車のキーを抜いていたおかげで車で追うことができなかったことを木牟田警部に、まあ、チクったわけである。
 もともと、責任者として名乗り出たところに、この失態の数々。木牟田警部を始めとする上層部からきつーいお叱りを受け、半ばノイローゼのような状態になってしまったのだ。
 そして、無断欠勤。出勤の際、木牟田警部に見つかり、またしてもお叱りを受ける羽目になった。
 その横を、飛鳥刑事と佐々木刑事が通り過ぎようとしていた。
 佐々木が飛鳥に何か言っている。陰口に決まっている。佐々木め。あいつが余計なことを言うからこんな目に遭ったんだ。
 佐々木刑事を恨みがましい目で睨む柳警部補。
 それに木牟田警部が気づいた。
「柳君。どこを見ている!」
 怒鳴られ、柳警部補はびくっと身をすくめた。

「おい、なんだ、あの幽霊か骸骨みたいな警部補は。何があったんだ?」
 飛鳥刑事と佐々木刑事は、廊下で説教を受けている柳警部補を見かけた。柳に幽霊はつきものではあるがおいておいて。あの日の失態に上層部一同おかんむりだったのだから当然である。気に食わない柳警部補が上司に説教されているのは小気味良い感じだったのだが。
 そのとき、佐々木刑事に向けられた凍りつくような目線。
「げ、なんか、いやーな目でこっちを見てるぜ。飛鳥、とっとと行こうぜ」

 その日の午後、西山村市にニュースが飛び込んできた。とある商社の社長が、『キャッツ・アイズ』と呼ばれる、2つで一対のトパーズを仕入れたとのことだった。
 それはその日のうちに買い手がつき、取り引きの日までその商社と契約していたデパートに展示されることになった。
 その噂は瞬く間に広がり、デパートには展示の用意もできていないうちから問い合わせが殺到した。
 当然、ローズマリーがその出物を狙わないはずがない。そのデパートに下見がてらに買い物にきたローズマリー。
 今回の仕事には、もう一つ、彼女の目論見があった。
 準備が進められている『キャッツ・アイズ』の展示場に、飾り気のない封筒が置かれていた。その封が切られ、大騒ぎになるのは2時間ほど後のことである。

『予告・キャッツ・アイズは展示最終日にこの怪盗ローズマリーが頂く。ルシファーなんかにはとられないよ』

 当然、こんな手紙を見つけては、デパート側も黙って放ってはおけない。即、警察に通報がいく。
 その通報を受け、警察も一気に慌ただしくなる。怪盗といわれ、飛鳥刑事と佐々木刑事は奮い立つ。そして、前回は酷い目に遭わされた柳警部補も、突如水を得た魚のように元気になった。
「ローズマリー!私に恥をかかせた分、今度はタダではすまんぞ!おい、佐々木!お前、私の足を引っ張るなよ!」
 すでにいつものペースを取り戻す柳警部補。先程までは廃人のようだったのが嘘のようだ。
「わっかんねぇなぁ、あの人は」
 佐々木刑事は呆れきっている。
「確かに……」
 飛鳥刑事も苦笑するしかない。

 部屋にはジャスミンティーの香りが広がっている。映美は時計を見た。午後10時を少し回ったところだ。いつも寝る時間までは後1時間ある。ジャスミンティーの香りを満喫しながら、ベッドに腰をおろした。テレビからはニュースが流れていた。
 今日は、特にすることがないので、早く寝るつもりだ。ジャスミンの香りと、小難しい政治のニュースが、いつも映美に微睡みをもたらしてくれる。
「地域のニュースです。本日、大手百貨店で知られるパスコの西山村店に展示予定の宝石『キャッツ・アイズ』に対し、窃盗予告が出されました。それを受け、警察では対策本部を設置し、24時間体制での警備にあたることが決定しました。犯人は、ローズマリーと名乗っており、国内を荒らし回っている窃盗常習犯であると思われます。なお、予告状には、同じく窃盗常習犯で、ルシファーと呼ばれている人物に対し、挑発するような内容であったとのことです」
 画面には、その文面が映しだされていた。
「あああっつぅ!」
 呆然と画面を見つめていた映美は、カップから入れたてのジャスミンティーを太腿にこぼし、悲鳴を上げた。

 テレビでは、その予告状が話題になっていた。特に、ワイドショーでは我先に取り上げた。時折ニュースで取り上げられる怪盗ローズマリーが、別な怪盗に挑戦したということで、センセーショナルに扱われ、ローズマリーやルシファーの特集が組まれた。ローカルだった怪盗ルシファーの名が全国に広まった。
 その様を見て、ほくそ笑むものがいた。
 ローズマリーだ。
「どうだい。ルシファーとやら。これで引っ込んではいられないだろう?うふふ、どんな奴なのか、楽しみだねぇ」

 新聞も、テレビも、街角の井戸端会議でも、真っ先に怪盗の対決のことが話題に上がった。もはや、ローズマリー対ルシファーの対決は行われて当然のような論調であった。
 さすがに、ここまで騒がれては映美も引っ込みがつかなくなっていた。まさに、ローズマリーの思うつぼである。
 やむなく、下調べを始める映美。しかし、怪盗が狙う宝石を見るためにわざわざ全国から集まってくる物好きと、警察のブロックにあって、思いどおりには調査が進まない。
 そうこうしているうちに、Xデーが来てしまった。

 Xデー。つまり、展示最終日には、配置される警官の数も、通常の3倍程度に増え、デパートの各階の、階段、エレベータ、エスカレーター、ドアなど、逃走経路に使われそうなところはもちろん、全く関係のないようなところにまで、びっしりと警官が立ち、物々しい雰囲気になっていた。
 予告の日ということもあって、木牟田警部に柳警部補も警備にあたった。
 さすがに警官ににらまれては落ち着いて宝石も見られないのか、展示会場で宝石を見る人の流れはいつもより速く、普段は満員列車のような混雑を見せていた会場も、今日はさほどではない。
 しかし、会場付近をうろついている人間はかなり多かった。もしかしたら、怪盗が宝石を盗みだすところを目撃できるかもしれないのだ。
 しかし、多くの人の期待をよそに、怪盗は現れないまま閉店時間を迎えた。そして、いつまでも帰るのを渋っていた最後の客が追い出された。

 シャッターが閉められるがらがらがら、という音が聞こえてきた。それを聞いて、少し安心した表情になる飛鳥刑事。
「ようやく、客がいなくなりましたね。これで客にまぎれて盗み出すことはできなくなりました」
「もっとも、これで客が怪盗を取り押さえることもない。怪盗が二人、一度に現れでもしたら、これだけの警官がいても難しいかもな」
 厳しい表情のままの佐々木刑事。
「予告状には、決行は展示の最終日、つまり今日だと書かれていた。日が変わるまでが勝負だろうな」
 木牟田警部は、そういうと、懐からタバコを取り出した。ライターを取りだし火をつける飛鳥刑事。
「お、すまんね」
 紫煙漂う中、しばし沈黙が続く。
「遅いですね、柳警部補……」
 沈黙を破ったのは飛鳥刑事だった。その言葉に舌打ちする佐々木刑事。
「思い出させるなよ。せっかく脳裏からいい感じで消え失せていたのに」
「こら、本人がいたらどうする」
 ヒソヒソと応える佐々木刑事の言葉を聞き咎めた木牟田警部がすかさずチェックを入れる。本人がいなければそういうことを言っても構わないというとり方もできる一言だが、うっかりか、意図してか。
 とにかく今、柳警部補は戸締まりに立ち会っているはずだった。もう戻ってきてもおかしくはない。いや、そろそろ戻ってきていなくてはおかしいのだ。
「トイレに寄ってるんじゃないのか?大仕事の前にさ」
「でも、戸締まりの5分前くらいにもトイレに行くって言ってここを離れましたよ」
 佐々木刑事は突然小声になり、飛鳥刑事にしか聞こえないように言った。
「なあ、前の事件じゃ、ローズマリーに情報もらしたの柳ハゲなんだろ?本人は催眠にかかったって言ってたけどよ、どうかな。あいつ、怪盗の手引きやってんじゃねーのか?」
「ちょ、ちょっと……」
 本人がいないのをいことに好き放題言いまくる佐々木刑事にブレーキをかけようとする飛鳥刑事。いくら小声で話しているとはいえ、聞こえそうな範囲内に木牟田警部がいる。滅多なことは言って聞かれてしまっては大変だ。なお、当の木牟田警部には、聞こえないフリこそしてはいるが、ばっちり聞こえている。
 その時、下から警官が上がってきた。
「け、警部!1階の警官が全員眠らされています!」

 様子を見るように指示を受けた佐々木刑事は、1階に降りてあたりを見回した。
 大勢立っているはずの警官の姿がない。歩き回っていると、そこら中に転がっている警官の姿。
 確かに、警官が全員眠らされていた。その警官の側で、何かが輝いた。光る粉。この粉は、宝石を砕いたもの。つまり、ローズマリーの手口だ。
 出入口シャッターの側にデパートの職員と柳警部補が並んで倒れていた。柳警部補は盛大に鼾をかいており、横のデパート職員は、寝苦しそうな顔をしている。
「ったく、気持ち良さそーに寝てやがって。起きろ、柳ハゲ!」
 佐々木刑事は柳警部補の脳天に蹴りを入れた。

「この私がついていながら、申し訳ありません」
 申し訳なさそうな柳警部補。ただ、言葉のどこかに間違った自信が見え隠れしている。
「下のシャッターは完全に閉められていました。状況から見て、怪盗はすでにデパート内に侵入し、潜伏しているものと推測されます」
 佐々木刑事の報告を受け、厳しい表情を浮かべる木牟田警部。
「ルシファーはどうなったか分からないが、ローズマリーはもういつきてもおかしくない状況だ。よし、立ち番の警官を何人か、巡回に回そう。動き回っていれば眠らされた者がいればすぐに気がつくだろうし。柳君、さっそく手配してくれたまえ」
 敬礼し、歩きだす柳警部補。佐々木刑事は、そんな柳警部補の独り言を耳にする。
「いかんなぁ、頭のてっぺんをどこかにぶつけたらしい。ずきずきする」
 佐々木刑事はそっぽを向いた。
「まだ、すぐには来ないかもしれませんね」
「ん?どういうことだね、飛鳥君」
「今回は、ローズマリーがルシファーを挑発するような形になっています。ですから、ルシファーがその挑発に乗ってこのデパートに現れるまではローズマリーは動かないと思うんです」
「なるほど。それは一理あるな」
 そのやり取りを耳にした警官の一人が笑みを浮かべた。いや、警官ではない。警官の姿をしたローズマリーだ。
 誰にも聞こえないように呟くローズマリー。
「ふふ、いい線行ってるじゃないか。なかなかに見所があるね、あの若い刑事君は……」

 デパートの屋上に、一つの黒い影が降り立った。ルシファーだ。
 予定外の盗みなので、彼女の表情には緊張の色がうかがえた。この宝石に目はつけていた。しかし、ローズマリーの挑発と、世間の期待により、計画の変更を余儀なくされた。選りにもよって、警備が一番厳重な日。予告の日なのだから、警備が厳重なのは当然である。
 ローズマリーの本意が読めない。なぜ、わざわざ犯行の予定を明かし、警備が厳重な日に入ろうとするのか。この予告が偽りの日時を指定して、捜査を混乱させるためのものでないことは今日の日まで宝石が無事であることから見て明確である。だからこそ、理由が掴めない。
 まさか、罠?あたしを誘いだし、厳重な警備にてこずり、捕まってしまうのを期待している?
 そう思うと、決心がつかない。しかし、ここで引き返すのはプライドが許さなかった。
 ルシファーは大きく息を吸い込むと、閉じていた目を開き、自分に言い聞かせるように呟いた。
「よし、行くか」

「しかし、ルシファーも挑発にのってるくるのかねぇ」
 佐々木刑事がつぶやく。
「テレビや新聞でもがんがん報道されてますし、もう引っ込みつかないんじゃないですか?」
 そう言ったとき、飛鳥刑事は風を感じた。この季節、冷房や暖房がかかることはまずない。
 かすかな異変に飛鳥刑事は警戒心を強くする。佐々木刑事も何かを感じ取ったらしく、飛鳥刑事に目をあわせ、微かに頷く。
 その時、『キャッツ・アイズ』が陳列されていたショーケースがくだけ散った。

 ルシファーは、屋上のドアの鍵を開けた。そして、ドアをそっと開ける。警備はいない。そのまま、音がしないようにすっと扉の内側に身を滑り込ませ、扉を閉める。
 その時、階下に足音が近づいてきた。素早くドアの前に身を伏せる。
 ドアに、丸い光があたる。下から懐中電灯で照らしているのだ。伏せていれば、階段の影で死角になるし、懐中電灯の光もあたらない。
 見回りの警官らしい足音は、ルシファーに気づかず、通り過ぎていった。
 階段を静かに駆けおり、様子をうかがう。明かりの見えるほうに向かうと、実にあっけなく宝石が見つかった。が、当然ながら厳重な警備だ。このままでは隙はない。
 ちょっとした小道具を使うことにした。

 突然、けたたましい音を立ててショーケースが砕け散った。そして、横の通用口で微かな物音がする。一同、そちらに目を向ける。
 黒い影がショーケースめがけて突っ込んできた。
 ルシファー!飛鳥刑事は、そう思ったときにはその影に飛び掛かっていた。確かな感触。捕まえた!?

 ルシファーは、さっきのぞいた通用口とは逆方向にある通用口にいた。
 大急ぎで反対側に回ってきたのだ。
 腕時計のタイマーをみると、57から58に変わるところだった。
 ついさっき、自分がのぞきこんだ方の通用口を見る。ショーケースが砕け、先程自分が仕掛けたおとりが作動し始めるのを確認した。全員がそちらに気をとられたようだ。
 飛鳥刑事がおとりに飛び掛かった。
 そして、行動を起こす。しかし、全員がそのおとりに気をとられたわけではなかった。

 ローズマリーは、ルシファーの行動を見抜いていた。
 先程、左の通用口に現れた。そして、何かを仕掛けたあと、右の通用口に回り込んでいる。
 ふん、甘いねぇ。そんなんじゃ、警察はだませてもあたいはだませやしないよ。ローズマリーは口元に不敵な笑みを浮かべていた。
 そして、待った。ルシファーが次の行動を起こすのを。

 おとりに気をとられた刑事たちの背後から、疾風のようなスピードで駆け寄るルシファー。
 しかし、その時、警官の一人が振り向いた。
 え!?
 ルシファーの鼓動が高まる。
 笑みを浮かべている。蛇のようにねちっこい笑み。その口元は、妙に赤い。口紅?警官じゃない。女!?
 警官の姿をした女は、素早くポケットに手を突っ込み、何かをルシファーに投げつけた。
「きゃあ!」
 女の投げつけてきた砂が目にはいり、動きが止まるルシファー。
 自分がしがみついているのが、値札付きのクッションだと気がついた飛鳥刑事。その背後で突然上がった短い悲鳴に反応し、振り向いた刑事たちの目に映ったのは、警備していた警官が持っている袋から流れ落ちるきらめく粉末だった。
 そして、その警官、いや、警官に扮したローズマリーは、刑事たちが崩れたように倒れ込むのを確認したあと、まだ目を押さえているルシファーに向き直り、高らかに言い放った。
「この勝負、あたいの勝ちだね!」
 ローズマリーは声高らかに笑っている。

 ルシファーが目を開けられるようになったときには、すでにローズマリーの姿も、『キャッツ・アイズ』も消えて無くなっていた。
 目の前では刑事たちが催眠術で放心している。しかし、いつ意識が戻るか分からない。一刻も早くこの場を去らねば。
 ルシファーにとって、何も盗めずに帰るのは初めてである。まして、警察の障害ではなく、全く関係のない怪盗に横取りされたのだ。こんな屈辱的な気分を味わうのは初めてだった。
「許さないからね!憶えてなさい、どブス!」
 消え行くローズマリーの後ろ姿に向かい、叫んだ。その声で、刑事たちが我に返る。ルシファーはそそくさと退散した。
「ふん、何とでもお言い。負け犬が吠えているよ、みっともないねぇ」
 ローズマリーは鼻歌混じりで上機嫌で去っていく。

「やられたな」
 砕かれ、空になったショーケースを見つめて、木牟田警部が忌々しげに呟いた。
「まったく、役に立たんな、お前らは!」
 自分のことを棚に上げて、飛鳥刑事と佐々木刑事に馬声を浴びせる柳警部補。それを受けて、顔を見合わせる二人。そして柳警部補に向き直り、にやり、と笑う。
「そうでもないですよ」
 自信ありげに言う飛鳥刑事。
「あいつも焦ってたんだろう。こんな単純な手に引っかかるなんてな」
 佐々木刑事はスーツのうちポケットから折り畳まれた封筒を取り出した。
 飛鳥刑事も同じ封筒を取り出し、佐々木刑事と示した合わせたように顔を合わせ、にっと笑った。
 その封筒の中には、『キャッツ・アイズ』の「本物」がティッシュに包まって入っていたのだった。
「おおっ、それは!でかしたぞ、二人とも!」
 予想外の展開に、手放しで二人を誉める木牟田警部。
「飛鳥の発案なんですよ。俺はこんな単純な手で騙せるのかって渋ったんすけど」
「今日だけ、偽物を展示しておいたんです。こっそり、偽物を作ってもらって、知らん顔して本物は自分たちで肌身離さず持ち歩いていたんです」
「そんなことしていいと許可を出した覚えはないぞ?」
 すかさず柳警部補が突っ込んでくるが。
「誰にも言わずに内緒でやることに意義があるんです」
「うむ。確かに大勢が知っていたら誰か口外するとも限らん。この間のこともあるしな」
 佐々木刑事の言葉に追い打ちをかけるような木牟田警部の一言で柳警部補は黙り込んだ。
 前回、ローズマリーに情報をもらしたことを指摘されたのだ。

「あー!もー!頭くるわねぇぇ!」
 地団駄を踏みながらあげたローズマリーの金切り声がアパート中に響いた。時間は夜中の3時。間を置かずしてアパートの住人が集まり、罵声を浴びせてきた。
 その声に、ローズマリーがドアを開けた。ローズマリーの般若のような表情を見た住人は、一様に口をつぐみ、そそくさと部屋に戻っていった。
 ローズマリーはその顔のままドアを閉め、虚空を睨みつけた。
 せっかく手に入れた宝石が、偽物だったのだ。ルシファーとの勝負にこだわりすぎたばかりに、モノが本物かどうか確認するのを怠ったのだ。
 こんなことをあいつらが……、組織の連中が知ったら。連中はこっちが成功しようが失敗しようが、損がでるわけではない。成功すれば儲かる、といった程度なのだ。
 しかし、失敗すれば馬鹿にされる。。特に、ローズマリーは完璧主義者的な面もある。失敗を人に指摘されるのが大嫌いなのである。
 それを思うと、今夜もまた乳鉢とともに過ごす眠れぬ夜になりそうだ。砕く宝石は、もちろんこの偽の『キャッツ・アイズ』。粉にしたところで使い物にはならないだろうが、憂さ晴らしにはもってこいだろう。

「あぶなーい、偽物つかまされるところだったのねー。不名誉な役を買ってくれたローズマリーには感謝しなきゃ」
 新聞を見ながら映美はにやけていた。一歩間違えば、自分が偽物をつかまされたどじな怪盗にされるところだったのだ。
 失敗してむしろ救われた。
 新聞には、宝石を守り抜いた飛鳥刑事と佐々木刑事の写真が大きく載っていた。
 結局、ローズマリーとルシファーの勝負で、勝利の声をあげたのは、外野である警察だったのだ。

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