Hot-blooded inspector Asuka
Episode 1-『堕天使のラブソング』

第2話 第二の怪盗・ローズマリー

「二人とも、しっかりしてくれよな。わざわざ、怪盗を追って聖華市の方からきたんだろう?それなのに、あんなぶざまな逃げ方をさせるとは……。聖華署もクズをよこしてきたもんだねぇ……」
 飛鳥刑事と佐々木刑事は説教を受けていた。昨晩、怪盗に軽くあしらわれたことでだ。しかし、もはや説教ですませる内容ではない。中傷といってもいい内容だった。
 佐々木刑事のほうは、何でもないような顔で聞いているが、こめかみに青筋が浮かび、手は固く握られ、白くなっている。今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。
 飛鳥刑事は、うんざり、という顔をしていた。
 説教が始まって10分も経つのだから無理もない。
「大体佐々木君、君は怪盗と全く逆のほうに………」
 佐々木刑事がピクッ、と動いた。そのとき。
「柳君、もういいだろう」
 10分にわたる柳警部補の説教にピリオドを打ったのは木牟田警部であった。どっしりとした体で、温厚な顔をした木牟田警部は、やせぎすでいかにも陰湿な顔の柳警部補とは人あたりがまるで違う。
「あ。ああっ、木牟田警部。いや、お見苦しいところを見せまして。ひへへへへ」
 この柳という男、下には威張りちらし、上司にはへつらいまくるという、嫌なタイプの人間なのだ。木牟田警部も、手のひらを返すような豹変ぶりにあきれた顔をした。
「飛鳥君、佐々木君。あさってのことで、ちょっと話があるんで来てくれんかね。なに、時間はとらんよ」

 二人は、あさっての午後、会談のため来日するノースフィリッツランドの大臣夫妻の警護にあたることになっていた。
 ノースフィリッツランドは小さな独立国で、そこの首都が理由はともかく西山村市と姉妹都市ということになっていた。そんな訳でこの町の港に寄港することになり、港から最初に宿泊するホテルまでの道のりを二人が警護することになっていたのだ。
「付き添いの護衛がいるから我々の仕事は形式程度のものだ。ま、何があるかわからないからな。気は抜かないでくれたまえ」
「しかし、派手なご婦人ですね」
 大臣夫人は派手好きで有名である。日ごろはマイナーでほとんど知る人もいないノースフィリッツランド国だが、夫人が出てくると話は別である。いかんせん、通称が『歩く宝石箱』というのだ。どんなスタイルで歩いているのかは想像に難くないだろう。それに加えてスキャンダルも多い、なにかと話題にのぼるご婦人なのである。日々世界の情勢に目を光らせるビジネスマンたちよりも、ワイドショー通の奥様方に知名度が高い国家だ。
「はははは、護衛がいなきゃこんな格好で街中を歩けないわなぁ。言っちゃ悪いが、悪趣味だ」
 愉快そうに笑う木牟田警部に佐々木刑事がツッコミを入れた。
「警部、お言葉ですが言い過ぎっすよ………」

「ねぇねぇ、映美、聞いたー?」
 西山村市の中心街にビルをかまえる商社に映美は就職していた。
 今は昼休み、男どもは愛妻弁当があるものを除いてほとんどが外食に出ていた。その代わりにOL達が手製の弁当を手に集まってうわさ話に花を咲かせている。
「この町に、歩く宝石箱の大臣夫人がくるんだって!」
 一般的にいえばメインは大臣のほうなのだが、彼女たちには大臣など眼中にない。
「しかも、隣のとおりにあるシティホテルに泊まるんだってー!」
「ねぇねぇ、映美、見にいこーか?」
 二人がかりでまくし立てられてはたじろいでしまう。
「でも、あさっての午後でしょ?あたし予定があるのよね」
「なーんだ、残念。じゃ、あたし、見てきて映美に報告したげるね」
 遠くの窓際の机から声がかかる。
「瞳ちゃん、報告なら先にたまってる報告書、出してね」
「やだー、課長ったら、お昼休みに仕事の話はタブーですよ」
「そんなばかな……」
 そんなやり取りを尻目に、映美は独りごちた。
「予定か……。同じ場所に行くんだけどな……」
 そう、映美が次に狙っているのは、大臣夫人の身につけた宝石なのだ。

 町外れの薄汚れたアパートに一人の女が引っ越してきた。たちの悪そうな顔をした女だ。途中の駅で買ってきた新聞を広げて悦に入った表情で呟く。
「うふふふ、まぁ、派手だこと。これだけあれば、いい稼ぎになるだろうねぇ。引っ越し記念に、派手にやらせてもらおうかしら?」
 女は大臣夫人の写真を見ていた。まるで、品定めをするような目で。

 翌日、西山村警察に女が訪れた。落とし物の財布を拾ったので届けに来た、とのことだった。
 応対には柳警部補があたった。住所、氏名など、マニュアル通りのことを聞く。
「じゃ、持ち主が現れたら連絡するからね。ご苦労様」
 結構、いい女だな。柳警部補は、ねちっこい目で女を見た。ありゃぁ、遊んでそうな女だ。
「あの、刑事さん?ちょっといいかしら?」
 突然女に話しかけられ、慌てる柳警部補。気がつくと、女の手にはいつの間にかビロードの袋のようなものが握られている。そして、それがゆっくりと傾けられ、中からきらめく粉がこぼれ出した。
「明日、ノースフィリッツランドの大臣夫婦が来るでしょ?何時の船できて、どこのホテルに泊まるのか、教えてくださらないかしら?」
 柳警部補は、こぼれ落ちる粉を見ているうちに頭が真っ白になってきた。目の前の女が何か言っている。自分も何か答えた。しかし、何を聞かれ、何を答えたのかはわからない。
 気がつくと、女も財布も消えていた。あとには妖しい香りだけが残されていた。

 港には、かなりの人数のやじうまが群がっていた。飛鳥刑事と佐々木刑事は左右に別れてやじうまが入らないように警官たちと人垣を作っている。
 その間で、どうでもいいような指示を偉そうに怒鳴っているのは柳警部補。本来なら別な人が来るはずだったのだが、木牟田警部に申し出て、わざわざこの役を買って出たのだ。
 楽で印象の良い仕事を選んで受けるというのが柳警部補のやり方で、そのおかげで、時間はかかったがつつがなく年功序列で警部補まで上りつめてきた。おいしいところだけ取る人間なのである。当然、仕事を取られたほうはかなり機嫌が悪く、昨日から愚痴ばかりこぼしているらしい。
 やがて、水平線の彼方から豪華客船が優雅な姿を現し、やがて視界いっぱいに広がるほどに大きな船体を港の桟橋につけた。そして、最初に護衛たちが現れ、まわりを取り囲まれるようにして大臣夫妻が姿を現す。大臣夫人の宝石が、降り注ぐ太陽の光に目映いばかりに輝く。季節外れのクリスマスツリーといったところだ。
「なあ、飛鳥。写真で見るのと現物を見るのはやっぱり違うな」
 佐々木刑事が目の前の飛鳥刑事にぼそぼそと話しかける。
「そうですね。写真だとただの派手なおばさんですけど、こうして目の前で見ると、なんか、趣味の悪そうなごてごての宝石も妙に似合って見えますね」
 同じくぼそぼそと返事をする飛鳥刑事は、二言三言多い。
「こら、そこ!なぁにをしゃべっとるか!」
 二人のぼそぼそ話に気づいた柳警部補が道に踏み出し、これ見よがしに叫ぶ。
「シットアップ!オープナウェイ!」
 間髪をいれず、護衛の『黙れ、道をあけろ』との叱責が飛ぶ。相手が刑事だとわかっているからいいようなものだ。柳警部補は一瞬身をすくめ、たじろいだように人ごみの奥に逃げこんだ。飛鳥刑事と佐々木刑事は満面の笑みをもってそれを見送った。

 道中、大臣夫妻の乗った車をはさむように護衛の車が走り、そのあとを警察が追う。飛鳥刑事と佐々木刑事は最後尾の車に柳警部補の運転で搭乗する。当然、さっきの一件で虫の居所の悪い柳警部補は、二人にあたりちらす。しかし、二人はまともに聞いちゃいない。当然だ。真面目に相手をすると胃に穴があく。
 柳警部補はバックミラーで二人の様子を見ながらぶつぶつと説教をたれている。二人が聞いていないと分かると、柳警部補の説教にもターボがかかる。
「こらぁ!人の話はちゃんと聞かんかぁ!まったく、若いもんと来たら……ひゃあ!」
 いきなり車が急停止し、後部座席で横を向いていた飛鳥刑事と佐々木刑事は前の座席にぶつかりそうになる。
 しゃべるのに夢中になっていた柳警部補が前の車が止まったのに気づくのに遅れたのだ。
 前の車に乗っていた護衛が振り向きつつ柳警部補をにらみつけた。鋭い目を向けられた柳警部補は首を竦ませた。

 やがて、ホテルにつく。ここも結構なやじうまだ。このやじうまの中に暗殺者などが混じっている恐れもある。もっとも、これだけのやじうまがいれば、近づくのも容易ではないし、そんな目立つことをするには度胸と計画がいる。遠くから狙うとしても、ホテルの庭が広いために、ホテル以外の場所から狙うのはほぼ不可能。ホテルの中は、宿泊客はもちろん、従業員や出入りしたすべての人物も入念に調べてあり、不審な人物は見つかっていない。
「しかし、大臣夫妻がここに泊まることは公表されてないはずなんですけどね。なんでこんなに人が集まるんでしょうかね」
「大方、ホテルの連中が広めたんだろ。噂は千里を駆けるとか言うしな。……千里っていうと昔付き合ってたチサトのこと思い出すぜ。軽そうな割にお堅い女だった……」
「……その人の話は初めて聞きますね。一体今までに何人の女性と付き合ったんですか」
「お前は今までに履き古した靴下の数を数えるか?」
「……いいえ」
 履き古した靴下くらいの数の女性と付き合っていると考えていいようだ。
 やじうまの中に、映美の同僚の二人、瞳と渚も来ていた。瞳の手にはしっかりとカメラが構えられている。そして、やじうまの最前列に陣取っていた。最前列といっても3列くらいに幅広く並んでいるのだが。
「ああっ、来た来た!」
「さすが、すごいガードねー。写真、撮れるかなぁ?」
「ほらほら、降りてきたよ!」
 といっても、まだ護衛が降りてきただけだ。そして、あたりを見回し、リムジンのドアをあけると、ようやく大臣夫妻が現れた。護衛にエスコートされ、ゆっくりとホテルに向かって歩きだす。
「わー、近くに来た!」
 瞳がカメラで大臣夫人の姿を斜め前から捉える。そして、立て続けにシャッターを切る。そのカメラが、決定的瞬間を捉えることになる。

 ホテルにつき、車から降りた3人の刑事は、ホテルに入っていく大臣夫妻の姿を見送った。両脇ではやじうまが興味津々といった顔で視線を送っている。カメラで写真を撮っている連中もいる。8ミリフィルムのカメラまで担いでいる人もいる。一応報道陣もきてはいるのだが、一般人と見分けがつかない有様だ。
 大臣夫人はそれが気持ちいいのか、悦に入ったような顔で歩いていく。
 これで、大臣夫妻がホテルに入れば、飛鳥刑事たちの仕事は終わりである。
 しかし、そうは問屋が卸さない。大臣夫妻がホテルのドアの前に来たとき、横の植樹の枝の上から、黒い影が落ちてきた。そして、大臣夫人の前に着地して反対側の木の上に飛び移ったようにみえた。
 大臣夫人が悲鳴を上げる。飛鳥刑事たちがあわてて駆けつける。見ると、大臣夫人のつけていた、胸の大きな一番目立っていたブローチがなくなっていた。大臣婦人の服には、そこにブローチがつけられていたという確かな証拠であるピンの跡が残っているだけだ。
 あたりは騒然となった。大臣は何が起きたかわからず、ぼーっとしている。護衛たちは、目の前で宝石を奪われて、混乱しきっている。大臣夫妻のまわりをしっかりと取り囲むが、もう遅い。
 飛鳥刑事たちは、確信をもっていた。あれは怪盗ルシファーだ。大胆かつ迅速な手口、間違いない。すぐに木の周りを取り囲む。木の上にはルシファーらしい姿が見えた。さすがに、白昼の犯行なので、頭巾を外したりはしない。それどころか、黒いマスクもしている。
「こら、新入り!登ってつかまえろ!」
「だめです!その間に確実に逃げられます!!」
「やってみなきゃわぎゃ」
 科白を言いかけた柳警部補の顔が急に下に移動する。その場所には黒いタイツの脚。ルシファーが頭の上に飛び降りたのだ。柳警部補の頭を踏み台にして、そのままやじうまのまん中に降り立った。驚いたやじうまが一気に引いた。やじうまの制止にあたっていた警官が逃げ惑うやじうまをかき分けながら、一斉に怪盗に突進してくる。怪盗はそれを身軽にジャンプでかわすと、警官たちが、何人か折り重なるようにして倒れ込んだ。
「だーっ、何をしとるか、お前ら!」
 ルシファーを追ってきた柳警部補が、警官たちに道を阻まれ喚き散らした。

 警官たちの動きを読んで飛鳥刑事と佐々木刑事は左右に散っていた。そして、難なくその横を通り抜ける。そのあとに続いて警官が何人かついてくる。前方にはルシファーの姿。
 もうルシファーの進路を阻むものはない。このまま走って追ったのでは逃げられてしまう。では車ならば?車では狭い路地や屋根の上に逃げられては追えない。いや、このホテルの前は大きな通りがあり、正面も大きな博物館だ。うまくやれば、追いつける。
「車で追います!乗ってください!」
「そのつもりだ!」
 二人は車に乗りこむ。飛鳥刑事は助手席、佐々木刑事は運転席。
 そして、佐々木刑事は鍵を回し、エンジンをかける。つもりだったが、手が空振る。鍵がついていない。二人は、顔を見合わせ、思い出す。鍵は、降りるとき、たしか。
「柳のあほんだらああぁぁぁぁっ!」
 鍵は降りるときに柳警部補が抜いていたのだ。ハンドルにあたる佐々木刑事のこめかみには青筋がどくどくと脈打ち、殺気が全身から放たれていた。

「な、なに、今の?」
「わからない……」
 何が起こったかわからない瞳は呆然とカメラを持っていた。渚はおどおどしている。
「わからないけど……、写したかもしれない……」
「ええっ、本当?現像しよう、現像!」

「なんだい、何の騒ぎだい?」
 外の騒ぎを聞きつけた一人の客が近く歩いていたボーイを呼びとめた。
「大臣ご夫妻が到着したようなんですが、何かあったようです。詳しいことまでは分かりませんが」
「何かって?」
「分かりませんが」
「役に立たないねぇ、あっちにお行き!」
「す、すみません」
 ボーイはあわてて逃げていく。そして、ボーイを呼びとめた客──昨日西山村署に訪れたあの女──は、忌々しげに呟いた。
「こんなときに、縁起悪いったらありゃあしない……」

 ホテルのロビーは、やや混乱気味になっていた。ホテルマンは、突然の事態に明らかにうろたえている。というより、不祥事として扱われないか脅えているようだ。
 大臣夫妻と護衛は落ちついている。もう怪盗は逃げたのだから。宝石一個ですんだのだから安いものだ、といった感じだ。
 そして、警官たちはすでに調査を始めていた。報告を受けて、まもなく木牟田警部率いる鑑識など一行が到着した。
 木牟田警部は、被害者である大臣夫人から事情を聞いている。大臣夫人は不安げな表情ながら落ちついた感じなのだが、通訳はかなりの興奮状態にあり、訳がスムーズに出てこない。
 とりあえず、たくさんある中の一つなのでそれほど気にしてはいない、とのことだったが、だからといって、はいそうですか、では済まないので、犯人の姿ははっきりと見たか、いや、一瞬だったのでよくは覚えていない、とか、一応型通りの質問をしたあと、部屋まで送ることになった。
 部屋にたどりつくまでは、護衛が周りをしっかりと固める。刑事4人は、そのあとをぞろぞろとついていくことになった。
「柳君。なんだか、ボディーガードの君の見る目がいやに険しいが、何かあったのかね?」
 まさか、さっき追突しかけたから、とは言えるはずもなく言葉に詰まる柳警部補だった。

「はい、ストップ!」
 女の声が聞こえる。護衛たちが立ち止まり、身構える。その護衛たちの影になり、飛鳥刑事たちにその女の姿は見えない。
 突如、護衛たちが、ばたばたと倒れだした。大臣夫妻だけがそこにわけがわからず立ち尽くしている。
 護衛が倒れたことにより、飛鳥刑事たちの目にその女の姿が入ってきた。化粧の濃い、黒く裾の長い服をきた女。その手には、小さな袋のようなものが握られている。
「何だ、お前は。不審な人間は全員締め出したはずだぞ」
 木牟田警部は女に問いかけた。
「ふん、あたしが不審な人間にみえるのかい?チェックは受けたよ。ちゃんと通ったのさ。なにせ、このホテルの客だからねぇ」
 柳警部補は、はっとした。昨日、見た女だ。
「お、お前は昨日の女だな!?」
「あら、覚えていてくれたのかい。嬉しいねぇ。あんたがここのホテルを教えてくれたおかげで、あたしはこうやって宝石を手に入れることができるんだ。感謝してるよ」
「私が教えた?」
 柳警部補にはそんな記憶はない。
「覚えてないかもしれないねぇ。こうして、催眠術をかけて聞き出したんだから……」
「催眠術だと?」
 女が袋を傾けると、きらきらと輝く粉がこぼれ出した。
 意識が薄れていく。最後の気力を振り絞って柳警部補が問いかけた。
「お、お前がルシファーなのか?」
「なに言ってんだい、あたいはそんな名前を名乗ったことはないよ。あたいがいつも名乗っている名前はローズマリー。眠りの怪盗ローズマリーってちょっとは知れた名なんだけどねぇ。田舎なんだね、ここは」

 全員を眠らせたうえで、大臣夫人の身につけた宝石を一つ残らず頂く。計画通り。
「やれやれ、このおばさんも寝ちまうと厄介だねぇ。ひっくり返さないと全部取れないよ」
 などと、ぶつぶつ言いながら、大臣夫人の宝石を一つずつ、余裕の面持ちでもぎ取っていく。
 その手をつかむものがいた。ローズマリーはぎくっとして手を掴んだ者のほうを見た。
 さっき眠らせたはずの若い刑事。飛鳥刑事だ。
 袋はポケットに仕舞ってしまっている。手を振り払おうとするが、女の力ではとても振りほどけない。
「さ、さっき眠ったはずじゃ!」
「催眠術だといわれて、まともに見るやつがいるか!……いや、みんな見てたみたいだが」
「ちっ!」
 ローズマリーの蹴りが飛鳥刑事の腹部に入った。痛みのため屈み込んだが、手は放さない。かえって力がこもる。ローズマリーはさらに蹴りを放つ。あごを蹴り上げられ、飛鳥刑事は意識を失った。
「やれやれ、脅かしてくれたねぇ。それにしても、見込みのある男じゃないか」
 ローズマリーは飛鳥刑事のポケットから警察手帳を取り出した。
「飛鳥友貴……。ふーん、いい名前じゃないか」
 手帳を戻し、宝石とりに戻るローズマリー。
 やがて大臣夫人の宝石を全てとり終えたローズマリーは、そのうち一つを飛鳥刑事の手に握らせた。
「うふふ、これはプレゼント。あたいを追いつめたご褒美よ。……それにしても、このスケベそうなおっさんが言ってたルシファーってのは何なんだろうね」

 翌日の新聞の一面に、宝石をもぎ取られて泣き喚く大臣夫人の写真が大きく載っていた。見出しは、『大臣夫人の宝石、二人の怪盗に奪われる』。
 あごに湿布をした飛鳥刑事は険しい表情で新聞を見ている。佐々木刑事も押し黙ったままだ。
「やあ、おはよう」
 木牟田警部が現れた。思ったよりも明るい表情をしている。
「柳君の姿が見えないが、休みかね」
 言われれば柳警部補の姿がない。
「さっき、気分がすぐれないから休む、と電話がありました」
 花瓶の花を替えていた婦警が答えた。木牟田警部は顔をしかめた。
「全く、言いたいことが山ほどあったんだがな。ま、二人はよくやってくれたよ。特に飛鳥君は一つとはいえ、宝石を守ったんだからな。ルシファーの件に関しても、二人とももう少しのところだったようだし」
「いや、あの宝石に関しては私も何がなんだか……」
 飛鳥刑事は照れたようにいった。実際、飛鳥刑事には全く記憶にないのだ。
「分からんでもいいさ。護衛6人が全く手も足も出なかったんだからな」
「しかし、あとから現れた、ローズマリーとか言う女はなんなんでしょうね。新手の怪盗だとしたら面倒ですよ」
 飛鳥刑事から新聞をもぎ取りながら佐々木刑事が言った。木牟田警部は難しい顔をした。

 映美も同じ新聞を見ていた。そして、不機嫌そうな顔をする。
「ローズマリー、か。何よ、こいつ。昨日の夜まではこいつの盗った分まであたいの所為にされたてんじゃないの。腹たつわねー!」
 昨日、映美が家に戻ってテレビをつけた時、大臣夫人がすべての宝石を盗まれたというニュースが流れていた。耳を疑う映美。当然だ。映美が盗んだのはたった一個なのだから。最初は、話を大げさにしたんじゃないかとも思ったが、どこのニュースでも、やはり飛鳥刑事が守った(実際には守ったわけではないのだが)一個を除いて全て奪われたと報じていた。
 そして、夜のうちに、警察の発表により、怪盗ローズマリーと名乗る女の存在が明らかになった。ルシファーと手口が明らかに異なるため、別人と断定され、第2の怪盗として新聞に載ったのだ。
「でも、本物の怪盗なんて、興味あるわね……」
 映美には、まだ怪盗の自覚がまるでなかった。もともと、高校時代のクラスの男子に、いくら運動神経が良くても、忍者みたいなことはできないだろうといわれたのに腹を立て、その男子の部屋に忍び込んで、集めていた野球選手のサイン色紙をごっそりと持って来たのが始まりで、もっとスリルのあることをしたい、などと考えているうちにR美術館での事件を計画し、病みつきになっていったのだ。だから、盗んだもので一儲けする、などということは考えておらず、純粋に盗みという行為をを楽しんでいる。

 一方、ローズマリーは窃盗行為に利益を求めていた。
 彼女も同じ新聞を広げていた。ルシファー同様、不機嫌そうな顔をしている。
「なんだい、一番の大物はこのルシファーとか言うやつにとられちまってるのかい。道理で、あまりいいものじゃないと思ったよ。あーあ、またあいつらにいろいろ言われるんだろうねぇ」
 その時、部屋のドアをノックするものがいた。
「鍵はかかってないよ。入りな」
 ドアを開けて部屋に入って来たのはサングラスをかけたスーツ姿の男。
「昨日はいつになく派手にやってくれたみたいだな。もっとも、一番の出物は逃したみたいだが……」
「言うと思ったよ。ところで、その出物を横取りしたルシファーとか言う泥棒、何者なんだい?」
「泥棒、と言うことぐらいしか言えねぇな。強いて言えば、女だといったところか。新聞で報じられていることろまでしか情報はねぇよ。やつの盗んだものが裏の流通ルートにでも流れてりゃ、ちっとぐらい洗うこともできるんだがな」
 男は懐をまさぐり、タバコを出した。そして、部屋を見渡し、ローズマリーに問いかける。
「なぁ、灰皿はねぇのか?」
「レディの部屋にそんな無粋なものがあるかい。長居はしないんだろ?我慢しな」
「チッ、しけてやがる……。じゃ、とっとと用をすまして帰るとするか。ブツはあるんだろ?出しな」
 ローズマリーは棚にあった小さな麻袋を掴み、男の前においた。
「さすがに、量はあるな」
「これだけ抜いといたよ」
 ローズマリーの手には宝石がいくつかきらめいている。
「どれどれ?……ふーん、まあ、お前の商売道具だからな。また、どこかに手を回して手に入れてやるか。あまり高いやつを使われたんじゃ、割りに合わないしな。じゃ、こいつが前回の分の報酬だ。また頼むぜ」
 ローズマリーは、盗んだものをとある組織に売り叩いて生活していた。組織は、ローズマリーの盗んだものを闇のルートで売りさばく。そのバックマージンがローズマリーのところに来るのだ。末端価格の1割と、聞いただけでは安そうな金額だが、安全に盗品を売りさばいてくれるのだから文句はいえない。ローズマリーのように数多く仕事をこなす泥棒には、安全確実に金が手に入る方がありがたいのだ。
 それに、大体は高価なものを狙うので、一回あたり50万円近い金額が懐に入る。今、渡された前回の分の報酬は43万円強。
「うふふ、ぼろい仕事だねぇ。さーて、また、新しい服でも買おうかしらね」
 ローズマリーは今もらった報酬の封筒をごっそりハンドバッグの中に放りこみ、町へと繰り出した。


Prev Page top Next
Title KIEF top