マジカル冒険譚・マジカルアイル

44.企むラルフロイ



 自分たちには少し早そうな話の輪から外れるようにソノラとナミリエがラルフロイの話をしている間にも、エリアたちが話し合っていた今後についてもまとまっていた。その後はしばらく他愛ない話をしてその日は解散となった。
 ラルフロイは魔王城最上階の専用部屋に宿泊。この町どころか国にすら居ないことが多い魔王の部屋は、普段は高級宿泊室として解放されているので専用と言ってしまっていいのか微妙なところではあるが、今のところ利用者はいないのでまだ専用と言えよう。高額だからというより、まだそれほど観光客が来ていないのが理由として大きい。
 ソノラも同室にするかと問われてソノラが戸惑っているうちに、それについてはラルフロイがさっさと断ってしまった。
「俺たちをどういう関係だと思ってるんだ」
 呆れるラルフロイだが、貴族や田舎暮らしならこのくらいの年齢で夫婦というのもあり得なくはない。そしてソノラは貴族も貴族の元お姫様だし、ラルフロイも魔は付いているが王様に祭り上げられている。一般的なイメージだと魔王なら攫ったお姫様を手籠めにするくらいのことはしかねないだろう。さらにラルフロイの故郷は田舎といっても差し支えあるまい。おまけにラルフロイはそういう非道いことをしそうなキャラだし、ソノラを見ると逆に仲がよさそうにも見える。色々加味してそういうこともありうると思われるのは仕方がなかった。
 実を言うと同室にすると言われると今からベッドの用意が必要になるので言われても困ったらしい。ならば最初から聞くなと言う話だ。まあもっと遅くなってからそんなことを言われる方が困るので早いうちに一応聞いておいた形だ。なお、いざとなれば一つのベッドを二人で使えばよい。しかしソノラとて同じ部屋で寝ることすら少しだけ気乗りはしても結局は躊躇う程度だ。さすがに同衾は無理だろう。
 それでソノラも一人で寝ることになったのかと言うとそんなことはない。せっかくだからとエリア・ナミリエとパジャマパーティーを決め込むことにしたのだった。エリアとはラルフロイについてじっくり話そうと思っていたが早速その機会が訪れた形だ。
 ナミリエにはラルフロイのグチばかりを言っていたエリアだったが、ソノラはラルフロイに好意を持っていそうなので、このままくっついてもらおうと頑張っていい所をあげつらう。
 ラルフロイはエリアに対しては対抗心剥き出しで小憎らしく、そのくせエリアの優秀さやルックスは認めていたので「俺に相応しい女はあいつだ」などと嘯いていた。なのでエリアから見ればとても気に入らない奴だったが、取り巻き衆には慕われていたし、一緒に旅をしたナミリエから見ても、頼りになるし色々教えてくれてそんなに悪い奴じゃないという感想だ。同格以上には張り合うが、格下には優しい。そんな印象を受ける。
「えっと。じゃあ……ラルフロイは結構いい人だと思える感じなのって、私が格下だと思われてるってこと?」
 ソノラにとって知りたくない現実だった。
「優しくされてる感じならそうなんじゃないかなあ。魔法は使えないし、年下だしね。でも、同格だと思われるとイヤな部分を見ることになりそうだし、このままがいいかも」
 エリアとしてはソノラとラルフロイがくっついてくれると嬉しいので全力で応援する構えである。そしてそこにナミリエ目線からも意見が出る。
「ラルフロイってさ、言ってもあんまりへっぽこだと優しくないよ。パッチモッチとか相手にされてなかったし、あたしだって島にいた頃は似たような感じだったもん。しょんべん臭いガキは寄るんじゃねえ、みたいな」
 島を出る小舟でナミリエと一緒になって頭を抱えたラルフロイだったが、何が待っているか判らない島の外に飛び出そうというナミリエの度胸と、暇な間にいけない火の魔法を教わろうとするやる気と図太さで少し見直され、天使に臆せず立ち向かったことで意外とやる奴だと認められたようだ。まあ、ある意味ワルい子認定のようなものなのであまり喜んでいいことではない。
 なお、クレイについても国を大きく変えるほどの影響を及ぼしたりそれまでの多くの苦難を乗り越えた点を評価して、なかなかやる奴と評価するようになっているそうだ。ナミリエはそれを聞いて、意外じゃないんだと自分との評価の差にちょっと釈然としない思いを抱いたりもしたが、やっぱりクレイは最初からある程度は評価されてたんだすごーい、それを見抜いてたラルフロイもやるじゃん、などと考えて無理矢理納得することにしていた。
 それならその間クレイと一緒にいたエリアの評価も上がってたりするのかと思いきや、エリアならそのくらいやってもおかしくない、エリアがやれるなら俺にだってと対抗心を燃やしこそすれ、エリアの評価自体は対して変わってなさそうとのことだった。
 とにかくそんな感じである程度は認めた相手でないと鼻であしらわれるので、構ってくれている時点でソノラのことをラルフロイはある程度なら評価してくれていると考えていいはずだ。……まあやっぱり不安なので本人に聞いてみないと何とも言えないか。
 やがて話はエリアたちの育った島の話になった。ラルフロイも島のことを話してくれないことはないが、ソノラとは現在や未来の話が多くなりがちで過去の話をゆっくりと聞くことがなかなかできなかったと言う。
 そのわずかに聞けた話から、島の暮らしは基本的にアテルシアにも多数ある島嶼部の暮らしと大体似たようなものだと感じていた。もちろんそこには大きな違いとして魔法の存在がある。そのおかげで生活水準は地方都市程度であることがエリア達との話で分かってきた。
 島育ちの面々もそもそも島の外に人がいることなど知りもせず過ごしてきたので、自分の暮らしが余所と比べてどうこうなどと言うことは考えるわけがなかった。外に出てみたところで他人の暮らしなど気にしている余裕もなかったので比べてみたこともないし、比べるにもまず外の人々がどんな暮らしをしているのかもよくわからないのだった。
 今居るラッカ・ラ・バノンセドキアの暮らしだが、普通の町と違い急造の開拓地の上にここにも使える人数は少なくとも魔法がある。そもそもここはアテルシアですらないので比較対象にはできない。
 アテルシアは戦争や治安の乱れなどで民は困窮していた。軍事に力を入れすぎて産業などは遅れ気味だ。その不満の捌け口に魔法使いを利用し表面だけ安定させてきたが、それで暮らしが良くることはない。地方都市にもさほど活気はなかった。
 対してこの開拓地はバンフォに比べれば真新しくとも見窄らしく田舎町とも呼べぬ村落だが、活気に溢れている。不便な場所のはずなのに暮らしは豊かだ。魔法も本来なら島の外では半分も力が出ないはずだが、信仰と組み合わせることで十全の力を発揮できている。おまけに魔法の使い手も天使・悪魔という特殊な存在で数も増えた。おかげで島と大差ない生活水準が保てている。
 開拓にせよ最寄りの都への買い出しにせよ、買ってきた物の加工や調理もほんの僅かしかいない魔法使いが大活躍している。そのおかげというのもある程度はあるのだろうが、そんな状況による理由よりは人々に希望があることの方が活気に繋がっているのだろう。
 それならアテルシア王国も、政権が変わり戦争も終わったことで明るい雰囲気は出始めている。魔王の支配下に置かれて明るい雰囲気というのも変な話なのだが、いくらラルフロイの性格が悪くてもそこまでの悪政は敷かない。むしろ強引な手法で治安などの問題を是正しつつある。
 そのために多くの人が粛正されたりもしているが、もちろん悪人ばかりだ。何なら前大臣の政策として魔法使いに仕立て上げるために見逃されてきたような連中である。この辺も悪政の是正と言えよう。
「ああ……。魂を抜いて魔法の力として使うとか言ってたあれ?なに怖いことやってるのって思ってたけど、役に立ってたんだ」
 思い出しただけでちょっと引きつつエリアは言った。
「お父様が、と言うかポナドールが取り仕切っていた頃はその頃で、役には立ってたんだし。良いように利用され尽くしてるわね」
 ポナドールとは大臣のことである。エリアも誰それと聞き返したのだが、大臣と言われても全くぴんとこなかったので、へえそうなんだと解ったような返事をして流した。この大臣のせいで自分も散々な目に遭わされているのだが、そんな事情まで知らないのだから仕方ない。
 かつて凶悪犯たちは捕まれば魔法使いとして処刑されるものの、その頃合いを見計らうように泳がされていた。白昼堂々町中で追い剥ぎをして大勢に目撃されるような馬鹿は泳がす価値もなく警備兵にしょっぴかれるが、目撃者もないままに惨殺、放火といった凶悪な事件が起これば魔法使いの仕業にされて犯人は泳がされた。
 悪人もそれを解っている者も少なくはなく敢えて凶悪な事件を起こす者もいて、手口が凶悪なほど捕まりにくいという皮肉な状況になっていた。捕まるのは運が悪いだけ、やるだけやって行方を暗ませれば捕まることもなく悠々と過ごせた。凶悪犯も増えるわけである。
 一方事件について調べても結局犯人からして分からずじまいということも多かったが、他で捕らえられた凶悪犯はそうして迷宮入りしていた無関係な事件の濡れ衣まで着せられ、大罪人として処刑された。国の不手際をもみ消す材料にまで使われたわけである。
 そんな感じで悪人も結構やりたい放題やっていたのが、ラルフロイが台頭してすぐ一斉に捕らえられた上に魂を抜かれるという恐ろしい最後を迎えたために、各地で好き放題していた悪党も恐れをなしてなりを潜めた。それでも魔法の力で探し出されて魂を抜かれるのだが、それはさすがに悪事に手を染めた自分を恨むべきだろう。そして今から新たに悪事に手を染めようという命知らずはほぼほぼいない。
 こうして過去の負の遺産さえもうまいこと利用して――返す返すも褒められたことではないが――多少の犠牲のもとに治安は向上していた。戦争が終わったこともあり、民の心は安らいでいる。
 更にラルフロイが目指している魔法と科学を融合させた技術。これはナミリエも興味を持っているし、その理由はクレイが手伝うことになっているから、つまり関わる気がないのはエリアくらいと言える。それはいいとしてその技術が普及していけばアテルシアの生活水準は向上するだろう。この調子ならばラルフロイは表には良き改革者という顔を出せそうだ。まあ、裏ではそのために何人が生け贄になるやら。
 こうなるとむしろ先のことが心配なのはこの開拓地の方だ。エリアたちが留まっている今はいいが、エリアたちはいずれ島に帰るために旅立つことになる。
 いや待て。エリアはそのつもりだがよく考えればクレイが今もそのつもりか確認していない。とりあえずナミリエがどう思っているのか聞いてみると。
「あたしはクレイと一緒がいい」
 とのこと。自分の道を自分で選ばないことを選ぶという前向きな思考停止である。そんなナミリエもクレイが今後どうするつもりなのかは聞いていないらしい。
 この件はナミリエが聞いておいてくれるとのことなので、ついでにラルフロイがソノラをどう思っているのか探りを入れるようにクレイに伝えるのも併せて任せておくが、ひとまずクレイはエリアが見た感じでは魔法と科学の融合技術に熱心に取り組んでいる間は島に帰る気はなさそうだ。その技術を研究している理由が島に帰る旅路を楽で速くするという目的だったが、実現はいつになるやら、それで帰ろうにもこれまたいつになるやら。
 この先どうなっていくかなどと言うのは考えたところでその通りになるかどうかはわからない。ナミリエにはひとまず明日真っ先にやることが与えられたが、エリアはまだ今後の方針について悩みそうだった。

 翌日。ラルフロイはアテルシアの城といい勝負の豪華な寝室で目を覚ました。部屋もベッドも無駄に豪華だが、そういうのにはもう慣れたので今更それについてどうこう思ったりはしない。とりあえず昨夜のことを思い出す。ベッドはもう一つ必要かとか聞かれたが、何を考えているのか。
 しかしこんなごついベッドがもう一つあったとすれば確かに運び込むのは大変だろう。そして運び込んだところでまだまだ余裕がありそうな部屋である。正直、部屋の広さだけは城に勝っていると思えた。ベッドを思いっきり離せば別にソノラと同室でもさほど気にならないかも知れない。ベッドはアテルシアの城の方が大きい。あれは本当に無駄だと思う。あの影の薄い王も若い頃は右と左に美女を侍らせていたりしたのだろうか。こっちのベッドでももう一人くらいなら余裕で一緒に入れる程度には大きい。
 ソノラと並んで寝ている自分を想像しそうになったので考えるのをやめた。
 しばらくは一人で伸び伸びしていられるが朝食の頃までにはソノラと合流することになるだろう。その後は大体ソノラと一緒にいることになるだろうから、そんな姿を見られていればそういう仲だと勘違いされるのもやむなしだ。しかしそれも致し方ない所はある。ただでさえこの地はほんの一月前まで敵国として戦争していた国。民は元アテルシア国民とは言え、国策によって故郷を追われ国を捨てた者たちだ。政治に口出しできる立場でもなかった姫にまで恨みを向ける理由はないが、そういう者がいてもおかしくはない。そして、アテルシアの王城と違って顔見知りが少ない。ラルフロイから離れないのも無理はないだろう。
 そう思っていたのだが、昨夜のパジャマパーティーから着替えただけのソノラたちといざ顔を合わせてみると、今日はこのままエリアたちと一緒に過ごすつもりだとのこと。こちらにもちゃんと友達ができたようで何よりである。ラルフロイとしても一日伸び伸びできそうだ。
 朝食くらいは一緒にと誘われた。断るほど野暮ではないが、ナミリエに加えてエリアまでいるのがちょっと気まずい。何せエリアはちょっと前まで嫁にする気満々だったのに思いっきりフラれた上、未練がましく追いかけてきたはずなのに、途中から興味が他に向いているのまで本人にバラされている。真面目な話くらいなら顔を合わせてもいいが、世間話しかしないような場では何を話していいやらだ。
 幸いなのは向こうもあまりラルフロイと関わりたくなさそうなところだ。食堂での席も斜向かいという一番遠い位置取りになった。しかもエリアの正面に座ったソノラが積極的に話しかけてくれているのでこちらにはあまり意識が向かなさそうである。一つ問題があるとすれば、おのずとラルフロイの話し相手は残ったナミリエということになってしまうことだが――ほどなくのんびりと現れたクレイがナミリエに捕獲され、テーブルの横に無理やり新しい席を作り座らされることになった。
「お前はどこで寝てるんだ?」
 どうでもいいことではあるが、折角なので無理やりそんな話題で話しかけておく。
「三階の隅っこの部屋だよ」
 城の三階はホテルでいえばまあまあな客室と言える部屋が並んでいて、クレイたちはそこを使わせてもらっていた。最初はもっと豪勢な部屋を用意してもらっていたが、落ち着かないので今のところに落ち着いたのだった。ソーニャは遠慮なくその上階の部屋を使っている。
「三階か。こいつらと同じだな」
「う。うん」
 エリアとナミリエにちらりと視線を向けつつ言うラルフロイにちょっとおどおどしながら答えるクレイ。クレイの隣にナミリエの部屋、その隣にエリアという並びになっているのだがちょっと恥ずかしいので隠しておきたかったのだ。ラルフロイは別に興味もないので深く詮索はしなかった。
「あたしの部屋の隣がクレイなの」
 まあナミリエがあっさりバラしたが。
「ふーん。よかったな」
「うんっ」
 そしてラルフロイはやはり特に興味もなく、軽く流したその言葉にナミリエは喜んだ。まあそれにも興味はないが、一言突っ込んでおく。
「夜這いかけんなよ」
「かけないよ!」
 慌てるクレイ。
「俺ら、なんかもうそういう年頃だと思われてるみたいだしよ」
「ナミリエがまだそういう年頃じゃないじゃないか」
「お前がそう思ってるならまあ安心か。周りの連中だってそう思ってるだろうしな」
 そう思われていなかったせいで夕べ何があったのか、というような話もしたかったが、クレイと二人きりの時でないと流石に話しにくい。
「ねえ、よばいって何?」
 そしてクレイもナミリエにこんなことを聞かれて答えにくそうである。ナミリエに悪いことを教えるのは自分の役割だと勝手に決めてラルフロイが動く。
「女の所に男が忍び込むことだ。もちろん忍び込む以上はイケナい事をする前提でな」
「イケナい事って?」
「それを聞くか?」
 こいつの場合は知ってて言ってそうだがな、とラルフロイは思ったが、知ってて言っていたらもっとニヤニヤしていそうだ。さほど長くは一緒に過ごしていないがそれでもわかるくらいにナミリエは表情に出やすい。詳しく教えるべきか悩む――ところだったが。
「変なこと教えないでよ」
 エリアが口を挟んできた。これ幸いだ。
「そうだな、そのうちクレイか詳しそうなお姉ちゃんに教えてもらうこった」
 そう言ってやり過ごした。
「誰が詳しそうなお姉ちゃんよ」
 怒るエリアだったが、ナミリエは詳しそうなお姉ちゃんと言われてソーニャを思い浮かべていた。ソーニャが詳しそうだと思う時点できっと自分にはまだ早いだろうとナミリエは思った。それで正解だ。
 そんな朝には早い話もしつつラルフロイとクレイは朝食を取り終えた。女子が今日は一緒に行動するというのでどうせこいつも一人だと決めつけ、クレイに声をかけるとすんなりとついてきた。連れて行こうとするとナミリエが慌ててクレイに声をかけ、何かを話していたが、男女の話に聞き耳を立てるのは趣味でもないので特に気にはしない。
 とりあえず、あんまりゆっくり見て回っていないのでこの町で面白い所はないか案内してもらう。真っ先に案内された悪魔教会で拝み倒されてうんざりしつつ、確かに面白いおっさんたちだと思う。拝まれるのがクレイだけだったら実に愉快だったろう。とりあえず、こいつに案内を任せると変なところに連れていかれるということは分かった。そして、ここほど変な場所はそうそう無いことをさらにあちこち見て回って思い知ったのだった。
 ラルフロイの中ではクレイはまじめなヘタレというイメージだ。悪い遊びに誘ってもノリは悪いだろう。真面目な話でもしておこう。
「あのちびっ子天使どものために用意した鉄の本ってまだ作れるのか?」
「材料さえあれば作れるはずだよ。でもその材料が高いんだよね」
「銀か金がいるんだっけな。何ならそのくらいはこっちで調達できるぜ。城の宝物庫には無駄に金銀財宝が蓄えてあるからな。鉄はあるのか?」
「そっちは簡単に手に入るよ」
「よし。じゃあ金を持ってくるからそれでいくつか作っておいて欲しい」
「うん。職人さんに話しておこうと思うけど、一緒に行く?」
 クレイ一人で行かせるとその間自分は一人で時間を潰さねばならない。わざわざ断る理由もないだろう。
「そうだな。案内してくれ、直接頼もう」
 こうして案内された工房にはなぜか先にソノラたちがいた。その理由についてクレイが言う。
「ナミリエがよくここの仕事を手伝っているんだ」
 ソノラはそれを見学しに来たようだ。普段エリアたちがどんなことをしているのか見せているらしい。
 ラルフロイに仕込まれて以来ナミリエは火の魔法を使いたがるので火を使う仕事も、主に厨房を手伝う。そして時にはこの工房も時折手伝っている。ナミリエは幼すぎて火の魔法を教えられていなかったが、クレイとエリアはもう教えられていたので彼らも普通に手伝える。工房については主にクレイが手伝っていた。ナミリエはクレイやエリアの手が空いてないときに駆り出される補助要員だ。
 張り切っているナミリエを後目にラルフロイは職人に事情を話した。
「それなら一つ提案があるんだ」
 もちろんこの職人はダグとフェリニーの依り代になっている鉄の本を試行錯誤の果てに作った人物だが、仕上げた後も色々と改善案を考えていたのだった。
 彼にとっての一番の悔いは制作の参考にした聖書の形に囚われて本であることに拘ってしまった点だ。その後にほぼ同じような用途の物で、一枚の大きな紙や布にまとめられた物を見た。このようなものは普通は地面や壁などに描くことが多くページに分かれたりしない。むしろこっちの方が基本なのだ。
 本の形というのはコンパクトさとページを多くできる点がメリットであり、聖書のような使い方なら理にかなっている。ただし、あくまでも素材が紙のような軽いものであればの話だ。
 鉄で作られた本は結構な重量になってしまっていた。試作段階でいくつかの形式を試したが、小さくまとめようとするとページ数が増えてしまい却って重くなる。
 最初はもっともごちゃごちゃした魔法陣などのひとまとまりを無理無く収められる最小のサイズで試してみた。一つの魔法に関する呪文や魔法陣は一つのページに収めねばならないので結果他のページがすかすかになり、かといってそのスペースに他の呪文を書き込めるほどではなかった。
 結局それよりふた回りほど大きなページにすることで短めな呪文なら二つないし三つは書き込めるようになり、ページ数が減って軽量化には成功した。だがそれでも結構な余白がありもっと効率よくできそうだった。
 しかし大きくしすぎると扱いにくくなるし、幻影の体に本が収まりきらずにはみ出てしまう。大きな問題ではないがこだわりたいポイントではある。人体の形状からして縦方向になら伸ばす余裕はあるので縦長というのはアリだろう。しかしそれよりも。
「長い一枚の鉄板に全部書き込んでくるくると巻いちまえばいいんじゃないかってな」
 それにより容積自体は大きくなってしまうが、重要なのは人体のサイズに収まる横幅とそれよりも重量すなわち必要な素材の量である。
「つまり巻物か」
 効率を追求した結果、書物として旧世代に回帰していた。
 大きさとしては幅にして肘から指先程度、巻いてしまえば緩めにしても脹ら脛程度の太さに収まりそうだとのこと。そしてだいぶ軽くなりつまりコストも浮く。
 なので聖書つまり本という形に魔術的な意味合いが無いのならより効率の良い方法を選びたいとのこと。ラルフロイの知識では本の形にすることに特別な効果があったりはしないし、ここに居合わせているクレイとエリアに聞いても同じであった。ならば形には別にこだわることはないだろう。この提案を受け入れてまずはサンプルを一つ作ってもらうことにする。問題無いかそれでテストするのだ。
「気軽にテストできるものでもないがな。何せ人が犠牲になるんだし」
「それで魔力をため込んでるんだから今更でしょ」
 エリアが白けた顔で冷ややかなツッコミを入れた。
「それはそれ、これはこれだ」
 ラルフロイはさらっとそれを流す。実際ラルフロイの中では天使・悪魔にする人間と魂を抜いてストックしておくための人間は明確に分かれていた。
 後者は分かりやすく、主に処刑される罪人である。殺す事が決まっているのだからついでに使える魂は使ってしまおうという事だ。どんな目に遭おうが心が全く痛まないのもいいところである。前大臣によっていつか捕らえて魔法使いに仕立て上げるべくリストアップされていたのが役に立っている。
 そのリストにはかなりお世話になっており、とっくの昔に用済みとなっていた。中にはクレイとエリアを追い回した盗賊のタバロック一味の名もあったが、言うまでもなく既に利用済みである。
 大臣が残したリストはまだある。その一つが不遇な状況に置かれた人間のリストだ。親にまともに育てられていない子供、再起の望めない傷病者など、言ってしまえば生きるのが苦痛で死んだ方が幸せかも知れないと思えるような者たちである。本来なら国が支援・救済せねばならないような者たちだが、国にそんな余裕はなかった。
 たとえば戦争により多数発生した戦災孤児は孤児院に送られる。アテルシアとセドキアの戦争は本土での戦闘はほぼ無く海戦が中心だったが、父親が兵士として母親も炊事班や清掃員などで軍艦に搭乗し、帰ってこられない間子供は国軍運営の施設に預けられる。そしてそのまま両親が帰ってこなかった場合はもう軍人の子ではないと判断され孤児院に送られる。
 半分はまともな孤児院だが、もう半分はそうではない。それでも子供たちが生かされていれば文句を言うぐらいで許容するしかない。潰して孤児たちを余所に連れて行くにもその余所がないのだ。
 国ができることと言えば精々早く徴兵し戦地に送り出し使い捨てることだが、それで中途半端に生き延びて半身不随や四肢欠損などの重篤な傷を受けていた場合には国が保証せねばならずその費用も馬鹿にならない。戦災孤児で悪徳孤児院出身の傷痍軍人というのが最も悲惨で且つ関わる役人たちにとって最も迷惑だが、さすがにそれはレアケースだ。
 リストにあった悪徳孤児院についてはラルフロイにとって大した利用価値はない。特に悪質な経営者についてはありがたく魂をいただいたが、そう言った処置を含めて経営者を入れ替えて多少の援助をしておけば子供たちの状況は改善する。それまでに受けた心の傷のケアなどは専門家の仕事だ。
 一方重病人や重傷者については、魔法で治せる程度ならさっさと治してハイさようならだがそうでない場合は何かに利用できそうだ。しなければ犬死にでもったいない。しかし魂は余っているし前大臣の方策のせいでこれからも溜まる一方だろう。そこでさっさと悪魔にでもしてこき使ってやるかと考えたわけである。
 犠牲にするなら死刑囚などの悪人でも良さそうに思えるだろうが、こう言った面々は力を与えて反逆でもされたら面倒だし悪魔にして利用するのもどうかと思う。自我を消すという方法はあるが、実際にそれをやられていたカタリナの例では自我が消えていた間もうっすらと記憶が残っているし解放したら元通りだ。自我を消すというより一時的に押さえ込む程度だろう。これではふとした弾みで自我が戻って勝手なことをしかねない。
 それでも実験台にくらいは使えるだろうが実験台にはすでに当てがあった。その実験がうまくいったら早速新しい悪魔を生み出してみるつもりである。
「結局テストに使われる命があるんじゃない。まあ、ろくな奴じゃないんでしょうけど」
「まあな。お前らを船の中で拷問したっていう奴だ」
「ああ……。あいつまだ生きてたんだ」
 そいつならまあいいか、とかむしろざまあみろとか僅かにでも思ってしたことをエリアは恥じた。
 ついでに、視界の隅でクレイがそわそわし始めたことにエリアは気付く。あの時は自分より集中的にいたぶられたクレイを心配するのに必死すぎて自分のことなどまるで構っていなかったが、そのクレイ曰くその時の記憶で一番鮮明なのは拷問の苦しみではなく、よりにもよってエリアの裸だったと言う。よってあの船のことを思い出すと真っ先にそれを思い出すとか。恥ずかしい限りだった。
 それも全部、件のあいつのせいなのだ。あんな奴に情けを掛けるのは馬鹿馬鹿しい。それにダグやフェリニーを惨いやり方で殺そうとしたのもあいつだ。どう考えても慈悲など無用だった。だからと言ってエリアが自ら手を下したいとは思わない。たぶんエリアではあんなのでも殺せば罪悪感に当分苛まれる。恐らくクレイだって似たようなものだろう。だが生かしておくのも癪に障るのでラルフロイがやってくれると言うなら任せてしまうのがいいだろう。
 そんなことを考えつつ、悪魔とか呼ばれているうちになんだか考え方も悪魔っぽくなったなーとエリアは思った。なお、最近になってエリアの性格が変わったなどという事実は特にない。
 自分の意志が確固たるものになったことでそれを口に出す。
「あんなの好きにしていいわ、とっととやっちゃって」
「あいつに何されたんだ」
 エリアがなかなかに酷いことを言うのでちょっと驚いて思わず聞いてしまうラルフロイ。あのエリアにここまで言わせるということはよっぽど酷い事をされたのかと思わず聞いてしまうが、まあ答える訳ないよなと思う。あと、あのエリアにとか思ってはいるがそのエリアは元々こんな子である。ただ単にそこまで言わせるほどのクズは島にいなかったと言うだけの話だ。
「思い出したくもないわ、クレイにでも聞いてみたら」
 そう言うので素直にクレイに聞いてみる。
「ぼくも思い出したくない」
 ちょうど思い出してそわそわしていたところだろうが、エリアの前で言えるはずがなかった。そしてここでこの一言を聞いたことでラルフロイが後でクレイに改めて聞こうとする可能性もほぼなくなったはずだ。エリアがこれを狙っていたのかは定かではない。
 とにかく、こうして悪魔の新型実験が始まることになったのだった。