ラブラシス機界編

プロローグ


 あまりにも膨大なデータ。システムの基幹に蓄えられたデータだからこそ、そのデータは深い意味もなく受け継がれ続けていた。削除してしまえば、何か重大なトラブルを招くのか。いや、参照されることもないデータだ。そのようなデータを削除しても何ら影響はない。だが、それを許さない『力』がシステム内部に存在した。
 そんなデータの中に、それは何の違和感もなく混ざり込んでいた。
 世界が今の姿になるきっかけの時から、そのデータは何ら変わることなく受け継がれ続けている。まるで、遺伝子のように。
 彼らは知らない。そのデータが彼らの存在理由であることを。
 そして、そのデータが暴かれようとしていることを。

1話・イレギュラー



 あまりにもひどい光景だった。
 昨日まで共に平和な日々を謳歌していた人々は皆、今は血溜まりの中に倒れ込み、その生涯を理不尽に閉ざされていた。
 誰一人として、こんな宿命が我が身に降りかかろうとは、その直前まで思ってもいなかっただろう。そんな事はあり得ないと教えられて生きていたのだから。
 その悲惨な光景を生きて目にしているのは、運命に抗う道に気付き、その道を歩み始めていたごく少数の人間だけだった。
 彼らは、『イレギュラー』と呼ばれていた。

 ここはレジナントの町。彼らにとってただ一つの世界だった。
 この小さな町以外の世界が存在すると言うことなど、彼らは考えたこともなかった。町を囲む鉄の外壁に出口などは存在しない。この壁が世界の果てだと誰もが信じて疑わなかった。
 この小さな箱庭のような町の中で、人々は何不自由ない平和な日々を送っていた。学び、遊び、働く。病気になることもなく、満ち足りた日々で穏やかな心を育んだ人々は諍いさえ起こさない。その幸せな日々に疑問を抱くことはタブーではあったが、そもそも疑問を抱く必要さえなかった。
 だが、今その幸せは一瞬にして砕け散った。
 見たこともない機械たちが鉄の壁の向こうから押し寄せ、人々を切り裂き、撃ち抜いたのだ。人々は何が起こったのかを考えるための知識さえ持ち得なかった。
 目の前で切り裂かれた人間が、血をまき散らしながら倒れ込む。それは、彼らが生まれて初めて目にした人の死。それが何を意味するのかさえ、彼らは知らなかったのだ。
 自分達は何故そこにいるのか。自分達は何のためにそこにいるのか。何も知らないまま、彼らは、その『目的』を果たした。機械に殺されて死ぬという目的を。

 イレギュラー達は、そんな自分達のありように疑問を抱き、真実を追い求め始めた人間達だった。
 疑問を抱くことを意識的に拒み続けるように教育を受けてきたことに対して疑問を抱く。全てはそこから始まった。
 その教育はいわば宗教だった。疑問を抱くことはタブーであり、許されないこと。それに理由など要らない。
 疑問を抱くという、許されないことをした彼らは、異端者『イレギュラー』の烙印を押され、半ば排除された。だが、彼らにとってそれがむしろ幸運だった。イレギュラーはイレギュラー同士寄せ集められ、疑問を共有し合うことができた。
 この世界は分からないことばかりだった。皆、そう言うものだと割り切って生きている。
 年に一度、新しい人間がこの世界に加わる日がある。自分達の半分ほどの身長しかない小さな人間、子供達だ。自分達もそのようにしてこの世界に加わった。自分達がそうしてこの世界に来る前は、もっと狭いところで、同じように世界に加わった仲間達と過ごしていたのを憶えている。あれがどこだったのかも分からない。
 世界に加わった子供達の世話は、大人達が協力し合ってする。それが大人達の仕事だった。
 もっとも年かさの大人達が子供だった頃は、もちろん大人が居なかったのだから大変だったという。ただ、子供同士で手を取り合い生き抜いてきたのだ。彼らは他の世代よりもより強い友情で結ばれていた。
 子供達がこの世界に来る前は一体どうしていたのか。なぜ、今もっとも年かさである大人達よりも前から生きている人間が一人もいないのか。そんな事は誰も考えたこともないし、考えようともしないのだ。
 イレギュラー達が考えるにしても、与えられる情報は皆無に等しかった。
 そんな彼らが、真実を掴む糸口となったのは、ある日突然空の上から落ちてきた鉄の塊だった。
 煙を上げながらイレギュラー達の住処のそば落ちてきたそれには、何人かの人間が乗り込んでいたが、落下の衝撃でほとんどが死に、生き残ったのはたったの二人だった。
 這々の体で鉄の塊から這い出てきた二人は、ほど近い場所にある小屋から驚いて様子を見に来たイレギュラーたちと鉢合わせた。イレギュラーももちろん戸惑ったが、二人もかなりの戸惑いを見せていた。その理由も後々知ることになる。
 鉄の塊は飛行機という空を飛ぶ乗り物だという。イレギュラー達にはそんな機械が存在することさえ考えも及ばなかったし、そもそも二人が来たという、壁の外に世界が存在することに驚いた。
 二人はひとまず隠れる場所がないかと尋ねてきた。イレギュラーたちは彼らを自分たちの小屋に案内した。その直後、イレギュラー達の住処がある区画は速やかに封鎖された。そこに現れたのは機械だ。機械は落ちた鉄の塊を瞬く間に跡形もなく片づけた。そして、何事もなかったように封鎖が解除された。イレギュラー達はこの街にこんな機械があることも初めて知った。二人はこれを恐れていたのだ。

 機械は去った。小屋の中まで調べに来ないという事は、生き延びた二人の存在は知られていないという事だ。普通にしていれば外敵も入れない場所だけに、街の中の監視体制はそれほどでもないらしい。あるいは、この街はずれの一角は監視対象外だったのか。とにかく、ひとまず安心はできそうだ。
 男たちは名乗った。無精ひげの小汚い男はブロイ、メガネの小ぎれいな男はニュイベルと。イレギュラーたちも名乗った。若い男はリカルド、若い女はラナ。そして、子供に見えるが伸びかけた髭からドワーフだと分かる人物はガドックと。ガドックの性別は不明だ。人間に顔だけでドワーフの性別を判断することはできないし、性別が分かったところで興味などない。二人は気にしなかった。
 まず二人が考えなければならないことは、ここでいかにして生きていくかだった。脱出を考えたいところだが、簡単に脱出できるのであるならば、とうの昔にこの町の住人が脱出して見つかっているはず。そんな話を聞いたことがない以上、ここからの脱出はかなり難しいと考えられる。脱出のことは後回しにせざるを得ない。
 イレギュラーを含め、もともとの住人たちにとっては過不足なく暮らしていける環境だが、余所者など見つかっただけで殺されかねない。監視の目を逃れ、食料も得ていかなければ。その手段を考えるためにもと町についていろいろな話を聞くに従い、この町に留まることが危険なのではないかという思いが高まってきた。
 そして今、その予感は的中した。いつもと同じく訪れた朝に、イレギュラーたちがいつもと同じように食事をもらいに広場に向かうと、いつもと違う光景がそこにあった。そのことを知らせにリカルドとラナ、ガドックが小屋に戻った時、それが始まったのだ。
 斯くして眼前に広がる凄惨な光景に繋がったのである。

 その朝、イレギュラーたちが目にしたのは食事を与えてくれるものとは違う見慣れない機械だった。女の顔を持ち、足の無い胴体。何の知識もないイレギュラーたちの目にも、その姿は不吉に見えた。
 ブロイとニュイベルを連れて広場に近付くと、叫び声と嫌な臭いが待っていた。血の臭いだ、とブロイが言い警戒を促した。広場は血の海と化していた。先ほどの機械が人々を襲い、切り刻んでいる。その機械を見、ニュイベルは蛇のようだと言った。
「ぼんやりしてんじゃねぇ。奴らに見つかれば俺達まで殺されちまうぞ」
 ブロイの言葉に、目の前に広がる光景を呆然と見ていたリカルドも我に返る。
 先程まで、自分たちを含め多くの人が集まっていた広場。目の前にはその見知った人達が、無残な血まみれの物言わぬ骸となり息絶えている。ショックや恐怖と言ったものは感じなかった。何せ、これが彼らにとって初めて目にし、その存在を知った「死」なのだから。何が起きたのかさえ、よくは理解していないのだ。
 イレギュラーと呼ばれて町の端に追いやられても、かつては共に過ごした彼らへの愛着が無くなったわけではなかった。数少ない見知った人間であり、この小さな町で共に生きた友であり、仲間である。
 何か声をかけるべきなのか、どうすればいいのかも分からないまま、ブロイに促されるままにリカルドはその場を後にした。

 ブロイとニュイベルが潜んでいるのはイレギュラーたちの小屋の使われていなかった地下室だ。この小屋は倉庫だったらしいが、場所的に不便なのであまり使われていなかった。イレギュラーたちが隔離されてからは他に近付く者もいなくなり、隠れるにはもってこいだった。
そして、地下室は倉庫と言うよりは何かの格納庫だったらしい。大型の機械が数台格納できる形状になっており、充電や通信のためのケーブルが詰まったチューブが束ねられていた。リカルドらはそんな使われ方をしていたことは知らないようだし、荒れ果てようからして数十年の単位で使われていないことが察せたが、ケーブルの通電は生きていた。ブロイたちはそこから電気を盗み、更にはちょっとしたいたずらも仕掛けていた。
 小屋に逃げ帰った5人はその地下に潜む。二人でも窮屈な地下だ。狭苦しいことこの上ない。しかも、空気は重苦しいと来ている。リカルドはスロープに腰掛けるしか居場所がなくなっていた。
 ガドックとラナは沈鬱な表情を浮かべていた。リカルドと同じように仲間を一気に失ったのだ。
 対してブロイとニュイベルは冷静だ。こうなることは予測がついていたし、この街への思い入れもない。機械による一方的な虐殺に対して酷いことだとは言ったが、彼らにとっては決して珍しい光景ではないという。
「連中がちゃんと殺した数をカウントしてりゃあお前らが漏れてることに気付くかも知れねえ。そうじゃなけりゃあそれはそれでこの町の人間は一人残らず殺したと思っているだろう。居ないはずのお前達がこの街を出歩くことももうできない。お前らも俺らと同じく、堂々と歩けねえ立場ってことさ」
 もはや現実を突きつけられては、彼らの言葉を信じるしかない。イレギュラー達は小さく頷く。
「頼みの綱の、ニュイベルのウィルスがちゃんと動いてくれることを祈るしかねぇ」
 ニュイベルの肩越しにモニターを見つめたまま、ブロイが呟くように言った。ニュイベルは機械と戦うすべなど持っていない。ただ一つ、あるのは機械への知識。
「ちゃんと動くだけじゃあ駄目だ。うまいこと広がっていてくれないと、動いたところで影響が小さい。……くそっ、モニタリングがうまくいかねえ!ウィルスの分布度合いは不明だ。だが、やるしかない」
 ウィルスは最近手に入れたものだ。それを改造してケーブルからシステムに侵入させてある。モニタリングはできないが、ウィルスは密かにシステムの全体に広まって行ったはずだ。後は、そのウィルスに組み込んだコードが巧くシステムに障害を与えてくれることを祈るばかりだ。
 ニュイベルはウィルス発動の信号を発信した。

「始まったな」
 ニュイベルの一言と共に、辺りが闇に包まれた。ブロイの見つめていたモニターも真っ暗になる。ウィルスはちゃんと発動できたのだ。
「こんなに効くなら、もっと早く起動させちまえばよかったな」
「ああ、思った以上の効き目だ。しかし、こんなコードじゃなかったはずなんだがなぁ」
 闇の中からニュイベルの満足そうなそれでいて不思議そうな声がした。程なく小さな灯りが点る。ブロイがハンドライトを点けたのだ。
 イレギュラーたちは不思議そうな顔をしている。しかし、何が起こっているのか聞こうともしない。説明されたところで解らないという事は今までに身に沁みているのだ。
「どのくらいの影響が出ているのかは分からん。だが行くしかない。行くぞ」
 先陣を切ってブロイとニュイベルが地下から飛び出した。不安を抱えたまま、リカルド達も後に続く。
 いきなりブロイに制止された。ブロイの後ろから倉庫の外を窺うと、見たこともないようなものが赤い光が揺らめく町の中で蠢いていた。見上げるような大きさの鉄の塊だ。先程広場で見たものとも違う。
「あれは何だ?」
「さあな。知るわけがない」
 ブロイとニュイベルも相手がなんなのかは把握していないようだ。
 巨大な鉄の塊は広場の植木を薙ぎ倒しながら鉄の外壁に激突した。けたたましい音がする。耳を澄ますと、遠くからも同じような音が轟いてきていた。
「あれがなんなのかは分からねぇが、どうやら暴走しているらしい。放っておいて大丈夫そうだが、近づくなよ。轢かれたらお終いだ」
 そう言い、ブロイが飛び出していく。ニュイベルがそれに続き、イレギュラー達もそれに従った。
 町の中では、先ほどのものと同じような鉄の塊が、やはり暴走して闇雲に動き回っていた。近くをリカルドら人間達が駆け抜けていってもお構いなしだ。中には燃え上がったり火花を散らして町に火を振りまくものもある。揺らめいていた赤い光はそうして町中に振り撒かれた炎。おかげで照明がなくても辺りを見渡せる。
 広場には無数の骸と夥しい血が散らばっている。前日までの平和な光景が嘘のようだ。例の大きな機械がいくつも闇雲に走り回り、見る影もなく引き潰していた。見る影以前に見たくもない光景である。足元を見ず駆け抜けることにした。
 広場での虐殺から逃れたものも居たようだ。リカルドたちが見た機械はそう言った者たちも追跡し仕留めていた。そして、粗方仕留めたところでウィルスにより暴走し、同じ機械同士で狩り合ったりやはり暴走していた巨大な機械に挑みかかったりしたようである。
 ブロイ達は外壁に沿って突破口を探した。暴走した機会が壁に大穴を開けてくれているかもしれない。ほどなく鉄の外壁に開いた大きな穴を見つけたが、それは綺麗な四角形で暴走により開けられた穴ではなさそうだ。隠されていただけで元々そこにあったゲートであることが見てとれた。
 その中に一歩踏み込むと、そこは人間達が誰も知らない世界であった。
「どうやらさっきの機械が出入りするためのゲートのようだな。こいつが外まで繋がっているかどうか……」
 ニュイベルが誰と無く呟いた。
 中に入ると、殺風景な鉄の壁のとても広い通路が奥にまで続いていた。通路は長く、奥の方まで外に光が届いていない。遠くのほうから、鈍い音が響いてきていた。いくつもの金属音が混じり合い、反響し、まるで呻きのように揺らぎながら轟いてくる。
 奥に進むにつれ、目が慣れてきた。通路の両側に、先ほど町の中で暴走していたものと同型の大きな機械があった。これらは沈黙し、動いていない。ここはどうやらこの機械の格納庫のようだ。
 動いていないことをいいことに、ニュイベルとブロイが機械を調べ始めた。機械の下側に入り込むと、そこには大きな空洞を抱えており、人が何人も入れそうだった。どうやら、言ってみれば巨大な掃除機のような機械であるらしい。町の中で動いていたのは、散乱した死体などをかき集めて片づけるためだと思われる。
「あの中に殺された人達が掻き込まれてくと考えるとぞっとするな。入らなきゃ良かったぜ」
 ブロイは体を震わせる。自分たちの結論が間違っていてほしい所だ。
 通路をさらに奥に行くと、行き止まりだった。この奥に更に何かがありそうなゲートを見つけたが、開きそうもない。他の道を探すしかなさそうだ。
 再び町に戻った。大きな機械もそろそろエネルギーが切れたか、それともぶつかって壊れたか、大部分が静かになっている。
 辺りを調べてみるが、先ほどのゲート以外に外壁に出入り口はない。手詰まりか、とニュイベルが壁を蹴った。
 リカルドも、何か無いかと辺りを見渡した。凄惨な光景が広がっている広場と違い、居住区はいつもと大差ない。
 ふと、リカルドの目についた建物があった。『偉大なる故郷』と呼ばれるその建物は、毎年新しい子供達が町に加わる時に、みんなが迎えに行く場所。そして、リカルド達が気がついた時には、そこにいた場所。
 ガドックとラナも、その建物に何かあるのではと言うリカルドの意見に賛同した。詳しく話を聞くにつれ、ニュイベルとブロイも興味を示しだした。
「新しい人間が供給される場所か……。確かに、何かあるかも知れない」
 早速『偉大なる故郷』へと向かった。居住区の一番奥にある施設。施設と言っても、壁に入り口の扉があるだけで、建物があるわけではない。
 子供達を迎えに行く日以外はいつも閉じているはずの『偉大なる故郷』の入り口は開かれていた。
 子供達を迎えに行く日と同じ様子の部屋。ただ、彼らの記憶と大きく違うのは、更にその奥に通じる扉が開かれていたことだ。ただの壁だと思っていた場所に、ぽっかりと入り口が開いている。
 奥は真っ暗だった。両側がガラス張りの通路。何気なく、そのガラスに灯りを向けてみて、ニュイベルは腰を抜かしそうになった。
 中に、無数の人間の姿があったのだ。
 体中の穴という穴に管を通された人間が、規則正しく整然と並んでいた。いずれも町では見かけることができない、町に加わる前の小さな子供達だった。
「こいつは人間培養所か?」
 驚くブロイ。
「これは……何?」
 ラナが呟く。
「恐らくだが……ここであんたらが生まれたんだよ」
 ニュイベルの言葉に3人は息を飲んだ。
「あんたら、子供時代の思い出はあるか?もしもあるならそいつは作られた記憶だ」
 リカルドにも、ガドックにもラナにも子供の頃の記憶など無かった。最初の記憶は『偉大なる故郷』の奥で目を覚まし、そこで仲間達と初めて出会ったこと。その頃にはもう今と大差ない姿にまで成長していた。もっとも、彼らには成長していたという概念すらなかったのだが。
 人ならば誰でも通るという子供時代。その記憶が無いということは、やはり彼らはここで意識のないまま成長したのだろう。
 ブロイは近くのパイプによじ登り、ガラスの高い位置を叩き割った。開いた穴から粘っこい液体が溢れ出る。鼻につく嫌な臭いがした。
 ブロイはガラスの穴から、怪我をしないように慎重に手を差し入れ、身じろぎ一つしない子供の首筋に手を当てた。
「駄目だ。脈が止まってやがる」
 ブロイはかぶりを振る。
「彼は何をしてるの?」
「生きていれば、この首のあたりの血管が脈動するのさ。それが止まってれば生きちゃいないって事だ」
 ラナに聞かれ、ニュイベルが答えた。ニュイベルがしているように、皆首に手を当てて脈を感じる。
「お前ら、脈も知らんのか」
 呆れたように上から降りてきたブロイが言った。
「多分、この中の連中はウィルスが発動したくらいの頃合いに、生命維持の装置が止められたんだろう。もうちょっと早ければ生きてる奴もいたかも知れないが、あれからずいぶん時間も経ったし、もうどうしようもないだろうな」
「死んでるのか?」
 リカルドはガラスの中で穏やかな顔で息絶えている子供達を見つめながら呟いた。先ほど町で嫌と言うほど見てきた粉砕された死体と違い、傍目には損傷などはない。だが、死んでいるのだ。
 死というものの知識は与えられていなかったリカルド達は、この短い時間に人の死を数え切れないほど見てきた。この街では完全な管理で人間達は健康に過ごすことができる。そして、時期が来れば皆等しくその命をなんの前触れもなく摘み取られる。そのような宿命を抱え、死の知識になんの意味があろうか。恐怖も何もなく、来るべき死を強制的に受け入れさせられる。最後以外はなんとも平穏極まりない生涯だ。
 だが、そのサイクルから抜け出したことで、彼らにはいつとも知れぬ死の恐怖がついて回ることになった。もっとも、まだ彼らにはその実感さえ湧いていないのだが……。

 人間培養施設の通路をひたすらまっすぐ進むと、壁が破壊されているのを見つけた。強力なビーム砲でも浴びたように、壁面が溶解している。その向こうには複雑に入り組んだパイプ状の通路が通っていた。溶けた鉄の上を踏み越えて何かの足跡が残っていた。まるで、ブロイ達を誘うかのように。
 とは言え、人が歩くことを想定した通路ではない。しかも上下方向にもねじ曲がり、どこへ通じているのかさえも分からない。
 彼らは皆、決して身軽ではない。苦心の果てに急勾配で伸びるパイプをよじ登り、長い通路をたどり行き着いた先はまた得体の知れぬ空間だった。
 両側に何かが並んだかなり狭苦しい場所だったが、調べ歩いた結果、そこが倉庫のような場所であることが分かった。様々な資材のようなものが整然と並べられたコンテナに詰まっている。全員、いざと言うときのために鉄パイプを一本ずつ持った。
 更に先に進む通路があった。動きの止まった自動カートが道を塞いでいるが、上に空間があるのでどうにかしてよじ登れば先に進めそうだ。背の高いリカルドが軽いラナを肩車してカートの上に登らせ、ロープを降ろさせる。腕力のあるガドックが先によじ登り、他の3人を引き上げた。
 カートのへりを慎重に渡り、反対側に飛び降りると、更に通路が伸びていた。
 奥の方から何かの音が聞こえて、強い光が不規則に明滅しているのが見える。5人は慎重に、その光と音の方へと向かって行った。
 開けた空間があった。音と光はそこで発せられている。ニュイベルが覗き込むと、4本の足を持ち、瓢箪型のボディの一つの半球からその足が2本ずつ出た、出来損ないの虫のような奇妙なフォルムのロボットが、正面の壁に向かって前方の半球にあるビーム砲を延々と撃ち続けていた。
「どうだ?」
 ブロイの問いにニュイベルはかぶりを振る。
「何かやばそうだ。しばらく様子を見よう。何かあったらすぐに逃げられるように準備しておいた方がいい」
 ブロイもそっとその様子を覗き込む。
「何だ、ありゃあ」
「戦闘型のロボットなんだろう。あいつもイカレてくれているようだがな」
「この停電中にあれだけビーム砲を撃ちまくりゃ、じきにエネルギー切れを起こして動きを止めるな。それまで一休みするか」
「だな。そうしよう」
 一行はカートの辺りまで引き返した。
 小一時間ほど休んでいると、奥の方が静かになった。もう一度先程の場所に行ってみると、エネルギーが切れたらしいロボットが、最後の残りのエネルギーで細かく震えるような動きをしていた。ロボットが撃っていた壁には穴が開き、そこから外の光が入り込んできている。
「何だこいつは」
 ブロイがロボットを軽く蹴飛ばした。それに反応したのか、ボディ前部の上側についたカメラがブロイの方を向いた。ブロイは慌てて逃げ出したが、ロボットの足はほとんど動かず、ビーム砲も壁の方を向いたままだ。
「構うな。せっかく出口を開けてくれたんだ。ありがたく通らせてもらおうじゃないか」
「ああ、3ヶ月ぶりの娑婆の空気だ」
 ロボットに後ろから撃たれないように、引っ張って部屋の隅に押しやった。どちらにせよ、もう動くだけのエネルギーさえないようだ。
 狭い穴だったが、人間一人通り抜けるくらいは訳ない。一行は一人ずつ穴を潜り抜けた。

 夕焼けで赤く染まった空の下に赤茶けた果てしない荒野が広がり、いやな臭いのする生暖かい風邪が渦巻いていた。
 頭上を、轟音を振り撒きながら鉄の塊が飛び交っている。リカルドたちはその音と影に身を隠したが、ブロイとニュイベルは動じない。
「安心しろ、あれは仲間だ。………覚えててくれてりゃだがな。おおーい!」
 要塞の様子がおかしいことに気付き、すぐに偵察がやってきたのだ。ブロイは空を飛ぶ飛行機に手を振る。一つが降り立って来た。
 中から出て来たのは、ブロイにとっては顔なじみだった。
「誰かと思ったらブロイじゃないか!生きていたのか」
「ああ、なんとかな。生き残ったのは俺とニュイベルだけだ。撃ち落とされたときにラッガたちは死んじまった」
「そうか……。あいつらは誰だ?何がどうなってあいつらを連れてきたんだ」
 ブロイの顔なじみのティスカルダムは、ブロイと一緒にいる見慣れない人間に目を向けた。
「話せば長くなる。とにかく何か食わせてくれ。腹がへっちまった」
「まさか今までずっと何も食わずにいたってんじゃないだろうな?あるいは鉄を食っていたとか?」
「俺の体も歯もそこまで頑丈じゃあねえよ」
 ブロイと見慣れぬ人達に促され、リカルドたちも恐る恐る飛行機に乗り込んだ。
「悪いがお前らの分の座席は無いんでな。床に座って柱にでもしがみついててくれ」
「俺もか」
 当然だがニュイベルは不機嫌そうだ。ブロイは座席を譲る気は無いらしく、明後日の方を向いている。
「一度飛び上がっちまえばそんなに手荒な操縦はしないさ。ケツが痛けりゃ立ちゃあいい」
 そう言いながら操縦士は飛行機を発進させた。機械音と共に機体がゆっくりと浮上し、前方に進み出した。平坦でない荒れ地への着陸もできるように助走の要らない方式だ。
 飛び上がり、より遠くまで見渡せるようになったが、相変わらず荒れ果てた大地ばかりが目に入る。
「ここを沈黙させたのはおまえらか?どうやった?」
 シートにかけていたティスカルダムが振り返りながら聞いてきた。
「話せば長くなるって言ったろう。それにそいつはニュイベルの手柄だ。何をやらかしたのかはあいつに聞いてくれ」
 ニュイベルは不機嫌そうなままの顔を背けた。ティスカルダムは肩を聳やかした。
「そうか。ほかにもう人はいないか?」
「多分な。俺たちがいたような『町』が他にもあれば別だが」
「真上から見た感じ、そう言った様子はないな。『檻』は一つだ」
 コックピットの操縦士が振り返りもせずに言った。
「檻、か。確かに檻だがな……」
 出口の無い、囲われた狭い空間。まさに檻であるが、ブロイは複雑な顔をする。
「よし、今日のところは引き上げるぞ!仲間にもそう伝えろ」
「ちょうど敵が寄ってきたところだ。何も言わなくてもみんなさっさと引き上げるだろうよ」
 めまぐるしい速度で外の景色が流れていく。と言っても、リカルドやブロイ達が居る位置からは空と雲しか見えないが。
「そっちの状況はどうなんだ?」
 ブロイがティスカルダムに訊いた。
「こっちはこっちで色々あったぜ。奴ら、ここ数年の間に急激に進歩してきてやがるからな。戦いが長引くと厄介なことになるな」
「長引かせるなって?一体俺達と機械どもが何千年戦ってきてると思ってるんだ」
「それもそうだなぁ」
 ティスカルダムは快活に笑った。ブロイは苦笑いだ。
 彼らのアジトにもなっている場所に飛行機が続々と到着した。追っ手はないようだった。もっとも、あの町に来ていた敵は偵察機とその護衛機で、こちらの拠点にまで追跡して来るには貧弱すぎる武力なので当然だ。
「早く飯を食わせてくれ」
 ブロイはいの一番に飛行機を降りた。
 彼らを出迎えた見慣れぬ人々をリカルドたちは不思議そうな顔で見回す。その見慣れぬ人々も、リカルドたちを不思議そうな顔で眺めていた。