Hot-blooded inspector Asuka
Episode 5-『Star seekers』

第5話 星空の中心

 海岸に向けて一台の車が走っていた。運転していたのはゾディアックのプロジェクトに関わるストーンのエージェント。
 チームから成功報告を受けたが、スコーピオンの受け渡しは事情により人気のないところでしか行えないと言う。呼び出されたのは海岸だった。なぜ向こうからで向いてこられないのかは気になる。ただ、盗聴されているおそれはほとんどないが、電話であまり長く話し込みたくはない。チームは裏切ることのない相手だ。とにかく海岸に行くことにしたのだ。
 海岸にはチームの作業車が停められてた。そして、海には服を着たままのチームメンバーたちが、些か季節外れの海水浴をしている。
「何をしているんだ、お前達……ちょっと待て、何だこの臭いは」
 海岸に漂うローカルの臭いに気付くエージェント。
 事情を説明するためにエージェントにメンバーが近づいてくる。ローカルの臭いも近づいてくる。
「近寄るな、臭い!」
 エージェントは少し離れた。仕方ないので、その距離で説明を受ける。チームのメンバーはこんな臭いをつけられた経緯と、その臭いを落とすために海で一生懸命洗っていることを説明した。
 そして、スコーピオンを差し出す。糞まみれになってしまったが、海の水で洗う訳にも行かずそのままだ。一応、新聞紙などを使い拭えるだけ拭い、きれいな新聞紙でくるんで渡したが、少し臭う。まあ、受け取らない訳にもいかないが。
 これが本物かどうかはクライアントに確認してもらえばいい。スターコッファーさえ開けばいいのだし。
 ただ、クライアントに渡す前にきれいな水で洗わなければならないだろう。それで偽物だった時は、どんなに切ない気分になるのか想像もつかないが。

 臭い戦利品を横に乗せ、エージェントの車は『店』に戻った。
 店には他のエージェントとクライアントが揃っていた。
 スコーピオンは外の水道で軽く洗ったが、まだ多少臭いは残っている。牛糞に混ぜられていた糊が固まりかけており、落としにくいのだ。
 その辺の説明もしたが、臭いなどどうでもいいから早くよこせとクライアントは言ってきた。ようやく揃ったと思ったが偽物を掴まされ、すっかり焦れていたようだ。
 テーブルの上には、スコーピオン以外のゾディアックがすでに填め込まれたスターコッファーが置かれている。その空いた場所に最後のゾディアック、スコーピオンが填め込まれる。すると、スターコッファーからコトリと音がした。
 蓋を持ち上げると蓋が開かれた。エージェントたちも思わず、おお、と声を漏らす。遂に本物が全て揃ったのだ。
 クライアントは長いこと開けることもできないこの箱を抱えていた。蓋は開かれ、ついにその中に隠された宝がその姿を現す。
 それは例えば、オリオンの姿を模した金の彫像。カシオペアをあしらったカメオ。南十字星をイメージした銀のロザリオ。
 その中でも目を引くのは、スターコッファーの中央に鎮座し、燦然と輝く特大のダイヤモンドだ。
「これが、ポーラー・スター……」
 クライアントは恐る恐る、そのダイヤに手を伸ばす。
 北極星の名を冠したそのダイヤは、12星座・ゾディアック、そして他の星座たちの中心にあった。
 誰もがその見事さにみとれる中、クライアントである人物の表情は憎悪に歪んでいた。彼はやおらポーラー・スターを掴み、床に叩きつけた。さらに、机の上にあった金属製の置物を掴み上げると高く振り上げ、ポーラー・スター目掛けて振り下ろした。
 ダイヤモンドは最も固い鉱石だと言われているが、それは飽くまで摩擦に対しての固さ。叩かれることにはあまり強くはない。ポーラー・スターも二つに割れてしまった。
「なんて事を!」
 エージェントはクライアントに飛びついて慌てて止めた。
「言ったはずだ、報酬はこのダイヤを除くスターコッファーとその中身、そして12のゾディアックだと。このダイヤは私の物だ、私の好きにさせてもらう!私の一族はこの呪われたポーラー・スターのために没落し、途絶えようとしている。それならばせめて、この禍々しいダイヤを砕いてやらねば気が済まないのだ!」
「確かにダイヤはあんたの物という事にはなっていたが。だが、これ程見事な宝石を砕いてしまうのは惜しい。こうしないか、もう二つに割れたのだ、これで十分だろう。この割れたダイヤは我々で買い取ろう」
 クライアントは渋ったが、説得してどうにか話を取り付けた。
「だが、そのダイヤは呪われたダイヤだ。どうなってもしらんぞ」
 クライアントはポーラー・スターをエージェントに手渡しながらそう言った。クライアントがここまで恐れ、忌み嫌う呪いとは。
 彼の父親はスターコッファーとゾディアックを手に入れた。特にゾディアックは入手に苦労した。
 彼の父がここまで苦労して入手しようとし、相手もなかなか手放そうとしないゾディアック。彼は、父親の部屋からその宝を盗み出し、競売にかけて売り払った。そして、その金を持って東京に出て行った。
 そう。クライアントは荒木有作、赤星からゾディアックを騙し取った荒木の息子、ゾディアックをオークションにかけた人物だった。
 その後、有作の父親は無様な最後を迎える。ほとんどの資産が尽き、彼に残されていた物は開くことのできないスターコッファーだけだった。
 わずかな遺産を手にしていた有作の兄も、信頼していた仲間に欺かれ、全てを奪われ自ら命を断った。有作はその兄を裏切ったかつての仲間から、復讐という都合のいい大義名分を掲げて全てを奪う。斯くてスターコッファーは彼の物となった。
 そのときから彼にも災難が降りかかり始めた。商社に勤めていた彼は取引先とのトラブルで会社での立場が悪くなり、昇進が危うくなった。さらに同僚の女子社員とありもしない浮気話をネタに妻に離婚を切り出され、たんまりと慰謝料をふんだくられたうえ、その妻は彼と別れるなり、待っていたかのような早さで別な男と再婚した。
 浮気の疑惑の元になった写真はその女子社員が彼を略奪しようと企んだことだった。だが、慰謝料で財産を削ぎ取られ、昇進も怪しい彼を、女子社員もあっさりと見限った。
 そんなざまで会社にも居づらくなった彼は、仕事を辞め、若いころのような半端物になった。
 兄から奪い取った父の屋敷を引き払うことになったとき、父の手記を発見した。その中に、スターコッファーに収められた呪われたダイヤ、ポーラー・スターについての記述を見つけた。息子に裏切られ、さらに回りの者に次々と裏切られた荒木。彼はある日、手元に残されたスターコッファーについて海外の文献を目にし、中に収められたポーラー・スターを巡り、数多くの裏切りが起こされたことを知った。そして、荒木の周りで起こっていたこともその呪いの仕業としか思えないと書かれていた。
 荒木は彼を裏切りこの呪われたダイヤを収めた箱を開く手段を奪った息子へのせめてもの復讐に、この箱を押し付けてやりたいと書き記していた。そして、荒木の望むとおりスターコッファーは彼の手に渡った。そして、彼もまた呪いとしか思えない不幸に見舞われたのだ。
 彼はスターコッファーを手放すべく、手を尽くした。だが、中に宝が詰まっているとは言え、開けることもできない箱。本当に中に入っているものが高価なものなのかは彼さえ知らないのだ。ゾディアックがなければ見た目もさえないただの箱。誰も買い取ろうとしなかった。
 捨てても彼は裏切りに遭い続け、揚げ句箱は彼の元に舞い戻ってきた。
 もはや、スターコッファーを開けるにも、誰かに売るなり譲るなりするにも、一度手放したゾディアックを揃えなければならないと悟った。
 だが、目減りして行く資産でゾディアックを全て買い戻すのは到底不可能だった。それに、カニ以外に興味が無い代わりに、カニとなると異常な執着心を見せる蟹江氏からキャンサーを取り戻すのは、金の力だけは不可能だろう。
 荒木はかつて盗み出したゾディアックのオークション出品に力を貸してくれた人物に相談を持ちかけた。
 その相手こそ、盗品売買の斡旋を担当するストーンのエージェント、今プロジェクトリーダーとして目の前にいる人物だ。ストーンは窃盗依頼の斡旋や泥棒の紹介の業務を始めた所。荒木にとっても渡りに船だった。
 しかし、彼には報酬として支払える資産はわずかしか残されていない。そこで、取引の結果盗み出したゾディアック、そしてスターコッファーそのものを報酬とすることにした。荒木にしてみればスターコッファーそのものを引き取ってもらえれば十分なのだが、本当にその箱が開くのかどうかを見届けるまではストーンとしても引き取ってやるわけにはいかなかった。
 荒木はスターコッファーの中のポーラー・スターだけを要求した。
 エージェントたちはダイヤがこれ程の大きさだとは思わず、さらにいきなり荒木がポーラー・スターを割ってしまうとは思っていなかった。荒木はストーンにこの話を持ちかけたとき、呪いに関する話を一切していない。呪いを恐れて引き取ってもらえないと困るからだ。
 もっとも、ストーン側も呪いの噂を知らなかったわけではないのだが……。

「やっと、私は呪いから解放される!」
 荒木は狂気じみた哄笑の声をあげた。
「そうだな、荒木。これで依頼は完了。あんたとの顧客関係も晴れて解消だ。ここからは俺とあんたの個人的な話になる」
 そう言いながら、若い方のエージェントが銃を取り出し、荒木に向けた。荒木は訳が分からず表情を強ばらせる。
「ダイヤは私の物だという約束だ、どうしようが私の勝手だろう!」
「そんなことを言っているわけじゃ無い。今はストーンの規則で名前を捨てているが、かつては私にも名前があった。赤星優三と言う名前がな。……分かるだろう、あんたの父親に破滅させられた赤星の孫だよ」
 荒木の顔に驚きの色が浮かぶ。
「ポーラー・スター最後の呪いだ。よもや我々にまで裏切られるとは思わなかったろう。さあ、お別れだ」
 室内に銃声が轟いた。

 その頃。飛鳥刑事のポンコツ中古車の周りにパトカーが集結していた。パトカーはサイレンも無く静かに周囲を取り囲んでいた。
 まきびしでパンクさせられた覆面パトカーの代わりに飛鳥刑事の車を使い、追跡を続けたのだ。
 追跡と言っても、一度は振り切られた相手だ。どうやって追いかけたのか。
 実は、チームは逃げるときに糞まみれにされたが、糞まみれだけではなく発信機まみれにもされていた。プールに溜まっていた糞、臼に仕込まれていた糞、森中警視の砲弾の中の糞。糞と言う糞に発信機が混ぜ込まれていたのだ。粘っこい糊状のペーストが混ぜられた牛糞は、その発信器を落ちにくく、更に見つけにくくもした。
 発信機の電波を頼りに、海岸で糞を落としているチームを発見した。
 その場でふん縛ってもいいのだが、相手はあまり触りたくない状態。それに、もう少し泳がせて連中がどこに逃げ込むか見届けられれば、かなりこちらが有利になるかもしれない。しばらく様子を見ることにした。
 連中に気づかれないように物陰に隠れながら様子を窺っていると、そこに一台の車がやってきた。スコーピオン奪取成功の報を聞いて駆けつけたエージェントである。車から降りてきた人物に、飛鳥刑事たちは見覚えがあった。
「所有者の中にストーン関係者が紛れ込んでいるとは思っていたが、案の定か」
 森中警視は小声でそう呟いた。
 スコーピオンがエージェントの手に渡され、車は走りだす。
 チームの発信機の多くは海で洗い流された牛糞と一緒に落とされ流されてしまっただろうが、森中警視のバズーカで撃ち込まれ、作業車に付着した牛糞の中の発信機には気づいていない。見失ってもすぐに探せる。だが、スコーピオンはこのままでは行方を見失う。こちらを追った方が良さそうだ。
 作業車の追跡を佐々木刑事に任せ、飛鳥刑事と森中警視はスコーピオンを受け取ったエージェントの車を追跡する。
 気づかれないように追っていたが、やがて車の進行方向でどこに向かっているのかが検討がついてきた。そして、案の条の場所にたどり着いた。すぐにパトカーを呼び寄せて警官で周囲を包囲。飛鳥刑事と森中警視は数人の警官を引き連れて店内に入って行った。
 以前訪れたときには売り物が並んでいた店内だが、今はあれが嘘だったかのようにガランとしている。売り物は全て片付けたようだ。恐らく、全てのゾディアックを揃えたところで跡形もなく引き払うつもりでいたのだろう。しかし、あれほどの量の売り物を運び出す動きがあればいくら何でも気づくはず。いつの間に運び出したのだろうか。
 そんなことを考えながら店内を慎重に歩いていると、一発の銃声が聞こえた。
 銃声が聞こえた方向に走って行く。もう一発銃声が聞こえた。扉の向こうだ。飛鳥刑事は銃を構え、扉を蹴破った。
「動くな!」
 そこには4人の人物がいた。一人は見覚えの無い人物で、銃で撃たれ床に倒れている。一人はこの店の主である。銃を持っているのは先程スコーピオンを受け取っていた人物。最後の一人はその妻だということになっている女だった。
「な、何故警察がここに!」
 店主が目を見開きながら叫ぶ。
「何故……?ほほう、何故とおっしゃいますか。別にここに警察が来るのは不思議なことではありませんな。何せ、ここでは盗難事件が起こっている。まだ終結もしていない、一連のゾディアック連続盗難事件がね。ここでもあなたがレオを盗まれている。そうでしょう、石原さん」
 不適な笑みを浮かべながらの森中警視の言葉に石原と名乗っていたエージェントは歯がみした。
「ただ、今回ここに来たのはそれだけでもありませんよ。スコーピオンを盗んだ犯人を追っていたら、あなたの姿を見たんですよ、拓磨さん!そんな怪しい場面を見て、追わないと思いますか?」
 飛鳥刑事の言葉に狼狽する拓磨氏。
「ばかな!あいつらは追っ手は撒いたと言っていた!追跡していた警察車両はパンクしたはず!おまえらは署に戻ったはずなのに何故追跡できたんだ!?」
「警察を甘く見ないことです。警察も、たまには卑怯な手を使うのですよ」
「それは森中警視だけでは?」
 表面上はそういうことになるだろう。まあ、おいておこうではないか。
 石原氏は奥の扉を開け、そこから逃げ出した。
「こっちだ!」
 他の二人もそちらへ駆け出した。その間際、テーブルの上にあった財宝を掴んで駆け出す。拓磨を名乗るストーンのエージェントは、蓋の無いスターコッファーを。その妻だと言っていた女性エージェントは蓋とその上に乗っていたゾディアックを。
 だが、銀製のゾディアックは思いの外重く、女性エージェントは取り落とし、ゾディアックをぶちまけてしまった。刑事たちはもう動き出している。足を止めて拾っている余裕など無い。捨て置くしかなかった。
 石原氏は当然この店の構造を知り尽くしていた。店舗以外の部分は複雑に部屋と通路が絡み合う構造になっていた。それも全て、このような時のためだった。
 複雑な構造で敵を撹乱させ、なおかつ、どこへ逃げてもそうそう追い詰められはしない逃げ場の多さ。そのように設計されているのも、ここが設計にまで組織がかかわった建物だからだ。
 彼らが目指していた場所。それは。
 エージェントたちは、その部屋の隅の、壁の切れ目に入って行った。
「急げ!」
 三人とも入った所で、この店の主だと言うことになっているエージェントは壁を閉め始める。閉まるとそこはただの壁となった。隠し扉だ。
 壁にはその隠し扉を開く手掛かりとなるような物は見当たらない。
 何か。何かあるはずだ。こちらからこの扉を開く方法が。
 視線を巡らす飛鳥刑事の目に、見るからにそれっぽいものが飛び込んできた。
 壁に近い棚の奥に隠れるように据え付けられた、1から9までの9つの数字のあるボタン。
 位置的に、これが壁を開く装置。ナンバーロックだ。
 だが、番号が分からなければ。何か手掛かりは無いだろうか。番号の手掛かりは。
 手にしていた懐中電灯でボタンを照らし出す。
 何かが光った。
 よく見ると、ボタンが微かに濡れている。指の汗だ。油断した所に警察が押しかけ、それから全力で逃げたのだ。手も、冷や汗や脂汗の混じった汗でぐっしょりだったのだ。そんな手で、焦りを押さえながら間違えないよう一際慎重に、確実に力強くボタンを押した。汗もベットリとついたのだ。
 汗のついたボタンは3、5、9の三つ。恐らくはこの3つを組み合わせた3桁の数字。同じ数字を2回以上使う4桁以上の数字と言うことも考えられたが、3桁であることを祈るしか無い。
 このとき、汗の跡の濃さをみればボタンを押した順番に気づけたかもしれないが、いずれにせよ3つの数字の組み合わせは6通りしか無い。考えるより先に手を動かした飛鳥刑事とたいした差は無かっただろう。
 935の順に押したとき、カチリと言う音に続き、壁に隙間が開いた。そこに手を引っかけ引き開ける。
 そこには地下へ向かう階段があった。その地下深くから振動音が聞こえた。そして飛鳥刑事の眼前で光を放っていた裸電球がふっと消えた。見回すと横の壁にスイッチがある。そのスイッチで電球に光が入る。
 階段を下りて行くと行き止まりになっていた。先程まで聞こえていた振動音はこの壁が閉まる音だった。似ている。以前オケラ屋の地下で見た地下通路に。
 何にせよ、もう追うことはできそうにない。

 主犯格らしい人間は取り逃したが、ゾディアックは全て取り返すことができた。これは大きな成果と言えよう。
 そして、ゾディアックとともにそこに残されていた人物。
 胸に二発の銃弾を受けており、至急病院に運ばれたが間に合わなかった。
 彼は死ぬ間際、自分を荒木有作と名乗り、赤星にやられたと言い残したという。
 さらに、部屋にともに残されていた彼の全財産らしい旅行カバンの中の荷物から彼の父、そして彼自身の手記が発見された。その中の記述より、今回の出来事の裏にあった真実を垣間見ることが出来た。
 父から奪い取ったゾディアックをオークションで売りさばいた後、その父の遺産を含む兄の財産主奪い取った彼・荒木は、その遺産の中にあったスターコッファー、その中の呪われたダイヤ、ポーラー・スターの事を知る。
 荒木の身にはそのダイヤの呪いとしか思えない出来事が次々と起こっていた。荒木はスターコッファーを手放そうとしたが、開かない箱は買い手もつかず、捨てても手元に舞い戻って来る。そこで、世話になっていた盗品商人に相談を持ちかけた。それがストーンのエージェントだった。
 荒木はゾディアックを全て集めれば、自分の持っていた2個を含む全てを報酬として差し出すと提案した。ストーンはさらに荒木の孤独な身の上に目を付け、今までの全ての経歴、名前に至るまで全てを消し去り、ストーンに加わるように勧めた。全てを失っていた荒木にとって、その忌まわしい過去を消し去れるという言葉が甘美に聞こえた。彼はその提案を飲む。その際、私物であるスターコッファーはストーンの物となる。だが、荒木はその中のポーラー・スターだけは自分の好きにさせてほしいと頼んだ。
 組織に加わる手初めとして、荒木は自分自身を殺すことになった。ストーンの中で処刑される裏切り者を、荒木に仕立てて死なせた。だから荒木の死亡届が出されていたのだ。
 斯くて、荒木有作は死に、生きている彼は誰でも無くなった。そして、今回の計画が実行されたのである。荒木の手記はここまでだった。
 今回の計画には三人のストーンエージェントが関わっている。名乗っていた名前ではそれぞれ石原、そして拓磨夫妻。エージェント達は荒木が持っていた2個のゾディアックを、それぞれ一つずつ預かり、所有者のフリをした。レオとタウルスだ。
 荒木が死ぬ間際に言った「赤星にやられた」と言う言葉。荒木を殺したのは銃を持っていた拓磨のはず。あの男が赤星だったのだろう。赤星は言うまでもなくかつてのゾディアックの所有者。だが、その人物はだいぶ前に老衰で亡くなっている。恐らくはその子孫か親戚縁者と言ったところか。あるいは、その遺志を継ぐものかもしれない。その人物がストーンにいたと言うことだろうか。
 そうなると、荒木をストーンに招き入れるという計画も嘘だった可能性がある。ではなぜ殺すつもりだった荒木に、組織に入るように勧め、その準備をしていたのか。
 森中警視には大体推測がついていた。
 それは、ストーンのしきたりが深く関係していた。
「ストーンの組織の直接的な構成員は、国籍が無く存在するはずのない人間で構成されている。死んだことになっている人間、生まれたことになっていない人間……。存在しないはずの人間だからこその行動の自由を活かして動けるうえ、組織を抜けるにも、存在しないはずの人間ゆえの不自由さに縛られるため、組織を離れられない。そして、組織の人間は、必要があれば他人の戸籍を乗っ取って社会に溶け込む。そういうことをしているのだ。だから荒木も誰か身代わりの死体を自分ということにして、自分は死んだことになった」
「そのとき殺されたのは誰ですか!?」
「それは分からないが、大方、組織にとって邪魔だった人間だろう。だが、問題はそこではない。荒木は既に死んでいた。その死んだはずの人間が今、こうして再び死に、奴らはその死を隠す。いないはずの人間がいなくなる。それはどういうことだね?」
「……?いないはずなら、死んでいなくなっても特に何も……!?そうか、そういうことか!今ここで荒木が死に、その死体を隠滅しても何も起こらない!元の鞘に収まる、それだけです!」
 森中警視は頷く。
「ストーンの構成員、その命は組織の中でさながら路傍の石程度の価値であるかのように扱われる。赤星が名も過去も全て捨て、そのような存在にまで落ちた原因を作った荒木一族を許せなかったのだろう。だから一度当たり障りのない理由で死んだことにし、改めて自分の手で殺した。さらに財宝も奪うことができる。生きている人間が消えれば不審に思うものも出る。だが、死んだはずの人間が死んでも、なんの問題もない」
「ゾディアックが全て揃うまで生かしておいたのは、スターコッファーが開くまで、その開け方を知っている荒木を殺せなかったから……」
「それもあるだろうが、組織の依頼者、客を殺せなかったということだろう。依頼が完了し、契約が終わったところで個人として恨みを晴らした……。まあ、契約していた顧客を殺したことに変わりないがね。組織の中では無かったことにしなければならないだろう。そういう意味でも既に荒木が死んでいることになっているのは大きい」
「契約からして無かったことにできる……?」
「うむ、そうだな。ゾディアックを盗んだ事はこれだけ大きな騒ぎになったから今更隠せはしない。だが、荒木の存在が表に出ないのであれば、盗んだ理由も適当にでっちあげればいい。どこからかスターコッファーを手に入れて、それを開けるため、とでも」
「それじゃ、警視!荒木の存在、そして依頼人である荒木の殺害が知られれば、ストーンにとっては痛手になるのでは!?」
 そうなれは、ストーンも客が減り、思うように動けなくなる。
「しかしだ。誰に伝えるのか、どのようにして伝えるのか。それが問題になる。国民のほとんどはストーンなどという組織の存在さえ知らない。奴らは既にメディアや警察にまで入り込み、口を封じている。そもそも、顧客でさえ多くはストーンという組織について何も知らないまま接している。盗品売買の相手も末端の商人との直接取引は店での買い物のように物と金銭のみが動く。各種依頼仲介も、仲介人という立場の構成員は依頼人の情報も求めないし、自分の情報も何一つ与えない。依頼の内容、結果、そして報酬のみがやり取りされる。元々後ろ暗い取引だ、客も名乗って相手に弱みを握らせる事はしたくない。だから、得体の知れない相手でもその素性を詮索などしない。相手がストーンだと知って取引している人間など、数えるほどしかいないだろう。……さて。ストーンが依頼人を殺害した。それを誰に伝える?」
「うっ。そ、そんなに知られていないとは……。泥棒の間だけでも、流せば相当な痛手になるかと思ったんですけどね……」
「それに。ストーンが信頼を失ったとしてだ。仲介人を挟んでストーンの存在が見えない取引に何の影響が出る?ストーンという組織は信頼できないとして、今取引している相手がストーンの関係者だとどうやって知る?」
「ううう。何の意味もないですね」
「そう。我々にできるのは奴らを直接取り押さえることだけだ。警察内部にまで構成員の侵入を許した状況では、厳しいがね。……そういえば」
 森中警視は何かに思い当たったようだ。
「さっき、拓磨を名乗っていた人物が、実行犯が追っ手を撒いたはずなのに我々がここにいることについて、なんて言ったか覚えているかね」
「え。……うーん、たしか『警察はパンクさせて撒いて署に帰った』と……あれ。何でそこまで知ってるんだ?」
 確かに、まきびしを踏んでパンクした覆面パトカーを捨て、たまたま通りがかったタクシーを使い一度署に戻った。そこで飛鳥刑事の車とパトカーに分かれて、発信機の電波を頼りに追跡が始まる。どうでもいいが、森中警視が敢えて飛鳥刑事の運転する車に乗ったのは、佐々木刑事の荒っぽい運転を避け落ち着いて発信機の探知に収集したかったためであり、佐々木刑事が普通のパトカーに乗っていたのは、犯人を見つけたときに自分の車がパンクさせられたり、特に糞をつけられることを恐れたからだった。
「パンクの話は実行犯から聞いたと考えて問題ないし、疑問点は無い。だが、その後の行動を知る方法は多くはない。我々が署に戻ったのは短い時間。署内でも気づいた人間はそう多くないだろう。……思ったよりも近くにストーンの手先が潜んでいるようだな……」

 チームを追跡していた佐々木刑事が戻ってきたのはたっぷりと時間が経ってからだった。
 延々と追跡が続いた……という訳ではない。
 拓磨を追った飛鳥刑事の車が走りだした後、チームの作業車も走り始める。だが、佐々木刑事はすぐに追わなかった。自分はパトカー、とても目立つパンダカーだ。そんなもので追跡しては、自分の存在にすぐ気付かれる。
 幸い、連中は自分たちの車に仕掛けられた発信機の存在にはまだ気付いていない。受信機を使えば、その発信機の方向が分かる。離れていても居場所は分かるのだ。
 作業車は町を避けるように海岸の道を走る。そして、郊外の道を走りながら海を離れ、牛糞の臭いに違和感を覚えない田園地帯に差しかかった。そこは開けた見晴らしのよい場所であり、車などほとんど通りかからない道だった。
 かなり距離を開けて追っていたつもりだったが、だだっ広い田園風景をパトカーが走っていれば遠くからでも目立つ。チームは緑の中を走るパンダに気付いたのだ。
 そして、田園地帯の縁を囲む杉と雑木の林の一本道で、佐々木刑事の乗ったパトカーは突然パンクした。道に積もった杉の葉の中に紛れてまきびしがあったのだ。
 やむなく、何もない道を歩いて近くの農家で応援を呼んだ。だが、アンラッキーはさらに続く。そこは桜丘市の警察の管轄内。佐々木刑事のパトカーの行く手にあった桜丘署から応援が来たのだが、佐々木刑事のパトカーの正面側からその応援は来たのだ。
 まきびしは佐々木刑事のパトカーが踏んだ分の他にも存在していた。用心のためにマキビシは数回にわたりばらまかれた。賢明な読者諸君は何が起こったのかお解りだろう。応援のパトカーも別なまきびしを踏んじゃったのである。
 そんなこんなで、犯人には逃げられ、ド田舎で長時間立ち往生させられたのだ。

 結局、犯人には逃げられた。その犯人が捕まるか時効が来るまで、取り返したゾディアックは証拠品として警察が預かる。とは言え、犯人は得体の知れない泥棒にローズマリー、そしてストーン関係者。全てを捕らえて事件が完全解決する日が来るとは到底思えない。恐らく、時効まで返すことはできないだろう。
 だが、取り返すことはできた。それにもう狙われる理由も無い。時が来れば返すことができるはずだ。
 聖華署に蟹江氏がやってきた。取り返されたキャンサーを見に来たのだ。
「いやあ、この度は協力感謝致しますぞ。お陰であなたのキャンサーも取り返すことができました」
 蟹江氏との共同作戦で妙に親しくなった森中警視が声をかけた。
「弔い合戦の気持ちでしたからね、今回は。サワガニたちは帰ってきませんが、こいつだけでも帰ってきてくれて、本当に、嬉しい!」
 蟹江氏は上機嫌だ。
「ええと。残念ながら、すぐにお返しする訳には……」
 おずおずと飛鳥刑事が言った。
「ええ、それはもちろん分かってます。だからこそこうして今のうちに面会をしに来たのですから。……うう、早くお勤めを終えて帰ってくるんだぞ……!」
 一転して悲しげ且つ名残惜しげにキャンサーを見つめる蟹江氏。容疑者の面会ならアクリル板越しになるところだが、ビニール袋越しの面会となった。
 他の所有者たちにも警察が預かるという旨を伝えて回る。リブラの坂本氏にこんなことを言うのは気が重い。どんな嫌味を言われるやらだ。後回しにするに限る。
 偽物があったジェミニとスコーピオンだが、今回戻ってきたのは本物だけだ。この二つの所有者にはその辺の事情も伝える必要もある。
 そんな話を聞き終わった後、光浦氏はボソッと言った。
「結局、呪われていたのはゾディアックではなく、ポーラー・スターの方だったようですな。しかし、やはりゾディアック、特にスコーピオンには何かあるとしか思えませんな」
「え?なぜです?」
 飛鳥刑事はなぜそう思うのかを聞いてみた。
「ローズマリーに盗まれたはずのスコーピオンは、何故かルシファーの手により私のところに返されました。再び盗み出されたかと思いきやそれは偽物、そして本物が改めて盗み出されたが、こうしてすぐに戻ってきた。何度この手を離れても、こうして舞い戻ってくる。まるで呪いでもかかっているかのように……」
 これから証拠品としてしばらく預かることになる身としては、気味の悪い事は言って欲しくないのだが。
 なお、その盗まれたままのゾディアックの偽物二つも後日、それぞれの所有者の家のポストに投げ込まれた。ストーンも偽物など要らなかったようだ。一応、どちらも銀製なのでそこそこの価値はありそうではあるのだが……。価値の問題ではなく、実質最後の最後で汚点を残した今回の『仕事』の精算なのかもしれない。

 大がかりで周到な計画の末に、ストーンが手に入れたものは蓋を失ったスターコッファーとその中身、そして二つに割れたポーラー・スターだけだった。スターコッファーに収められた財宝は、単独でもかなりの値打ちのある代物ばかり。ストーンの取り扱う品物の中でも高額の部類に入るだろう。元くらいは十分に取れる。
 ポーラー・スターも二つに割れてしまったが、それぞれの欠片はまだまだカットし直せば十分に通用する大きさだった。
「で、見せびらかしに来たわけだね。これを」
 ローズマリーはそう言いながら、目の前に置かれた二つのダイヤの写真を眺めた。かなり荒いカットがされた二つのダイヤだ。速やかに売り払うため、カットが始まっているのだ。
「まあ、それもあるんだが、メインはこっちよ。報酬のついでだ。ダイヤモンドをプレゼントしてやろうと思ってな」
 エージェントはそう言いながら、小さな紙包みを取り出した。
「えっ。本当かい」
 わくわくしながら、ローズマリーは包みを開けた。そこにはダイヤモンドと言えばそんな気のする、きらきらと光る粉が入っていた。
「そいつをカットし直す時に出たクズだよ。……まさか、売り物になるようなダイヤをただでプレゼントするとでも思ったか?」
「ま、まさか」
 思ってただけにちょっとがっかりだ。
「裏切りの呪いの掛かったダイヤの粉だ。そいつを催眠に使うとどうなるか……?面白そうじゃないか」
「それは確かに面白そうだね。……でも、あまり手元に置いておきたい代物じゃないね。あんたらに裏切られたらたまったもんじゃない」
 ローズマリーは包みを軽く押し返した。
「我々も裏切りなんてとんでもないがな。まあ、我々は宝石に掛かった呪いなんて話は信じちゃいない。なんなら、使う時まで預かってやっててもいいぜ」
「そうしてくれるかい。……で、ダイヤはどうなるんだい?」
「でっかい方はポーラー・スターとして好事家に売り飛ばす。小さい方は北極星から流れ落ちた涙、ポーラー・ティアとでもするつもりだ。ロマンチックだろ?」
「で、掴まされた方は裏切りに涙を落とすわけだね」
「うまい事言うな。まあ、呪いなんて信じちゃいないがね」
 いずれにせよ、呪いなど姿を現す暇もなくストーンは二つの宝石を手放してしまうだろう。彼らにとって、二つの宝石、そしてスターコッファーの中の財宝はあくまでも『商品』なのだから。

 こうして、ゾディアック連続盗難事件は幕を閉じた。
 だが、この事件の余波はまだ収まらない。むしろ、この一件は引き金でしかなかったのだ。

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