Hot-blooded inspector Asuka
Episode 3-『仮面の復讐者』

第1話 0・Fool

 その者は危険を冒し、逆転の機会を得るだろう。しかし、その行いは愚かな間違ったことなのだ。


 聖華市は平和だった。確かにこそ泥などはひっきりなしに湧いてはいたが、陰惨な事件は長いこと起こっていなかった。
 だが、それは起こった。聖華市としてはかつて類を見ない、陰惨な殺人事件が。
 第一報があったのは秋の半ばにしては暑い夜だった。町は深い眠りの時を迎えていたが、間もなく太陽は一足早い目覚めの時を迎える。そんな時間だった。
 刑事課1係にその事件のあらましが伝えられた。
 市内の二階建てアパートの二階で殺人事件が発生した。通報をしたのは同じアパートの住人で、事件の起きた部屋の真下に住む男だった。頭上で起こった騒音に目を覚ました彼は、不審に思い上の階へと向かった。開け放たれたドアから部屋に入ると、煌々と灯りの漏れる部屋の奥に血まみれの死体が転がっていたという。
 通報を受け早速捜査員が部屋へと向かった。
 被害者は市内の企業に勤める二十代後半のサラリーマン、秋庭和夫。部屋は酷く乱されており、歩くのさえ大変なくらいだったが、死体の場所は一目で分かった。一段高いベッドの上が鮮やかなほどに紅に染まり、その真ん中に血にまみれた被害者の死体が横たわっていた。
 死体は心臓と喉の二カ所を鋭い刃物で深々と刺されており、ほぼ即死だった。どちらの傷からも大量の出血があったようだ。だが、一撃で死んでいたために吹き出るほどではなかった。
 窓が割れ、ガラスが室内に飛び散っていた。犯人はここから侵入したのだろうか。
 物音があったのは通報のほんの数分前。第一発見者であり通報した男の証言によると物音は数回聞こえたという。最初の物音で飛び起きた通報者は二度、三度と続く物音に部屋を飛び出し、階段を駆け上った。彼が駆けつけた時にはすでに犯人らしい人影はなく、眠り姫の周りを囲む茨の如く行く手を阻む障害物に守られながら天を仰ぎ絶命した被害者のみが残されていたという。
 だが、なによりこの事件で特筆すべき事。それは死体の胸の上に置かれた一通のカードだった。そこには、被害者の血でこう書かれていた。"Revenger"……復讐者と。

 当初、殺人事件の担当である1係のみが動いていたが、捜査の結果、現金や貴重品が持ち出された形跡があったため、飛鳥刑事たちの2係にも応援要請が来たのだ。
「強盗殺人か……。まーたやな事件が起こったなぁ」
 佐々木刑事は不愉快なお顔をしながら立ち上がった。
「行くぞ、飛鳥」
 その言葉の前に飛鳥刑事はすでに立ち上がり歩き出していた。
「私も行こう」
 その声に二人は振り返る。二人の視線の先で、先ほどまで書類を眺めていた森中警視が立ち上がっていた。
「珍しい大事件だからな。じっともしておれん」
 少し緊張しながらもまた歩き出す飛鳥刑事と佐々木刑事のあとを森中警視もついてきた。
 飛鳥刑事には一つ疑問に思っていたことがある。怪盗騒ぎも疾うに収まり、そのあと巻き起こった窃盗事件の爆発的な増加も抑え、県警から派遣されてきた応援はほとんどが撤収を終えている。なのに、森中警視は帰る様子がない。これほどの地位の人間が一市の警察署に留まり続ける理由は何か。
 そんな疑問を抱きながら、後部座席に座る森中警視の姿をミラー越しに見る飛鳥刑事だが、答えなど浮かぶわけもない。
 事件の起こった現場は警察署からそう遠くはない場所だった。
 現場は1係により調べられたあとで、遺体はすでに運び出されていた。どす黒く変色した血に染まったシーツが生々しい。
 死亡推定時刻は発見された時間とほぼ一致した。発見が早かったため検屍により割り出された時間の誤差も小さい。
 捜査1係の長原刑事が現場写真を見せてきた。胸の悪くなるような死体の写真を立て続けに見せられた。
 やはり目を引くのは、死体の上にあったという"Revenger"の血文字のカード。すでに鑑識に回されているので現物はここにはない。
「復讐者、か。強盗殺人とはいえ、怨恨が絡んでいる可能性が非常に高いわけだ」
 森中警視はぼそっと呟く。
「ええ。今うちの連中がガイシャの人間関係を大急ぎで洗ってますよ」
 そちらは1係に任せ、とりあえず現場の検証を行うことにした。
 それにしても酷い荒らされようである。まさに足の踏み場もない。現場を荒らさずに歩き回るのは難しい。
 侵入箇所と思われる窓の側にようやく辿り着いた。無数のガラスの破片が散らばっている。
「ここの窓を破って侵入したわけですか」
 飛鳥刑事の問いに森中警視は答えず、じっとそのガラスの破片を見つめている。
「この周囲の住人でガラスの割れる音を聞いた人はいますか?」
「ええ、通報した人物が現場に駆けつける間際にガラスの割れる音を聞いていますね」
 森中警視の問いに長原刑事は答えた。
「……ずいぶんとずさんな工作だな」
 低く呟く森中警視。
「え?」
 飛鳥刑事は思わず聞き返した。
「今まで聞いた話を総合すると、犯人はどういった行動をとったと思う?」
 森中警視に問いで返され飛鳥刑事は考え込む。
「まず、ガラス窓を破って部屋に侵入した犯人は、被害者と乱闘に……あれ?」
「え?ドアから入ったんじゃねぇの?」
 不思議そうな顔をする飛鳥刑事の言葉に口を挟んでくる佐々木刑事。
「でも、ガラスが内側に散らばっているって事は窓は外から……」
「待てよ。ガラスが割れたのは犯人が逃げる時じゃねぇのか」
「あ、あれー?」
 訳が分からなくなってくる飛鳥刑事。
「見たまえ」
 森中警視はそういうと、ガラスの破片の一つを拾い上げた。
「ガラスはこの通り内側に散らばっている。と言うことは外側から割られたと考えていい。だが、侵入する時に割られたわけではない。それを示す証拠がこの破片だ」
 森中警視の拾い上げた破片をまじまじと見る二人。どこがおかしいのかはすぐに気がつく。
「あれ?ここ……」
「ガラス切り!?」
 そう、その破片には明らかにガラス切りで丸く切り取られていたのだ。
「つまり、侵入する時はこのガラス切りで穴を開けてロックを外し、静かに侵入している。そして、どういうわけか逃亡する時にわざわざ外から窓を割っているんだよ」
「なんで犯人はそんな妙な行動を?」
「妙な行動はこれだけじゃないぞ。見たまえ」
 死体の写真を示しながら森中警視は続ける。
「あ」
 飛鳥刑事は何かに気付く。
「おかしいですね、この死体」
 佐々木刑事は写真を覗き込んで不思議そうな顔をした。
「どこがだよ」
「だって、乱闘の末に殺されたにしてはこの死体……」
 ようやく佐々木刑事もその写真の意味に気付いた。
「いわれて見りゃ、妙にお行儀良く死んでやがる。そもそもシーツも乱れちゃいねぇな。殺して運んだって事も無さそうだし。この死体……縛られた跡は?」
「少なくともぱっと見て分かるような跡はなかったな。俺が見たんだ、間違いない」
 佐々木刑事の問いに胸を張り答える長原刑事。
「となると……」
「被害者は忍び込んだ犯人に目を覚ます前に刺し殺されていた……」
 飛鳥刑事の言葉に森中警視は頷いた。
「犯人は窓をガラス切りを使い静かに開け、眠っている被害者を刺し殺したと考えられる。おそらくはその後、室内を物色、金目のものを奪い、その後、何故か派手な物音を立てながら部屋を荒らし、ドアを開け、窓を外側から割って逃走した。逃走前の行動がまったく理解不能だ」
「……また、面倒そうな事件になったなぁ」
 佐々木刑事はため息をついた。

 程なく、被害者と関係のある人物がリストアップされた。会社の同僚、同じアパートの住人。それに加え、復讐というからには過去の人間関係かも知れない。学生時代の知人まで加えると膨大な数になった。
「ぐああ。この方向から切り崩すのは無理じゃないっすか?」
 リストに並んだ人物名を見て佐々木刑事は露骨にいやな顔をした。
「何もこの中の人物を全て調べ上げる必要はないさ。恨みを抱いてそうな人を探せばいい」
 早速、電話や聞き込みなどを駆使して、リストの中から特に何か恨みを抱いていそうな人物を選び抜いた。
 しかし、この秋庭という男は聞けば聞くほどタチの悪い男だったらしく、仕事場でも好かれる存在ではないし、取引先にも強引な手腕で相当嫌われているらしい。学生時代もいじめっ子で恨みは相当買っていたようだ。容疑者が減るどころか増えてしまった。
「ここまで恨まれていたら、いつ殺されても文句は言えませんね……」
「俺、こいつ生きてたら殺したいわ。マジで」
「だ、駄目ですよ。早まっちゃ」
 佐々木刑事の目がマジだったので飛鳥刑事は慌てた。
「だってよー、ただでさえいけ好かねぇってのに、容疑者増える一方ってなによ。普通捜査すればするほど減るじゃん。ありえねぇ」
「アリバイ調べりゃ多少は減ると思いますよ」
「早朝3時半だろ、普通の生活してりゃこんな時間にアリバイある奴そうそういないだろうに。俺だってそんな時間、ベッドで夢の中だぜ」
「先輩の場合横にアリバイ証言者が寝てるんだからいいじゃないですか」
「寝てねぇよ。今はいねぇの」
「あれ、またふられたんですか」
「またとはなんだ、またとは。……いや、まただけどな……」
 何の因果でこんな話題になったんだという想いを抱きながらも佐々木刑事はしょぼくれた。

 被害者の検死の結果も明らかになった。
 争った形跡はなく、熟睡している所を刺されたと思われる。森中警視の考えたとおりであった。布団に残った血痕の様子から、布団をかぶった状態で喉を突き刺され、その後布団を払いのけ心臓を刺したらしい。最初の一撃で頸椎が折れており、即死だった。使われた凶器は傷の大きさから推測してサバイバルナイフのような大きめの刃のついた刃物のようだ。相当な力で突き刺した事が伺われる。
「傷は2カ所……か」
 森中警視は考え込む。
「頸椎を砕くほどの馬鹿力だ、こいつは女にゃそうそう出せる力じゃねぇな」
 佐々木刑事もぼそっと呟いた。
「部屋を荒らすのも力がいるでしょう。ベンジャミンの大きな鉢が倒れてましたし、ソファーやテーブルもだいぶ動いてましたから」
 飛鳥刑事がそういうと、森中警視が顔を上げ口を挟んできた。
「恐らく、犯人は部屋の奥に近づきにくくするために部屋を荒らしたんだろう。窓から逃げたのなら尚更だ」
「しかし……。なんで犯人はそんなことを?こっそり入って、音もなく被害者を殺害したならそのままこっそり出て行けばいいと思いますが」
「そこなんだが……」
 森中警視は軽く俯く。そして言葉を続けた。
「犯人は被害者の死体を一刻も早く見つけて欲しかったとは思えないかね?」
「えっ。でも一体そんなことしてどんな利点があるんですか」
「分からないかね?まずは発見された時間だ。この時間帯は多くの人が眠りにつきアリバイがない。だから容疑者の多くがアリバイを証明できない」
「確かに……。苦労してますもんね」
「死体を一刻も早く見つけて欲しいという思惑は部屋の様々な状況からも見て取れる。まず、ドアが開いていたこと。そしてそのドアから死体が見えたこと。あれは部屋の前からでも殺人事件があったことが分かるようにしておいたのではないか?……その上で、部屋は奧に進めないほどの荒らされ方だ。普通の人なら、その状況でどうする?」
「……通報っすね」
 佐々木刑事が問いに答えた。
「なるほど、騒音を聞きつけて駆けつけた人は、死体を見つけて真っ先に通報する、か。部屋の中に踏み込んだりはしないっすね」
「ああ。割られた窓は部屋のドアからは見えない位置だ。犯人がまだ部屋にいるうちに誰かが駆けつけても部屋の奥までは来ない」
「最後に窓ガラスを割ったのは何故です?もし駆けつけてくる人が早ければその音を聞かれたりするかも知れませんよ」
「ガラス切りを使って窓から入ったことを隠したかったか、あるいは、死体を見つけやすくするための最後の小細工か。そんなところだろうな」
「あの部屋での犯人の行動はほぼ特定できましたね」
「うむ」
 飛鳥刑事の言葉に森中警視は頷いた。だが、その表情は今ひとつさえない。

 死体の解剖の結果、二つの傷がかなり深いことが分かった。
 喉の方の傷は頸椎にも大きな損傷を与え、致命傷である。そして、胸の傷も心臓にまで達しており、そのため血が噴き出している。どちらか一つの傷だけでも確実に死んでいただろう。そして、その傷の深さから考えて犯人は相当力のある男性であると推測された。
 しかし、だからといって女性を容疑者から外すのは早計とも言える。実行犯は男だろうが話を持ちかけると言うことは考えられる。
「男、か。まぁ、あのカードに残された字の汚さからして男だろうとは思ったけどな」
「でも。わざと汚く書いてあるんじゃないかと思いますよ。普通に書いてたら筆跡でバレますし」
 容赦なく突っ込む飛鳥刑事。
「……ま、そうだな。そもそも手袋の先に血ぃつけてなすりつけながら書いたんじゃ筆跡も糞もないか」
「書き順もあえてぐちゃぐちゃにしてあるみたいですね」
 カードの写真を見ながら飛鳥刑事が言う。確かに、下から上に引いた線もあるくらい書き順を無視した書き方なのが見て取れる。徹底的に自分の正体を隠そうとしているようだ。
「それにしても、わざわざ復讐者だなんて名乗るかね、普通。黙ってりゃ疑いもかからねぇだろ?」
 佐々木刑事の言葉に森中警視はふと顔を上げた。
「……奇妙なことの多い事件だ」
 とだけ呟くと、森中警視はまた書類の山に視線を戻した。

 警察の捜査は、少しずつだが着実に進んでいった。しかし、雲を掴むような捜査だった。
 この事態を一気に突き崩す出来事があった。
 しかし、決して好ましい展開ではない。
 新たなる被害者、と言う形であったからだ。

 現場に駆けつけるとすでに捜査官が現場検証を始めていた。
 事件現場は町はずれの古びた家屋だった。あたりは焦げ臭い臭いが充満し、床は水浸しだ。
 火事がまさに消し止められたばかりなのだ。
 深夜だったが、誰かが通報し火は家を半焼させたもののどうにか消し止めた。しかし、家人がいないかどうか確認するために突入した消防隊員は、リビングで血まみれで横たわる家人を発見した。
 被害者の眉間に傷があった。大きさはないものの、頭骨を貫通しおそらくは脳にまで達しているだろう。とんでもない荒技だ。
 被害者は血を流したまま引きずられてきたらしく、血の跡が二階の寝室から続いていた。そして、その寝室から火が出たようなのだ。
 そして、その血を使い、またしても被害者の死体に"Revenger"のカードが残されていたのだ。

「で、盗まれたものはあるんですか?」
 先に来ていた長原刑事に質問する飛鳥刑事。
「分からないが、そこのタンスを物色した跡はある。何か持ち出されている可能性は高いな」
 物色されたタンスを調べる。何が盗まれたかわかりはしない。
「どうやら財布が盗まれているようだな」
 森中警視が呟く。
「見ろ。このゴミ箱にレシートが捨ててある」
 確かにそのゴミ箱にはレシートが何枚も捨ててあった。古いものから新しい物まである。他にはちり紙や新聞代の領収書なども見られる。
「これだけレシートが捨ててあるのは、ここがレシートを捨てやすいゴミ箱だったからだ。つまりこの近くに財布が置かれていたと考えていい。スーツのポケットにでも入っていたのだろう。それだけではなく、新聞などの集金の領収書もここに入っていると言うことは置き金もこのあたりにあったと考えられる。一人暮らしの男だ。恐らく通帳も一緒に置いてあったんだろう。ここに朱肉があるが……印鑑も見当たらない」
「なるほど」
 感心する飛鳥刑事と佐々木刑事。
「スーツの財布、そしてこのタンスにあった現金、通帳、印鑑。盗まれたものはそんなところですかね」
 いいながら佐々木刑事はスーツのポケットを調べた。定期券、ボールペン、メモ帳、名刺入れなどが出てきた。財布以外は特にこれと言って持ち去られたものは無さそうだ。
 捜査の結果、すぐに被害者の詳しい身元が明らかになった。被害者は水村一巳47歳、またしてもサラリーマンだ。西洋商事聖華支社、第二営業部課長。
「確か最初の被害者の取引先にありましたよね、西洋商事って」
 飛鳥刑事の言葉に佐々木刑事は頷く。
「あったな、受付のおねーちゃんが美人だったから良く憶えてるぜ」
「もっとましなことで憶えてて欲しかったです」
「んだとぉ」
 飛鳥刑事に絡む佐々木刑事。
「佐々木君。なんならその美人の受付嬢に会ってきたらどうだね。君たちは西洋商事聖華支社に出向き水村一巳について情報を集めてきてくれ」
「了解」
 森中警視の命令に敬礼する二人。
「先輩。受付嬢以外の人にも話を聞いてくださいね」
「ったりめーだろ。……他にも美人のOLがいたらな」
 森中警視はそんなやりとりを苦笑いしながら見守った。

 西洋商事聖華支社。聖華市に多い貿易会社の一つで本社は東京にある。
 水村の死はもう会社全体に知れ渡っており、会社内はその話題で持ちきりになっていた。
 飛鳥刑事と佐々木刑事は社員が出社してくる時間帯を狙い聞き込みに出向いた。
「すいません、こういうものですが」
 受付嬢に手帳を差し出す二人。そんなことをしなくても受付嬢は二人のことを憶えていた。
「この間来た刑事さんですよね」
「憶えていてくれたんだ。嬉しいよ」
「早速ですがお亡くなりになった水村一巳氏のことはご存じですか」
 佐々木刑事が余計なことを言い出す前に本題をきりだす飛鳥刑事。
「え、ええ。まぁ……うちの会社じゃちょっと有名ですから」
「有名?それは一体どんな理由で?」
「社内じゃ有名なスケベオヤジだったんですよ」
 小声で飛鳥刑事に打ち明ける受付嬢。
「ちょっと待て。お前そういうのは俺に任せろよ」
 顔を近づけて話し合う様を見て、替われと言いたげに佐々木刑事が飛鳥刑事を押しのけた。
「で、スケベオヤジってのはどういう」
 小声で受付嬢に尋ねる佐々木刑事。
「この人もスケベだから気をつけた方がいいですよ」
 飛鳥刑事が口を挟んだ。佐々木刑事は飛鳥刑事に詰め寄る。
「てめぇ最近態度でけぇぞ、おら」
「受付の人、見てますよ」
「あっ、なんでもないんだよ。じゃ早速話を」
 話をさせてくれないのはあんたらだ、と言いたげな顔をする受付嬢。
「まぁ、ありきたりな……。女子社員の体を触ったり嫌らしいことを言ったり……。私もたまにいやな思いさせられましたね。営業部の人たちなんかひどいらしいですよ。そんなだから女子には嫌われてますけど」
 死んでからもこんなことを言われてはかなわないな、と飛鳥刑事は内心思うのだった。だが、営業部の方に出向くととんでもないのだ。
「美代子はおしり触られたって言ってましたよ」
「由美は胸捕まれたって泣いてたし」
「香代子は新婚だから毎朝寝不足なんじゃないとか言われて嫌だって言ってましたよ」
 話を聞いてみると女子社員のほとんどが今で言う所のセクハラ被害に遭っていたのである。
 さらに、女子社員だけではない。男子は男子で実にくだらないミスで数ヶ月にわたりねちねち言われ続けたり、貸した金が返ってこない、家庭での腹いせを仕事場でするなど文句が吹き出した。
「うわっはー、嫌われてるねぇ」
 佐々木刑事も苦笑いするしかない。
「いや、俺マジで殺したいわ、このオヤジ」
「もう死んでますし。殺しちゃダメですよ」
 前と同じようなことを言う佐々木刑事。それに対する飛鳥刑事のつっこみには変化が見られる。
 社員だけではなく、取引先にも恨まれている可能性は高いという。なにせ、ろくすっぽ話も聞かずに話を断ったり、逆に延々と話をさせられた挙げ句はなっから取引する気はないなどと言って追い払ったりと、こちらも嫌がられる要素盛りだくさんである。
 その上、結局、つい最近暴力や女癖の悪さに辟易した女房は子供を連れて家出してしまい、会社での腹いせもピークに達していたという。

 結局、聞き込みで分かったことは部内の全員と他の部署でも多くの人が殺人の動機にまでなるかはともかく少なからず恨みを持っていると言うことだ。
「犯人は女じゃないのか?このエロオヤジに手込めにされて復讐を」
 署に帰る車内で佐々木刑事はやる気のない顔で呟く。こういう時の発言は真面目な意見ではないので飛鳥刑事もやる気のない顔で適当に返すのだ。
「でも犯行の手口は女性には難しい力業ですよ」
「じゃ、女房とか彼女をとられた男が復讐を」
「あー、その線はあるかも……いやちょっと待ってくださいよ。最初の事件の方が繋がらないですね。秋庭は女癖悪い男じゃありませんし」
「そっちはまた別な理由かもよ。仕事の方の……。あ、でもどっちも仕事でのトラブルって線もあり得るんか。エロオヤジ、仕事の方でもあくどいみたいだからなぁ」
「でも、この二人の共通の関係者となるとだいぶ絞れそうですね。あ、今のところ一時停止ですよ」
「車来てないしいいじゃん。絞れりゃいいけど、相当な人数残りそうだなぁ」
「あっ、今、人を轢きました」
「げげげ。……なんだよ、人じゃなくてウルトラマンじゃねぇか。こんなの道路に転がしとくなよ。ガキが遊んだ跡だな」
 気にせず車を動かし出す佐々木刑事。ベキベキという音を立ててウルトラマンは砕けた。地球の平和は運転の荒い一刑事の手によって砕かれたのだ。
 その音を聞きつけ、持ち主らしい子供が飛び出してきて喚く声が聞こえた。佐々木刑事のアクセルを踏む足に力が入った。

 署に戻った二人は、早速今回の事件の関係者と前回の事件の関係者を見比べ、関わりの無さそうな人を外しにかかる。秋庭の勤めていた会社の方に行っていた刑事もそこでの水村の評判を聞いていた。
 確かに減ったことは減った。それでも結構な数が残ってしまったのである。
「もう一人、誰か死んでくれるとだいぶ絞れそうだけど」
 佐々木刑事は不謹慎なことを言う。
「いや、これだけ絞れればあとはごり押しできるでしょ」
 飛鳥刑事はまともなことを言った。
 浮かび上がった容疑者たち。
 ほとんどが水村を嫌っていた西洋商事の社員の中で、秋庭と接触のあった人間。あの受付嬢も秋庭の写真を見ていやな顔をした。言葉遣いがなってないなどと嫌みを言われたらしい。秋庭もこんな感じで西洋商事の中でだいぶ顔を覚えられていた。容疑をかけられるほどの恨みがあったかも知れないのは数人。商談の仲介をさせられた社員。お茶を運んで水村にいやらしい目で見られたOL、秋庭に怒鳴られそれをネタに商談で不利な立場になったと怒られたOL。この二つの会社を見ただけでも10人くらい浮かび上がっている。まだ見えてない接点が浮かび上がってくる可能性は十分にある。二人が同じ店を利用し店員の恨みを買ったり、といったことだ。
 ひとまず、これからはこの二つの会社を重点的に洗い、疑わしい人物を見つけ出すことに専心することになった。

 浮かび上がった被疑者は次の通り。
 西洋商事の方は次の6人。
 伊藤美代子、佐々木刑事に気に入られた受付嬢。水村にはセクハラを受け、秋庭には言葉遣いなどでいちゃもんをつけられている。
 志賀直行、水村の部下。仕事はまあまあできる方だが、水村にはだいぶいびられていたようだ。秋庭に取引の相談に行き一蹴されたことがある。
 梅川了一、松村孝明、志賀同様水村の部下でいびられている。秋庭を相手に接待をしたが、受けるだけ接待を受け商談は成立しなかったため、志賀にどやされたことがある。
 笹川弘枝、やはり水村の部下でセクハラ被害に遭っており、秋庭にはお茶を出した時に些細な立ち振る舞いで文句を言われている。
 柴田兼之、笹川がお茶の関係で小言を言われてた時に商談をするはずだったが、機嫌が悪いと話もせずに帰られた。水村にどやされたのは言うまでもない。
 二人の被害者両方に接触があるのは以上だ。しかし、ここに入っていない人間の中にも水村に対して深い憎しみを持つ者もいる。
 一方、秋庭の務めていたサニースカイ・インテリアの方は水村と直接接触したものは余り多くはない。
 金子瑞恵、原田明子、田村今日子。秋庭に水村に対する接待を命じられ、キャバクラのホステスのように扱われた。特に原田はその時のことが原因で入社3ヶ月で退社してしまい、今は行方が知れないという。
 行方が知れないという原田のことは気になる。しかし、いずれも殺したいとまで思うほどの動機とは思えない。
 まだまだ捜査を続けていく必要性があるだろう。さらに深い動機のある人物を捜すか、既出の被疑者の中により深い動機を見つけるか……。

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