Mink番外短編  チェイス in 沖縄  窓からはこの時期には似つかわしくない暑い風が吹き込んでくる。初夏を思わせる強い日差しはバンのルーフを焼けるほどに熱くしている。  ここは沖縄。日本で一番暑い島。  そして、その暑さに加え、暑苦しい男がさっきから纏わりついて来ていた。 「あいつ、ずっとつけてくるぜ。しつこいなぁ」  クルーの一人が呆れ混じりに呟いた。  私はミラーをのぞき込んだが、その姿は私の位置からはミラーでは確認できない。  リアウィンドウ越しにその姿を確認する。  確かに奴はいた。ヘルメットも被らずに実に楽しげな顔でバイクに跨がっている。  芸能記者のジョニー堀田とかいう男だ。イリヤさんはあいつのことをジョニ田とか呼んでいた。それで上等だろう。  思えば、最初の記者会見のときから何かにつけて我々の前に姿を現している。Minkちゃんが狙いのようだが、我々にとっても邪魔なことこの上ない。 「これじゃ落ち着いて撮影できないよ」 「まったくだ」  クルーたちが口々に言う。Minkちゃんとマネージャー君も不安げな表情でその姿を見ている。  まして、今日はクライマックスシーン。キスシーンもあるあのシーンの撮影だ。重要なシーンだと言うのに、あんな奴につきまとわれてはMinkちゃんも演技に集中できないに決まっている。  私は監督として一つの決断を下した。 「こうなったら仕方がない。俺達がオトリになってあいつを引きつけるよ」  そして奴をどこかに誘いこみ、撒く。  作戦に先立ち、危険がないようにMinkちゃんとマネージャー君を車から降ろすことにした。我々撮影スタッフだけなら、多少無茶をしても気にすることはない。 「この先にサトウキビ畑があったはずだ。そこのところでMinkちゃんとマネージャー君は車から飛び降りてくれ。茂みになっているしカーブでスピードを落としたところだからさほど危険ではないし、あそこはカーブがうまいこと曲がっているから見られることもないはずだ」  多少危険な降ろし方ではあるが、もしかするとこの先、この程度じゃすまないような冒険に出るかもしれない。それを思うと早いこと降ろしておいたほうがいい。  作戦通り、Minkちゃんとマネージャー君は車から飛び降り、奴はそれに気づかず我々の車を追ってくる。うまくいった。あとは奴を撒けば撮影に入れる。 「さて、どーやってまこうかなっと」  これから始まることを考えると、年甲斐も無くわくわくしてくる。 「監督、なんか雲行き怪しくないですか?」  クルーの一人が不安げに言ってきたが。 「んー?そうかぁ?」  今はそれどころじゃない。  あいつをどうやって撒くか。今はそれで頭がいっぱいだった。  道がだんだん悪くなってきている。  当然だ。この道を選んだのは私なのだ。  このまま行けば舗装のない砂利道になる。そうすればバイクなどまともに走れたものじゃない。ここで一気に引き離してやる。  舗装に茶色の泥が見えてきた。もうまもなく舗装道路が終わる兆候だ。  ついに舗装が終わり、がたがたと車体が揺れだした。後ろを見ると、奴のバイクとの距離がどんどん離れていく。 「いい感じ、いい感じっ」  私は満面の笑みを浮かべた。勝利を確信したのだ。  が、突然我々のバンがスピードダウンした。 「ど、どうした!?」  あわてて前に向き直った。原因は明らかだった。前から近づいてくる一台のトラクター。対向車だ。こんな舗装もされていない道だ。道路の広さはどうにか車二台がすれちがえる程度。ましてこちらはバンで相手はトラクターだ。慎重に運転しなければ、脱輪しかねない。  これは誰を責めることもできない。 「あっちゃー、ついてないな」  責められるのは自分の運のなさだけだ。  そうこうしている間に、ジョニ田にすっかり距離をつめられた。 「しかたない。第2作戦を考えるか」  私はため息混じりに言った。  フロントガラスに小さな水滴が1つついた。それは2つ3つと増える。そして、稲光。  雨か。  などと考えていると、次の瞬間には滝のような大雨になった。遅れてようやく雷鳴がルーフを打つ雨音に混じって聞こえてきた。 「す、すごい降りだ」  すさまじい雨で前が見えない。バンのスピードが落ちた。風も出てきたようだ。雨が横殴りに窓にあたる。 「奴はどうした!?」  私はリアウィンドウに目をやった。流れ落ちる水でほとんど何も見えない。 「まだついてきてます!」  クルーはそういうが、やはり見えない。  走っているうちにだんだん降りが落ち着いてきた。夕立のようだ。すぐに止むだろう。 「よし、海岸に行ってくれ。そこで第2作戦だ」  クルーの返事とともにバンが慎重にスタートした。どうにか前は見えるようになっていた。  遠くにみえる海は先程見た青く澄みきった穏やかな海とは打って変わり、白い飛沫をあげながら荒れ狂っていた。 「もうすぐ海岸に出ます!で、次の作戦は!?」  必死に運転しながらクルーが叫ぶように聞いてきた。やわらいだとはいえ雨あしはまだまだ強い。大声を出さなければ聞こえもしないほどだ。  海岸沿いの道に出た。防波堤を飛び越えて波しぶきが道路に押し寄せている。 「こりゃ、この先進めませんよ」 「大丈夫だ、ガードレールがある。このまま突っ切ってくれ」  クルーを促すと、クルーはすなおに車を進めた。 「監督、もしかして次の作戦っていうのは……」 「この波ならあいつも来られないだろう」  いきなり横から波が襲いかかってきた。ハンドルを取られたらしく車体がふらつく。 「そ、それは無茶では……」 「無茶でももう引き返せないよっ」  全くその通りだと思う。しかしここまですれば奴といえどついてはこれまい。 「監督。まだついてきてますよ」 「なんだと!?」  後ろを振り返る。  そこに確かに奴はいた。  突然の雨と襲いかかる波に濡れそぼち髪は顔に纏わり、すっかり幽霊のような姿になっている。不気味だ。  それでも、まだしつこくついてきていたのだ。 「なんて奴だ……」  私は呆気に取られるしかない。  その時、一瞬何も見えなくなった。特に大きな波が襲ってきたのだ。ハンドルを握るクルーが短い悲鳴を上げて車の体勢をどうにか維持させようとあがいた。車は斜めになったが、どうにか横転も衝突もせずに踏みとどまった。  が。 「監督、ジョニ田が消えました!」 「え?」  確認すると、奴の跨がっていたバイクだけがそこに倒れていた。 「な、波にさらわれた……!?」  そうとしか思えない状況だった。 「みんな、これが大自然の驚異というやつだ」 「監督、何落ち着いてるんですか」 「すべては波がやったことだ。俺は知らん」  口ではそういうが、実際のところ落ち着いてなどいられるわけがない。はっきりいって、にわかには信じられないような出来事だった。  だが、さらに信じられないような出来事を我々は目にすることになるのである。  それに気づいたのはクルーの一人だった。 「あ、あれ?」 「何だ、どうした?」  クルーの指差すほうに目をやる。すると、ガードレールをつかむ腕が見えた。 「這い上がってきたんだ!」  奴は生きていた。防波堤をよじ登り、バイクに向かってふらふらと歩み寄っていく。 「ゾ、ゾンビか、あいつは!まったく」  いろいろな意味で恐くなった我々は、逃げるように走り去った。  はっきりいって、これほど手ごわいとは思ってもいなかった。奴は果たして人間なのか。それさえも疑わしいほどだ。  奴はまだついてきている。悪霊にでも取り憑かれたような気分だ。 「次の作戦はどうします?」  クルーたちももううんざりしているようだ。 「よし。信号で止まったらバックでぶつけよう」 「それはきついジョークですね」  ジョークだということにしておいた。  車は街中に戻ってきていた。  戻ったといえば、先程まではあんなに荒れ狂っていた空も、今はすっかり元のさわやかな青空に戻っていた。  まばゆいばかりの陽光にきらきらと輝く町並みが美しい。  後ろに奴がいなければ最高だったろう。振り返ってみると、やはりそこに奴がいる。そういえば振り返れば奴がいるとかいうドラマがあった。関係ないが。  濡れそぼった髪、よれよれになったシャツ。サングラスだけはあいかわらずだ。流されなかったようだ。ただでさえ胡散臭い外見が、さらに気味悪くなっている。ここまで来ると見事としかいいようがない。これほどまばゆい陽光の中において、これほど不気味さを醸し出せるとは。 「なんか、町の人も気味悪がってますよ」  歩道を歩く人々も、ジョニ田を見ては顔をしかめている。 「全く、ヘルメットくらいかぶりゃいいのに」  そう呟いた瞬間、閃いた。 「そうだ。交番の前走ってくれ」  言われたとおり、最寄りの交番の前を通るバン。その前で、スピードも落とす。  案の定、食いついてきた。  我々の後ろを走る奴のバイクのさらに後ろにパトカーが現れ、拡声器でがなりたて始めた。 「そこのバイク、止まりなさい。そこのバイク止まりなさい」  変質者のような男がノーヘルでバイクに乗っていれば、警察が声をかけるに決まっている。そして、奴も警察に言われれば止めざるをえない。  警官に捕まった奴を尻目に、我々は悠々と走り去って行った。 「長かった。本当に長い戦いだった……」  撮影現場に到着した私は、きらめく海を眺めながら呟いた。  波はいまだ激しい。ビーチもすっかり沈んでしまっている。空だけが、何もなかったかのように穏やかだ。 「なにかあったんですか?」  マネージャー君が訊いてきた。答えたのはクルーの一人だった。 「いろいろと、ね」  Minkちゃんとマネージャー君は予定通り一足先に現場に到着していて、我々を待っていた。雨に降られてびしょ濡れになってはいたが。  そして、ここに奴……ジョニ田はいない。  撮影の準備は完全に整っていた。  が。 「いずれにせよ、この状態じゃ撮影はできませんね」  マネージャー君の言葉は、全くもってその通りであった。