0.運命の夜

 ある日、何の気なしにサーチエンジンで『叶花』を検索した所、なぜか多数のページが引っかかった。確認してみると、どうも足利市に『叶花』という地名があるらしく、それに因んで叶花橋やら叶花春日神社などと言ったものが探し当てられたのだ。
 これは、紛うことなき聖地である!なにげない内容のチャットをしていた由里さん共々いきり立つ。由里さんが地図サイトで叶花周辺の地図を入手。場所は分かった。足利市小俣町。県内だ、いけないことはない。いや、行ける。
 由里さんも、車で行くべきか電車で行くべきかもう悩んでいる。先に見つけたのは私なのだ。由里さんに先を越されてたまるものか。抜け駆けしてやる。私は固く心に誓ったのだった。

1.屈辱、そして再起

 で、その翌日がたまたま休日だったので、一眠りして足利市に発つことにした。
 私はいつもタイマーセットのテレビで目が覚める。その日は前日(というかその日の早朝)五時近くまでチャット他をしていたため、多少ゆっくり寝ることにして遅めにタイマーをセットしておいた。
 そのテレビの音で目が覚めた。午前9時。軽く食事をし、できればその間に昨日入手した地図をプリントアウトして持っていきたい。
 などと考えつつリモコンでテレビのスイッチを切る。そして。



 また寝た。



だめじゃん(><



 結局、目が覚めたのは12時ちょっと前だった。しまった、不覚ぞ!我ながらあまりの醜態に呻吟しつつ、いそいそと朝食を取る。もはや一刻の猶予も無い。私はデジカメだけをもち、一路足利へと向かったのだった。


結果。だめでした。

やっぱり地図は必要である。結局、なぜか群馬県にまで迷いこむ始末で、叶花はおろか、小俣駅に戻ることさえままならない事態となってしまった。
 夕日に照らされた群馬県境近辺の景色を見ているうちにだんだんとやるせない思いになってくる。だが、逡巡している暇はない。間もなく日も暮れれば、この未知の土地で闇に閉ざされることになる。それだけは断固避けたい。
 帰り道のコンビニで、夥しい量のおまけ付きなっちゃんを発見。おにぎりと抱き合わせで購入。中身は那っちゃんネームプレートだった。収穫はそれと、無計画な行動は身を滅ぼすのみ、と言う教訓だけであった。コンビニの店員に駅の方角を確かめ、再び歩き出す。駅にたどり着いたのは、日も暮れた頃であった。
 もちろん、ここで引き下がるわけにはいかない。私はリベンジを誓ったのである。

2.雪辱の朝

 遂にその日が来た。
 前夜は都合よくチャットが早めにお開きになった。早め(それでも3時)に寝床に入り、また9時近くまで寝る。目が覚め、食事をすますと鬼怒川温泉駅へ。
 今回は前回の教訓もあり、1週間近い猶予もあった。地図もしっかりプリントアウトし、準備は万端である。御戦役は角出んさは、大体40分すぎくらいだ。その時間に合わせて家を出る。案の定、快速浅草行きは9時45分の出発である。目指すは栃木駅、運賃は700円だ。JRの今市駅から宇都宮駅までが、私の最後の記憶(古い)では640円である。それから考えればなんと良心的な値段であろうか。電車はほぼ満席だったが、座る席はあった。
 1時間で栃木につく。さすが、快速は早い。JR両毛線に乗り替え。小俣まで650円。何だ、この金額は。栃木から足利のちょっと先までが、鬼怒川栃木間とたった50円差か。全く国鉄は!と腹立たしくなる。
 しかも、揺れが激しい!脳味噌がシェークされる。ドアも手で開けるドアだ。こんな電車でたんまりと金をふんだくりやがって!だんだん苛立ってくるが、目の前に女子高生がたったので心が和らぐ。
 脳味噌がほどよく蕩けた所で小俣駅に到着。陸橋の上で位置関係を確認。前回行った道はまるっきり逆方向であることが判明した。
 ふと、見下ろすと、線路を横切るババァが!確かにあの陸橋はあの歳のご老体にはきついだろうが、線路、普通の人は歩けるようになってないじゃないのさ。
 呆気に取られていたが、我に返る。ルートも決まり、いざ、叶花へ!

3.血塗られた旅程


小俣駅
A:ここから飛び降りようとした B:血痕
 その前に、軽くトイレ。この先、トイレを借りられる店など無いと思われるので、ここが最後のトイレとなるだろう。
 用をたした所でいざ、旅立ち。
 トイレ横の金網の切れ目の石垣がまるで飛び降りろ、と言わんがばかりにへこんでいるので、誘いにのることにした。軽やかに身を宙に踊らせる私。
 のはずだったのだが、踵が何かに引っかかり、前傾姿勢になる。当然、そのまま無事に着地できるわけもなく、アスファルトの路面に叩きつけられ膝を強打した。
 慌てて立ちあがり、痛みをこらえながら歩く。ふと膝に目を向けると、ズボンの膝に血が滲んでいる。この量はだいぶ多いぞ。ズボンのすそをめくると確かに夥しい量の血が傷口から噴き出ていた(画像)。慌ててちり紙で血をふき取る。いきなり出足をくじかれる結果となった。そのちり紙を膝に押し当てて貼り付けておいたのだが、歩いているうちに落ちてしまったようだ。通学路のど真ん中に血がたっぷりとついたちり紙が落ちているという状況を作り出してしまったのだ。
 血は早々に固まったのでそれ以上血が滲むことはなかったが足は痛む。これからの長い旅路、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
 県道218号線を辿り、叶花を目指す。途中大東亜戦争などの戦没者の慰霊碑があったので寄り道。私もこの身が果てた時、このような碑になを刻まれることはあるのだろうか、などと思いを馳せるが、少なくともこんな所でくたばったのではただの身元不明扱いだ。
 歩いて行くと、中妻という文字が目につくようになる。持って行った地図にも中妻と書かれているので位置の目安になる。
 しかし、歩くにつれ景色がなんだ、その、ドい……もとい、のどかになってくる。予想はしていたが、これは叶花は相当なドい……のどかな所であろう。やがて、地図にあった小俣側と道の交点、すなわち橋が近づいてきた。叶花橋やも知れぬ。叶花橋だ。間違いないであろう。間違いだった。『宝珠坊橋』という橋だった。上がっていたテンションが一気に下がるのを感じた。このまま叶花橋は見つからぬのではないか、などという考えも少し頭を過ったりした。何せ、持っていった地図では小俣川と県道は1度しか交わってないのだ。
 空腹のためか、気分が少しずつネガティブになっていくのだった。

4.春の日差しに包まれて

 それは不意に目に飛び込んできた。
 見紛うはずがあろうか、この字を。ああ、遂に探し求めていたものが!

叶花バス停
奥は梅が満開。よい眺めである。
 今までは当たり障りのない地名が出ていたバス停。やまなみ号か、のどかな名前だのう、と思いつつ、バスがあるんなら返りはこれに乗って帰ろうかなぁ、等とぼんやりと見過ごしていた。しかし、この字は見過ごし様があるまい。でかでかと叶花。うおおおぅ、たまんねぇぜ(謎)。ひさびさにデジカメを取り出し、梅の花をバックにバス停を撮影。うん、いい絵。ピントが不安になり取り直したりもしたが、あとあと見直したら同じだった。

叶花春日神社
この叶花は本当はありませんでしたが、敢えてつけました。さみしいんだもん。
 叶花の字面を目にし、俄然やる気の出る私。その場で周りを見渡すと、別れ道の叉の部分に鳥居を発見。地図と照らし合わせると、間違いなく春日神社、そう、叶花春日神社である。カメラを構えて鳥居に向かう私。鳥居を抜け、林を抜けると厳かにて神々しい春日神社の姿が。そのあまりのぼろさに愕然となる。解説書きをみてなるほど納得。
木造柿葺、一間社流造。桁行一間、梁間一間、向拝一間
本殿の造営年代については享保十二年(一七二七)の再遷と慶安三年(一六五〇)分社などの記録がみられる。しかし、棟札が無いために明確ではないが、江戸時代前期頃の建立と推定される。
 建物は多くに彩色を施し、正面の桟唐戸には春日神社にふさわしい鹿の浮彫を、両側壁板および背面壁板にも彩画が描かれていたが、ほとんど剥落し、本殿の装飾部分が極めて少なくなっている。
屋根の柿葺・棟橋鬼板・大棟箱棟等は享保十二年の時に修理した当時の姿を残している。総体には江戸初期の建築様式が随所に現れ、特に象の彫刻は桃山期の名残をとどめている市内に数少ない古建築といえる。

 古建築ではぼろいのも頷けよう。

5.今が夏なら


叶花農産物直売所
夏には賑わうのであろうか。
 叶花の字の見当たらぬ叶花神社をあとにし、道なりに行く。新しい建物が建てられつつあるようで、この叶花にも開発の波が押し寄せ、やがてサイバーな一画になるのであろう、などと夢を見ていると、視界が急に開ける。そして、その見える景色のド田舎っぷりに愕然となるのである。
 まぁ、『叶花農業組合』とかで見つけたような気がするので、農業地帯であろうということは予想はしていたが。
 ただ、私としては、信号機に『叶花』と書いてある絵を思い浮かべていた。確かに地図をみると大きな道路は一本しかなく、信号はあるのかなぁ、といった感じだったが、叶花への血路が狭隘な県道であるとは、そしてここまで見晴らしのよい田畑だけの地だとは思ってもいなかったりもした。
 ふと、横にある波鋼板を寄せ合わせたような粗末な建物が目につく。なにげなくそちらに目を向けると、またしても叶花の字が。おおっ、神社で空振りだっただけにこの歓迎は嬉しいこと嬉しいこと。
 早速カメラを構え、アングルにまで気を使いながらシャッターを切る。看板が奥のほうにもあり、その奥の看板がまたいい味を出しているのだ。この看板を入れずしてこの建物の写真を撮る価値はあるまい。腰を落とし、わざわざ低いアングルでとる私。

叶花集会所
この周りでちょっとしたイベントが開けそうな広さだった。
 そして、そこをさらに奥に行った所に、かなり開けた広場のような所があり、その真ん中にぽつんと建つ新しい建物が見えた。あの佇まいはもしや。
 途中の中妻と言う所には、地域の集会所があり、ああ、うちの近所にもこういう集会場はあるなぁ、もしかしたら叶花にもあるのかな、などと思っていたのだが、あった。
 叶花集会所。そのままずばりなネーミング。まるで叶花ちゃんがいっぱい集まってくるような名前ではないか〜っ、コピー叶花だああぁぁっ。
 バカなことを考えながら写真を撮る。ああ、こんなに叶花の字に巡り合えるとは。さっきまで陰鬱な気分だったのが嘘のように楽しくなってくる私。躁状態だ。
 テンションも上がり、さらなる叶花を探し道をたどる。両側が山の基本的には一本道である。もはや地図の領域を飛び出しているが、叶花ワールドはこの小俣の地にまだまだ広がっているのだ!

叶花橋
ローマ字は気にしない気にしない。
 そういえば、まだ叶花橋を見ていないぞ。と思いながら歩いて行くと、横を流れる小俣川が、だんだん道路に近い場所に流れるようになってきた。この調子で行くと間もなく橋が。
 そして、遂に見つけたのだ。橋だ!寿賀子!すまん。テンション高いのはやむなしである。白い立て札に、紛う無き『叶花橋』の青い文字が。もう天にも昇る気分である、それでも駆け寄ったりはせず、あくまでも紳士に歩み寄る。
 よく見ると、立て札にはローマ字が振ってある。そう。『叶花』の読み方が遂に明らかになるのである。なになに、「Kanokabasi bridge」とよめる。おおっ、かのか、かのかなのか!?
 だが、それは私の過剰なまでの期待が生んだ幻に過ぎなかった。ん?何だ、あれは。kanok……aじゃない。aじゃないぞ。それに、oが二つ見えるような。目が霞んでいるのか?いや、あれは二つ……。Kanooke。かのおけ!?カラオケみたいだ……それになによりかわいくない。とくに、せめて、かのおかくらいにはならなかったのか。かのうばな、くらいの読み方は覚悟していたが、まさか花をけと読むとは。確かに、ほとんど同じ字と解釈できる華という字は曼珠沙華とかいて、まんじゅしゃ"げ"である。だから、花もけと読んでおかしくはないが……。
 とりあえず、橋を撮影。読み方はどうあれ叶花橋という字面にかわりはない。叶花橋を渡る途中に上流と下流の景色も撮影。叶花の上で……はう〜っ(壊)

叶花橋より
左が上流、右が下流。

6.徒労による終焉

 叶花橋を過ぎ、しばし行く。まだ何かあるかもしれない。
 が、その後これといった発見無し。  実は、叶花橋の手前の「石尊山」の入口で叶花のお祭りを発見していた。
『小俣石尊山の梵天祭り』 この行事は、標高四八六メートルの石尊山にじもと叶花の住民が、毎年八月十四日の早暁、梵箭と約十五メートルの杉丸太を下の沢から一気に直線的に担ぎ上げ、それぞれを結びつけ組み立てて、日の出とともに山頂に打ちたてる。山頂ではあらかじめ担ぎ上げておいた赤飯と御酒が配られる。近在から老若男女が登拝してくる。やがてこの杉丸太の頂上につけた梵箭を若者が昇り競って名板、帝釈天、幣串を抜き取り、それぞれ家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を願って家に持ち帰り飾るという祭りである。
 叶花ちゃん祭り……なんて雄々しく勇壮な(^^;;;;
 早速、その舞台となる石尊山山頂を目指す私。行きがけで山を上りバテるとアホらしいからだ。帰るだけならバテててもいい。どうせ叶花バスだし。
 本当にバテる私。
 途中で諦める私。
 降りた所で謎の親父に捕まり、山頂は如何ほどかと聞かれる私。知らん、と素直に述べると、その親父は地元の親父を捕まえて、同様に問いただす。地元親父によると、山頂までは40分ほどとのこと。私は30分くらいで諦めた。ああっ、あと10分だったのか、諦めずに進めばよかったあぁぁっ!結局、山は登り損に終わったのだった。行きと帰りに叶花清水を飲めただけ。
 なお、この山の山道入口付近にお堂があり、そこの奉納者名簿のトップに、森山氏を発見。ああ、やはり叶花と森山は切っても切れぬ縁なのだな。
 帰途についた私はやまなみ号に乗って駅に向かうことに。叶花バス停から乗ってもよかったが、時間が余っていたので運賃節約のために三つほど先のバス停でのった。そうそう、実は地図によると、叶花の先には森出という地名がある、とのことだったが、その名前のバス停は見つからなかった。森出叶花〜というネタも考えていたんだがなぁ。
停留所2つで駅に到着。と言えど、駅からはわりと離れた場所におろされた。駅を探しうろつくと、酒屋が目に止まる。悲しい性分で酒屋に誘い込まれてしまう私。小さい酒屋なのでめぼしいものはない……と思っていたらシトロンジュネ場が置いてあるではないか。しかも、買う解く7割くらいの値段になった。セール中だったのか。ちょっと嬉しくなる私だが、荷物は確実に重くなった。なおかつ、どうでもいいことであった。
 その後、駅前の菓子屋でせんべいを買い求め、それをばりばり言わせつつ電車を待つ。電車に乗ったあたりからはもう面白いことも何も無いので、以下割愛とさせてもらう。
 以上、叶花探訪レポートでした。



After.三日天下

 後日、由里さんも叶花の地に仲間数名とともに赴いたという。その時のレポートがこれである。

由里さんの叶花聖地探訪レポート(業務提圭麻中)

 何ということだ。橋の下だとぉ!?そんなところに叶花の文字が!?うぬぬぬぬ、口惜しや。見落としていた……登れなかった山のことも含め、リベンジじゃああぁぁぁ!

リベンジ・ザ・叶花   Coming soon!!(多分)































おまけ。
叶花集会所の近辺に、『ちかんにちゅうい』と書かれた看板が立っていた。むぅ、叶花ちゃんに痴漢だとぉ!?許せーん。なお、帰りにはその看板の近くで小学生とすれ違う。なぜかなんとなく、ばつが悪かった。